運命に至る

麻田夏与/Kayo Asada

文字の大きさ
上 下
14 / 22

7-1.

しおりを挟む
 焦げ付くような夏。紬と綾人にたまには江ノ島あたりまで遊びに行ったらどうかと話をして、至は単身、東京の高級ホテルの一室にいる。父の紹介があった新しい客が、ホテルを転々とする暮らしをしている奇矯なひとで、品のいい一室で作品を見せた至だ。
 だが、いつものように、父の機嫌を取りたい相手で、しかもそれを隠そうとしない人物だった。至はすっかり気疲れして、新宿駅の反対側、山手線ホームに向かうのさえ億劫だ。

(これなら、二人と一緒に海に行きたかった)

 いつも仕事詰めの至は、鎌倉に住み始めてもう長いのに、相模湾を見たことがないのだ。だから、至に付き合って屋敷にばかりいる二人に、遊んでくるように勧めたのだが。

(でも、今日はまだましだ)

 眞下師匠が東京に来ていて、会ってくれる約束をしているからだ。昔、至の目の前で技を披露してくれたように、良家の息女の前で菓子入れを作るらしい眞下師匠とは、目白のホテルで合流する約束だ。甘党の師匠が「アフタヌーンティーというものをしてみたい」と言ったので、至が席を予約している。
 彼と雑談をするつもりはない。この日のために至が作った竹細工を見てもらうのだ。
 以前は、紬にさえ気恥ずかしくてデッサンも見せられなかったが、思い切って作品にしてみた至だ。一番自信があるもの──悩みに悩んで作った虫籠を、一つだけ。今は一つ認められるだけでも、十分だ。

「やあ至。東京のホテルは美しいね。創作意欲が湧く」
「師匠、ご足労ありがとうございます」

 眞下師匠は先に席に着いていたので、待たせてしまったことを詫びる。師匠は「紅茶を楽しめたからいい」と笑った。

「緑茶は素晴らしいが、紅茶もなかなかやるものだ。幸江の土産にしてやろうと思ってね」
「お口に合って何よりです。奥様はお変わりありませんか」

 そう尋ねたのだが、眞下師匠は答えず、至のほうへすっと手のひらを差し出した。「手は職人の命だ」と、師匠は手先のケアを欠かさないから、年齢よりずっと若く見える肌だ。

「そんなにそわそわされたら、菓子の味も楽しめない。さっさと作品を出しなさい」

 至の意図などすっかりお見通しだったようだ。持参した紙袋から、入魂し作り上げた虫籠を入れた箱を出し、そっと、作品を眞下の前に置いた。
 途端。

「これは駄目だね」

 一刀両断。
まさにそういった具合に、眞下師匠は切り捨てた。

「前にも言ったが、伝統工芸だからって、甘えてはいけない。竹細工は人が使うもの──道具だ。お前はまだそれを理解していないね」

 軽やかにそう告げて、紅茶を啜った眞下師匠のティーカップが空になったのに、至は動けない。
 至だって、師匠に諸手を挙げて認めてもらえると思っていた訳ではない。だがこんな、一瞥しただけで「駄目」と判じられるほど、悪いものだとも思っていなかった。

「至。お前も紅茶や菓子を楽しみなさい。少し、その血気盛んなところを、落ち着ける日もあった方が良い」

 眞下師匠はそう言って、自ら手を挙げフロア係を呼んでくれたが、至は自分の不束を詫びることさえ思い付かなかった。
 日の傾く前に、師匠とは別れた。眞下師匠はホテルからタクシーに乗ってもらったが、至は駅まで徒歩だ。
 至は歩きたかった。そして何より、雑多なことを考えて、自分のふがいなさを忘れたかった。

(アフタヌーンティーがトラウマになりそうだ)

 少なくとも、眞下師匠とご一緒させてもらうことはもうないだろうと、至は嘆息する。
 少しは養われてきた自信を、完膚なきまでに打ち砕かれた。眞下師匠から見れば、至など未熟も未熟なのは分かっていたつもりだったのに。
 目白駅がやけに遠い。暑くて、正装の絽ですら生地が鬱陶しい。また嘆息する。
 そこで、スマートフォンが震えた。紬か綾人からのメッセージだろうかと思ったが、父から昔紹介された客からの電話だった。

