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2話
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『レイクス様……本日もお疲れ様です』
玄関に立てば、いつも出迎えてくれていたリディアの声を思い出す。
『お食事をご用意いたしました』
帰れば常に用意されていた、温かく甘い湯気を放つスープも、焼いた肉もパンもなく。
リビングにあるのは空虚なテーブルのみだ。
「リディア……なぜだ。どこに行った」
俺の妻は、非の打ち所がない良妻であった。
国の英雄となった俺の傍にいても遜色ない器量の良さ。
そして子爵家である俺の財務処理を、女という身でありながらこなす知恵も持っていた。
だから俺も彼女を愛していたし、愛情を伝えるように努力もしていた。
不備などないはずなのに、妻が理由もなく俺のそばを離れた理由が分からない。
「……っ」
だが、分からない事に考えを向けたところで前には進めない。
考えても意味がない事だと、思考に区切りをつける。
俺に不備はなかった、となれば構ってほしいがゆえの行動だと推測できる。
女とは、えてして反応をもらうためにこういった行為に及ぶと聞いたことがある。
明日、明後日には冷静になって戻ってくるだろう。
離婚届けをくしゃりと丸め、机の引き出しにしまっておく。
ひとまず今日は、味気のないパンをかじって就寝した。
◇◇◇
「リディア奥様が居なくなった!? 直ぐに探しに向かうべきでは?」
翌日、副団長のラルフへと事情を明かせば、ひどく慌てた様子であった。
大袈裟な奴だと、失望からため息をこぼす。
「慌てるな。大した事ではない」
「し、しかし奥様のご両親にも連絡しても、居場所が分からなかったのですよね?」
「あぁ。だが王国の騎士として、こんな些事を気にするような失態を見せられん」
「違いますよ団長。一国の騎士としてでなく、リディア奥様の夫として行動すべきです! それに奥様は貴方のため……」
長ったらしく説得しようとするラルフへと、再びの失望と共に言葉を挟む。
「ラルフ。俺はこんな問題で時間を割くわけにはいかない。俺が一日でも不在となれば、王国民がその日を不安に過ごす事となる」
「団長……それは」
「一国の顔となる騎士団長、英雄とはそういうものだ。背負うべき責任がある。妻ごときに時間は割けない」
ここまで言っても、ラルフはまだ不満を抱いた表情を見せる。
彼は剣の腕も庶務も優れているが、感情的な判断をするのが欠点ともいえるだろう。
説得の時間も無駄だと考え直し、自らの執務へと意識を向ける。
「ひとまず……ラルフ。公爵家の社交界に参加予定だったが、欠席にしてくれ。必要ない予定はいれるな」
「だ、団長。貴族との繋がりは重要です。貴方のためにもなると以前から言って……」
「ラルフ、俺には背負うべき責任がある、時間は割けない」
いい加減にしろ。
『英雄』として生きねばならん俺に、そんな無駄なことをさせるな。
怒りを抱いた睨みを向けるが、それでも彼は言葉を続ける。
「今までは奥様が代わりに一人で出席なされていたのです。欠席となれば、反感を買います」
リディアが社交界に参加していたとは……初耳だ。
確かに彼女はそんな話をしていた気がするが、適当に聞き流していた。
なんにせよ、考えは変わらん。
「貴族から支持を得て、犯罪者が消えるか? そうであれば幾らでも参加するさ」
「しかし……」
「何度も言わせるな」
「……公爵家には、遣いを送っておきます」
「任せた」
騎士団長として、この国、民のためにはこれが最善。
実益もない妻を探す行為や、貴族との繋がりなど必要ない。
こんな事にかまける時間はないと、再び執務へと戻った。
◇◇◇
その夜。
屋敷へ帰った俺は、臨時で雇った給仕に夕食を作らせる。
出来合いのスープと肉料理は、リディアの作った物に比べると味気ない。
リビングでたった一人で食事など、いつぶりだろうか。
