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2.(※ちょっとむりやり?)

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「ユーリさん!」
 最近、人魚族の少年に出会った。
 丁度手にしていた花冠をやっただけなのに、異常に懐かれて、ユーリは少し困っている。
 この街で、この国で、目立つことはしたくない。
 祖父母が花畑をやめるまで、この場所でひっそりと花屋をしていられるのが当面のユーリの夢だ。
 万が一にも『人魚と交友がある』なんて周囲に知れて奇異の目を向けられたなら、ささやかな夢さえも叶わなくなってしまうかもしれない。
「……あの、ユーリさん。また会いに来ていいですか?」
 だから、人魚がそう弱々しげに告げたのに、こう返した。
「……ええ。でも、次は足を生やしていらっしゃい。人魚族は、魔法使いがいるでしょう。こんなに海の幸をここに持ってくるよりは、楽に魔法を掛けてもらえるはずですよ」
 そうしてぱあっと明るくなった人魚の少年の顔を一瞬だけ見て、
「ではまた。エトくん」
 人魚が帰っていく水音を聞きながら安心する。
 そしてユーリは、人魚に貰った『お土産』の貝類を、水路に捨てた。ユーリには、食べられないものだから。
 ユーリは兎の獣人なのだ。
 耳垂れの、ロップイヤー。
 しかるに、体質的にベジタリアンである。野菜以外は消化できない。
 普段は人間の姿をして、祖父母以外の誰もがユーリが獣人だということを知らない。祖父母も当然、人間のふりをして暮らしている。
 このハルレヒト共和国は、人間以外の種族への差別が激しい。
 それどころか、ユーリが子供の頃には、『魔族狩り』なんてものがあった。そのせいで、ユーリはほとんど全てのものを失っている。
 七歳までのユーリは、この国での獣人族兎科の王子だった。
 古くひなびているものの、花畑に囲まれた城と呼べる場所でユーリは育った。
 王と王妃たる両親と、姫君の妹・カイリと一緒に、臣下に囲まれて暮らしていた。ユーリが大好きな祖父母は「城の生活はもう飽きた」と違う土地で、趣味の花作りをして生活を営んでいたが、たまに会いに来てくれたから、ユーリは満足して毎日楽しく過ごしていた。
「にいさま、はなかんむりつくって」
 それがカイリの口癖だった。
 城の外の花畑で、臣下の子供たちと遊んでいるとき。一番小さなカイリは決まっていじめっこに泣かされていたのだ。妹を慰めようと、ユーリがあるとき花冠を作ってやると、カイリはそれを気に入って、笑ってくれた。それから何度も、ユーリはカイリに花冠をかぶせた。
 だのに。
 あるとき、城に火がついた。
 城に居た両親と妹、それから臣下たちが剣で殺された後に、城を燃やされたのだ。
 一人、花畑の端にある木の上で、昼寝をしていたユーリだけが助かった。
 家族を殺したのも、城と花畑を燃やしたのも、人間族の仕業だった。
 国のすみっこでひっそりと暮らしていた兎の獣人は、本人たちがそれを知らないうちに『魔族狩り』の標的になり、そうして滅んだ。ユーリを残して。
 だから人間は嫌いだ。
 憎んでいると言ってもいい。
 それでも、子供を無惨に奪われ年老いた祖父母の唯一の生きがいが『慣れた土地での花作り』だから、ユーリはそれを奪うつもりはない。二人がそれが出来ないほど年老いたなら、この国を見放して他国で暮らさせるつもりだが。
(それまで持つだろうか……嫌な予感がする)
 獣人は気配を読むのが得意だ。だからこそ、知らない何かのにおいを警戒して、あの人魚を見つけたのだが。
(……敏感すぎるのも考え物だな)
 気持ちを切り替え仕事に励み、そうしてユーリは今日も無事に一日仕事を終えた。
 店の掃除をして鍵を掛けてから、馴染みのバーに寄る。アルコールは飲めないので炭酸水を頼むのが習慣だ。
 それから顔馴染みの若い男を見つけた。同じ獣人である、ミレだ。切れ長の、色気のあるブルーグレイの目でバーの客を誘っていた彼が、ユーリの気配を察して振り向いた。
 ユーリは、同族のミレにすら自分が獣人であることは話していない。満月の日に欲情が抑えられなくなり、月を見てしまうと獣人に戻ってしまうため、家に籠もるしかない同士だ。つまりスケジュールが合うので気軽な性欲処理の相手というだけで、気を許している訳ではないからだ。ミレからも種族を打ち明けられたことはない、互いに本能で察しているだけだ。
 兎の獣人は生殖欲が強い。二日に一度は出さないと、頭が狂いそうになるほどだ。そのため人間には、獣人の中でも特に不当な目で見られている。
 だがユーリは自慰はあまり好まない。もう種を残すための相手も、その必要もないのに、白濁を吐き出し汚れた手を見ると、獣人族に生まれたことを嘆きたくなってしまうからだ。
 だから、性欲の処理のためだけの関係の相手を何人か常に確保している。孕む可能性のある相手は嫌だった。だから男を選んで処理をする。ミレはそのうち一番頻度の多い相手である。
「やっほ、ユーリ。一昨日振り」
 にやけた顔でミレが言った。そうして流し目でこちらを見て、
「ユーリさあ。今日人魚と話してたろ」
「……見ていたのか」
 同じ浮花市で働いているらしいミレとは、昼間もすれ違うことが多い。日の下では他人同士のふりをするが。
「たまたまね。ユーリ、誰にでも優しいのはいいけどさ、相手を選ばなきゃ痛い目見るときもあるんじゃない?」
「……今それを痛感してる」
 ミレがキャハハと笑うので、もう話を打ち切って、「さっさと家に来い」と言ってバーを出た。

