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1巻

1-3

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「貴方が、アーシアさんですね。王家騎士団所属のシュイクと申します」

 玄関先に立つのは、シュイクと名乗る綺麗な銀色の髪が特徴的で、端正な顔立ちの男性だった。
 宝石のような琥珀色の瞳が私を見つめ、人当たりの好い笑顔を浮かべている。
 私は、彼が王家騎士団所属と言ったことに驚きを隠せなかった。
 王家騎士団はレジェスの所属する近衛騎士団のさらに上であり、王族専属の護衛騎士を指す。
 数人しか所属しない騎士団で、その実力は他騎士団から抜きん出ているそうだ。
 そんな騎士が、私の遣いとは……閣下、やりすぎです!
 どうすればいいか分からず曖昧な笑みを浮かべていると、シュイク様は人当たりの好い笑みを浮かべて私を誘った。

「早速ですが来ていただけますか。朝のうちに王宮へと入りたいのです」
「分かりました。お願いいたします。シュイク様」

 ……まぁ、驚いていても仕方ない、閣下の遣いなら気負わず従おう。
 彼に連れられるまま馬車に乗り込めば、すぐに走り出した。
 シュイク様は私の向かいに腰かけると、声を低めて聞いた。

「事情は聞いております。あの恋文は……本物ですか?」

 その問いに、私は無言で頷く。それから彼を見上げた。

「王家をおとしめる行為だと止めますか?」
「いえ、僕だって王妃殿下の不義が事実なら怒りを抱きます。ただ、正直に言えばこのままでは貴方が危険だと思います」

 シュイク様は車窓の外に目を向けてから、言葉を続けた。

「今回の告発がなされれば確かにレジェスは疑われ、王妃の護衛を外されるはずでしょう。しかし明確な不義の証拠がなければそこまでです。王妃が不義を行っていたとするには証拠不十分だと思われる可能性があるかと」

 シュイク様の言う事は、確かにその通りだ。恋文だけでは、リスクがあまりに高い。
 だけど……それを踏まえて行動しているのは、確かな勝機があるからこそだ。
 私は、シュイク様にわずかに微笑みかけた。

「シュイク様。私は、王妃とレジェスの姦通の証拠があるからここまでしているのですよ」
「……え?」

 そしてその証拠こそが、『禁じられた愛』を読んだ時に私が覚えた明確な違和感の正体だ。
 あの小説では世継ぎである側妃の子が亡くなってから王妃が廃妃されていた。
 そして王妃が民を扇動して陛下を断罪するまで、約半年。
 その断罪から二か月後、レジェス達の子が産まれた。……ここまでで、明らかな違和感がある。
 廃妃されてから出産まで、十月十日経っていないのだ。
 つまり王妃は廃妃となる前から子を妊娠していた可能性があるということ。
 小説通りならば――王妃はレジェスそっくりの、姦通の証拠となる子を既に孕んでいるはずだ。
 もちろん妊娠の期間に揺れがあるのは承知の上だが、私には王妃は妊娠しているという、とある確信があった。

「今は言えませんが、確かな証拠があるはずです」
「……本当ですか?」

 なぜなら……ちょうど今から十日後が、小説ではお世継ぎ様が亡くなる日となっている。
 小説で明確な記載はないが、年月は記載されていた。
 この世界に生きる私なら、おおよその日付が分かる。
 そして二か月程前に、レジェスが夜に帰ってこなかった日を確認して、状況証拠は揃った。
 王妃――サフィラ。彼女が妊娠したとなれば、王家は動かざるを得ない。
 姦通した揺るがぬ証拠を身に宿しているのだから。
 三年という準備の期間を設けたのも、こういった理由でもあった。
 王妃が妊娠するまで、ずっと、ずっと待っていたのだ。
 息を呑んでいたシュイク様は、険しい表情で首を横に振った。

「そもそも恋文が事実としても、王妃は有力な公爵家令嬢です。不都合な証拠を揉み消すなどたやすく行われてしまう。王妃が疑われる状況にまでもっていく事すら困難かもしれません」

