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7話
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「どういうつもりだ。ミラ……」
「ずっと黙っていたけど。今までずっと……ずっと私の回復を診てくれていた貴方に、特別な感情を抱いていたの」
ミラは、ただの幼馴染。
そこに恋情はなく、彼女と過ごすことにやましい気持ちなどはない。
ただ『英雄』として、幼馴染の安否を気にすることは当然だと思っていただけだ。
しかし、ミラは俺とはまるで違う感情を抱いていたという。
「本気……か?」
「ずっと前から愛していたの。でも貴方には奥様がいるから、言えなかった」
「ずっと……前から……?」
ミラの言葉に、胸が鼓動する。
彼女が回す手が、徐々に、徐々にと上に伸びて俺の頬を包む。
そして、つま先立ちで顔を上向けにした彼女が熟れた瞳で呟く。
「奥様が居なくなったなら、これからは私が支えるから」
「……」
「ねぇ、レイクス。私と一緒に過ごしてください」
ほのかな香油の匂いと共に、頬に添えられた手が引き込むように力を入れる。
ぐっと近づくミラの顔、その唇を重ねようと……
その行為に対して……俺は。
「やめろ」
「っ!!」
近づいた彼女の肩に手を当てて、引き剥がす。
俺はリディアに伝えていたように、本当にミラへと恋情などない。
故に、向けられた好意に応える気もなかった。
「俺と君は、ただの幼馴染だ。それ以上でも、それ以下でもない……」
「……どうして、私では駄目なの? 病気だから? 貴族令嬢でもないから?」
「違う。ただ俺は……君に幸せになってほしかっただけだ。それ以上の感情なんてなかった」
妻にも、ラルフにも告げた通り、ミラへの恋情はない。
それをハッキリ伝えると、彼女は身体を震わせ、瞳から涙を流した。
「なら、期待させないでよ……」
「ミラ……?」
「私に優しくしてくれるから、ずっと、ずっと期待してたの。本当は奥さんじゃなくて、私が好きなんだって! 政略結婚で無理やりに結婚させられて、苦しんでいると思っていたの」
「違う、それは……」
「ええ、違うのよね。でも……そんなの分からないよ。あんなに優しくしてくれた貴方に、期待してしまった私が悪いの?」
ミラから吐き出されていく言葉に、胸が痛む。
俺がいくら恋情はないとラルフ達を説得しても分かってもらえなかったように、彼女も俺の気持ちなど知らずに期待していたのだ。
「惨めだよ……こんなの」
期待を裏切られたと怒りを滲ませたミラに、かける言葉がない。
黙ったままでいると、彼女は踵を返す。
「さようなら、期待していた私が滑稽だったわ」
「俺はただ君に幸せになってほしくて。それは……間違いだったのか?」
「違う。私が惨めで最悪な女だって……改めて思わされただけ」
病気を患った幼馴染に手を差し伸べるのは、騎士団長として正しいはずだった。
だが事実として残ったのは、リディアは居なくなり、ミラは悲しむ結果となった事のみ。
俺が正しいと信じていた道は、間違いだったのか。
「……っ……すまない」
ふと、自省と共に思い返していた時。
脳裏にミラが言っていた言葉が、鮮明に思い出された。
『奥様が居なくなったなら、これからは私が支えるから』
思えばどうして、ミラはリディアが居なくなった事を知っている?
公に公言はしておらず、知っている者は少ないはず。
まして病弱で家を出ぬ彼女が、この情報を知る機会などそうないはずだ。
「待ってくれ、ミラ」
去ろうとするミラの腕を掴み、名を呼ぶ。
彼女が振り返る表情は、期待に満ちるように頬を赤らめていた。
「な、なに?」
「どうして、リディアが居ない事を君が知っている」
「……っ」
引き止めたのは、ミラを想ってのことではない。
それが分かったからなのか、彼女は眉を顰めつつ、首を横に振った。
「教えない。それを知って苦しむのは、貴方だもの……」
「なにを……言って……?」
ミラはそれ以上は何も言わず、無言のままだ。
俺は真実を知るために、腕を掴み上げて問いただすが……
「離して、レイクス。周囲を見てみなさいよ」
「っ」
彼女の言う通りに周囲へと気を配れば、いつの間にか観衆がいた。
往来で男女の言い合いを繰り広げたのだ、衆目を集めるのは当然。
加えて俺の顔は知られており、妻でもないミラの腕を掴む姿に懐疑の瞳が向けられた。
「貴方の、騎士団長としての評価に傷がついてしまいますよ。だから離して」
ミラの言う通り、これ以上は醜態は晒せない。
そう思って手を離そうと思った時。
『レイクス様……』
脳裏によぎるのは、リディアが俺の名を呼ぶ声。
俺が今、大事にすべきは騎士団長としての評価なのか、リディアの所在なのか。
考えてみれば、その答えは明らかであった。
「関係ない」
「っ!」
「リディアのことを知っているなら教えろ。騎士団長など関係ない。彼女の所在を知ることに、なんの問題がある」
人生で初めてかもしれなかった。
騎士としての評価ではなく、自らの想いのみで行動をしたのは。
それゆえに覚悟を決めて発した言葉に、ミラはたじろいでから、俯いて答えた。
「聞いても、後悔するのは貴方なのよ」
「関係ない。教えろ」
「…………私が通っている医療所で、貴方の奥様を見かけたの」
「っ!」
リディアが、医療所に……?
