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三千世界・結末(10)
エリアル編「愛は藍より出でて藍より青し」(通常版)
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三千世界 古戦遺骸
「……!」
エリアルが目を覚ますと、そこは球状の水の内部だった。水は酸性が強く、発泡している。彼女は一先ず、泳いで水面に顔を出す。
周囲を確認すると、空は不気味なほど美しい黄昏に包まれており、所々にフォルメタリア鋼製の巨大な鉄板が浮遊している。
「これは……まさか、超複合新界……!じゃあ」
直ぐ様真上を見る。
「やっぱり操核がある!早くバロンを見つけてあそこに行かないと……!」
エリアルは水面から飛び出し、一番近場にある鉄板に着地する。駆け出し、鉄板を乗り継ぎつつ巨大な浮島に到着する。浮島の地表にはChaos社のものらしきビルがいくつも突き刺さっており、森林の様相を呈していた。瓦礫の隙間を抜けると、何者かの気配を感じてエリアルは物陰に隠れる。
「……」
気配の方の様子を窺うと、倒れたバロンに手当てをするメイヴと、傍で佇む玄海が見えた。
「(玄海……!?どうしてこの世界に……それにメイヴまで……)」
エリアルの視線が余りにも熱烈だったからか、玄海が微笑みを浮かべてそちらを向く。
「蒼の神子よ。わえは貴殿の気配に気付いておるぞ。出てこい」
観念してエリアルが姿を現すと、メイヴも立ち上がって視線を向ける。
「アウルといい、最近は昔馴染みによく会うわね」
メイヴが口角を上げ、懐から青い宝玉を取り出して玄海へ投げ渡す。玄海はそれを器用に右の眼窩で受け、嵌め込む。
「わえたちは、あの時果たせなかった宿命を果たしに来た」
「ま、アタシは始源世界での恨みもあるけど」
エリアルは警戒して杖を構える。
「バロンに何をしてたの」
メイヴが肩を竦める。
「何って、見ればわかるでしょ。アタシ専用の竿のメンテよ」
玄海が続く。
「貴殿がついていながら、この男がこれほどの傷を負うとはな。二度は助けぬ。再び彼が一人で倒れていれば、迷わずわえらの手駒にさせてもらう」
メイヴが玄海の背に跨がる。
「んじゃ、そういうことで」
「ちょっと待ってよ!まだ何も本題に触れてないじゃない!」
「どうせ操核を目指してるんでしょ?なら、アタシたちとはいずれ巡り会うことになる」
そのまま、玄海は駆け出して飛び去る。エリアルはバロンに駆け寄り、その上体を起こす。
「バロン、しっかりして!」
「……う……く……エリアルか……?」
「大丈夫……?」
「……ああ、なんとか。今……世界は……どうなっている……?」
「かなり不味い状況よ……創世天門が起動してるみたい。早くしないと、取り返しのつかないことになるわ」
「……わかった……!」
さしもの強靭な肉体でも堪えるのか、バロンはエリアルに支えられてようやく立ち上がる。
「アグニに、随分と派手にやられたわね……」
「……ああ。正直、僕も奴を甘く見ていたところはあった」
二人は寄り添いつつ進む。
「……今更あいつに負けるわけがないと、慢心していたんだ。だが……運がいいのか悪いのか、創世天門が開いて止めの一撃を逃れることが出来た」
「ええ。完全に消滅さえしなければ、挑み直せるわ。今度こそ、奴から勝ちを奪いましょ」
「……ああ。世界のためにも、君のためにも、僕のためにも……もう負けるわけにはいかない……」
しばらく瓦礫の森を進んでいくと、瓦礫の狭間から黒い煙を放つスペラ・ベルムが降下してくる。
「……これは」
「ロシア支部の土木作業機械、スペラ・ベルムね」
「……下がっててくれ、エリアル」
「でも……」
スペラ・ベルムが持っていたカトラスを振り下ろし、それをバロンが片腕で防ぐ。
「……僕は戦える。この体が千々に砕けようと、戦い続ける義務がある」
エリアルは頷いて飛び退き、バロンはカトラスを押し返し、スペラ・ベルムの右腕に両腕で螺旋状の闘気を纏わせ、一気に捻れさせて千切り飛ばす。続けて指先から闘気を放ってスペラ・ベルムを空中に浮かせ、拳の連打を叩き込んで吹き飛ばす。