「あ……あの」
物思いにふけっていると、給仕が頭を下げながら発言する。
「お口に、合いませんでしたか?」
「問題ない」
「も、申し訳ありません……険しい表情をしておられましたので」
「そもそも、食事に対して評価を述べることに意味はあるか?」
以前、リディアも同じ事を言ったのを思い出す。
どうして女性というのは、食事に対しての評価を欲しがるのか……検討もつかん。
なんの生産性もないだろうに。
「食べているのだから、問題はないという事だ。わざわざ評価を求めて俺の思考を遮断するな」
「も、申し訳ありません!!」
「俺の一秒は、この国をより良くするために使いたい。何か間違っているか?」
「いえ……ただ、お好みを把握していた方が良いと思ったのです」
納得はいっていない様子が、過去のリディアと重なる。
不愉快なやり取りは、繰り返したくない。
「もういい。君と俺は合わない。解雇とする。今日中に荷物をまとめてくれ」
「……そ、そんな!」
「二度も言わせるな。出て行け」
俺と、彼女では、時間の価値はまるで違う。
合わないのであれば、そもそも話し合う気は無い。
似た事をリディアとも言い争った気がするが。
同じ答えに辿り着いていたことを思い出し、不愉快な気分で食事を終えた。
給仕が出て行くのを確認して、執務室へと入る。
明日の準備をしようと、机の上に置かれた書類に目を向けた時。
「なんだ、これは」
ふと、執務机の角に少しだけ、血痕が付着しているのに気付く。
それを見て、呆れからため息が漏れた。
「リディア……清掃もせずに出て行ったのか」
騎士という職業柄、賊討伐などの際に返り血が付着する事がある。
たまに、服に付着したそれらが屋敷へ落ちる時はあった。
だが、リディアが出て行った日付近で賊討伐など無かったはず。
なら……大分前から妻が清掃を終えていなかったのだろうか?
「っ。まさか、構ってもらうために出て行く事に加えて。妻としての職務も放棄していたとはな」
今日何度目になるかのため息を吐き、俺は失望した気分で、固まった血痕をハンカチで削ぎ取った。
玄関に立てば、いつも出迎えてくれていたリディアの声を思い出す。
『お食事をご用意いたしました』
帰れば常に用意されていた、温かく甘い湯気を放つスープも、焼いた肉もパンもなく。
リビングにあるのは空虚なテーブルのみだ。
「リディア……なぜだ。どこに行った」
俺の妻は、非の打ち所がない良妻であった。
国の英雄となった俺の傍にいても遜色ない器量の良さ。
そして子爵家である俺の財務処理を、女という身でありながらこなす知恵も持っていた。
だから俺も彼女を愛していたし、愛情を伝えるように努力もしていた。
不備などないはずなのに、妻が理由もなく俺のそばを離れた理由が分からない。
「……っ」
だが、分からない事に考えを向けたところで前には進めない。
考えても意味がない事だと、思考に区切りをつける。
俺に不備はなかった、となれば構ってほしいがゆえの行動だと推測できる。
女とは、えてして反応をもらうためにこういった行為に及ぶと聞いたことがある。
明日、明後日には冷静になって戻ってくるだろう。
離婚届けをくしゃりと丸め、机の引き出しにしまっておく。
ひとまず今日は、味気のないパンをかじって就寝した。
◇◇◇
「リディア奥様が居なくなった!? 直ぐに探しに向かうべきでは?」
翌日、副団長のラルフへと事情を明かせば、ひどく慌てた様子であった。
大袈裟な奴だと、失望からため息をこぼす。
「慌てるな。大した事ではない」
「し、しかし奥様のご両親にも連絡しても、居場所が分からなかったのですよね?」
「あぁ。だが王国の騎士として、こんな些事を気にするような失態を見せられん」
「違いますよ団長。一国の騎士としてでなく、リディア奥様の夫として行動すべきです! それに奥様は貴方のため……」
長ったらしく説得しようとするラルフへと、再びの失望と共に言葉を挟む。
