上 下
513 / 568
終章「The last battle in shangri-la eden」

明人編「真夏の夜の夢」(通常版)

しおりを挟む
 輝きの束はやがて足場となり、明人はその上を歩んでいた。頭上では竜と天使たちが激しい攻防を繰り広げ、その余波で空が煌めいて見える。
 ひたすらに輝きに沿って歩み続けると、やがてキューブの残骸と氷とを継ぎ接ぎで作られた足場に到着する。

 原初零核 殷々たる救済の冰獄サラウンディング・アムネスティ・フォールダウン
 感じた冷気は凄まじく、骨の髄まで凍りつくような殺意に満ちていた。
「女共は捨ててきたのか?」
 足場の中央に辿り着くと、そこに立っていたのはニヒロの人間態、剛太郎だった。
「はぐれたんだよ」
「まあいい。明人、俺は貴様を待っていた」
 剛太郎は右手を差し伸べてくる。
「俺と共に来い。貴様は俺の産み出す新世界の礎となる」
「わかってるだろ、あんたなら。俺が何をしたいかを」
「ふん」
 右手を引き戻して握り締める。
「まだソムニウムと戦うなどと血迷ったことを抜かしているのか。それとも貴様の入れ知恵か、アルファリア」
 応えるように明人の背後からアルファリアが現れる。
「何、我はこやつと目的を同じとする同志というだけのことじゃ。汝が思うような出来事はない」
 剛太郎は右手を下ろす。
「明人、今の貴様こそ、俺の求めるスペックを満たした、最良の器だ。ユグドラシルが不完全にしたものを、こうして俺がここまで鍛え上げてやった」
「確かに、俺はあんたに恩義はある。古代世界で俺が生きていけたのも、ひとえにあんたのお陰だ。だが、だがな……王龍ならわかってるだろうが、恩を仇で返そうとも、やらなきゃならないことはある」
 その返答に対し、剛太郎は眼鏡のブリッジを押す。
「ならば、ここで俺が採る選択肢も理解しているだろう?」
「ああ……」
 明人はアルファリアを戻し、鎧姿になりつつ大剣を右手に産み出し、瞬時に肉薄して切り付ける。剛太郎は動作こそ緩慢であるが目視できない速度で剣を産み出し、その一撃を簡単に受け止める。彼の持つ剣は、肉厚の刃から、連なるように複数の刃が絡まっていた。
「完成していたとしても、貴様は所詮器。原初の存在たるこの俺に、そんな亡霊一人背負っただけで歯向かえるとでも……」
 押し返すと明人の大剣はへし折れ、右脇腹から顎まで切り裂かれ、左手で押され、強烈な縦斬りで明人は甚だしく吹き飛ばされる。折れた大剣の柄が地面に転がり、アルファリアが咄嗟に現れて寄り添う。
「大丈夫か、同志!?」
 剛太郎がゆっくりと歩を進めてくる。
「貴様は死体では意味がない。故に殺さない。だが貴様の存在は既に、三千世界で一度完全に消滅した。そのボレアスの忘れ形見が貴様を保っているのならば、そいつの存在が消えれば、貴様は俺の手に収まる」
 明人は傷を確認するように顎に触れつつ、上体を起こす。
「下がってろアルファリア……!」
 彼女を引き留めつつ、彼は籠手と具足を装備して立ち上がる。
「しかし同志……」
「零さんと戦う前に消耗するのは面倒だが……剛太郎を倒さなきゃ前には進めん」
「ならば我も共に戦うぞ……!」
 二人がそれぞれ戦闘態勢に入り、剛太郎は歩を止める。
「ふん、無駄な抵抗だが……まあいい。特異点がアルヴァナの下へ辿り着く寸前にしかユグドラシルは動かんだろうからな」
 剛太郎は一瞬で距離を詰め、アルファリアの前に現れる。左手で強く彼女の首を掴み、背後からの明人の強打を剣を背面に沿えて防ぐ。そして刃の狭間で彼の腕を絡め取りつつ、アルファリアを投げ飛ばし、明人を前面へ放り投げる。アルファリアは空中で受け身を取り、両手を交互に振るって魔力弾をばらまく。それらは不規則に動きつつも剛太郎をホーミングし、彼は避けるでも防御するでもなく、ただゆっくりと歩いて受ける。更に巨大な魔力弾と雷柱を組み合わせて弾幕を張り、続けて火炎、氷塊、魔力の槍と続けて繰り出す。氷塊のひとつが剛太郎の右膝に直撃し、彼の歩行機能を低下させる。その瞬間、明人の拳が剛太郎の腹を貫き、その体が弾け飛ぶ。剣と眼鏡が空中に飛び――瞬時に再生した剛太郎が明人を左手で突き飛ばし、右手で眼鏡を掴んで掛け直す。
 軽い挙動からは考えられぬほど吹き飛ばされるが、明人は受け身を取り、その横にアルファリアが着地する。
「どうなってんだ?」
「原初三龍の一角であるニヒロがどうして人間態を持てるかずっと疑問だったが……まさか、そういうからくりだったとはな」
 明人よりも先に気付いたアルファリアが魔力の槍を投げる。剛太郎は躱さず、貫かれて爆散する。が、瞬時に再生されて、眼鏡を掴んで掛け直す。
「なんて再生力だ」
「違う。同志、よく見ろ。あやつの本体は……あの眼鏡じゃ!」
 剛太郎は鼻で笑う。
「流石の洞察力だ、アル・ファリア。そう、その通り……俺たち原初三龍は、その余りの力ゆえに、人間に姿を貶めることが出来ない。だからこうして、俺は無機物となり、それを使うにちょうどいい素体を持っているに過ぎない」
 眼鏡を外し、空中へ放る。するとそれは砕け散り、剛太郎の体も消滅して吸収される。
「明人、貴様が己の目的を果たすことはない。ただ、役目を果たせばそれでいい」
 やがて力は収まり、巨大な氷柱となる。内部から閃光が迸り、再び砕け散る。絶大なる冷気が迸り、力の塊が着地し、凄絶無比な氷の波濤が大地を走る。
 そこに居たのは紫紺の龍、即ち王龍ニヒロその人だった。
「我が礎となることを光栄に思え、明人。俺がただ一人君臨する、永劫なる静寂《しじま》の世界の糧となるのだ」
 立ち込めた冷気は普通の冷たさとは異なる、異質な雰囲気を纏っていた。
「ニヒロ……」
「仕方あるまい、我らも……!」
 明人は無謬となり、アルファリアは兎頭の天使となる。
「滅びを享受せよ、明人。思慮は無価値なり」
 ニヒロは突如として、地を割りつつ馬鹿らしいほどの加速で突進してくる。当然回避も迎撃も間に合うわけは無く、無謬が遥か上空へ突き飛ばされる。遅れてやってきた、攻撃の余波とは思えぬほどの猛吹雪によってアルファリアの動きは止まり、急ブレーキをかけたニヒロは打ち上げた無謬へタックルを叩き込んで追撃し、すぐさま着地してから、彼を狙って凄絶な破壊力の氷のビームを放つ。抵抗すら出来ずに無謬は地面に叩きつけられ、車輪のごとく転がって力尽きる。
「なぁっ!?」
 たった一度のコンボで無謬が戦闘不能に追い詰められたことにアルファリアが驚愕していると、不意に飛び上がったニヒロから夥しい数の巨大な氷柱が放たれる。やたらと狙いがぶれているが、その氷柱の一つ一つの大きさゆえに安易な回避を許さず、仕方なくアルファリアは姿勢が大きく崩れることを承知で回避に専念する。ニヒロは翼から冷気を発し、右前足で見事にアルファリアを叩き伏せ、そのまま莫大な冷気を流し込んで巨大な氷のオブジェを作り出す。
 だがアルファリアは凍りきっておらず、反撃に分割した双刀の一本を飛ばす。が、ニヒロが全身に纏う冷気に阻まれ、表皮に届くこと無く凍りつく。ニヒロが右前足を押し込むと、アルファリアは一気に氷結が進む。
「卑小な人間が最も偉大な人間グレート・オールド・ワンなどと箔を付けようが無駄なことだ。貴様はヒトにしては聡明だと思っていたが、アル・ファリア」
「超越者であるはずの龍が人間に頼る方が、よほど歪ではないか?」
「ふん、それもそうだな。貴様は、人間だ。だが明人は人間ではない。王龍の作り出した、そういう〝兵器〟だ」
 ニヒロは僅かに力を強める。それだけで、周囲に立ち込める冷気は無尽蔵に膨れ上がる。
「死ね」
 短くそう告げた瞬間、ニヒロもアルファリアも、意識を取り戻した無謬も、その場にいた全員が近づいてくる圧倒的な闘気を感じ取る。ニヒロは急に力を全開にし、やや昂ったような雰囲気を放つ。
「来ると思っていた……!」
 ニヒロはアルファリアを手放し、向かってくる闘気へ向き直る。それが着地した瞬間、周囲の冷気を全て打ち払い、上空の戦闘が一瞬停止する。極大の衝撃波が響き渡り、アルファリアは咄嗟に氷を融かして無謬を庇う。しばらくしてようやく収まると、ニヒロと、暗緑の巨竜が相対していた。
「ボーラス……!」
「ニヒロ、今こそ貴様に引導をくれてやろう。新たなる世界に、貴様とユグドラシルは必要ない」
 ボーラスはニヒロ越しに、変身を解いたアルファリアへ視線を向ける。
「小娘。貴様は空の器を連れて進め」
 アルファリアは頷き、竜化の解けた明人を魔力で持ち上げて逃げ去る。
「ボーラス、俺の王龍結界から逃れたのは誉めてやろう」
「敢えて封じられていたに過ぎぬわ。封印を破って貴様に察知されるのは無駄なことだ。我はユグドラシルとも、貴様とも違う。我が全ての生命において、万物の絶頂にあるという事実がある以上、貴様らのように己の覇を世に唱える必要はない」
「俺は自分が全ての頂点にあるかどうかなどどうでもいい。俺以外の存在があるということ自体が気に入らん」
「そうだろうな。貴様は他人を許容しない。ある意味での、〝秩序〟を具現した存在だ。だが世界は秩序にも混沌にも傾いてはならない」
「それが貴様の望む〝中庸〟だと?」
「中庸か……ニヒロ、それは物事の本質が見えていないことの証左だ。我は混沌と秩序が永遠に争い続けること、それが重要だと言っている。ある種の固定化されたドグマに従うことで思考停止せず、永遠に争い続けることがな。暴力だろうと、言論だろうと、あらゆる手を使って己《ミーム》を、遺伝子《ジーン》を遺し続けることこそが、世界の進む道を切り開く」
「随分と人間のようなことをほざくな。貴様も所詮、アルヴァナと同じように人間に絆されただけか」
「そう思いたいのならそう思えばいい。かくいう我も、今この状況では思考停止して暴力を振るう他無い」
「そう来なくてはな」
 ニヒロが吠えると、ボーラスも咆哮する。
「決着だ」