見るも無惨に叩きのめされたスペラ・ベルムは岩のような質感の黒い苔を破損した部位を補うように爆発的に増殖させる。
「……これはE-ウィルスの嚢胞!こんなタイプのスペラ・ベルムは見たこともないぞ……」
「玄海やメイヴが甦っていたことを考えると、来須支部長かグラナディアが甦っていても不思議じゃないわ。そうだとしたら、彼女が改良を加えたのかも……」
バロンは油断せず、鋭い指線を放って苔の腕を細切れにし、続けて暴力的なまでの闘気を叩き込む。瓦礫の森を突き抜けてスペラ・ベルムは世界の端へ落下し、程無くして無明の闇に溶ける。
「……事態はネブラたちと戦っていた時よりも悪化しているようだな」
「そうね……メビウス化のせいで、こちらの戦力もかなり削られているし……」
「……僕たちもそろそろ、今まで見て見ぬふりをしてきたことと向かい合う時なのかもしれない……」
「それってどういう……」
バロンは振り向く。
「……君と僕が愛し合うために犠牲にしてきたものたちと、ケリをつけるということだ」
「……」
「……僕たちは、呆れる程の長い時間を共に過ごし、幾度となく愛し合った。そしてそれが図るとも、図らずとも、多くの人々を犠牲にしたんだ」
「わかってるわ」
「……まあ、いい。アウルとの戦いで、僕も少々掻き乱されたようだ。先へ進もう」
二人は再び瓦礫の森を進み、飛び石のように浮遊する岩を飛び継いで、直立しているビルに乗る。
ジオグラフタワー
屋上には無明の闇が所々に残されており、更に床に無数の切創が刻まれていた。
「……何者かが争った形跡があるな。少々時間が経っているようだが」
バロンは切創に触れる。
「ここは福岡にあるジオグラフタワーみたいね。無明の闇が残っているということは、アルヴァナの勢力が絡んでるのは間違いないだろうけど」
エリアルの言葉に、バロンが立ち上がり、続く。
「……福岡ならば、母さんの仕業だろう。メビウス事件の折に、明人が助力を求めたとしても不思議ではない」
「これといってめぼしいものは無さそうね……」
「……そうだな」
二人が前へ視線を向けると、しばらく岩場は無かった。
「……先に進み続ける他ないか」
バロンが流体金属の足場を産み出し、エリアルを抱き上げて、足場を強く踏み込んで空中へ飛ぶ。
三千世界 空中
「……しかし、ネブラの事前の準備は相当なものだったはずだ。ならばなぜ、まだ彼の望む新世界は姿を現さない」
バロンが鉄板を乗り継ぎつつ黄昏の中を駆けていく。
「それは私も思ってたわ。勝ちを確信したからと言って相手を泳がすような不用心な真似はしなさそうだし」
「……他の誰かの計画の一部だったと考えるのが妥当か。如何にもアルヴァナがやりそうな手だが……」
「アルヴァナがやらないっていうのは理由があるわ」
「……というと」
「操核にはバロンが入る必要があるの。アルヴァナが手を加えているのなら、クロザキを使えば済む話じゃない?」
「……確かにそうだな。とすると……」
三千世界 反重力食料基地
バロンが着地したのは逆さになった非常に巨大な管の底部だった。
「……とすると、ラータか」
エリアルがバロンから降りる。
「恐らくはね。……。隠してたことがあるんだけど、言っていい?」
バロンはその言葉に身構えるが、頷く。
「アルバは、自分の未来に帰れていないわ。あの戦いの後、セレナが使った帰還用の次元門をモニタリングしてたんだけど、何者かの妨害を受けて本来の道筋を大きく外れてしまっていた」
「……ラータがアルバと接触するためにか……?」
「ええ。その可能性は大いにあるわ。セレナを狙わずに、アルバだけを狙うのは、そちらの方が強大だから。それを知っているのは、あの一家を覆う負の連鎖を理解している存在だけ」
「……なるほどな……」
二人が足を踏み出す。
「バロン」
「……ああ」
眼前からは大量の機甲虫たちがこちらに向かって飛翔してくるのが確認でき、更に上空からは蛆の涌いたプレタモリオンと黒い煙を放つスペラ・ベルムの大群が降下してきていた。
「……傷の経過を見るには丁度いいだろう」
