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最終話・リディアside
しおりを挟む「レイクスといいます。此度の婚約を受け入れてくださり、感謝します」
初めて会った時の彼の印象は、『堅い人』というものだった。
若くして才に溢れた同年代の青年、そんな彼が爵位を得るために組まれた貴族令嬢である私との政略婚。
当然、そこに愛などない。
貴族家に生まれた身として、覚悟はしていた。
だが、あまりに業務的に……無表情のまま淡々と縁談を進める彼に不安が生まれた。
「私などで、良いのですか?」
縁談終わり、二人きりの時間の際。
不安から尋ねてしまった、あまりに不躾な問いかけ。
彼は眉一つ動かさずに答えた。
「貴方との婚約は、俺が陛下から下賜にて承ったものだ。そこに文句などない」
キッパリと無感情に答える様に、もう……それ以上の問いかけなどできなかった。
あぁ、やはりこの縁談に愛などないのだろう。
覚悟はしていても、心の奥底では期待していた愛ある生活。
その可能性など微塵もないと知り、気持ちが落ちていくのを感じた。
だが、その日。
縁談を終えて帰ろうとしていた私へ……彼は。
「リディア」
初めて呼ばれた名前に振り返れば、彼が私の手をとった。
そして、付き添うように隣に立つ。
「外に停めている馬車まで、見送りさせてほしい」
そんな言葉と共に歩き出した彼は、両親とある程度離れてから。
ポツリと、呟いた。
「一つ、嘘を吐いた。訂正させてほしい」
「え?」
「本当は……貴方との婚約ができて、嬉しく思っている」
「っ!」
弾む胸。
どうして、と問いかけようとした私へと、彼は言葉を続けた。
「俺は新兵時代、騎士団の任務で社交界の護衛をしたことがある。覚えているか分からないが、その際に貴方に会った時に救われた」
「私に?」
「ええ、貴族家の皆が騎士など物騒だと嘲笑う中。俺は新米ながら、自らの職務に自信を失っていた。でも貴方だけが……感謝と共に、労ってくれた」
無表情で、淡々と縁談を進めていたレイクス様。
だけど、今……私の前で思い出話に花を咲かせた彼は、初めて微笑みを見せる。
「救われました。あの時から、俺は貴方にまた会いたいと……ずっと思っていた」
そんな事で私を想ってくれるなんて……とは言えなかった。
だって、だって私も。
「これから、俺の妻になってくれますか?」
「はい。レイクス様。よろしくお願いいたします」
私だって、彼が見せてくれた些細な微笑みで、恋情が確かに芽生えたのだから。
手を握って、共に歩く。
それだけで、世界が明るく華やいで。
私の心は彼と共にあると思えた。
◇◇◇
レイクスとの婚儀を終えた途端、彼の生活は一変した。
今までは一介の騎士であった彼は、陛下に下賜と爵位を承った騎士として期待される。
その双肩にかかる重圧は、私では想像もできなかった。
「今日も、帰りは遅くなる」
結婚式を終えて数日も経たずに、レイクスは屋敷を空ける事が増えた。
帰ってきた際は傷を負っており、なのにろくに睡眠も取らずに再び騎士業へと戻る。
過酷な仕事だとは聞いていた。
だけど、彼が皆の期待に応えるために、ここまで身を犠牲にして働き続けなくてはならないなんて。
「レイクス様。どうかお身体をご自愛ください!」
「大丈夫だ。俺は騎士として、国の民の安寧を築いてみせる。それが俺の責務だ」
何度も説得を試みたが、無駄であった。
いつしか、彼は自らの双肩の期待に押し潰されるように、自らを押し殺した。
傷が癒えて、また傷ついて……その身がボロボロになっても、期待する皆のために一時も休む事はなかった。
そんなレイクスの身体が傷痕で覆われ始めた頃……彼は本当の『英雄』となった。
「ようやく、ここまでこれた……」
陛下から勲章を受ける式典の際。
彼は名誉で授けられた剣を手に、私を見つめた。
「勲章を、目的としていたのですか?」
「いや、違う」
なら、何を達成したというのだろうか。
問いかけようとした私の手を握り、彼は久しぶりに微笑んだ。
「君が暮らすこの国を、さらに平和にできる。ようやくここまできた」
嬉しかった。
私のため……その言葉に胸が満たされる。
同時に、英雄と称される彼を支える妻になろうと固く心に誓った。
私はレイクスの妻として、貴族としての職務、社交界での政略。
全てを務めて、支え続けた。
だが、『英雄』という称号。
その期待や重圧は今までの比ではない。
レイクスには名誉に見合う行動が強いられていき、彼はその期待に応えるために生きていった。