 原初零核シャングリラ・エデン
 アルファリアがしばらく明人を伴って進むと、今度はキューブのみで構成された足場に到着する。彼女は一旦明人を下ろし、上体を抱える。
「同志、しっかりせよ。まだソムニウムへは遠いぞ」
「あ……っあ」
 明人は朦朧としつつも、アルファリアの肩を借りて立ち上がる。
「大丈夫だ、まだ全然な。アルヴァナに無明の闇を充填してもらってるお陰か……全然消える気はしない」
「よし。ならば先へ進むぞ」
 彼が自分の足で立ち、二人は正面を向く。前から歩み寄ってくるのは、千代だった。
「千代姉!やっと会えたぜ」
 明人が駆け寄ろうとすると、アルファリアが手で制する。千代は腰に佩いていた長巻の柄に手をかける。
「ああ、なるほどな……」
 千代は流れるように抜刀し、構える。
「あきくん、君を死なせはしないから」
 明人は左手を翳す。
「ダメだよ。いつもの私だと思って、洗脳とか催眠とかで切り抜けようとしたんでしょう?」
 長巻の刀身に真雷が宿る。
「そいつは……デベヘルン・ハリネル!」
「メランちゃんからこの力を貰った時は戸惑いもあったけど……あきくんのお陰でここまで来たんだから、君のために戦う……今はそれしかないから」
 千代の背後から雷の竜が沸き立つ。
「来須の仇を討たせて貰うぞ、空の器」
「あきくん。どれだけの覚悟で君がここに来てたとしても……私は君を討つ!」
 明人は構える。刀身を失った大剣を右手に呼び出すが、すぐに消して籠手と具足に換える。
「その人が君を唆したの?私たちなら、きっと幸せに生きて行けたはずだよね、あきくん」
 千代は普段の学生服に、右腕にのみ籠手を着けていた。
「いや、違う。俺は自分の意志で、この先に進む。こいつはあくまでも、俺と目的地が同じだけだ」
 刀身に迸る真雷が体まで届かぬよう、籠手が遮っているように見える。
「私ね、あきくんにずっと感謝して生きてきたんだ。あの息が詰まりそうだった現実の中で、君と言う存在は夢のように綺麗で、可愛くて、切なくて……」
 千代は納刀し、凄まじい雷光を鞘に抑え込む。そして低く構える。
「あきくん、君はきっと……ただ私たちと愛し合って、永遠に幸せであることに魅力を感じないんでしょう。なら……私のわがままで、君をこの世に留めて見せる。私たちが、私が……これからもずっと、幸せな夢を見るために」
 雷の軌跡だけを残して千代が眼前に現れ、驚異的な速度の抜刀が繰り出される。明人は反射的な判断で顎を引き、切っ先がその僅か数ミリ手前を通り過ぎ、そのまま後転して距離を取る。顎は切っ先の雷光によって薄く切り裂かれており、だが深く刻まれた傷から出血する。即座に傷は修復され、そこに千代は電撃を地面に走らせる。更に高速移動の予備動作から納刀し、電撃の軌跡を残しつつ三角形に駆け抜ける。そのあからさまな動きを見て、明人は彼女の到達点を見切ったが、あえて手を出さずに静観する。軌跡に合わせて怒涛の落雷が発生し、千代は強烈な抜刀二連斬りを繰り出す。当然リーチは足りていないものの、発生した電撃の刃が二つ飛ばされ、それに従って小さめの電撃が乱れ飛ぶ。素早い挙動と読み違いから対処しきれずに明人はすべての攻撃を受け止め、千代は素早く納刀しつつ彼の頭上に瞬間移動し、抜刀して明人を叩き伏せ、長巻を両手で構えて急降下する。隙だらけの明人の背中を守るようにアルファリアが現れ、暴風を咄嗟に起こして千代を吹き飛ばす。強烈な突風で千代は体の制御を失いつつ空中を舞うが、ハリネルが少々強引ながらも彼女の挙動を制御し、安全に着地させる。
 アルファリアと共に、明人は立ち上がる。
「まさか千代姉に手こずるなんて思いもしなかったぜ」
「じゃが、いくらシャングリラで慣らしたとは言え元は古代世界の人間……ハリネルのフルパワーに晒され続けて、長時間持つとは到底思えぬ」
「ああ……」
 構え直すと、千代も納刀し、準備を整えていた。確かめるように右腕に力を込めると、籠手の狭間から真雷の青い光が漏れ出す。
「あきくんが世界のために頑張ったのは知ってるよ。ヴァナ・ファキナとかいう人のせいで苦しんだことも、全てを滅ぼそうとした罪を、懸命に償い続けてきたのも。だからこそ、例え君が望んだことであったとしても、君の人生の到達点が死ぬことだなんて、納得できない」
「最初から納得してもらうつもりはない、千代姉。これは意地の問題なんだ。勝てるかどうかとか、死ぬかどうかとかいう次元じゃないんだ」
 千代は少し俯き、そしてもう一度強く明人を見つめる。
「まるでソクラテスか禅問答みたいね……深く考えすぎて、結局は単純なところに回帰するってこと?ねえ、あきくん。人生は短いようで、長いわ。確かに、自分の思う究道の果てに辿り着くには、生き急ぐ必要もあるかもしれない。でも、それは一人で追い求めていたら、という仮定によって生まれるものよ。君には私だけじゃない、メランちゃん、シャトレちゃん、レベンちゃん、燐花ちゃん、ゼナちゃん、トラツグミさん、ハルちゃん、アリアちゃん……たくさんの人たちが、君を助けに来てくれる。一人で前に進む前に、みんなで考えられないのかな」
「それで納得してたらこうなってないだろ、なあ」
 刀身を失った大剣を再び手元に呼び出し、その刃を闘気で生成する。両手で構えて振り抜くと、シフルの竜巻が起こり、鋭い礫と共に猛進する。千代は右腕から凄まじい閃光を放ち、凄絶な電撃を繰り出す。左手で右腕を支え、右掌からは放たれた電撃は極太のレーザーへと変わる。
「アルファリア!」
「わかっておるわ!」
 明人が大剣の腹でレーザーを受け止め、彼の背から現れたアルファリアは竜巻をぐるりと回り込むように魔力塊を放ち、千代は神速の抜刀からそれに続く放電で打ち消す。その隙を潰すように即座に眼前に現れた明人が大剣を振るうが、千代は慣性を完全に無視した強烈な挙動で長巻を返し、競り合う。
「甘いぞ千代姉……!」
 鍔迫り合いで動けぬ彼女へ向けて、アルファリアが外野から氷塊やら魔力の槍やらを投げつけて攻撃を仕掛ける。
「さて、甘いのはどっちかな……?」
 再び形を成したハリネルが電撃を繰り出してアルファリアを牽制し、だが明人が千代の刃を押し切り、次撃を狙う。弾かれた瞬間、千代は腰に佩いている鞘を逆さにし、弾かれた勢いのまま背で納刀し、左手で長巻を掴み、がら空きの脇腹に叩きつける。大剣を両手で掴んで追撃を繰り出していた明人はその衝撃で右手を離し、左手で掴み直して大剣による刺突を繰り出す。千代は左捻りすることで大剣を避け、そして捻りを戻して抜刀しつつ切り上げ、大きく溜めの回転をしてから最大威力の一閃を叩き込み、明人を水平に弾き飛ばす。
 明人は即座に受け身を取って大剣を地面に突き立ててブレーキを取るが、軌跡を残しつつ高速移動で背後を取ってきた千代が、籠手から壮絶な電撃を発しつつ斬りかかってくる。
「くっ……!」
「おかえり、あきくんっ!」
 再びの一閃。それに伴う夥しい物量の電撃、更に先ほどの一閃と同等の破壊力を備えた連撃より、トドメに極悪な破壊力の電撃が迸る。
無窮の幻、紫電の霹靂ライク・ライト・アロー・タイム・フライズ〉!」
 電撃が天にも届くほどの柱となり、それから怒涛の矢となって降り注ぐ。千代は納刀して一気に後退し、煙を上げる右腕を脱力する。右腕を気遣いつつ前を見ると、ダメージを負ってはいるものの健在な明人と、上空から降下してきたアルファリアが見える。
「千代姉」
「もちろん、これで終わるなんて思ってないよ。アルヴァナの力を増幅した君を討ち取るのは、そう簡単なことじゃない」
 千代は力を入れ直し、長巻を抜刀する。
「でも言ったよね。君のことを案じてくれる人はたくさんいるって」
「そういうことか……」
「みんな味方だけど、だからこそ君をむざむざ死にに行かせはしない。ここで消し飛んでも、私たちはアリアちゃんのお腹の中で生きている。君さえ止められれば、君さえ手に入れば、どんな犠牲も厭わなくていい……!」
「クソッタレ」
 呆れたように呟く。
「それでいいの。そのためにみんながいるんだから」
 千代ははにかむ。
「ハリネルさん。私を……どんな姿にしても構わないから、ただ、力だけをください」
 背からハリネルが沸き立つ。
「行くぞ小娘。空の器を下すためならば、我が力存分に使い果たすがいい!」
 彼は光の粒子となり、千代を包み込んで回転する。
「泡沫の夢幻の中で、安らぎしは狂乱なる戦意。今こそ彼の者の傷を癒し、宥め、楽園へと導かん!我が名、〈霹靂神《はたたがみ》!〉」
 やがて光を砕き、万雷を纏うマッシブな狼のような中型竜が現れる。
「あきくん、君にとっての楽園は、私たちのところにあるの!」
 霹靂神は右前足を構えつつ一気に肉薄してアッパーを繰り出す。明人はアルファリアを引っ込めつつバックジャンプし、そのまま竜化する。霹靂神はサマーソルトを放って三つの直線状に電撃を繰り出し、着地と同時に後退しつつボディプレスを二度放ち、隆起する大地で攻撃する。無謬は両腕を合わせて波動を繰り出し、電撃と隆起を同時に止める。続けて霹靂神は軌跡を残しつつ瞬間移動し、大地を翻しながら猛進する。無謬は左腕で受け止めるが、霹靂神はそのまま上昇し、真雷を纏って急降下する。無謬が防御して後退したのを見るや、身を高速で震わせ、二度のボディプレスで今度は大地を手ごろな岩塊に変えて浮上させ、最後の咆哮で一気に降下させる。無謬は地面を叩いて波動の壁を生み出し、己のパンチで前進させ、それに沿って突進する。続いて霹靂神は小さく飛び上がって空中でローリングしつつ後退し、滑りつつ着地して大量のシフル粒子をばらまき、特大の放電を繰り出す。無謬は波動の壁に任せて突撃し、放電を振り切って霹靂神を完全に捉える。だがそれはあちらも読み切っており、既に身を引いて構えた状態で会敵する。歪に伸びた角を剣のごとくし、強烈なしゃくり上げで無謬を打ち上げる。更にもう一撃打ち上げ、頭上に浮いた無謬へ、総力を込めた最強の電撃の柱を作り出し、撃ち抜く。だが放出後の隙を狙い、無謬が空中から波動を繰り出して霹靂神を拘束し、急降下からの貫手で背から貫く。引き抜き、背から離れると、霹靂神の竜化が解ける。
 腹に大穴を空けられた千代が蹲っていた。無謬も竜化を解き、彼女へ歩み寄る。
「あき……くん……」
「これが俺の答えだ、千代姉」
 千代は力なくかぶりを振る。
「こんなことになるなら……あの時、何もかもを擲ってでも……君を、私の元に置いておけば、よかった……」
「千代姉は悪くない。ただ見てた未来が違うだけだ」
「優しいね、あきくんは……でも、私は意地悪だから……君に、少しの力も……あげない……」
 千代は咄嗟に明人へ抱きつく。
「後はお願いっ、シャトレちゃん!」
 残る全ての力を使って放電と爆発を行い、一気に自分の体を塩へと変えて破壊し、この世から消え去る。
「ぐっ……クソっ、そう来るか……!」
 不意打ちで防御できなかった明人は、まるで千代の残り香のように体を這う電気を振り払い、小さく舌打ちをする。乱れた呼吸を落ち着けて、背後からアルファリアが現れる。
「空の器の性質を理解して、汝の力になる前に自爆したか」
「ああ……まさか千代姉がそんなことをするとは」
「余分な消耗は控えたいところだが……汝の囲っていた女どもが、今のレベルかそれ以上の力で待ち構えているのなら、全力で挑んだ方が結果として消耗が少なく済むだろうな」
「それに千代姉は素人だったが……いや、まあいい。あれこれと考えても同じだ。先に行くぞ」

