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4話
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「ラテシア様、本日もお疲れ様です。貴方のおかげで、他国との交易計画も進みは順調ですよ」
我が国の大臣––リガル様の言葉に、今しがた書き終えた計画書を手にして私は頷く。
「あと少しで……我が国の国民にも多大な益が生まれます。全てはリガル大臣や陛下のご協力のおかげです」
「はは、ご謙遜を。ここまで計画が進んだのは、ラテシア様の留学中の外交ありきのものですよ」
賛辞の言葉に照れつつ、私はリガル大臣へと計画書を渡す。
彼はその計画書に感嘆の声を漏らした。
「文句のつけようもなく、完璧です」
「感謝します」
「しかし、この二年でラテシア様の地盤は万全なものとなりましたね」
留学から帰還して約二年が経ち、私は二十歳となった。
自分で言うのもなんだが、次代の妃として期待されている。
貴族家もひっきりなしに私が妃になる日を望む声が上がる程だ。
「リガル大臣、私はただ務めを果たしてきただけです」
「それが素晴らしいのですよ。しかし、セリム様は貴方と違い……」
リガル大臣が言い淀む言葉の続きは、大方の想像はつく。
私と違い、国内で評価を落としているセリム様へ言及したいのだろう。
大臣さえ、愚痴の一つも零したくなる現状。
セリム様がミラへと執着して政務すら疎かにする様子に、貴族家の反感は止まらぬのだ。
「とはいえ、私も大臣としてセリム様には必ず襟を正してもらいます……ラテシア様のためにも」
「そのお言葉だけで充分です」
大臣の言葉に礼を告げ、執務の合間の一息を入れていると。
廊下から、慌ただしい足音と共に騎士が入ってきた。
「ラテシア様!」
「どうした慌ただしい、ノックもなく不躾な」
リガル大臣の諌める言葉があっても、騎士の表情は変わらない。
その様子に、背筋に嫌な予感が走った。
「ほ、報告があります! へ……陛下の……容体が……」
ある意味で恐れていた事態。
騎士からの報告は、それを知らせるものであった。
◇◇◇
棺に眠る陛下へと、別れ花を手向ける。
頬に触れれば冷たくて、いつも笑いかけてくれていた表情は動かない。
「陛下……長き王政にて築いてくださった安寧に、心から感謝いたします」
陛下の崩御。
我が国の情勢、政が塗り替わる出来事が起こった。
元より病気に伏していた陛下、加えてセリム様への気苦労が重なって容態は悪化した。
まだ幼い弟殿下を残し、齢四十五で亡くなってしまわれたのだ。
「父上……」
さしものセリム様も、亡き陛下に対して目線を落とす。
弟殿下は幼く、王太子であるセリム様が国王陛下となる事は確定。
故に、相応の責任が彼の双肩には乗りかかるというのに。
「セリム、元気をだして……貴方のお父さんは立派だったわよ」
間の抜けた声が、献花に訪れた弔問者を苛立たせる。
セリム様の傍らには、未だにミラが立っているのだ。
余りに非常識な様子だが、それを咎めた大臣をセリム様が突き放した。
もはや呆れて、苦言を呈す者はいない。
「ミラ、すまない。こんな姿を見せて……」
「いいのよ。いつも私が心配ばかりかけているのだから。心配ぐらいさせて」
葬儀の場であっても、自重すらしないミラの態度。
そしてセリム様の対応に、私は我慢できずに咎めようとした時。
「ラテシア様! お耳に入れたい事が……」
葬儀の場であっても焦る使者の様子に、思わず耳を傾ける。
「早急に、公爵邸にお戻りください」
「何があったのいうの?」
「お父君が……葬儀へ向かう道中で馬車の横転事故に見舞われたと……」
「っ!!」
報告と同時に、はしたないと自覚しつつも走り出す。
もはやセリム様の愚行に苦言を呈す暇もなく、彼の傍を横切る。
その際、何故かミラの口角が上がっているように見えたのは、私の被害妄想だろうか。
考え過ぎかと、足を止めず走った。
その後、半日かけて公爵邸へとたどり着く。
懐かしむ時間もなく、安否が分からぬ父の元へ急いだ。
「父上!」
「ラ……シア」
医者に診てもらっていた父は、ゆっくりと身体を起こす。
頭に巻かれた包帯は血が滲んでおり、重症ぶりがうかがえた。
「父上、安静になさってください!」