バロンが闘気を放ち、腕を振るう。それだけで頭上の大群は吹き飛ばされ、黄昏へ落ちていく。
「……行くぞエリアル」
エリアルはバロンへ駆け寄り、バロンはそのまま彼女を抱き上げて機甲虫の群れへ飛ぶ。彼らの背を乗り継ぎつつ殲滅し、次の浮遊大地へ到達する。
三千世界 氷竜の骨
凍土に着地したバロンは、この浮遊大地がかなり長く繋がっていることを確認する。
「……」
同時に、先程往なした群れよりも多くの機甲虫たちの姿と、なおも降下し続けるプレタモリオン、スペラ・ベルムの姿を捉える。
「……メビウス事件の時、アウルの手によって永久凍土は全て融けたと思っていたが……」
「三千世界にはどの時代のどの世界の欠片が流れてくるかわからないわ。事件より前か、並行世界のどこかから来たんでしょ」
「……一先ず、あそこへ向かおう」
二人の視線の先には、見慣れた古代の城があった。バロンは駆け出し、エリアルを抱えたまま片腕で機甲虫たちを一瞬で消し飛ばしていく。
三千世界 ガルガンチュア
多少の討ち漏らしはあったものの、なぜか機甲虫たちはバロンたちがガルガンチュアに入った時点で追撃を止め、空気を読まずに突貫してくるプレタモリオンたちの相手をし始める。
バロンはエリアルを降ろし、二人は城内を歩き始める。
「そう言えば、ここって正面から入ったことしかないから恨めんがどんな構造なのか知らないわね」
「……そうだな。今にして思えば、あの世界は随分と奇妙な構造だった。機械的に仕切られた長方形の大地が三つ連続しているだけの世界……」
二人の会話を、もう一人の声が遮る。
「愉快な話だ。この世界を作ったのは貴様たちだろう?」
眼前には、見慣れぬ人型の機甲虫が立っていた。
「……お前は」
「貴様との戦いで、死を知ったものだ」
「……パラワンか。だが、なぜ。お前は僕と戦い、溶岩に飲まれたはずだ」
「生者が永遠に死なない世界があるのだ、死者が蘇るのなど造作もないはずだ」
パラワンは腰に佩いた刃渡りの長いマチェーテを引き抜き、バロンへ向ける。
「バロン、我らが望むのが何か知っているか」
「……戦い」
「その通りだ。鮮血に塗れ続ける、それが我らの生きる道だろう、バロン。決してその女と愛を育み続けることが、正解ではないはずだ」
「……僕はそのどちらも僕にとって必要なものだと断じる」
「貴様は甘い男だ。そう言うと、思っていたぞ」
パラワンはマチェーテを納め、背を向ける。
「ついてこい」
歩を進めたパラワンに、二人はついていく。
三千世界 古代の城
古代の城の中腹、パラミナに面する区画に到達すると、パラミナは立ち止まって向き直る。
「ここで貴様に決闘を申し込む。この世界が終わる前にな」
「……わかった。断る理由はない」
「メイヴとかいう女が言うには、貴様はあのアグニに一度敗れているようだな。まあ貴様が誰に負けたかなどどうでもいい。貴様が私に敗れたか、それが重要だ」
「……メイヴ、か」
「貴様は性も種族も関係なく、全ての存在から愛される、敬意を表される。私とて例外ではない。貴様は戦士として、誰よりも素晴らしい。陛下と並ぶ、至上の存在だ」
「……」
パラワンは二本のマチェーテを抜く。
「手を出すなよ、神子。貴様に興味などない」
「……下がっていてくれ、エリアル」
バロンが拳を構える。
「行くぞ、バロン!」
パラワンの総身から暗黒闘気が溢れ、マチェーテの刀身には輝く闘気が乗る。凄まじい速度で突進し、マチェーテを振り下ろす。鋼の防壁が往なすが、産み出された真空刃が防壁を通り抜けて斬撃がバロンへ叩き込まれる。瞬間防壁を手元に戻し、剛拳が信じられないほどの速度で放たれ、マチェーテの切り返しと交差して、互いに寸前で致命傷を躱す。
「あの時とはまるで違う……技が洗練され、僅かな隙もない」
両者は示し合わせたようにすんなりと距離を取り、パラワンは大きく翻りながらマチェーテを振り下ろす。大振りであり、踏み込みも甘いその攻撃の本質を理解し、バロンは飛び上がりつつ距離を詰める。バロンが居た場所には凄まじい量の真空刃が巻き起こり、パラワンはバロンの挙動に適応してマチェーテを振る。鋭く明確に切っ先で捉えようとした斬撃だったが、バロンは前腕に鋼を纏わせてマチェーテと激しい火花を散らし、大上段から蹴り降ろしてパラワンを後退させ、逃さず拳の連打を叩き込んで吹き飛ばす。更に彼が体勢を立て直す前に顔面に追撃の拳が打ち込まれてパラワンが地面を転がり、マチェーテが地面に突き刺さる。
