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三千世界・黎明(11)

五章「黒の目覚め」(通常版)

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  明人の言葉に、メランとアリアはそれぞれ構える。それを見て、アストラムたちも身構える。
「まさかここでまたやり合おうってんじゃねえだろうな?」
 アストラムの問いに、明人は首を横に振る。瞬間、市街の方から轟音が響き、次々とそれが各地で起こり、広がっていく。
「どうなってンすか!?」
 ヴィルが驚き、エストが続く。
「この気配、まさか我々の読み通り……!」
 レメディが不知火へ問う。
「この状況はどうなっているんですか」
「お前が俺に勝った。と言うことは、アルヴァナの勢力はお前を真に特異点と認め……次の世界へお前を誘う」
「やっぱり、ここに集めた人や物はそのために……」
「ああ。それがあの女の言うように、お前たちの予想ならば正解だ。これから黒皇獣たちが、ここに集まった全てを滅ぼし尽くす」
 レメディは頷く。
「もちろん、その覚悟も出来ています」
 明人が割って入る。
「まだだ」
 レメディと不知火がそちらへ向く。
「まだ楔は三本ある。バロンを目指すなら、俺たちはエウレカでお前を待ってる」
 明人とメラン、アリアは、各々楔を懐から出す。
「じゃあな」
 三人はその場から消えた。
「シラヌイはどうするの」
 レメディが問うと、彼は即答する。
「お前と共に行く。組織に従うと言うのはどうも性に合わん。それに万が一の時、俺の唯一の心残りを果たすのならば、お前の仲間である方が都合がいい」
「心強いです」
 レメディはアストラムたちへ歩み寄る。
「勝った余韻に浸れねえだろうとは思ってたがここまで性急に話が進むたぁな。大丈夫か、レメディ?」
「もちろん、僕はいつでも全力で行けます」
「よし」
 アストラムが不知火へ視線を向ける。
「黒皇獣っつっても、どういう奴が来るかわかるか?」
「黒皇獣は多くが原初の存在……古代世界や原初世界で言うのなら、シュメールやそれに近しい軍勢だろう。ほら……」
 不知火が左手で外を指すと、山彦のような大笑いが響き渡り、上空から雑多な武具が降り注いでいるのが見える。
「ギルガメスか?」
「あの下品な笑いと適当に自分の武器コレクションをぶちまけているのは奴以外居るまい」
「俺たちは今エウレカに進むべきだが、黒皇獣は俺たちを止めようとはすんのか?」
「知らん。知らんが……そもそも好戦的な奴の集まりだ、手持ち無沙汰になれば襲ってくるだろうな」
「じゃあ早くエウレカに向かおうぜ。おばさんもそれでいいだろ?」
 アストラムが話を振ると、ロータは頷く。
「まあ、異論はない。ないけど、ギルガメスには個人的にちょっと恨みがあるから、戦うことになったら私が殺る。他の黒皇獣はあなたたちが勝手に殺って」
 レメディが前に出る。
「先に進みましょう。エウレカで何が待っているかはわかりませんけど」

 政府首都アルマ
 行政都庁から出ると、既に黒皇獣たちによって激しい破壊活動が行われていた。極悪な破壊力の電撃が迸り、ビル群が瞬時に瓦解していく。
「貴様が特異点たちだな」
 電撃の主たる存在が、頭上から降りてくる。ビキニアーマーのような防具に身を包んだ麗しい美女が、強烈な眼光で一行を射抜く。
「我が名は黒皇獣イシュタル。人の夢想より生まれし女神であり、深淵に触れ、人を越え獣となった天の女王である」
 アストラムが苦虫を噛み潰したような表情をする。
「いきなり結構な大物が来やがったな。俺が相手をする!てめえらは急いで進め!」