「……シア……聞け」
意識を落としかけながらも、父は私の頬に触れる。
そして、絶え絶えの呼吸の中で言葉を発した。
「私が助かるか……分からん。だから、最後に伝えておく」
「何を言っているのですか。父上! お気を確かに!」
「いいか、ラテシア。フロレイス公爵家に……恥じぬ生き方をせよ。お前が……堪える必要などない」
恥じぬ生き方。
公爵家令嬢として生きる上で、幾度も聞いていた教育。
それを今更述べた父の瞳が、ゆっくりと閉じる。
「父上! 父上!」
「救命処置を! 直ぐに!」
お医者様の救命処置により、かろうじて父は命を繋ぎ止めた。
だが、今も危ない状態で……下手をすれば意識が戻らぬというのだ。
「おねえさま。おとさま……だいじょぶですか」
眠る父の傍で俯く私の袖を、まだ五歳の弟––ディアが引く。
短い銀糸の髪から漏れる、私と同じ紫色の瞳が潤む。
歳が離れて生まれた弟で、留学していた私はこの子の半生を離れて暮らしていた。
故にディアは私に対して緊張しているが、涙ぐむ姿は私に安堵を求めている。
「大丈夫よ。ディア……父上はお強い人ですから」
「ほんと? ほんとですか」
「ええ、きっと……」
「おねさま。おててにぎってください……ディア、こわい」
「大丈夫。大丈夫よ」
自分に言い聞かせるように呟きながら、ディアの手を握る。
陛下の崩御と、父の不幸。
重なった悲劇に、私の心は憔悴していた。
しかし、陛下亡き後の王政は慌ただしい。
私が離れている訳にもいかずに、三日後には城へと戻る事となった。
◇◇◇
帰還すれば、セリム様を次代の陛下とする準備が進む。
彼の傍らに控えるミラの存在を見て、私は一息を吐いた。
『フロレイス公爵家に……恥じぬ生き方をせよ。お前が……堪える必要などない』
父上が残した言葉を思い出す。
公爵家に恥じぬ生き方とは……
婚約者の傍に、知らぬ女性が居るなどという恥辱。
侮辱、屈辱を受け入れてまで過ごすなと言う事だと、容易に理解できた。
だから……
「父上……私も、覚悟は決まりました」
父が死の際まで、私に残そうとした言葉。
陛下が崩御した今……次代の王政が始まる中で、私に公爵家令嬢として生きろと告げた意味。
それを理解して、私は心の中に残った僅かな恋情を……
捨てた。
我が国の大臣––リガル様の言葉に、今しがた書き終えた計画書を手にして私は頷く。
「あと少しで……我が国の国民にも多大な益が生まれます。全てはリガル大臣や陛下のご協力のおかげです」
「はは、ご謙遜を。ここまで計画が進んだのは、ラテシア様の留学中の外交ありきのものですよ」
賛辞の言葉に照れつつ、私はリガル大臣へと計画書を渡す。
彼はその計画書に感嘆の声を漏らした。
「文句のつけようもなく、完璧です」
「感謝します」
「しかし、この二年でラテシア様の地盤は万全なものとなりましたね」
留学から帰還して約二年が経ち、私は二十歳となった。
自分で言うのもなんだが、次代の妃として期待されている。
貴族家もひっきりなしに私が妃になる日を望む声が上がる程だ。
「リガル大臣、私はただ務めを果たしてきただけです」
「それが素晴らしいのですよ。しかし、セリム様は貴方と違い……」
リガル大臣が言い淀む言葉の続きは、大方の想像はつく。
私と違い、国内で評価を落としているセリム様へ言及したいのだろう。
大臣さえ、愚痴の一つも零したくなる現状。
セリム様がミラへと執着して政務すら疎かにする様子に、貴族家の反感は止まらぬのだ。
「とはいえ、私も大臣としてセリム様には必ず襟を正してもらいます……ラテシア様のためにも」
「そのお言葉だけで充分です」
大臣の言葉に礼を告げ、執務の合間の一息を入れていると。
廊下から、慌ただしい足音と共に騎士が入ってきた。
「ラテシア様!」
「どうした慌ただしい、ノックもなく不躾な」
リガル大臣の諌める言葉があっても、騎士の表情は変わらない。
その様子に、背筋に嫌な予感が走った。
「ほ、報告があります! へ……陛下の……容体が……」
ある意味で恐れていた事態。
騎士からの報告は、それを知らせるものであった。
◇◇◇
棺に眠る陛下へと、別れ花を手向ける。
頬に触れれば冷たくて、いつも笑いかけてくれていた表情は動かない。
「陛下……長き王政にて築いてくださった安寧に、心から感謝いたします」