 彼がまっすぐに私を見つめている。本心から心配してくれているだろうことが分かって、少し心が温かくなった。私は目いっぱいのお礼を込めて彼に笑みを向けた。

「真剣に考えてくださったこと、本当にありがとうございます。でも……そんな事は分かっておりました。だから……準備をしたのですよ」
「準備……?」
「証拠を揉み消せない世の中に、私が変えるのです……今日、この日に」

 その時、ちょうど始まった。
 馬車の車窓の向こうにひらりと白いものが映る。
 それから、多数の紙が空を舞っていくのが見えた。
 大量に舞うそれらは、私が王妃とレジェスに挑むための一手目だ。

「これは……」

 シュイク様は車窓を開くと舞っていた紙を手に掴んだ。それを持って目を見開く。
 同時に、窓を開けたことで外からの声が馬車の中に飛び込んできた。

「――号外! 号外ー!」
「――王妃と、近衛騎士団長の禁断の愛を示す恋文! メリット商家が入手した驚きの号外だよ!」

 人々が集まっていく中で、そう叫んでいる男達には見覚えがある。メリット商家の人間だ。
 彼らが先導し、あちこちで恋文の写しが記載された号外がばらまかれていく。
 あまりにも刺激的な文言と、嫌でも目に入ってくる数の号外に、民衆達も騒ぎ始めていた。

「確かに、王妃殿下はパレードでも近衛騎士と距離が近かったよな!」
「おいおい、本当ならとんでもない事だぞ!」

 一度疑いの眼差しが起きれば、噂は広がって止まらない。
 これが今日……同時多発的に王都中で起こっているのだ。
 シュイク様は息を呑み、怖いものでも見るように私を見つめた。

「これは……貴方が?」
「ええ、シュイク様。これでもう……国王陛下でさえこの事件を隠蔽などできませんね?」
「は、はは。とんでもないな、貴方は……恐ろしい」

 レジェスと離婚した日、私はメリット商家へ文官に恋文を渡しておくように頼んだ。
 しかし、もし王妃に協力者が居るならば、それらは揉み消されているだろう。
 だからこの手段をとった、これで恋文があったことを揉み消すなど不可能だ。
 これこそ始まりの狼煙のろしとなる。
 相手は王妃、貴族籍すらない私とは桁違いの権力を持つ相手。
 彼女に協力者がいるのなら……国家を揺るがす力を持っているに違いない。
 対して私が持っているのは、三年でつちかった人脈と資金だけ。
 でも、これで十分だ。
 それだけで、徹底的に彼らを潰す準備は済ませている。
 本来ならば秘められるべき恋文を皆に公表するなんて、酷いと言われるだろうか。
 でもねレジェス……私をしいたげながら王妃と不倫した貴方が悪いのよ。
 前世で見た桜吹雪のように舞い散る恋文を見つめながら、私はそう考えた。



   これは誰の物語・一(レジェスside)


 これは夢か? そうだと言ってくれ。
 離婚を告げ、アーシアが出ていった。あんな女から脅迫まで受けたことに苛立ちながら執務室に入ると、あの女に任せていた大量の書類の残骸が目に飛び込んできた。

「アーシア、こんな事まで……」

 怒りが沸き立つ。今すぐにでも騎士団を動かして投獄してやりたい。
 しかし、それはできない。……王妃であるサフィラ様との関係を知られてしまったからだ。
 身よりもないアーシアに、王家へと不義を告発できる伝手や手段はないだろう。
 しかし、一連の行動を鑑みれば、あの女は小賢こざかしい。
 もし下手に彼女を拘束すれば、恋文の件が公になりかねない。それだけは避けねばならなかった。