「ぐ……やるな、だがまだだ!」
パラワンが立ち上がり、マチェーテを握ろうとすると、両者の間にメイヴが着地する。
「おっとパラワン。誰のお陰でその体が保たれているかわかってる?」
「……。チッ」
メイヴの言葉に、パラワンは苦虫を噛み潰したように怪訝な表情をする。
「はい、復唱」
「母上の蟲の力で蘇りました」
「勝手に単独行動したら?」
「お仕置き二十分」
「よろしい」
メイヴはバロンへ向き直る。
「楽しんでるところ悪いけど、決着はまだよバロン」
彼女の横にするりと玄海が現れる。
「わえたちにはまだせねばならぬことがあるのでな」
メイヴが玄海の背に乗り、飛び立つ。
「下らん……」
パラワンはマチェーテを納める。
「バロン、今のは私の敗けではない。いいか」
そして羽を開き、玄海を追って飛び立った。
エリアルがバロンに駆け寄る。
「大丈夫?」
「……ああ。パラワンはメイヴのことを母上と呼んでいたが……奴に関することで蟲と言えば……」
「大仏殿の話?」
「……そうだ。結局、奴が産んだ蟲と相対することはなかった。パラワンが蘇っているのは、奴の蟲が原因なのだろうな」
「普通あれだけの目に遭ったらトラウマになりそうなものだけど……やっぱ飛んでるわね」
「……ともかくだ。先に進めるようにはなった。行こう」
二人は古代の城を後にする。
三千世界 グランシデア大橋
凍土を抜けると、長い石造りの橋が現れる。そこにまたもや空から何かが落下してくる。それは無数の腕が生えた双頭の怪物で、まさに異形と呼ぶに相応しい造形をしていた。
「……」
「……」
二人はその異形をまじまじと見つめる。異形はじたばたと暴れ、程無く無数の腕の中でも頑強な四肢で立つ。
「おにいちゃああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!」
余りにもおぞましい絶叫が轟き、空間を歪めんばかりに震わせる。
「……これは?」
「さあ……?思念の集合体みたいに感じるけど、もう誰が骨子なのかわからないぐらい混濁してるわね」
異形は無数の腕をバロンに向けて伸ばす。
「……邪魔だ」
全身から闘気を放ったバロンに、腕は触れることも出来ずに焼き尽くされる。そのまま強烈な闘気の奔流に飲まれて異形は消し炭になった。
「なんだったの、あれ」
「……わからん」
二人は大橋を渡る。
三千世界 アレフ城塞跡
半壊し、所々に流体金属が流れた形跡のある城塞の跡地へ到着する。城塞を構成する建材は多く水分を吸収しており、流体金属もろとも酷く酸化していた。
「……これは……今の僕たちがいた世界のアレフ城塞か」
「そうね。ゾルグが用意した伏兵を仕留めたバロンの流体金属と、アウルが融かした凍土の水が反応してるみたい」
崩れた城塞の合間から、白い鎧の骸骨騎士が現れる。ホワイトライダーだ。彼は一人の赤子を抱いており、眼窩から朗らかな光を放つ。
「星の赤子は、時の奇跡に祝福され、その血の呪いから解き放たれる」
ホワイトライダーは存外に赤子の扱いが上手なのか、彼の懐は安泰だった。
「子供というのはいいものだ。次代に生まれる魂は、より鋭く、より綿密な殺意を以て、自然に牙を剥くものだからな」
「……何用だ、ホワイトライダー」
「俺がお前たちの前に来る理由なんてただ一つだろ?我が王に命じられた以外に無いって知ってるはずだぜ」
「……その子は」
「ん?こいつか?こいつはまぁ……次の世界のお楽しみだ」
ホワイトライダーの手元から赤子は光になって消える。
「事を致すってのはまぁ、ペイルの野郎なら興奮するんだろうが、普通は単なる遺伝子を残すための作業だ。だが俺たちが人間に望む生殖ってのはそうじゃねえ。我が王に突き立てる牙を、より研ぎ澄ますための儀式だ、そうだろう?」
「……さあな」