 その言葉に従いイシュタルを無視して進む。彼女はレメディたちへ電撃を放つが、アストラムの一撃で地面が隆起し、それが盾になって妨害される。
「てめえの相手は俺だ、クソババア」
 両者は視線を交わす。
「明星を司る私を愚弄するか、星の赤子よ」
「金星よりデカくて光る星なんて他にいくらでもあるんだよ、バカ野郎」
「ならば身を以て、我が雷に焼かれよ!」
 ――……――……――
 まさに虐殺と言える状況に少々怯みつつも、一行は脱兎のごとく駆け抜ける。
「僕たちが居なくなったあと、都市ごと吹き飛ばした方が効率的だったんじゃないんですか、これ!」
 レメディの言葉に、エストが答える。
「次元門を開けるかはシフルエネルギーの総量に依存してるの。ほら、おっきいモノじゃないと奥まで届かないでしょ?シフルが感情によって励起するものだから、一般人をわざと極限状態に追い込んで感情を発露させ、エネルギー総量の嵩増しをやろうとしてるんだと、お姉さんは思うなぁ」
「なるほどですね。だからわざと……」
 レメディはエストを抱え上げて走る。ちょうど彼の真横に倒壊したビルの破片が突き刺さる。
「人間を狙わずに建造物を先に破壊してるんですね?」
 突然のことで猫のように懐で丸まったエストに、レメディは言葉を向ける。
「う、うん」
「そろそろ次の黒皇獣に目をつけられてもおかしくないですよね……」
 と、天空から無数の光線が降り注ぐ。一行は回避し、しかし思わず足を止める。上空で破壊活動に勤しんでいた、猛禽と融合したような美女が舞い降りてくる。
「特異点か……あの節操なしのイシュタルが先に手をつけているかと思っていたが……そのアバズレを抱えて現れるとはな」
 美女の顔がオセロの駒のように反転し、書き崩した般若面のような奇怪な顔面が露になる。
「我が名は黒皇獣イナンナ。人に夢想されし、原初の神々の女主人なり。我らは人の手を離れ、獣へと昇華した」
 エストがレメディから降り、イナンナへ流し目を遣る。
「ドスケベ教義の女神様ではないですか。こんなところで派遣社員になってるなんて、神様だった頃の方が、まだ厚待遇だったのでは?」
 わかりやすい挑発に、イナンナはさして反応を示さない。
「我はイシュタルとは違う。獣の身になったのは、人から信仰を集めねば存在できぬのが癪だっただけのことよ」
「本当ですかぁ~?」
 エストは会話の切れ目に、ちらりとレメディを見る。
「ごめんね。お姉さん、この人を倒してから向かうわ」
「わかりました。お願いします」
「あ、それとね」
 淫靡な笑みを向け、右人差し指を顎に添える。
「さっきはカッコよかったよ!惚れ直しちゃった♪」
「あはは……」
 レメディは反応に困りつつも先へ進む。ロータとヴィル、不知火もそれに続く。
「さて……」
 エストがイナンナへ向き直る。
「相も変わらず誰彼構わず愛想を振り撒いているのか、エストエンデ」
「そんな私がビッチみたいに言わないでください。私は彼が一番美味しくなるまで泳がせてるんですよ、ふふ……」
「まあ、よい。我が光にてお前を焼き尽くし、我《われ》がバアルのような王龍へ成り上がると言うのも悪くあるまい」
 イナンナが挨拶代わりに解き放った光線で、周囲のビルが倒壊し、道路が捲り上がり、人々が半殺しになる。
 ――……――……――
 街の外へ近づくほど、建造物の破壊は著しく、既に人は全滅していた。
「もうじき街の外か」
 不知火が呟くと、ロータが続く。
「エウレカに向かうには、この先の大橋を抜けて、エンベル森林、デバスト洞窟、ウル山岳、エルデ火山を越える必要がある。でもとりあえずは、エンベル森林まで行けばアルマが丸ごと無くなっても被害を受けないはず」