 淡い輝きに包まれた暗黒の中を進んでいく。頭上の天使と竜たちの争いは勢いを増し、破壊された天使が落下してきては砕け散る。
 次に訪れた広場には、Chaos社海上基地の残骸が突き刺さっており、それに続いて赤黒い雷に打たれた竜やら天使やらが破片となっている。残骸の狭間にて待ち構えていたのは、メランエンデだった。
「次はお前か」
「はい。器様」
 メランはいつものように柔和な笑みを浮かべ、肩を竦めて胸を揺らす。
「ここに来たということは、千代さんのことは躊躇いなく、冷酷に、容赦なく殺してしまったんですね」
 非難するように……いや、嘲笑を隠した悲愴な表情で告げて、メランは横顔を向け、右手を伸ばす。小さな光の粒子が彼女の掌に舞い降り、そして握り潰される。
「そうだよ。俺は千代姉を殺した。邪魔だったからな」
「そうでなければ。器様は、そうでなければ。」
 メランは明人へ向き直り、左手で脇差に触れる。
「そうでなければ……私はあなたに惚れなかった。目的もなく彷徨い、種を撒き散らし、そうして食い荒らして、取ってつけたように死にたがる。あなたのその、人間としての道徳がない、ある種の〝人間らしさ〟に、私は惚れたんです」
「面の皮が厚いのは自覚してる。そうでなきゃ、罪を償うとか言えるわけねえ」
「でも――あなたは本当に要らないのですか?あなたのことを無条件に認めて、愛して、労わって、尊重してくれる美しい女性たちと、永劫の幸せを享受することが」
「自分を認めてくれる、安心できる平和な場所は要らない。一緒に過ごしてくれる人もな。俺は命を使い潰したいんだ。二度と蘇りたくないからな。んで、どうせ命を使い切るなら、宿敵と決着をつけたいだろ」
「あちらはあなたのことなど見えていませんよ、器様。ソムニウムは、初めからあなたなど眼中にない。そしてきっと、どんな力をぶつけても器様では、ソムニウムに勝てない。恐らく、一方的に叩きのめされるのが関の山でしょう。それで、あなたが望むように死ねるのですか?」
「当たり前だろ。何事もやってみなきゃわからねえ」
「そうですか。コラプスとの戦いは一進一退、千代さんとの戦闘では随分と被弾が多くなっていましたが。それに、我が主との戦いでは文字通りの瞬殺の憂き目にあっていたではありませんか。隷王龍ソムニウムは、我が主を遥かに上回る化け物なのですよ」
 明人は大剣を生み出し、切っ先を向ける。
「そろそろ黙れ、メラン。何を言われようが俺はお前を倒して進む」
「いいでしょう、器様。私はあなたに蹂躙されるのが何よりの喜びです。しかし――たまには攻守を入れ替わるというのも、マンネリから脱するのに必要です」
 脇差が引き抜かれ、ゆっくりと構えられる。
「この世から絶やしてならぬのは、性への探求、生への執着、精への慈悲……さあ、参ります」
 メランがふわりと浮き上がり、異常に鋭い角度で斬り込んでくる。明人は軽く弾き返し返す刃を強烈に弾く。それだけで鈍い音が響いて脇差を取り落とす。だがメランは一歩踏み込み、明人の右腕を掴んで背面に投げ飛ばす。そして左手に脇差を呼び戻し、倒した明人の右脇に突き刺し、右足で腕を抱え込み、左足で頭を挟み込んで固める。反撃に籠手が装着された左腕でパンチを放つが、メランは手から赤黒い電撃を放って弾き、右手刀で彼の股間を強打する。続く電撃で焼くが、明人は強く反動をつけて下半身を持ち上げ、瞬間左拳をメランの腹に極め、両足で彼女の頭を掴んで力任せに抛る。メランは粘ろうとはせずに、投げられてから受け身を取り、脇差を右手に戻す。明人も傷を癒しつつ立ち上がる。
「まさか金的で来るとはな。だが……効くと思ってんのか」
「うふふ。これで見納めとなると寂しくて……単純に器様の本尊に触りたかっただけですよ。器様も、私のむちむちの太ももを押し付けられて幸せだったでしょう?」
「ふざけんなよ、メラン」
 明人は大剣を消し、蒸気を発しながら素早い右ストレートを繰り出す。メランはその腕を掴んで引き流し、彼の背中に脇差を突き刺し、すぐに引き抜き、足を払い、勢いのまま体を捻りつつ回転して足で明人の頭を捉え、翻って地面に叩きつける。メランが離れると同時に明人は具足から蒸気を放ちながら足を回転させて反撃するが、当たるわけはなく牽制に留まる。籠手から蒸気を放って飛び上がり、大剣を呼び出して急降下しつつ斬りかかる。その余りにも大振りな動きは脇差で受け止められ、体ごと弾き返されて着地する。
「器様だけの力など所詮はそんなもの。大人しく我々の肉バイブになってくださいませ」
「ここで諦められるなら千代姉を殺したりしねえんだよ」
「もちろんわかっていますよ。でもこれでよりはっきりしましたね。器様って本当は……強引な方が好きなんですね?」
「もう好きにしろよ」
 明人は大剣を振り、巨大な真空刃を放つ。アクロバットな跳躍で飛び越え、そこへやたらめったらに振り回した大剣から飛んでくる小さな刃の弾幕が注ぎ込まれる。メランは高速回転して刃を弾きつつ着地し、左手から放った電撃の盾で凌ぎ、その場に留まる。続けて明人は竜巻を生み出して飛ばし、全力で力み、周囲の瓦礫を空中へ持ち上げる。刃の切れ目に竜巻が激突して更にメランは釘付けにされ、そこに瓦礫が次々と激突する。彼女の体は吹き飛び、追撃にピンポイントで落とされた瓦礫に撃墜され、下敷きとなる。だが即座に竜化して瓦礫を破壊し、飛び上がる。
「器様、あなたも気付いていないかもしれませんが、私も実は興奮しているんですよ」
「お前はいっつもだろ」
「いえいえ……そうではありませんよ。ここが正念場、どれだけ自分の命を無駄にしてもいいわけです。それはつまり、どんな無茶な作戦をも許容できると言うこと……」
 メランは翼についた長い鉤爪で地面を抉り出し、翼の一閃で砕いて礫を放つ。明人も即座に竜化し、それに伴う衝撃波で全て破壊し、長めの構えから両腕を繰り出し、そこから細い衝撃波を届かせる。メランは旋回しつつ上空へ飛び上がってそれを躱し、右足に極悪なほどの電撃を蓄えて急降下する。無謬は後ろに下がるが、その程度の後退など無意味なほどの絶大な衝撃が着地と共に迸り、続けてメランの口から放たれた赤黒い極太のビームが叩き込まれる。だが彼女の頭上から魔力の槍が注ぎ、突き刺さり、そのまま拘束する。
「これは……アルファリア!」
 気付いたメランが即座に戒めを破壊するが、駆け寄ってきた無謬の強烈なラリアットを受けて吹き飛び、そこへ重ねて衝撃波が叩き込まれ、辛うじて受け身を取ったところへ特大の魔力塊を叩き込まれ、その爆発で地面に叩きつけられる。
 畳みかけるように無謬は片腕ずつ振り抜いて衝撃波を走らせ、続けて両腕を地面に叩きつけて特大の衝撃波を叩き込む。メランは攻撃を受けつつも強引に飛び上がり、全身に赤黒い電撃を纏いつつ降下し、着地と共に解き放つ。莫大に過ぎる電撃が大地を走り、瓦礫が融解していく。
「なんだ……」
 無謬が困惑する。白が中心だったメランの体は赤黒く染まっており、鱗が剥離しては焼け焦げて消える。急にメランは右翼を振り抜く。それだけで、おぞましいほど大量かつ超高出力の電撃が扇状に放たれる。無謬は後退して範囲から逃れるが、メランは鉤爪を突き刺し、高速で接近しつつ噛み付く。口に蓄えた莫大なエネルギーを嚙み砕くことで、自分もろともに痛烈な爆発を無謬に叩き込む。
「がふっ……!」
 思わず呻いた無謬に、左翼の一閃を叩き込み、続く鉤爪で彼を巻き取り、空中へ放り投げる。そのまま錐揉み回転で彼を貫き、上空を高速で旋回して無数の雷撃を注ぎ込む。高く打ち上げられた無謬は空中で体勢を立て直し、上を向いてメランを捉える。
「!」
 無謬が目にしたのは、既に大技の準備に入っていたメランの姿であり、遅れて注がれる雷撃が行動を阻んでくる。次の瞬間、天空から莫大なエネルギーを纏った光線が降り注ぎ、無謬へ叩きつけられる。余りにも強烈な出力に抵抗できず、彼は光線と共に着地し、そのまま足場と光線の板挟みになって喰らい続ける。次第に地面が溶解し、無謬もその溶けだした沼に沈み込んでいく。光線の撃ち終わりに盛大な爆発が起こり、無謬はそのまま沼に押し込まれる。
 程なくして、ふらつきつつメランが着地する。鱗は殆ど焼け落ちており、呼吸も見るからに浅い。
「私の勝ちです、器様……」
 メランは霞む視界の向こうから、灰色の蝶が飛んでくるのを見止める。
「夢見鳥……!」
 素早く構えて細い光線を撃つが、蝶はひらりと躱す。気を取られていると、鈍い音と共に無謬が沼から抜け出してくる。いや、正確には、天に掲げた右人差し指を、三本の魔力の槍で支え、持ち上げている。融解していない地面に着地し、無謬は自分の腹に左手で触れる。そして離し、掌を見る。
「……」
 既に体表は溶け出しており、ヘドロ状になった自分の表皮だったものが、指の隙間から地面に落ちる。
「さすがはマジの王龍ってところか、メラン……」
「アルファリア……」
 メランは心底恨めしそうに視線を向ける。無謬の右肩近くに浮かぶ、アルファリアへ向かって。
「クライシスの時に死んでいればよかったものを……」
 そして視線を無謬へ向ける。
「器様、一つだけ言っておきます……あなたと彼女は、見ている相手は同じでも、抱く感情は違う……あくまでも同志であって、味方ではないのです……」
 崩れ落ち、その体が粒子に変わっていく。
「お慕いしております、器様……身も、心も、何もかも……あなたの、傍で……」
 一気に光へと変わり、そして跡形もなく消え去る。
 無謬は人間に戻り、アルファリアと共にメランが居た場所まで歩く。
「なるほど、今度はそちらで来たか。余力も残さぬ、文字通りに全身全霊の一撃を以てこちらに打撃を与え、そして自ら消え去ると」
「自決の手段を全員が保持してるってわけか。随分と準備がいいな……まさか、超越世界に蘇ってからすぐ計画されてたりするのか……?」
「恐らくはな。あの千代と言う女、あそこまで格闘技術があったか?」
「いや……俺の知ってる限りじゃ、千代姉は運動音痴だったはずだぜ」
「ならば、汝の知らぬ場所で誰かが奴に戦い方を仕込んだのだろう。ヴァナ・ファキナとの戦いでアリアたちが妙に合流が遅かったのも、汝の力を余分に消耗させるためと考えられるな」
「まあいい。俺とお前の力だけで、零さんと戦うことになっても……負けるつもりはない」
「当然じゃ。まだ先は長い、疾く行くぞ」
 二人はその先の足場へ駆ける。

