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3話
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リディアが出て行ってから、二週間が経った。
あれから頻繁に給仕を解雇したせいか、求人に応募する者がいなくなってきた。
食事は粗雑となっていき、副団長のラルフに心配される始末だ。
「やはり、奥様を探すべきです! お食事もろくにとっていないのでしょう?」
「必要ない。何度も言わせるな。妻ごときに時間をとられるわけにはいかない」
しかし、支障もあった。
妻が不在となった事で、俺の家……子爵家の庶務も行う必要が出てきたのだ。
俺は自らの団長職に支障をきたす訳にはいかず、代理で庶務を行う者を雇った。
が……
「書類の不備が一つあったぞ。確認作業もろくにできないのか?」
「申し訳ありません。レイクス様! 直ちに修正を……」
「駄目だ……ミスの一つでも、それはお前自身の慢心。一から作り直し、自らの気持ちを引き締めろ」
代理庶務へとそう言って、不出来な書類を床に投げる。
妻のリディアは、こんなミスを犯さなかったというのに……雇う者を間違えたか?
「申し訳ありません、レイクス様。執務作業には旦那様のご助力も必要であり……お時間を頂けないでしょうか?」
「駄目だ。なんのためにお前を雇ったと思っている。俺の時間を消費させるな。本来ならこの確認作業ですら惜しいというのに」
「し……しかし」
「言われた通りに仕事をしろ。二度とミスは許さん……手間をかけさせるな」
腑抜けた者ばかりで嫌になる。
騎士であれば、その一つのミスが命取りになるのだぞ……
自らの命ならばいい、万が一にも救うべき命が犠牲になった時には一生の後悔を負うのだ。
だから、簡単なミスであっても許してはならないはずだろう。
俺は、間違っていないはずだ……
『レイクス様……皆が完璧にできるのではありません。許す事もいつかきっと貴方のために……』
ふと思い出すのは、居なくなったはずのリディアの言葉。
彼女が俺を、初めて責めた時のものだった。
「なぜ、今になって……」
忘れていたはずの彼女の言葉に、考えが一瞬揺らぐ。
だが、騎士として生きてきた俺の理念、考えに間違いはないはずだ。
この考えで生きてきたからこそ、俺は平民出身でありながら……民が称賛する国の英雄となれたのだから。
そう思っていたのに……
一週間後、庶務代理で雇った者は自ら退職を願った。
彼が去っていく背に……リディアが重なって、考えが少し揺らいだ。
◇◇◇
「レイクス団長。お食事はしっかりとっておられますか?」
「……問題ない」
リディアが出ていってから、約一ヶ月が経った。
副団長のラルフもさすがに提言を止めるようになったが、給仕を雇えず食事がろくに取れないせいか以前より痩せた。
それは、すれ違う騎士団員に心配される程らしい。
「酷くやつれておりますし、今日の王都見回りはお休みになられては」
「ならん。騎士団長である俺が体調不良など、瞬く間に民に知れ渡る。余計な不安を煽るような事は、団長である俺がすべきではない」
「しかし……」
騎士団長として、弱き姿を晒すなど生き恥もいいところだ。
こんな失態を拭うためにも、俺は訓練所に置かれた木剣を握る。
「心配など不必要だと……模擬試合で見せてやる。騎士団員を集めろ……問題ないと貴様らに教えてやる」
心配など払拭するために、健勝な姿を見せよう。
そう思い、久しぶりの模擬試合を行った。
だが、結果として俺は……久方ぶりの敗北を味わう。
十人連続を相手して九勝、しかし最後の一人からの剣を受けてしまったのだ。
「ほ、本当に大丈夫……ですか。いつもならこんな試合は勝利なさるのに……」
「っ! 大丈夫だと言っている……まぐれの勝利如きで喚くな!」
情けなくも、心配の言葉をかける騎士へと𠮟責をしてしまう。
自らの余裕の無さ、あまりに不甲斐ない出来に……俺自身が焦っていた。
なぜだ、どうしてだ。
リディアがいなくとも全く問題はないと証明するはずだったのに。
俺はどうして、こんなにも惨めな結果を味わっている?