 休まず駆け抜けていると、ちょうど件の大橋に辿り着く。その中央に差し掛かった瞬間、どこからともなく豪快な笑い声が響いてくる。
「ガーッッハッハッハッハッハ!ガハハハハ!ガハハ……オェッ」
 全力で笑いすぎて嗚咽を吐く。そして声の主が空から一行の前に落下する。妙ちくりんな装束の大男は立ち上がり、歌舞伎のように決めポーズを取る。
「俺の名前はァ~ッ、泣く子も黙るシュメールの王~!黒皇獣、アッ、ギルガメスゥ~!」
 初対面のレメディとヴィルは元より、恐らく伝聞では知っていたであろう不知火もポカンとしていた。その様子を見て、ギルガメスがおどけてみせる。
「む、なんだこの微妙な空気は。一人くらい反応してくれ、地獄の雰囲気じゃないか」
 ロータが言葉を遮るように鎖を放つ。ギルガメスはふざけていながらもそれを正確に弾く。
「む、むむっ!?誰かと思えばお前は!遺跡で会った悪魔の子じゃないかァ!?そうかそうか、また相見えるとは嬉しいものだなうんうん……」
 ギルガメスは一人で延々と喋り続けており、ロータはレメディたちに顎で合図する。それでレメディたちはギルガメスの横を通って大橋を抜けていった。
「だが俺の今回の目的は特異点!残念だが、お前の相手をしに来たわけではぐはぁッ!?」
 ようやくロータの方を向いたギルガメスは、彼女の強烈な蹴りを顔面に食らって吹き飛ぶ。
「あれ!?特異点がおらんぞ!」
「遺跡で生意気にも私の攻撃を弾いた恨み、ここで晴らさせて貰うから」
「え、え、えちょちょちょ待って!俺まだ準備できてな――」
 ロータが放つ鎖を懸命に躱して、ギルガメスは天空から武具を召喚する。落ちてきたのは東洋の武者鎧と、それとはミスマッチな肉厚の大剣であった。
「おおっ、これは超ラッキー!」
 素早く装備して、鎧の性能に任せて鎖の弾幕を正面突破する。
「ここでブッ飛ばしてやる」
 ロータが少しも苛立ちを隠さず、戦闘に突入した。
 ――……――……――
 大橋を抜け、関所まで辿り着く。
「待つがいい」
 再三、天から声が響き、そしてそれが降下してくる。
 蒼いガラス細工のような、六枚羽の天使がレメディたちの眼前に現れる。
「我が名はスラオシャ。我が主、ニヒロの耳となり、魂を裁くものなり」
「スラオシャ……ゾロアスターの手勢か」
 不知火がその名に反応すると、スラオシャも言葉を返す。
「懐かしい名前だ。まさか、超越世界でそれを聞くことになろうとはな。確かに、主の言葉に従い、神の手駒となった時期もあった。だが今は違う。愚か者のミカエルや、この世を裁くために狂う奴とは袂を別ち、私はただ、主を王座に就かせるためにここにいる」
 不知火が抜刀する。
「こいつは俺が相手をさせてもらう。レメディ、お前たちは先に行け」
 レメディは頷き、ヴィルと共に走る。
「ニヒロの手先ならば、何が目的だ。黒皇獣の殺戮に参加する意義など特に無いはずだ」
「世を導く特異点の力、試そうと思っていた。だが……まあ、戦闘データの収集という意味では、お前でも不足はない」
 スラオシャは翼を広げ、少しだけ浮かび上がる。
「その程度の挑発なら乗らんぞ」
「挑発ではない。特異点のように何か特別な資質を評価しているのではなく、お前の純粋な戦闘能力の高さを評価しているのだ。寧ろ、正当な敬意を表していると感謝してほしいくらいだが」
「まあいい。どちらにせよ、今レメディの障害となるならば斬る以外に無い。行くぞスラオシャ!」

 エンベル森林
 レメディたちが森へ入ると、そこでも激しい戦闘が繰り広げられていた。見慣れた二人の男が、己の得物を持って斬り合う。
「明人さんと先生!?」