「してやられたな……くそ」

 部屋に撒かれた書類の数々は、本来なら俺がすべきもの。アーシアが我が家の一員ではなくなったらやり直さねばならないものばかりだ。彼女はそれを狙って破いたのだろう。

「離婚するために……ここまで準備していたか」

 手からこぼれ落ちていくバラバラの書類が、胸に絶望を植え付ける。
 王妃の護衛を維持するためには、既婚者でなくてはいけない。だからアーシアは必要だった。
 それに彼女は昔から要領よく、器用に物事をこなすから執務も任せられた。
 社交界でも高嶺の花であった彼女と婚約できた事は幸運だった。それに彼女の献身ぶりは騎士団でも称される程で……サフィラ様にみさおを立てた心が揺らぐ事もあった。
 そんな彼女の存在こそが、俺が王妃と不義などするはずないという、よい隠れ蓑であったのに。
 しかし、失ったものに執着心を持っても仕方ない。
 そう自らに言い聞かせ、俺は執務室だった部屋で低く呻いた。

「どうせ困るのはアーシアだ……離婚した今、もう関わる事もない」

 そうだ、俺はもう五年も王妃の護衛騎士を務めているのだ。
 王家に信頼されている俺が、離婚したからといって護衛を外される心配はないだろう。
 むしろあの女が居なくなれば……サフィラ様が嫉妬することがなくなり、きっと喜んでくれる。
 そう自分に言い聞かせて不安を追い払い、俺は書類を修復するためにその日をついやした。


 結局、翌日になっても書類の修復は一向に進まず、使用人もいないために衣類の替えもない。
 仕方なく、俺は昨日の衣服のまま王妃の護衛へと向かった。
 アーシアへの怒りは残るが、王宮内の妃の私室前に立てば、自然と胸が躍る。

「サフィラ様、俺です」
「っ‼ レジェス!」

 ノックをすると、部屋から鈴の音のような可愛い声が響いた。
 弾む心のままに扉を開くと、薔薇のように真っ赤な髪を揺らしてサフィラ様が抱きついてくる。
 彼女は黒曜石のような黒い瞳に俺を映して、艶のある笑みを向けた。

「待っていました。昨日は急に屋敷へ帰還したから、心配していたの」
「すみません、色々とあったのです」
「色々?」
「はい。しかし、その前に……」

 周囲を確認し、誰もいないのを確かめてから扉を閉める。
 そして、彼女の髪に触れながら口付けを交わした。禁じられているこの熱情に背徳を感じずにはいられない。しかし……それこそが俺達の仲を熱く燃え上がらせている。

「サフィラ様、今日のキスです」
「ふふ、もう一回して。レジェス」

 もう一度、また一度とキスを繰り返し、お互いに愛を伝えながら俺達は見つめ合った。

「俺はサフィラ様を愛しています。妻などよりも」
「私も。レジェスだけを愛しています」

 サフィラ様は同情を禁じ得ないほど、不遇な王妃だ。
 十八歳で陛下と結婚し、二年経っても子供が産めないからと、側妃が召し抱えられた。不幸にもその側妃が先に世継ぎを産んでしまい……サフィラ様は陛下からの寵愛を失ったのだ。
 今では交流は月に一度のみで、そこに愛などないと彼女は語った。
 そんな境遇で悲しむ彼女を城内で見た時、心配して話しかけたのがこの関係の始まりだった。
 そしてサフィラ様を救いたいと努力を重ねて、今はこうして彼女の護衛となっている。

「どうにかしてサフィラ様と添い遂げる道を探します。もう少し待ってください」
「レジェス……ありがとう。でも大丈夫よ、いつか必ずその日は来るから」

 サフィラ様は意味深な言葉と共に微笑み、再び口付けをせがむ。
 いつも以上に熱烈なアプローチに興奮が止まない。

「だ、駄目です。サフィラ様……」
「ふふ、また前のように……夜に来てくれてもいいのよ? 監視をごまかすから」
「それは……」

 鳥かごに囚われて悲しむ彼女が元気になってくれるならと、俺はすでに禁忌も犯していた。
 愛を欲する彼女のために子種だって捧げている。しかし、彼女は何年も妊娠ができていない身だ。数度だけの関係では事態が急変するとは思えない。むしろ、俺からの愛を受けられずに泣いてしまうサフィラ様を見る方が辛い。だから……禁忌を犯す事に抵抗はそれほどなかった。

