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三千世界・黎明(11)

三章「古代人の妄想」(通常版)

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  スクラカン 湾岸工業地区
「おばさま、お久しゅう」
 夜が深まり、人の気配も工場の騒音も、何もかも静まった港で、エストとメランが向かい合っていた。
「今の私の主は器様です。ニヒロ様の眷属ではない以上、あなたにそう呼ばれる筋合いはない」
 メランの言葉を証明するように、彼女からは濃い精液の臭いが漂っている。エストは右手を口許に当て、嘲る。
「お盛んなことで……雄などという劣等生物に蹂躙されるのが趣味のおばさまには、お似合いの香水ですねえ」
「あらあら……王龍の身でありながら、見掛け上の性差でしか魅力を測れぬとは、流石はお姉さまの子ですね」
 互いに同じ口調で、同じように煽り合う。
「ま、どうでもいいですが……おばさま、今日は私、お別れを告げに来ましたわ」
「……」
 メランは警戒して腰に佩いた脇差しに手を掛ける。
「何を想像しているのかは知りませんが、今ここでおばさまを屠ろうと言うことではありませんよ。そんなことをしては、スクラカンごと特異点《まれびと》を葬ってしまいます」
「口八丁手八丁は私たちChaos社の得意技、そんな口先三寸を信じるとでも?」
「信じなくとも構いませんよ。私は特異点が大層気に入りました」
 凶悪な笑みを浮かべたエストに、メランは警戒を解く。
「そうですか。勝手になさい。私には関係のないことですから」
「ふふ、そうですねおばさま。おばさまは空の器と愛し合い、やや子を授かることこそ至上命令ですからね。自分が犯される側ならば、究極の竿に出会えばそれで終わりですから、気楽で羨ましい限りです」
「何千何万と男を使い潰した人が言うと重みが違いますね。告げることが終わったなら、さっさと私の前から消えなさい。私は器様と共に居なければならないのでね」
 エストは苛立ちを隠さないメランに、微笑みを返して立ち去った。
「(関係ないわけがない。エストが特異点にもし危害を加えでもしたら、器様は目的を失って再び彷徨することになる……時代が過ぎ去って、器様が身も心も死の臭いに囚われてしまったら……もはや身を交えることは……)」
 メランは抜き掛けた脇差しを戻し、急いで立ち去るのだった。

 スクラカン
 翌日、一行は広大な砂漠を眼前に据えた門の前に立っていた。
「えっと、こっから歩きっていうのは……どうしてっすか?」
 ヴィルが困惑して尋ねると、アストラムが返す。
「マタドールから貰った楔があるだろ?あれはマジックアイテムのふりをした原始的な方位磁針みたいなもんでな……そいつが指してる先が、公共交通機関が使えるような場所じゃねえのさ」
「と言うとどこっすか?」
「死都エリファス。一夜にして都中の子供が行方不明になった、あのゴーストタウンだ。観光資源でもねえんで、誰も近寄らねえ」
 レメディが会話に加わる。
「ところで、闘技場では他の学校の選手や観客が全員消えましたけど……何の問題もないんですか?」
「あー、そのことなんだが……一般人には記憶操作とかが効いちまうからな。チョロっとな。勘の鋭いやつは違和感を感じるだろうが、まあてめえらは気にしなくていい」
「……。そうですね。必要な犠牲とは言いたくないですけど、仕方ないことなんですよね」
「ああ」
 アストラムが頷き、話を続ける。
「死都へはまあまあ遠いからな。てめえら、気ぃ引き締めろよ」
 二人は頷き、一行は砂漠へと足を踏み入れた。

 スクラカン砂漠
「さっき言っていた、死都エリファスの話なんですけど」
 レメディが口火を切ると、アストラムが反応する。
「なんだよ」
「子供が一日にして消えたっていうのは……?」
「あー、それか。知ってるかと思ったんだがな。ま、知らねえなら話しといてやるか」
 咳払いして、言葉が続く。
「死都エリファスは、昔むかーし芸術の都として名を馳せた大都市だったんだ。そりゃたくさんの芸術家を抱えて、芸大だの美大だの音大だのと、後進の育成にも余念がなかった。だがある時、一人の音楽家が現れたのさ」
「音楽家……」
 話を聞いていたレメディと、ついでにヴィルも相槌を打つ。
「そいつは赤い衣装を纏い、ストラディバリを持って妙な音楽を演奏して回った。それにつられた子供達はその音楽家に従って列を作り、どこかに消えちまったのさ」
「残った大人は……」
「音楽家の演奏で気が狂って全滅したらしいぜ?」
 アストラムが軽く言い放ち、さらに畳み掛ける。
「ま、こいつが誰かっつうのは覚えがあるんだがな」
「え!?本当ですか!?」
「ああ」
 レメディの驚きを往なすように、アストラムは淡々と続ける。
「デイビット。音楽の産み出す魅力に飲まれ、魔人となった男だ。得物は笛とも、ストラディバリとも言われるが……ま、人を殺せるほどの演奏を行う奴ってのはいくらでもいるが、一つの楽器から器用に用途別の音を産み出せるのは、魔人の神業って奴なんだろうな。マタドールがやってた闘牛も、本来はあいつが持ってるようなトドメ用のサーベルだけで振る舞うような競技じゃないしな。っと、話が逸れたが、まあそういうことだ。死都は魔人デイビットのせいで壊滅した。んで、その楔が死都を向いてるってことは……」
「次の魔人はデイビット……ってことですね」
「そうだな。マタドールよりは物理的に弱いだろうが、相手は魔人だ。油断はするなよな」
「もちろんです」
 会話が終わると、先頭に立っていたロータが立ち止まる。レメディたちも従い、前を見る。そこには、超巨大な黒馬と、それに跨がった二人の黒騎士と、その周囲に二人の黒騎士、紫髪の少女、そして緑髪の少女がいた。
「……」
 手綱を握る黒騎士が視線を向ける。後ろの黒騎士が面頬を上げて、その可憐な童顔を見せる。
「マタドールの撃破、おめでとうなのですよ」
 後ろの黒騎士――アリア・クロダが言葉を発する。
「私たちは魔人……君たちの旅路の果てにて、刃を交えるものなのです」
 アリアがロータへ視線を向け、ロータは仕方なさそうに答える。
「それはいいけど、私たちの前に現れた理由はなに」
「この前はみんなバラバラに戦って顔見せできてなかったのですよ。ということで、お互いに面子が揃ってる状態で自己紹介なのです。こほん。私はアリア。明人くんの妻であり、みんなの母、宇宙の母、三千世界の母……それが私なのです。ねー、明人くん」
 アリアが前の黒騎士へ会話を投げる。仕方なさそうに面頬を上げ、素顔を晒す。
「……。いや、折角クール系でここまで来たのにキャラを崩していいのか……」
 ぼそぼそ呟いたあと、覚悟を決めて目線を上げる。
「俺は明人。人呼んで〝空の器〟。えー、あー……まあ、そんなところだ」
 砂地に立つ二人の黒騎士の内の一人が続いて面頬を上げる。
「主は相も変わらず口下手じゃのう。まあ良いが。さて、妾のことは今さら説明せずとも知っておろうが……我が名はヴァナ=シャトレ・ヨーギナ。覇道を征く、まことの王者なり」
 その横に立つ黒騎士は兜をつけておらず、赤いツーサイドアップが特徴的な幼女だった。彼女は言うことなどないと言う風にむすっとしており、見かねた明人が口を開く。
「そいつはレベンだ。俺の義妹《いもうと》だ」
 それに紫髪の少女が続く。
「私はアミシス・レリジャスと言います。前任の水都竜神です……と言って通じるかはわかりませんが、まあそんなところです」
 最後に緑髪の少女が答える。
「私は〈詠う星、冥雷の空柱〉、隷王龍メランエンデと申します。……姪がご迷惑をおかけしたかもしれませんが、私には殆ど無関係ですのでご了承くださいね」
 一通り自己紹介が終わって、そしてこれ以上会話が盛り上がらない空虚な時間が訪れる。
「なあアリアちゃん、これ本当に必要やったん?見てんこれ、ロータさんとアストラムは今更何言うてんねんみたいな表情やし、若者二人はシンプルに困惑しとるやん」
「大丈夫なのですよ。とりあえず面識があることと、会う回数が大切なのです。ザイオンス効果というものなのですよ」
「まあいいか……緩く出来る時に緩くしとかないとな」
 明人はレメディへ視線を向ける。
「よく覚えておくんだな。いずれ俺たちは戦う定めになっている」
 そう告げて、明人たちは次元の向こうへ去っていった。
「なんか……嵐みたいでしたね」
 レメディのコメントに、ロータが笑う。
「あれだけ意味不明な濃い味オンリー集団なら当然ね。さて……どうでもいいことで時間取られたけど、進もう」
 ロータが再び歩き始め、三人が続く。