 レメディの言った通り、戦っていたのは明人とレイヴンだった。
「俺は後は帰るだけなんだよ!突っ掛かってくんなバカ!」
「そりゃ妹の連れに会ったらちょっかいもかけたくなるだろ、なぁ?」
 競り合う剣を明人が押し返し、二人は呼吸する。
「親戚みたいなもんだろ?なんでそんなにキレてんだ」
「知り合いに問答無用で攻撃仕掛けてくんな!特異点が来る前に帰りたいんだよこっちは!あんだけカッコつけて退場しておいて追い付かれたらカッコ悪……」
 明人がレメディたちに気付く。
「帰る!」
 異常なレスポンスの早さで明人は消える。レイヴンが剣をアーシャに戻し、二人でレメディへ歩み寄る。
「よう!ほんの数日会わないだけで、二人ともいい顔になってんじゃねえか」
 レイヴンの言葉に、レメディたちは笑む。
「先生もお元気なようで何よりです」
 ヴィルが続く。
「センセはなんでここに?」
 レイヴンが自分の顎に触れつつ答える。
「そりゃあ、お前さんたちを迎えに来るためだろ。この辺で合流しとかないと、この先なかなかタイミングが無いだろうしな」
「なるほど~」
「で、他の奴らは?」
「俺たちを逃がすために黒皇獣と戦ってンす」
「ほう。ルータ辺りは逃げるのを優先してくると思ってたが」
 アーシャが仕方なさそうに肩を竦める。
「主導権がロータちゃんにあって、ラータも中に居るんですから無理ですよ」
「まあそうだな。よし、そいつらが帰ってくるまでここで待つか」
 レイヴンの言葉に、レメディたちも頷く。

 政府首都アルマ
 恐るべき威力の豪雷が降り注ぎ、だがアストラムは驚異的な機動力で全てを躱す。
「ババアは老眼だから俺には当てられねえかぁ!」
 アストラムが吼えながら飛び上がり、次の雷撃を構えていたイシュタルを殴り落とす。甚だしい速度で道路に叩きつけられ、続く双頭斧の一撃を瞬間移動で間一髪回避する。だがそんな事は読み切っていたとばかりにアストラムは豪快に構え、双頭斧を放る。イシュタルは蓄えていた雷撃を解放することで双頭斧を押し止めるが、即座に肉薄した手を支えに逆立ちしたアストラムの強烈な回し蹴りが脇腹に叩き込まれ、ビルの壁面に叩きつけられる。アストラムは姿勢を戻し、弾かれ宙を舞っていた双頭斧を掴む。
「くっ……これが音に聞く星の赤子の力か……!」
 イシュタルはめり込んだ壁面から離れ、浮かぶ。
「流石に世界ひとつを犠牲にして生まれただけのことはある」
 傷を癒しつつ、イシュタルは平生を保つ。
「神様だった頃より俄然強いなクソババア」
「当然だ。地球という矮小な山で親分を気取る、あの愚か者と同列に語られるなど、私のプライドが許さん」
 彼女の全身からシフルが沸き立つ。
「次元門を解放するために虐殺しているだけだったが……お前を総力を以て討ち滅ぼしたくなった」
 竜化した彼女は槍を構えた黄金の竜人となり、瑠璃色の双翼を広げる。
「私の枝のひとつたるアスタルテを、あの愚物は詰まらん言い換えで貶めてきた。だが今となっては、奴を生物としての地位も、持つ力も全て凌駕した。あんな小物と張り合っていた頃の、なんと無為な時間よ」
「神様もなんだかんだで苦労してたんだな」
「当然だろう。生まれた時点で、三つの罪を被せられ、そして人が居らねば、そして信仰せねば存在すら許されんのだぞ。黒皇獣となり、己を保存しようというのは当然の流れよ。己より広い世界があると認められんあやつには、こんな芸当は出来んだろうがな」
 イシュタルは槍を掲げ、再び豪雷が降り注ぐ。更に彼女はそのままアストラムへ接近する。
「しゃあ!やっぱそうこなくっちゃなぁ!」
 双頭斧と槍が激突し、激甚な衝撃が起こる。干渉し合った力が力場となり、周囲の瓦礫が不意に浮遊し始める。行政都庁の頂上の空に罅《ひび》が入り、死体や瓦礫がシフルに変わって天へ昇っていく。