「ではまた、いつか……夜に」
「じゃあ今日は、レジェスの妻のお話を聞かせて。私の愛しい人を求める馬鹿な女の話をね」

 うっとりとした表情で、アーシアの話を求めるサフィラ様を見て、ハッとした。

「実は……その事ですが」

 アーシアが出ていったこと、そしてそれに付随する問題を話す。
 サフィラ様を心配させぬようにある程度はぼかして話していると、外から足音が近づいてきた。
 慌てて彼女から身を離すと、せわしないノックと共にこの国の大臣、ウーグが部屋に入ってきた。

「レジェス殿、やはりここに……」
「ウーグ大臣、どうしました?」
「すぐに部屋を出てください。貴方はすでに離婚したと報告を受けましたよ」

 な……もう、知られているのか? 
 思わぬ言葉に目をみはりつつも、胸に手を当てて騎士の礼をとる。

「私はサフィラ王妃殿下を五年も護衛しています。私が傍にいる方が妃殿下も安心かと――」
「そうも言っていられない。とりあえず来るんだ。少なくともお前の護衛の任は解かねばならぬ」
「え……? 何が……?」

 大臣の焦った様子に胸がざわつく。とりあえず、今は言う通りにするしかない。

「サフィラ様、少し行ってきます」

 甘い時間を邪魔されたことは惜しいが、呼ばれたならば応えねばならない。そう思って振り向くと、彼女は大粒の汗を額から流していた。何かに動揺しているのか、目が泳いでいるように見える。

「サ、サフィラ様? 何が……」
「どうして……なんで離婚してるの? 違う。物語通りじゃないわ。私が主役で幸せになれるはずの……これは完璧な物語で……」

 ――何を、言っているのですか? 
 そう尋ねようとしても、俺は大臣に連れられてその場を離れるしかなかった。


   ◇◇◇


「一体どうしたのですか。ウーグ大臣」

 部屋を出てすぐにウーグ大臣に問いかけると、彼は俺に一枚の紙を渡した。
 それを見た瞬間に、心臓が跳ねる。
 見紛うはずもない、サフィラ様から送られていた恋文そのものだった。

「こ、れは? どうしてウーグ大臣が……」
「今朝、我が国の文官の元へ送られてきたようだ。すでに文官同士では話が広がっている」

 なぜ、どうして。いや……行きつく答えは一つのみだ。
 アーシア、奴は恋文をまだ持っており……なんらかの方法で文官達に送ったのだ。

「あれほど、王妃からの文は徹底して処分しろと言ったはずだ!」
「っ‼」

 ウーグ大臣の怒鳴り声に身をすくめる。彼は俺と王妃の関係を知った上で協力してくれていた。
 今まで王妃との関係が続けてこられたのも、彼が多くを揉み消し、裏で工作してくれたおかげだ。
 こんな大それた事をしてくれる理由を聞いても、大臣は『王妃のため』と、多くを語らない。
 しかしきっと俺と同じくサフィラの冷遇をうれえている一人なのだろう。
 だからこそ、彼に黙って恋文を保管していたこと、そしてそれがアーシアの手に渡ってしまったのを悔やむ。

「申し訳ございません……まさか、このような……」
「今は私が話を抑えているが。こんな事が続けば止められん」

 緊迫した大臣の様子に胸がざわつく。大丈夫だと思っていた心に荒波のような焦りが生まれる。

「へ、陛下にはこの話は?」
「まだ隠し通せている。だが、これが二度もあれば、もはや抑えられん」
「ど、どうすれば……」
「どうすればだと? 少しは自分で考えろ。これだから世襲の貴族は……」
「しかし、俺に出来る事など!」
「とりあえず、お前は王妃の護衛を離れて、此度の事を収めよ!」
「そ、そんな! 俺はサフィラ様の傍で……」
「そんなことを言っていられる状況ではない! お前はすぐこの恋文を王宮に持ち込んだ者を探し出せ! 私は出来ることをする!」

