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三千世界・黎明(11)

二章「凍れた火継ぎ」(通常版)

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 何かの屋敷にいるようだ。沈み込むように、異様に座り心地のいいソファに座らされ、デスクを挟んで眼前にはがたいのいい優男が座っていた。なぜか優男の顔は不自然な逆光で隠されており、辛うじて見える口許を緩めて笑みを浮かべている。
「……目が覚めたかい」
 優男が耳当たりのよい声色で尋ねてくる。頷くと、優男も同じように頷く。
「……随分と手酷くやられたようだね。不知火の邪眼に射抜かれてもまだ力尽きなかった君の意志には、少々驚いたよ」
 彼は立ち上がり、何者かから渡されたカップを、自分とこちらの前に置く。
「……さあ、どうぞ」
 彼は再び席につき、リラックスしたように呼吸する。そしてカップに注がれていたコーヒーをゆったりと飲み、吐息を燻らせる。
「……うん、やはりマドルの淹れるコーヒーは美味いな。君は、コーヒーは苦手かな。ならば、他のを出させるが」
 こちらが首を横に振り、コーヒーを飲むと、彼は微笑む。コーヒーは程好い苦さの中に芳ばしい薫りが立ち上る、格別の美味しさであった。
「……ところで、いくつか君に質問があるんだが、構わないかな?」
 頷くと、彼はかしこまったように咳払いする。
「……君は、強くなりたいか」
 躊躇わずに頷く。
「……例え、人に戻れなかったとしても」
 今度も躊躇わず、力強く頷く。
「……人であることを捨てて強くなることは、同時に世界の根源に関わる問題に立ち向かわねばならなくなる。その過程で、君は多く失うことになるだろう。今ならまだ、人間として生きていけるが……君は、敢えて全てを捨てるのか?」
 首を横に振る。
「……捨てるためではなく、拾うために逝く、ということか」
 頷く。
「……僕は君が思うほど……伝承に語られるほど出来た存在じゃない。この旅路の果てにもし、君が辿り着いたのなら……僕は……」
 彼は一瞬黙り、再び言葉を紡ぐ。
「……旅路の中で、君の心が涸れないことを願っているよ。じゃあ、今はこれで。またコーヒーを一緒に飲もうじゃないか」
 やがて、空間の全てが冷えた輝きに飲まれていく。

 蒼空都市 南部未開発地区・廃屋
 明人は気絶したレベンをベッドに寝かせ、布団を掛ける。
「無理しやがって」
 呟くと、後ろからパジャマ姿のアリアが現れて横に座る。
「おばあちゃんの調子はどうなのです?」
 明人は首を横に振る。
「とりあえず傷を治して体も洗ったが……まだ目は覚まさないな」
「まさかセレナちゃんの娘さんがいるとは思わなかったのですよ。おばあちゃんは見た目と寿命以外常人なのですから、闘気で硬質化した岩盤に叩き潰されてすぐ目覚めるわけないのです」
「まあいい。この世界にあいつら以上に強い奴らの話はアルヴァナから聞かされたことないし、しばらく傷を癒す時間はあるだろ」
 明人の頬を触手が撫でる。
「家族を作る時間も、なのですよね?」
 明人がアリアの方を見ると、彼女の背から細長い触手が伸びていた。
「そっか、まだメビウス化は解けてないんだったな」
「違うのですよ、明人くん。メビウスこそが本当の自分。元に戻る道なんて、どこにもないのです」
 触手が徐々に明人の首に巻き付き、アリアが近づいてくると共に引き寄せられる。
「アリアちゃん、レベンの横だぞ……」
「おばあちゃんが起きたらおばあちゃんともすればいいだけなのですよ。今の明人くんなら何発でも、何時間でも何日でも、その気になれば何年でも滾らせ続けることが出来るのですよね?この世界に来て、最初の十年くらいで証明してくれたのです」
「まあそりゃ出来るけどさ……」
「じゃあ……ふふ、邪魔が入らない内にたっぷりと……」
 アリアは手を床について近付き、明人はパジャマから見える驚異の谷間に視線が吸い寄せられる。それを遮るようにアリアが軽く口づけをし、そのままフレンチキスに入る。蕩けるような熱量が明人の脳髄を貫いて、彼は押し倒される。
「前の世界のときは、この心のままで君と交われるなんて思ってもいなかったのですよ」
 アリアは口を離す僅かな間に早口でそう告げると、明人の返しの言葉を許さずに深い口づけで封殺する。背から這い出た触手が手短に明人の衣服を剥がし、アリアももどかしげに脱ぎ捨てて、呆れるほど混じり合った。

 イ・ファロイ中央大学
 陽が昇り始め、大学にポツポツと学生や職員が現れる。彼らはアストラムが切り出した地盤に驚いて、野次馬となって群がっている。
 研究室に戻ったレイヴンは、窓からその様子を見ていた。
「やりすぎだよ、アストラム」
 リータが座って不貞腐れるアストラムへ説教をしている。
「わあーってるよおばあちゃん。でもひいひいおばあちゃんが中々くたばらなかったから、仕方ねえだろ」
 説教を続けようとしたリータを、ヴィルが制する。
「待ってくださいっすよ。今回は俺とレメディの力不足が招いたことっす。責めんなら俺たちっすよ」
「そう?ならいいけど……あんまり自責するのもよくないからね?いい?」
「もちろんすよ」
 と、そこでソファに寝かせていたレメディがぴくりと動き、その動向を見守っていたアーシャが反応する。
「レメディ君が動きました!」
 その言葉で、研究室に居た全員が集まる。レメディはゆっくりと上体を起こし、周囲を確認する。
「あれ……僕は……」
 朧気に言葉を紡ぐレメディに、レイヴンが近寄る。
「先生……」
「よう、無事で何よりだな。礼ならアーシャに言えよ?こいつが助けてくれなきゃ、お前は今ごろ自分で首を飛ばして死んでたんだからな」
 レメディはアーシャへ視線を向ける。
「すみません、アーシャさん」
 アーシャは朗らかな笑みで返す。
「こういうときは、ありがとう、ですよ?それはともかく、体が動かしにくい、とかはありませんか?」
 レメディは自分の体を適当に動かしてみる。
「いえ……特には」
「そうですか。それは安心しました」
 外野でヴィルがアストラムに尋ねる。
「なんでこういうことを聞いたんすか?」
 アストラムは耳をほじりながら答える。
「んなもん、邪眼にあんだけ抵抗したんだ。死ななくても、普通の人間なら全身不随になったり、精神が崩壊したりしてもおかしくねえ」
「邪眼って一体……」
「ま、簡単に言えばエネルギー増幅装置だな。シフルエネルギーが感情によって強化されるのくらいはてめえでも知ってるだろ?」
「もちろんっす。小学校で習いましたよ」
「邪眼ってのは、シフルエネルギーに注ぎ込む感情エネルギーを増幅させるんだよ。つまり、自分の心に負担を掛ける代わりに、相手に掛ける負荷も強くする、それが邪眼だ。ということは、てめえやレメディみたいに一般人の範疇から抜け出ない人間に対して、シラヌイおじさんみてえな強者が邪眼を使えば、軽いコストで瞬殺できるってこったな」
「アーシャさんから聞いた話から考えると、体を自由に操作することだって出来たっすよね」
「おう、そうだな。尤も、俺たちみたいなほぼ人外が相手となると使った側の心が持たねえだろうし、もっと強いやつ……原初三龍クラスになれば、今度は邪眼の方が注ぎ込まれるエネルギーに耐えられずに爆散するだろうな」
「原初三龍……って言うと、あの無明竜が産み出した三体の王龍……のことっすよね」
「お、伊達に大学に通ってねえな。そうだぜ。っつっても、ここに居る誰も本物に会ったことなんてねえんだが。ま、とにかく邪眼ってのは小細工だ。強さを突き詰めていく内に、最終的に役に立たなくなる。なんせ相手はシフルエネルギー……物質の根源というだけでなく、精神的なものまで糧として無限の力を発揮するんだからな。洗脳だの、催眠だの、身体操作だの、毒だの麻痺だの睡眠だの……本気の殺し合いになったら何の役にも立たちゃしねえ。寧ろ、相手に自分の感情エネルギーや物質エネルギーを提供してるだけだからなぁ」
「邪眼を無効に出来ない内は、青二才ってことっすね!」
「そういうことだ。てめえらがこれから強くなりゃ、対策する必要もねえ」
 二人の会話が終わると、レメディがレイヴンの方を向く。
「あの騒ぎは一体なんだったんですか」
「昔馴染みが再開の挨拶ついでに喧嘩を売りに来ただけさ。あっちも無用な被害を出さないためにあの結界を張ってたんだろうが……」
「なんで僕たちはあの不思議な空間に……」
「昨日の一件で、お前らは結界の中にいた。そんときに、何か不具合が起きたのかもしれんな。それにお前らはホワイトライダーの気配に気付けるようなヤツだ。もしかしたら、何もなくとも素通りできたのかもな。ま、今回のはお前らが真面目に大学に来るから起きた不幸だ。あんまり気にすんなよ」
 レメディは自分の右拳に視線を落とす。
「先生、シラヌイとまた戦うにはどうしたら?」
 レイヴンは意外な言葉に少々面食らう。
「おお、急にどうした?」
 レメディは真剣な眼差しをレイヴンへ向ける。
「僕は決めたんです。誰にも負けないくらい強くなって、バロンさんに会いに行きます」
「シラヌイと戦うにはどうしたら、ねえ。そもそも、あいつの動きについていくこと自体、一朝一夕には出来ないことだぜ?どうにかして出会ったところで、また瞬殺されるのがオチだと思うがね」
「もちろん、僕だって今すぐ戦うつもりなんてありません。第一目標としておきたいんです」
「ふん、なるほどな。じゃあ、俺たちの予測も含めて教えてやる。シラヌイは、無明竜の配下だ」
「……」
 沈黙するレメディに、レイヴンは首を傾げる。
「どうした」
「いえ、アルヴァナって実在するんですね。原初三龍もまた然り、ですけど」
「まあもう、ここまで踏み込んでしまったらこれくらいの事実は知ってても構わんだろ。お前の目指す、バロンと同じくらいの強さになるなら、いずれ人間を辞めちまうからな。話を戻すが、無明竜の配下と言うことは引きずり出し方は簡単だ。アルヴァナにとって目障りか、興味深い存在になればいいのさ。そうすれば、あっちから手駒をけしかけてくる」
「強くなればいい、と?」
「そういうこったな。ま、サポートはしてやるよ。お前らが大会に出てる間、こっちも情報を集めておく」
「大会……そうだ、大会のために鍛えないと!」
 今すぐにでも飛び出しそうなレメディの肩を掴み、レイヴンは彼をソファに座らせたままにする。
「今日は二人とも無理だ。大事はなかったとは言え、しばらくはまともに動けんはずだ。リータとアーシャに任せて、ありがたく休んどけ」
「……。わかりました」
 レメディは不本意ながらも深呼吸して落ち着く。そこでレイヴンは離れ、場の雰囲気を切り替えるように手をパンと叩く。
「よし、お前の物分かりの良さは最高だな」
 レイヴンはアストラムの方を向く。
「飯を買いに行くぞ、アストラム」
「わかったぜ、おじいちゃん」
 彼女は右手を挙げて返事し、研究室を出るレイヴンに従う。二人が出てから、ヴィルがレメディの横に座る。
「死ぬほど心配したけど無事で何よりだぜ、レメディ」
 安堵の表情を向けると、レメディは少し謙遜したように笑う。
「ごめんね。僕がもっと強かったら、みんなに迷惑かけずに戦えたんだろうけど……」
 その言葉を遮るように、リータがラータへ替わる。
「気に病むことはないよ、レメディ君。あの不知火という男は、大層素早くてね。視認するのはかなり厳しいものだよ」
 アーシャが続く。
「それに、邪眼に抵抗した精神力は見事なものです。あの僅か数秒の反抗がなければ、私が剣を吹き飛ばす時間がありませんでしたから」
 ヴィルが最後に頷く。
「そうだぜ、レメディ。反省するのはもちろん大事だけどよ、ちゃんと頑張ったところはちゃんと誉めねえと。お前が誉めないなら、飽きるほど俺が誉めてやるからな!」
 レメディがそれを聞いて、今度は照れ臭そうに笑む。
「じゃ、じゃあそうしよう……かな。が、がんばったぞ、僕ー……」
「頑張ったぞレメディー!うおー!」
 二人の微笑ましいやり取りで、時間は過ぎていった。