「まあお前らの事だ。何もない日はどうせ一日中ヤッてんだろ?お前らが産んだ、〝人間〟としての子供であるシエルは、ついさっき死んじまったがな」
「……」
「この世界のお前はあんまり実感はないかもしれんがな。ま……子供の頃に死のうが、老いて死のうが、俺たちにとっちゃ価値は同じだ」
「……さっきから高説痛み入るが……お前の王の命令は、僕たちの前に現れて保健の授業をすることか?」
「そういうんじゃねえよ。ただ、お前らに子作りの重要性……はどうでもいいな。俺は好きな奴とか出来たことねえし」
「……」
「あー、つまり、恒例のあれだよ、あれ。ネタ切れ感半端ねえが……」
ホワイトライダーは背の弓を掴み、構える。
「お前と俺が殺し合うってこったな!」
「……なるほどな、話が早い」
バロンが拳を構える。
「この世界を越えるための鍵はお前なんでな。お前は誰よりも強い必要があるのさ」
弓から大量の光の矢が放たれる。近距離かつ直線で放たれたそれらは、矢が持つ本来の破壊力など当然微塵も持ち合わせていなかったが、凄絶な粒子が尾を引いて空を裂く。
「……ッ!?」
バロンの退路を潰すように放たれた矢に思わず目を見張り、ギリギリでそれらを回避し、拳を放つ。ホワイトライダーは弓で拳を滑らせて往なし、反撃気味に矢をつがえる。しかしそれより速く重ねられたバロンの拳に対応するべく、矢を光に戻して壁にし、僅かながらの時間を稼いで後退する。
「まあその様子だと、お前らの愛は全然冷めてなさそうだな。だからこそこれから起きることに意味があるんだが」
「……何を言っている」
バロンは光の矢を躱し、圧縮した闘気を込めてアッパーを与え、弾けた闘気でホワイトライダーの鎧が一部破壊される。更に上から振り下ろされた斧のような一撃が防御に使った弓をへし折り、強烈な蹴り上げと共に闘気が弾けて後退させる。
「……眼前の敵に集中せぬものなどこんなものだ」
「確かにな……だがな、正義の味方と違って、黒幕側は考えることが多いんだよ。敵との戦いに集中できることがどれだけ幸せなことか、もう少し噛み締めた方がいいぜ?」
「……来い」
「どのお前も神子以外には大概薄情だな、ったく」
ホワイトライダーは積極的に距離を取りつつ矢を乱射する。バロンは一連の動作に慣れたのか軽く躱すが、次第に死角から次々に矢が飛んできているのを察する。ホワイトライダーが放つ矢には二種類あるようで、空間に固定された一矢が続く矢を無尽蔵に反射しているのが見て取れる。
「……なるほど」
バロンは矢を全て躱しつつ、固定された矢を全て流体金属で絡めとり、破壊する。
「マジか」
一瞬で見破られたことに驚いたホワイトライダーは、続くバロンの剛拳の直撃を受けて城塞の壁に叩きつけられる。
「流石は宙核。寸分乱れぬ動作、迷いのない拳、極められた闘気、どれをとっても最強の戦士だ」
瓦礫を押し退けて立ち上がると、弓を背に戻す。
「お前の旅路が終わるとき、この世界も役目を終える。望む結末のために、お前にはもっと苦しんで、もっと強くなる必要がある」
ホワイトライダーの鎧の表面に光が走り、弾けとんで、彼は受肉して急速に質量が巨大化していく。
「我が司るは勝利の上の勝利!支配こそ、滅亡の魁なり!我が名、〝ヘヴンリードミネイト〟!」
白色の竜が顕現し、蛍光紫の翼が展開される。
「行くぞバロン!」
ヘヴンリードミネイトは虹色の障壁に覆われ、大量の光線を抽出してバロンへ注がせる。無尽蔵に降り注ぐ弾幕は、先程の矢の雨とは比べ物にならぬほど濃密で、高威力であった。バロンは黒鋼の姿となり、最小限の光線を粉砕して拳を障壁に突き刺し、溶けたガラスのように抉じ開ける。ヘヴンリードミネイトは障壁を消し、黒鋼と組み合う。
「……お前たちは……」
「俺たちか?知ってるだろ、何を今さら」
身を翻してサマーソルトをぶつけ、輝きを両手に満たして十字に切り裂く。黒鋼は鋼の盾で防ぎ、それを凝縮して槍に変えて放つ。切っ先がヘヴンリードミネイトの首筋を掠め、彼は掌底を合わせて輝きを放つ。黒鋼は脇腹を削らせながらヘヴンリードミネイトの首を鷲掴み、城塞に叩きつけ、強烈な拳を腹に叩き込む。