 次に到着した足場は、溶岩煮え滾る岩場のようだ。
「待っていたのじゃ、主」
 待ち構えていたのは、シャトレだった。
「今は二人っきりだろ」
 明人がそう言うと、シャトレは笑う。
「妾が……いや、妾たちが気付いておらんとでも?出てこい、主を誑かす残留思念」
 挑発し、それに応えてアルファリアが現れる。
「残留思念とは、覇王の落胤風情がよくもそんな口を聞いてくれたのう」
「ふん、主に憑りつかねば前の世界で消え去っていたはずの雑魚が。その消えかけの蠟燭のごとき小火で、本当にソムニウムに挑もうとしておるのか?」
 明人が会話を遮るように大剣を召喚し、切っ先を向ける。
「何にしたって邪魔するならお前を殺すだけだ、シャトレ」
「愚かな男じゃ、は」
 彼女はわざと皮肉っぽく告げ、胸の前で組んでいた腕をほどく。
「まあよい。妾もお前様のことなど、初めからトロフィーとしか見ておらんからの。空の器の魔力に踊らされた……ただそれだけのことよ」
 アルファリアは引っ込み、明人は大剣を下ろし、構える。
「じゃが」
 戦闘開始か――とはならず、シャトレは話を続ける。
「心の底からお前様を愛しておるのもまた事実。そうでなければ、ここまでの道のりのどこかで既に殺しておるからのう」
「愛してくれてるなら、どうして俺を縛り付けようとする。現世に留めようとする」
「肉体が無ければ肉欲は満たせぬ。それだけのことよ。概念的領域でなく、我らはあくまでも、人間の肉体を以て愛し合いたい。お前様が、どういうのが好みなのかは知らぬが」
 シャトレは鼻で笑う。
「普段ならば、ここでお前様が下らぬ、下品なことを言って終わるのじゃろうが……どうも周りが見えておらん奴と言うのは、面倒じゃな」
「周りが見える必要も、もうないからな。誰が何を言おうが、俺は零さんと戦う」
「戦いにすらならんぞ――いや、これはもうメランに言われたことじゃろうな。まさに盲目か。お前様、先に言っておくぞ……後悔しても、無意味じゃ」
 彼女は己の拳を突き合わす。
「さあ行くぞお前様。婚姻の契り、初夜の営みを始めるのじゃ」
 構えたシャトレの総身から凄まじい闘気が迸る。
「ぬぉ……っ!」
 それだけで気圧され、反射的に一歩引く。
「(この脊髄を貫くような威圧感……これが覇王の力か……!)」
 狼狽するアルファリアに続いて、明人は気張り直す。
「来ぬならば妾から行くぞ!」
 猛然と距離を詰めてくるが、瞬間移動の類ではなく、敢えて一歩一歩踏みしめてやってくる。明人は魔力の槍を数本生み出し、整列させて飛ばす。が、シャトレは速度を上げず、身に纏う闘気だけで粉砕する。
「覇王の玉体をそんな小娘の飯事で貫けると思うか!」
 シャトレは少々遠い距離から右手を突き出す。掌から迸る闘気が彼を襲い、咄嗟に防御に入らねば吹き飛ばされていたであろうが、明人は大剣の腹で受け止め、後退するに留まる。だが既にシャトレは彼を通り過ぎており、遅れて絶大な破壊力が全身を駆け巡る。
「がぼぁっ!?」
「さらば、我が愛しの――」
 瞬時に練り上げられた莫大な闘気が繰り出される。
「〈天覇烈葬〉!」
 それを背後から直撃させられ、ボロ雑巾のように地面を転がる。明人は地面に斃れ、反射的に竜化し、振り返りつつ拳を振るう。当然、そんな運任せの攻撃が当たるはずもなく、そもそもシャトレは先ほどの位置から動いていなかった。
「闘気が光そのものになっていた……」
 無謬に対し、シャトレはニヒルな笑みを崩さない。
「哀しみの中にこそ愛は生まれる。それがこの世界の根源じゃ」
 漲る闘気は輝きに変わり、その全身を黄金が包む。
「お前様を愛しておる。愛しておるがゆえに、お前様の、その不器用な生き様に、哀しみを禁じ得ない……」
「……」
 シャトレはわざと無謬から視線を外し、上空で争う竜と天使たちを見つめる。
「妾はわかっておるぞ。お前様が、力を出し惜しんでいることを。そしてその結果、千代にもメランにも、想定以上の大ダメージを負わされていることを。ヴァナ・ファキナとの戦いから、コラプスとの戦いも含め……順調にお前様に注がれた無明の闇は薄れていっているようじゃ」
「まさか……」
 無謬はその言葉を聞いて、彼女が用意した黄金の闘気の用途を察する。
「真如の光で、俺を生かしてる無明の闇を打ち消そうとしてるのか、シャトレ……!」
「その通りじゃ、お前様。一人で天国の外側になど行かせぬぞ。お前様は妾たちの欲望を受け止める器として、永遠のイコンとなるのじゃ!」
 シャトレも竜化し、先ほどにも増して凄烈な闘気をぶちまける。
「お前様のその、好敵手……いや、例え片思いだったとしても、どうしても決着をつけたい敵がいること。妾は誰よりも、お前様自身よりも尊重しよう」
 巌窟に一気に周囲の空気が集中し、凄まじい輝きと破壊力を兼ね備えた光の柱が立ち上る。輝きは一瞬で視界の全てを塗り潰し、大爆発する。爆風が収まると、全身から無明の闇を立ち上らせつつ姿を変えた無謬が構えていた。
「ようやく尻尾を出したか。それが今のお前様を現世に留める呪いじゃな」
「他の奴ならともかく、お前に手加減したら本当にここで死ぬことになるからな」
 変化した無謬の体は、所々装甲や装飾が追加されており、古代世界のChaos社の幹部たちの竜化体のパーツを外付けしたようなデザインだった。
「かつて見た滅亡の夢物語、か」
「多分俺にとって、一番幸せだったんだろうな。ああやって、友達と一緒に何かを成し遂げようとしてたあの頃が……あのあと、罪を償うなんて言って自分のやったことから目を背けてたが……やっぱ、どうにもしっくりこないな」
「よい。妾はそれを卑しいものとは思わぬ。罪を償うなどとほざいても、犯した罪に等しい罰など誰も与えられんからな」
 巌窟の背後にハビンノ・アラランガの姿が現れる。
「妾はお前様を倒す。お前様は妾を倒す。それだけじゃ」
「行くぜ」
 無謬は地面を叩いて衝撃波の壁を生み出し、無色のそれを塗り潰すように真黒い怨愛の炎が纏わり付き、巌窟へ突き進む。巌窟は大きく力み、上から腕を交差させつつ振り抜いて、X字状の斬撃を飛ばす。莫大な破壊力を帯びたそれは壁に激突して対消滅し、巌窟は続けて下から振り上げて斬撃を飛ばし、更に重ねて片腕で一度ずつ振って斬撃を飛ばす。無謬は最初の一撃を巨大な風の塊で相殺し、続く二発を鏡のような電撃の膜で跳ね返す。そして両者は同時に口から光線を吐き出し、反射された斬撃と、電撃の膜もろとも全て破壊しつつ、激突する。光線を形成するエネルギーの関係か、相殺の瞬間に爆発し、周囲の何かしらに誘爆するようにもう一度派手に爆裂する。
「(避けろ、同志!)」
 心中に響くアルファリアの声と同時か、一瞬遅れて無謬の頭上に現れたアラランガが強烈なエネルギー波を繰り出してくる。無謬はそれに押さえ付けられるが、強引に抵抗してアラランガを両腕で掴む。だが次の瞬間、光の速さで眼前に現れた巌窟の、ダブルスレッジハンマーで押し込まれ、アラランガの衝撃波で後退させられる。そこへ再び両腕の振り上げからの斬撃が飛ばされ、続く再びのダブルスレッジハンマーによる地割れと衝撃波の波状攻撃が放たれる。斬撃を電撃の膜が受け止めるが、凄まじい金属音を鳴らして相殺し、だが続く衝撃波が届いて僅かに動きを止められ、本命たる地割れを足元を掬われ、重ねて繰り出された光線が直撃する。アラランガも周囲を高速で旋回しつつエネルギーの球を乱射し、それを地面へ着弾させて小粒な衝撃波をいくつも起こす。だが無謬は渾身の力を総身から放ってそれらを打ち消し、強制的に光線の発射を止められた巌窟はほんの僅かだけ怯む。その一瞬に無謬は踏み込み、胴体へ右拳を叩き込む。同時に彼女の足元から強烈な衝撃波を噴出させ、踵側からの素早い回し蹴りから左拳を叩き込む。怯みを掻き消しつつ巌窟は反撃しようとするが、無謬は左拳と彼女の胸との間に力場を生み出して距離をつけ、右手に斜めに振り上げつつ掌に蓄えていた怨愛の炎を握り潰し、間近に爆発を当てる。巌窟は大きく後退し、アラランガも定位置と言える彼女の背後に戻る。
「まさかお前様とここまで本気で殴り合えるとは夢にも思っておらんかったのじゃ。この喜び、体を駆け巡る哀しみ、愛を……全て我が力に変えてくれようぞ!」
 巌窟の体が輝きに満ち、背後のアラランガも、今まで幽体のような半透明の姿だったのが、はっきりとした姿かたちを顕現させる。
「ぬおおおあああああッ!」
 発破をかけつつ力み、最初に繰り出してきたように交差した、柱のごとく縦長に進む、そして片腕から一発ずつ、それぞれの斬撃が高速かつ先ほどよりも高威力で繰り出され、それらが届くより早く光線を重ね、無謬が同じような対処を、同じく出力を上げて成そうとしたことに合わせてアラランガが頭上に現れて衝撃波を生み出して潰しにかかる。無謬も流石に見越しており、斬撃の対処を優先し、光線からの軸をずらし、アラランガの攻撃を電撃の膜で、高速で弾き返すことで相殺する。しかし、巌窟は光線を吐く動作を高速化……というより、当たらないまたは、打ち合いになっても早々に逃げるつもりでか、既に吐き終えており、瞬間移動で無謬の背後を取って二連薙ぎ払いを斬撃ごと直に叩きつけ、至近で口から闘気弾を叩き込み、踏み込んで全身から莫大な闘気の柱を生み出して攻撃する。
 無謬も構わず距離を詰め、吹き荒れる闘気の中で両者は手を組んで拮抗する。
「お前様!妾は今楽しいぞ!愛し合うことの究極系……それが戦うことなのじゃな!?こうして感情を剝き出しにして、裸の心を叩きつけ合う!己のさがを、互いの性を交え――より分かり合う!」
「ああ、シャトレ。俺もわかるぜ、お前が何を考えてんのか……」
「妾にもわかるのじゃ、お前様の心の内が、ソムニウムにどれだけの憧れを覚えているのか……!」
 闘気の柱が収まるのと同時に巌窟が右手の戒めを解き、殴りつける。それで後ろによろけた無謬が鋭く右拳で殴り返す。巌窟は素早く右腕で切り返すが、即座に張られた電撃の膜に阻まれて凄まじい金属音を響かせる。無謬は両腕に暴風と怨愛の炎を纏わせ、それを竜巻状にして巌窟を挟み込み、高速で削る。
「〈楽しさの圧政、栄遠たる暗黒郷ビッグブラザー・ヴェンジェンス・キリングフィールド〉!」
 頭上のアラランガから極限大の威力を誇る壮絶な音波が解放され、無謬の全身を打ち砕かんと震わす。だが彼は構わず、渾身の力で堪えて攻撃を続行する。巌窟は二つの竜巻を強引に突破し、右拳を繰り出す。無謬も音波に晒されつつも、その拳を己の左拳で迎え撃つ。遂に両者の拳が激突し、そして巌窟の拳先が欠ける。
「……!」
 巌窟は目を見開く。己の体から迸る絶類無比たる力は涸れておらず、まだ塩へと変わるのが程遠いとわかっている。しかし、拳が欠けた。その事実に驚愕する。そのまま彼女の右腕は粉砕され、彼の拳が胸元まで届き、貫く。
「ぐはあああッ!」
 巌窟は血の代わりに黄金の粒子を吐き出し、悶える。自ら無謬の拳を引き抜き、後退する。
「なるほど……憧れか……人の罪でも、神の罪でもない……獣が、竜が、この世に生きる全てが……光に、闇に、目が眩んだ……もう一つの、純粋なる思念……根源なる愛と等しき、ものか……」
 膝から崩れ落ちそうになった巌窟は、すんでのところで堪える。
「妾も覇王の血筋を引くもの……決して膝など地につかぬぞ!」
 気張り、力み、彼女は持ち直す。
「シャトレ」
「お前様……いや、明人」
 決着が近いと察したか、二人は一旦闘気の流れを落ち着ける。そしてシャトレは全身を修復し、アラランガを引っ込める。
「明人、もはや次の一撃が、妾たちの今際の言葉の代わりとなろう。生まれてからずっと追い続けてきた、我が偉大なる父の名にかけて、そして父が、母が最期まで成し遂げられなかった、愛に生き、愛に死ぬために」
「今更言葉にする必要もないだろ」
「ふふ、そうじゃな。じゃが敢えて言わせてくれ、言ってくれ」
「ああ。愛してるぜ、シャトレ」
「妾も愛しておるぞ、明人。我が最愛の人よ」
 彼女は改めて力み、壮絶な闘気が練り上がっていく。
「滅せい!」
 互いに右腕を繰り出し、拳が激突する。巌窟の拳が再び砕け、その全身から黄金の輝きが逃げていく。
「見事じゃ、明人……例えお前様が道を究め、ソムニウムと戦い本懐を遂げようとも……もう、妾に悔いることなどない……」
 巌窟は残った左拳を握り締め、天へ突き上げる。
「妾は悔いなく生きた。お前様、これは餞別じゃ!受け取れぃ!」
 彼女は自身に残ったすべての力を天へと解き放ち、立ったまま絶命する。光が収まると、その体は竜化したまま瓦解していく。
 無謬は竜化を解き、片膝をつく。
「はぁ……っ……」
「流石に無理が祟っておるか……」
 アルファリアが現れ、肩を貸す。
「仕方ねえだろ。俺をこの世に留めてるのは、アルヴァナが注いだ無明の闇と、お前だけなんだから。最初のニヒロの時みたいに、お前を狙われでもしたら、それだけで俺は一気に死に近づく。どうやっても俺が戦うしかない」
「わかっておる。ゆえに我は汝の力の管理を優先しているのだろう」
「感謝してるぜ、本当に」
 明人は己の足で立ち、アルファリアは引っ込む。
「さあ、急ぐぞ」