 蒼空都市 南部未開発地区
 夜の帳が辺りを包んだ頃、明人は一人で放置されたマンションの一室に居た。家具付きのハイソサエティな内装が、より空間を寂寥なものとしている。
 窓を開いたベランダから海風が吹き抜ける。
「バロン、か……今の俺の立場を考えれば、敵対して当然だが……」
 彼は呟きながらベランダに出て、自分で用意した木製の椅子に座り、同じく木製のテーブルの上に空のコップとミルクが詰まった瓶を置く。
「それにしても……」
 明人は瓶を見つめる。
「美味しいのは間違いないんだけど、アリアちゃんの母乳を飲むっていうのはどうにも不思議なもんだよな……」
 瓶の蓋を開け、ミルクをコップに注ぐ。
「空の器……いつかユグドラシルにも聞いてみないとな。なんで俺をこんな風に作ったのか……」
 コップを持ち上げミルクを一気に飲む。濃厚な甘味が口内を満たし、芳醇な香りが鼻腔へ駆ける。
「やっぱ美味いな。エッチしてる時に飲むのと同じ味だ」
 その言葉を発して、明人は自分に若干の拒否反応を覚える。
「何言ってんだ俺は。とにかく今は、アレの覚醒に必要なものを集めないとな……」
 ミルクを注いでは飲んでいると、ふと背後に気配を感じて立ち上がる。神経を研ぎ澄まして部屋を確認すると、今しがた玄関のドアを開く音がした。明人はコップに残ったミルクを飲み干すと、部屋から共用廊下に出る。長い廊下の先に影が揺れ、それが階段室へ消える。明人はそれを追い、駆け抜け、階段を勢い良く上がっていく。屋上の手前までついて、彼は違和感を覚える。自分達以外の来訪者など存在しないこの区画で、普段は閉じられている屋上への鉄柵のゲートが開かれているのである。明人は迷わず、駆け上がる。
 月光が照らすその空間には、まるで膳立てしたかのように一人の人間が背を向けて立っていた。その人間は明人が到着したのと同時に、僅かにそちらへ振り向く。清かな月の光と夜空の蒼にも負けぬほどの深蒼を宿した瞳が、彼を射抜く。
「待っておったぞ」
 そのまま振り向き、相変わらずの艶やかな長髪が靡き、余りまくった袖と裾が幻惑するように揺れる。
「アルファリア……」
 明人が名を呼ぶと、いつものごとく彼女は袖を口許に当てて笑む。
「どうした?ここは互いに生きて会えたことを喜び、我に抱きつくところではないか?」
「……」
「いや、我が汝《なれ》を抱くのだったな、同志よ」
 明人は鎧を装着し、腰に佩いた剣の柄に手を置く。
「む……?」
 警戒を示してきた明人に、アルファリアは不愉快そうな表情をする。
「汝にそのような歓待を受けるとはな。三千世界でも言った通り、我は汝のことを同志だと思ったおったのじゃが……我の買い被りか」
「悪いな。あの時とは俺も事情が違う。今にして思えば、あそこまでの最終局面でまだ呑気でいれた自分の日和見が恐ろしいけどな」
「それで?我を殺すのか?」
「……。返答の如何によっては」
 その言葉にアルファリアは頬を緩める。
「ほほほ……まだ甘いな。いや、寧ろ道化《アルメール》に似てきたか?」
 明人は一切油断することなく、冷静に視線を向ける。
「我が汝に前に現れる理由など一つよ」
 観念して、アルファリアは右手を差し出す。
「同志として力を合わせ、共にソムニウムを討とうではないか」
「……」
 アルファリアが見せるのは純粋に彼を勧誘しようという意思のみであり、それが同時に明人の警戒をより強く誘っている。
「黙りか?我はこんなにも汝のことを信用しているというのに」
 悲しげな素振りを見せ、反応が無いのを見るや笑んで言葉を続けて紡ぐ。
「全く。我の体を見て間抜け面を晒していた頃に、強引にでも引き込んでおくべきだったな。まあいい。素直に聞き入れればネタばらしも必要なかったのだがな」
 アルファリアが右手を翳すと、明人の右手の甲から籠手を貫いて光が漏れる。
「これは……」
「我は三千世界で汝と戯れた後、ソムニウムと戦い……認めたくはないが、完膚なきまでに叩きのめされ、消滅した。じゃが、念のための逃げ道というものは残しておくべきだと思ってな。汝が気絶している間に、我の種を仕込ませて貰った」
「お前……!」
「我の言葉で、汝がどの選択をしようが無駄なことよ。既に我は、汝の一部。汝は、我の一部。アルヴァナが汝をサルベージ出来たのも我の力あってこそだ、既に汝は我に替えられぬ程の恩がある」
「くっ……」
「汝がこう思っているのはもちろん知っておるぞ?アルヴァナの尖兵として戦えば、いずれはソムニウムと戦う機会が来ると。奴の強さは皆が知っている。勝つためには、どれだけ力があっても満足でないこともな。我を認め、その力を享受することは汝にとって損などないだろう?」
 明人は剣の柄から手を離す。
「仕方ない。感情的な部分以外で否定できないなら、拒否する選択肢はない」
「くく、利口だな。なに、案ずることはない。我はこの世で最も汝の心の内を知るものとなった。汝の力となり、欲望の捌け口となり、話し相手にもなってやろう」
「皆が居る前では出てくるなよ。話がややこしくなる」
「無論……四六時中共に居るのだから、互いに不愉快のないようにせねばな」
 明人が鎧を消し、元々の服装――メビウス事件の際に着たカジュアルな普段着に戻る。
 アルファリアが徐に胸元のベルトに手をかける。
「ところで、今汝が思っていることを読めるのは先も言った通りだが……アリアとあれだけ交じり合ってまだ足りぬと見えるが」
「しょうがないだろ。元々そういう体質なんだから」
「アルヴァナが用意した女共を全員相手にしても、尽きぬ精力には感服したぞ。無味乾燥なソムニウムと、人間らしさの濃い汝。ここまで対照的なものもそうはあるまい」
「用がないなら俺の中に戻ってくれ。そろそろ帰る」
「まあ待て。同志の不満は我の不満。溜まっているのなら吐き出させてやろうぞ」
 ベルトを外すと、絶妙な潤いを帯びた深い谷間が見える。明人が反射的に視線をそちらに向け、生唾を飲む。
「大きさはアリアに劣るだろうが、形も張りも我の方が上よ。それに我には愚弟が十六人いてな。戯れに交わってやったものよ。手練手管ならば、汝が日々交わるあのおなご共の誰にも劣るまいて」
「……」
 明人は急に思案顔になる。
「どうした?我に好きにされるのが嫌なら、汝が上でも構わんが」
「いやそうじゃなくて、俺蘇ってから任務か性的なことしかしてない気がして、これで果たしていいのかと」
「また無粋なことを。性を娯楽に出来るのは、人の心の特権。やれるのならば、せねば損だ。それに、得るものは、それを正しく消費する義務があることもまた同様にな」
「そうだな。なんか都合良く丸め込まれてる気もするが……」
 明人は手招きし、二人は並んで階段へ向かう。
「安心せよ。美しさは我の得意分野。汝に良質な絶頂をくれてやろう」
「始源世界のすげえ奴ってやっぱブッ飛んでるよなぁ……」
 そのまま夜闇に消えて、やがて朝が来た。

