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読書と霧雨

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「痛たたた…聖女様、よろしくお願いします」

 聖女の「癒しの公務」の場、青い石壁と床のエクトール神殿の大ホールで、俺、ブロンドの髪の蒼い瞳の「聖女ユウ」は赤いドレスを纏い、この「公務」に臨んでいた。そして負傷した若年の兵士の治療にあたる。

 「落ち着け、今傷を塞ぐ。すぐに痛みもなくなるから」

 俺は、右手にその意思を集中させて、緑の光を手に灯すと、若年兵士の傷にかざす。深くはないが、痛々しい裂傷が、みるみる塞がる。聖女の特殊魔法「緑の光の手」による治癒効果だ。

 俺は丹念に、傷跡の残らないように塞ぎきると、やや出力を落して、傷のあった場所をなぞるように手をかざして、その血色を取り戻させる。

 「聖女様、ありがとうございます」

 若年の兵士は礼を言い、俺のお付の文官イノセントの「これでこの治療は完了です」という宣言で、下級神官たちの手で、別の所に運ばれた。

                     ☆

 「ここも、だいぶ環境が良くなったな」

 俺はお付の文官イノセントに言う。戦乱の時には、ここは野戦病院のような状態で、血の匂いで充満していたが、今はそれは薄れて、普通の治療場となっている。

 負傷者も、以前のような床に敷いたシーツの上ではなく、今は添え付けの簡易寝台で治療を受けている。

 「あなたがた聖女のおかげですよ。負傷者を癒し、戦線に復帰させていくことで、この戦乱は終結しました。今くる負傷者は、戦乱を起こした反乱貴族の兵士の残党の相手をして送られてくる、僅かな人数にすぎません。ここに仕える者として、あなたには感謝していますよ」

 青い文官帽に文官服、銀縁眼鏡の生真面目なイノセントは俺に対して感謝を述べた。

 ここに来た当初は事務的で、愛想笑い一つしなかった彼も、今は穏やかな微笑を浮かべている。俺は、ここでしてきたことが認められたようで、素直にそれを嬉しく思った。

 「これで今日のあなたの公務は終わりです。身を清めて、今後も慈愛の心をお忘れなきようお願いします」

 そういって「では、私はこれで。入り口で、「彼」が待っていますよ」とイノセントは言い、先にこの大ホールから退出する。俺もそれに倣い、大ホールを後にする。入り口には俺の護衛の美剣士セルバートが待っていた。

 「公務はおわったようだな。では、沐浴の間まで貴女を護衛しよう」

 艶のある黒髪の美剣士セルバートは、茶色と白の上下の服に帯剣した姿でそう言い、離れの沐浴の間の入り口まで俺を護衛して送った。

 着替えを用意する係の女官と共に入り口に待機するセルバート。俺は「間違っても入って来ないでくれよ」と釘を刺して、脱衣所に入ると、赤いドレスと下着を脱ぐと、沐浴の間に入った。

                     ☆

 沐浴の間は、四方を蒼い壁に囲まれた、入口の正面上にある、獅子の頭を象った像の口から滝のように流れ出る清い水で、身体を洗い流して清める所だ。

 俺は、豊満な女のこの身体を、丁寧に綺麗に洗い流す。これが自分の身体であることへの違和感も薄れ、今は自然にこの沐浴を済ませている。しかし、自分の身体を洗いつつ、ふと思う事もあった。

 (セルバートも、この付き合いが深くなったら、いつかこの身体を求めるような日がくるのかな…)

 -愛しているよ、聖女ユウ-

 …先日の俺の夢の中での話だが、そう言って、俺に優しく迫って来たセルバートの姿が頭の中で回想される。いかんいかんと、顔を火照らせながらも俺はその回想を頭から打ち消した。

 かつてはそういう思考には悪寒しかしなかったが、今は不思議とそうでもない。

 無論、そういう身体的な関係は互いに望んでない…はずなのだが、一応男と女である。いつかそういう気持ちが芽生えても不思議はないのかも知れない。

 …俺の心も、すっかり女らしくなってきたなと、そう感じた。

 「でもまあ、あの紳士的なセルバートだしな。雪が降ってもそんなことはないか」

 …ここエクトールは温暖で冬はない。無論多少の寒暖の差は日によってはあるが、雪が降るほど寒くはならないと聞いている。

 俺は沐浴を済ますと、脱衣所に女官が用意した、気に入りの赤の上衣と白い長ズボンの、乗馬服風の服装に着替えた。セルバートは、きちんと出入口の外側で、護衛らしく待っていた。

