本日、貴方を愛するのをやめます~王妃と不倫した貴方が悪いのですよ?~

なか

文字の大きさ
上 下
18 / 23
番外編

その後の物語① ヴォルフside

しおりを挟む
「何とも、凄いものを見たな」
「うむ。見事なまでの乳揺れだったの」

 孫三郎まござぶろうが真顔で下らないことを言い、静馬しずまはついついつまづきかける。

「どこを見とるのだ、どこを」
「女だてらにあそこまで動けるとは、きっと只者ではない」
「護身用に、組討くみうち(格闘術)でも習っていたのではないか」
「にしても、挙動が鋭すぎる。きっとしのびの類だの」

 そんな推論を聞きながら、静馬には疑念が生じる。
 あの女が普通でないのも確かだが、孫三郎の目端めはしの利き方こそ異常なのではないか。
 ふくらむ違和感を心の中で棚上げにし、静馬は少し話を変えた。

「しかし、あの連中は大丈夫かな」
「問題なかろう」
「聞くところによれば、市井しせい喧嘩沙汰けんかざたも厳罰化してるそうだが」
「喧嘩などなかった、という扱いで終わるだろうて」

 断言する孫三郎だが、静馬はもう一つ得心とくしんがいかない。

「確かに、一方的過ぎて勝負にならなかったが」
「そうではない。あれだけ武士の体面に拘っていた奴が、抜刀の末に素手の女を相手に惨敗した、などと訴え出られると思うか?」
「あぁ……そうか。それもそうだな」

 命を惜しまず体面やら矜持きょうじやらを守る、そんな生き様があってもいい。
 だが強請ゆすたかりに精を出している最中、あの浪人の守ろうとしたそれは何処に行っていたのやら。
 静馬の白けた雰囲気を察してか、孫三郎が話を続ける。

「しょうもない男ではあるが……あれも環境の犠牲者なのかもな」
「というと、例の『野焼き』でのあぶれ者か」

 静馬の出した単語に、孫三郎はゆっくり頷く。
 小田原攻囲の最中、嫡男の鶴松つるまつ夭折ようせいしたとの報を受けた秀吉は、周囲の諫言かんげんを無視して北条方の支配下にある上野こうずけの諸城を放棄させるだけの条件で和睦わぼくし、陣を解いて全面撤退する判断を下す。
 我が子をいたんでの判断は、人としては同情するに値するものだったが、天下人としてはがたい暴挙となった。

 秀吉の命で長期の出陣をしていたのが全て無駄働きになった挙句、未曾有みぞうの規模で行なわれた鶴松の葬儀や、慰霊や追悼のための各種式典の数々への参加を余儀よぎなくされ、更にはそれらの費用の負担までも強制された大名の間には、当然ながら豊臣政権への不満と不信の声が渦巻くこととなる。

 明智光秀の謀反によって信長と信忠が横死した後、その光秀に勝利を収めた秀吉は混乱する織田家中の跡目争いを制し、信長の一族から権力を簒奪さんだつして今日こんにちの地位に就いている。
 なので臣従している諸侯にとっては、道義的には秀吉を主君として仰ぐ筋合いはない。
 豊臣政権の基盤を支えているのは、圧倒的な武力による連戦連勝の実績と、勝利の結果として得た富の気前良い分配だ。

 しかし、対北条戦の頓挫とんざでその両方が途絶えた上に、大局を無視して私情に流される愚か者なのではないか、との疑惑が生じてしまったのだ。
 世継ぎを失った動揺と、高まる悪評への焦りは、秀吉に更なる愚行を選ばせた。
 小田原攻めで失策のあった者や、和睦への反対意見を述べた者への懲罰ちょうばつを名目とする大々的な粛清がそれで、世間では『太閤の野焼き』と呼ばれている。

 豊臣政権としては、家の取り潰しや知行の召し上げの乱発は、恩賞用の土地の確保と、反抗的な大名への恫喝どうかつを行う一石二鳥の妙案――となるはずだった。
 だが、その結果は浪人の急増によって治安を悪化させ、強権政治への反感を増大させただけに終わり、不穏な気配のくすぶる現状を作った最大の原因と考えられている。