 マッカサ高原
 砂状砂漠を越えて岩石砂漠地帯、マッカサ高原に辿り着く。ここには、イ・ファロイから始まりスクラカンを貫いて続く高速道路が配置されており、一行は道路へ登り、岩場を避けつつ道路沿いに進んでいく。
「しっかしよぉ、なんでこんなに車が居ねえんだ?」
 アストラムが呟くと、ロータが反応する。
「ここ最近、このハイウェイでは事故が多発してる。アーシャによれば、追い越し車線でトップスピードを出した車両が狙われてるらしい……」
「それ、普通に事故じゃねえの?」
「いや。数キロにも及ぶチェイスの末に破壊されていたみたい。しかも、車両全体が焼却されて灰になっていた」
「金属やシフルエネルギーを灰にするなんて芸当は普通の炎にゃできねえ。つーことは、怨愛の炎か、真炎か」
 二人の会話に、レメディが加わる。
「あの……」
「どうした?」
 彼が控えめに開いた手の中には、基礎の楔が握られていた。それは凄まじく震えており、高速道路の進行方向に向いている。強烈な怒気と共に、とてつもなく恐ろしい気配が高速で接近してくる。
「これってまさか……!」
 レメディたちが構え、ヴィルが槍を抜く。

 異界・紅月の死闘場
 中天には紅月が燦然と輝く。昼間だと言うのに薄暗くなり、そしてけたたましいバイクのエンジン音が轟き渡る。
「おいおいおい!てめえらがそいつを持ってるたぁどーいうつもりだぁ!?」
 前方より猛進してくるバイクは、車輪が火炎で包まれており、そして運転手も紅蓮に包まれ、ライダースーツを纏った骸骨だった。骸骨はそのまま、ヴィル目掛けて突撃してくる。
「てめえか!てめえだなッ!?特異点ってやつはよぉ!」
 スロットルを捻り、車輪から吹き出す炎が勢いを増す。
「連れてってやるよ、我が王が作り出す世界……スピードの向こう側ってやつによぉ!」
 急ブレーキを掛けて急停止し、炎が爆裂する。レメディたちが飛び退き、立ち上る炎の壁でヴィルと分断される。その向こうで、ヴィルと骸骨のライダーは対峙する。
「あんたも魔人すか」
 無明の闇を穂先とし、骸骨を見据える。骸骨はそちらへ顔を向け、燃え滾る頭部の狭間から紅い眼光を見せる。
「俺様の名前はヘルズエンジェル。この世を俺様の怒りで燃やし尽くすために、我が王に命をくれてやった!」
 フルスロットルすると、更に爆炎が起こる。
「うぉっ……!」
 紅蓮の余りの目映さに目を細めると、ヘルズエンジェルは咆哮して突進してくる。ヴィルは反射的に瞬間移動し、ヘルズエンジェルは逃さず速度を上げ、道路の進行方向に逃げたヴィルを瞬時に猛追する。両者は恐ろしいまでの速度で道路を駆け抜ける。だが、ヴィルの瞬間移動にほんの僅かな遅れが生じ、その瞬間を逃すことなくヘルズエンジェルがウィリーで一気に仕掛ける。止まり、槍で受けると、車輪の凄まじい回転と共に強烈な熱気が迸る。
「おいおいおいィッ!そんなチンケな得物ごときで俺を止められると思うなよッ!」
 ヴィルは受け流してバイクを進ませるが、その瞬間にスロットルを捻り絶大な衝撃を起こして反撃し、ヴィルは吹き飛ばされる。逃さずヘルズエンジェルは恐るべきドリフトをかまし、吹き飛んだヴィルへ突撃すると、彼は瞬間移動で着地し、バイクの後輪が炸裂し、ヘルズエンジェルは躊躇いなく地面へ特攻する。
「(これ以上逃げても俺の速度が足りねえ!なら……!)」
 ヴィルは回避せず、穂先の出力を上げて迎撃する。無明の闇と紅蓮が競り合う。そしてヴィルは槍を取り残して回り込み、ヘルズエンジェル本人へ蹴りを放つ。ヘルズエンジェルは防御することはせず、蹴られた力に任せてバイクと共に道路へ着地する。ヴィルも着地し、槍を掴む。
「(なんで躱さなかった……俺の攻撃は、気をてらっただけの単調な攻撃だった。あそこまで直撃するようなもんじゃなかったはずだ)」
 ヴィルが不思議がっていると、ヘルズエンジェルは笑う。
「ヌハハハハハッ!俺のスピードを受け止める奴がいるとはなぁ!」
「え」
「流石だ、特異点!俺は大満足だぜ!てめえにこれをくれてやる!」
 ヘルズエンジェルは懐から小さな楔を取り出すと、それをヴィルに投げる。
「威厳の楔……我が王から貰ったが、俺にはどうでもいい代物だ。じゃあな、あばよ特異点!」
 そのまま、彼はハイウェイの向こうへ走り去っていった。

