運命に至る

麻田夏与/Kayo Asada

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終.

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 冬のニューヨーク地下鉄の空気は最悪だ。随分古くに作られたまま、空調設備が変えられていないため、寒すぎたり極端に暑かったりするのだ。

(鎌倉あたりの電車は快適だったな)

 土日に観光客で込みすぎるきらいはあるが、それでも快適だったことを、至は思い出した。
 鎌倉での生活を去って、五年。
 ニューヨークに来て、もう一年になる。

 至の作品──正確に言えば、至の作品の良さや使いどころや家での手入れに至るまで完璧に説明しているのに、意気込んだ雰囲気を全く出さない紬の接客を気に入ったアメリカの資産家が「ニューヨークで店をやらないか」と誘ってくれたのだ。いつまでも眞下師匠におんぶに抱っこではいけないと一念発起した至は、家族を伴って、ニューヨークに移り住んだ。
 つい昨日まで、至は日本に戻って、竹細工の材料になる静岡の竹を直接買い付けに行っていた。いい材料が見つかったが、それ以外は、眞下師匠に挨拶したくらいで、すぐにニューヨークにとんぼ返りしてきた。家族のことが心配だったからだ。
至は目当ての駅で降りた。チェルシーマーケットに寄り、昼を食べていないかも知れないパートナーに、食料を買っていかなければ。

(紬さん、そういうところ、ずぼらだからな)

 放っておくと、サプリだけで過ごすことさえある。この時期にそれはいただけない。
 サンドイッチハウスで、野菜とローストビーフを全盛りした品と水のボトルを頼み、それに至の分の昼食とコーヒーを適当に頼み、店を出た。雪道なので、転ばないようにするのが大変だ。
 準備中のギャラリーに着くと、かっちりとスーツを纏った紬が振り向いた。

「紬さん、ただいま。身体は大丈夫ですか」
「お帰りなさい。体調はまあ、支障のない程度です。日本はどうでした」
「相変わらず。こっちよりは暖かくて快適だったよ。師匠の糖尿も少し改善したようだし」
「それは何より。ご実家には寄られなかったのですか」

 父とは絶縁している至だが、弟たちとはまだ連絡を取り合っている。だから日本に帰ったら、鎌倉に寄ることもあるのだが、今回はそうしなかった。

「ああ。今は譲が大変な時期だから、ややこしいことになるといけないかと思って」

 譲は三ヶ月前、香坂製薬の副社長に大抜擢された。父は、翔にも運命の番を宛てがい、翔を跡継ぎにしようとしていたようだが、翔の至以上の扱いにくさに手を焼いたようだ。そして、譲に賭けることにしたのだという。
 でもそれはきっと、譲の努力のたまものでもある。それに。

「譲さんもそうですが、綾人さんは」
「ああ、双子共々元気だそうだよ。師匠のところに遊びに行ったみたいだ」

 譲と綾人は二年前に結婚し、すぐに子供を設けた。アルファの女の子と、オメガの男の子だ。世にも稀な組み合わせの性別の双子だが、譲も綾人も溺愛している。

(父も、譲の子に期待することになるなんて、思ってもみなかっただろうな)

 だが、譲にはとても丁度良かったらしい。

「この子たちには申し訳ないけど、助かったよ。副社長なら、それなりにいろいろ、動けるから」

 譲は、紬の運命を変えてしまったあの薬の研究部門を、潰したいのだそうだ。
 あの薬は、運命の番に出会えていないアルファ──正確には、上位アルファを必要とするような、支配層の家に生まれたアルファが必要とする特効薬として、闇の中、高値で取引されているらしい。だが譲はもう、紬の悲劇を、或いは至に選ばれなかった綾人の悲劇を、再現したくないらしい。
 そのために譲は奔走し、綾人に尻を叩かれている。我が弟ながら立派な男だと至は思う。

「華は? 泣かずに保育園、行きましたか?」
「大泣きです。あの子はパパっ子ですからね。ずっとぐずって困りました」

 香坂華は、至と紬の娘だ。もう四歳になるベータ性の子だが、とにかく甘えん坊で、至は困るやら可愛いやらだ。何より、その容貌が紬に似ているので、至は華が愛しくて仕方ない。それに、アルファとオメガのようなややこしい事情のある第二性でなくて良かったとも思う。

「紬さん、昼ご飯、食べましたか? サンドイッチ買ってきましたが」
「あら、まあ。後でいただきます。昼は食べたのですが、最近お腹が減って」

 そうして下腹をさすった紬が。

「あ、蹴った」
「蹴った?」
「お腹の子です」
「えっ」

 紬はこんなときにすら清廉としている。それって一大事というか、親にとってはご褒美というかだ。新しい命が順調に成長してくれている証でもある。

「……紬さん、幾ら二人目だからって、のほほんとしすぎでは」
「そんなことはありません。──それより、作品の配置、最終確認してください。個展、明日からなんですから、ちゃんとしないと」

 妻に尻を叩かれているのは、譲と同じでなんだかな、という至だ。

「分かってます。──紬さん」
「はい」
「ありがとうございます」
「ええ」

 紬とそっと手を繋ぐ。ずっとこうして歩いてきた。

「これからも、よろしくお願いします」
「はい、喜んで」
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