 イ・ファロイ中央大学
 いつものごとく、レメディたちはレイヴンの研究室に来ていた。
「さて、全員揃ったな」
 レイヴンがデスクチェアから立ち上がる。レメディとヴィルが並び、その横にロータとアストラムが続く。
「武術大会の話だが、三人目はアストラムに行ってもらうことにした。お前らと年も近いしな」
 レメディが言葉を返す。
「ロータさんはどういう立場に?」
「大学生とは言え、代表の学生をほっぽりだすわけにはいかねえだろ?保護者だよ、保護者」
「なるほど。あともう一つ。ずっと疑問だったんですが、僕たちみたいな特に結果も残していないような人間が、そんな大きな大会にすぐポンと出られるんですか?」
「ああ。お前らも知ってるだろ、アメンネスの辺りでウチの学生が大量に失踪した事件」
「もちろん知っています」
「あれで消えた学生の中に、本来この大会に出るはずだった奴らが居たんだよ。そんで、代わりを俺が用意するって話を貰ったんだよ」
 そこまで聞いて、レメディとヴィルは苦笑いする。
「それって、僕たちがいなかったらどうするつもりだったんですか?」
「うーん、そうだな……ロータに一人三役でもやってもらうか。大学生と言うには無理がある外見だが。ま、お前らが出場するんだから気にしなくていいだろ」
「そうですね」
 レイヴンが面倒そうに後頭部を掻く。
「二日前には現地に到着しときたいから、鍛えられるのは今日と明日だけだな」
 アストラムが欠伸する。
「なあじいちゃん、大会とかダルくないか?」
「んなこと言うなよ。場数を踏むってのもこれからの戦いに必要だ」
「はぁー……めんどくせえなぁ……」
 彼女は悪態をつきながら手近なパイプ椅子に座る。そんなアストラムの正面にレメディが立つ。
「アストラムさん」
「あん?」
「僕と手合わせしてくれませんか。やっぱり、いろんな人と戦うのが成長する上で大切だと思うんです」
「まあいいぜ。そういうのはめんどくさくねえからな」
 アストラムが立ち上がり、レメディを連れて研究室を出ていく。残されたヴィルが、レイヴンとロータを見る。
「俺もお二人のどっちかとお手合わせしたいっす」
 二人は顔を見合わせる。
「俺はダルいからパス」
 レイヴンが先にそう言うと、ロータがため息をつく。
「こんなにわかりやすい隔世遺伝はそうない。わかった、さっさと行こう」
 ロータがヴィルを伴って、アストラムの後を追う。
「さて……」
 レイヴンはデスクチェアに戻り、デスクの上にあるメモや写真に目を通す。
「素質は十分なはずだ。後はあいつら次第だな……」

 中央大学 闘技場
 既にアストラムとレメディは互いの得物を持って向かい合っていた。
「ったく、俺がいなけりゃシラヌイに殺されてた奴と戦ったところで、結果なんて目に見えてるだろうが」
 気だるそうな態度で軽々と双頭斧を持ち上げ、肩に乗せる。
「そうとも言い切れませんよ。だって、僕とアストラムさんは、知り合ってから一度も戦っていませんし」
「んなこと言ったって、てめえの戦いは腐るほど見てんだからこっちは知ってんだよ」
 レメディは長剣をしっかりと握り締める。
「行きます!」
 素早い踏み込みから横に薙ぐ。アストラムは黒布でテーピングした素足で飛び、長剣の刃先に足の指の関節を嵌め込み、そのまま掴んで奪い取る。
「なっ!?」
「トロいんだよガキが!」
 そのまま足で素早く長剣を持ち替えて柄を握り、振り下ろす。レメディは咄嗟に蹴りで応戦し、すね当てで長剣を弾き飛ばして取り返し、アストラムは大きく飛び上がってレメディを飛び越え、アクロバティックな宙返りを連発して距離を離す。そのまま制止することなく双頭斧を投げ飛ばし、レメディが姿勢を崩して躱したところを瞬時に飛び寄ってパンチを放つ。彼は読んで強引に後退して拳を避け、アストラムは素早く身を翻して回し蹴りを放つも、レメディが長剣で防ぎ――きれずに長剣が折られ、蹴りが直撃して彼は吹き飛ばされる。
「おい大丈夫か?せっかく生き延びたのに乱取り中に死ぬとかやめろよ」
 アストラムがゆっくりと近寄り、レメディを起こす。
「大丈夫です……まさか素足に鉄剣を折られるなんて」
「ったく、自分の使う武器くらいちゃんとしたもん使えよな」
 床に突き刺さった双頭斧を引き抜き、アストラムは肩にそれを乗せる。
「アストラムさんのその武器はいったいどういう経緯で手に入れたものなんですか?」
「ん?ああ、これはじいちゃんのところに行く前に暮らしてた場所で、青白い骸骨騎士に貰ったんだよ。なんでも、純度の高いフォルメタリア鋼で出来てるとかなんとか」
「フォルメタリア鋼……伝承でよく出てくるあの、伝説の金属ですか?」
「ああ、まあそういうことになってんのか。たぶん正解だぜ。ともかく、弘法筆を選ばずとか言っても、武器を新調するのは強くなる近道だ。じいちゃんに言ったら、間に合わせの何かをくれるかもしれねえぞ?後で一緒に聞きに行こうぜ」
「え……いいんですかね?」
「いいんだよ、てめえが気にすることじゃねえ。使わねえ武器は誰かが使ってやらんとな。さてと、てめえの武器が壊れたことだし、体術でも鍛えるか」
 二人が構えを取った横で、遅れてやってきたロータとヴィルが向かい合う。
「昨日の今日で私と戦っても何もないから……どっちがいい」
 ロータが腕を組んだまま訊ねる。
「どっち……ってどっちっすかね?」
「姉様は格闘に関してはカスだから……上姉様か、弟か」
「じゃあ弟さんすかね」
「わかった」
 ロータがふっと顔を下げ、すぐに上げる。見た目は殆どロータと変わらないが、なんとなく妖艶で、優しげな雰囲気に変わる。
「んー……っと、弟さんすか?」
 微妙な変化に困惑したヴィルが訊ねる。
「そうだよ。路地で君たちを助けたぶりだね。……で、何をするんだっけ」
「手合わせっす」
「手合わせ、手合わせねえ……どれくらいの力でやればいい?」
「全力で……とか言ったらとんでもないことになりそうっすから、ほどほどで頼むっす」
「ほどほどかぁ……僕って翼で戦うのは知ってると思うんだけど、あれってこの世のだいたいの物を切り裂けちゃうんだよねえ。だから結局素手になっちゃうんだけど、それでいいかな?」
「もちろんっす」
「じゃあ……」
 ラータが両手をヴィルに向ける。
「どこからでもどうぞ」
「行きます!」
 ヴィルが槍を構え、浅く飛び込みつつ薙ぎ払い、続けて連続で刺突を放つ。ラータはレイヴンの挙動を思わせるふらふらとした動きで全て紙一重で躱す。ヴィルはそれに気を取られることなく攻撃を続行するが、掠りもしない。
「うんうん、動きのキレは確かにここの学生の中でもトップクラス、かな?流石は最優秀特待生と言えるねえ。素晴らしいよ」
 ラータは素直な感心を示しつつも、攻撃を回避し続ける。ヴィルは足払いや斬撃、刺突を組み合わせ、一撃を狙い続ける。
「(極めてオーソドックスね。良くも悪くも、平和な世界で生きてきたのがよくわかるわ)」
「(私たちの格闘術は生きるために勝手に身に付いたものでしょ、上姉様)」
「(ラータ、試しに彼の攻撃を適当に弾いてみて)」
 心の中でベラベラ喋るルータとロータに少々面倒さを感じながら、ラータはヴィルの攻撃を弾き返し、尋常ならざる速度で蹴りで薙ぎ払う。ヴィルは槍を取り落とすことなく堪え、衝撃を後方に逃がし、石突きで払いつつ下段から斬り上げつつ突き出す。
「(やっぱり。中々のやり手ね、この子。あっちの気弱な子に比べて、体の使い方が上手い)」
「確かに」
 ラータは穂先に手の甲を当てて逸らし、素早く引き戻して切り返した攻撃も躱す。
「流石っすね、弟さん……!」
「くくっ、君もね。ロータが余りにも容赦なかったからわかりにくかったけど、十分優秀じゃないか。じゃ、ちょっとだけとっておきを見せてあげるよ」
 ラータは身を翻しながら黒い骨の片翼を産み出す。
「うふっ、ぜーんりょくで、よけてね?」
 そして男性から発せられているとはにわかには信じがたいほどの可憐な声でそう告げると、再び身を翻して勢いよく翼を振るう。ヴィルは姿勢を崩して躱し、放たれた真空刃が壁に巨大な溝を刻み付ける。
「ひえぇ……とんでもないっすね、それ」
 ヴィルは溝を見ながら立ち上がり、ラータへ向き直る。
「これだろう?こいつは〝ウォルライダー〟。ま、僕の武器だよ。触れたものの大概を一撃で切り裂く、便利な道具って感じかな」
 ラータはどういう仕組みなのか胸の内ポケットからリンゴを取り出して放り投げ、軽く翼を振り回して皮を削ぎ取り、キャッチして頬張る。
「ほら、便利でしょ?」
「そ、そうっすね……」
「じゃ、これは下手すると君が死んじゃうから消して……っと」
 ラータがリンゴを食べやすい大きさに切り取りながら食べ終わり、ウォルライダーを消す。
「よし、くんれんのつづきをしよっか♪」
 またもや可愛い子ぶって媚びた声を出し、構える。
「なんかよくわかんないすけど、行くっすよ!」