「おいおい、ちょっと待て……」
姿がホワイトライダーに戻り、ふらつきつつ立ち上がる。同時に黒鋼はバロンの姿に戻る。
「……死の覚悟は出来たか」
「だから待てって。確かに喧嘩をふっかけたのは俺だけどよ、お前が今追うべきはメイヴだろうが」
「……お前は、この世界であいつが何をしようとしているか知っているんだな」
「知りてえのか?」
「……情報は多い方がいい」
「我が王に許可されてないんでな。聞いておいてなんだが、教えてやれることは何もない」
どこからともなく白馬が現れ、ホワイトライダーはそれに乗る。
「俺では力不足だ。最初の浄化の前では、レッドにすら苦戦していたようだが……流石にどうにもならん。じゃあな」
白馬は黄昏を駆け、走り去った。
「……」
バロンがエリアルの方を向く。
「ね、ねえ。さっきの赤ちゃんさ……」
「……ああ。コルンツ家の気配を感じた……」
「あとさ」
「……ん?」
エリアルの言葉に、バロンは耳を傾ける。
「私たち、そんなにしてたっけ?」
「……………………ああ。最高記録は一週間ぶっ通しだ」
「わぁお。私たちって脳内下半身ね。メイヴのこと言えないわ」
「……仕方のないことだ。君が魅力的すぎるからな。まあいいが……しばらくお預けになるな。そちらの方が興奮するが」
「そうね。全部終わるまで悶々としてましょ」
二人は頷き合い、先へ進む。
三千世界 アリンガ
砂漠の浮遊大地を抜け、二人は倒壊した塔に辿り着く。
「アリンガ、ね……」
「……レッドライダーやアーヴェスと初めて会った場所だな」
入り口に差し掛かった二人の前に、青い蝶が一頭、ひらひらと舞う。
「レムリアモルフォ……って、まさか」
「……メイヴが待っている……ということか……」
二人は擂り鉢状のフロアの中央のエレベーターに乗り、上層へ向かう。
エレベーターの扉が開き、廊下に出る。最新のオフィスのような奇抜なデザインのデスクが並び、部屋の仕切りは殆どガラスで、互いの仕事の様が監視できるような仕組みだった。
「流石、Chaos社のオフィスなだけはあるわね」
「……メイヴはどこに」
青い蝶が二人を誘うように通路へ消えて行く。蝶が飛んで行く軌跡には、赤い血液が尾を引いてカーペットへ落下する。
「罠だと思うわよね」
「……仕方がない」
蝶に誘われるままに進むと、所長室と書かれた扉に辿り着く。バロンが開くと、デスクに備えられたチェアに座ったメイヴがいた。
「チャオ、アタシのバロン」
メイヴが朗らかな笑みと共に右手を振る。
「……お前のものになったつもりはない」
「でもアタシとセックスしたいって思ったことはあるでしょ?」
「……一度もない」
「ふーん。ま、いいわ。アタシ、ビッチに見せかけた清楚系ビッチに見せかけた清楚系だから」
「……どうでもいい。お前はこの世界で何をしようとしている」
「ついさっき一人産んじゃったのよね。アタシ育てるの苦手だからアルヴァナに渡したけど」
「……それがなんだ」
「アタシがこの世界でやるべきことは一つ。アタシがずっと手に入れたくて、手に入れられなかったもの……バロン。アンタを手に入れること。ただそれだけ。たったそれだけのことよ」
メイヴが少し大きめに息をする。
「アタシは始源世界の頃からアンタが欲しかった。アタシたちが感情を手に入れる前から、ずっと。だからアタシはすぐにわかったわ。アタシに最初に起こった感情が、憎しみだと」
「……」
「わかる?狙ってたの、アンタを。ずっとね。それを妹に取られて、それどころか得体の知れない学生に寝取られた気分がわかる!?」
バロンは無言で佇む。
「まあいいわ。アンタはいい意味でも悪い意味でも、良心が欠けている。アタシは良心なんてそもそも持ち合わせていないわ。自分で捨てたもの。でもアンタは違う。元々無いのよ。アンタに人間の心なんて」
「……そうか。遺言はそれでいいか。僕たちは操核に行かねばならない」
「世界のために命を懸ける。それがアンタの生きる意味だものね」
メイヴは素早く立ち上がりつつ鞭を振るって背後の壁を切り裂く。
「日の陰りを見て、日の出なのか、日の入りなのかわからなくなるときがない?」