「星の赤子だの特異点だのしゃらくせえ!戦いに能書きなんて何の意味もねえんだよォ!」
「お前の言うとおりだな……!」
 イシュタルは競り合う槍を手元に戻し、双頭斧の追撃を身を翻しながら背に槍を添え、弾く。続いて瞬時に猛烈な刺突が放たれ、僅かに後退して避け、穂先を左手で掴んで受け止める。凄まじい電撃がアストラムの手を焼き焦がすが、全く動じない。
「楽しかったぜババア。だが終わりだッ!」
 穂先を握り潰し、左腕を竜化させてラリアットをぶつけて薙ぎ倒し、クロックアップしたかのような挙動で双頭斧を渾身の力で叩きつける。圧縮されたシフルエネルギーが極大の爆発を起こし、強烈な閃光に辺りが包まれる。それが収まると、竜化を解いたイシュタルが前方の空中に浮いていた。
「チッ、躱したか」
「我らの目的も、お前の目的もここで殺す、死ぬことではあるまい」
 イシュタルは背を向ける。
「天を見よ」
 二人が揃って天空を見上げると、中天に入った罅が大きく広がり始めていた。
「次元門が開き始めた……」
「その通りだ。欲を言えば特異点の力を試したいところではあったが……まあ、お前の強さを再確認できたことも収穫であったのかもしれんな」
「はんッ。黒皇獣は全員俺がどんなもんか知ってるくせによ。さっさと帰りやがれクソババア」
「そうさせてもらおう。ではな、アストラム・コルンツ」
 イシュタルは消えた。
「チッ、俺もさっさとずらかるか」
 アストラムは双頭斧を消し、街を駆け抜ける。
 ――……――……――
 紫のレイピアがイナンナの乳房ごと右胸を貫く。
「黒皇獣と、曲がりなりにも真性の王龍では力量の差がありすぎるか」
 イナンナがレイピアを砕いて回し蹴りを放つが、エストは既に得物を手放して後退していた。
「もちろん、美しさも、ですよね?」
 エストが嫌味ったらしく告げるが、イナンナは特に反応を示すこともない。
「流石は最強の三柱の眷属たる、隷王龍エストエンデよな。だが――」
 イナンナの纏う闘気が赤く変貌していく。
「我も深淵を垣間見た。無の無……全ての世界の全ての万物がいずれ辿り着く、大いなる流転の坩堝、その姿を」
 闘気が彼女の体を覆い、閃光が膨れ上がっていく。
「これは……メギド・アーク……!」
 エストが少々驚く。
「闘気の終着点たるこの力、いかにお前と言えどそよ風とはなるまいッ!」
 イナンナは竜化する。現れたその姿は、マッシブで鋭角な甲殻に覆われたヒトの上半身と、蛇の下半身を組み合わせた怪物だった。
「我が力の到達点、ナンムの姿なるぞ!ティアマトなどという世迷い言の化身とは格が違うのよ!」
 胸前で構えた両手の狭間に莫大な激流が蓄えられ、右手を天に掲げて弾け飛ばす。猛烈な水の勢いが天より注ぎ、瓦礫と死体をシフルへと融かしていく。エストは飛び上がりつつ竜化する。漆黒の鋼の鱗と、巨大な一対の翼を携えた、四足の竜が顕現し、迸る激流の最中、宙に浮かぶ。
「確かに、人の姿で相手取るには手に余るでしょうね」
 エストは咆哮する。同時に彼女の体から漆黒の蝶が大量に飛び立つ。更に先程まで青天であった天空には暗雲が立ち込め、暴風雨が発生する。
「本気で、とまでは行きませんが、竜の姿でお相手差し上げますよ。うふふ」
 全身を使って右翼を振り抜き、猛烈な暴風がイナンナへ飛ぶ。しかし足元から沸き立つ水の壁が受け止め、再び両手に蓄えた激流をエストへ放る。エストが若干その場で翼をはためかせ、突然自身を中心に壮絶な竜巻を起こす。激流を打ち消しつつ、竜巻は徐々に動き始める。蝶たちが一気にエストへ集まり、放たれた空気の塊に乗ってイナンナの眼前で爆裂する。弾けた蝶たちが結晶になって周囲へ突き刺さり、瞬時に爆裂する。イナンナは簡単な防御で防ぎつつ、自らの激流に合わせて泥で大地を侵食していく。