 中央大学 研究室
「つーわけだ、ばあちゃん、こいつに母ちゃんの剣を使わせようぜ」
 アストラムが椅子の上で胡座を掻いて、眼前に立つリータにそう言う。
「うーん……」
 渋るリータに、アストラムは首を傾げる。
「どうしたんだ、ばあちゃん」
「いやまあ……いっか」
 リータが手を合わせ、それを離していくと、閃光と共に長剣が姿を表す。アストラムと、その後ろにいたレメディが目映さに目を細める。リータが長剣を掴むと共に、閃光が消える。
「レメディくんに合うかどうかわからないけど、どうぞ?」
 柄を向けて差し出し、レメディが恐縮気味に受け取る。長剣を掴んだ瞬間、レメディは目を見開いて驚く。
「ちょっ……軽すぎませんかこの剣!?」
 勢い余って振り回さぬよう慎重に扱いつつ、リータの方を見る。
「うん、そうなの。一般的に魔力や技術で鋳造される近接武器とは作成された行程がまるで違うから……今までの人生で使った武器とは使い勝手が雲泥の差過ぎて、慣れるのに時間が掛かると思うよ」
「えーっと……鞘とかありますか?」
 リータがはにかみで返す。
「あるよ。はい、これ」
 同じように掌から光が放たれ、それが収まると鞘が彼女の手に握られていた。レメディはそれも受け取り、長剣を納める。
「鞘もすごく軽くて……うっかり落としたりしても気付かないかもしれないですよ、これは……」
「その点は大丈夫だよ。今から使う人に言うのもなんだけど……その剣は人を選ぶの。忘れたり落としたりしても勝手に帰ってくるから」
「えぇ……」
 レメディは困惑して横に立つヴィルに視線を向け、ヴィルも肩を竦める。釣られてアストラムもヴィルに視線を向け、何かを閃いてリータへ向き直る。
「ばあちゃんばあちゃん!こいつにストラトスおじさんの槍をあげようぜ!」
 その提案に、リータはまたも思案顔になる。
「うーん、あれもそれなりに人智を越えちゃってるけどなぁ……ま、私たちが持っててもしょうがないし、いいよ」
 リータが掌を翳すと、前二つとは異なり深い闇を放ちながら金属の棒が現れる。その造形に、ヴィルが疑問を投げ掛ける。
「これ、折れてないっすか?」
 リータが頷き、折れた槍を差し出し、ヴィルが受け取る。
「流石に折れた槍を貰っても困るっすよ、お姉さん」
「さて、本当にそれは槍としての体を為していないと思う?」
「へ?」
 ヴィルがすっとんきょうな声を出した瞬間、無くなった穂先を補うように無明の闇が吹き出し、刃を成す。
「うわっなんだこれ!?」
「それは……えっと、エネルギーで刃を形成して自在にリーチを変えたり出来るんだよ。素人には応用が利きすぎて危険なんだけど、お姉ちゃんとロータ曰く、君なら使いこなせるはずだって」
「マジっすか……!」
「レメディくんにあげた剣もそうだけど、打ち合いについていけさえすれば、もしこの先襲われても逃げるくらいは出来ると思うよ?」
「そんなもん俺らが貰っていいんすか……?」
 ヴィルが恐縮すると、リータが笑う。
「いいよいいよ。私はボンクラだけど、ロータとかアストラムが読み間違うことなんてまず有り得ないから。君たちはちゃんと使うべきタイミング以外で武器は振らないって信じてるよ」
「それはまあそうっすけど……」
「うんうん。じゃあ明日は二人とも武器に慣れよっか」
 リータの言葉に、二人が頷く。

 蒼空都市 南部未開発地区
 夜の帳が天を包み込み、静けさが訪れた街中のベンチで、明人がレベンと並んで座っていた。
「……」
 明人が真顔で正面を見つめる。レベンが情熱的に体を擦り付けてくることから生まれる劣情を、根性で抑え込んでいた。
「えへへ、お兄ちゃんいい匂い~!すりすりすり~♪」
「……」
「お兄ちゃん?」
 レベンが上目遣いで甘えた声を出す。明人はなるべく視線を変えずに抱き寄せる。
「んふふ、お兄ちゃんのおててちょっとゴツゴツしてて暖かいよぉ~?むぎゅーっ」
 擬音を口に出しながら抱きつく。身長に見合わぬ暴力的なまでな乳房の柔らかさと、露骨にあざとい挙動が思考を乱す。我慢の限界点を越えた明人は、レベンの方を向いて彼女の剥き出しの肩を掴む。
「レベン」
 明人が覗き込んだレベンの瞳には、明らかに情欲の火が灯っており、頬の赤さからしても一線を越える準備が万端だった。
「なぁに、お兄ちゃん」
「レベン、昨日の傷は痛まないか?」
「んー……ちょっと痛いけど大丈夫!えっちしたら全部よくなるよ?」
「……」
 明人は黙ってレベンを抱え上げ、自らの膝の上に乗せる。
 その様子を遠くの廃墟から見ていた不知火が、その後の行為を察して視線を外す。
「我が愚妹は……ようやくその汚れた血を注ぐ器に辿り着いたのか……空の器。願わくば、お前の下で愚妹の願望を終わらせてくれ」
 呟いて、不知火は夜闇の向こうに消えた。

 中央大学 闘技場
 翌日、レメディは長剣を持ってアストラムと向かい合っていた。
「うっし、じゃあそいつを試してみるぞ」
 双頭斧を右手でブンブン振り回し、肩に乗せる。
「はいっ」
 レメディは長剣を引き抜く。
「得物が軽いなら無理な動きも出来るだろ。てめえは体術習ってるか?」
「いえ、特には……」
「まあ、いつもみたくやりあうか。競技ならともかく、タマの取り合いなら決まった型は逆に不利だからな」
 アストラムはしなやかな足の踏み込みで急激に距離を詰めると、レメディが素早く突きを放つ。彼女が左手で切っ先を防御し、火花が散る。
「ッ!?」
「んの程度で怯んでんじゃねえ!」
 アストラムが吠え、レメディは気を取り直して長剣を引き戻し、振られた双頭斧を両腕で構えた長剣で弾く。長剣は折れることなく仕事を遂行するが、受けたレメディの腕が痺れ、衝撃を逃がすために大きく仰け反る。
「腹括れ!殺すぞ!」
 次の行動へ移らせるためにアストラムは大きく翻り、勢いをつけて双頭斧を振るう。レメディは刃先を掌底に添えて防御する。圧倒的な衝撃によって後退させられるが、根性で堪えて受け止める。
「やるじゃねえか。耐えられなかったらそのまま死んでたが」
「鍛錬中に殺そうとしないでください!?」
「こうじゃねえとこれから先戦えねえんだよッ!」
 双頭斧を床に突き刺し、強烈な撓りを纏った蹴りを放つ。長剣で弾き、レメディは反射的に拳を放つ。
「おっ、そう来ねえとなぁ!」
 アストラムは蹴りで体を捩ったとは思えない反応速度でレメディの前腕部を掴み、引き寄せて足を払う。そのまま背負い、投げ飛ばす。レメディは素早く受け身を取りつつ態勢を立て直し、双頭斧を掴んで飛び込んできたアストラムに、飛び込み前転をしながら長剣を振り下ろす。空中で二人の得物がぶつかり合い、アストラムに素早くマウントを取られて蹴り飛ばされる。レメディは床に叩きつけられ、彼女は着地する。
「ふん。前よりはマシになったな」
「ってて……本気で殺しに来てましたよね?」
 レメディが腰を労りつつ立ち上がる。
「当たり前だろうが。てめえが自分でシラヌイと戦うっつったんだろうがよ。この程度で音を上げてどうすんだよ」
 アストラムが双頭斧を床に突き刺す。
「そう言えば、大会の詳細をまだ聞いてないような……」
「あ?てめえスマホくらい持ってんだろうが。自分で調べろ」
「教えてくれないんですか!?」
「仕方ねえな……てめえらが出る大会ってのは、四年に一回あるんだよ。で、この世界の大学がこぞって参加してる。特色を活かした色んな手合いが来るから、企業どもも注目してるらしいな。んで、各地域でトーナメント形式で3戦して、最後に政府首都で決勝戦ってこったな」
「四年に一回って……僕たち二年なんですけど」
「普通に考えりゃわかるだろ。普通は四年がやるんだよ。そいつらがいなくなったからてめえらに役が回ってきてんだ」
「なるほど……」
 アストラムが双頭斧を再び掴む。
「さてと、休憩は終わりだ。てめえを急ピッチで鍛えなきゃならんからな」
 レメディも応えるように長剣を構える。
「お願いします、アストラムさん」