「あの無能ザルもまぁ、しょうもない真似をしてくれたわ。天下はまだまだ荒れるぞ」
「楽しそうだな、孫三郎」
「あっふぁっふぁっ、ちょっとばかり暴れ足りなくての――それに、秀吉サルとその手下の国造りは、民百姓を軽んじ過ぎとるでな」

 孫三郎の語りに、いつになく真摯しんしな何かが混ざっている感じがするが、そこに触れてもきっとはぐらかされてしまうのだろう。
 そう考えて、静馬は曖昧あいまいな微笑だけを返しておいた。

「お、ここではないのか」

 孫三郎の指差す方向に、探索所の建物が見えた。
 白木に『公儀探索所こうぎたんさくしょ』と墨書された看板、そこに捕縛に用いられる荒縄と手鎖てぐさりが吊るされているのは、各地に置かれた探索所に共通の意匠だ。
 入り口では二名の門番が周囲に警戒の視線を巡らせ、その傍らには新たな賞金首の手配書が貼り出された高札が立てられている。

「京や堺でも見かけたが、何処も似た感じだの」
「探索所とはこういうものだ、との印象を持たせようとして、狙って構えを似せてるのではないかな」

 そんな話をしながら、静馬は門番に手形を示して敷地内へと入り、孫三郎も後に続く。
 世間で人狩りや賞金稼ぎと呼ばれる探索方は、一応は検断けんだんつかさどる役人の末端に位置付けられているが、決まった職務や俸給は用意されていない。
 探索方がこの場で得られるのは賞金首の情報と、賞金首を連行するか殺害した場合の賞金のみ。

 不逞浪人による犯罪の激増への対策として、同じ浪人に権限を与えて罪人を取り締まらせようとしたのが、公儀探索所の始まりだ。
 探索方の身分を保証する手形は、去年の探索所設立時に二百枚ほど発行された。
 静馬もその時に手に入れたのだが、犯罪の凶悪化・組織化による賞金の高騰こうとうもあって、探索方に就くのを希望する者が後を絶たず、現在ではかなり厳しい審査が行われているらしい。

「ついワシも入ってしまったが、問題ないかの」
「人を雇って、集団で仕事をしてる連中も多いしな。多分平気だろう」

 二人は敷石で舗装された短い道を抜け、建物内へと入っていく。
 中はそこそこ広いが人は少なく、係員が数名と探索方らしい若い男が一人いるだけだ。
 探索方が幾人も集まって情報交換などをしていた、京や安土の探索所とは雰囲気が違うな、と思いつつ静馬は受付役と思しき係員に声をかける。

首実検くびじっけんを願いたい」
「して、賞金首の名と罪状は」
山室帯刀やまむろたてわき、『三日月の山室』だ――罪は複数の殺し、それに追剥おいはぎ

 そう告げて、静馬は身分を証明する手形を見せる。
 続いて三日月槍と首の塩漬けが入った樽、死体から回収した書き付けや手紙を渡す。

しばし待たれよ」

 係員は他の同僚と共に、書類をまとめた帳面ちょうめんめくっている。
 賞金首の情報は罪状別に管理されているらしく、表紙には『追剥』の文字が見えた。

「見当たらんな」
「それなら、こちらでは」

 係員達は小声で言い交わし、いくつもの帳面を持ち出して人相書との照合を続けている。
 治安の悪化で賞金首も急増しているのか、管理も行き届かなくなっている様子だ。

「賞金首を討ったか」

 見知らぬ声に振り返ると、来た時から姿の見えていた若い男が立っている。
 人を自然と身構えさせるけんのある目付きと、着ている羽織の質の良さと、人斬りに特有な剣呑けんのんな気配と、腰の大小に見える装飾の豪華さが、どうにも釣り合いが取れていない。
 妙に警戒心を煽ってくる男だな――そう思いつつも、静馬はそれを表に出さないように応じる。

「ああ、安い首を一つだけ、だがな。お主は情報集めか」
「まぁ、そうだな。にしても、その若さで大したものよ。これが初めての仕事かね?」
「いや、三度目になる」
「ふふふ――末恐ろしい。急がねば我の仕事が残らんかもな」

 二つ三つしか年が違わないであろう男の言葉は、初対面らしからぬ馴れ馴れしさを感じさせるものだったが、静馬はそういう次元とは違う不快さを感じていた。
 若さ故にあなどられるのも仕方ないし、実害がなければいくら見下されようと受け流せる程には、軽い扱いにも慣れている。

 しかし男の態度は、どうもそういったものとはズレがあった。
 声に底意というか悪意というか、どうにも素通りできない棘が含まれていてかんさわるのだ。
 面倒な相手と縁を持ってしまったな、との思いを伏せながら静馬は男との雑談に応じることとなった。
しおりを挟む
感想 609

あなたにおすすめの小説

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

私が死んで満足ですか?

マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。 ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。 全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。 書籍化にともない本編を引き下げいたしました

婚約破棄された令嬢が記憶を消され、それを望んだ王子は後悔することになりました

kieiku
恋愛
「では、記憶消去の魔法を執行します」 王子に婚約破棄された公爵令嬢は、王子妃教育の知識を消し去るため、10歳以降の記憶を奪われることになった。そして記憶を失い、退行した令嬢の言葉が王子を後悔に突き落とす。

【完結】側妃は愛されるのをやめました

なか
恋愛
「君ではなく、彼女を正妃とする」  私は、貴方のためにこの国へと貢献してきた自負がある。  なのに……彼は。 「だが僕は、ラテシアを見捨てはしない。これから君には側妃になってもらうよ」  私のため。  そんな建前で……側妃へと下げる宣言をするのだ。    このような侮辱、恥を受けてなお……正妃を求めて抗議するか?  否。  そのような恥を晒す気は無い。 「承知いたしました。セリム陛下……私は側妃を受け入れます」  側妃を受けいれた私は、呼吸を挟まずに言葉を続ける。  今しがた決めた、たった一つの決意を込めて。 「ですが陛下。私はもう貴方を支える気はありません」  これから私は、『捨てられた妃』という汚名でなく、彼を『捨てた妃』となるために。  華々しく、私の人生を謳歌しよう。  全ては、廃妃となるために。    ◇◇◇  設定はゆるめです。  読んでくださると嬉しいです!

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

婚約者を想うのをやめました

かぐや
恋愛
女性を侍らしてばかりの婚約者に私は宣言した。 「もうあなたを愛するのをやめますので、どうぞご自由に」 最初は婚約者も頷くが、彼女が自分の側にいることがなくなってから初めて色々なことに気づき始める。 *書籍化しました。応援してくださった読者様、ありがとうございます。

寵愛のいる旦那様との結婚生活が終わる。もし、次があるのなら緩やかに、優しい人と恋がしたい。

にのまえ
恋愛
リルガルド国。公爵令嬢リイーヤ・ロイアルは令嬢ながら、剣に明け暮れていた。 父に頼まれて参加をした王女のデビュタントの舞踏会で、伯爵家コール・デトロイトと知り合い恋に落ちる。 恋に浮かれて、剣を捨た。 コールと結婚をして初夜を迎えた。 リイーヤはナイトドレスを身に付け、鼓動を高鳴らせて旦那様を待っていた。しかし寝室に訪れた旦那から出た言葉は「私は君を抱くことはない」「私には心から愛する人がいる」だった。 ショックを受けて、旦那には愛してもられないと知る。しかし離縁したくてもリルガルド国では離縁は許されない。しかしリイーヤは二年待ち子供がいなければ離縁できると知る。 結婚二周年の食事の席で、旦那は義理両親にリイーヤに子供ができたと言い出した。それに反論して自分は生娘だと医師の診断書を見せる。 混乱した食堂を後にして、リイーヤは馬に乗り伯爵家から出て行き国境を越え違う国へと向かう。 もし、次があるのなら優しい人と恋がしたいと…… お読みいただき、ありがとうございます。 エブリスタで四月に『完結』した話に差し替えいたいと思っております。内容はさほど、変わっておりません。 それにあたり、栞を挟んでいただいている方、すみません。

王太子妃は離婚したい

凛江
恋愛
アルゴン国の第二王女フレイアは、婚約者であり、幼い頃より想いを寄せていた隣国テルルの王太子セレンに嫁ぐ。 だが、期待を胸に臨んだ婚姻の日、待っていたのは夫セレンの冷たい瞳だった。 ※この作品は、読んでいただいた皆さまのおかげで書籍化することができました。 綺麗なイラストまでつけていただき感無量です。 これまで応援いただき、本当にありがとうございました。 レジーナのサイトで番外編が読めますので、そちらものぞいていただけると嬉しいです。 https://www.regina-books.com/extra/login

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。