 マッカサ高原
 月は失せ、元の青空が現れる。炎の壁が消え、レメディたちが駆け寄ってくる。
「大丈夫、ヴィル!?」
 レメディが手を取ると、ヴィルは微笑みを返す。
「ああ、大丈夫。それよりも、これ」
 ヴィルの手に置かれた楔を見て、アストラムが呟く。
「二本目の楔か。一本目が指してたのはそいつのようだが、三本目も同じ方向を指してるな……」
 レメディが続く。
「ということは、デイビットと戦うのは確定ってことですかね……」
「そうだな。ところでヴィル、てめえは誰と戦ったんだ?」
 アストラムが問う。
「ヘルズエンジェル、とか言ってたっすね」
「ああ、そいつか……」
「なんか因縁があるんすか?」
「いや?特に何もねえ。ヘルズエンジェルは、所謂バイカーギャングの怒りや怨恨が募り募って生まれた魔人だ。ま、社会への憤怒だの、自分が認められない不満だのなんだの溜め込みまくって、結局は同業者を全部焼き滅ぼしてどっか行ったらしいが」
「あとあいつ、ずっと俺のことを特異点って勘違いしてたっすよ」
「あ?それに関して言ぁ、てめえも特異点なんだろ。間違いはねえ。実際問題、てめえも魔人の気配に気付き、あの異界の中で正気を保っていられる。そんだけでも大した価値なんだよ。そんなもん知る由もねえだろうがな」
 ヴィルが楔を懐にしまい、アストラムが道路の縁から景色を眺める。
「死都はまあまあ遠い。魔人と戦って疲れてるかも知れねえが、急ぐぞ」

 死者の谷
 高原を抜け、巨大な渓谷へ入ると、次第に景色が血霞に覆われていく。
「うぇーっ、なんですかこれ……」
 レメディが苦虫を噛み潰したような表情でぼやき、ロータも頷く。
「別に好きでも嫌いでもないけど……臭い」
「ったく、おばさんがそれ言うか?おばさんだって、戦いの匂いが染み付きすぎてちょっとやべえときあるぜ?」
 アストラムが茶化すと、ロータが笑う。
「ふっ……潜ってきた修羅場が違うし……それに私は、兄様……と皆以外にどう思われてもどうでもいいから」
「おばさんはじいちゃんのことほんと好きだよなー。ところで、ここはどこだ?」
「死者の谷……死都に続く、深いV字谷」
「V字谷つーことは、ここには川でもあったのか?」
「さあね。超越世界の地理自体はそこまで興味ないから……」
 そこへレメディが加わる。
「あの……この霧は一体?」
「んあ?見りゃわかるだろ、血霞だ」
「ちがすみ?」
「凝固した血を含んだ塵、それが纏まって霞や霧のように見えてんのさ。よくわかってなかったが、ここが死者の谷なら話は簡単だったな」
「どういうことですか?」
「乾いた血の破片、それが血霞の正体って訳だが、吸い込めば粘膜で溶けて張り付く。当然、吸い込みゃあ辿り着くのは気道、肺ってなもんだ。ここで長時間作業してる内に大量の血霞が呼吸器系に付着して呼吸がしづらくなって、地上で窒息。誰も彼もが帰ってこねえから死者の谷。簡単な話だな」
「じゃ、じゃあ僕とヴィルは……」
「ちったぁシフルエネルギーを自前で作れるようになっただろ。こんな霞ごとき、全部エネルギーにしちまえ」
「頑張ります」
「おう。ところで、この血霞なんだが、なんで生まれてると思う?」
 急な質問に、レメディは困惑する。
「え、えーっと……」
「普通、血液は飛び散ってもすぐ凝固して、土壌に吸収されてどっか行っちまう。だがな、聞いたことねえか、ボイドアーニルって生き物」
「ああ、レッドリストに載ってる、あの希少生物のことですか?」
「その通り。あいつが纏う靄は老廃物が体外に排出されたものなんだが、さっき話した通り死都にはデイビットの演奏で死んだ大量の大人たちがいる。食い物がたくさんありゃ、そりゃ出さなきゃいけねえもんも増える。それがこの血霞だ。要はうん――」
「あーっとそれ以上は結構です!」
「んだよ、別にいいだろそれくらい」
 一行は駄弁りながら進んでいく。
 その様を、明人とシャトレが尾けつつ眺めていた。
「いやはや、芸術の街とは……デートには最適じゃな、お前様?」
 シャトレが兜を外した状態でそう言うと、明人は苦笑する。
「こんなところでデートとか頭イカれてんのか。ムードも何もないだろこんなん」
「妾の婿となるお前様は、この惨禍の中でもしっかり妾を愛でねばならんのじゃぞ?」
「こういうところ嫌いじゃないけどちょっと雰囲気が重すぎるんだよ……」
「とか言いつつも妾がここで誘ったら乗り気になるくせにな。全くお前様と言うものは、妾が居て本当に感謝してほしいものじゃな。本来ならば絶世独立、最強の覇王たる妾は、お前様など歯牙にかけぬのじゃぞ?」
「それは……いつもお世話になってます色んな意味で」
「うむうむ、それでよい。これからも善き関係であろうな、お前様」
 下らない会話を続けている内に、レメディたちは谷を越えており、明人たちも少々遅れて出口へ辿り着く。
 死者の谷の出口から見下ろすと、大量の血霞に覆われた向こうに絢爛たる建造物群が見える。
「まるでテーマパークやな、こんなん」
 明人が呟くと、シャトレが続く。
「都市としての機能を破壊せず、そこに住まう人間だけを抹殺する。それがどれだけ至難の業なのかを、よく示しておるな」
「さてと……」
 雑談もほどほどに、二人は死都へ向かっていく一行の後を尾けていった。

 死都エリファス
 格段に濃厚になった血霞によって、視界の殆どを紅く染められながらレメディたちは進んでいく。
「これ本当に魔人なんているんですか……?」
「まあいるだろ。マタドールとかヘルズエンジェルでわかっただろ。もう死んでるんだよ、あいつらは」
 アストラムが遠慮なく先へ進んでいると、どこからともなく寂しげな旋律が響き渡ってくる。
「もう気付いたか。大した奴だぜ、全くよ」
 憂いを纏った音が周囲を囲むと共に、血霞の向こうから赤黒いオーラを纏った巨大な馬の魔物が現れる。
「ボイドアーニル……!」
 馬の魔物――ボイドアーニルは一行を見るや否や嘶き、上体を起こして威嚇する。凄まじい量の血霞が放出されて、視界がほぼゼロになるほど濃厚な血の色に周囲を包まれる。
「おばさん!」
「わかってる」
 アストラムの声が届くより先にロータは飛び上がり、天象の鎖を何重にも召喚してボイドアーニルをがんじがらめにする。そのまま強烈に戒めて石畳にめり込ませ、砕けた地面を修復して生き埋めにする。アストラムが双頭斧を振り回して血霞を払い、ようやく視界が元に戻る。
「っと、さっきの話からするとボイドアーニルって結構大切な生き物だったすよね……」
 ヴィルがそう言うと、ロータが鼻で笑う。
「ふん。埋めただけだから大丈夫。二、三日もあれば自力で出てこれる程度の穴にしたし……それに、この量の血霞を産むのは流石に一体の仕業じゃない。それにどうせ最後は……」
 そこまで言って止め、言い淀んでから続ける。
「まあ、今はそんなことを気にしてもしょうがない」

