運命に至る

麻田夏与/Kayo Asada

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 気分転換に紬と共に出掛けた鶴岡八幡宮で、牡丹園の開花が見頃だった、二月上旬。父が本当に、至に顧客を紹介してくれた。
 田園調布に住まう、芸術好みの、化学品会社の役員だか。父の会社と所縁ゆかりのある企業の重役だから、父もその好みを知っていたのだろう。
 至は客の屋敷に赴き、眞下師匠の工房で扱っているデザインの竹細工を、そのままぶつけてみた。使いやすく美しいと評判のものばかりを集めてきたから、後は、客が至の腕をどう見るかだ。

「ほう。香坂社長のご子息が、こんな良い品を作られるとは」

 壮年も終わり頃の男はにっこりと笑みを見せた。至も、肩の力が抜け、ほころぶように笑う。こんな風に言ってもらえることなんか、今までになかった。感動して涙さえ出そうな至だ。
 男は何点も購入してくれた。目を剥くほどに高価ではないが、それでも自分の作品が誰かを喜ばせるしあわせは、格別のものだ。
 だが、屋敷を辞すとき、深々と礼をした客が最後に言った言葉で、至は冷や水を浴びせられたような気分になった。

「お父上によろしくお伝えください」

『また見せて欲しい』でも、至の帰路を気に掛ける言葉でもない、父の機嫌を取るそれが、この男の本当に言いたかったことなのではないかという疑念が浮かんだ。
 鎌倉へ帰っても、風呂で汗を流しても、その疑問は至にこびり付き、晴れることがなかった。
 父に客を紹介してもらっては、父の機嫌取りの言葉を聞いて帰る。そんなことが、何回も続いて。
 誰も皆、父にいい顔をするために至の作品を買ってくれているような気がしてならない。
 何度目かに、ついに落ち込んだ顔を隠せずに至は帰宅した。すると、玄関で出迎えてくれた紬が僅かに首を傾げた。

「何かありましたか。暗い顔をしていますね」

 すぐに気付かれたのが情けない至だ。だが、この男なら、至の悩みなんて聞き流してくれるのではと、期待してしまった。それに、紬が誰かに至の悩みを話して回るなんて、思えないことだし。

「……紬さん、俺の竹細工、好きですか」
「好きですね」

 迷いもなさそうに即答されたことで、至は呆気にとられた。自分のことをあまり明かさない紬であるのに。だが、隠し事はしても、いい加減なことは言わない男だ。

「……何処が」
「私の寝間に、行燈をくださったでしょう。あれ、光を灯すと影がきれいで。竹ひごの影を数えながら眠ると、よく寝付けますから」

 本当に使ってくれているひとの意見を初めて聞けた。その上で「きれい」と言ってもらえるなんて、思わなかった。紬が嘘を吐いているという気もしない。

(ああ)

 職人になってよかったと、至はやっと思えた。極上の喜び。作るのは、楽しい。だが、楽しみだけでは物足りないのだ。

「……ありがとう、紬さん。元気が出ました」
「それは良かった。ですが、至さんご自身は、作った作品が気に入らないのですか」
「そうじゃない。でも……父の紹介者は皆、俺の竹細工なんてどうでもよくて、父に媚びを売りたいだけに思えて」

 聞き流して欲しかったはずなのに、至の口からは弱音がぽんぽんと飛び出す。これではまるで紬に甘えているようで、自分が情けなくなるばかりだ。知らず、溜息を吐いた至に、無感情にも見える紬の視線が刺さる。

「至さんはいつも自信満々なのに、ご自分の作ったものに自信がないのですね」

 至は、突かれたくない点を、真っ直ぐに射貫かれた気がした。

「それは」

 返すべき言葉も浮かばない。羞恥から来る怒りで、頭も回らない。薄い色の瞳でこちらを眺める紬が続ける。

「残念ですね。あんなに素敵なのに、親に愛されないなんて」
「親?」
「あなたです。もう少し自分の子を愛してやったらいかがですか。あなたの行燈を愛用している身にもなってください」

 単語の端々にいたるまで、紬の言葉は至の胸をざくざくと衝いて仕方がない。
 そんな風に、考えたことはなかった。
 そんな風に、認められているなんて、思ってもみなかった。
 至の知らないところで、紬は、至を評価してくれていたのだ。

(くそ、泣くなよ、俺)

 一度強く目を閉じた至は、唇の端を一生懸命に持ち上げる。ちゃんと笑っているように、見られたくて。

「紬さん、そんなに沢山喋れたんですね。普段は無口なのに」
「そんなに『落ち込んでいます』という顔をしておいて何をおっしゃいます。私にだってひとの心はあります」
「今、改めて実感しました。紬さん笑わないから、何を考えているか分からなかったのですが」

 そう返すと紬は目を逸らした。都合の悪いときに目を逸らす癖が紬にあることに、至は気付いた。

「気に入ったのなら、他にも使ってやってください。工房にいくつも置いていますから」
「でしたら……花瓶が欲しいです。もうすぐ、ご近所の方が紫陽花をくださる時季なので」

 僅かに思案した紬がそう言った。至は自分の工房へと、彼を招いた。好きなものを選んでもらって玄関に飾る。

「折角だから、花を活けましょうか」

 眞下師匠の許で、ちょっとばかり華道を囓った至が、庭から躑躅を取ってきて生けてやると、紬はほんのりと笑ってくれた。この男がひどくきれいに見えて、至は困るばかりだ。
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