どうして、と聞く前に、ミラは答えていた。
「倒れて運ばれていたわ……なのに誰にも伝えないでと言っていた。それ以上は、知らな––」
もはや、ミラの言葉を最後まで聞く気もなかった。
彼女の手を離し、周囲の視線など構うこともなく走る。
ミラが通院している病院は知っている。
今や一分すら惜しく、走り続けた。
「ずっと黙っていたけど。今までずっと……ずっと私の回復を診てくれていた貴方に、特別な感情を抱いていたの」
ミラは、ただの幼馴染。
そこに恋情はなく、彼女と過ごすことにやましい気持ちなどはない。
ただ『英雄』として、幼馴染の安否を気にすることは当然だと思っていただけだ。
しかし、ミラは俺とはまるで違う感情を抱いていたという。
「本気……か?」
「ずっと前から愛していたの。でも貴方には奥様がいるから、言えなかった」
「ずっと……前から……?」
ミラの言葉に、胸が鼓動する。
彼女が回す手が、徐々に、徐々にと上に伸びて俺の頬を包む。
そして、つま先立ちで顔を上向けにした彼女が熟れた瞳で呟く。
「奥様が居なくなったなら、これからは私が支えるから」
「……」
「ねぇ、レイクス。私と一緒に過ごしてください」
ほのかな香油の匂いと共に、頬に添えられた手が引き込むように力を入れる。
ぐっと近づくミラの顔、その唇を重ねようと……
その行為に対して……俺は。
「やめろ」
「っ!!」
近づいた彼女の肩に手を当てて、引き剥がす。
俺はリディアに伝えていたように、本当にミラへと恋情などない。
故に、向けられた好意に応える気もなかった。
「俺と君は、ただの幼馴染だ。それ以上でも、それ以下でもない……」
「……どうして、私では駄目なの? 病気だから? 貴族令嬢でもないから?」
「違う。ただ俺は……君に幸せになってほしかっただけだ。それ以上の感情なんてなかった」
妻にも、ラルフにも告げた通り、ミラへの恋情はない。
それをハッキリ伝えると、彼女は身体を震わせ、瞳から涙を流した。
「なら、期待させないでよ……」
「ミラ……?」
「私に優しくしてくれるから、ずっと、ずっと期待してたの。本当は奥さんじゃなくて、私が好きなんだって! 政略結婚で無理やりに結婚させられて、苦しんでいると思っていたの」
「違う、それは……」
「ええ、違うのよね。でも……そんなの分からないよ。あんなに優しくしてくれた貴方に、期待してしまった私が悪いの?」
ミラから吐き出されていく言葉に、胸が痛む。
俺がいくら恋情はないとラルフ達を説得しても分かってもらえなかったように、彼女も俺の気持ちなど知らずに期待していたのだ。
「惨めだよ……こんなの」
期待を裏切られたと怒りを滲ませたミラに、かける言葉がない。
黙ったままでいると、彼女は踵を返す。
「さようなら、期待していた私が滑稽だったわ」
「俺はただ君に幸せになってほしくて。それは……間違いだったのか?」
「違う。私が惨めで最悪な女だって……改めて思わされただけ」
病気を患った幼馴染に手を差し伸べるのは、騎士団長として正しいはずだった。
だが事実として残ったのは、リディアは居なくなり、ミラは悲しむ結果となった事のみ。
俺が正しいと信じていた道は、間違いだったのか。
「……っ……すまない」
ふと、自省と共に思い返していた時。
脳裏にミラが言っていた言葉が、鮮明に思い出された。
『奥様が居なくなったなら、これからは私が支えるから』
思えばどうして、ミラはリディアが居なくなった事を知っている?
公に公言はしておらず、知っている者は少ないはず。
まして病弱で家を出ぬ彼女が、この情報を知る機会などそうないはずだ。
「待ってくれ、ミラ」
去ろうとするミラの腕を掴み、名を呼ぶ。
彼女が振り返る表情は、期待に満ちるように頬を赤らめていた。
「な、なに?」
「どうして、リディアが居ない事を君が知っている」
「……っ」
引き止めたのは、ミラを想ってのことではない。
それが分かったからなのか、彼女は眉を顰めつつ、首を横に振った。
「教えない。それを知って苦しむのは、貴方だもの……」
「なにを……言って……?」
ミラはそれ以上は何も言わず、無言のままだ。
俺は真実を知るために、腕を掴み上げて問いただすが……
「離して、レイクス。周囲を見てみなさいよ」
「っ」
彼女の言う通りに周囲へと気を配れば、いつの間にか観衆がいた。
往来で男女の言い合いを繰り広げたのだ、衆目を集めるのは当然。
加えて俺の顔は知られており、妻でもないミラの腕を掴む姿に懐疑の瞳が向けられた。
「貴方の、騎士団長としての評価に傷がついてしまいますよ。だから離して」
ミラの言う通り、これ以上は醜態は晒せない。
そう思って手を離そうと思った時。
『レイクス様……』
脳裏によぎるのは、リディアが俺の名を呼ぶ声。
俺が今、大事にすべきは騎士団長としての評価なのか、リディアの所在なのか。
考えてみれば、その答えは明らかであった。
「関係ない」
「っ!」
「リディアのことを知っているなら教えろ。騎士団長など関係ない。彼女の所在を知ることに、なんの問題がある」
人生で初めてかもしれなかった。
騎士としての評価ではなく、自らの想いのみで行動をしたのは。
それゆえに覚悟を決めて発した言葉に、ミラはたじろいでから、俯いて答えた。
「聞いても、後悔するのは貴方なのよ」
「関係ない。教えろ」
「…………私が通っている医療所で、貴方の奥様を見かけたの」
「っ!」
リディアが、医療所に……?
どうして、と聞く前に、ミラは答えていた。
「倒れて運ばれていたわ……なのに誰にも伝えないでと言っていた。それ以上は、知らな––」
もはや、ミラの言葉を最後まで聞く気もなかった。
彼女の手を離し、周囲の視線など構うこともなく走る。
ミラが通院している病院は知っている。
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