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大人になった僕ら
32.紫陽花
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朝起きて、昼を通り過ぎ、夜眠るまで。
好きなことをしていればしあわせかな、と思っていた。
一日中キャンドルを作って、貯金はほとんどできないけど一応食べていけて、好きなひとが側にいてくれて。
俺の人生は、彩りに満ちている。
俺はやっと、自由を手に入れた。
俺は自分の力で居場所を見つけることができた。
そう思っているけれど、時々ふと、怖くなる。
それはひどく現実的で、切迫した事実が足許を浚おうとするたびに、訪れる。
「智、新しい材料買うって言ってただろ。あれ、来週以降にして」
「え、何で」
「今月、店用のカードの限度額来てるから。智、今月、パームワックスいっぱい仕入れたろ。だから」
「わ、やべえ、忘れてた」
早音が一緒にいてくれて良かった。商学部だとか胸を張っていた俺なのに、金管理のひとつもままならない。SNSのアカウントも早音が管理してくれているし、俺ができることと言ったら、新しい、それでいて誰もが喜んでくれるようなキャンドルを作ることだけ。
だが、アイディアの種は無限じゃない。流行の研究は欠かせないし、誰もまだ着目していないような題材の探求も大事。香りを目当てにするひとも多いから、単一種類のアロマエッセンスを入れるだけでなく、独自のブレンドを追求したりして。クリエイターというのは中々大変な仕事だ。
それすらも楽しいというのは、勿論感じている。
だけれど、同時に感じるのは『いつまで』『何処まで持つだろう』という不安だ。
(早音がいつまでも一緒にいてくれるかも分かんないし)
早音は、最近あまり俺を揶揄わなくなった。
早音の生活費を俺が持つようになったから、なのだと思う。
でも、仕事も手伝ってくれてるのだし、早音は早音で毎日動画の配信をして頑張っているのだから、引け目に感じなくていいのに。
(まあ、早音の性格上、無理かなあ)
早音はどんどんよそよそしくなる。
セックスも、俺が強請らないとあまりしてくれなくなった。
「智は人気作家なんだから、身辺もちゃんとしないと」
そう言って、俺の裏方に徹しようとしてくる。
俺の気持ちも知らないで。
(早音を好きだなんて言ったら、出て行っちまいそう)
それも、それが俺のためだと信じてそうするのだと思う。俺を人気作家のままで居させてくれるために。
(そしたらまた俺、独りだな)
早音以外にも友達はいる。それどころか、全国に『トモサカモトのファン』はかなりいる、と思う。
それでも、早音が俺を引っ張ってきてくれたからここにいて、俺が早音を好きで仕方ないという事実は変わらない。
(いつまで早音は、俺と居てくれるんだろう)
結局、『いつまで』『何処まで持つか』に俺は悩まされるのだ。
そんなときだ。
母親から、久しぶりの連絡があった。
大学を卒業してからは初めてだった。
何故だか連絡先に登録してしまっている母親の名前が表示されたとき、何とも言えない苦しさが押し寄せた。だが俺は、電話に応じてしまうのだ。
「智君、キャンドルのお店、ええと、ネットショップ? やってるって本当?」
報告していないにも関わらず、何故知っているんだろう。
「智君のお父さんから連絡があったのよ。智君がインターネットで有名になってるって。本当なの?」
「ああ……まあまあ、だ」
俺の父親。そんなものの存在は、完全に忘却していた。
俺を『要らない』と最初に捨てた男。
俺に感心を抱くことがあるのか、と他人行儀に思った。
「凄いわねえ、さすが私の智君。ねえ、私にもキャンドル作ってちょうだい。お客さんに自慢したいの」
何が『私の智君』だ。
お前に母親らしいことをされた覚えなんかない。
それでもこの声を突き放せないのは、不味い夕飯を作ったのがこの女で、俺はそれを食べて育ったからだ。
「……忙しいから、いつでもいいなら」
「ありがとう、待ってるわ。ねえ、紫陽花のキャンドルにしてちょうだい。私、名前が『紫陽子』でしょう、紫陽花みたいにきれいな子って意味なの」
そうして、紫陽花のブルーが好きとか、花を中に入れて欲しいとか色々注文をつけて、あの女は電話を切った。
