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2話

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 妹のシャイラ。
 私と同じ小麦色の金髪を揺らして、甘えるようにヴィクターに抱きつく彼女が問いかけてくる。

「お姉様、許してくださる? お願い」

 思わず目眩がした。
 私の人生において、シャイラのお願いは……幾千と聞いてきた言葉だった。
 
 シャイラは五つ歳が下で、生まれつき病弱であった。
 子爵家に生まれた私達だが、身体が弱い妹に……自然と両親の庇護の重きが置かれたのだ。
 だから私が物心ついた時には、すでに妹には逆らえぬ家庭環境となっていた。

『お姉様、これほしーの』

 ひとたび妹が私の物を欲しがれば、両親は姉なら優しくしろと諭す。
 身体が弱い妹を大切にしろと。

『これ、シャイラにはできないから。お姉様がやって!』

 お手伝い。
 本来ならば妹がやるべきことが、自然と私に回ってくる。
 両親はやってあげなさいと言うので、実家にいた頃に私の時間は皆無だった。

 自分のためには、なにも出来なかった。
 全ての人生は妹のためであり、私はまるで妹の召使い。
 それが嫌で、結婚してから妹と会う頻度を無くし、ようやく解放されたのに……

「お姉様、シャイラもヴィクター様を愛しているの。いいでしょ?」

「……まずは事情を聞かせて」

 頭が割れそうだ。
 ヴィクターと結婚してからも悩みがあったが、解放感の方が大きかったと思う。
 でも、再び私の人生に組み込まれた妹の存在に目眩がする。

「学園に在学中。ヴィクター様に出会ったの! お姉様の旦那様だって!」

「僕も学園に通われる第二王子殿下の護衛中、シャイラに出会い……意気投合したんだ」

 聞けば、私に黙って二人は何度も会っていたらしい。
 当主の執務を投げ始めた頃と聞き、私に執務を投げ始めた頃からだと分かった。
 私という共通の話題で仲が深まったようだ。

「それで……私がヴィクターに頼んで、夜を共にしたの」

「ナターリア。シャイラは昔から病弱で不幸だったんだ。だから僕が彼女のためになるなら」

「それで妊娠したから、彼に妻にしてもらうの。学園に在学中でも、婚約した状況なら妊娠しても大丈夫でしょ?」

 学び舎で彼らは一体、どのような道徳を学んだのだろう。
 
 思わず私は学園を卒業できなかった記憶がよぎる。
 在学中、病状が悪化したシャイラの看護を姉だからと全て任されて通えなかったのだ。
 そして……両親によって退学させられた。

「シャイラ……貴方は私が行けなかった学園生活を過ごしていたはず。なんで……もっと大切にしなかったの?」

「大切にしてたよ! ヴィクター様を愛しちゃったら駄目なの? お姉様だけ愛してもらうなんてずるいわ」

 ずるい、なんて言葉で片付けて良い問題じゃないはずだ。
 学費の捻出でさえ、私の仕送りでまかなっていたのに。
 これ以上の世話をしろというの? 

「お姉様ならきっと助けてくれるよね? だって学費まで出してくれてたんだもの」

「……」
 
「私を愛してくれていたのよね? 大切な妹として」

 ヴィクターとの結婚後、実家に仕送りはしていた。
 しかしそれは会わないための手切れ金だったのに、シャイラは解釈が違ったようだ。

「お父様達には説明したの?」

「あぁ、君の両親には説明して……受け入れてもらえたよ」

 有り得ない事だが、あの両親なら受け入れるだろう。
 
 シャイラは両親から庇護されている。
 加えて、学生のシャイラはあと一年で学園卒業だ。
 病弱で婚約者に困っていた妹だが、伯爵家のヴィクターが夫となれば子爵家の社交界での地位も上がるだろう。

 そう……妹のために学園を退学させた私よりも箔が付くのだ。
 透けて見えるまつりごとに、私は巻き込まれている。

「ヴィクター……やはり私は受け入れられません。貴方との関係も少し考えさせて」

「どうしてだ? ナターリア!」

 受け入れられるはずがない。
 そもそも妹だけが問題でなく、私の愛情と献身を裏切った貴方にも怒りが沸いているのに。

 しかし……

「いいじゃない。ヴィクターの妻は、シャイラさんの方がいいわ」

 賛成に一票投じたのは義母だった。
 彼女は事前に話を聞いていたのか、肯定の言葉を続けた。

「それにシャイラさん、学園の魔法学で首席をとったらしいわね?」

「たまたまですよ。私は魔力が少し人より多いみたいで」

「ふふ、謙遜しないで。優秀で将来有望な子の方が……今の小うるさい妻より、よっぽどいいわよ」

「義母様、あまりお姉様の事を悪く言わないでください!」

「あらごめんなさいね。つい本音が……学園中退なんてみっともない妻だと思ってのよ」 

 義母が、ずっと冷たかったわけだ。
 妹のために人生を捧げた私と、未来に華を咲かせた妹。
 その差を見せつけられ、惨めな気持ちと苛立ちが……私の怒りを沸き立たせる。

「それと、貴方の資産は我が家の物として扱うわ。妻を降りても、資産はクロエル家が管理するわ」

「っ! 義母様、あれは私が稼いだ資産です。使い方は私が決め……」

「ナターリア……母さんの言う事を聞いてくれ。妹も一緒に幸せになれるんだ。喜ぶべき事だろう?」 

 ヴィクターの言葉に、もはや諦め以上の絶望が押し寄せる。
 いくら言っても、話すら聞いてくれない。
 なら……

「とりあえず、私のお父様達も呼んで話し合いましょう……」

 断れぬ雰囲気から逃げるため、返答を先送りにする。
 私の両親を説得できないだろう……分かっている。
 だからこれは、時間稼ぎだ。

「分かったよ、ナターリア。君の両親を呼ぼう」

「お姉様は少し混乱しているだけで、きっと受け入れてくれるはずよね?」

 夫と妹の会話が、頭に入ってこない。
 胸が締め付けられて……口の中に砂利があるように、気持ち悪かった。

 私は……このまま自分の人生を惨めに過ごしていくのか。
 すべき決断は、一つだけなのかもしれない。
   


   ◇◇◇


 その夜、夫婦の寝室にヴィクターは居ない。
 代わりに彼は、隣の部屋にてシャイラと愛を囁き合っていた。
 
「シャイラ、君とナターリアを愛してみせるよ。大切にする」

「私も、これからもずっとお姉様と一緒なんて嬉しい。愛してるわ、ヴィクター」

 なんだか、心が疲れた。
 私は確かにヴィクターを愛して、過ごしてきた毎日は楽しくて大切なものだって多い。
 
 
 でも今は、それらの思い出が私の恋情をぐしゃぐしゃに壊してくる。
 流す涙と共に、泣き声を押し殺した。
 こんなに惨めに過ごしながら、私は彼らに人生を捧げて生きるの?
 そんなの……嫌に決まってる。

「なら、私がすべきことは……一つだけだ……」

 残された唯一の選択肢が、私の心に決断を迫っていく。
 もう迷ってられない。
 彼らのために生きるのを辞めるため……行動すべき時がきたのだ。
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