 蒼空都市 南部未開発地区
 不気味な静寂に包まれた廃屋の森の中を、レイヴンとアーシャの二人が歩いていた。
「空の器がここにいるんですよね」
「アストラムが言うにはそうらしいな。とにかく、明人たちがこの世界で何をやってるのか、目星くらいは付けておかねえとな。バロン曰く、明人は三千世界の戦いで消し飛んだらしいが……なんで生きてるのか、知っておく必要があるしな」
「最悪の場合、交戦する可能性もありますけど」
「だからお前を連れてきてるんだろ、〝お嬢さん〟」
「お嬢さんではありません。お嫁さんです。それはともかく、ここはどうしてこんなことに?」
「イ・ファロイの大資本がニュータウンを建設しようとしてたみたいだが、完成間近でそこが倒産したらしいな。理由はよくわからんが、解体するにも金がかかるから放置されてるんだとよ」
「これほど広大な土地を一つの会社が……まるで、Chaos社みたいですね」
「あいつらほど目的意識は強くなかっただろうがな。この辺は気味悪がって犯罪者や自宅を持ってない奴らすら近づかんらしい」
「気味悪い以前に……」
 アーシャが周囲の気配を察知する。
「ああ。妙だとは思ったが、そう言うことだな」
 レイヴンが視線を左右へ振ると、何らかの黒い靄に覆われた人間がふらふらと歩いているのが見える。
「〝焦げた妄人ドリーマー〟だな。まあ、生命力を使いきって消し飛んだ明人を復活させられる奴なんて、そもそもアルヴァナくらいしかいなかっただろうが」
「どうしますか?彼らは直接の被害を及ぼさないとは思いますけど……」
「無視でいいだろ」
「わかりました」
 焦げた妄人たちが行き交うなかを二人は進み、道路の南端、海が見える場所まで到達する。ベンチや道路は最近使われた形跡が見え、向こうに見える土産屋の残骸へと、アスファルトを踏みしめた足跡が続いている。
「ビンゴだな」
 レイヴンがそう言うと、右手側に見える高級マンションの入り口から素顔を晒した明人が現れる。
「何の用だ、レイヴン」
 明人は問いつつ、二人の前に立つ。
「お互い生きて会えたんだ、パーティーでもやろうぜ?」
 レイヴンが大袈裟に両手を広げてそう言う。
「……」
 明人が無言で返すと、レイヴンも腕を下ろし、真面目な表情になる。
「バロンから聞いた限りじゃ、お前さんが今生きているのは相当なイレギュラーだ。誰の手先になった」
「俺が答えると思うか」
「力ずくで聞き出したいところだが、敵対しているかもわからんやつに剣を向けるほどせっかちじゃねえ。お前さんが答えたくないなら、俺たちは状況から推測するだけだ」
「……」
 明人は長剣を抜く。
「おいおい、こっちは戦う意思を見せてないんだぜ?」
「これ以上この世界で俺たちのやることを詮索されては迷惑だ。死んでもらおう」
 凄まじい緊張感に包まれ、今にも明人が踏み込もうとした瞬間、同じマンションの入り口から声が響く。
「待つのですよ、明人くん!」
 そして現れたのは、同じく素顔を晒した鎧姿のアリアだった。彼女は明人の横に並ぶと、剣を下ろさせる。
「アリアちゃん……」
「ここは私に任せてなのです」
 明人が頷き、アリアはレイヴンへ視線を向ける。
「久しぶりなのです、お兄様。メビウス事件が起こる前以来、なのですね」
「随分と垢抜けたな、アリア」
 レイヴンが砕けた態度でそう言うと、アリアは微笑む。
「もちろん。もう母親なのですからね。……お兄様たちは、バロンさんの駒としてこの世界にやってきている、そうなのですよね?そうなら、私たちだけ情報のアドバンテージを持っているのです。不公平なのは、お互いのクライアントの利害関係に不利なのです」
 アリアは明人の手を握り、互いの掌の狭間から無明の闇を産み出す。
「見ての通り、私たちは無明竜の配下……即ち、魔人となったのです。目的までは……伝える訳にはいかないのですけどね」
 レイヴンが肩を竦め、アーシャの方を向く。アーシャは頷き、アリアへ向く。
「了解しました。今は私たちも退きますが、もし、互いの使命を遂行する内に敵対することがあるならば……その時は、躊躇なく斬ります」
「もちろんなのです。為すべきことのために生きていれば、いずれ道は重なり合うはずなのですから」
 アーシャはレイヴンの手を引き、その場から立ち去る。明人がアリアへ言葉を掛ける。
「逃がしてよかったのか、アリアちゃん。俺たちは――」
「いいのです。私たちは使命を果たすためにここにいるのではないのです。君は、宿敵との決着を。私は、君との永久なる幸せを。話が拗れて、道が遠くなればなるほど……君の願いは果たされず、私の願いが近づくことになる」
「……」
「いつか、私は君を全力で止めることになるのです。メビウス事件の時とは、比べ物にならぬほどに。君は己の命の限界を悟って、燐花ちゃんをせめて幸せに葬送《おく》ったのですよね。自分の諦めで、あの子を惑わせたのです。でも今度は違う」
 アリアは明人へ視線を向ける。濁った黄金の渦が、異常な意思を放って明人を気圧す。
「君が自分の終着点のことを忘れるほどに、融け合って、一つになるのですよ。どれだけ君が嫌がろうと、君が居なければ完成しないものがあるのですから」
「……。今は考えるのパスで頼む」
「ふふっ、わかってるのですよ。じゃあお兄様たちも帰ったことですし、さっきの続きをするのですよ」
 二人は高級マンションの残骸へ歩き去っていった。

 翌日――
 蒼空都市イ・ファロイ 空港
 都市西部の海岸沿い、そこには連日多くの旅客機が飛び交う巨大な空港があった。南部未開発地区を作り上げていたファンドが作り上げたものだが、その解体と共に公有の物件となっている。
 レイヴンがスーツケースを持って、入り口前の柱に寄りかかっている。気だるそうに欠伸をすると、そこへソフトクリームを食べながらアーシャが現れる。
「レイヴンさんは何か食べないんですか?」
「荷物を見とけって言ったのはお前さんだろ。それにこっちは朝食は抜くタイプなんだよ」
 アーシャはソフトクリームを頬張ると、笑む。
「えへへ、こうしているとまるでデートみたいですね」
「ま、たまにはこれくらい平和ボケしてても悪くねえのは、確かだな」
「そうです。なんかいつも言ってる気がしますけど、イチャイチャ出来るときにしておくのが一番ですから。平和な日々が終わるのは惜しいですけど……終わるからこそ、平和が恋しくなるんです。そうじゃないと、夫婦なんてものはお互いを慈しむ心を簡単に……はむっ、忘れてしまうものです」
 ソフトクリームを大口で食べ、今の雑談の内に殆ど食べ終わっていた。
「人生は刺激がないと腐っちまうからな。散々セックスし過ぎて慣れると飽きるのと同じこった」
「ちょちょちょ……!往来で何を言ってるんですか!」
「こんだけ周りに居りゃ、雑踏で聞こえねえよ普通」
 確かに、空港は夥しいほどの人間たちが行き交っている。
「そうですけど……まあいいです。本題なんですが……」
「ああ」
「魔人とは、黒皇獣となった人間の総称です。私たちが遺跡で戦ったギルガメスやエリナ、アルヴァナの手足であった黙示録の四騎士……彼らのことを言います。それはわかってますね?」
「まあ、バロンの旦那が言うにはそうらしいな」
「魔人は……アルヴァナの死出の旅支度をするための眷属です。言うなれば、その自殺願望の具現……大いなる力を持つがゆえに人間を捨てた、人の姿をした獣です」
「ホワイトライダーにはロータが遭遇したらしいな」
「ええ。黙示録の四騎士は、魔人の中でも最強格です。いわばアルヴァナの側近たる彼らがこの世界に居るということは、やはり……」
「旦那が作ったこの世界が大事ってこったな。まあ、前の世界であいつらがしようとしていたことを考えれば当然っちゃあ当然だが」
「とは言え、アルヴァナを打ち倒せるような化物が生まれるかどうかは、結局は運次第なので……」
「何にせよ、魔人との戦いは避けられねえ。しかも俺たちと同じように、狙いはあいつらだ」
 レイヴンが視線をやった方にアーシャも向くと、レメディとヴィルが向かってきていた。
「そうですね……だからこそ、彼らには強くなってもらう必要があります。でも……」
「ああ。この大会に魔人が来るんじゃねえか、そう言うことだろ?心配すんな。あいつらは死なねえと思うぜ?二人とも悪運が強そうな面してるからな」
「レイヴンさんが言うんだから間違いありませんね」
 妙な括りで話が終わると、二人がレイヴンの前に辿り着く。
「おはようございます、先生」
 レメディの丁寧な挨拶に、レイヴンは砕けて返す。
「おう。ロータとアストラムは買い物に行ってるぜ」
「えっと、僕たちが乗る便は……」
「あと一時間後だな。ま、そんなに急がなくても大会自体は明日だ。今日中に乗れりゃ、間に合いはするだろ。体調は整わないかも知れないがな」
 そこへ、ロータとアストラムがやってくる。
「二人とも、遅い……」
 ロータが若干呆れながらそう言うと、ヴィルがおどける。
「いやあ、ごめんなさいっす。二人ともキンチョーしちゃってっすね……」
「ふん、まあ間に合うからいい。兄様」
 会話をレイヴンへ振り、彼は腕を組んだままロータへ向く。
「どうした?」
「二人のことは責任持って見守るから……兄様も仕事をサボらないように。アーシャはお目付け役みたいに振る舞ってるけど、すぐ折れるクソザコだから、私が釘を刺しておくから」
「わかってるわかってる。当たり前だろ」
「じゃあ行ってくる、兄様」
「あいよ」
 ロータがスーツケースを持って踵を返し、空港内へ歩く。アストラムとレメディ、ヴィルがそれに続く。四人を見送って、レイヴンはため息をつく。
「ったく、俺たちはこれからが重労働だってのに……」
 アーシャが隣で笑う。
「ふふ、人生は刺激がある方がいい、ですよね?」
「はっ、言うようになったじゃねえか。まあいいが、そろそろ仕事に移るとしようぜ、〝相棒〟」
「そうですね、〝相棒〟」
 二人は揃ってその場を去る。

 超越世界上空・飛空挺
 この世界における空のビークル、それは飛空挺である。魔力を推進材及び内部電源として使用しており、装甲板の多重構造により内部への振動も殆ど感じられない。そして何より、ずっと座席に括り付けられるような窮屈はなく、ホテルが丸ごと空を飛んでいると言った方が正しいと言える構造をしている。
 レメディたちはラウンジの窓際でコーデュロイの椅子に腰かけて外を見ていた。
「最初はスクラカン、でしたっけ」
 ロータが頷く。
「そう。砂上都市スクラカン……イ・ファロイから北西に進んだところに位置する。貿易に力を入れている場所だから、人の流動が多い。素材の供給がすぐ出来ると言う点で、重化学工業が発展している場所でもある。あと周囲を囲む砂漠には、エンペラースコルピオンっていう固有種の超巨大蠍が居たりする」
「相手の学校は……一番手がウベルリで、二番手がスクラカン、三番手は……」
「エウレカ、ねえ……」
「エウレカと言えば、北の果てにある都市の残骸ですよね。大学なんてないはず……」
 ロータが深く息をする。
「レメディ、心して聞いて欲しいんだけど」
「はい……?」
「あなたは今、魔人に目を付けられている。正確にはあなたたち、だけど。魔人の気配を察知して辿ったあの日以来、彼らが何かしらの行動を起こしているのは明白……恐らく、彼らはこの大会であなたたちの力を測らんとしてくるはず。万が一の時にはもちろん私とアストラムも加勢するけど……魔人に単独で対抗できないと、大会は勝ち進めない」
「魔人、ですか……もちろん、僕たちだって負けるつもりはありません。成績の話はもちろんですけど、それ以前に……僕は強くならなきゃいけないんです。シラヌイを倒して、バロンさんへ辿り着くために」
 レメディの言葉を聞いて、ロータは微笑む。
「それを聞いて安心した。じゃ、スクラカンに着くまで自由時間で」
「はい」
 レメディとヴィルが席を離れる。
「おばさんは、ここで魔人を配置するとすれば誰が来ると思ってんだ?」
 アストラムが買ってきた茶菓子を食べながら尋ねる。
「さぁ……?私も詳しく魔人の面子を知ってる訳じゃないし。でも……今のレメディたちの実力を考えれば、トランペッターや四騎士ではないはず」
「だよな。四騎士ならまだ俺とおばさんが加われば勝てるけどさぁ、トランペッターは無理だよな」
「……。杉原やアリア、シャトレ、レベン……それにシラヌイも、彼らも広義的な意味では魔人であると言えるから……」
「わっかんねえってこと?」
「要はそう言うこと。まあその前に……そもそも他のちゃんと出場してる学校に勝つ必要があるけど」
「そいつに関しては、俺が確実に一勝取れるから、あとはあいつらのどっちかが勝ちゃいいぜ」
「そうね。信頼してる、アストラム」
「まぁかせとけって!」
 アストラムは茶菓子をぼりぼり貪りながら答える。
「行儀良さだけ両親から遺伝して欲しかったわ」
「ふぉんなころいっふぁっておあさんたちがきひしすぎるだけふぁろ」
「食べ終わってから喋って」
 茶菓子を飲み込み、アストラムは話を続ける。
「にしてもウチの家計って独特だよなぁ。ひいばあちゃんとじいちゃんの娘がばあちゃんで、ばあちゃんとじいちゃんの娘がおばさんとおじさんと母ちゃんだろ?でおばさんとじいちゃんの子供がアルバってやつで、ストラトスってのもいるってのは、中々ないっつーか、じいちゃんが馬鹿っつーか」
「そのせいで今の形に落ち着くまで色んなものを巻き込んで犠牲にしてきたんだけどね」
「俺にとっちゃどうでもいいけどな」
「それでいい。私たちはそう言いたかったから頑張ってきた。だからそう言ってもらわないと困る」
「へへっ、なんか今日のおばさん随分優しいな」
「なんでだろうね」
 ロータは適当な相槌を打ちながら、紅茶を啜った。

