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第四章 束の間の休息
束の間の休息 同日 〇九一〇時
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見張り員の声が響き渡った。
「接近しつつある機体は友軍機。繰り返します、友軍機です! 連邦軍の国籍標識を確認しました!」
飛行艇の胴体には連邦軍の国籍マークが描かれているのを、リチャードも双眼鏡を通して確認することが出来た。だがそれ以上に、機体は彼にとって――いや、王国海軍にとって馴染みのあるものであった。
「王国製の、サンダーバード飛行艇です。おそらく援助物資のひとつとして、連邦に引き渡されたものでしょう」
「まさか、こんな所で目にするとは思わなかったわね」
双眼鏡を下ろしたホレイシアは、部下の言葉に頷くと続けて言った。
「しかし、あの連邦軍がわざわざ支援に来るなんてね」
「彼等も、それだけ必死だということなのでしょう」リチャードは姿勢を崩さずに答えた。
百万単位の大兵力を誇る陸軍に対し、連邦海軍は戦艦四隻が中心とかなり小規模である。艦隊の維持を優先すべく元来その活動は低調であったが、帝国軍の侵攻によって、その傾向はより顕著になっていた。軍事予算の大半が陸軍の戦力回復に費やされたうえ、多くの兵員が海軍歩兵となって地上戦に投入されたからだ。このような状況で、積極的な行動をおこなえるはずがない。
「まあ理由はどうであれ、助けてくれるのは有難いわ」
ホレイシアはそう呟くと、戦闘配置の解除と各方面への通達を命じた。〈リヴィングストン〉の羅針艦橋にホッとした空気が流れ、将兵たちは肩の力を抜いていく。だが飛行艇の様子が気になるのか、すぐにその場を離れる者は誰一人としていなかった。
「友軍編隊から音声通信あり。船団指揮船との交信を求めているようです」
ホレイシアは電話員が伝えた通信室からの報告に頷くと、勢いよく座敷に腰を下ろした。大きく溜息とつくと、艦の左後方に目をやって友軍機の様子を見る。先ほどよりも距離はかなり近くなっており、耳をすますとエンジン音らしきものも微かに聞こえ始めていた。
「しかしこれで、昼間の周辺警戒が楽になりますね。飛行機とフネでは、視界の広さがまったく違いますから」
「そうね」
後ろに控えるリチャードの言葉に、ホレイシアは安堵の表情を浮かべて答えた。
例えば高度二〇〇〇メートルから地上や海を見下ろせば、半径九〇キロほどの範囲を監視することが可能だ。あくまで好条件を揃えた場合の理論値だが、その半分の五〇キロでも、〈リヴィングストン〉の見張り員の有効視界(八海里、約一五キロ)の三倍以上になる。
しばらくして、電話員が再び報告してきた。
「友軍機の指揮官が、我が艦にも呼びかけを行っているそうです」
「私たちに?」
「はい」
ホレイシアが驚いた表情で尋ねると、その電話員は首を縦に振った。
「護衛部隊のトップと、直接話がしたいとのことです」
「少し待ってちょうだい」ホレイシアは副長のほうを見た。「私、連邦の言葉は喋れないのだけど……。大丈夫かしら」
「は?」
上官が突然はなった言葉に対し、リチャードは呆れた顔をして答えた。
「こちらの通信室とやりとりは出来ていますから、あちらが我々の言葉で話しかけているのでは?」
「……そう言えばそうね」
ホレイシアは苦笑しながらそう応じると、受話器を手にした。通信室に命じて、友軍編隊の指揮官機へと回線を接続させる。それを待つ間に、彼女は座席の上で姿勢を正していった。
「NA一七船団護衛指揮官、ホレイシア・ヒース中佐であります」
ホレイシアが通話をしている様子を、リチャードほかの艦橋要員は固唾を飲んで見守った。彼女は時おりうなずき、笑みを浮かべながら上空からの来訪者に語りかける。通話に要した時間は、おおよそ二分ほどであった。
「あの編隊も、搭乗員はすべて女性だそうよ。『お互いに頑張りましょう』と言ってくれたわ」
「連邦の苦境は、我々の比ではありませんからね」