 死都エリファス 福禄宮
 響き渡る音楽に誘われるまま、一行は中心部に位置する巨大な宮殿に辿り着く。
「音はここから聞こえてきますけど……」
 レメディが正門たる大扉に触れる。朽ちてはいるが、頑強な仕掛けが幾重にも施され、絡み合った装飾が妙な美しさを放つ。
「こういうのは力ずくでぶち破ったれ」
 アストラムがパンチで大扉を粉砕し、一行はそのまま進んでいく。内部は大量の血霞が付着し、それが酸化したことで赤黒く染め上げられている。巨大な廊下に反響する調べを辿って、一行は大広間まで辿り着く。天井の中央をから、壁面と床までを覆うアートは、血塗れてはいるが荘厳で壮大な雰囲気を放っていた。
「黄昏に染まる、球状の世界。命運を決したかの最終決戦より、遥かな時が経った」
 血霞の向こうから、旋律と共に威厳のある声が貫く。それに伴ってアートにこびりついた血が剥がれ、白い騎士と長い黒髪の和装の女が相対している場面が露になる。
「光に狂いし真人は、縁《よすが》の楽園に果てた。己が焦がれた目映さに飲み込まれ、黄昏の彼方へ潰えた」
 そこから辿って血が剥がれ落ち、次は桃色の長髪の女と、大男が朗らかな表情で殺し合う場面となる。
「あれって……」
 ヴィルが思わず口走ると、レメディがつられて頷く。
「バロンさん……」
 血霞の彼方から現れたのは、赤い派手な衣装に身を包んだ小柄な骸骨だった。
「放蕩と栄光の女王は己の思索の最奥に辿り着き、宙核の手でその本懐を遂げた」
 続いて血が剥がれ落ちて、アートは炎の旗槍を持った黒騎士とオーラを纏った大剣を構えた骸骨騎士が向かい合う場面を見せる。
「紅蓮の仇花は……」
「そこまでだ、デイビット」
 骸骨《デイビット》が語りを続けようとした時、レメディたちの後ろから声が響く。同時に大広間の血霞が全て払われ、明人とシャトレが現れる。
「余りデリケートな話をするものではないぞ、魔人よ」
 二人はレメディたちの間を抜け、デイビットの眼前に立つ。
「ここの楔は俺がやる。あんたは手を引いてくれ」
 明人がそう言うと、デイビットは驚くほど素直に演奏を止めて楔を彼に差し出す。
「元々我が身は戦いに向かない。ならば、空の器。生の残り香に包まれた汝がこれを使うが良い」
「恩に着る」
 受け取ると、デイビットは現れたのと同じように消え去る。二人は振り返り、レメディたちと相対する。
「戦う定めとやら、随分と早いじゃねえか。生き急いでんのか?」
 アストラムが口火を切ると、明人が即答する。
「俺と砂漠で会った時点で予想はついてただろ。シャトレが闘気を隠そうとしないから、後を尾けるの結構苦労したんだぞ」
 シャトレがドヤ顔で鼻息を一つし、会話に加わる。
「シラヌイの邪眼を耐えることから始まり、得物の力添えもあれどマタドールとヘルズエンジェル、二体の魔人を破るその実力……妾たちは純粋に興味が湧いた。湧いた……が。この時点で妾たちが特異点たちと打ち合うとならば、星の赤子と天象の鎖が助力するのは必然」
「メラン!」
 明人の声に、大広間のシャンデリアに乗っていたメランエンデが答える。
「了解しています、器様!」
 立ち上がったメランエンデの手からシフルが放たれ、周囲の雰囲気が変わっていく。
「この感じ……王龍結界か!」
 アストラムがいきり立ち、ロータが鎖を放とうとした瞬間、またもどこからか声が響く。
「相変わらず芸も品も無いですね、おばさまは」
 メランの結界の展開が妨害され、二つの結界の勢力が拮抗する。次に通路から現れた声の主は、清楚ながらも妙な色香を放つ少女――エストエンデだった。
「ちっ……申し訳ありません器様、計画の変更を」
 その姿を捉えたメランは、シャンデリアから飛び降りて明人の傍に立つ。
「仕方ない。シャトレはロータさんたちを、メランはあの女を頼む」
 メランは頷き、シフルで産み出した紫の紐をエストに括り付け、そのまま二人は廊下へ飛び出る。シャトレがロータたちの前に立つ。
「悪いが、お前たちの相手は妾じゃ。特異点と主の戦いを邪魔されては困るからのう」
 彼女が右手を振り上げると、床を貫いて巨大な闘気が噴出し、ちょうどレメディたちと、明人たちをそれぞれ分断する。
「仕方ない……アストラム、手加減は要らない。さっさと叩き潰すよ」
 ロータが腰に下げた本を右手に広げる。
「っしゃあ!強ぇ奴と戦いたくてウズウズしてたんだよ!」
 アストラムが双頭斧を構え、いきり立つ。
「ふん、賎しい血の者共め……」
 シャトレが静かに力み、次の瞬間、空気が歪むほどの闘気が漏れ出す。二人は全身が総毛立つような感覚を覚え、一歩退く。
「妾の力、とくと味わうがいい」
 そして解き放たれた闘気は、絶類なる波動となり、福禄宮の屋根が吹き飛び、辺りの血霞と曇天とを全て蹴散らし、天に昇る。シャトレが拳を構える。沸き上がる闘気が黄金に輝き、彼女の長い前髪をはたたかせて、紫の大きな瞳が狭間に踊る。
「さあ来い。妾と言う生きる歴史に、立ち向かうがよい」
「行くぜ!」
 アストラムが待ちきれないとばかりに突っ込み、双頭斧を振るう。シャトレは片手でそれを受け止め、返しに打たれた拳をアストラムは体を捻ってギリギリで躱し、その隙を潰すように四方八方から天象の鎖が放たれる。シャトレは光速で飛び回って鎖を一絡げにして引き千切り、続けて飛んでくる暗黒竜闘気の槍と鋭い鉄片、紫の棘の弾幕を抜け、着地する。そこを鋭く狙ったアストラムの最下段の薙ぎからの蹴り上げ、更に錐揉み回転しつつ上昇からの大振りの一撃と続ける。薙ぎを飛び退き、蹴りを流し、一撃へ拳を差し込もうとするが、不意打ちの拘束を狙った天象の鎖への対処を優先し、双頭斧を弾き返して闘気を放ってアストラムを吹き飛ばす。弾幕の猛攻を潜り抜けながら、吹き飛ばしたアストラムを通り越してロータへ肉薄する。ロータは初撃を本のハードカバーで受け止め、ルータへ交代して続く拳を左前腕で逸らし、口から光の棘を吐き掛け、それがシャトレの纏う闘気に燃やされる。シャトレは構わず拳を次々と叩き込み、ルータの付け入る隙を与えぬように殴り続ける。拳と拳の隙間に、ルータが渾身の力でアッパーを差し込み、床から閃光を解き放ってシャトレをほんの一瞬だけ怯ませ、そこへアストラムが彼女の首に足で組み付き、手で着地して振り回し、放る。シャトレが受け身を取り、二人は呼吸を整える。
「ひいばあちゃん、大丈夫か?」
 アストラムが言葉をかけると、ルータは笑う。
「ええ、なんとかね」
 二人の視線の先では、シャトレが退屈そうに首を鳴らしていた。
「天象の鎖と星の赤子と言えど、所詮は妾の敵ではないな」
 その言葉を遮るように、ルータがロータへ戻る。
「上姉様が得意な相手ではなかっただけのこと。私が単に判断ミスをしただけ」
「じゃが、本気で命を取り合う状況になれば一度のミスが致命傷になる。動きに伴う隙と、読み間違いから来る隙では傷の深さが違うじゃろう」
「そうね……」
 ロータはスカートの裾についた埃を払い、深呼吸する。
「アストラム、割と本気で行こう」
「本気で……って、本気でいいのか、おばさん」
 ロータの提案にアストラムが若干驚くが、ロータは頷く。
「っしゃあ!っしゃあ!よっしゃよっしゃよっしゃ!そうこなくっちゃあなぁ!」
 アストラムが喜び勇んで力むと、彼女の表皮から黒い粘液――コールタールのような独特な液体が滲み出る。彼女の体がそれに飲まれると、マッシブな怪物の姿となる。シャトレを威嚇するように咆哮すると、文字通り怪物と呼ぶべき極悪な牙が現れ、黒色の粘液が飛び散る。
「ぶち殺してやるよ、クソガキがァ!」
 変身したアストラムは猛獣のごとく飛びかかり、爪を突き出す。右に避けたシャトレへ超大振りなかち上げを振る。シャトレは僅かに横に逸れて躱す。さほど大きく動かなかったのは後隙の問題もあろうが、既に周囲を天象の鎖に塞がれているのを察していたからだった。防御をそれに任せて、アストラムは乱暴な攻撃を続ける。
 ――……――……――
 廊下へ飛び出たメランとエストは、互いに腹の内を探るように懐疑的な視線を向ける。
「〝お別れ〟をしに来たんですか?」
 メランが嫌味ったらしく言葉を発すると、エストが笑む。
「いいえ。私も特異点を追っていただけですよ。そうしたら偶然、おばさまがいた。そういうことです」
「何にせよ、あなたは随分と面倒なタイミングでここに来てくれましたね」
 両者は間合いを測りつつ、円を描くように歩む。メランは脇差しに手を掛け、鎺《はばき》を見せる。
「すぐに手を引きなさい。第一、ニヒロ様から達しを受けているのは私だけのはず」
「ニヒロ様はとても貪欲な方。それはおばさまもよく知っているはずですよね?シラヌイの邪眼に耐えた人間が居たと言う報告があった時点で、ニヒロ様に直談判してここに来ているわけです」
「私たちそれぞれに、違う種類のデータを集めよと、そういうことか……」
 メランは抜刀する。
「ならばニヒロ様は、あなたがここで死んだとしてもそれを承知のはず。望み通りに殺して差し上げましょう」
 放たれた殺気に、エストは思わず笑みを浮かべる。大広間での激戦の影響か、宮殿全体が揺らいで、廊下にも土埃が落ちてくる。
「竜化は出来ない――と勝手に思っていましたが、バンギの娘があれだけ大暴れして大丈夫ならば、私たちも問題ないのでは、と思えてきましたね」
「生粋の王龍が放つ純シフルを受けて、今の特異点で耐えられると?エストエンデ、目の前の餌で生殺しに遭っているのはわかりますが、そこまで性急になる必要がありますか?」
「おやおや、流石はおばさま……私が特異点に執着しているからこそ、特異点を盾に全力を出させずに殺そうとしているんですね」
 エストの右手に紫のシフルで作られたレイピアが握られる。
「おばさま、今はお互いのために……」
 切っ先を向け、満面の笑みをメランへ見せる。
「小競り合いで済ましておきましょう♪」
 エストが若干身を屈め、一気に踏み込んで刺突を放つ。メランは脇差しを瞬時に引き抜いて弾き返し、瞬時に納刀してエストの伸ばされた右腕を掴み、そのまま背負い投げる。瞬時に受け身を取るが、それが仇となって硬直し、メランは肉薄しつつ瞬間的に抜刀して十字に切り裂く。強烈な斬撃を受けたエストは大きく吹き飛ばされ、壁にレイピアを突き刺して堪え、床に対して壁に平行に立つ。
「流石に速いですね、おばさま……」
「自分の思いのままにしか動けないあなたとは違いますから」
「へえ、それならば……」
 レイピアを抜き、異常なほどの鋭角で斬り込み、返す刃で後退し、滑るように前進して猛烈な刺突を放つ。メランも前二撃を打ち返し、赤黒い電撃を纏わせつつ納刀する。生じた力場が威力を減衰させつつ、メランは大きく飛び退き、身を翻して飛び込み、最下段へ斬りかかる。刺突の後隙を潰すようにレイピアを消し、エストは足裏からシフルを生じさせて若干浮き上がって切っ先を避け、再度レイピアを産み出して体重を掛けて刺し込む。メランの右腕に突き刺さり、そのまま床まで貫通して釘付けにするが、メランは躊躇せず右腕を引き千切って離れ、再生させつつ右足の踵側から回し蹴り、左爪先で脇差しを蹴り上げつつ後転して脇差しを取り戻し、背を狙って突進したエストの刺突を再び弾き、掌底を叩き込み、発した電撃で更に傷つける。しかしエストも構わず踏み込み、両者の得物が激突する。
「何にせよ、こうしておばさまを特異点から引き剥がしている時点でここでの私の役目は果たされていますから」
「腐った姪ですね」
 ――……――……――
「あなたは杉原明人……ですよね」
 レメディが剣の柄に手を掛け、相対する明人は瞬きの内に全身を鎧に包む。
「砂漠で言った通りだ。それ以上でも以下でもない」
 明人は素早く剣を抜く。くすんだ刀身は何らかのギミックがあることを期待させるが、うんともすんとも言わない。
「俺はお前たちを測りに来た。本当に特異点たる実力を備えているのか……全てを託す価値があるのかどうかをな」
 ヴィルも槍を抜き、穂先を展開して構える。
「俺たちはこんなところで止まるつもりはないンすよ」
 それに応え、明人も構える。
「行くぞ特異点!」
 明人が踏み込んだ瞬間、夥しいまでの斬撃が放たれ、更にその斬撃が新たな衝撃を産み出す。即座に抜刀したレメディは致命傷だけ防ぎ、残る斬撃を直撃は避けつつも被弾する。ヴィルが槍を振り、放たれた無明の闇が走り、明人は空間を三角に切り裂いてそこから波動を産み出して打ち消す。右に瞬間移動し、死角を狙って剣を放つも、レメディは飛び上がって斬撃を越え、空中から全体重をかけて剣を振り下ろす。防御に移った明人の剣と激突し、凄まじい閃光が放たれる。
「これは……!?」
 明人が怯み、防御を突破されて空中で構え直したレメディの蹴りを受けて後退し、そこにヴィルの強烈な刺突を受けて吹き飛ぶ。明人は受け身を取ると、神妙な面持ちで自分の剣を見る。
「(今のは……セレナの剣と、この剣が共鳴したのか……?)」
 レメディが躊躇せず素早い踏み込みを行い、剣を横薙ぐ。咄嗟に明人は視線を戻し、防御するが甘く、弾かれたところに強烈な蹴りを受ける。吹き飛んだ頭上からヴィルが現れて急降下し、明人はギリギリで弾き返して床に跳ね、態勢を立て直して着地する。
「眼前の相手から意識を外すなんて、僕たち結構舐められてるんですね」
「いい調子だぜ、レメディ」
 二人が構え直し、明人が自分の胸に左手を置いて呼吸を整える。
「加減するの苦手なんだよ俺は」
 明人が剣を掲げると、刀身から七色の輝きが放たれる。
「だがそこまで本気で来てほしいなら、見せてやるよ!」
 剣を右に振り抜くと、刀身を覆っていたくすみが吹き飛ぶ。七色の輝きを放つ長剣――〝銀白猛吹雪の星虹剣フィンブルヴェトルアルギュロス・アルコクリンゲ〟が姿を現す。
「待つのです」
 今まさに攻撃に移ろうとした時、大地から響き渡る穏やかな声で、その場にいる明人のみならず、シャトレたちも、メランたちも戦いを中止する。
 ――……――……――
 闘気の壁が消え、そして凄まじい地響きが発生する。
「明人くん、今その力を使ってはダメなのです。君が負けず嫌いなのはよくわかってるのですけど、目的を見失っちゃ意味がないのですよ」
 床を引き裂いて巨大な触手が次々に這い出て、最後に蕾のごとき特大の触手が現れ、それが花弁のように開いて、ほぼ全裸のアリアが現れる。
「測るべきことは測り終わったのです。特異点たちは、今の我々では命を懸けねば止められぬもの。魔人に打ち勝った実力に、偽り無しということなのです」
 アリアが立つ触手にシャトレとメランが降り立ち、明人は納刀する。
「やるよ」
 明人は楔をレメディへ投げ渡すと、触手へ飛び乗る。
「お前に特異点たる素養が備わっているとわかった以上、俺とお前らは何度でも相対することになる。覚悟しとけよ」
 触手は閉じ、そのまま大地へ消え去っていった。
「ふぅ……」
 一息ついて、レメディは納刀する。ヴィるも槍を背に戻し、ロータと元の姿に戻ったアストラムが合流する。
「お疲れ、レメディ」
「ありがとうございます」
 ロータが労うと、レメディははにかむ。その横でアストラムがヴィルと肩を組む。
「てめえも頑張ったんだろ?褒めてやるよ、よしよし」
 アストラムは乱雑にヴィルを撫で回す。
「ありがとうございますっす!」
 ヴィルは頭を上げて満面の笑みを見せる。と、廊下の方から足音が聞こえ、その主が大広間に現れる。
「私からも賛美を、特異点。君はお姉さんが思うより、ずっと強いんだね」
「エストエンデ……」
 レメディは三人を守るように前に出る。
「助けていただいたのは感謝します。でもどうしてここに」
「お姉さん言ったでしょ?君が素敵な男になれるように応援してるって。だから、君の旅路の供をしたいの」
 エストはあくまでも鼻につく態度を崩さず、細かい動きで媚びる。
「……」
 レメディが明らかな警戒を見せると、エストは微笑みを返す。
「大丈夫よ、心配しなくても。私が変なことをしたら、そこの二人が私を殺すでしょう?」
 エストはロータとアストラムに目線を流す。ロータが至極面倒そうにため息をつくと、口を開く。
「レメディ、彼女を安定した戦力として数えるのは難しい。それでも、この先の戦いに進むなら彼女は戦力のいい増強にはなる」
「そう……ですか。確かにバロンさんを目指すのなら、王龍さえも味方につけないと……」
 レメディは暫し考えたあと、頷く。
「わかりました、エストエンデさん。僕たちの旅についてきてください」
 エストは輝く笑顔で応え、レメディの右腕に抱きつく。
「じゃあ一緒に行こうね♪」
「やめてください」
 レメディは冷静にエストを引き離し、ロータたちの方を向き、楔を見せる。
「次の目的地は楔に従えばいいんですか?」
 ロータは黙してアストラムが続く。
「ああ、そうだな。ここからの方向で言うと……ウベルリか?てめえらの故郷っつうことだが……次に出てくる魔人は見当がつかんな。ま、先に進めば良いだろ」
「そうですね。じゃあ行きましょう」
 楔を懐に戻し、レメディたちは大広間を後にした。