 適当にミレを抱いて、夜中のうちに帰してしまった、その次の日。
 またあの人魚の、エトという少年が来た。
「ユーリさん! これ、お土産です!」
 そう言った彼は、今度は人間のすがたをしている。
 人魚族は皆美形というイメージを持っていたが、彼はそんなこともなく、ありふれた黒髪に平凡な顔をしている。瞳だけは夏の海のように美しいが、それだけだ。
 しかし、人間だと全く目立たないだろうと思ったのだが、明らかに『この都に浮かれている』様子で、賑やかなことこの上ない。この注目された状態で、万一魔法が解けて人魚の正体でも現したらと思うと不安だった。彼が困るのは勝手だが、ユーリを巻き込まないで欲しい。丁度、客足が途切れず続いたから、彼を半ば無視してユーリはずっと客の相手をした
 午前が終わり、昼の閉店の時間になった。
 すると、店の端でこちらをずっと見ていたエトが近寄ってきて、
「ユーリさん、これだけ、もらってください」
 花の形のブローチをくれた。最初に渡した花冠と同じ花が、描かれたものだ。
 ユーリは、少し可笑しくなった。
 この少年があまりに純粋だから。
 もし同じ獣人で、出会う国が違ったら、妹にしたように接してやれたかもしれないと思った。
 そもそも、彼に花冠を渡したのは、黒髪で髪を短くしていた妹に似ていたからだ。
 微笑ましい気持ちになって、ほんのちょっとだけこのエトという少年に好意を持った。
 だが、世の中というのはユーリに徹底的に厳しく出来ているようだ。
 ──エトは、人魚の王族だったのだ。
 ユーリは人間は嫌いだ。
 だが、その次に嫌いなのは人魚、その王族だ。
 『魔族狩り』のとき、人魚だけが難を逃れるように、人魚の王家が人間を脅したからだ。
 海の中で唯一魔法を使える血族の長、巨大な魔力を持つ人魚王は、『魔族狩り』の渦中、堂々と空間魔法を使って共和国の議事堂に現れたという。
「これ以上人魚族に手出しするならば、ハルレヒトの大地を全て海に沈める」
 そう宣言したため、人魚族だけは『魔族狩り』を途中で免れたのだ。
 人間の人魚族への憎しみの代償は、他の『魔族』が支払った。地上での『魔族狩り』がもっとひどくなり、そして両親と妹は殺された。
 だから人魚王は、間接的にユーリの家族を殺したも同然なのだ。
(あいつの息子が、いまここにいるなんて)
 ユーリの心は揺れた。動揺したまま、エトを朝食調達の使いに出して、何とか落ち着こうとしたが、平静は失われたままだ。
 祖父が心配そうにこちらを見ている。
「ユーリ、妙なことは考えるなよ。悪いのはあの子ではない」
「分かってる……分かってるよ、じいちゃん」
 だが、彼が憎い相手の子供だと知れると、祖父母が作った大切な花に、もう触らせたくなくなった。
 それに、やっぱり何の恨みも持たずに笑顔で優しくするなんて、とても出来そうにない。
 一日エトを遠ざけていても、頭の中では誰かが常に言っている。
「人魚王への恨みを晴らせ」
 その声はユーリの中でどんどん大きくなった。
 そうして、夕日の中、彼を見たとき。
 赤く染まった彼のすがたが、まるで妹が成長して、そして血を浴びているかのように見えた。
 だから。
「君、僕のこと好きでしょう」
 頭の中の声に従うことにした。
 この無垢な少年を蹂躙して、ぼろぼろに傷付けて、そうして最後に「人魚の王族など好きになるはずがない」と言って捨ててやるのだ。
 そうして、この少年が、人魚王を恨めばいい。
 それがユーリなりの復讐になった。