 「お待たせ。これからどうする?また街にでるかい?」

 俺の問いにセルバートは「雨雲が出ている。今日は雨になるな。貴女も今日は神殿でゆっくりするといい」

 と、言うと、俺を神殿での俺の自室まで送り、入口を守るための椅子に腰かけた。俺は部屋で読書をすることにした。窓の外では、彼の言う通り霧のような雨が降っていた。

                      ☆

 …俺が読んだ本は、王女の危機を救う王子のラブロマンス物で、聖女メリーが街で買って読んだものを借りたものだ。

 …内容は、それほど斬新なものではないが、男女の機微が良く書かれていて、その王子の描写は先日ごろつき三人から、俺を守ったセルバートを俺に連想させた。

 本を読み終わった俺は、色々と思うところはあるが、聖女メリーに本を返しに、彼女の部屋に向かう事にした。無論セルバートもその部屋の入り口までついてくる。

 俺はメリーの部屋の前にくると、まずノックをして、彼女の許可を得てその部屋に入った。セルバートは入口で番をする構えだ。

 …メリーの部屋は、華美さはないが、緑色の落ち着いた調度品が多く置かれていた。そのメリーは、今は若草色のワンピース姿だ。

 俺は、彼女に勧められるままに、彼女の腰かけるベッドの隣に少し遠慮がちに腰かけた。

 「メリーの本、面白かったよ。ありがとう」

 俺は素直に感謝を述べて、彼女にその王女と王子のラブロマンスの本を返す。

 「よかった。ユウさんは、あまりこういうのに興味がないかと思ってましたが、気にいってもらえてよかったです」

 緑の髪と瞳をした、色白の、綺麗で可愛い顔のメリーが、その顔に笑顔を浮かべて言う。そして、俺に向かってさらにこう言葉を紡ぐ。

 「ユウさんとセルバートさん、お似合いでいいですね。私にも、素敵な彼氏、欲しいな…」

 「メリーにも見合いの話はきてるんだろう?いい男はいなかったのか?」

 俺の問いに、メリーは困ったように頭を振る。どうやらその眼にかなう人はいなかったようだ。

 「誰もみんな、私の聖女としての名声目当てで、出世の道具くらいにしかみていないのです。私と婚約、結婚すれば箔がつく。そういう意図が、見え見えで、とでも付き合う気にはなれないです」

 …むう、メリーはこんなに可愛いのに、そんな意図でしか見れないとは、ここの貴公子達の目は節穴か?もし俺が男の状態のままここに転生転移していたら、ほっておかないほど、メリーは綺麗だ。なので、俺は少し、メリーを激励することにした。

 「メリーは充分女性として魅力的だ。俺が保証する。だから、きっと君に見合ったいい男が、そのうち現れるさ。だから、間違っても、そんな名声目当ての貴公子になびいちゃ駄目だぞ」

 多少力説するような俺の言は、メリーの心に響いたみたいで、メリーは微笑んで頷いた。そして、彼女は俺に向かってこうもいう。

 「たまにもし、ユウさんが男であったらって思う事があるんです。もちろん私に女同士の友情以上のものはありません。だからもし、私にきちんとした男の恋人ができるのだとしたら、ユウさんみたいな人であったらいいなと思います。本当ですよ?」

 そういって、メリーは俺に片目をつむって見せる。俺は、メリーには必ずいい男が現れると確信してるし、もし変な男が迫るようなら、必ず阻止して見せると固く誓った。そして部屋を辞するまえに俺はメリーにこう言った。

 「もし、男関係で困ったら、いつでも俺に相談してくれ。メリーに妙な男がまとわりつくようなら、俺とセルバートで、きっちり撃退して見せるから」と。今度は俺が、メリーに片目をつむってみせた。

 メリーは緑の瞳を俺に向けて、にっこりとした表情で告げる。

 「はい!その時はよろしくお願いしますね。ユウさんも、セルバートさんとお幸せに」

 …お幸せにって、俺とセルバートはそこまで関係が進んでるわけではないんだが、と言おうとしたが、ツッコミを入れる場面でもないので、俺はそのままメリーの部屋を退出した。

                    ☆

 入口の番をしていたセルバートは俺に「少し長かったかな。いや、悪い意味じゃないんだ。楽しい会話ができたのなら、それでいい」と言ってくれた。

 「セルバートの理想の女性はどんな感じだい?俺もできればそれに合わせたい」

 …何故か口をついてでたのは、そんな言葉。

 俺は見た目は美人だが、正直、作法も良く知らないし、何よりこの男言葉が抜けきれない。セルバートが、そのうち他の女性になびくのではないかと、少し不安になったのかもしれない。

 セルバートは、秀麗な顔を若干赤くしつつも、しかしはっきりと俺にこういい募った。

 「私の心は、今、目の前にいる貴女のものだ。だから貴女はそのままでいいんだ」と。

 俺もこれには赤くなって、何も言い返せなかった。そしてそのまま少し、目線を合わせて見つめ合う。

 互いに赤面しての見つめ合いは、そのまま続くと妙な雰囲気に発展しそうだった。

 それを感じ取ったのかセルバートは「さあ、部屋に戻ろうか。ここに立ちっぱなしは、私でも少しは疲れるからな」と、途中でこれをごまかすように目を逸らして言い、俺もこれに同意した。
 
 二人で俺の部屋の前まで戻ると、セルバートは入口の前にある椅子に腰かけて言った。

 「ここが今の私にとっては特等席だよ」と。

 …この日は霧のような雨の日ではあったが、俺の心は幾分、晴れやかな気分だった。

 たまには雨も悪くはないなと思いつつ、俺は自室のベッドに仰向けに横になった。この先にはどんな日々が待っているのだろうと、淡い期待の気持ちを胸に秘めながら…。



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