異世界ワンルームは家賃19,000円

寺場 糸

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腐れ大学生の物見遊山編

第33話 毒だからこそ煙草を吸うのだ

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 翌朝。

 スマホの時刻表示を見ながら、私はケンネの迎えを待っていた。

 待ち受けの日時計が「三の刻」を表示してから、既に数十分が経過したかと思われる。

 私は待ちぼうけをくらっていた。

 いつぞやに述べた通り、この世界の時間周期は現世の24時間よりもずっと長い。ガッツリと昼寝を挟まないと、夜まで体力が保たないくらいには、長い。

 それでもって困ったことに、この世界には細かな時間単位というものが存在しないのだ。

 一日を10の刻で区切ってはいるものの、その間に挟まる分や秒のようなものは、少なくとも時計上には見られない。

 だから、「三の刻にお迎えにあがります」と言われても、それが三の刻ちょうどのことなのか、あるいは三と四の刻の中間あたりなのか判然としない。

 恐らく、この世界の住民は、一日の時間周期が長く、考える時間が多いがゆえに、色々なことに対しておおらかなのであろう。

 現世では講義やバイトに遅刻しがちだった私ですら、ついていけないほどのルーズさである。

 とはいっても、ぷりぷりと腹を立ててもどうにもならん。郷に入れば郷に従え、である。

 私は喫煙所のベランダで、ぷかぷか煙草を吹かしながら、迎えが来るのを待っていた。

 三本目に火をつけた頃に、城壁のほうから、何かが飛んでくるのが見えた。

 洒落た小物入れみたいな乗り物だった。

 陶器のような白地に、模様のように、ところどころに文字が見える。魔術を発揮している合図なのか、ホタルのように明滅していた。

 符で出来た後尾をふわりふわりとはためかせながら、こちらへ向かってくる。上にはケンネだけが乗っていた。

 彼女は、今日も化粧がバッチリと決まっていた。

「良い朝を過ごされていますね、イナバさま。お迎えにあがりました」

 彼女はベランダの正面に飛行艇を停め、私に挨拶をした。

 私は煙草を口に咥え、両の手のひらを見せた。

「すいません。まだ、火をつけたばかりです。もう少し待ってください」

「ええ。構いませんよ。それは……kuīを、食べているのですか?」

 彼女は、私の手元を見ながら尋ねた。喫煙文化は、この世界に存在しないらしい。

「煙を、吸っています。Tabakoという。私の世界の文化にある、あー、気持ちを良くするための、物といったところです」

 嗜好品という言葉が出てこなかった。

「ああ、なるほど。イナバさまの世界にも、そういったものがあるのですね。私たちにも、ございますよ」

 彼女はそう言って、袖口から何かを取り出した。

 小さな砂糖壺のような容器であった。

「よければ、ご一緒してもよろしいですか?」

「どうぞ」

 彼女はうやうやしく手を合わせてから、壺の底に手をやり、解号らしき言葉を呟いた。壺の底が火のような光を放ち始め、ちりちりと空気を焦がす音がした。

 途端に、壺の上部に空いた穴から、もくもくと灰色の煙が立ち上った。ケンネはその煙を、鼻からすぅっと吸い込んだ。

 どうやら、香りを楽しむ嗜好品らしい。

 風がそよりと吹いて、こちらにも芳香が漂った。ベリー種の果実のような、甘酸っぱい香りであった。

「いい匂いですね」

「ありがとうございます。これは、shiāng húといいましてですね、様々な材料……草や、花や、果実を乾燥させたものを混ぜ合わせ、熱することで、香りを楽しむものなのです」

「私のTabakoも似たようなものです。ただし、こちらは、香りではなく、煙を吸い込むことが主たる目的です」

「よろしければ、そちらの煙を嗅いでもよろしいでしょうか?」

「やめておいたほうが、いいと思います。毒です、これは」

「まぁ。イナバさまは、毒煙を吸われるんですか?」

「そうです。愚か者なのだよ、私は」

 しかし、興味のほうが勝ったのか、ケンネは手仰ぎで副流煙を呼び寄せ、匂いを嗅いだ。

 困ったような苦笑いになった。

「あまりいい匂いではないでしょう」

「そう、ですね。なんだか、粘っこいような、そんな香りがします」

「毒だからです」

 これ以上彼女に健康被害を与えるワケにはいかないので、私はそこで、煙草を灰皿に押し付けて、火を消した。

 代わりに、ケンネの壺から放たれる香りを吸い込む。

 どこまでも気分が晴れやかになるような、清涼感のある空気が、タールで汚れた私の鼻孔を通過し、肺まで至る。

 うん。やはり、いい香りだ。

 だがしかし、私には、何かが足りないと思った。

 それは毒であり、ニコチンという依存物質であり、自分を苛んでくれる罰のようなものであった。

 私の喫煙趣味は、元恋人との破局をきっかけにして始まったものである。

「そろそろ、向かいましょうか」

 彼女はまた別の解号を呟き、壺の熱を消して、また袖口にしまった。

「それでは、よろしく頼むます」

 私も、ケンネの飛行艇に乗り込んだ。

 空の旅が、始まろうとしていた。
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