受話器を置いたホレイシアの言葉に、リチャードは頷いた。国土が戦場と化している連邦では、かなり早い段階から女性も徴兵対象に含めている。後方勤務だけでなく、最前線での戦闘任務に従事する者も多数存在しているという話を、リチャードは軍の広報誌で目にした覚えがあった。
ホレイシアによれば、四機の飛行艇は周囲に散らばり、船団外縁から一〇海里はなれた場所で哨戒を行うとのことである。翌日には交代要員として、別の編隊がやって来るとも言っているそうだ。
リチャードは安堵の溜息をついた。
「しかし、心強い味方が来てくれましたよ」
「そうね。港に着くまであと二日、それまでなんとかなりそうだわ」
ホレイシアがそう言って頷くと、見張員のひとりが大声を張り上げて報告してきた。
「友軍機、間もなく船団上空を通過します!」
その知らせを聞いた乗組員たちは、一斉に上空へと視線を向けていった。編隊は視認に双眼鏡を必要としないほどにまで近づいてきており、聞こえてくるエンジン音もかなり大きくなっている。
四機の飛行艇は船団の左後方から、菱形の陣形を組んでやってきた。高度は二〇〇メートルほどとかなり低い。〈リヴィングストン〉の三分の一ほどはある巨大な機体が、左右の主翼に二基ずつ取り付けられたレシプロエンジンを轟々とうならせて空の上を進んでいる。
明るい灰色に塗装されているその姿は、さながら海中を優雅に泳ぐ鯨であった。すくなくとも、今この場にいる者たちにとっては間違いなくそうである。編隊が船団の上空に差し掛かった頃、リチャードの周囲にいる将兵たちはその姿を眺めていた。
「おーい!」
しばらくすると、誰かが飛行艇に手を振って呼びかけた。
次第にそれに倣う者が増えていき、なかには軍帽をとって天に突き上げる者や、艦橋に置かれているメガホンを手にして大声で呼びかける者までではじめる。その中には士官も含まれており、リチャードとホレイシアも当然のように加わっていた。艦橋以外の場所からも呼び声が響きはじめ、〈リヴィングストン〉の全体が空からの来訪者に心からの賛辞を送っていた。
おそらく他の船舶でも同じようなことが起こり、上空からその様子が見て取れたのだろう。四機の飛行艇は機体を傾け、主翼を左右に振ることで船団からの歓声に応えていた。
大歓声を浴びつつ船団上空を通過した後、飛行艇たちは編隊を解き、周囲の警戒に当たるべく四方へと飛び去っていった。
「さあ。心強い味方が来てくれたのだし、私たちも頑張るわよ」
その様子をひとしきり眺めたホレイシアは、興奮冷めやらぬ部下たちに視線を向けて言った。
「とりあえず戦闘配置は解除したから、非番の者はいますぐ艦橋から降りてちょうだい。航海はまだ続くのだから、休めるときに休んでおくのよ」
上官の命令を聞くと、将兵たちの何割かはその場を離れるべく身支度を整え始めた。
「副長、あなたも休んできなさい」
「了解しました。では、気を取り直して寝て参ります」
リチャードは敬礼してそう答えるとヘルメットを脱ぎ、自室に向かうべく艦橋を後にしていった。
リチャードが目を覚ましたとき、時計の針は一一三〇時を少し過ぎた辺りを指し示していた。眠りについていたのはおおよそ二時間といったところだろう。
彼はベッドから起き上がると備え付けの艦内電話を手にし、烹炊所へ昼食を用意するよう連絡した。既に調理はあらかた終えていたのだろう、従兵が五分もしないうちに金属盆に食事を載せてやってくる。目玉焼きとベーコンを挟んだサンドイッチに、肉がたっぷり入ったホワイトシチューであった。
リチャードは従兵を下がらせると、少し早めの昼食を楽しんだ。一〇分ほどの時間をかけて完食し、従兵を再び呼んで片付けさせるといったん自室の外に出る。洗面所で顔を洗い、伸びかけている髭を剃るためだ。それが終わると部屋に戻り、身支度を整えて羅針艦橋へと向かっていった。
「艦長、ただいま戻りました」
「お帰りなさい、副長」
駆け寄ってきた部下の挨拶に、ホレイシアは座席に腰かけたまま笑顔で応じる。
「貴方が休んでいる間に、本国からいい知らせが届いたわ」
ホレイシアはそう言うと、リチャードへ一枚の紙を手渡した。
「拝見します」