 次に用意された足場は、まるで現代の日本都市部のごとき建造物が立ち並んでいた。メランの時とは違い、ほぼ完璧な形で。逆に言えば、この殺風景な空の下に、無人の都市部があるというのは不気味だったが。アスファルトの道路を進んでいくと、巨大な交差点に到達する。道の角に建てられた巨大な商業ビル、その壁面のデジタルサイネージの足元に何者かが立っている。
 赤い炎で象られた旗を靡かせる槍、魔女のような、騎士のような黒い装束、現実離れした端正な顔立ち。艶やかな黒髪を携え待ち構えていたのは、月城燐花だった。
「来ましたね」
 燐花は立てた旗槍に体重を預けるような姿勢だったが、明人を視線に捉えるとしっかりと順手で握り直し、両足でしっかりと佇む。
「燐花……お前が戦うってことは」
「そうです。前も言った通り、私は一回戦えば間違いなく死ぬでしょう。今度こそ、跡形もなく消え去り、無の無へと旅立つことになる。でも……ずっと欲しかった、君との平和な日々。それが手に入るかもしれないのなら、全てを賭けて当然でしょう」
 左手で腰に佩いた長剣を鞘から抜き出す。金色の闘気を纏った、聖剣《エクスカリバー》だ。
「今回は三千世界の様には行きませんよ。私も全力ですし、それにコンディションもばっちりです」
 旗を形成していた炎は蒼く染まり、聖剣は旗槍に融合する。
「真炎か」
「烈火の真竜、エル・レジサーム・メギドアルマ……彼はまだ私の中に居ます。君を白金さんのところへ行かせないために」
 明人は右手に大剣を呼び出す。
「もう旧Chaos社の動乱が遠い昔のようです。三千世界での戦いも……ともすれば、もうずっと子供の頃に起きたように感じるんです」
「俺はまだ、あの時は迷ってた。何が望みなのか、誰と添い遂げるのか……だが今は、少しも迷いはない。燐花、俺はお前を殺して、先に行く」
「そうでしょうね。私もようやく受け入れられました。もう君の意志を無視して、餓鬼のように喚き散らしたりはしない――君を真正面から打ち破ることで、勝者の道理を通すのみ」
 片腕で旗槍をくるくると回し、そして切っ先を明人へ向ける。
「明人くん。君は、私にとっての太陽です。太陽が遍く存在に光を与えてくれないと、生命の循環はそこで終わってしまう。君はもう既に、一個の人間じゃない。私の、私たちの共有財産、命を育むアリア大地と、常にセットでなければならない」
「燐花、お前は俺と二人じゃなくていいのか」
「もちろん。私はアリアちゃんの考える理想郷に賛同します。昔は確かに、彼女とは恋のライバルでしたが……気付いたんです。君を思う気持ちは、二人とも同じだって。哀しみは楽園でこそ満たされる。それが、私の辿り着いた答えです」
「そうか。俺はそこには逝かない。お前を照らすのも今日この瞬間までだ。燐花……俺のせいでお前の人生は捻じれ狂ってここまで来ちまった」
 明人は強く彼女を見つめる。
「俺がやらかしちまったことへの、最後の贖罪だ」
「逃げ、ですか」
「ああ。お前を殺して、俺が古代世界でやったことは全部この世から消える」
「被害者が居なくなれば、罪を償う必要もない……全くその通りですね」
 二人は構える。
「では、私たちの未来を――かつてそれぞれ抱いていた、淡い希望を、ここに弔いましょうか」
「これで終わりだ、燐花!」
 二人は同時に駆け寄り、互いの得物を振る。一度目の邂逅は弾かれつつ擦れ違い、明人の素早い振り返りからの切り返しを凌ぎ、旗槍の柄で受け止める。そして強く弾き返して、旗槍を手放した右腕から爆炎を解き放つ。籠手を装着した明人は左腕を突き出し、発された蒸気でそれを弱めつつ、燐花は鎧の隙間から爆炎を解き放って強引に体を上に持ち上げて、続く大剣の刺突を回避し、右腕から再度爆炎を放って攻撃しつつ高度を稼ぎ、旗槍を構えて爆炎でブーストして急降下する。明人は一気に後退して着地の衝撃と続く爆発を避け、大きく大剣を振り抜いて巨大な真空刃を飛ばす、重ねて力を溜め、一気に最高速へ達して突進する。燐花は炎の旗を翻して真空刃を焼き、突っ込んできた明人の大剣と再び競り合う。
「明人くん、さっき君は、私の人生を君が捻じれ狂わせたと言いました。けれど知っているはずです……私の人生は、君に出会わなければ、下らない、醜いもので終わっていたことを。元々狂っていた人生を、君が捻じ曲げて正しい形にしてくれたんです。だからそのことに関して、君が悔いる必要などどこにもない」
「……」
「どうにかして、自分を納得させようとしているんでしょう。目の前に立つ、この私《てき》を、殺す正当な理由を探して」
「違う。俺は迷ってない。ずっと俺のことを見てたならわかってるはずだ……!」
「わかっています。もちろん。単なる劣等感だと、ずっと思っていました。でもわかったんです。君は現実から目を背けているに過ぎない。誰かの思いを受け止めたくない、それで誰かが傷つくことで、自分の名誉を損なうことが耐えられない。何の目標もないことが耐えられない。平和であるほど、自分のありのままを受け入れられない君は、どんどんその価値の低さに気付いてしまう」
「わかってんだよ、そんくらい……!」
「本当ですか?ではどうして、私たちの願いを切り捨てて、勝ち目のない戦いに行こうとしているんですか?君は自分が嫌いなだけ、自分が他者によって生かされている無能だということが認められずに、自分を無条件に認めてくれる人たちを敵視しているだけ」
 大剣を弾き返し、強烈な旗槍の一撃が明人を吹き飛ばす。明人は反射的に竜化して、即座に着地し、拳を地面に叩きつけて衝撃波を飛ばす。
「無駄です」
 衝撃波は燐花に届く寸前で、真炎に焼き尽くされる。
「なんだと……!?」
「(纏う真炎が奴を守っておるのか)」
「だが燐花は千代姉と同じ、ただの人間。消耗すれば……」
 狼狽する無謬へ、燐花は余裕を持って構え直す。
「無駄、無駄ですよ、明人くん。もう私は人間じゃない。烈火と融合した、純粋なる竜なんですから」
 鎧の隙間から真炎が噴き出し、周囲が蒼く染まる。
「君が気まぐれに伸ばした手を取って、私が辿り着いた結末。それが今ここにある」
 燐花は左手を伸ばし、そして握り締め、胸元に持っていく。
「私が目指した春まで、理想の世界まで、あともう少し……」
 開いた左掌には、真炎が象ったオオアマナの花弁があった。どこからともなく吹いた風に煽られ、花弁は遠く空の彼方へ消えていく。
「明人くん。共に逝きましょう。私たちの楽園へ、君が永遠に苦しむように、私たちが永遠に苦しみから逃れられるように。悩みも痛みも、飽きもない世界は君にとって、退屈で認めがたくて、息苦しいでしょう。けれど、君にはそれがお似合いです。己で贖罪をすると言ったのだから。己で私に人並みの幸せをくれると言ったのだから。己で私を妻にしたのだから」
 無謬は黙したまま両腕から衝撃波の塊を解き放つ。だがそれらは真炎に阻まれ焼失し、反撃に繰り出された熱波が無謬の表皮を焼き、彼は片膝をついて崩れる。
「(おい!同志、まさか汝はこの程度で感情が揺らいでおるのか!?しっかりせよ!)」
「わかってる……」
 力み、無謬は先ほど見せたような強化形態となる。高く飛び上がり、燐花の周囲に電撃の膜を大量に生み出し、暴風を纏いながら蹴りで急降下する。燐花は飛び退き、そして大振りな動きから直線状の熱波を放つ。更に大きく飛び退き、道端に放置されていた破壊された金剛に着地する。
「明人くん。君に見せてあげます。ヒトを捨てた、私の本当の姿――ヴァナ・ファキナの破片を通して得た、私の力を!」
 燐花は旗槍を両手で掴む。彼女の周囲にはどこからともなく、緋色の蝶が集まってくる。
「夢見鳥……」
 無謬は思わず目を奪われる。蝶たちは燐花の体を覆い尽くし、巨大な光の塊となる。
「歴史にこびりついた弔いの氷菓。昏迷に刻まれし祈りと愛とを糧に、我を深淵の獣へと変えん」
 光を打ち砕き、赤黒のしなやかな体に、細いながらも強靭な四肢、黄金の爪牙、一対の翼を備えた竜が顕現する。
「我は万物を楽園へ誘う〈冥土の渡し守〉王龍サロモニス」
 烈火やフレノアからは想像も出来ぬほど優雅な外見であり、周囲に漂う蝶たちがその雰囲気を増幅させる。
「何の因果もないただの人間から、そこまで来たか、燐花……」
「全部君のせいですよ。私の人生がよくなったのも、こうして君の前に敵として立つのも、この姿も、全て」
 サロモニスは姿を消し、無謬の背後の中空へ現れて、尾を器用に突き出して強烈な刺突を繰り出す。彼は即座に反応して両手で受け止めるが、彼女は再び瞬間移動して着地しつつ距離を取り、翼の先端で地面を擦る。真炎の塊が三つずつ発射され、それが交互に激突して弾け、でたらめに地面を引き裂いていく。無謬が安置に移動して積極的に動かないのを確認した瞬間、両翼を再び地面につけ、今度は渾身の力で片翼ずつ振り抜く。一直線に真炎が吹き上がり、恐るべき高速で無謬を焼く。電撃の膜で往なすも、続くもう一発で破られ、押し込まれる。サロモニスは間髪入れずに瞬間移動し、口から光線状にした真炎を吹き付ける。右腕側から飛んできたそれを無謬は当然右腕で防御し、徐々に正面に向き直って両腕での防御に変えていく。腕と光線との間に電撃の膜を張り、跳ね返しつつゆっくりと前進して押し返す。サロモニスはこれ以上の攻防は無価値と判断して撃ち止め、瞬間移動から再び尾での刺突を繰り出す。それに反応した無謬を置き去りにして着地し、右翼を振り抜いて真炎を脇腹に叩きつけつつ、捻りを加えて全力で左翼を振り抜いて彼を吹き飛ばす。無謬の巨体が浮き上がり、そのままビルへ激突してその内部まで雪崩れ込む。
「あの蝶は……」
「(我が使う青い蝶と同質の存在……レムリアモルフォ……いや、テルミナリア・トリモルフォか!)」
「なんでもいい……」
 無謬は立ち上がり、歩きでビルから出る。サロモニスは真炎で騒がしくなった交差点の中央で佇んでいる。
「懐かしいですね、Chaos社の、日本焦土作戦。私の家、私の故郷、私の地獄。ヒトは始まりに戻れば、何もかも取り返せると思っているんです。何も失ったかも、よくわかっていないのに」
 巨大な槍のごとき尾先を地面に擦らせ、彼女は無謬を見つめる。その瞳に引き込まれるように、無謬は歩を進めていく。
「痛みを忘れて、苦しみを忘れて、何もかもを脱ぎ捨てて……」
 緋色の蝶の群れの中に、一頭だけ灰色の蝶が居た。
「お前は」