 まずは『傷物』にするために、手酷く抱くことにした。
 何も知らない彼に自分の雄を咥えさせ、そうしてイラマチオに耽る。引っ掴んだ黒い髪が思ったよりすべらかなのは、気付かない振りをした。
 ユーリ自身で喉奥まで突いて、散々にしてやったのに。彼は、処女のくせに思ったより淫らだった。口の中を突かれるのすら快楽として、自分自身を慰めていたのだ。
 強烈に頭にきた。
「王様は君がこんなえっちな子だって知ったら悲しむでしょうね。ごきょうだいも」
 詰るような言葉を投げつけ射精させたのに、彼は羞恥を感じながらも、肉体の悦びに溺れていた。
 だから、大して慣らしもせずに彼の中へ突き入れた。
 入り口は血を流して裂けたくせに、快感を貪るこの少年の身体が憎い。憎らしい。
「痛い」と言って泣いて欲しかったのに、悦楽によって涙を流されては、ユーリの方からすると興ざめだった。泣いて喚いて嫌がってくれれば良かったのに。
 だが、冷めた心と同時に、自分の生来の支配欲がじりじりと満たされたのが分かる。
 こういう始末に負えない被虐趣味の相手をいじめて、好きなように鳴かせてみたいという気持ちもあったからだ。
(最悪だ)
 復讐はうまく行きそうにもないのに、身体だけ満たされる。やっていられない。
 だから、キスを強請ってきたエトには、
「いい子は早く帰りましょうね」
 そう言い訳して、与えてやらなかった。エトが少し悲しそうな顔をしたから、満足だった。