 と、二人の耳に何かが割れるような音が届く。それぞれが注意を向けると、行政都庁の頂上に大穴が開かんとしているのが見えた。
「レメディ君たちが面倒に巻き込まれなくてよかったわ」
「惜しいものよ、我に目的なくば、お前とどちらかが消し飛ぶまで戦い続けたものを」
「ダメですよ。ここが半分異界と化しているからこそ私たちがこの程度の小競り合いをしようと問題ないですがね、全力で当たれば、せっかくの超越世界が壊れてしまうでしょう?」
「ふん」
 イナンナは鼻で笑うと、竜化を解く。
「まあ何にせよ、我ら黒皇獣にとって言えば、結論、世界がどうなろうとどうでもよい訳だ。黒皇獣も、王龍も、皆特異点がアルヴァナを葬る、その瞬間を狙っている。エストエンデ。特異点の尊厳を砕き、凌辱し尽くしたいと思うのならば、お前の主でさえ敵になると、よくよく胸に刻み込んでおくことだな」
 そう言い残し、彼女は消えた。
「……。重々承知しておりますとも。それでも私も、おばさまも、母様も……己の性《さが》の欲望には逆らえない」
 ぼそり呟いたところに、荒れ狂う水面を走ってアストラムが現れる。
「おいエスト!片ついたならさっさとずらかるぞ!次元門がもうほぼ開ききってる!」
「もちろん」
 エストはアストラムを背に乗せ、完全な崩壊を始めたアルマの街を飛び抜ける。
 ――……――……――
 巨大な大剣が振り下ろされ、体格相応の小さな裏拳に弾き返される。ギルガメスが怯んだ瞬間、天象の鎖が胴体の鎧に五本打ち込まれ、刃先の返しで鎧を引き剥がしつつ、勢いをつけたアッパーカットをぶつけ、爪先蹴りからの踵落としを決め、大きく後退させる。
「おお、おおぉッ!?まさか俺がここまで押されるとは……!」
 ギルガメスが体勢を立て直すが、既に胴体に鎖が巻き付けられており、そのまま力任せに振り回される。しかしギルガメスも力ずくで鎖を引き千切り、突如として腕を四本追加する。合計六本の腕にはそれぞれ剣が握られており、高名な得物――に見えなくもない。ギルガメスは空中を滑るように移動し、大振りながらもディレイをかけて右腕三本を向ける。ロータは背から黒い骨の右翼を産み出して体を翻し、右翼とギルガメスの武器が激突して火花を散らす。
「あの時はどうもね、ギルガメス」
「ガッハッハ!今日は絶好調のはずなんだがなぁ……」
 鎖がギルガメスの右腕三本を戒め、素早く身を翻して翼で切断し、左腕を竜化させて腹に拳を極めつつ、圧縮した魔力を爆発させて吹き飛ばす。
「うごはぁッ!」
 甚だしい衝撃でギルガメスは武器を手放し、倒れたまま動かない。
「すっきりした。じゃあね」
 ロータがそう言うと、彼の胴体に鎖を巻き付け、街中へ向けて放り投げる。
「あ~れ~!?」
 ギルガメスはベタな叫びを上げながら彼方へ消えていった。程無くして、開ききった次元門が政府首都を飲み込んでいく。大橋の向こうから竜化を解いたエストとアストラムが全速力で向かってきて、ロータと合流する。
「イシュタルとイナンナは」
 大橋から次元門を眺めつつ、ロータが問うとアストラムが答える。
「大事なく撃退したぜ。次元門が開いたが……空の器の言うとおり、エウレカに行くんだろ?」
「それしかない。楔が9つなら、人の六罪、神の三罪をそれぞれ封印したものだから……それを使って何をしようとしてるのか、ちゃんと確かめる必要もある」
 エストが思案顔になる。
「それにしても、ここで次元門を開いて繋げた世界は一体なんなのでしょうね」
