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第三章 見えざる敵

ソナーに感あり   同日 一二二四時

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「……気にしなくていいわ、サリー。砲員たちにもよろしく伝えてちょうだい。以上よ」
 謝罪の言葉を繰り返す砲術長を落ち着かせると、ホレイシアは受話器を元の位置に戻した。
 〈リヴィングストン〉の艦橋も、全体が重苦しい空気に包まれていた。名実共に初の一撃が空振りとなった事実に、女性乗組員たちはすっかり意気消沈している。
 いっぽうホレイシアとリチャードの様子は、これまでと特に変わらなかった。幹部まで暗い顔をする訳にはいかないからだが、リチャードの場合はこういった事態に慣れているという理由もある。いちいち悲しんでいてはキリがないのだ。
 沈黙をやぶったのは、航海長のシモンズ大尉であった。
「艦長、これからどうするんですか?」
「決まってるわ」
 恐る恐るたずねてきた部下に、ホレイシアはきっぱりと断言した。
「私たちの任務は船団の護衛で、あの潜水艦は船団を狙っているのよ? 追撃以外の選択肢なんて存在しないわ」
「ですがどうやって、姿の見えない敵を追いかけるんです?」シモンズ大尉はなおも尋ねた。「潜航地点はソナーの有効範囲外です。これじゃあ、どこに向かうのかも分かりませんよ?」
 顔を青くした部下を無視して、ホレイシアは座席から立ち上がった。海図台のほうへ歩き、シモンズ大尉の横でそれを眺める。大尉のほうは依然として不安そうであった。
 リチャードは航海長の態度を、内心で苦々しく思った。
 ハッキリ言って、彼女の挙動は士官らしさが欠片もない。指揮官の挙動不審は部下たちに悪影響を与えるし、上官に対する批判めいた物言いなど論外だ。必要に応じた助言ならまだしも、ただ問題点をあげつらうだけでは部隊の結束にひびを入れかねない。無能扱いされる人の下で働きたがる兵はいないし、上官もみずからの手腕に自信を失ってしまう。
 ひと段落ついた所で、彼女にくぎを刺しておこう。リチャードがそう考えていると、不意にホレイシアが口を開いた。
「ジェシー。このまま進んだ場合、潜航前の敵針路と交差するのは何分後かしら?」
「交差、ですか?」
シモンズ大尉はさっと海図に目をやって答えた。
「八分後になります」
「分かったわ」
 ホレイシアは頷くと座席へ戻り、そこに腰かけると大尉に命じた。
「針路および速力そのまま。交差地点の手前、距離一海里半で前進原速(一二ノット)とし、ソナーによる対潜捜索を実施します」
「えっ」
 シモンズ大尉はそう呟くと、ホレイシアに反論した。
「艦長、目標がそれまでの針路を維持するとは限りません。このまま進んでも見失う可能性があります!」
 彼女の態度に、リチャードは思わず声を荒げて言った。
「おい航海長、いい加減に……」
「大丈夫よ」
 ホレイシアは右手を挙げて副長を制すると、シモンズ大尉のほうを向いて彼女の目を見据えた。
「航海長、復唱を」
「……針路および速力そのまま。交差地点の手前、距離一海里半で前進原速。了解しました」
 シモンズ大尉は不安そうな顔のまま、命令を繰り返す。航海士がそれを聞いて頷いた後に、ホレイシアが言葉を続けた。
「ジェシー、潜水艦の水中速力はそれほどじゃないわ。このまま全速力で進めば、ソナーの探知圏内に捉えられるはずよ」
「大角度の変針で、あらぬ方角に逃走するかもしれません」
「可能性は否定できないけれど、それはそれで構わないわ。そうよね、副長?」
 ホレイシアはそう言いながら、後ろに立つ副長に目をやった。リチャードはよどみない口調で質問に答える。
「彼我の位置から考えて、敵が船団へ接近するにはかなりの時間を要するでしょう。最短ルートを全速で抜けても、タイミング的にはギリギリになるはずです」
 リチャードは続けていった。
 左右どちらに舵をきるにしろ、針路を変えればそれだけ遠回りのルートを進むことになります。選択を誤れば船団に追いつくのが困難となり、敵の艦長は攻撃を断念するか、あるいは仕切り直すかの決断を迫られます。
 我々にとって最も喜ばしいのは、攻撃を断念することです。船団の脅威がひとつ、確実に消滅しますからね。仕切り直す場合も船団からいったん離れますので、再度接近するまでの時間をこちらは稼ぐことが可能です。どちらのケースに至ったとしても、護衛側の損にはなりません。
「分かって貰えたかしら?」
 説明が終わると、ホレイシアはシモンズ大尉へ諭すように言った。
「私は素人も同然だけど、それでも私なりに考えて指示しているわ。安心して――とまでは言えないけれど、私の事を信じてちょうだい」
「……はい、艦長。すみませんでした」
 シモンズ大尉が申し訳なさそうに呟くと、ホレイシアは「いいのよ」と答えて微笑んだ。続けて、彼女は右舷側に立つ対潜長へ命じる。
「フレデリカ、対潜攻撃用意。いつでも動けるようにね」
 しばらくして、リチャードは遠くから何か聞こえてくるのに気が付いた。風が吹く轟音に紛れて分かりにくいが、おおきな太鼓をゆっくり叩くような響きが〈リヴィングストン〉の右後方から流れてくる。
「爆雷攻撃らしき水柱多数。三時方向、八海里にあり」
「始まったようね」
 見張り員が報告すると、ホレイシアはそう小さく呟いた。〈レックス〉〈ゲール〉の両艦が、爆雷攻撃を開始したのだ。
「次は、私たちの番よ」

