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26話

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「エレツィア殿、ロイ君のためにも此度の離縁についてよく考え直してほしい」

 ロイが五歳になれば離縁するという誓約。叶えてしまえば私はジェレドと離れる事ができる。しかしロイは親権争いに巻き込まれてしまう。考えたくもないが、私が親権を失う可能性もあるのだ。
 もし離縁をしければ、ロイは平穏を手に入れ、私は問題なく母親でいられる。

「……」
 
 言葉が出ない。間違える事の出来ない選択に思考はぐるぐると回って判断が出来ない。
 何が正しい、どの選択が正解か。
 答えの出ない問答が、心の奥底で繰り広げられた。

「考えてくれ。ロイ君が望むのは醜い親の争いだろうか? 母親が変わる事だろうか? 違う。君の選択でロイ君は不自由のない幸せを過ごせるのだ」

 幸せ……ロイの。
 だけど、私の気持ちは。
 
「少しだけ、考える時間をください」

「……分かった。しかし、優先すべきはロイ君の幸せだ。勝手な事を言っているのは重々承知の上だが、どうか最善を選択して欲しい」

「っ……最善を貴方が決めないで––私は」

「父上、俺はやはり納得できません」

 私の返答を遮って声を挙げたのは、大人しくしていたジェレドだった。
 鋭い視線をドルトン様へ向け、敵意にも似た表情を露にして口を開く。

「俺は、愛する人と一緒になりたい。それはエレツィアも同じはずだ」

「ジェレド、昼間に説得したはずだ。それを出来なくしたのは、お前自身だろう」

「っ!!」

 気まずそうに、視線を逸らすジェレドに選択の答えとなる問答は期待できそうもない。
 ドルトン様の言う通り、貴族達が判断する私の価値は底値。非処女だ。
 事業は好調といっても、一度誰かに嫁いだ女性を娶る貴族などそうはいない。
 かといって平民との結婚は、体裁を気にする我がカルヴァート家が許すはずもない。

 つまり、私には……離縁の後、誰かと添い遂げる人生には望み無しだ。
 あの人は、私を見てくれるかもしれない……けど。

「ジェレド。本来ならば、お前はエレツィア殿を幸せにする義務があるのだぞ! 彼女の幸せを奪ったのは、お前だ!」

「っ……俺は、謝罪はした。誓約通り離縁を彼女が望むなら、それが最善のはずだ!」

「何度も言わせるな! 責任も持たずに子を設けたお前のせいで話がこじれているのだ! 謝罪金だけで済んだ話を、お前が混迷させているのだろ!」

「二人とも、お静かに。ロイを起こさないで」

 熱を上げ、言い合う声が怒号へと変わった二人へ、私は制止を促す。
 親子で言い合うのは勝手だが、時間と場所を考えて欲しい。

「ドルトン様の真意は……分かりました。今は考えさせてください」

「エレツィア殿、何度も言うようだが。ロイ君の幸せが、最善だ」

「……もう、夜更けです。どうかお気を付けてお帰りください」

 最もらしい言葉を吐くドルトン様だけど、その真意はあくまでローレシア家の利益の追求だ。
 跡取り候補としてロイを見据え、私が立ち上げた事業も手の内にしておきたい。
 
 隠す気も無いほど、ドルトン様の真意は筒抜けなのに。断る事が難しいのが私の立場だ。

「エレツィア……」

 ドルトン様の居なくなった部屋、ジェレドは視線は背けたまま言葉を発す。

「父上には納得できない。俺達は離縁して、俺の愛する人がロイの母になればいい。それで君は、自由に生きるのが真の最善だ」

 私の立場では、最善は全く違うのだけど……とはいえ、言い合っても再度不毛な時間が流れるだけだと口をつぐむ。
 今はただ、何が正しいのか判断する時間と、落ち着いて考えられる環境が欲しい。

「答えはいずれ出します、貴方だけの考えで決めないで」

「よく考えて。答えを出してくれ」

「……少なくとも、貴方よりは考えて生きております」

「っ」

 言い放つと、言葉を失ってしまった彼を尻目に部屋を去る。
 暗く、肌寒い廊下を一人歩きながら窓の外を見やる。
 式を挙げた日とは真逆の、漆黒の夜闇。まさに今の心境のようだと苦笑がこぼれてしまう。

 私はジェレドなどよりも、離縁を望んでいたはずなのに。
 今は……現状のまま一生を過ごす事がロイの最善なのかもしれないと、少しだけ考えてしまう自分がいた。
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