*

 エトに店に来られて、祖父母の花に触られるのが嫌なので、夜、仕事が終わってから会うことにした。
 毎日のことだから、バーの代金が節約できたのは幸運だ。だが、家に残る唯一の家族写真をいつも伏せたままにしなければならないのは、少し嫌だった。
「ユーリさん……」
 エトはいつもそうして、潤んだ目でユーリを見上げてくる。どれだけそれが物欲しげに見えるか、この少年は理解していないのだ。
「何ですか? 言ってくれなければ分かりませんよ」
「ぼくを、……虐めて、ください」
「本当に、みっともないない子ですねえ、エト君は」
 そうしてフェラチオを仕込みながら、彼の性器を軽く踏んでやるのに、エトは先走りをこぼして悦ぶ。
「ふ……あ、あ。……ユーリさん、ユーリ、さ、ん」
 あまりに濡れそぼっているので、指で慣らすのに潤滑薬を使うのが勿体ないと思う日があるほどだ。今日も使ってやらないことにした。その方が中が締まることだし。
「エト君。挿れて欲しいときは何て言うんでしたっけ?」
「……ぼくは、ぼくは、……っ」
 躊躇ってみせるのが面倒だと思う。いつも言っているのに初心がっているのだろうか。
「ユーリさんの精子で……種付けされたい淫乱です……。ぼくにお恵みを……っ」
「……今の言葉、お父上が聞いたら何て言いますかねえ」
 完全に屈服したエトに、ユーリは口をひん曲げて笑う。その笑顔にエトがはしたなく涎を垂らすのはもう知っている。
「エト君。お母上の顔を思い浮かべて」
「……すいません。ぼくの小さな頃に殺されているので、知りません」
 僅かばかり同情心が湧いた。親を殺された同士のようだ。もしかしたら、人魚王があの宣言を出す前に、人間の手に掛かったのかもしれない。だからとて、彼を、人魚王を、許す訳には行かない。
「では、仲の良いごきょうだいは居ますか?」
「……一番上の姉のエネリ、が」
「そうですか。では彼女に見られていると思いながら、自分で尻穴を拡げてこちらに向けなさい」
 その言葉にすら、彼は貪欲に欲情するようだ。全く、馬鹿な子だと思う。
「エネリ姉さんに……?」
「出来ないんですか? ならば今日はおあずけです」
 淡々とそう言ってベッドから降りようとすると、エトは眉を下げて泣きそうな顔をした。──どうしようもない淫売だ、この子は。
「ユーリさん……挿れて……っ」
 そうして腰を高く持ち上げ、秘所を見せつけながら強請るエトに──煽られてしまった。
「……エト君、っ」
 突き入れた中は、最初に比べると緩くなっていて、よく使い込まれている。彼は魔法でこの身体になっているというのに、不思議だった。
 彼とはいつも後背位でしか交わらない。顔を見たくないし、声が聞きたい訳でもないから。それにユーリは、誰とでもそうするたちだった。動物としての本能から、相手を屈服させる姿勢を選んでいるのかもしれない。
「ユーリさん、ユー、リ、さぁ……、ん」
 滑稽なまでにこちらを呼んで、腰を振って求める彼に、いつも冷めた気分になる。自分の欲は滾り、彼の中をぐちょぐちょと犯しているのに。
「中に……くだ、さいっ……! ぼくに、熱いの、ちょうだい……!」
「……仕方のない子ですね」
 そうして無理矢理擦りつけ、高みへ昇り、互いに射精をする。
 こんな交接がしたい訳ではないのに。憎い相手の子供を、ユーリは善くしてやるばかりだ。
(見ていろ。執着させて捨てて、傷付いてぼろくずになればいい)
 かつて、家族を失ったとき、ユーリがそうなったように。

*

 エトが家の前で待っているのに慣れてしまった。
 それどころか、エトが夕食を買ってきてくれるようになったから、性交の前に自宅で腹ごしらえする生活になった。
 ベジタリアンのユーリに合わせて、彼も野菜しか食べない。そうして、
「美味しいですね、ユーリさん」
 そうにこにこ笑うのだ。
 同じ相手と毎日顔を突き合わせて自宅で食事をするなんて、もう何年ぶりだろう。その空間だけはどこか温かくて、憎いはずの相手なのに、許容してしまっていた。
 使い古して捨てるためだけの相手なのに、迂闊だとユーリ自身で分かっている。
 だが、本当は。
(こんな温もりを持った時間が、欲しかったのか、俺は)
 そう思ってしまうことさえあった。
 エトの無垢な笑顔を見ていると、復讐に囚われている自分が時々馬鹿馬鹿しくなる。だが、一度始めたことを止める訳にはいかない。それに、どうしたって、人魚王は憎かった。

 花の盛りの春は終わり、季節は初夏に移った。
 それと共に、エトが、性交が終わった帰り際に、小さなオパール貝をひとつずつ渡してくるようになった。
「これは?」
「僕が見つけたオパールです。……もしかしたら、いつか、必要になるかも知れないから」
 そうしてほんのり頬を染めてみせるのが、何故だか愛らしくて。
 くだらないものが、捨てられなかった。
 いつだったか貝を貰ったときと同じく、水路に投げてしまえばいいのに。
 家族の写真立ての隣に、おざなりに置いて行く。そういえば、いつかの花のブローチもそこに置いたままだ。
 いつかこれを全て捨てて、エトを傷付けてやるためだと自分に言い訳をして、視界に入れずにやり過ごした。