 ソナーとは音波を用いて、水中を探査する装置だ。利用する音波の特性によって、アクティブ・ソナーとパッシブ・ソナーの二種類に分けられる。
 まずアクティブ・ソナー(音波探信儀あるいは探信儀)。音波をはなつ発振体と集音マイクからなっており、その役割と構造は水中版のレーダーといえる。探信音と称される超音波を発振、物体に当たった後の反射を捉えて、その方位と距離、深度を測定する事が可能だ。
 次にパッシブ・ソナー(水中聴音機または聴音機)は名前のとおり、水中を飛び交う音を『聴く』ことで周囲を捜索する。レーダーに対する逆探のようなものであり、アクティブ・ソナーと違ってみずから音波は発しない。一〇個以上のマイクを円形に並べた装置で、どのマイクが音を拾ったかを聞き分けて音源の方位を特定する。音を聞き取るだけのため、(反射の時間を計測できる探信儀とはちがい)距離の判別は不可能だ。
 ふたつのソナーは一長一短の特性を有しているため、どちらが特に優秀とは一概に言えない。
 たとえば探知精度の点からいえば、距離も測定可能な探信儀が優れている。だが捜索中であることを察知されるリスクについては――レーダーと逆探の関係性と同様、受信のみに徹する聴音機に軍配があがる。また超音波は減衰率が高く、探信儀の有効範囲は聴音機の半分ほどだ。
 そのため、王国海軍では駆逐艦などの対潜戦闘を担うフネに探信儀を載せ、戦艦や空母といった大型艦、輸送艦をはじめとする補助艦艇、そして潜水艦には聴音機を装備させるという風に使い分けている。前者は攻撃時に正確な情報が求められるのに対し、護衛対象となる後者は、『敵の有無』を判別できればよいとされたのだ。(潜水艦が聴音機を搭載するのは、探信儀を使用すると位置が露呈してしまうからである)
 ちなみに〈リヴィングストン〉の装備する探信儀は、速力一二ノットで三〇〇〇メートル、一八ノットで一〇〇〇メートルの探知能力を有している。速力によって範囲に差が生じるのは、機関やスクリューといった艦自身の発する雑音が大きくなって聴音を阻害するからだ。また速度にかかわらずスクリュー音が邪魔して後方は探知できず、雑音の影響から対象が近づくほど、探知精度が低くなる傾向がある。
 このように制約の多い機材を用いて、ホレイシアたちは敵潜水艦を見つけるのだ。