 砂上都市スクラカン 空港
 ロータを先頭に、一行は正面入り口から外に出る。照りつける日差しは強烈ながら、吹き付ける海風の影響か、それほど暑さを感じはしなかった。ロータが鎖を召喚し、荷物を纏める。
「じゃ、今から自由時間で。泊まる場所とか会場とかはアストラムに聞いて。はい解散」
 そう告げると、ロータは一絡げにしたスーツケースを空中に浮かせたまま歩き去っていった。
「いよぉし、じゃあ適当にぶらつくか」
 アストラムが伸びをする。ヴィルが続く。
「スクラカンって何見りゃいいんすか。っていうか俺たち、全然大会に備えられてないンすけど」
「あぁ?そういやそうだったか?まあ準備運動してりゃ大丈夫だろ。適当にぶらつくぞ」
 三人は空港の前から街へ歩き始める。

 スクラカン 湾岸工業地区
 海沿いには倉庫や、コンテナヤードが所狭しと配置されており、船舶の鳴らす汽笛が聞こえてくる。
「イ・ファロイとは大違いだね、ヴィル」
 レメディが話しかけると、ヴィルは嬉々とした声色で返す。
「そうだな。ウベルリとイ・ファロイ以外行ったことねえから新鮮だぜ」
「正直僕は外出とかあんまり好きじゃないけど、こういうところならたまに行ってみたいな」
「お、じゃあ大会が終わってからも一緒に行こうぜ?」
「うん、もちろんそのつもりだよ?」
 二人が笑い合うと、アストラムも会話に加わる。
「しっかし、てめえらは本当に仲がいいな。付き合ったりしねえのか?」
「いやいや、そういうのはお互い安定してからっすよ。な、レメディ」
 ヴィルがレメディの肩をポンと叩く。
「ふふっ、そうだねヴィル」
 二人が満更でもなさそうに笑うと、つられてアストラムも笑む。
「なっはっは。もうそこまで進んでんのか。聞くだけ野暮だったな」
「そう言うアストラムさんはどうなんですか?好きな人とか居たりするんですか?」
「あー、俺はな。異性だろうが同性だろうが、そもそも色恋に興味がねえんだよ。だから自分で子宮を潰したしな」
「つぶ……!?」
 昨日の夕飯を語るようにさらりと出てきた強烈な単語に、二人は驚く。
「なんだよ、別に驚くことじゃねえだろ。生殖機能ってのは戦闘に不利なんだよ。もっと突き詰めりゃ要らないパーツは色々あるんだが……まあ遺伝か知らんが、幸い俺は胸が小せえからな。胸まで切り落とさんでも誤差で済む。たまに思うだろ、男でもさ。ちん……」
「ストップ!ストップですアストラムさん!」
 レメディが止めると、彼女はきょとんとする。
「どうした」
「街中で下の話はよくないと思いますよ?」
「あ?そうか?すまんな、どうも一般常識って奴は疎くてな。今度からは気ぃつけるわ。そんで男でも思うだろ――」
「何も気をつけてないですよね!?」
「だから言ったろ?〝今度から〟って」
「今からでお願いします!」
 コントのようなやり取りを繰り広げながら歩いていると、前方に人だかりが出来ているのが見えた。
「なんか、人が集まってますよ?」
「そうだな、ちと見てみるか」
 三人が人だかりへ入ってその中心を見る。そこでは、赤のカポーテとサーベルを携えた派手な衣装の老人が、暴れ狂う牛型の魔物と戦っていた。
「なんだろう、見世物かな?」
 レメディが無邪気にヴィルへ訊ねて、ヴィルが首を傾げる。アストラムは老人を見て、苦虫を噛み潰したような表情になる。
「(ちっ、一番手はあいつか!?)」
 彼女はレメディの手を掴む。
「どうしたんですか、アストラムさん」
「帰るぞ!」
 ヴィルの手も掴み、強引にその場を離れようとすると、後方から雷のごとき声が轟く。
「待たれよ!」
 三人が振り向く。瞬間、空間の気配ががらりと変わる。

 異界・紅月の死闘場
「これって!?」
「これは!?」
「クソがッ!」
 三者三様の反応を示し、すぐにアストラムは手を離す。周囲の人間は消えており、先程までいた魔物も姿を失っていた。
「てめえ……こんなところで何してんだ!」
 アストラムが双頭斧を右手に持ち、臨戦態勢に入る。老人はカポーテを振るい、それが顔の前を通り過ぎた瞬間、彼の顔は骸骨となった。
「まさか……魔人っすか!?」
 ヴィルの言葉に、骸骨はカポーテを持つ左手を腰に、サーベルを持つ右手を地へ伸ばす。
「如何にも。我が名はマタドール。狂おしき喝采と血の雨を浴びることを至上とする、高潔なる戦士なり」
 並みの生物では狂死しそうなほどの圧倒的な気配が周囲を包む。
「永遠なる紙一重の戦い、それから逃れぬため私は自らアルヴァナの軍門へ下った。我が王の願い、そして私自身の願いを果たすため、貴公の力を試そう」
 マタドールは帽子の下から覗く、漆黒の眼窩でレメディを見る。
「待ちやがれ」
 遮るようにアストラムが立つ。
「星の赤子か。生憎だが、貴公に用はない」
「てめえ、武術大会に出るんだろうが。こいつの力を試してえなら、そこでやれ。この世界で既に滅びた都市の名前まで使って出場してるのは、そういう意図があるんだろうが」
「その通り。あの青年には我ら魔人を討ち、我が王を葬る牙となってもらう」
「アルヴァナの放任主義は今に始まったことじゃねえが……今こいつに手を出すなら、俺が相手になるぞ、クソッタレ」
「いいだろう。私もこの世界に来てから退屈していたところだ。貴公の血を、明日の戦いまでの余興としておこう」
 カポーテを翻し、マタドールはサーベルを構える。
「さあ行くぞ、アストラム・コルンツ!」
「来やがれ!クソ骸骨がッ!」
 マタドールは素早い踏み込みから目にも止まらぬ速度でサーベルによる刺突を繰り出す。アストラムは左腕で弾き、強烈な斜め蹴りを放つ。しなった足は後退して距離を取ったマタドールのカポーテをなぞり、マタドールは彼女が次の攻撃に入る極僅かな隙にサーベルによる斬撃を差し込もうとするが、アストラムは地面を蹴って飛び、サーベルの切っ先が彼女の背中から数ミリのところを通り行く。そのまま着地した瞬間にベクトルを変えて飛び込み、両手で構えて双頭斧を振り下ろす。マタドールは逃げるも反撃も出来ないと判断したのか、サーベルで双頭斧を受け止める。強烈なパワーから放たれた双頭斧の一撃で、マタドールは僅かに地面にめり込み、周囲の地面が捲り上がる。
「流石は星の赤子。血の呪いより完全に解き放たれているだけはある」
「んなこたぁ俺には関係ねえんだよ……!」
 アストラムは飛んで体を丸め、ドロップキックを至近で迅速に放つ。マタドールは身を捩って踵を腹に掠らせる程度で済まして後退する。アストラムが着地し、両者は仕切り直す。
「よい力だ。普段ならば、心行くまで死合うところではあるが……我が王の望みは絶対。ここは退こう。また会おう、特異点《まれびと》よ」
 マタドールは満足げな(?)表情をして去っていった。