上官から紙面を受け取ったリチャードは、その内容を一読した。中身は海軍本部から船団に宛てた通信文である。彼は読み進めるうちに片方の眉を吊り上げ、読了すると嬉しそうに言った。「これは、確かにいい知らせですね」
そこには船団を援護すべく出撃している、別働隊からの報告が記されていた。帝国軍水上艦隊の捕捉に成功し、これを殲滅すべく追撃を開始したとのことである。早ければ三時間、遅くとも六時間後には交戦にはいるであろう、とも書かれていた。
リチャードは言った。「発見時刻は〇八〇〇時となっています、なら、戦闘開始は一三〇〇時前後になるでしょうね」
「そうね」
ホレイシアは頷いた。船団へ通達されるまでに時間がかかっているが、これは海軍本部を経由して送られたからである。本国の通信施設で受信すると盗聴防止のため暗号化されている文面が解読され、それを上層部のしかるべき部署あるいは人物が一読して船団に送付することを決定。その文面も同じく暗号化されて発信される――このような手順を踏むため、どうしても一定の手間を要してしまうのだ。
「これで、船団の脅威がまたひとつ減ったわね。それも、一番面倒なものが消えてくれたわ」
ホレイシアがそう言うと、リチャードは呟いた。
「ようやく、安心して眠ることが出来ますね」
「さすがに、そこまで楽観するのはまだ無理よ」
ホレイシアは苦笑しつつそう答えると、リチャードとの間で交代に伴う業務の引き継ぎを開始した。彼女によれば、飛行艇からの報告も含めて周囲に敵らしき反応は発見されていないとのことである。船団の状況も、隊列に多少のバラつきがあるだけで航行にそれほど支障はない。
「それでは、交代いたします。ゆっくりお休みください」
「分かったわ。宜しく頼むわね」
ホレイシアは副長の言葉に頷くと、席を離れて艦橋を後にした。
リチャードは敬礼して彼女を見送ると、そのまま〈リヴィングストン〉の左舷後方に目を向けた。視線の先に広がる船団の様子を観察すべく、双眼鏡を構えてみる。奥行き一〇海里におよぶ全体像を一目で見るのはさすがに無理だが、彼は可能な限り現状を確認しようと努力した。
NA一七船団の本隊は、一見するとそれまで通りの調子で連邦への航海を続けているようにみえなくもない。相変わらず悪天候と荒ぶる海を敵として、吹き付ける強烈な波風に揉まれながら前へ進んでいる。だが所属船舶の四分の一を失ったその隊列は、よく観察してみるとあちこちに穴が開いていた。
本来ならば、船舶の喪失によって生じた隙間をただちに埋めて、陣形の再編と隊列の縮小を図るべきところである。船団を小さくすればそれだけ遠くの敵から目視される確率が低下するし、なにより一隻あたりの担当する警戒範囲が狭くなるため護衛の負担も軽減できるからだ。だが、船団司令官はこの点について特段の指示を出していない。ただしこれは司令官が無能という訳ではなく、集団行動に不慣れな船長たちに混乱を招くことを、彼が懸念したからであった。
「副長」
不意にそう呼びかけられたリチャードは、双眼鏡を下ろして視線を巡らせた。声の主は当直士官を務めている、水雷長のエリカ・ハワード大尉である。
「間もなく、当直交代の時刻です」
「了解。もうそんな時間か」
驚いたリチャードはそう答えると、腕時計に目をやった。午前の当直が終わるまで、残り五分ほどになっているのが確認できる。
それから間もなくして、ラッタルを登る交代要員たちの足音が聞こえてきた。彼女たちは寒さに身を震わせながら艦橋にはいり、配置についている前任者のもとに向かって引き継ぎを開始する。引き継ぎは、おおむね三分ほどで終了した。
「副長、当直交代いたしました。これより配置につきます」
午後の当直を担当する新たな当直士官――パークス大尉がそう申告すると、リチャードはよろしく頼むと言って頷いた。そして配置についた部下たちの様子を観察すべく、艦橋全体にゆっくりと視線を巡らせていく。
将兵たちは相変わらず疲れをあらわにしていたが、その表情は朝方と比べて変化が生じていた。その瞳には光が宿り、誰もが表情を明るくしている。味方との合流という予想外の慶事が、乗組員たちに希望と活力をもたらしたのだ。
