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ほどけた糸。

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「行きましょう。アウルム」

 その言葉を最後に去っていく君の背を見ながら、俺はただ膝を落としてむせび泣く。
 隣で、放心しているミアナに構う事もなく声を出して泣いてしまう。

 俺は、なぜこうも愛をこぼれ落としていくんだ。
 エレツィアも消え、リエスも離れた。ミアナも消えていく。
 求めて焦がれていた感情は、俺には向けられることはない。自分自身の行為が原因だと分かっていても、心が苦しい。

 結婚して、幸せにすると言ったエレツィアに……俺は結局なにも残せずに二度と会う事は敵わない。

「……」

 ふと、机の上に何かが置かれているのが見えた。
 手紙……のように、封筒に入れられている。

 エレツィアが忘れた物だろうかと拾うと、中に入っていた紙がひらりと床に落ちた。
 何気なくだった、本当にきまぐれでソレを見た。

(これ……は……)

「もういいわ、もういい……」

 紙を見つめていると、声が聞こえだす。声のする方へ視線を向ければ……ミアナが立ち上がってブツブツと呟いているのだ。
 何を考えているのか、フラフラと歩き出す彼女はリビングへと向かい。帰ってきた際にはその手にナイフが握られていた。

「な……なにをしてる? ミアナ」

「ジェレド……私ね、分かったの。私達が幸せになるためには、あの女が必要ないのよ」

「何を言って……」

「だって! だって! 私達の幸せだったはずなのよ。あの子とあの女が幸せそうにしているのを見て、私がどれだけ悔しかったのか、貴方に分かる!?」

「落ち着けミアナ。そのナイフをおろせ……」

「黙って! 貴方にはもう関係ないでしょ! どうせ当主にもなれず、あの女にも愛されていないのだから、黙って大人しくしてなさいよ!」

 叫ぶ彼女に鋭く光る切っ先を向けられて、身体は動かない。
 当たり前だ……死の恐怖心に抗えるほど俺は強くない。

 だけど……だけど。
 不思議と、俺の身体は一歩。また一歩と前に進んだ。 

「ミアナ……やめろ。お願いだ……全部、俺が悪いんだ。君も、誰も悪くない」

 怖い。
 怖い。

 怖い。
 怖い。


 怖くて仕方がない。

 だけど……だけど。
 ここで止めなくては、俺は本当にエレツィアに何も残せない。

「来ないで! 私の勝手にさせてよ!」

「っ!!」

 動いた身体。初めて本気で人を殴ったのが女性なんて、俺は本当にクズだ。
 後悔だらけだ。愛を求めて……自分勝手に生きてきた自覚はある。
 そのせいで、エレツィアにどれだけの苦労をかけてきたのか分からない。
 
 だけど……本当に最後だけでも、彼女の幸せを守る事が出来たと……俺は思いたい。

「はぁ……はぁ……」

 殴りつけ、気絶したミアナを見下ろしながら……そっと胸に手を当てる。
 ジトリと濡れた手、触れた手は真っ赤に染まっていた。

 視線を下せば……胸に刺さる銀色の刃。
 乾いた笑いが思わずこぼれてしまった。

「…………は、はは」

 不思議だ、こんな時は痛みが遅れてやってくる。
 荒い息を吐きながら……エレツィアが残して……
 置いていってくれた紙を手に取って、床に腰を下ろす。

「エレツィア……ロイ…………ご…………めんな」

 その紙にはクレヨンによってこの屋敷が描かれていた。ロイが描いたのだろう。
 上手いとはいえないが、特徴をよくとらえたその絵には屋敷と……エレツィアと思われる女性、そしてその女性と手を繋ぐロイが描かれていた。
 他にも使用人達が描かれている中に、俺の姿がある。
 不思議だった、あれだけ酷い事をしたのに、ロイの中では……この屋敷に住む一人として、描いてくれているのだろう。

「……………………はぁ……はは」

 片隅に書かれた、エレツィアの文字に思わず微笑みがこぼれる。

『せめて……ロイの幸せだけでも、誓ってあげてください』

 結婚式の日、君の幸せを誓って……俺は結局この五年、君を不幸にするだけだった。
 何も残せず、ただ悲しませて、苦しめて。

 だけど、だけど。

 最後だけは、君の願いを叶える事ぐらいは……出来ただろうか。
 
「はは…………駄目な夫には、変わりない……よな。ごめん、君を幸せに出来なくて、エレツィア」

 床に流れていく血は広がっていき、息が苦しくなって意識が遠のく。
 最後に考えるのは……エレツィアと、ロイ。二人が見せる笑みを見ながら……

 三人で……共に歩く光景だった。
 こんな未来も…………俺にはあったのかもしれない。
 だけど、もう叶わぬ光景。

 でも……。


 握りしめたロイの絵。俺にとって、唯一残された物。
 何も無かった俺には、これで充分だ。








 ごめんな。ロイ。
 愛して……やれなくて。
























































































   ◇◇◇

「…………」

 目を開けば、真っ白な病室で目を覚ます。
 何があった? 
 刺されたのは夢かと思ったが、胸に残る確かな痛みに現実だったのだと分かった。

「起きましたか?」

 かけられた声は、二度と聞けぬはずだった。彼女の声。

「エ…………レツィア? ど、どうして」

「あの後……ミアナを捕えに向かった騎士団により、倒れている貴方達が見つかったの。ミアナは遺棄の罪に加えて……貴族令息の殺害未遂で重罪犯として騎士団に連行されたわ。そして貴方は五日間も眠り……看病する人がいなかったので私が、というわけ」

 違う。俺が聞きたかったのは、あの後についてなんかじゃない。
 どうして……どうして……最も俺を嫌っているはずの君が。

「なんで、俺なんかを……」

「ミアナの証言で、貴方が私とロイを……守ってくれた事を知りました」

「そのお返し……だとしても、俺はそれ以上に……君を不幸にしてきたはずだ」
 
「そうね。確かに、今でも貴方の事は嫌い……でも、私はロイの母として人でなしには、なりたくはないの」

 『ロイの母として』

 その言葉の重みと、それを背負う彼女には言葉を失う。


 俺が後悔して嘆いている時間。彼女はロイの母として、強く生きていた。
 そんな彼女にいつまでも苦労をかけていた自分が、途端にみっともなく思ってしまう。

「それでは、後の看病は貴方で手配をお願いしますね。もう元気そうなので」

「……エレツィア……ご」

 ごめん。と……謝罪の言葉をかけようとして。止まる。
 
 
 違うだろ。
 

 前を向いて、俺の事など忘れて生きていく彼女に慈悲を願うのは……間違っている。
 俺が言うべきは、五年前から……ただこの一言だけだった。

「幸せを……願っている」

「………………ありがとう、ジェレド」

 ……五年前、もっと君と向きあっていれば……別の未来もあっただろうか?
 いや、そんな事を考えてもきっと無駄だ。

 選択は変えられない、犯した過ちは消えない。
 ……俺はもう二度とエレツィアにもロイにも会う事は叶わない。
 
 だから、せめて……せめて。
 謝罪でなく、君たちの幸せを願わせて欲しい。

 それが、迷惑だけをかけて生きていた俺の……せめてもの贖罪だから。


 ロイ、エレツィア。
 幸せな日々をどうか、過ごして欲しい。
 父になれない、駄目な男を……



 どうか、どうか。 
 


 忘れて、生きて欲しい。
 それが……愚かな俺の、最後の選択だ。



 この選択だけは、きっと後悔しないだろう。





 ほどけた糸。

 ーfinー


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