陛下の崩御。
我が国の情勢、政が塗り替わる出来事が起こった。
元より病気に伏していた陛下、加えてセリム様への気苦労が重なって容態は悪化した。
まだ幼い弟殿下を残し、齢四十五で亡くなってしまわれたのだ。
「父上……」
さしものセリム様も、亡き陛下に対して目線を落とす。
弟殿下は幼く、王太子であるセリム様が国王陛下となる事は確定。
故に、相応の責任が彼の双肩には乗りかかるというのに。
「セリム、元気をだして……貴方のお父さんは立派だったわよ」
間の抜けた声が、献花に訪れた弔問者を苛立たせる。
セリム様の傍らには、未だにミラが立っているのだ。
余りに非常識な様子だが、それを咎めた大臣をセリム様が突き放した。
もはや呆れて、苦言を呈す者はいない。
「ミラ、すまない。こんな姿を見せて……」
「いいのよ。いつも私が心配ばかりかけているのだから。心配ぐらいさせて」
葬儀の場であっても、自重すらしないミラの態度。
そしてセリム様の対応に、私は我慢できずに咎めようとした時。
「ラテシア様! お耳に入れたい事が……」
葬儀の場であっても焦る使者の様子に、思わず耳を傾ける。
「早急に、公爵邸にお戻りください」
「何があったのいうの?」
「お父君が……葬儀へ向かう道中で馬車の横転事故に見舞われたと……」
「っ!!」
報告と同時に、はしたないと自覚しつつも走り出す。
もはやセリム様の愚行に苦言を呈す暇もなく、彼の傍を横切る。
その際、何故かミラの口角が上がっているように見えたのは、私の被害妄想だろうか。
考え過ぎかと、足を止めず走った。
その後、半日かけて公爵邸へとたどり着く。
懐かしむ時間もなく、安否が分からぬ父の元へ急いだ。
「父上!」
「ラ……シア」
医者に診てもらっていた父は、ゆっくりと身体を起こす。
頭に巻かれた包帯は血が滲んでおり、重症ぶりがうかがえた。
「父上、安静になさってください!」
「……シア……聞け」
意識を落としかけながらも、父は私の頬に触れる。
そして、絶え絶えの呼吸の中で言葉を発した。
「私が助かるか……分からん。だから、最後に伝えておく」
「何を言っているのですか。父上! お気を確かに!」
「いいか、ラテシア。フロレイス公爵家に……恥じぬ生き方をせよ。お前が……堪える必要などない」
恥じぬ生き方。
公爵家令嬢として生きる上で、幾度も聞いていた教育。
それを今更述べた父の瞳が、ゆっくりと閉じる。
「父上! 父上!」
「救命処置を! 直ぐに!」
お医者様の救命処置により、かろうじて父は命を繋ぎ止めた。
だが、今も危ない状態で……下手をすれば意識が戻らぬというのだ。
「おねえさま。おとさま……だいじょぶですか」
眠る父の傍で俯く私の袖を、まだ五歳の弟––ディアが引く。
短い銀糸の髪から漏れる、私と同じ紫色の瞳が潤む。
歳が離れて生まれた弟で、留学していた私はこの子の半生を離れて暮らしていた。
故にディアは私に対して緊張しているが、涙ぐむ姿は私に安堵を求めている。
「大丈夫よ。ディア……父上はお強い人ですから」
「ほんと? ほんとですか」
「ええ、きっと……」
「おねさま。おててにぎってください……ディア、こわい」
「大丈夫。大丈夫よ」
自分に言い聞かせるように呟きながら、ディアの手を握る。
陛下の崩御と、父の不幸。
重なった悲劇に、私の心は憔悴していた。
しかし、陛下亡き後の王政は慌ただしい。
私が離れている訳にもいかずに、三日後には城へと戻る事となった。
◇◇◇
帰還すれば、セリム様を次代の陛下とする準備が進む。
彼の傍らに控えるミラの存在を見て、私は一息を吐いた。
『フロレイス公爵家に……恥じぬ生き方をせよ。お前が……堪える必要などない』
父上が残した言葉を思い出す。
公爵家に恥じぬ生き方とは……
婚約者の傍に、知らぬ女性が居るなどという恥辱。
侮辱、屈辱を受け入れてまで過ごすなと言う事だと、容易に理解できた。
だから……
「父上……私も、覚悟は決まりました」
父が死の際まで、私に残そうとした言葉。
陛下が崩御した今……次代の王政が始まる中で、私に公爵家令嬢として生きろと告げた意味。
それを理解して、私は心の中に残った僅かな恋情を……
捨てた。
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