「〈レスリー〉より発光信号!」
しばらくすると、左舷見張員のひとりが大声をあげてそう知らせてくる。
報告を聞いたリチャードは、さっと海上に目を向けて双眼鏡を構えた。〈リヴィングストン〉の左後方、おおよそ六海里の遠方に位置する僚艦〈レスリー〉の小さな艦影が目にはいる。見張員の報告通り、カチカチと光を点滅させてこちらにモールス信号を送っていた。
固定式の大型双眼鏡に押し付けたまま、見張員は続けて言った。
「『〈レスリー〉より〈リヴィングストン〉へ 一部区画の排水に成功せり、ただいま速力一五ノットまで発揮可能』 以上です」
「了解」
リチャードが頷いて応じると、海図台の前に立っているパークス大尉が呟いた。
「〈レスリー〉の乗組員たち、かなり苦労したでしょうね」
「だろうな。まったく大したものだよ」
リチャードは感嘆の溜息をもらしてそう答えた。実際は、苦労したどころの話ではない、何しろこの寒さのなか、しかも波風で揺さぶられ続ける艦内で復旧作業を進めなければならないのだ。部分的にとはいえそれを成し遂げた将兵たちには、ただただ賞賛の言葉を贈るよりない。
その後、リチャードは艦長室にいるホレイシアに艦内電話で報告した。彼女は驚きつつもこの知らせに喜び、引き続き作業に尽力するよう指示して〈レスリー〉の艦長と乗組員に対する賛辞を口にする。リチャードは直ちに信号員へ命じて、上官の言葉を発光信号で僚艦に伝達させた。
「接近しつつある機体は友軍機。繰り返します、友軍機です! 連邦軍の国籍標識を確認しました!」
飛行艇の胴体には連邦軍の国籍マークが描かれているのを、リチャードも双眼鏡を通して確認することが出来た。だがそれ以上に、機体は彼にとって――いや、王国海軍にとって馴染みのあるものであった。
「王国製の、サンダーバード飛行艇です。おそらく援助物資のひとつとして、連邦に引き渡されたものでしょう」
「まさか、こんな所で目にするとは思わなかったわね」
双眼鏡を下ろしたホレイシアは、部下の言葉に頷くと続けて言った。
「しかし、あの連邦軍がわざわざ支援に来るなんてね」
「彼等も、それだけ必死だということなのでしょう」リチャードは姿勢を崩さずに答えた。
百万単位の大兵力を誇る陸軍に対し、連邦海軍は戦艦四隻が中心とかなり小規模である。艦隊の維持を優先すべく元来その活動は低調であったが、帝国軍の侵攻によって、その傾向はより顕著になっていた。軍事予算の大半が陸軍の戦力回復に費やされたうえ、多くの兵員が海軍歩兵となって地上戦に投入されたからだ。このような状況で、積極的な行動をおこなえるはずがない。
「まあ理由はどうであれ、助けてくれるのは有難いわ」
ホレイシアはそう呟くと、戦闘配置の解除と各方面への通達を命じた。〈リヴィングストン〉の羅針艦橋にホッとした空気が流れ、将兵たちは肩の力を抜いていく。だが飛行艇の様子が気になるのか、すぐにその場を離れる者は誰一人としていなかった。
「友軍編隊から音声通信あり。船団指揮船との交信を求めているようです」
ホレイシアは電話員が伝えた通信室からの報告に頷くと、勢いよく座敷に腰を下ろした。大きく溜息とつくと、艦の左後方に目をやって友軍機の様子を見る。先ほどよりも距離はかなり近くなっており、耳をすますとエンジン音らしきものも微かに聞こえ始めていた。
「しかしこれで、昼間の周辺警戒が楽になりますね。飛行機とフネでは、視界の広さがまったく違いますから」
「そうね」
後ろに控えるリチャードの言葉に、ホレイシアは安堵の表情を浮かべて答えた。
例えば高度二〇〇〇メートルから地上や海を見下ろせば、半径九〇キロほどの範囲を監視することが可能だ。あくまで好条件を揃えた場合の理論値だが、その半分の五〇キロでも、〈リヴィングストン〉の見張り員の有効視界(八海里、約一五キロ)の三倍以上になる。
しばらくして、電話員が再び報告してきた。
「友軍機の指揮官が、我が艦にも呼びかけを行っているそうです」
「私たちに?」
「はい」
ホレイシアが驚いた表情で尋ねると、その電話員は首を縦に振った。
「護衛部隊のトップと、直接話がしたいとのことです」