*

 珍しく、会う約束をしているのにエトが来ていない日があった。
 家に入ると、ベッドの上に小さな円が浮かんでいて、驚いた。更に驚いたのは、そこから声がしたからだ。
「ユーリさん、すいません、ぼくです。エトです」
「……エト君。どうしました」
「ちょっと……最近魔力を使い過ぎたみたいで、具合が悪くて。すいません、今日は行けません」
 本当に申し訳なさそうな声を出すので、なんだか心配になってしまった。慌ててその思考を打ち消す。
「そうですか。お大事になさってください」
 すると、円がしゅるっと消えた。エトの声の消えた部屋は何故か寒々しかった。
(……調子が狂っているな)
 本来の自分を取り戻さなければと思い、ユーリは踵を返した。ずっと行ってなかったバーへと、無心で足を動かす。
 辿り着くと、ミレがいた。
「久し振りだな」
「ああ、ユーリ。インポになったのかと思ってたよ、俺」
「馬鹿言うな、まだ二十だぞ」
 そうして隣同士座って、適当に乾杯をする。炭酸水同士なので、気楽だ。少しだけ会話をしたいと思ったが、話し出す前に、ミレに切り込まれてしまった。
「あのさ、人魚の奴ばっかり最近連れ込んで、どうしたの。優しくする相手は選べって言ったじゃん」
 ユーリは困った。本当のことを言う訳にもいかない。もしかしたらミレなら事情やユーリの気持ちを分かってくれるかもしれないが、どうしても警戒心が解けない。自分の口から獣人であるだなんて、とても言えない。
 だから、仕方なく。
「恋人だ」
 そう嫌々ながら言った。
 ミレの挙動が一瞬止まる。
「ふーん。変な趣味してるね。今日はいいの、恋人放って」
「今日は来ない」
「そう。じゃあ俺としようよ」
 そうして誘惑の色を宿した灰青の瞳の彼が、ユーリの腕に手を絡めてきた。鬱陶しい。
 だが、久々にミレを抱いて、安心した。
 憎しみも支配欲も覚えなくていい相手は楽だ。
 何も心に感じることもなく『処理』だけができる。
 すっきりするだけすっきりして、ミレを追い出そうとすると。
「ねえ、そのがらくた、何」
 タンスに置いた貝とブローチを、ミレがじっと見ている。何故だか動揺した。
「恋人が置いて行くから、そのままにしている」
 心を隠してと言うと、ミレがなんだか、鋭い目付きになった。
「……そう」
 いつもはハグだのキスだの強請ってから出ていくのに、ミレはすぐに去って行ってしまった。