 スクラカン 湾岸工業地区
 周囲の景色が元に戻り、集まっていた人間たちは、自分が何をしていたのかわからないのか、困惑したまま散る。
 アストラムが双頭斧を消し、二人の方へ寄る。
「おう、てめえら大丈夫か?」
 ヴィルが頷く。
「アストラムさんのお陰で大丈夫っすけど……あれが、三回戦で戦う相手っすか?」
「そう言うこったな。空の器よりは手強いだろうが、四騎士よりはマシだ。てめえらでも……というより、レメディ、てめえなら大丈夫だろ」
 レメディは会話を振られ、難しい表情をする。
「はい……あの人の基本の動きは読めたような……気はします。でも……もちろん負けるつもりはないんですけど、僕の体があの速さについていけるかどうか」
「ったく、今からんなこと気にしてもしゃあねえだろうがよ」
 アストラムは二人の間を抜けて歩き始める。
「おい、帰るぞ。観光は止めだ」
 二人は少し遅れて彼女に続く。
 ――……――……――
 マタドールが倉庫の間を歩いていると、曲がり角の壁にホワイトライダーが寄りかかっていた。
「随分と楽しそうだったじゃねえか、マタドール」
 ホワイトライダーが壁から離れる。
「異界に引き込み、我らの気配を出しても怯まぬ人間、か」
「懐かしいだろ?俺もお前も、魔人になる前はそういう人間だった。お前は永遠の闘争を我らが王に求め……俺たち四騎士は我らが王を助けるために魔人となった」
「我らは死を忘れた人間であるために、死から目を背けた時間に等しい死の匂いを漂わす。それが常人や、獣、竜でさえ恐れさせるほどの威圧となる」
「魔人の気配は消せるもんじゃねえが、普通は気付けねえし、相対したところで瞬時に狂死する。だがあいつらは違う。あれこそが特異点《まれびと》、無限の世界を越えて待ち続けて生まれた、何の因果も持たず、我らの世界へ辿り着ける者だ」
 ホワイトライダーはマタドールへ歩み寄り、左手を差し出す。掌には、一つの楔が置かれていた。
「基礎の楔……お前に預けておく。お前が負けるとは思わないが……もし負けたなら……潔く、それをあの小僧に渡してくれ」
「元より計画の内だ。我らが王に命を捧げた以上、その願望の一翼を担うのは存ぜぬことではない」
 マタドールが受け取る。
「じゃ、よろしく頼むぜ。見通しはつかないとは言え、準備しなきゃならねえことはたくさんあるからな」
 どこからともなく白馬が現れ、ホワイトライダーはそれに乗って去っていった。マタドールはそれを見届け、骸骨から老人へ変身して路地の奥深くへ消えていく。
 ――……――……――
「して、汝は何故この世界にいるのじゃ?」
 夜の帳が降り、明人とアルファリアが沿岸のビルの屋上に立っていた。
「お前なら知ってるだろ。俺のたった一つの願い、終着点……察してくれよ、心も共有してんだから」
「くふふ、はて、なんのことやら。では汝の今の心を読んでやろう……ふむふむ……」
 目を伏せて頷いていたアルファリアは、ふと動きを止めて目を開く。そして意地の悪い笑みを浮かべて、口を開く。
「汝は万年発情期じゃな。まあ人間というもの全てがそうだが……所詮脳内は中学生のままか」
「仕方ないだろ。そういう風に……作られてるんだし。それにエロは生物の欲求で一番大事だろ」
「まあそうじゃな。だが今は相手をしてやれぬが……」
「ああ」
 アルファリアは姿を消し、明人は振り返る。そこにはよく言えば豊満な、悪く言えばだらしない体の緑髪の少女――メランエンデが立っていた。
「メランか。千代姉たちは変わりないか?」
「ええ、皆様大事なく過ごしております、器様」
「そうか。こっちはようやく動きがあった」
 メランはその言葉に反応する。
「と、言いますと」
「俺たちの役目が果たされるかもしれない」
「ああ、アルヴァナを仕留められる逸材が現れたんですか」
 真面目な受け答えではあるが、メランは明らかに興味がなさそうにしている。
「んー……まあ私にとってはどうでもよいことです。そんなことよりも器様、まぐわいましょう。おセックスの時間です」
 メランは歩み寄り、首から巻かれ胸を持ち上げている扱き帯の片側を、明人の右手に掴ませる。
「これをほどけば、私の服は全部脱げてしまうんですが……そこにエロティックな衝動を感じませんか?」
 明人は帯から手を離し、メランを抱き寄せる。
「そうだな。アリアちゃんたちの所に戻る前に、一回くらいなら……」
 メランは耳許で声を受けて、頬を染める。
「うふふ……ならば私の王龍結界の中で……」

 スクラカン 闘技場
 翌日、レメディたち四人は大会の舞台である闘技場を訪れていた。
「ちょっと緊張してきました」
 レメディがそう言うと、ロータが笑む。
「大丈夫。あなたの思うままに戦えばいい。……それは、あなたも同じだから」
 彼女は横に並んだヴィルを見上げる。
「もちろんすよ、ロータさん!」
 左手を右腕に添えてガッツポーズで返す。
「ロータ……」
 ぼそりと呟いた、一行は後ろに立っていた少女へ向き直る。少女は清楚な雰囲気を纏いつつも、絶妙に扇情的な露出を備えた衣服に身を包んだ、淡い緑髪であった。
 少女の放つ異様な雰囲気に、ロータとアストラムはもちろん、レメディとヴィルも最大限の警戒を示す。少女はそんなことは気にも止めず、魅力的な笑顔を見せながら言葉を紡ぐ。
「今日はいい天気ですね。潮と鉄、そして油の匂い……」
 目を閉じたまま両手を開き、彼女は胸いっぱいに息を吸い、そしてゆるり吐き出し、目を開く。
「思わず天使の熱棒を想像してしまいますね。素敵な匂いは、素敵な出会いへ導いてくれる……いつの時代でも変わりませんね?」
「ええっと、あなたは……?」
 レメディが困惑気味に尋ねると、彼女は再び咲き誇る笑顔を見せる。
「私の名前はエスト。会社勤めの、しがないOLですよ」
 ロータが会話に割り込む。
「明らかに常人の気配ではないけど……何か目的があるのなら後にして。この子たちはこれから大会だから」
 エストは顎下の辺りで手を合わせ、媚びた声で返す。
「あら、そうでしたか。でしたら観客席から応援させてもらいますね。ではでは~」
 最後まで動作の一つ一つが扇情的で、ともすれば苛立ちすら覚えるほどの媚びた動作でエストはその場を去っていった。
「なんだったんすか、あの人……」
 ヴィルの言葉に、アストラムが続く。
「知らねえよ。だが、なんつーか……妙にムカつく野郎だったな」
「明らかに感じるシフル量が人間のそれではなかったし……竜の中でも最上級、隷王龍クラスの出力が見えた」
 ロータが繋いだ会話を、レメディが受けとる。
「何にしても、今は大会……というより、マタドールと戦うことが優先です。行きましょう、みんな」
 一行は闘技場へ振り返り、向かうのだった。

 闘技場 控え室
「そういや一回戦の相手がウベルリの大学らしいが、てめえらはなんでウベルリの大学に行かなかったんだ?地元だろ?」
 アストラムが長ソファに四肢をおっぴろげて座り、試合前にも関わらず菓子を貪りながら尋ねると、向かい合わせに座っていたヴィルが答える。
「ああ、単純に都会に行ったみたかったんすよ。自分に自信もあったんで!」
「つってもウベルリも観光都市だろ」
「観光都市とか言ってもドデカい橋があるだけっすよ。人通りが多いだけで、特に見るもんもないっす」
 アストラムは棒状のスナック菓子を食べ終わり、指についた粉をねぶって取ると、言葉を続ける。
「ウベルリと言や悪魔化プログラムの開発に勤しんでることで有名だな。あの大橋を作るときに使った建築用の変身プログラムを、軍事用に転用してるとかなんとか。まあ、てめえらなら大丈夫だろ。どっちか片方でも勝ちゃ、俺が決着つけてきてやるよ」
 そんな話をしていると、部屋に開始時間が迫っている放送が響く。二人は立ち上がり、入口付近で待機していたレメディとロータに合流する。
「じゃあ三人とも、全力で臨むように。私はここで待ってるから」
「はい、勝ってきます!」
 レメディは力強く頷いて、ドアを開ける。ヴィルもそれに従い、アストラムが立ち止まってロータを見る。
「何」
「いや、なんでもねえよおばさん。じゃ、行ってくるわ」
 アストラムは部屋を後にした。

 闘技場 フィールド
 巨大な機械仕掛けのゲートから、先鋒としてレメディがフィールドへ出る。囲むように作られた観客席は満員で、既に対戦相手は向かい側に立っていた。レメディが急いで定位置に立つと、対戦相手――細身の男は力み、犬を模した悪魔へと変身する。
「悪魔化……!」
 レメディは長剣を抜き放ち、蒼い闘気を刀身から発する。試合開始の合図が轟き、犬は火炎魔法を唱えて紅蓮を放つ。長剣を逆手に持って火球を弾き返し、犬は高速で魔法を唱えて物理反射と魔法反射の障壁を張る。そのまま突進し、障壁を押し付けるように接近する。レメディは順手に持ち変えて躊躇なく長剣を振り、障壁を叩き割って片足で踏み込みつつ蹴りを放って犬を吹き飛ばす。そのまま浅く踏み込んで最下段から長剣で掬いながら飛び上がって斬りつけ追撃する。犬は加速魔法を施して躱し、着地までの隙を晒したレメディへ、爪を露出した右前足で襲いかかる。レメディは左蹴りを放ち、グリーブで爪と削り合いつつ弾き返す。両者着地し、呼吸を整える。
 レメディは闘気弾を切っ先から放ち、犬は再び火炎魔法を唱えてぶつける。レメディは身を一気に屈め、バネのように飛んで一回転し、全体重をかけて長剣を振り下ろす。防御に入っていた犬の爪を折り取り、再び吹き飛んだ犬は人間の姿に戻って意識を失った。レメディは長剣を鞘に納め、左腕で額の汗を拭う。間もなく大会運営側の医療班が対戦相手を運んでいき、レメディは自分の出てきたゲートへ去っていった。
 ――……――……――
 中堅としてヴィルがフィールドへ出ると、同じタイミングで対戦相手も現れ、二人は定位置に立つ。ヴィルが折れた槍を掴み、無明の闇の切っ先を産み出し構えると、対戦相手――気の強そうな女性は悪魔化し、半人半魔の蛇となる。蛇は吼え、強烈な電撃を地面に走らせる。ヴィルは尋常ならざる跳躍力で飛び上がり、急降下して蛇を狙う。蛇は身を翻して尾を振るい、切っ先と激突し合う。ヴィルは瞬時に槍を引き戻して空中に固定し、鉄棒のように扱って一回転し、勢いをつけたドロップキックで虚をつき蛇を怯ませる。反動で飛び退き、槍を手元に戻し、わざと重い踏み込みで相手の出を窺う。蛇は距離を取ろうとしたのか、体を引き戻しつつ後退する。
「(そう来るなら……この手だ!)」
 ヴィルは槍を投げつけ、蛇がそれに対応しようとした瞬間、ヴィルは槍と共に蛇の頭上に移動し、切っ先を向けて急降下する。強烈な一閃は蛇の尾を切り落とし、悪魔化が解ける。ヴィルは穂先を消して槍を背に戻し、倒れた対戦相手を起こすと、二人はそれぞれのゲートに戻った。
 ――……――……――
 無事に一回戦を終えた三人は閉じられたゲートの内側で集まっていた。
「二人ともよくやったな。ま、元からてめえらの動きは悪いわけじゃなかったし、表に出るタイミングが無かっただけみたいだな」
 アストラムが笑うと、二人は照れ笑いする。
「ちゃんと勝ててよかったです。でも後二戦……気を引き締めていかないと」
 レメディの言葉に、アストラムは続く。
「よし。次は俺が出る。ヴィル、中堅はまたてめえだ。レメディこいつはマタドールと戦わなきゃならん、体力の温存と言う意味でも俺とてめえでラウンドを取るぞ」
「うっす!了解っす!」
 ヴィルとアストラムは拳を突き合わす。
 ――……――……――
 先鋒としてアストラムがゲートから現れると、しばらくしてゲートが開く。警告灯に照らされたゲートには、その空間の殆んどを占めるほどの巨大なシルエットが見える。各部から蒸気を上げると、鋼鉄の巨人は歩を進める。6~7mはあるであろう巨人は、背にマウントされている自らの体長と同じ長さのカトラスを引き抜き、構える。
「ほう、スクラカンと言えば有人兵器が売りだったか。ちょうどいい、スクラップにしてやるよ!」
 双頭斧を産み出し構えると同時に、試合が始まる。巨人は大きく構え、片腕で一閃する。強烈な熱波と砂埃が舞い上がり、イルミネーションのごとく会場内を彩る。が、巨人はカトラスを引き戻さずに硬直する。砂煙が収まると、カトラスを片手で受け止めるアストラムが現れた。そのままアストラムは凄まじい剛力でカトラスをひったくると、空中へ放り、柄を抱え、全身を使って振るって巨人に叩きつける。巨人は両腕でカトラスを受け止め堪えるが、常人と比べるのもおこがましいほどのアストラムの圧倒的な膂力によって押し切られる。しかし、その無理な使用に耐えられなかったカトラスは中腹からへし折れ、彼女はそれを捨て、素足から産み出される爆発的な出力の踏み込みから双頭斧を巨人の頭部に叩きつけ、器用に両断する。流れで露出したコックピットからパイロットを引きずり出し、アストラムが着地すると同時に巨人は爆発する。
 アストラムはパイロットを投げ捨て、そのままゲートへ戻っていく。
 ――……――……――
 再び中堅として現れたヴィルの前には、脚部が一本のドライバーのようになった、独特の有人兵器が立っていた。パイロット部分は露出しており、起動すると共に背後にサポートユニットが二つ浮遊した。
 ヴィルは怯まず、槍を構えて無明の闇を噴出させる。穂先を向け、初手から全力で無明の闇を吹き付ける。兵器は飛び上がって回避し、全身を高速回転させて突っ込んでくる。ヴィルが飛び退くと地面に突き刺さり、ヴィルは宙返りして槍を放る。先程の試合の情報があったのか、兵器は片腕を槍へ振るいつつももう片方の腕で上空を警戒していた。案の定ヴィルは槍と共に瞬間移動するが、今度は右斜め後ろから突貫する。そのまま装甲を貫いて破壊し、振り上げて大きく斬り捌く。兵器が轟音を上げて機能停止して爆発し、パイロットがコントのように大きく吹き飛んで落下する。ヴィルが駆け寄ると、パイロットはシフルの粒子になって消滅する。
「これは……!?アストラムさん!」
 ヴィルがゲートの方を向いて叫ぶ。濃厚な死の香りと共に、とてつもなく恐ろしい気配が近づいてくる。