「少し待ってちょうだい」ホレイシアは副長のほうを見た。「私、連邦の言葉は喋れないのだけど……。大丈夫かしら」
「は?」
上官が突然はなった言葉に対し、リチャードは呆れた顔をして答えた。
「こちらの通信室とやりとりは出来ていますから、あちらが我々の言葉で話しかけているのでは?」
「……そう言えばそうね」
ホレイシアは苦笑しながらそう応じると、受話器を手にした。通信室に命じて、友軍編隊の指揮官機へと回線を接続させる。それを待つ間に、彼女は座席の上で姿勢を正していった。
「NA一七船団護衛指揮官、ホレイシア・ヒース中佐であります」
ホレイシアが通話をしている様子を、リチャードほかの艦橋要員は固唾を飲んで見守った。彼女は時おりうなずき、笑みを浮かべながら上空からの来訪者に語りかける。通話に要した時間は、おおよそ二分ほどであった。
「あの編隊も、搭乗員はすべて女性だそうよ。『お互いに頑張りましょう』と言ってくれたわ」
「連邦の苦境は、我々の比ではありませんからね」
受話器を置いたホレイシアの言葉に、リチャードは頷いた。国土が戦場と化している連邦では、かなり早い段階から女性も徴兵対象に含めている。後方勤務だけでなく、最前線での戦闘任務に従事する者も多数存在しているという話を、リチャードは軍の広報誌で目にした覚えがあった。
ホレイシアによれば、四機の飛行艇は周囲に散らばり、船団外縁から一〇海里はなれた場所で哨戒を行うとのことである。翌日には交代要員として、別の編隊がやって来るとも言っているそうだ。
リチャードは安堵の溜息をついた。
「しかし、心強い味方が来てくれましたよ」
「そうね。港に着くまであと二日、それまでなんとかなりそうだわ」
ホレイシアがそう言って頷くと、見張員のひとりが大声を張り上げて報告してきた。
「友軍機、間もなく船団上空を通過します!」
その知らせを聞いた乗組員たちは、一斉に上空へと視線を向けていった。編隊は視認に双眼鏡を必要としないほどにまで近づいてきており、聞こえてくるエンジン音もかなり大きくなっている。
四機の飛行艇は船団の左後方から、菱形の陣形を組んでやってきた。高度は二〇〇メートルほどとかなり低い。〈リヴィングストン〉の三分の一ほどはある巨大な機体が、左右の主翼に二基ずつ取り付けられたレシプロエンジンを轟々とうならせて空の上を進んでいる。
明るい灰色に塗装されているその姿は、さながら海中を優雅に泳ぐ鯨であった。すくなくとも、今この場にいる者たちにとっては間違いなくそうである。編隊が船団の上空に差し掛かった頃、リチャードの周囲にいる将兵たちはその姿を眺めていた。
「おーい!」
しばらくすると、誰かが飛行艇に手を振って呼びかけた。
次第にそれに倣う者が増えていき、なかには軍帽をとって天に突き上げる者や、艦橋に置かれているメガホンを手にして大声で呼びかける者までではじめる。その中には士官も含まれており、リチャードとホレイシアも当然のように加わっていた。艦橋以外の場所からも呼び声が響きはじめ、〈リヴィングストン〉の全体が空からの来訪者に心からの賛辞を送っていた。
おそらく他の船舶でも同じようなことが起こり、上空からその様子が見て取れたのだろう。四機の飛行艇は機体を傾け、主翼を左右に振ることで船団からの歓声に応えていた。
大歓声を浴びつつ船団上空を通過した後、飛行艇たちは編隊を解き、周囲の警戒に当たるべく四方へと飛び去っていった。
「さあ。心強い味方が来てくれたのだし、私たちも頑張るわよ」
その様子をひとしきり眺めたホレイシアは、興奮冷めやらぬ部下たちに視線を向けて言った。
「とりあえず戦闘配置は解除したから、非番の者はいますぐ艦橋から降りてちょうだい。航海はまだ続くのだから、休めるときに休んでおくのよ」
上官の命令を聞くと、将兵たちの何割かはその場を離れるべく身支度を整え始めた。
「副長、あなたも休んできなさい」
「了解しました。では、気を取り直して寝て参ります」
リチャードは敬礼してそう答えるとヘルメットを脱ぎ、自室に向かうべく艦橋を後にしていった。