「何がしたかった?」
 気が付くと、無謬は明人の姿に戻っており、周囲はシャングリラではなく、気が狂いそうなほど真白い空間だった。正面には、エネルギーで象られた白い人間が立っていた。その表皮は波立ち、時々雫のようなものが千切れて天へ向かう。
「お前はもう子供ではない。父母の救いを、友の手を必要としない」
 白い人間は両手を挙げる。
「お前はこの先の戦いを見てはいない。どうすれば楽に、確実に死ねるか。それだけしか見ていない。そんなものに価値があるか?お前が自殺願望、自壊衝動に身を任せているのは明白だが、それはどこから来る?ユグドラシルが作り上げた、完璧な人間の心……お前が持つのは、その完璧な人間の心だろう。肥大化した脳髄が生み出す、無尽蔵の地獄の情景……命が生み出す、設計図の混乱。無知蒙昧すら己で描き出せぬ、白痴。それが人間の頭だろう。お前自身、なぜ自分の欲望がそれなのか、口からついて出る言葉の意味もわかっていないのだろう」
 手を下ろす。
「お前が辿り着くべきは脳髄ではない。現実の、地獄だ」

「くっ……」
 無謬がよろける。姿は竜化したままで、真炎は同じように大地を焼き払う。景色は元に戻っていた。
「続けましょう」
 サロモニスは翼を叩きつけ、真炎の塊を打ち砕いて地面を走らせる。無謬は電撃の膜で跳ね返し、続く二段階目の真炎と激突する。続いて瞬間移動で一気に距離を詰めて交差して閉じた両翼を解放しつつ飛び退いて、強烈な爆発を引き起こす。だが無謬も両掌に怨愛の炎を蓄え、それを手を合わせて叩き潰すことで爆発させ、威力を相殺する。空中で一気に体を翻し、大上段から尾を振り下ろす。無明の闇を纏わせた右手刀で切り返し、尾を切断して弾き飛ばす。サロモニスは空中でもんどりうち、だが即座に瞬間移動で距離を取りつつ着地しつつ後退する。折り取られた尾先が地面に突き刺さる。サロモニスは僅かに力むと、尻尾を修復する。
「蜥蜴の尻尾は再生するとよく言いますが、拗れた人間関係も同様だとは思いませんか?もちろん、私と、私の両親のような関係は、二度と修復できない――というより、元々破綻していましたが。君と私のような、まだ互いに互いを想う気持ちのある関係ならば……話せば、わかりあえないのでしょうか」
「お前がもっと早くにそれに気付いてたら、もしかしたら違ったかもな。何にせよもう終わったことだ、燐花。俺はこの先に進む以外の選択肢はない」
「……」
 無謬は先ほどと違い、はっきりと意志を向けてくる。そして全身から無明の闇を放つ。
「やっぱり君は空の器です。誰かに発破をかけてもらわないと、前に進めない。そんな人を、一人で先に進ませはしない」
 サロモニスは姿を消す。留まった蝶たちはそれぞれ小さな集合体になって輝き始め、じわじわと無謬へ近づいていく。無謬は力を溜め、一気に解放し、無明の闇を触手のように周囲に散らし、その先端に己に由来する衝撃波を纏わせて解放する。集合体は誘爆し、著しく視界を塞ぐ。爆風の向こうから尾の刺突が繰り出され、的確に無謬の腹を貫きつつ突き飛ばす。続けて爆風の向こうからサロモニスが錐揉み回転しつつ突進してくる。間一髪で躱されるも、翼で急ブレーキをかけて翻し、後退しつつ翼から真炎を砕き放つ。無謬は両手を胸の前で構え、怨愛の炎を暴風に乗せて飛ばす。間髪入れずに両腕を下から振り上げ、サロモニスの左右を潰すように衝撃波を飛ばす。
「……!」
 サロモニスは衝撃波に巻き込まれることを承知で右に飛び退く。同時に元居た場所には電撃の膜が落ちてきて、それが跳ね返すことで暴風の進路を変える。翼で防ぐが、暴風は猛烈な爆発を起こし、硬直させる。そこへ急ぎに急いで接近した無謬が右アッパーを与え、浮き上がったサロモニスを全力の左ストレートでビル壁に叩きつける。だが彼女の体は大量の緋色の蝶になり、それが自爆して無謬を後退させる。交差点の中央に移動していたサロモニスが、忙しく羽ばたきながら力場を生成する。猛烈な吸引力に引きずられ、そして交差点の所々に散っていた蝶たちも中央に次々と集っていく。そして超巨大な光球となって天に飛び立つ。サロモニスは着地し、直線状の熱波を左右繰り出し、瞬間移動から真炎を砕き飛ばし、急接近して爆発し、更に瞬間移動を織り交ぜて尾による刺突を連発する。無謬は明らかな猛攻から回避に徹するが、地を覆う真炎に蝕まれ、尾が鋭く薄く、表皮を削る。再三の刺突に対し、無謬は右腕全体を使って彼女を抱え込み、至近距離からのパンチで胴体を貫く。
「終わりだ、燐花……!」
「がふっ……いいえ、まだ……ッ!」
 なおもサロモニスは翼で攻撃を行わんと藻掻く。無謬は彼女の尾を引き千切り、左腕を引き抜いて両翼を千切り取る。四肢と胴体、首だけが残った彼女が、地面に倒れる。
「燐花、悪いがお前から力を回収させてもらうぞ……!」
「無理ですよ……君に、それはね……だって君は、私の太陽だから……ちゃんと、輝いて……ほら……」
「……?」
 無謬が気配を感じて咄嗟に頭上を見ると、先ほどの光球が急降下してきているのが見えた、いや、もう着弾寸前なのが見えた。無謬に直撃した瞬間それは解け、絶大なる威力を以て迸る柱となる。その壮絶な破壊力、範囲によって、倒れたサロモニスも巻き込まれる。
 しばらくして収まると、無謬は全身から煙を上げながら膝から崩れる。
「最後っ屁が無いわけがないか……」
 竜化を解きつつ立ち上がる。
「(大丈夫か、同志。内側から見ている限りではまだ余力はあるが……それ以上に、精神的に疲弊しているのではないか)」
「気にすんな」
「(やはり……本来戦う理由がない、己の仲間のはずの相手を殺すのは精神を磨り減らすか)」
「すまん。だが戦闘に関しては問題ない。お前がエネルギーの管理をやってくれてるからな」
「(我は自分の欲望のために、躊躇なく家族全員を手にかけたが……同志よ、汝がどうしても戦えなくなれば、我が代わりに体を動かそう)」
「ああ、まあ最後の手段としてな。頼りにしてるからな、アルファリア」
 明人は呼吸し直すと、焼け落ちたオフィス街を歩いて行った。