「……何が言いたい」
「ありきたりだとは思うわ。終わりと始まりって、表裏一体じゃない?」
「……」
「始まりにこそ、終わるための鍵があるのだと、アタシは日頃から思ってるわ」
メイヴは切り裂かれた壁から去っていった。
「……なんだあいつ」
呟くバロンに、エリアルが並ぶ。
「見てよ、バロン」
彼女が指差した先に見えたのは、パラミナの首都の残骸だった。
三千世界 ムラダーラ
崩壊した首都に足を踏み入れた二人へ、倒壊した建物の屋上から声が響く。
「久しいのう、宙核よ」
赤い鎧の骸骨騎士――レッドライダーが屋上から飛び降り、二人の前に着地する。
「……さっきホワイトライダーと戦った」
「それは無論、知っておる。奴も儂も、毎度お馴染み我が王からの命令でここにおるからな」
「……次はなんだ。また戦うのか?」
「違うな。色々と回収しておるのじゃよ。次の世界で手駒になる有用な者共をな」
「……」
「儂らが当初目的としていたのはこの戦いじゃ。この後は、儂らがすることは殆どない。長きに渡ってお主らと関わってきたが、もう当分会うことはあるまい」
レッドライダーの横に、真紅の馬が現れる。
「ブラックとペイルもこの先にいるが、お主とじゃれたい奴がいるかもしれんな。儂はもう興味などないが」
彼は馬に乗る。
「では、達者でな」
そのまま、馬は彼方へ駆け出した。
「……次の手駒か……」
バロンが呟くと、エリアルが反応する。
「さっきの赤ちゃんも、そういうこと?メイヴが産んだ子がアルヴァナに渡ったのも……」
「……今考えることじゃないな。ともかく先へ進もう。黙示録の四騎士が手出しする気がないなら、本当にクロザキは動かないに違いない」
バロンはエリアルへ向く。
「……三千世界は、時間制限はあるのか」
「基本的には無いわ。時間って言う概念が無い空間だからね。でも……もし、もしよ。ラータが裏にいるんだとしたら……新たに世界を作る必要なんて無い。全て整ったら滅亡させるはずよ」
「……急ごう」
頷き合い、二人は水を吸った砂地を進んでいく。
三千世界 リベレイトタワー
砕けたフォルメタリア鋼の壁の向こうに、リベレイトタワーが聳える。歩を進め、ガラス戸の前に立つ。そこで、天空から喇八が響き渡る。
「この音は……!?」
「……バカな」
凄まじい輝きが黄昏から注ぎ、喇八を手にした法衣の骸骨が現れる。
「トランペッター……!」
二人の声がハモり、トランペッターは地上に降り立つ。
「宙核、蒼の神子。貴殿らには、ここで裁きを受けてもらおう」
エリアルが動揺する。
「裁き……って」
「自分自身が一番よくわかっているはずだが。いい頃合いだろう。貴殿は、自分の幸せのために多くを犠牲にした。それを反省する必要はないが……のらりくらりと躱していては、いつかは終わりが来る」
トランペッターが喇八を吹き鳴らす。
「さあ――結末を彩ろう」
眼前を閃光が覆い、二人は倒れる。
「……」
佇むトランペッターの後方から、メイヴが現れる。
「ねえ、アタシがバロンを貰っていっていいのよね?」
「好きにするといい。私がすべきことはもう終わった」
トランペッターは黄昏へ飛び立っていった。
「うふふ……」
メイヴは倒れたバロンへ寄り添う。その真横に、玄海が降り立つ。
「神子。約束通り、宙核は貰うぞ」
メイヴが玄海の背にバロンを乗せ、自分も乗る。
「じゃあね、エリアル。アンタのこと、ほんっと昔から大っ嫌いだったわよ」
玄海が飛び、リベレイトタワーから去る。
三千世界 異史帝都アルメール
ビルの合間を飛び抜けて行く玄海を、アルメールが電波塔の上から見ていた。
「宙核が落魄したとしても、君の望み通りにはならないだろうねえ、メイヴ。神子と同じように性欲と独占欲くらいは満たせるかもね?ま、せいぜい頑張ってくれ」
炎の軌跡だけを残して、アルメールは姿を消す。
異史帝都 行政府大聖堂
巨大な礼拝堂に玄海は辿り着き、メイヴが背から降り、玄海が尾でバロンを摘まんで床に寝かせる。
「さぁて、何からしようかしらね?」
メイヴが屈み、舌舐めずりをする。その横で、玄海がまじまじとバロンを眺める。