リチャードが目を覚ましたとき、時計の針は一一三〇時を少し過ぎた辺りを指し示していた。眠りについていたのはおおよそ二時間といったところだろう。
彼はベッドから起き上がると備え付けの艦内電話を手にし、烹炊所へ昼食を用意するよう連絡した。既に調理はあらかた終えていたのだろう、従兵が五分もしないうちに金属盆に食事を載せてやってくる。目玉焼きとベーコンを挟んだサンドイッチに、肉がたっぷり入ったホワイトシチューであった。
リチャードは従兵を下がらせると、少し早めの昼食を楽しんだ。一〇分ほどの時間をかけて完食し、従兵を再び呼んで片付けさせるといったん自室の外に出る。洗面所で顔を洗い、伸びかけている髭を剃るためだ。それが終わると部屋に戻り、身支度を整えて羅針艦橋へと向かっていった。
「艦長、ただいま戻りました」
「お帰りなさい、副長」
駆け寄ってきた部下の挨拶に、ホレイシアは座席に腰かけたまま笑顔で応じる。
「貴方が休んでいる間に、本国からいい知らせが届いたわ」
ホレイシアはそう言うと、リチャードへ一枚の紙を手渡した。
「拝見します」
上官から紙面を受け取ったリチャードは、その内容を一読した。中身は海軍本部から船団に宛てた通信文である。彼は読み進めるうちに片方の眉を吊り上げ、読了すると嬉しそうに言った。「これは、確かにいい知らせですね」
そこには船団を援護すべく出撃している、別働隊からの報告が記されていた。帝国軍水上艦隊の捕捉に成功し、これを殲滅すべく追撃を開始したとのことである。早ければ三時間、遅くとも六時間後には交戦にはいるであろう、とも書かれていた。
リチャードは言った。「発見時刻は〇八〇〇時となっています、なら、戦闘開始は一三〇〇時前後になるでしょうね」
「そうね」
ホレイシアは頷いた。船団へ通達されるまでに時間がかかっているが、これは海軍本部を経由して送られたからである。本国の通信施設で受信すると盗聴防止のため暗号化されている文面が解読され、それを上層部のしかるべき部署あるいは人物が一読して船団に送付することを決定。その文面も同じく暗号化されて発信される――このような手順を踏むため、どうしても一定の手間を要してしまうのだ。
「これで、船団の脅威がまたひとつ減ったわね。それも、一番面倒なものが消えてくれたわ」
ホレイシアがそう言うと、リチャードは呟いた。
「ようやく、安心して眠ることが出来ますね」
「さすがに、そこまで楽観するのはまだ無理よ」
ホレイシアは苦笑しつつそう答えると、リチャードとの間で交代に伴う業務の引き継ぎを開始した。彼女によれば、飛行艇からの報告も含めて周囲に敵らしき反応は発見されていないとのことである。船団の状況も、隊列に多少のバラつきがあるだけで航行にそれほど支障はない。
「それでは、交代いたします。ゆっくりお休みください」
「分かったわ。宜しく頼むわね」
ホレイシアは副長の言葉に頷くと、席を離れて艦橋を後にした。
リチャードは敬礼して彼女を見送ると、そのまま〈リヴィングストン〉の左舷後方に目を向けた。視線の先に広がる船団の様子を観察すべく、双眼鏡を構えてみる。奥行き一〇海里におよぶ全体像を一目で見るのはさすがに無理だが、彼は可能な限り現状を確認しようと努力した。
NA一七船団の本隊は、一見するとそれまで通りの調子で連邦への航海を続けているようにみえなくもない。相変わらず悪天候と荒ぶる海を敵として、吹き付ける強烈な波風に揉まれながら前へ進んでいる。だが所属船舶の四分の一を失ったその隊列は、よく観察してみるとあちこちに穴が開いていた。
本来ならば、船舶の喪失によって生じた隙間をただちに埋めて、陣形の再編と隊列の縮小を図るべきところである。船団を小さくすればそれだけ遠くの敵から目視される確率が低下するし、なにより一隻あたりの担当する警戒範囲が狭くなるため護衛の負担も軽減できるからだ。だが、船団司令官はこの点について特段の指示を出していない。ただしこれは司令官が無能という訳ではなく、集団行動に不慣れな船長たちに混乱を招くことを、彼が懸念したからであった。
「副長」