「香坂さん、今度お時間はありますか。またあなたの作品を見させていただきたい」

 通話先の声は弾んでいて、至の作品を認めてくれているのが分かる。

「目に掛けていただきありがとうございます」

 僅かに気持ちが上向く。ちらりと今都内で品を持っていることを告げると「それならすぐにいらっしゃい」と招かれた。
 最近は、多少のリピーターができたので、売れた分は貯蓄している。本来ならば父に借りた金を返すのに充てるべきかもしれないが、父が気にする金額でもない、それなら少しでも手元に資金が欲しい。
 山手線を有楽町で降り、日比谷の客先。馴染みになりつつある客は、至を快く迎えてくれた。高級マンションのワンフロア、その客間で手元の品を全部見せた。それに。

(このひとなら、もしかして)

 眞下師匠の眼鏡には全く適わなかった、あの虫籠。この客なら、手に取ってくれるかもしれないと、他の作品と混ぜて、紹介してみた。
 しかし。
 他の品は食いついてくれたが、至の力作は、素通りされた。虫籠の需要がなかったか、至の力不足かは、分からないけれど。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

大嫌いだったアイツの子なんか絶対に身籠りません!

みづき
BL
国王の妾の子として、宮廷の片隅で母親とひっそりと暮らしていたユズハ。宮廷ではオメガの子だからと『下層の子』と蔑まれ、次期国王の子であるアサギからはしょっちゅういたずらをされていて、ユズハは大嫌いだった。 そんなある日、国王交代のタイミングで宮廷を追い出されたユズハ。娼館のスタッフとして働いていたが、十八歳になり、男娼となる。 初めての夜、客として現れたのは、幼い頃大嫌いだったアサギ、しかも「俺の子を孕め」なんて言ってきて――絶対に嫌! と思うユズハだが…… 架空の近未来世界を舞台にした、再会から始まるオメガバースです。

【完結】幼馴染から離れたい。

June
BL
隣に立つのは運命の番なんだ。 βの谷口優希にはαである幼馴染の伊賀崎朔がいる。だが、ある日の出来事をきっかけに、幼馴染以上に大切な存在だったのだと気づいてしまう。 番外編 伊賀崎朔視点もあります。 (12月:改正版) 読んでくださった読者の皆様、たくさんの❤️ありがとうございます😭 1/27 1000❤️ありがとうございます😭

運命の息吹

梅川 ノン
BL
ルシアは、国王とオメガの番の間に生まれるが、オメガのため王子とは認められず、密やかに育つ。 美しく育ったルシアは、父王亡きあと国王になった兄王の番になる。 兄王に溺愛されたルシアは、兄王の庇護のもと穏やかに暮らしていたが、運命のアルファと出会う。 ルシアの運命のアルファとは……。 西洋の中世を想定とした、オメガバースですが、かなりの独自視点、想定が入ります。あくまでも私独自の創作オメガバースと思ってください。楽しんでいただければ幸いです。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】義兄に十年片想いしているけれど、もう諦めます

夏ノ宮萄玄
BL
 オレには、親の再婚によってできた義兄がいる。彼に対しオレが長年抱き続けてきた想いとは。  ――どうしてオレは、この不毛な恋心を捨て去ることができないのだろう。  懊悩する義弟の桧理(かいり)に訪れた終わり。  義兄×義弟。美形で穏やかな社会人義兄と、つい先日まで高校生だった少しマイナス思考の義弟の話。短編小説です。

合鍵

茉莉花 香乃
BL
高校から好きだった太一に告白されて恋人になった。鍵も渡されたけれど、僕は見てしまった。太一の部屋から出て行く女の人を…… 他サイトにも公開しています

当たり前の幸せ

ヒイロ
BL
結婚4年目で別れを決意する。長い間愛があると思っていた結婚だったが嫌われてるとは気付かずいたから。すれ違いからのハッピーエンド。オメガバース。よくある話。 初投稿なので色々矛盾などご容赦を。 ゆっくり更新します。 すみません名前変えました。

キミと2回目の恋をしよう

なの
BL
ある日、誤解から恋人とすれ違ってしまった。 彼は俺がいない間に荷物をまとめて出てってしまっていたが、俺はそれに気づかずにいつも通り家に帰ると彼はもうすでにいなかった。どこに行ったのか連絡をしたが連絡が取れなかった。 彼のお母さんから彼が病院に運ばれたと連絡があった。 「どこかに旅行だったの?」 傷だらけのスーツケースが彼の寝ている病室の隅に置いてあって俺はお母さんにその場しのぎの嘘をついた。 彼との誤解を解こうと思っていたのに目が覚めたら彼は今までの全ての記憶を失っていた。これは神さまがくれたチャンスだと思った。 彼の荷物を元通りにして共同生活を再開させたが… 彼の記憶は戻るのか?2人の共同生活の行方は?

処理中です...