 大橋門都ウベルリ
 高原を越えた先に聳えるエレイアールの山々を越え、神都タル・ウォリルを横目に進み続ける。するとマーナガルムと呼ばれる大峡谷にかけられた大橋が見えてくる。その大橋を中心に発展した都市こそ、ここウベルリである。
 一行が街に足を踏み入れると、そこでは多様な種類の車両が行き交っていた。石造りの古風な街並みながら、タイムパラドックスでも起きているかのような車の流れは、いかにこの街が古来より栄えているかを物語っている。
「なんというか、人体でシフルエネルギーを生成できるってとんでもないことですね」
 レメディが歩きながら呟き、ヴィルが頷く。
「確かにな。山を越えても全然疲れねえとは思わなかったぜ」
「だよね。スクラカンからエリファスまでそこまでかからなかったし、あそこから陽が沈む前に戻ってこられるなんて」
 その後ろで、エストがロータへ話しかける。
「それで、この後のご予定はどうなされてるんですか?」
「宿を取って後は自由時間だけど」
「なるほど宿ですか」
「先に言っておくけど、レメディと同じ部屋にはさせないから」
「あら、残念ですわ。宿など取らずとも、私の王龍結界で休めば良いかと思いましたのに」
「……」
 と、前の二人の会話にアストラムが加わる。
「てめえら、故郷なんだろここ。実家とか寄らなくていいのか?」
 レメディが若干気まずそうに首を傾げる。
「うーん、今両親がどこにいるのかよくわかんないんですよね……」
「どういうことだ?」
 ヴィルが疑問に答える。
「レメディんとこの両親は色んなとこ飛び回ってンすよ。だから逆に会えたら奇跡っつーか、そんな感じっす」
「そうなのか。じゃあてめえんとこはどうなんだ、ヴィル」
「俺んとこはついこの間二人で帰ったんでわざわざ行くほどじゃねえっすよ。っていうか週末は二人でいっつも帰ってるし。なあレメディ」
「うん。だから故郷だからと言って懐かしい感じはしないですよ」
「ふーん、そんなもんか」
 一行が街中を進んでいくと、大橋の前に辿り着く。レメディが立ち止まる。
「みんな……」
 続く四人も頷く。漂ってきたのは死の臭い、とてつもなく恐ろしい気配だった。