◇◇◇
その日、仕事を全て終えた帰り道。
焦り、動揺で苛立つ中だが、どうしても外せない用事があるため、道を逸れてある場所へ直行する。
街の賑わいから離れた地に建つ屋敷、その玄関扉を数度叩いた。
「俺だ」
かけた言葉により、ガチャリと錠が開く音が鳴る。
開かれた扉から出てきた女性は、俺を見て真っ先に抱きついた。
「レイクス!」
「ミラ……容体は大丈夫か?」
「うん。貴方が来てくれたから……元気だよ」
ミラ、彼女は俺の幼馴染だ。
幼き頃から病弱であった彼女は、ここ数年で症状が悪化している。
さらに両親が亡くなって身よりのない彼女を、俺は月に一度は看病のために訪れていた。
リディアにも、もちろん事情を話している。
だが俺が看病に向かうことを、彼女は『嫌です』と、初めて拒絶の意を示した……涙を見せて止めてきたのだ。
『お医者様に任せるべきです』……と。
そんなリディアに、なんて非情な妻だと𠮟責した。
幼馴染のミラが苦しむのを放置するなど、騎士団長としても、英雄としてもあり得ぬ行為。
妻の一存程度で、見捨てるなどできるはずもない。
「レイクス、貴方のために食事を作ったの。良かったら食べて」
過去を思い出していた俺の手を……ミラが組みついて引く。
病弱なのだから無理をするな、と言いたいが。
空腹の状況も相まって、その厚意に素直に謝辞を述べて、共に食卓を囲む。
「美味しい? レイクス」
「……あぁ」
リディアとの食事に比べると、数段落ちた味。
感想を述べるにはお粗末な出来だが、俺はミラが望む言葉を与える。
感想など不必要だと思っているが、病弱な彼女には寄り添うような優しさが回復の手助けになるはずだろう。
「よかった、レイクスのために作ったから。嬉しい」
頬を朱に染めて、熱を帯びた視線に頷きで返す。
すると彼女は、艶っぽく舌で唇を舐め、俺の手に指を絡ませた。
「今日も、泊まってほしいの。ちょっと体調が悪くなってきて……胸が痛いから」
「……分かった。症状が重くならぬよう、安静にしていろ」
「やった。嬉しい……レイクス」
俺には、ミラへの愛情などない。
リディアと結婚した日に、妻への愛を国に誓ったのだ……それが揺らぐことはない。
ただ騎士団長として、『英雄』として。
病弱なミラのために寄り添う事は必要な行為だと思い、望むままに看病をしてやった。
あれから頻繁に給仕を解雇したせいか、求人に応募する者がいなくなってきた。
食事は粗雑となっていき、副団長のラルフに心配される始末だ。
「やはり、奥様を探すべきです! お食事もろくにとっていないのでしょう?」
「必要ない。何度も言わせるな。妻ごときに時間をとられるわけにはいかない」
しかし、支障もあった。
妻が不在となった事で、俺の家……子爵家の庶務も行う必要が出てきたのだ。
俺は自らの団長職に支障をきたす訳にはいかず、代理で庶務を行う者を雇った。
が……
「書類の不備が一つあったぞ。確認作業もろくにできないのか?」
「申し訳ありません。レイクス様! 直ちに修正を……」
「駄目だ……ミスの一つでも、それはお前自身の慢心。一から作り直し、自らの気持ちを引き締めろ」
代理庶務へとそう言って、不出来な書類を床に投げる。
妻のリディアは、こんなミスを犯さなかったというのに……雇う者を間違えたか?