不意にそう呼びかけられたリチャードは、双眼鏡を下ろして視線を巡らせた。声の主は当直士官を務めている、水雷長のエリカ・ハワード大尉である。
「間もなく、当直交代の時刻です」
「了解。もうそんな時間か」
驚いたリチャードはそう答えると、腕時計に目をやった。午前の当直が終わるまで、残り五分ほどになっているのが確認できる。
それから間もなくして、ラッタルを登る交代要員たちの足音が聞こえてきた。彼女たちは寒さに身を震わせながら艦橋にはいり、配置についている前任者のもとに向かって引き継ぎを開始する。引き継ぎは、おおむね三分ほどで終了した。
「副長、当直交代いたしました。これより配置につきます」
午後の当直を担当する新たな当直士官――パークス大尉がそう申告すると、リチャードはよろしく頼むと言って頷いた。そして配置についた部下たちの様子を観察すべく、艦橋全体にゆっくりと視線を巡らせていく。
将兵たちは相変わらず疲れをあらわにしていたが、その表情は朝方と比べて変化が生じていた。その瞳には光が宿り、誰もが表情を明るくしている。味方との合流という予想外の慶事が、乗組員たちに希望と活力をもたらしたのだ。
「〈レスリー〉より発光信号!」
しばらくすると、左舷見張員のひとりが大声をあげてそう知らせてくる。
報告を聞いたリチャードは、さっと海上に目を向けて双眼鏡を構えた。〈リヴィングストン〉の左後方、おおよそ六海里の遠方に位置する僚艦〈レスリー〉の小さな艦影が目にはいる。見張員の報告通り、カチカチと光を点滅させてこちらにモールス信号を送っていた。
固定式の大型双眼鏡に押し付けたまま、見張員は続けて言った。
「『〈レスリー〉より〈リヴィングストン〉へ 一部区画の排水に成功せり、ただいま速力一五ノットまで発揮可能』 以上です」
「了解」
リチャードが頷いて応じると、海図台の前に立っているパークス大尉が呟いた。
「〈レスリー〉の乗組員たち、かなり苦労したでしょうね」
「だろうな。まったく大したものだよ」
リチャードは感嘆の溜息をもらしてそう答えた。実際は、苦労したどころの話ではない、何しろこの寒さのなか、しかも波風で揺さぶられ続ける艦内で復旧作業を進めなければならないのだ。部分的にとはいえそれを成し遂げた将兵たちには、ただただ賞賛の言葉を贈るよりない。
その後、リチャードは艦長室にいるホレイシアに艦内電話で報告した。彼女は驚きつつもこの知らせに喜び、引き続き作業に尽力するよう指示して〈レスリー〉の艦長と乗組員に対する賛辞を口にする。リチャードは直ちに信号員へ命じて、上官の言葉を発光信号で僚艦に伝達させた。
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第8回歴史時代小説参加しました!
札束艦隊
蒼 飛雲
歴史・時代
生まれついての勝負師。
あるいは、根っからのギャンブラー。
札田場敏太(さつたば・びんた)はそんな自身の本能に引きずられるようにして魑魅魍魎が跋扈する、世界のマーケットにその身を投じる。
時は流れ、世界はその混沌の度を増していく。
そのような中、敏太は将来の日米関係に危惧を抱くようになる。
亡国を回避すべく、彼は金の力で帝国海軍の強化に乗り出す。
戦艦の高速化、ついでに出来の悪い四姉妹は四一センチ砲搭載戦艦に改装。
マル三計画で「翔鶴」型空母三番艦それに四番艦の追加建造。
マル四計画では戦時急造型空母を三隻新造。
高オクタン価ガソリン製造プラントもまるごと買い取り。
科学技術の低さもそれに工業力の貧弱さも、金さえあればどうにか出来る!
徳川家基、不本意!
克全
歴史・時代
幻の11代将軍、徳川家基が生き残っていたらどのような世の中になっていたのか?田沼意次に取立てられて、徳川家基の住む西之丸御納戸役となっていた長谷川平蔵が、田沼意次ではなく徳川家基に取り入って出世しようとしていたらどうなっていたのか?徳川家治が、次々と死んでいく自分の子供の死因に疑念を持っていたらどうなっていたのか、そのような事を考えて創作してみました。
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