 駆逐艦〈リヴィングストン〉のソナー室は、羅針艦橋に置かれている。右舷前方の角にある木造の小さなスペースだ。ひとり分のスペースしかないそれは、部屋ではなく『箱』と呼ぶべきかもしれない。ウィリアム・コックス一等兵曹がリーダーを務める、対潜科ソナー班が運用・管理を一手に引き受けている。
 コックス兵曹は二人しかいない、男性乗組員の片割れだ。副長を勤めるリチャードとは同年齢――二三歳だが、軍歴はコックスのほうがずっと長い。現在はソナー室の傍で、上官であるフレデリカ・パークス大尉や、数名の部下とともに待機している。
 コックスは床から伝わる振動が、徐々に弱くなりだした事に気づいた。速度を下げるべく、機関の出力が落とされたのである。艦長の指定した位置に達したのだ。
「艦長、速力一二ノットとなしました」
「ありがとう」
 航海長の報告に、返事をしたのはホレイシアであった。頷いた彼女は、続いてパークス大尉のほうを見る。
「フレデリカ、捜索開始」
「了解です……。兵曹、まかせたわよ」
「まかされました」
 コックスは上官の言葉に頷くと、ソナー室の入口にあるカーテンを開いた。配置についていた水兵と交代し、彼は座席に腰を下ろす。
 肩幅より少し広い程度のスペースの中で、コックスは準備を開始した。正面にある操作盤に設けられた、いくつかのスイッチを押していく。円形のモニターがうっすら光り始め、ソナーが起動したのを確認すると、備え付けのヘッドフォンを装着した。
「……よし」
 コックスは小さく呟いた。海中にあるマイクが機能していることを示す、ノイズ音がヘッドフォンから漏れ出していた。
「では、始めます」
 コックスはパークス大尉に、そう告げてカーテンを閉じた。ただし、まだ探信音は発振しない。探信儀は集音マイクをひとつ備えており、走査範囲は限定されるが聴音機の代わりにすることも可能である。まず聴音で目標の大まかな方位を把握し、そのうえで正確な位置を割り出すのだ。コックスはヘッドフォンのほうに、自らの意識を集中した。
 残念なことに、海中に広がる世界は全くの静寂に包まれていた。聞こえてくるのはノイズだけで、クジラの鳴き声すら耳に入らない。コックスは無言のまま、今度はモニター下にあるハンドルを掴んだ。両手に力を込めて右に回し、艦底部に設けられたソナー本体の向きを変えてみる。集音マイクが捉えたのは、またしても雑音だけだ。
 しかしコックスは結果を知っても、愚痴ひとつこぼさなかった。彼はハンドル操作をくりかえして、周囲の音を丁寧に、かつ根気づよく聞き分けつづけた。

 状況に変化が生じたのは、捜索をはじめて一分以上あとの事であった。
 不意に『それ』を捉えたコックスは、肩をピクリと動かした。ノイズに紛れて分かりにくいが、明らかにテンポの異なる小さな音がヘッドフォンから漏れ出ている。その正体をはっきりさせるべく、操作盤のつまみを回して音量を大きくした。
 聞こえてきたのはカタカタカタという、タイプライターを連打するような金属質の響きであった。コックスにとっては開戦以来、幾度も戦場で耳にした音だ。
「本艦潜水艦のモーター音らしきもの。本艦の正面、距離不明」
 コックスは備え付けのマイクを持ち、艦橋要員にこのことを知らせた。スピーカーから発せられた報告に、艦橋はすぐさま緊張感に包まれる。声こそ出さなかったが、その場の将兵たちは不安そうに互いの顔を見合わせていた。
 周囲の慌ただしさとは対照的に、コックスは自らが得た情報を冷静に分析した。
(意外に音が小さいな)
 船団への攻撃を諦めていない場合、敵の位置はそれほど遠くないだろうと彼は考えていた。潜水艦の水中速度は、前述のとおり遅いからだ。航行音もそれなりの大きさで捉えられると踏んでいたのだが、実際には音量調整を経て、ようやく判別できるレベルでしかない。
 敵は追撃の手を逃れるべく、何かしらの対策を講じたのだろう。大きく舵を切って探知圏外へ逃れようとしたか、音源であるモーターの出力を抑えたか、あるいは海中の奥深くへ潜ったか。おそらくこの三点のいずれかであるが、大まかな方位しか分からない現状では判断できない。
(まあ、調べてみれば分かる事だ)
 コックスは内心でそう呟くと、再び伝声管をもちいて外の上官たちに伝えた。
「探信音を放ちます」
 彼はそう言うと、操作盤に設けられたスイッチのひとつに手を伸ばした。

  ピィーン

 その響きから『ピンガー』とも呼ばれる、甲高い探信音がヘッドフォンから聞こえてきた。コックスは注意ぶかく耳を傾けるが、目標発見を示す反射音は聞こえてこない。探知情報を表示するモニターも、なんの反応も示さなかった。

  ピィーン

彼は探信儀の向きを微調整しつつ、発振を何度か繰り返した。

  ピィーン

  ピィーン

  ピィーン、ピィーン

 集音マイクが反射音を捉えた瞬間をコックスは聞き逃さなかった。モニターに表示された情報を素早くチェックし、そこから位置を計算して報告の声をあげた。
「ソナーに感あり。本艦より右八度、距離一・三海里、深度九〇」
 敵は潜航深度を提げるつもりなのかと、リチャードは知らせつつ思った。潜水艦の潜航可能深度は二〇〇メートル前後だが、通常は二〇~五〇メートルの範囲で済ませる場合が多い。水圧で船体に負担をかける深深度へ向かうことを、艦長たちは避けたがるのだ。
 報告からすこし間をあけて、カーテンが開けられる音が聞こえてきた。コックスが横を向くと、パークス大尉がそこから顔を見せている。
「兵曹、引き続き目標を捕捉。針路と速力を割り出してちょうだい」
「分かりました」
 コックスは頷くと、すぐさま操作盤のほうに意識を集中させた。
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