一つのミスが綻びを生み、非難の的となる。
そんな張り詰めた人生に安らぎなどなく、彼は常に完全を求められ……徐々に正義に囚われた。
「俺の妻として、完璧でいろ」
「こんな仕事では駄目だ」
日々強くなっていく口調や態度、しかし英雄である彼を説得できる人はいない。
正義に囚われて……一つの不出来も許さぬ彼に苦しめられた。
必要な事だからと幼馴染を看病するレイクスに、身が焼かれるような嫉妬すらした。
それらの心労が祟ったのか、私の身が病魔に侵されたと診断された。
助からないと言われて、目の前が真っ暗になったのと覚えている。
でも……それ以上に。
レイクスに、迷惑をかけてしまう。
苦しみの日々であったのに私は……そう考えてしまうのだ。
だって。
私が苦しみながらも耐えて、我慢しながら、ずっと彼を支え続けた理由は……
『これから、俺の妻になってくれますか?』
また、出会った頃のように手を握ってほしかったから。
彼が責務を終えれば、また以前のように戻ってくれると思っていたからだ。
でも……この身体では『英雄』である彼の隣にいる資格などない。
きっと、失望されてしまう。
そう思い、私は真実を告げぬままに逃げた……
でもこれでいいと思っていた。
これが最善だと判断したはずなのに……
病室にて苦しみ、意識を失う間際にまで考えたのは––––
「真実を告げれば貴方は『英雄』として失望しただろうか……? それとも、『私の夫』として心配してくれたの?」
私は諦め悪くも、もしかしてを考えながら意識を失っていく。
また、手を握ってほしい。
ただそれだけが私の夢で、願いで。
貴方へと恋情を抱いた、ささやかな希望だから。
だからどうか……どうか。願わくば、『私の夫』とまた会いたい。
苦しみの呼吸の中、重たくなる瞼と共に。
私はただ、それだけを願った。
◇◇◇◇◇◇
「……」
不思議だった。
掠れていた意識の中、昔の事を鮮明に思い出す。
そして取り戻していく感触、嗅覚、聴覚と共に……ゆっくりと瞼を開く。
「……ぅ」
目の前には、酷くやつれて俯いている男性。
少し皺が刻まれているが、その人がレイクスだと私には分かった。
「ぅ、え」
上手く喋れぬまま、瞳だけをそちらに動かす。
途端に、俯いていたレイクスがパッと顔を上げて、瞳を大きく見開いた。
「リディア……?」
名を呼ばれて、答えようと口を開く。
でも、やはり声が思うように出ない。
まるで固まったようなノドの違和感で、掠れた呼吸音のみで喘いだ。
「リディア……良かった、起きて……」
だけど、それで充分だったのかもしれない。
レイクスは……私の手を握って、大粒の涙をこぼし始める。
周囲にいた人々が慌ただしく走り始める音が聞こえ、様々な声が聞こえた。
「信じられない……まさか、起き上がるなんて」
「直ぐに先生を呼んで!」
慌ただしい喧騒の中。
ただ一人、レイクスだけが私を見つめて……涙と共にそっと髪を撫でる。
「どこも痛くは……ないか」
「……ぅ」
返事をするように声を出す。
上手くは出なくて、私の答えにレイクスも取り乱していた。
だけど、急いだようにやって来た白衣の男性が……驚嘆の表情と共に言葉を告げた。
「今、リディアさんは長い昏睡状態から目覚めたばかりで、声帯の筋肉なども衰えています。ですが……恐らく言葉は聞こえているはずです」
医者らしき方の言葉を受け、レイクスは私を見つめて言葉をかける。
「リディア……すまなかった。俺は……君に支えてもらいながら、苦しんでいるのも知らなかった」
どうして、謝罪を……?
そう思う私に、彼は初めて会った時と同じ。
優しげな頬笑み、そして涙と共に呟いた。
「やっと気付けたんだ。俺は……英雄などでなくていい。ただ、ただ君の夫でありたい」
「っ……」
「だから、これからは君の傍にいる。ずっと君を支えるから。だからどうか……頼む」
レイクスの真っ直ぐな言葉は、その感情は。
堪え上げるような嬉しさと共に、私へと届いた。
「これからも、俺の妻でいてくれるか?」
問いかけられた言葉に、上手く答えられない。
だけど……私は必死に答えを伝えようと、彼の手をかすかな力で触れる。
想いが伝わったか分からない。
でもレイクスは、涙を寝台に落としながら……
強く、強く。
私が願い続けたように、恋情を抱かせてくれたあの頃のように。
手を握ってくれた。
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