「ラルフ。俺はこんな問題で時間を割くわけにはいかない。俺が一日でも不在となれば、王国民がその日を不安に過ごす事となる」
「団長……それは」
「一国の顔となる騎士団長、英雄とはそういうものだ。背負うべき責任がある。妻ごときに時間は割けない」
ここまで言っても、ラルフはまだ不満を抱いた表情を見せる。
彼は剣の腕も庶務も優れているが、感情的な判断をするのが欠点ともいえるだろう。
説得の時間も無駄だと考え直し、自らの執務へと意識を向ける。
「ひとまず……ラルフ。公爵家の社交界に参加予定だったが、欠席にしてくれ。必要ない予定はいれるな」
「だ、団長。貴族との繋がりは重要です。貴方のためにもなると以前から言って……」
「ラルフ、俺には背負うべき責任がある、時間は割けない」
いい加減にしろ。
『英雄』として生きねばならん俺に、そんな無駄なことをさせるな。
怒りを抱いた睨みを向けるが、それでも彼は言葉を続ける。
「今までは奥様が代わりに一人で出席なされていたのです。欠席となれば、反感を買います」
リディアが社交界に参加していたとは……初耳だ。
確かに彼女はそんな話をしていた気がするが、適当に聞き流していた。
なんにせよ、考えは変わらん。
「貴族から支持を得て、犯罪者が消えるか? そうであれば幾らでも参加するさ」
「しかし……」
「何度も言わせるな」
「……公爵家には、遣いを送っておきます」
「任せた」
騎士団長として、この国、民のためにはこれが最善。
実益もない妻を探す行為や、貴族との繋がりなど必要ない。
こんな事にかまける時間はないと、再び執務へと戻った。
◇◇◇
その夜。
屋敷へ帰った俺は、臨時で雇った給仕に夕食を作らせる。
出来合いのスープと肉料理は、リディアの作った物に比べると味気ない。
リビングでたった一人で食事など、いつぶりだろうか。
「あ……あの」
物思いにふけっていると、給仕が頭を下げながら発言する。
「お口に、合いませんでしたか?」
「問題ない」
「も、申し訳ありません……険しい表情をしておられましたので」
「そもそも、食事に対して評価を述べることに意味はあるか?」
以前、リディアも同じ事を言ったのを思い出す。
どうして女性というのは、食事に対しての評価を欲しがるのか……検討もつかん。
なんの生産性もないだろうに。
「食べているのだから、問題はないという事だ。わざわざ評価を求めて俺の思考を遮断するな」
「も、申し訳ありません!!」
「俺の一秒は、この国をより良くするために使いたい。何か間違っているか?」
「いえ……ただ、お好みを把握していた方が良いと思ったのです」
納得はいっていない様子が、過去のリディアと重なる。
不愉快なやり取りは、繰り返したくない。
「もういい。君と俺は合わない。解雇とする。今日中に荷物をまとめてくれ」
「……そ、そんな!」
「二度も言わせるな。出て行け」
俺と、彼女では、時間の価値はまるで違う。
合わないのであれば、そもそも話し合う気は無い。
似た事をリディアとも言い争った気がするが。
同じ答えに辿り着いていたことを思い出し、不愉快な気分で食事を終えた。
給仕が出て行くのを確認して、執務室へと入る。
明日の準備をしようと、机の上に置かれた書類に目を向けた時。
「なんだ、これは」
ふと、執務机の角に少しだけ、血痕が付着しているのに気付く。
それを見て、呆れからため息が漏れた。
「リディア……清掃もせずに出て行ったのか」
騎士という職業柄、賊討伐などの際に返り血が付着する事がある。
たまに、服に付着したそれらが屋敷へ落ちる時はあった。
だが、リディアが出て行った日付近で賊討伐など無かったはず。
なら……大分前から妻が清掃を終えていなかったのだろうか?
「っ。まさか、構ってもらうために出て行く事に加えて。妻としての職務も放棄していたとはな」
今日何度目になるかのため息を吐き、俺は失望した気分で、固まった血痕をハンカチで削ぎ取った。
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