「さあね。それを知るためにも、先に進まないと」
 三人は大橋を進み始めた。
 ――……――……――
 スラオシャの右腕と刀が激突し、弾き返され、着地した不知火へ天地より光の柱が立ち上る。不知火は瞬時に後退して躱す。
「これだけ戦えば充分だろう」
 スラオシャは構えを解く。
「既に同胞がこの世界で各々の欲望のままに主の手駒となり動いている。これ以上私が干渉する理由もさしてあるまい。覚えておけ、アルヴァナの狗よ。特異点を使い、座を奪うのは我らの主、王龍ニヒロである」
 そのまま、彼は天に召された。間もなく後方からロータたちが合流する。
「シラヌイ、レメディたちは?」
 ロータの問いに、不知火は頷く。
「この先の森へ向かった。戦闘の気配がしない以上、無事であると思うが」
「じゃ、行こう」

 エンベル森林
 森へ足を踏み入れると、レメディたちがどこから持ってきたのか、簡素なテーブルを囲んで茶会を開いていた。
「何やってるの……って、兄様」
 ロータがその光景を見て疑問を浮かべながら視線を上げると、レイヴンと目が合う。
「よう、お疲れさん。流石は俺の義妹《いもうと》だな」
 誉められて、珍しくロータは自慢げに笑む。
「それほどでも……ある。でも……兄様の読みがあったお陰で、大体何が起こるのか予想がついたし……兄様の方が、すごい」
「ハハッ、ありがとよ。ま、資料を掻き集めてきたのはこいつだから、礼はこっちにな」
 レイヴンがアーシャの頭をわしゃわしゃと撫でる。そしてアーシャはその手を叩いて離させる。
「止めてください。学生の前なんですから、もうちょっとちゃんとした方がいいと思いますー」
「おいおい、まだ拗ねてんのか?そっちからパフェを口移しで食べたいって言ってきたのにか?」
「ぶっ……ち、ちーがーいーまーすー!そう言えば最近キスとかあんまりしてませんねって話題のあとにあーんしてほしいっておねだりしたらそっちが曲解しただけじゃないですかぁ!」
「ハハッ、悪ぃ悪ぃ。でもアーシャも顔真っ赤にしながらノリノリで来たけどなぁ?」
「あう……それは……でも!でもでもでも!悪いのは相棒です!それしかないですー!」
 痴話喧嘩を見かねた不知火が口を開く。
「見るに耐えん会話をしているところ済まんが、先へ進まんのか、虚の鴉」
 レイヴンが真面目な表情に戻って不知火へ視線を向ける。
「ああ、先へはもちろんすぐ進む。どのタイミングでどれくらい行軍するかは、まあレメディ次第だがな。だが一つ、言っとかなきゃならんことがある」
「ほう」
「この世界から次元門で繋げられた世界は、旦那曰く戦乱の世界。即ちWorldBだ。そこに、アルヴァナの命に従って王龍の軍勢が集結し始めているらしい。明人は、恐らくそちらの世界でやるべきことの前準備の仕上げを任されているんだろう」
 レイヴンはレメディとヴィルへ視線を向ける。
「二人とも、エウレカで明人と戦うまでに覚悟を決めとけよ。恐らく、この世界には二度と戻れない」
「元より、そのつもりです。バロンさんを目指した時点で、どんな過酷な道を受け入れるつもりですから」
「俺はレメディを支え続けるっす。どんだけやべえ道でも、最後まで」
 二人の言葉を聞いて、レイヴンが笑う。
「ったく、ガキンチョの成長ってのは早いもんだな。で、いつ出発すんだ?」
 レメディが答える。
「すぐにも発ちましょう。待つ理由もないので」
「よし、ならそうするか」
 レイヴンが立ち上がり、アーシャは広げていた茶菓子やら食器やらを消し去る。レメディとヴィルも支度を整え、一行はその場を後にしたのだった。
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