 異界・紅月の死闘場
「わあってる!行くぞレメディ!」
「はい!」
 アストラムとレメディがフィールドへ飛び出し、ヴィルが合流する。周囲の雰囲気は明らかに異常であり、観客席からは次々とシフルの粒子が上がっていく。ゲートの向こうから現れたのは、既に骸骨の姿となったマタドールだった。
「この戦場に蓄積された戦いの馨り……実に耽美だ。貴公もそうは思わぬか、特異点《まれびと》よ」
「……」
 レメディは生唾を飲み、前へ出る。
「私を前にして、恐れを抱きつつも歩を止めぬその魂、実に遖《あっぱれ》。ここで殺してしまうには惜しすぎる……だが」
 斜めに下げていた視線を上げ、虚無を宿した眼窩でレメディを見る。口端から蒸気が漏れ、眼窩には血のような瞳が宿る。
「強者と戦い、生と死の狭間を生き抜くことこそ、私が求めたもの」
 マタドールはカポーテとサーベルを構える。
「さあ構えよ。貴公がこのマタドールを越え、我が王を貫く牙となるか。私が貴公をこの地に果たし、再び悠久を戦い続けるか。全てを懸けて、勝ち取って見せよ!」
 長剣を抜き放ち、両者は準備を整える。壮絶な殺意が渦巻く最中を、灰色の蝶が舞う。それを合図に、マタドールが先手を取って超光速の刺突を放つ。レメディは殆ど反射の領域で、ギリギリ受け止める。刃が触れ合った場所から煙が立ち上る。マタドールはサーベルを乱雑に振り始め、産み出される真空刃が防御の上から傷を刻んでいく。レメディも防戦一方ではあるが攻撃を往なし、左腕に闘気を宿らせてサーベルを弾き返して、瞬時に踏み込んで長剣を振り下ろす。その切っ先はカポーテに飲まれ、その影から猛烈な刺突が繰り出される。レメディは対応しきれずにそれを喰らい、全身に裂傷を負って仰け反る。しかし追撃に放たれた縦斬りを背中側に躱し、大外から振りながら切り上げる。マタドールはその狙いを察し、即座に飛び退いて躱す。レメディは態勢を建て直し、長剣から漲る闘気で傷を塞ぐ。
「月光の聖剣……月《セレナ》より下りし、バアルの遺産か」
「こんな殺気は、今までの人生で一度も感じたことはありませんでした……」
 乱れた呼吸を整え、レメディは全身の緊張をほぐす。
「良き腕だ、特異点《まれびと》。私と斬り結び、そこまで心を穏やかに出来るとはな」
「……。行きます」
 レメディが一歩踏み込むと、マタドールはカポーテを翻し、その向こうから刺突を放つ。地面を走る真空刃が生成され、逆手に持たれた長剣を振り抜いて二つの衝撃波を生んで迎撃し、二段目の終わりに順手に持ち替える。両者は同時に刺突し、切っ先が掠めて得物が擦れ違う。レメディの肩の防具が、マタドールの脇腹の布が切り裂かれ、レメディは切り上げつつ宙返りし、マタドールはカポーテを振るい、その裏側に蓄積された大量の斬撃を放つ。レメディは闘気の足場を作って左手で跳ね上がり、もう一度宙返りして斬撃から逃れ、急降下して突きを放つ。またもカポーテで躱されるが、闘気の壁を生んで踏みつけて一気に距離を離し、切っ先に莫大な闘気を集めて突進する。マタドールはそれをまともに受け、大きく後退する。
「……」
「……」
 両者沈黙し、そしてマタドールは笑う。衣装が大きく破れ、臓腑たる無明の闇が露になる。
「なるほどな……今のは効いたぞ、特異点《まれびと》……!」
 力み、全身から無明の闇を発する。
「行くぞ特異点《まれびと》、勝敗が決するまで躍り続けようぞ!」
「お待ちなさい」
 熱り立つマタドールへ、観客席から声が響く。その場にいる全員がそちらへ視線を向けると、先程の少女――エストが立っていた。
「エストエンデ……よもや貴公、横槍を入れるつもりではあるまいな」
「横槍を入れる気はありませんわ。ですけれど、今の彼ではこのまま死合えば本当に死んでしまうでしょう。また戦うにしても、アルヴァナへと黙って見送るにしても、今は己の敗けを認め、彼の勝利を称えるべきでは?」
 マタドールは視線をレメディへ向ける。レメディもつられるように視線を合わせる。
「生前の闘牛を思い出してご覧なさい。猛り狂う牛の一撃が直撃した時どうなるか、あなたが一番知っているはず」
 その言葉で、彼は無明の闇を鎮め、サーベルとカポーテを消す。
「確かに貴公の言うとおりだ、エストエンデ。余りにも死を忘れた私は、一撃の持つ重さをも忘れ去っていたようだ……」
 開いた左手には小さな楔が浮いており、それが自らレメディの下へ行く。
「これは……?」
 楔を掴んだレメディは、まじまじとそれを見つめる。
「基礎の楔……それが貴公を、魔人との戦いへの道、そしてバロンの下へと誘うだろう。だが努々忘れるな。これから貴公が進むのは鮮血の道、全ての陰謀が集う、終の決戦への道程だ」
 マタドールはそう告げて、ゲートの向こうへ去っていった。

 闘技場 フィールド
 周囲の雰囲気が元に戻り、明るくなる。闘技場は人の気配はしなくなり、異様な静けさに包まれる。レメディは気が抜けたようにため息をつき、長剣を納める。
「よくやった、レメディ!」
 ヴィルが後ろから肩を組む。
「えへへ、ありがとうヴィル。でも――」
 レメディが視線を上げると、エストが微笑んでいるのが見えた。エストは手すりを越えてフィールドに着地し、歩み寄ってくる。
「どうしてあなたは、シフルに変わらずに……」
 レメディが単純な疑問を向けると、ゲートから現れたロータが言葉を発した。
「簡単な話。どうして気付かなかったのか知らないけど、彼女は王龍。隷王龍エストエンデ。王龍ニヒロに仕える内の一体」
 エストはその紹介に、屈託のない、偏りまくった笑みを浮かべる。
「その通り。私は〈禍つ星、漆黒の戸張〉……隷王龍エストエンデです」
「隷王龍エストエンデ……どうして僕たちを助けるようなことを……?」
「そうね……うふふ、お姉さんね、可愛い男の子が大好きなの。屈強にせよ、軟弱にせよ、ね……?」
 エストはするりとレメディの手をとって、目線を合わせて優しく微笑む。
「君が魔人との戦いを越えて、素敵な男になれるように……お姉さん、ずっと応援するからね」
 手を離し、名残惜しそうに視線を流しながらエストは踵を返す。そのままフィールドの壁に次元の穴を開けて去っていった。
「なんだあの人……」
 レメディが困惑していると、ロータが眼前に現れる。
「今は気にしなくていい。それよりも、今はあなたたちの体を休めることが優先。ホテルに戻るよ」
 レメディとヴィルは頷き、一行は闘技場を去った。
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