 そう言ってウーグ大臣は、俺の胸に手紙を押し付けてどこかへ去っていった。
 大臣の言う通り、こんな恋文がこれ以上広まれば陛下の耳に届いてしまう。
 王妃と禁断の愛を犯した護衛騎士。そんな存在を厳格な陛下が知れば、どうなるか想像は容易い。

「――すぐに」

 今すぐアーシアを止めねば。そう思い立ってすぐに、彼女を捜索させるために近衛騎士団の騎士を呼び集める。人海戦術ですぐに彼女を見つけ出す予定だったが、その人数を集めるのに一日をかけた事で、俺に最悪の報告が届いてしまった。

「団長、報告があります」

 手配して集めた騎士の一人が、酷くくもった表情で挙手をする。

「なんだ。どうした」
「……こんな号外が王都に出回っているようです」

 そう言って、騎士がバサリと紙を置く。
 内容を見て、荒波であった焦りは今や津波となり……冷や汗が止まらない。鼓動が鳴り上がる。
 こんな事が……嘘だ。まさか、嘘だ、嘘だ……嘘だ! 

「メリット商家が、団長と王妃が恋文を交わしていると号外を広めています……」
「そんな、馬鹿な……どうしてこんな事が……」
「これは、本当なのですか? 団長!」

 騎士団員の問いかけに、返す言葉を失う程に狼狽してしまう。
 アーシア、どういうことだ。お前がいなくなってたった二日で、どうやってこんな事を……
 どこまで準備してきた? こんなの、想像を超えている。
 止めようにも、もう彼女の行方を知る事もできない。
 彼女を捜すために集めた部下達はもう、俺に冷たい視線を送ってくるのだから。

「団長! 説明してください!」

 問い詰める声に、どんどん手の温度が下がっていく。
 どうすればと迷っていた時、救いのような声がかかった。

「ルドーク近衛騎士団長。お前に用がある」

 声をかけてきたのは……近衛騎士団とは別の所属――王家騎士団……王家を守るための専属騎士だった。まるで福音のように聞こえたその声に、俺は部下達を背にして駆け寄った。

「いかなるお召しでしょうか」
「レジェス。陛下がお呼びだ」

 ――それがさらなる地獄への招待であるとも知らずに。


 城内の階段を上がり、王家の直属騎士と共に玉座の間に入ると、彼に背中を押された。
 つんのめるように突き進めば、陛下が窓から王都を見つめているのが見えた。

「ガイラス陛下。レジェス・ルドークを連れてまいりました」
「陛下……お、お呼びでしょうか」

 王家騎士の言葉に慌てて跪く。
 スフィクス王国の現王――ガイラス陛下は、俺の言葉に振り返り、こちらを見下ろした。
 純金の輝きを持つ髪に、鮮血をイメージさせる紅の瞳。
 その視線から受ける威圧感に、思わず顔を伏せた。

「ルドーク。呼び出した理由は分かるな」

 低い声に息を呑む。動揺を気付かれまいと平静を装いつつも、背中に汗が流れるのを感じた。
 いや、恋文がばらまかれたといっても……あれが事実という証拠などない。
 大丈夫。そう、大丈夫のはずだ。だから俺が今やるべきは、徹底的に否定することのみ――
 俺は勇気をもって顔を上げると、陛下に向かって声を張り上げる。