 異界・紅月の死闘場
 射し込んできていた夕陽が消え、中天に紅月が煌々と輝きを振り下ろす。大橋とその周囲のみを包んでいるのか、紅い薄膜の向こうでは多くの車両が立ち往生していた。仕方なく一行が大橋を進むと、ちょうど中央に差し掛かったタイミングで空から赤い片刃の大剣が突き刺さる。複合金属で作られた大橋から突如水が沸き立ち水面から凄まじい飛沫を上げて竜人が現れる。水色と白を基調としたその姿は、威厳に満ちていた。
「来ましたか」
 竜人は右手を大剣の柄頭に乗せる。
「あなたは……?」
 レメディが警戒感を露にしつつ問うと、竜人は続ける。
「私の名前はアミシス。皆さんとは砂漠で会いましたね」
「あなたが次の魔人ですか?」
 アミシスは少し目を伏せ、そして一行へ視線を向ける。
「そうです。ですが、ここで戦うことはない」
「それはどういう――」
 返答を待たず、彼女は大剣を逆手で引き抜いて再び突き立てる。すると凄まじい激流が起こり、大橋を両断する。
「アメンネスで待っています」
 水に溶けてアミシスは消えた。同時に、大橋は崩壊を始める。
「ちっ……!」
 ロータが飛び、レメディとヴィルに鎖を巻き付け引き上げる。アストラムとエストは空《くう》を蹴って追随して立ち退く。