*

 その次の日は満月だった。
 もとからエトには、用事があるから来るなと言ってある。だから、夜が来る前にと早めに店じまいをして、家に帰り、きっちり鍵を掛けて二重のカーテンを閉めた。
 そうしてベッドの上、着衣を脱いで、自慰をする。自慰が嫌いでも、この日だけはそうしなければいけない。
 満月の日は、欲情が高まって仕方ない。獣人は皆そういう体質だ。
 本当は誰でもいいから抱きたいのだが、きっと抱き潰してしまうし、万一月が見えて獣人の姿になってしまったらこれまでの苦労が水の泡になる。だから、毎月この日はやり過ごすのを苦慮するのだ。
「……っは」
 また一度射精したのと同時だったから、その音が発生したのに気付かなかった。──ドアの鍵の開くのに。
 鍵を掛けたはずのドアが、急に開く音を耳にした。
「ユーリさん!」
 誰かの入ってきた音。驚いてそちらを見てしまったのが運の尽きだ。
 満月のかけらを、目にしてしまった。
「う、ああああ!」
 獣人のすがたに戻るときはいつも、解放されたような快感がある。
 だけれど、ユーリはそれを感じている場合ではなかった。他人の目のある中で、こんな、こんな。
「ユーリ、さん……?」
 長い垂れ耳、丸いしっぽ、脚は腿まで毛に覆われる。
 最悪だ。
 よりによってエトに、獣人であることが露見するなんて。
 ──だが、もういい機会かとも思った。
 いかにユーリが人魚の王族を憎んでいるのかを。
 エトを抱いていたのは復讐のためにすぎないことを。
 エトに執着を抱かせて、それから捨ててやって傷付けるのが最初から目的だったのを。
 知らせるべきときが来たのだ。
「ユーリさん、その身体……まさか、獣人!?」
「ああ、俺は獣人だ。……お前たち人魚の王族に恨みを抱いている、獣人族の代表だ」
「え……、恨みって、どういう」
 エトの驚愕から、人魚族の王族は、他の魔族に恨まれている自覚さえないのだと、思い知って。
 ぶちりと、頭の中で、何かが切れた。
「思い知れ、これが──復讐だ」
 低く呻いて、ドアを閉め、すぐ側のエトをベッドに引き倒した。
 いつものように腰を高く上げさせ。
 そうして下の着衣だけ膝まで下ろし、そしてユーリは歪んだ笑みを浮かべた。
「ユーリさん、待っ……!」
 何も言わずに、慣らしてもいないエトの穴に、欲に滾った雄を挿入した。
「ひ──ぎぃ!! やだ、痛い……!」
 潤滑薬もなく突き入れるのは、こちらも痛かったけれど、エトが初めて本当に泣き叫んだから嬉しかった。愉悦がユーリを笑わせる。面白くて、愉快で、血の滑りだけを手助けにどんどん中で擦りつけた。悲鳴が、耳を楽しませる。
「ユーリさん、痛い! やめ……!」
「ああ、その言葉がずっと聞きたかったんだ。なのにお前は痛いのが好きなんだもんな」
 そう吐き捨てた瞬間、エトの身体が弛緩した。
 そして、悲鳴が呻き声に変わる。
 心の底から、この人魚はユーリに屈服し、嘆き悲しんでいるのだ。
 なんて爽快なことだろう。
 エトの膝が脚を立たせるのを止めたので、腰を掴んで、がつがつと抉る。気持ちが好い。
「ああ、やあ……もう、やめ、あんっ……ああっ」
 ぼろぼろの泣き顔をこちらに向けているのに、エトの身体は従順に快楽を拾っているようだ。自身を勃起させ、前立腺を突いてやるとがくがく震えて吐息を漏らす。
 犯されているのに感じるのは、ユーリがそう仕立て上げたからか、それとも元々そうなのか、分からなかった。
「こんなにされても感じるんだな、人魚は。王族は特別に淫乱なのか?」
「違……、あん、や……っ、ちが、う、ユーリさ、」
「うるさい」
 一番奥を穿つと、彼が絶頂するのはいつもの通りだった。その締め付けに逆らわず、ユーリも中に精を放つ。
(夜が明けたら最後だ)
 つと、頭の中で誰かが言った。
 だから何だというのだろう。
 捨てるために。傷付けるために、今まで抱いてやっただけなのに。名残惜しむなんて、あり得ない。
 もはやシーツに顔を伏せて泣き尽くしているエトに構わず、自身の膨張するままに、また中を荒らして、荒らして。
 そうして、満月が沈んで、人間の姿に戻るまで、ユーリはエトを抱き潰した。

 頭の中が白んでいる。
 かすかに頭痛のする気がする。
 そこかしこに血の付いたシーツは、もう捨てることにしようと、ユーリはそっと決意し、ベッドを立ち上がった。その背中を追いかけてくるように、エトのか細い声がした。
「ユーリさんは……僕のことが嫌いなんですか」
 縋るように。だが、諦めたように。エトが言うから、ユーリはくつくつと笑ってやった。
「ええ、最初から嫌いでしたよ。馴れ馴れしくて、鬱陶しくて、身の回りを勝手に荒らして。大嫌いです、エト君」
 彼が竦むのが気配で分かる。きっとエトは、これ以上なく傷付いた。だから、その顔を見てやろうと思って、振り返る。
「……分かりました。迷惑掛けてすいませんでした」
 泣かせることが目的だったはずなのに、あの青い目から落ちる涙を見るのが、痛かった。
 どうして。
 自分に湧き上がった心が分からなくて。彼を見るのを止めた。
「もう来ないでください。人魚の王族が獣人に恨まれているのをお忘れないよう。人魚王にもお伝えくださいね。さようなら、エト君」
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