 オフィス街の足場を抜けると、オオアマナの花畑に、砕けた教会の佇む場所に着く。
「来おったか」
 花畑の中に無造作に置かれていたベンチに、ゼナとトラツグミが並んで座っていた。ゼナは明人の姿を捉えると、手すりで頬杖をついてそちらへ顔を向ける。
「なんじゃ、わしらの姿を見ても驚かんのか?薄情な主君じゃな」
 明人は肩を竦める。
「そりゃ、俺が全部託したのがお前なんだから、生きててもらわねえと困る」
「ふん、そうじゃな。あの戦いの最後、わしは主《あるじ》から全てを託された。故に付け入る隙を与えることになった……アルファリア!」
 ゼナが美しい翠玉の瞳を細めて睨む。
「お主《ぬし》だけのせいとは言わぬ。主自身も、ソムニウムとの決着は心より望むところじゃったじゃろう……じゃがそれでも、完全に道を踏み外したのはお主のせいじゃと思っておる」
 明人の背から、アルファリアが現れる。
「我は単に同じ志を持つものと共に目的を果たそうとしておるだけだ」
「ほう?わしらが思うに、お主と主の思うソムニウムへの羨望、憧憬は違うのじゃぞ?」
 ゼナは視線を外さず、左手を天に掲げて槍を呼び出し、掴んで地面につく。隣でトラツグミが立ち上がり、明人の正面に立つ。
「明人様」
「お前が生きてたのは驚いたぜ、少しだけな」
「私はメビウス事件の後、この世界まで引き戻され、王龍ニヒロによって再び調整されました。今度はあなたを逃がさぬようにと」
「ニヒロなら今はボーラスと殺り合ってる。加勢するならそっちだろ」
 トラツグミはかぶりを振る。
「私の主君はあなただけです、明人様。ニヒロ様は、あくまでもこの体と心をお作りになられたに過ぎない」
「お前ならわかってくれるだろ。ソムニウム……零さんと戦って、俺は無に還るんだ。お前はあいつらより一足先に、俺を無に葬送《おく》ろうとしてくれた」
「承知しております。ですが――」
 明人はある程度の喜びを返そうと頷いたが、その言葉の続きで動きを止める。
「ですが、全ての干渉を逃れた、あなたの味方だけの世界ならば……誰一人としてあなたを戦いの道具として見ずに、幸せの礎として、皆で築き上げる楽園ならば……きっとまだ、そこには救いがある。あなたがまだ、生きていても満たされる世界があるはず」
「がっかりだ、トラツグミ。お前までアリアちゃんに毒されたか」
 かぶりを振って失望を示す明人に、彼女も同じように、優しく頭を横に振る。
「ここまでの道のりであなたを止めようとした人々は、みな上辺だけはあなたに賛同していた。でも本心では……当然、ただの一人として、あなたに死んでほしくない。あなたに生きる意志が無いのなら、どうにかして自分がこの世に留めたいと思っていた。その思いを、彼女が誘い出したに過ぎない。三千世界の決戦で、自分の思いを飲み込んで力を受け継いだゼナには、同情するに余りある」
「つまりだ。お前もゼナも、結局俺の前に立ち塞がるんだな」
 ベンチからゼナが立ち上がり、トラツグミに並ぶ。
「当然じゃろうて。せっかく遺志を継いでやったというのに、のこのこと蘇りおって。あれだけ悲壮感と覚悟を持って見送ってやったというのに、全く損な役回りじゃ」
「あなたをむざむざ死なせはしない。あなたの魂が安らぎに満ちるために。あなたの存在が救われるために、報われるために。あなたとの幸せを願った、小鳥《アイスヴァルバロイド》たちのためにも」
「わしらがここで主の物語を終わらせてくれるのじゃ」
 トラツグミは力み、ライトマゼンタの四肢を持つ竜人へと転じる。
「夢を諦めることは、どんな拷問よりも耐え難い苦痛かもしれません。けれど、牙を抜かれ、敵を失って、そうして平和に生きる道も、当然残されているはずです。空の器に、己の力だけで戦い続ける天国の外側は、余りにも生き辛すぎる」
「マレも見つけて、共に帰るのじゃ。一瞬だけあった、あの平和な日々に。全ての目的を失って、ただ無為に生きたあの日々に」
 臨戦態勢に入った二人を見て、アルファリアは引っ込み、明人は竜化する。鵺鳥《竜化したトラツグミ》が合わせた両手から螺旋状の真炎を放つ。無謬は強烈な衝撃波で打ち消し、小さく飛び上がって電撃の膜を踏み台にして瞬間移動する。即座に鵺鳥の眼前に現れた無謬は交差した腕を振り抜いて怨愛の炎による斬撃を繰り出す。鵺鳥は同じように交差する真炎を繰り出して打ち消し、振り抜いた無謬の右腕に激流が這う。
「ちっ……!」
 遥か上空から急降下してきた槍が無謬の鎖骨辺りから背中へと貫き、槍の装甲が展開される。
「受けよ主、〈輪転する楽園の霊水ローカパーラ・サンサーラ・ヒランヤ〉!」
 凄まじい水の爆発によって無謬は地面に叩きつけられ、ガス状の鵺鳥のブレスが放射される。威力より命中精度を優先したそれを振り払って立ち上がり、傷を修復しつつ空中の鵺鳥へ接近するために跳躍する。が、槍を手元に戻したゼナが横から突進してくる。片手間に衝撃波を放って迎撃するが、ゼナは軽く往なして肉薄し、槍と右腕が拮抗する。その瞬間、鵺鳥のダブルスレッジハンマーで無謬は再度叩き落される。ゼナは両腕のみを竜化させ、体を翻しつつ降下して、翼に靡く副尾を叩きつける。関節剣のごとく、鋭いブロック状の刃が彼の体を抉り取り、続く水の刃が深く刻み付ける。が、無謬は至近まで迫ったゼナを右手で掴み、そのまま衝撃波を発生させながら強く握り締める。それを見るや即座に動いた鵺鳥に電撃の膜を張って牽制しつつ、無謬は立ち上がる。
「甘いぞ主……!」
 ゼナは腕を元に戻し、そしてその腕力だけで無謬の膂力を上回って脱出し、飛び上がる。優雅に回転をかけつつ、鵺鳥と共に着地する。
「昔から思っていたのじゃ。主、もしかせんでも、戦いが苦手じゃろ?」
 ゼナが首を鳴らす。
「無理もございません。明人様自体は、単なる人間の中学生で成長が止まっておられます。その姿も、所詮はアルヴァナが装填した無明の闇によって、調整された状態でしかない。ユグドラシルが最初に実装したのは……」
 無謬が続く。
「老いも疲れもなく、性欲と好奇心に塗れた、二次性徴期の姿を永遠に保つ、完全な人間の心を持たされた被造物……」
「そんな自分が嫌じゃったのじゃろう?アリアの胸やら、わしの足やら、シャトレの唇やら……何にも躊躇なく発情する自分が」
「故にあなたは、己の対になるように作り出された、隷王龍ソムニウム……白金零に憧れを抱いた。彼女はあらゆるものに人間的感情を示さない。その上、彼女はあらゆる性的嗜好を凌駕する、ある種単独としての究極の美しさを持っていた。その隣の女とは、やはり根本的に彼女への憧憬が違う」
 アルファリアが顕現しようとするのを遮るように、無謬が言葉を返す。
「だが俺とアルファリアが零さんと決着をつけたいことに違いはない。俺たちそれぞれが、零さんへの思いの形が違ったとしても、戦いたいことにはな」
 ゼナが鼻で笑う。
「なぜそうして気負ったのか……わしらは……燐花やアリアもそうじゃが、主の性欲を、決して卑しいものとは思っておらんかったのじゃぞ。別に良いじゃろう、何かハンデがあるのなら、周りの皆で補えばよい……それだけだったはずじゃ」
 無謬はかぶりを振る。
「わかってるはずだ、ゼナ。それが嫌だからこうなってるんだろ。もしかしたら俺は、ゼナとマレだけが俺のことを気にかけてくれるなら踏み止まれたかもしれない。でもな、あんなにたくさんの人たちから、無条件に受け入れられたら耐えられない。特に俺みたいに、自分自身を肯定できない奴にとってはな」
「そうじゃろうな。そもそもここまで来た時点で、会話で戦意を殺ぎ切るなど不可能じゃと、わしもトラツグミもわかっておる。じゃが、殺すにしても、殺されるにしても、アリアの腹から生まれ変わったわしらは、今までの苦難を全て忘れて、理想郷の子供となる。もしくは、永遠にどこにも行けぬ、無の無へ堕ちる。ならば今際の前に、思いの丈を告げておくのが常道じゃろ?」
 ゼナは斜め上を見上げ、遠い目で空を埋め尽くす暗黒を眺める。
「わしもトラツグミも、主に望まれてこの世に生まれてきた。もちろん、マレもな。主にとっては下らぬことかもしれぬが……わしらは、この世に生まれてきたことを、とてもうれしく感じているのじゃ。主は生が、無限の死の中にある、一瞬のボーナスタイムじゃと、いつも言っておったな。じゃがな、こうしてこの世に、形あるものとして生まれねば、そもそも己が無の中にあることさえ理解できなかったのじゃ」
 ゼナは視線を戻し、左手を伸ばす。
「主、わしらの子にも、生と言うボーナスタイムを与えてみたいじゃろう?あるべき自分を探して藻掻いてきた、この人生と言うものを、教えてみたいじゃろう?」
 反応の薄い無謬を見て、ゼナはおどけて見せる。
「そうじゃ、もうちょっと直球に言ってみよう。今のわしとセックスしたくないのじゃ?」
「ゼナ……」
 無謬はあくまでも真剣な表情で返す。
「死んでくれ。もしくはその願いは、俺を殺してから叶えてくれ」
「交渉は決裂か。元々わかっておったがな」
 鵺鳥とゼナが構え直す。
「終わらせるのじゃ」
 ゼナが激流と共に遥か空の彼方へ飛び上がる。鵺鳥は両腕に巨大な火球を構えて抛り、続けて口から強烈な熱線を繰り出す。無謬は電撃の膜を両腕に纏わせて火球を弾き返し、熱線を繰り出して隙を晒した鵺鳥に直撃させる。そして瞬間移動で距離を詰め、両腕を突き入れて鵺鳥の胸部を貫く。
「ゼナはともかく、お前は戦闘向きじゃないのはわかってるぞ、トラツグミ……!」
「ええ、ですから……」
 鵺鳥は無謬を離すまいと両腕を鷲掴む。
「お前も自爆する気かっ!」
 無謬は渾身の力で拘束を解き、飛び退く。その瞬間ゼナが降下してきて、鵺鳥を貫いて破壊する。砕けた鵺鳥の粒子はゼナに吸収され、彼女は光に包まれる。そして一瞬竜化体のシルエットが浮かび上がったあと、それが凝縮され、鎧の如くなって光が収まる。ゼナの頭身はそのままに、竜人のような姿に転じたようだ。
「これは……」
「竜骨化《ドラゴニックエクソトランス》じゃ。竜にも獣にも人にも、同じように残された、進化の最後の可能性。究極にして終局たる、力の最奥」
 竜骨化したゼナの肉体は、黒い鎧に赤い棘が配置された猛獣のごとき外見となっている。構えられた槍の穂先には、真炎が湛えられている。
「主よ、永らえに過ぎたその命、ここで散るがよい」
 軽い動作から槍が放たれる。無謬は前方に捻りを加えつつ飛び込んで槍を避けるが、なぜか通り過ぎたはずの槍は前方に戻ってきて律儀に左胸に突き刺さる。無謬は構わず突進し、ゼナは両腕から棘を刃のごとく伸ばし、飛び上がる。無謬の振るう腕の隙間を通り抜けつつ、独楽のように回転して連続で斬り付け、そのまま高空へ上昇する。棘の攻撃が当たる度に槍が震え、そしてゼナの攻撃が終わった瞬間に槍が暴発して無謬の左肩を破壊しながら空中へ跳ね上がる。ゼナは空中で姿勢を戻し、手についた棘を全て地表へ射出する。地面に突き刺さった棘は電撃を放ち、近場の棘と繋がって小さめのフィールドを作り出す。
「ジオフランメル……!」
 発生した電界が足を這い、挙動を制限する。槍を構えて繰り出された急降下を後退して躱し、反撃の拳を繰り出す。だが地面から噴き出した激流に阻まれて大幅に威力が鈍り、大量の蒼い蝶が現れて纏わり付き、爆発する。弾けた鱗粉によって表皮が猛烈に侵食され、激痛が迸る。更に続けて巨大な球状の水に閉じ込められ、そこに槍の穂先から強烈な光線を撃ち放たれ、無謬の頭を貫く。無謬は即座に戒めを解除し、全ての傷を修復しつつ急着地し、口から波動の塊を吐き出し、ゼナに直撃させる。弾けたそれは無明の闇を生み出してゼナを拘束し、無謬は強く踏み込んで衝撃波を地面から迸らせ、上から右張り手を叩き下ろす。ゼナは逃げられぬと察して槍で受け止める。そして右掌にエネルギーを集中させ、素早く手の向きを変えてゼナを掴み、強く握り締める。蓄えられたエネルギーが弾け、ゼナの全身を覆って攻撃する。
「死ね、ゼナ!」
 今度こそ逃すまいと膂力を込め、破壊せんと、ありったけに握り締め続ける。
「ふん……主よ……先に言っておくぞ……最後に勝てばよい、とな……!」
 ゼナは拘束されつつも、空いた右腕から槍を放ち、無謬の頸椎に突き刺す。無謬は即座に左手で引き抜いて捨てるが、その力が乱れた僅かな一瞬にゼナは右手から抜け出し、凄まじい跳躍力で戦場をそのまま離脱する。
「何……!?」
 無謬が足元に目をやると槍も消えており、仕方なく無謬は竜化を解く。
「退いた……?」
「(残るはアリアとハルだけだが……あの女狐は何故後ろに下がった。竜骨化していたとは言え、今の攻防でかなり体力は削ったはずじゃ)」
「……。妨害も次で最後だろう。ハルはアリアちゃんと共にいるはずだからな。ゼナが居たとしても、アリアちゃんは戦闘に特化してるわけじゃない。消化試合だ。さっさと行くぞ」
 見上げた先には、緑豊かな草原の中に、見覚えのある屋敷が鎮座していた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