俺は──紫陽花というテーマを得て、いつもと同じように、頭を動かし始めたのだった。
好きなことをしていればしあわせかな、と思っていた。
一日中キャンドルを作って、貯金はほとんどできないけど一応食べていけて、好きなひとが側にいてくれて。
俺の人生は、彩りに満ちている。
俺はやっと、自由を手に入れた。
俺は自分の力で居場所を見つけることができた。
そう思っているけれど、時々ふと、怖くなる。
それはひどく現実的で、切迫した事実が足許を浚おうとするたびに、訪れる。
「智、新しい材料買うって言ってただろ。あれ、来週以降にして」
「え、何で」
「今月、店用のカードの限度額来てるから。智、今月、パームワックスいっぱい仕入れたろ。だから」
「わ、やべえ、忘れてた」
早音が一緒にいてくれて良かった。商学部だとか胸を張っていた俺なのに、金管理のひとつもままならない。SNSのアカウントも早音が管理してくれているし、俺ができることと言ったら、新しい、それでいて誰もが喜んでくれるようなキャンドルを作ることだけ。
だが、アイディアの種は無限じゃない。流行の研究は欠かせないし、誰もまだ着目していないような題材の探求も大事。香りを目当てにするひとも多いから、単一種類のアロマエッセンスを入れるだけでなく、独自のブレンドを追求したりして。クリエイターというのは中々大変な仕事だ。
それすらも楽しいというのは、勿論感じている。
だけれど、同時に感じるのは『いつまで』『何処まで持つだろう』という不安だ。
(早音がいつまでも一緒にいてくれるかも分かんないし)
早音は、最近あまり俺を揶揄わなくなった。
早音の生活費を俺が持つようになったから、なのだと思う。
でも、仕事も手伝ってくれてるのだし、早音は早音で毎日動画の配信をして頑張っているのだから、引け目に感じなくていいのに。
(まあ、早音の性格上、無理かなあ)
早音はどんどんよそよそしくなる。
セックスも、俺が強請らないとあまりしてくれなくなった。
「智は人気作家なんだから、身辺もちゃんとしないと」
そう言って、俺の裏方に徹しようとしてくる。
俺の気持ちも知らないで。
(早音を好きだなんて言ったら、出て行っちまいそう)
それも、それが俺のためだと信じてそうするのだと思う。俺を人気作家のままで居させてくれるために。
(そしたらまた俺、独りだな)
早音以外にも友達はいる。それどころか、全国に『トモサカモトのファン』はかなりいる、と思う。
それでも、早音が俺を引っ張ってきてくれたからここにいて、俺が早音を好きで仕方ないという事実は変わらない。
(いつまで早音は、俺と居てくれるんだろう)
結局、『いつまで』『何処まで持つか』に俺は悩まされるのだ。
そんなときだ。
母親から、久しぶりの連絡があった。
大学を卒業してからは初めてだった。
何故だか連絡先に登録してしまっている母親の名前が表示されたとき、何とも言えない苦しさが押し寄せた。だが俺は、電話に応じてしまうのだ。
「智君、キャンドルのお店、ええと、ネットショップ? やってるって本当?」
報告していないにも関わらず、何故知っているんだろう。
「智君のお父さんから連絡があったのよ。智君がインターネットで有名になってるって。本当なの?」
「ああ……まあまあ、だ」
俺の父親。そんなものの存在は、完全に忘却していた。
俺を『要らない』と最初に捨てた男。
俺に感心を抱くことがあるのか、と他人行儀に思った。
「凄いわねえ、さすが私の智君。ねえ、私にもキャンドル作ってちょうだい。お客さんに自慢したいの」
何が『私の智君』だ。
お前に母親らしいことをされた覚えなんかない。
それでもこの声を突き放せないのは、不味い夕飯を作ったのがこの女で、俺はそれを食べて育ったからだ。
「……忙しいから、いつでもいいなら」
「ありがとう、待ってるわ。ねえ、紫陽花のキャンドルにしてちょうだい。私、名前が『紫陽子』でしょう、紫陽花みたいにきれいな子って意味なの」
そうして、紫陽花のブルーが好きとか、花を中に入れて欲しいとか色々注文をつけて、あの女は電話を切った。
俺は──紫陽花というテーマを得て、いつもと同じように、頭を動かし始めたのだった。
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