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16話

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 ジェレドが屋敷から離れて、もう二ヶ月が過ぎただろうか。
 ロイの歩き方がふらつく事が無くなってきた。その成長を感じている間に、契約で要望されていた洋服は二十着が完成している。

 ペースとしては正直に言ってかなり遅いというのが、現状だ。
 それには、とある理由があった。

「ロイ、ごはんたべよーね?」

「イヤ!」

 否定するロイに匙で救ったスープを近づけても、振り払われる手によってスープは床へと落ちていく。ロイは近くに置いていた水の入ったコップも薙いで倒していく。

「ロイ、ダメよ。食べないとお腹がすいちゃうよ」

「イヤ! 食べない!」

 ジェレドが居なくなり、平穏な生活が訪れたと思った数日後にロイはこの調子になってしまった。ご飯、睡眠、歯磨きでさえも「イヤ」と否定し、拒否するのだ。

「……ロイ。食べなさい」

 思わず声に熱がこもってしまうが、それを敏感に感じ取ったロイは更に大きな癇癪を起す。スープの入った器をひっくり返し、「イヤ」だと泣き叫ぶのだ。
 正直に言って、どうすればいいのか検討もつかず、食事する事でさえ数時間もかかる。

(何が、原因なの? 私が寂しい思いをさせてしまっているから?)

 時間がかかる食事を終えても、服を着替える事さえイヤだというのだから。お手上げだ。
 もちろん可愛いのだけど、頻度が多く日々の全てに時間がかかってしまう今。洋服作製作業にかける時間は深夜しかない状況となっている。

 余裕がない中、ロイの癇癪と「イヤ」の言葉、遊びの要求は日々増えていく。
 困惑から、疲弊していく心。
 いつしか……抱いてはならない感情。「苛立ち」を私自身が抱いていると感じてしまった。

(このままじゃ駄目。ロイが嫌がるのは、私が母として至らないのが原因なのだから。寂しくないように……しっかりしないと……)

 猛省し、自制をしても毎日聞く「イヤ」という単語に抱いてはならない感情が募っていく。
 カレン達から離れ、私からは離れたがらない。嬉しいのだけど、癇癪が常に隣で起こるのだから心は疲弊した。

「イヤ! いやだ! 食べたくない!」

 今日も、作った食事を拒否するロイに、心が折れる音が聞こえた気がした。

(私が……悪いの。ロイに苛立ちを浮かべるなんて、母親失格だ)

 限界だった心、頼ったのは肉親でもある。姉であった。
 文で現状を伝え、弱音を漏らす内容を書き込んでしまう。情けなさと、自身の不甲斐なさに身も心もボロボロだと。

 姉は、文を送った数日後にはやって来てくれた。微笑みを浮かべて。

「ロイ君にもきたのね。この時期が」

「へ……お姉様、何を言って」
 
 ロイは私の手を握ったままお昼寝をしており、起きぬよう小声で姉に問いかける。神妙な私と違って、姉はどこか気楽にさえ見える温和な表情だった。

「まずは、安心しなさい。ロイ君ぐらいの歳の頃はそういった事はよくあるの」

「そ……そうなの?」

「とはいえ、時期的に貴方の夫とのいざこざがキッカケになっているかもね。イヤだと言って、叩かれたのでしょう?」

 そういえばと……思い出す。ジェレドは、拒否をしたロイへ激情を振るった時を。

「だから、不安だったのかもね。お母さんでもある貴方にも、イヤと言ったら叩かれるかもって」

「そんな……私は、ロイにそんな事しない!」

「ええ。でも子供はそんなの分かってくれない。それに、その件はあくまでキッカケよ。今は嫌だと拒否しながら気持ちをコントロールする方法を学んでいる段階なのよ。大丈夫」

 二児の母である姉の言葉には、説得感を感じると共に安心さえ貰える。何よりも欲しかった「大丈夫」という言葉と、現状を理解してくれる人がいるだけで、幸せなのだと思えた。
 安堵から、漏れ出てしまうのは……私自身が抱いてしまった許されない感情についてだった。

「お姉様。私ね、ロイに苛立ちを感じたの。こんな感情、抱いちゃいけないのに……余裕がないからって……」

 弱気、自責の念が漏れ出ると同時に流してしまう涙。誰かに吐き出したかった感情と不安、それを吐き出す事で涙腺が緩くなって、脆く決壊していく。

「私……母親失格だ……」

 こんな姿、姉にもロイにも見せたくない……。


「ぷっふふふ」

 私の弱気の自責とは裏腹に、姉はロイが起きぬように声を抑えながら笑い出す。
 その光景に虚を突かれて啞然としていると、姉は「大丈夫よ」と肩を叩いてくる。

「あんたが失格なら、私は母親追放よ。私なんて上の子がこの歳の頃は毎日苛立って、心の底から怒鳴った時もあったしね。反省と後悔もしたわ」

「だからね」と、姉は言葉を続ける。

「みんな通る道よ、自分を責めずに頼りなさい。少しぐらい適当でもいいの。完璧な母親なんて目指さなくていい。貴方もロイ君と同じ母親二歳児なんだから。いっぱい愚痴って、苛立ちながら……成長していけばいいのよ。子共が生きていれば、母親合格! だから安心しなさい!」

 親指を立てて、私の自責など意に介さず言ってくれる姉。
 その言葉一つ一つが……私の沈んでいた心を引き上げて。溢れんばかりの感謝で、胸を満たしてくれた。

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