 大橋門都ウベルリ
 異界を抜け、一行が対岸まで辿り着く。同時に異界が消え、大橋がマーナガルム大峡谷へ崩落していく。
「大橋が落ちちゃってるんですけど、これ大丈夫なんですか!?」
 レメディが動揺すると、アストラムが首を横に振る。
「大丈夫なわけねえだろ。少なくとも、交通の便は死ぬほど悪くなるだろうな。まあ……極端な話、俺たちがやるべきことには影響がねえ。行くぞ」
 ロータがやれやれと肩を竦める。
「そんな深刻そうに言わなくても、どうせシフルエネルギーで構築するんだから三日くらいで元に戻るでしょ」

 ウェスプ草原
 大橋の崩壊で騒然としているウベルリを後にした一行は草原に出て、先を急ぐ。夕陽は完全に沈み、夜の闇が周囲を包む。
「アメンネスって、ウチの学生が行方不明になったっていう場所ですよね」
 レメディの言葉をロータが受けとる。
「そう。合宿でここまで来ていたんだけど、コーチや担当の教授諸とも全員がアメンネス近くの湖で行方不明になった。今アメンネスの情報は外部に出てないから……内部がどうなってるのかはわからない」
「魔人……アミシスさんがやったってことでしょうか」
「その線はある。わざわざアメンネスで待ってると言ったことと、アメンネスが水の豊富な場所であるということ……アミシスは、水を司る竜神だから、水場の近くなら普段以上に強力なはず」
「明人さんの仲間なら、何らかの理由があって一般の人を巻き込んだってことですよね」
「たぶんね。レメディたちと同じように、異界に立ち入れてアミシスと戦い、そのまま死んだのかも……」
「そうですね……」
 会話が詰まったタイミングで、レメディが切り出す。
「ところで、今日はこのまま強行軍でアメンネスまで行くんですか?」
「ああ、それね……」
 待ってましたと言わんばかりにエストがロータを押し退け、会話に加わる。
「お姉さんの王龍結界で休もうかって話してたの♪どうかな、特異点くん?」
「王龍結界って休めるんですか?」
「うん♪だって中身は自分で決めるでしょう?アルマやイ・ファロイの高級スイートルームだって再現できるよ?」
「は、はぁ……。うーん、いつでもそうやって休めるなら、もうちょっと進んでもいいかも……」
 と、そこでヴィルが加わる。
「いいや、休めるときに休んだ方がいいぜレメディ。今日は既に、エリファスで派手にやりあってる。無理して進んで、この先のアミシスさんとかシラヌイとの戦いに支障が出たら良くないだろ?」
「んー……そうだね。今日は休もう」
 レメディはエストへ視線を向ける。
「エストエンデ、お願いしていいかな?」
「もちろん!お姉さんは君の言うことなんでも聞いてあげるよ♪」
 エストは満面の笑みで返す。彼女は目を伏せ、両手を広げる。すると夜闇を侵食するように景色が変わっていく――

 王龍結界 エストルリ・シルヴ・ルミナス
 エストの言葉に偽りなく、黒を基調とした高級感溢れるリビングが産み出される。彼女は手近に産み出された革のロングソファに座り、レメディを隣へ招く。
「結構です」
 レメディは右手で断ると、そのまま隣の部屋へ去っていった。エストは甲斐性もなくヴィルへ視線を流す。するとヴィルは特に躊躇なく横に座る。
「あらあら、おまけの方はすぐに座ってくれるのね」
「同じようにレメディを思ってる同士なンすから、特に気にする必要もないっすよ」
「ほー……どうやら、特異点と言ってしまうと色々語弊がある関係なんですね、君たちは……」
 エストが素直に感心し、ヴィルの太ももにやらしく絡ませていた手を離す。
「彼がレメディ、君がヴィルヘルム……でいいのかな?」
「そうっすよ」
「じゃあヴィルくん、今日はゆっくりしよっか」
「まあ、そうっすね」
 二人がぎこちない会話を繰り広げ、やがて時が経ち、ヴィルとエストがそれぞれの寝室へ消えた後、ロータとアストラムはキッチンカウンターについていた。
「スクラカンのビジネスホテルとはエライ違いだな、ったく」
「王龍結界をこういう風に使われるのは予想外だけど……まあ、エストを味方につけてラッキーだったってわけね」
「なあおばさん、結局よぉ、このまま魔人との戦いを続けてどうすんだ?」
「……。もちろん、アルヴァナへ仕向ける。無明竜を貫き、全てを終わらせる牙にする」
「この世界は犠牲になってもらう、ってか。そいつはアルヴァナも考えていることだろうよ。空の器は狂竜王が差し向けてんだろ?超越世界がどうなろうが、産み出したバロンでさえどうでもいいんだろうよ。……あいつら……レメディたちも、良くも悪くも俺たちに近いみたいだ。この後に起こることがわかっているのかは知らんが……この世界を手放すことに、少し躊躇が無さすぎるようにも感じる」
「ヴィルはあくまでも、レメディを支えることに心血を注いでいるだけのようね。けれど……レメディは、私たちが想像していたよりも遥かにバロンへの造詣が深いらしい」
「と言うと?」
「すべきこと、やりたいことのために犠牲にするもの……目的のために邪魔なものを、切り捨てる能力が高いということ。きっと彼は、ヴィルが人間らしい弱さで敵に回ったとしても、決して容赦はしない」
「だろうな。俺もそんな感じがするぜ。まあ、俺たちの血筋からして、大切な人や家族が敵に回った程度で怯んでちゃ、やりたいことも出来ないんだろうが」
「そう。愛し合っていること、思い合っていることが、戦わない理由とはなり得ないから……」
 ――……――……――
 大橋門都ウベルリ
 崩壊した大橋の根本にて、明人は夜風を受けて佇んでいた。そこへ鎧姿のアリアが並ぶ。
「何してるのです?」
「昔のことを思い出してた。ヴァナ・ファキナとの融合で消えてた記憶が元に戻ってるんだ。それをちょっとね」
 アリアは黙し、続きを待つ。
「最初俺は、全部を無に帰そうとしてたんだ。世界に暮らすのは、どいつもこいつもクソだって決めつけてな」
「色んな世界を巻き込んで、そのお陰で私と明人くんは出会えたのですよね」
「そやね。そんで、旧Chaos社の動乱、メビウス事件、そして三千世界での最終決戦……俺はどうでもいい奴らに怒ってたのを、ようやく自分の中に目的を見つけることが出来たんだ」
「……。君がそこに辿り着くのだけは、私は絶対に止めるのですよ」
「わかってる。そんときは、俺らは殺し合うだけだろ」
 二人は見つめ合う。
「ふふ……殺し合う前には、たっくさん新しい命が必要なのですよね?」
「そらな。別に世界を消したくなくなったからと言って、世界が好きなわけじゃないけどさ」
「残される側のエゴを、少しは食らえなのです」
「じゃ、帰る前にちょっとしようぜ」
 彼らはそのまま、夜闇へ消えていった。

