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3話
しおりを挟むクロヴィス様は、五年前に起こった隣国との戦争から戻ってこない。
だが彼の遺体は見つかっておらず、まだ希望は残っている。
「ラシェル様、朝食ですよ」
考えながら食卓に座っていると、侍女が私の前に朝食と名のつく粗食を置いた。
小さなパンに僅かな水、いつも通りの食事だ。
「文句ありますか? もしあれば、セドア様に言いつけますよ?」
侍女は高圧的な態度で嘲笑してくる。
私はクロヴィス様の婚約者だが……今ではその立場は蔑みの対象と成り果ててしまった。
その原因は、クロヴィス様の兄––セドア様にある。
四年前、彼は私へと求婚した。
「ラシェル、クロヴィスを諦めて俺の妻となれ。その光の魔力を継ぐ子を産むためにもな」
クロヴィス様の帰りを信じる私は断った。
だが、それがセドア様の逆鱗に触れたようだ。
「断るのなら……お前から俺の妻となると求めるまで、追い詰めてやるよ」
彼の言葉通り、その日を境に使用人達から虐げられるようになった。
抵抗も、逃げだすことも許されない。
逆らえば、クロヴィス様の捜索を打ち切られてしまうからだ。
それは彼が死亡したと帝国が認めたも同然。
婚約者の居なくなった私は必ず、父によってセドア様との婚約を決められてしまうだろう。
だから、耐えるしかなかった。
「あら、相変わらず惨めね。ラシェルさん」
耐えて拳を握っていた私へと、不意に声がかかる。
顔を上げれば、見知った顔が笑みを浮かべていた。
「エミリー様……」
燃えるような赤色の髪と、美しい顔立ちから私を嘲笑する翡翠の瞳を向ける彼女はエミリーだ。
公爵令嬢で……現皇帝陛下が選んだセドア様の婚約者候補。
セドア様はまだ彼女を受け入れてはいないが、すでに皇宮内で暮らす許可は得ているようだ。
「辛気臭い顔ね、私の運気も下がってしまうわ」
そう呟きつつ、エミリーは対面に座る。
すぐさま使用人たちが彼女の前に豪勢な朝食を並べた。
「あら? 運は良かったみたい。貴方よりも美味しそうな朝食ね」
「エミリー様、私は部屋に戻ります……」
「待ちなさい、貧相な貴方のためにせっかく飲み物を持って来てあげたのよ?」
そう言って、エミリーはコップに入れた泥水をかけてきた。
私が整えていた髪や、服が茶色に染みて、ずぶ濡れだ。
「ほら、喉が渇いているなら……泥水をすすって生きなさいよ? 惨めな貴方にはお似合いよ」
「……何が目的ですか? エミリー様」
「さっさと夜逃げでもしてセドア様の視界から消えなさい。目障りなのよ」
彼女にとって、セドア様から婚約を迫られる私が婚約者候補としてはいい気分ではないのだろう。
だからこうして嫌がらせを繰り返してくる。
しかし……
「私は、クロヴィス様が帰ってくる居場所を守っているだけです」
「……生意気ね。気分が悪いわ」
エミリーは舌打ちをしながら、私の朝食である小さなパンに泥水をかけた。
どうやら今日は朝食を食べられそうにない。
「そのパン、あげます」
「は!? 馬鹿にしてるの!?」
私は彼女を気にせず、自室へと戻る。
背中に睨む視線を感じたが、振り返りはしなかった。
◇◇◇
自室に戻れば、ノルマであるポーションの作製が始まる。
机の上には、魔法水が入った瓶が無造作に置かれていた。
これに光の魔力を込めれば、傷を癒す事のできるポーションの完成だ。
しかしこれが辛く、日に何十本もポーションを作製すれば、吐き気がするほどに身体が疲れる。
酷い風邪のような症状に苦しめられるのだ。
だが、作らなければ……
そう思い、いつものように瓶へと魔力を込めた時。
「……」
さきほど受けた仕打ちを思い出して、こみ上げてきた悔しさを唇を噛んで耐える。
泣きそうな気持ちを堪えて、作業を始めた。
『泣かずに待ってろ。絶対に戻ってくるから』
五年前、クロヴィス様が言った言葉を思い出す。
ずっと、虐げられて馬鹿にされた日々をこの言葉に従って耐えていた。
一度でも絶望して泣いてしまえば、私は二度と立ち上がる事ができないだろうから……
「よしっ……やろう、クロヴィス様のためにも……」
自身を鼓舞して、今日も作業を始める。
彼が帰ってくる居場所に……私が残って待つんだ……
「まだ、諦める気はないんだな」
「っ!! ……セドア様」
突然の声に視線を上げれば、いつの間にか部屋の中にセドア様が居た。
私の寝台に無断で腰掛け、見つめている。
「何の用ですか?」
「いつまでも、待ってられないんだよ」
「っ!!?!」
頬に鋭い痛みが走り、思わずしゃがみ込む。
セドア様が、私の頬に平手を打ったのだ。
「さっさと俺の妻になると誓え! 何年も耐えやがって! 本当にお前には苛立つ」
「っ……私は、クロヴィス様の婚約者です。それに……こんな暴力をする方と、添い遂げたいとは思えません」
「本当に生意気だな、お前」
セドア様は私の首元を掴むと、無理やり視線を合わせる。
そして鋭い視線で睨みつけた。
「どうして俺が、お前を強制的に婚約者にせず、こんなまどろこしいやり方をしてるか分かるか?」
「……」
「お前から妻にしてくれと懇願するのを待ってるんだよ。……クロヴィスを諦めて俺にすがりつけ、ラシェル。俺の方が奴より上だと認めろぉ!!!!」
醜い怒りを見せて叫ぶセドア様だが、私は思わず笑ってしまう。
「ふ……ふふ」
「なにがおかしい」
「叶わぬ願いですよ。だって私はクロヴィス様を諦めません。それに……こんな低俗なやり方をする方に、頭を下げるなんてしませんからね」
「っ……」
悔しそうに表情を歪めて、セドア様が私の首を振り払うように離す。
苦しかった呼吸を正常に戻すために咳き込めば、彼が睨んできた。
「……もういい。お前を諦めさせる真実を教えてやる」
「真実……?」
含みのある言い方をしながら、セドア様は私を馬鹿にするように嘲笑った。
「クロヴィスの捜索なんて、とっくの昔に打ち止めている」
「っ……な……」
「死体はすでに見つかった。あいつはまだ公表されてないだけで、もう死んでるんだよ」
告げられた言葉が信じられず、驚きと動揺で当たった机から瓶が落ちてしまう。
床に広がっていく液体と共に、私の思考に絶望が染みていった。
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