「陛下、あれは事実ではありません。前妻アーシアが俺を不当に恨み、虚偽を広めております」

 回答を許されていないのに声を上げるのは不敬だが、制止の声はかからない。
 陛下は俺を信じてくれているのだ! ならばと、さらに声を張り上げる。

「聡明な陛下ならば、ふざけた虚偽に騙されぬはず――」
「――黙れ」

 しかし、それは幻想だった。
 陛下が一言発した瞬間、背後に居た騎士が剣を俺の首元に突き付ける。

「よく回る口だな……勝手に発言をするな」
「も……申し訳ございません!」
「貴様は、大人しく余の質問に答えろ」

 陛下は呟きと同時に俺に紙を投げつけた。先ほども見た恋文の写しだ。
 しかし、それは写しにすぎない。俺が不義をした証拠になるはずがない。
 なのに俺を見下ろす陛下の瞳が恐ろしい程に鋭くて、心拍数は上がるばかりだ。
 口の中が酸っぱくなり、肩を縮める。陛下は、そんな俺を見つめながら静かに口を開いた。

「なぁ、ルドーク。お前から見て……王妃サフィラは不憫に見えただろうか」
「そ、それは……」
「王妃の役割とは、単に王の妻である事だけではない。愛されるだけが役割ではない。王の傍で民に慕われ、敬われるべき存在だ。つまりは国民の母とも言える」
「わ、分かって……おります」
「もしその王妃を汚したなら、お前やサフィラは……我が民からの信頼を踏みにじったも同然だ」
「ち、違います! 俺は何もやましい事は……」
「……正直に言え」

 ガイラス陛下はゆっくりと俺に近づいてしゃがみこむと、ためらいもなく喉元を掴んだ。
 指が喉仏に喰い込み、呼吸ができなくなる。全身が沸騰しそうな程に血流が高まっていく。
 陛下はそんな俺を見つめながら、さらに手に力を込めた。

「この恋文、お前は本当に覚えがないのだな?」
「は……は……」
「答えろ」

 そう言って、ガイラス陛下が手を放すと、どっと肺に空気が流れ込んだ。
 俺は咳き込むのを必死に堪えつつ、陛下に視線を向けた。

「お、覚えがありません。本当です!」

 答えた後、陛下の瞳が鋭く俺を睨みつけたまま、しばらくの時間が流れた。
 沈黙の中で、陛下はため息を吐く。

「確かに、この恋文だけでは判断はできないな。決定的な証拠ではない」
「は、は……い。ありがとうございます……陛下」
「それでは、この恋文を撒いたアーシアという女性が……我が王妃をおとしめたということか?」
「は、はい。その通りです!」

 陛下の声色が優しくなっていることに、俺は安堵した。
 当然だろう、俺は長年にわたって近衛騎士団長を務めた実績があるのだ。
 あの女に、その信頼を覆されるはずがない。
 俺は先程の痛みを忘れて、陛下を見上げる。

「では、王妃をおとしめた女性への処罰はどうすべきだろうか。ルドーク」

 ああ、笑いがこみ上げそうだ。アーシア、残念だな。俺はこの好機を逃しはしない。
 陛下は俺を信じ、さらにはお前の処罰を尋ねているのだから。
 ここは従順な護衛騎士らしく、しばらく考える素振りをみせて口を開く。

「王妃殿下をけなすことは、陛下のおっしゃった通り王家への信頼を損ねる……恐ろしい重罪です」
「そうだな」
「つまり、その罪にはより惨たらしく……重い処罰――拷問の末の死刑を与えるべきでしょう」
「あぁ。確かにそうだ」

 陛下は、俺の言葉に重々しく頷いた。
 提案した処罰を満足げに聞いてくれている様子に、思わず頬が緩む。
 これで……アーシアは易々と消えよう。俺とサフィラ様はこれまで通りに愛し合い続け――
 しかし陛下は次の瞬間、信じられない言葉を放った。

「ではルドーク。お前が王妃の身を汚した証拠をもしアーシアが示せば……その刑をお前に科す」
「…………え?」
「お前が自ら言ったな。王家を侮辱した者には……重い処罰を与えろと」

 全身が凍り付くような感覚に襲われる。
 陛下の瞳は先程と同じく冷たいままだと、今更になって気付いた。

「余も王宮に目を向けられなかった落ち度がある。だからこそ改めて襟を正し、此度の騒動の真偽をハッキリさせよう」


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