 ――……――……――
 王龍結界 エストルリ・シルヴ・ルミナス
 外の世界が朝を迎え、ソファに眠っていたアストラムが目覚める。欠伸をしつつ立ち上がると、寝室から三人がそれぞれ出てくる。
「うっし、よく寝れたみてえだな」
 アストラムがそう言うのを遮るように、エストがレメディの前に出る。
「もしかして、レメディくんって肌の手入れしてないの?」
「はい?」
 想定外の質問にレメディがポカンとすると、彼はそのままエストに洗面所へ引っ張られていった。
「なんだあいつ」
「まああの人なら大丈夫っすよ」
 困惑するアストラムへ、ヴィルが何気なく返す。
「んだよ、結構頼りにしてるみてえじゃねえか」
「昨日それなりにわかり合えたっすから」
「ほう。ま、信頼関係が築けたならそれでいいんだがな」
 アストラムが腕を組んでうんうん頷くと、エストが洗面所から顔を出す。
「しばらくかかりますから、朝食でもお食べになって」
 その言葉にアストラムとヴィルは顔を見合わせる。
「だとよ」
「じゃあ、そうするっすよ」

 ウェスプ草原
 他愛ない朝の時間を過ごした後、エストは王龍結界を消す。
「アメンネスへ向けて出発しよう」
 レメディの言葉に、全員が頷く。

 森林都市アメンネス・セフィ
 中央に聳える大樹を中心として栄えたこの都市は、豊かな水資源と芳醇たる緑によって、さながら西洋の冒険譚に出てくる妖精の里のごとき風景を持っている。
 しかしながら、訪れた一行が目にしたものは、そんな前評判とは大きく異なるものであった。
「おかしい」
 ロータが最初に口を開く。
「おかしい、というのは?」
 エストが尋ね、ロータが続ける。
「人の気配がしないのもそうだけど、水の匂いがしない。ここは水の都だったはず」
「そうですねえ……まあ十中八九、アミシス・レリジャスの仕業でしょうが……それをして何が目的なのか、ニヒロの配下としても気になりますね」
 一行は大樹へ視線を向ける。
「あれしかありませんね」
 エストの言葉に続き、一行は進んでいく。

 アメンネス 大樹
 異常に巨大な樹木の下へ至ると、その周囲を満たす水の上に人間体のアミシスが立っていた。
「よくぞここへ」
 彼女が礼をすると、レメディが前に出る。
「どうしてここの水や人々がいないんですか」
 アミシスは憂え気な顔を見せ、続ける。
「我々には、やらねばならぬことがあります。文字通りの最後の決戦に向けて。原初三龍が各々の野望のため水面下で互いの策略を張り巡らし、そして彼があなたを導くように、私たちは、塵掃除をせねばならない」
「ゴミ……掃除……?」
「はい。産み出されるということは、滅びる運命の流れに落とされるということ。この世に蔓延る命は、初めから死ぬことを規定されて、ある。特異点。あなたがいずれ、原初三龍を除く全ての生命の宿願を果たすとき、旧い世界の者共は滅びねばならない。新たな世界には、新たな世界の理に敵う存在しか居てはならないのです」
「それでウチの大学の学生を……?」
「彼らはそれとは関係ありません。単なる事故です。特異点の発生を促すためにジェノサイドを起こす予定だったんですが、全くの偶然で彼らが異界に迷い込み、私に染み付いた死の臭いに発狂して、力尽きた」
 水面に赤い片刃の大剣が浮き上がる。
「死の臭いを恐れぬ、強靭なる精神。世界を塗り替えるほどの、堅き信念。深淵を渡らんとする、尊き理想。それを兼ね備える者を、私たちはこの世界で待っていたんです」
 彼女の体が水に包まれ、それを破って竜人形態となる。
「もうわかっているでしょうが、武術大会の決着は、この世界の利用価値の消滅を意味する。特異点。あなた方が平凡な幸せを捨てる決意に満ちているからこそ、我らもあなた方を大いに応援する」
 大剣を右手に持ち、翼を広げて飛沫を上げる。
「さあ、私たちに希望を見せてください」
 レメディが頷き、剣に手をかける。
「行こう、ヴィル。僕たちの力を見せよう」
「おう!俺たちはこんなところで止まるわけにゃいかねえからな!」
 ヴィルは槍を抜き、穂先を形成する。レメディも長剣を抜き、構える。
「参ります!」
 アミシスが唸り、大剣を豪快に振り抜く。刀身に纏った激流が弾け、揺蕩う水面もさざめいて波を産み出す。ヴィルが激流と波を受け止め、その影から高速でレメディが接近して、切っ先にシフルエネルギーを溜め、体重をかけて刺突を放つ。大剣の腹で弾かれ、後隙を狙い澄まして突き込む。レメディは咄嗟に長剣を逆手に持って突きを受け、よろける。アミシスは落ち着いて構え、左脇から大剣を振り抜く。間髪入れずに縦に振るも、ヴィルが両方受け流し、高速で一回転して槍を二度叩きつける。一度目は正確にアミシスの左肩口を斬り付け、二度目は水流を纏った左腕に阻まれ、ヴィルはそのまま殴り飛ばされる。しかし、殴るために構え直したために隙が生じ、レメディがシフルの旋風を纏いながら切り上げ、アミシスが大剣を割り込ませて無理に防ぐが、彼は翻って膝蹴りを放ち、刺突を加える。長剣がアミシスの頭部を掠め、彼女は口から激流を吐き出してレメディを吹き飛ばす。彼は水面に腕で着水し、飛んで足で立つ。ヴィルが横に並び、両者仕切り直しとなる。
「なるほど、粗削りではありますが……流石に戦闘技術を磨いていただけはあるようです」
 アミシスは讃えつつも、油断なく傷を修復する。
「今までの魔人は多かれ少なかれ、強い殺意を向けてきた。明人さんもそうですけど……アミシスさん、あなたからは殺意を殆ど感じない」
 レメディの言葉に、彼女は多少反応を示す。
「私、元々戦いは好きではなくてですね。これも、必要なことだからやっているにすぎない」
 アミシスは翼を広げ、大剣を逆手に持って水面へ突き立てる。同時に、凄まじい水飛沫が連続して起こり、扇状に視界を莫大な量の水が覆い尽くす。瞬間移動でそれを越えたヴィルが突撃し、アミシスは左手で穂先を捕まえる。二人の力が拮抗しているところに、レメディが渾身の力で切り上げ、アミシスの左腕が宙を舞う。彼女は仰け反り、左腕が水面に落ち、融ける。アミシスは瞬時に左腕を再生し、後退する。
「ここで命を懸けるのは、大局が見えてないですからね」
 左手に楔を産み出すと、それをレメディへ渡す。
「明人さんの喜ぶ姿が今の私にとっての存在意義ですので、この辺でお暇させてもらいます」
 アミシスはそそくさと水に変わって消えた。レメディとヴィルは武器を収め、ロータたちの所へ戻る。
「お疲れ、二人とも」
 労いの言葉に、変わらず笑みで返す。
「これで楔は四つですけど……あと何個あるんですかね?」
 レメディが率直な疑問を投げ掛けると、ロータが続いて答える。
「人の六罪に沿ってるならあと二つ。神の三罪も含めてるならあと五つ……かな。そうじゃないなら残りの数は知らない」
「そうですか……」
「武術大会の残りはドランゴとアルマで一戦ずつだから……まあ二つが妥当だとは思うけど」
「最後の一つはやっぱり」
「うん。あなたの目的の一つ、シラヌイが持っていると見て間違いない」
「よし、それならドランゴへ行きましょう」
 性急ながらもその場を離れ、一行は旅路を急ぐのだった。
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