「申し訳ありません、レイクス様。執務作業には旦那様のご助力も必要であり……お時間を頂けないでしょうか?」
「駄目だ。なんのためにお前を雇ったと思っている。俺の時間を消費させるな。本来ならこの確認作業ですら惜しいというのに」
「し……しかし」
「言われた通りに仕事をしろ。二度とミスは許さん……手間をかけさせるな」
腑抜けた者ばかりで嫌になる。
騎士であれば、その一つのミスが命取りになるのだぞ……
自らの命ならばいい、万が一にも救うべき命が犠牲になった時には一生の後悔を負うのだ。
だから、簡単なミスであっても許してはならないはずだろう。
俺は、間違っていないはずだ……
『レイクス様……皆が完璧にできるのではありません。許す事もいつかきっと貴方のために……』
ふと思い出すのは、居なくなったはずのリディアの言葉。
彼女が俺を、初めて責めた時のものだった。
「なぜ、今になって……」
忘れていたはずの彼女の言葉に、考えが一瞬揺らぐ。
だが、騎士として生きてきた俺の理念、考えに間違いはないはずだ。
この考えで生きてきたからこそ、俺は平民出身でありながら……民が称賛する国の英雄となれたのだから。
そう思っていたのに……
一週間後、庶務代理で雇った者は自ら退職を願った。
彼が去っていく背に……リディアが重なって、考えが少し揺らいだ。
◇◇◇
「レイクス団長。お食事はしっかりとっておられますか?」
「……問題ない」
リディアが出ていってから、約一ヶ月が経った。
副団長のラルフもさすがに提言を止めるようになったが、給仕を雇えず食事がろくに取れないせいか以前より痩せた。
それは、すれ違う騎士団員に心配される程らしい。
「酷くやつれておりますし、今日の王都見回りはお休みになられては」
「ならん。騎士団長である俺が体調不良など、瞬く間に民に知れ渡る。余計な不安を煽るような事は、団長である俺がすべきではない」
「しかし……」
騎士団長として、弱き姿を晒すなど生き恥もいいところだ。
こんな失態を拭うためにも、俺は訓練所に置かれた木剣を握る。
「心配など不必要だと……模擬試合で見せてやる。騎士団員を集めろ……問題ないと貴様らに教えてやる」
心配など払拭するために、健勝な姿を見せよう。
そう思い、久しぶりの模擬試合を行った。
だが、結果として俺は……久方ぶりの敗北を味わう。
十人連続を相手して九勝、しかし最後の一人からの剣を受けてしまったのだ。
「ほ、本当に大丈夫……ですか。いつもならこんな試合は勝利なさるのに……」
「っ! 大丈夫だと言っている……まぐれの勝利如きで喚くな!」
情けなくも、心配の言葉をかける騎士へと𠮟責をしてしまう。
自らの余裕の無さ、あまりに不甲斐ない出来に……俺自身が焦っていた。
なぜだ、どうしてだ。
リディアがいなくとも全く問題はないと証明するはずだったのに。
俺はどうして、こんなにも惨めな結果を味わっている?
◇◇◇
その日、仕事を全て終えた帰り道。
焦り、動揺で苛立つ中だが、どうしても外せない用事があるため、道を逸れてある場所へ直行する。
街の賑わいから離れた地に建つ屋敷、その玄関扉を数度叩いた。
「俺だ」
かけた言葉により、ガチャリと錠が開く音が鳴る。
開かれた扉から出てきた女性は、俺を見て真っ先に抱きついた。
「レイクス!」
「ミラ……容体は大丈夫か?」
「うん。貴方が来てくれたから……元気だよ」
ミラ、彼女は俺の幼馴染だ。
幼き頃から病弱であった彼女は、ここ数年で症状が悪化している。
さらに両親が亡くなって身よりのない彼女を、俺は月に一度は看病のために訪れていた。
リディアにも、もちろん事情を話している。
だが俺が看病に向かうことを、彼女は『嫌です』と、初めて拒絶の意を示した……涙を見せて止めてきたのだ。
『お医者様に任せるべきです』……と。
そんなリディアに、なんて非情な妻だと𠮟責した。
幼馴染のミラが苦しむのを放置するなど、騎士団長としても、英雄としてもあり得ぬ行為。
妻の一存程度で、見捨てるなどできるはずもない。
「レイクス、貴方のために食事を作ったの。良かったら食べて」
過去を思い出していた俺の手を……ミラが組みついて引く。
病弱なのだから無理をするな、と言いたいが。
空腹の状況も相まって、その厚意に素直に謝辞を述べて、共に食卓を囲む。
「美味しい? レイクス」
「……あぁ」
リディアとの食事に比べると、数段落ちた味。
感想を述べるにはお粗末な出来だが、俺はミラが望む言葉を与える。
感想など不必要だと思っているが、病弱な彼女には寄り添うような優しさが回復の手助けになるはずだろう。
「よかった、レイクスのために作ったから。嬉しい」
頬を朱に染めて、熱を帯びた視線に頷きで返す。
すると彼女は、艶っぽく舌で唇を舐め、俺の手に指を絡ませた。
「今日も、泊まってほしいの。ちょっと体調が悪くなってきて……胸が痛いから」
「……分かった。症状が重くならぬよう、安静にしていろ」
「やった。嬉しい……レイクス」
俺には、ミラへの愛情などない。
リディアと結婚した日に、妻への愛を国に誓ったのだ……それが揺らぐことはない。
ただ騎士団長として、『英雄』として。
病弱なミラのために寄り添う事は必要な行為だと思い、望むままに看病をしてやった。
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