戦争から帰ってきたら、俺の婚約者が別の奴と結婚するってよ。

隣のカキ
ファンタジー
国家存亡の危機を救った英雄レイベルト。彼は幼馴染のエイミーと婚約していた。 婚約者を想い、幾つもの死線をくぐり抜けた英雄は戦後、結婚の約束を果たす為に生まれ故郷の街へと戻る。 しかし、戦争で負った傷も癒え切らぬままに故郷へと戻った彼は、信じられない光景を目の当たりにするのだった……

大切”だった”仲間に裏切られたので、皆殺しにしようと思います

騙道みりあ
ファンタジー
 魔王を討伐し、世界に平和をもたらした”勇者パーティー”。  その一員であり、”人類最強”と呼ばれる少年ユウキは、何故か仲間たちに裏切られてしまう。  仲間への信頼、恋人への愛。それら全てが作られたものだと知り、ユウキは怒りを覚えた。  なので、全員殺すことにした。  1話完結ですが、続編も考えています。

仰っている意味が分かりません

水姫
ファンタジー
お兄様が何故か王位を継ぐ気満々なのですけれど、何を仰っているのでしょうか? 常識知らずの迷惑な兄と次代の王のやり取りです。 ※過去に投稿したものを手直し後再度投稿しています。

勇者に闇討ちされ婚約者を寝取られた俺がざまあするまで。

飴色玉葱
ファンタジー
王都にて結成された魔王討伐隊はその任を全うした。 隊を率いたのは勇者として名を挙げたキサラギ、英雄として誉れ高いジークバルト、さらにその二人を支えるようにその婚約者や凄腕の魔法使いが名を連ねた。 だがあろうことに勇者キサラギはジークバルトを闇討ちし行方知れずとなってしまう。 そして、恐るものがいなくなった勇者はその本性を現す……。

父が再婚しました

Ruhuna
ファンタジー
母が亡くなって1ヶ月後に 父が再婚しました

【完結】 元魔王な兄と勇者な妹 (多視点オムニバス短編)

津籠睦月
ファンタジー
<あらすじ> 世界を救った元勇者を父、元賢者を母として育った少年は、魔法のコントロールがド下手な「ちょっと残念な子」と見なされながらも、最愛の妹とともに平穏な日々を送っていた。 しかしある日、魔王の片腕を名乗るコウモリが現れ、真実を告げる。 勇者たちは魔王を倒してはおらず、禁断の魔法で赤ん坊に戻しただけなのだと。そして彼こそが、その魔王なのだと…。 <小説の仕様> ひとつのファンタジー世界を、1話ごとに、別々のキャラの視点で語る一人称オムニバスです(プロローグ(0.)のみ三人称)。 短編のため、大がかりな結末はありません。あるのは伏線回収のみ。 R15は、(直接表現や詳細な描写はありませんが)そういうシーンがあるため(←父母世代の話のみ)。 全体的に「ほのぼの(?)」ですが(ハードな展開はありません)、「誰の視点か」によりシリアス色が濃かったりコメディ色が濃かったり、雰囲気がだいぶ違います(父母世代は基本シリアス、子ども世代&猫はコメディ色強め)。 プロローグ含め全6話で完結です。 各話タイトルで誰の視点なのかを表しています。ラインナップは以下の通りです。 0.そして勇者は父になる(シリアス) 1.元魔王な兄(コメディ寄り) 2.元勇者な父(シリアス寄り) 3.元賢者な母(シリアス…?) 4.元魔王の片腕な飼い猫(コメディ寄り) 5.勇者な妹(兄への愛のみ)

婚約破棄を目撃したら国家運営が破綻しました

ダイスケ
ファンタジー
「もう遅い」テンプレが流行っているので書いてみました。 王子の婚約破棄と醜聞を目撃した魔術師ビギナは王国から追放されてしまいます。 しかし王国首脳陣も本人も自覚はなかったのですが、彼女は王国の国家運営を左右する存在であったのです。

側妃に追放された王太子

基本二度寝
ファンタジー
「王が倒れた今、私が王の代理を務めます」 正妃は数年前になくなり、側妃の女が現在正妃の代わりを務めていた。 そして、国王が体調不良で倒れた今、側妃は貴族を集めて宣言した。 王の代理が側妃など異例の出来事だ。 「手始めに、正妃の息子、現王太子の婚約破棄と身分の剥奪を命じます」 王太子は息を吐いた。 「それが国のためなら」 貴族も大臣も側妃の手が及んでいる。 無駄に抵抗するよりも、王太子はそれに従うことにした。

処理中です...