「遠目からは見ていたが……凄まじい肉体だな。わえのような貧弱な肉体では想像もつかん剛力を、ここから産み出しているのか」
「全くね。こんなエロい、歩く媚薬みたいなヤツを今までお預けにされてたなんて拷問だわ」
青い蝶が集まり、バロンの体を持ち上げる。
「じゃ、アタシはお楽しみしてくるから」
「わかった」
メイヴは大聖堂の奥へ去り、蝶たちはそれに従った。
「性欲というものはろくなことにならんな。母君しかり、女王しかり」
玄海はあくびをして、その場でくつろぐ。
三千世界 リベレイトタワー
「くっ……」
エリアルが意識を取り戻して立ち上がる。辺りを見回すと、バロンが居なくなった以外は変化がなかった。
「トランペッター……まさかあいつがいるなんて。バロンを早く取り返さないと」
リベレイトタワーのガラス戸を腕力で抉じ開け、内部に入る。受付に配置されていたデュプリケートは虚空を見つめたまま停止しており、アリンガと同じように奇妙な静寂に包まれていた。
「私たちが愛し合うために、犠牲にしてきたもの……」
受付奥の階段を上り、エレベーターホールに着くと、一基だけエレベーターが到着していた。エリアルはそれに乗り、最上階のボタンを押す。最上階に到着し、降りると、そこは医療エリアだった。
「まさにメディカルパレートってところね」
エリア内を奥へ歩き、廊下のガラスから外を眺める。そこからは、異史の中国の激戦区が見える。
「犠牲にしてきたもの……」
「お前の真剣な……表情は……あまり見ないな」
エリアルは声がした方に向く。そこには、ブラックライダーが立っていた。
「愚かな報いだ。因果応報とは……まさにこのこと……こちらは恨みなど無いが、我が王がそれを望む以上、動機などどうでもいい」
「アルヴァナは私とバロンを引き離して何がしたいの?」
「番として結ばれることが確定していては……感覚が麻痺するものだろう……これは恐らく、ホワイトが言ったと思うが……お前たちは……この世界を導かなければならない」
「バロンが童話のお姫様みたいにじっとしてるとは思えないけど?」
「そうだな……じっとしてはいないだろう。だが、お前たちはこれから死ぬほど……過酷な戦いに身を投じることになる……それだけ胸に刻んでおけ」
ブラックライダーはそう言うと、踵を返して去っていった。エリアルは杖を構え、石突きで窓ガラスを粉砕して外へ飛ぶ。
三千世界 大戦区域
凄まじい激戦が起こったことを物語るように、無数の無人機やChaos社、レジスタンス両陣営の装備が破損したまま道路に投げ出されている。多くのビルは遮蔽物となって半壊しており、黄昏の最中でさえ視界を灰色が占めるほど塵が煙っていた。
エリアルが着地し、杖を腰に挿す。
「玄海が飛んでいったのはかなり先の方ね……」
塵の中を無数の青い蝶が飛び回る。
「……。人の良心を失うこと、元々欠如していること……」
蝶に誘われるように、エリアルは歩を進めていく。煙は濃くなり、まともに呼吸すれば悶絶しかねないほどの塵がエリアルを包む。黄昏の中にも関わらず、視界が完全に白け、まるで神隠しにでも遭遇したかのような感覚に陥る。
「愚かで哀れな我が恋敵よ。我が下まで来よ」
強烈な突風が吹き荒れ、塵が吹き飛ばされる。
周囲を見渡すと大戦区域の一画ではあるが、霧が立ち込めて黄昏を隔てていた。エリアルが徐々に歩を進めていくと、次第にビルが復元され、別の既視感を持つ景色へ変わっていく。
――……――……――
絶海都市エウレカ 行政ビル前広場
霧が立ち込める中を進み続け、もはや見慣れたエウレカの行政ビル前に到着する。足下に多様な紋様が象られた広場の中央に、白髪の少女が立っていた。
「シマエナガ……私に復讐するチャンスってことで来たの?」
エリアルが皮肉混じりに訊ねると、彼女は首を横に振る。
「じゃあ何かしら。まさかメイヴに寝返ったとか?」
シマエナガが食い気味に言い返す。
「違います。そもそも、あなたは最初から勘違いをしている」
「勘違い?」
「私はマスター以外のことなどどうでもいい。あなたが何をしようが、メイヴがどうしようが、マスターに仕えることが、あるべき姿に戻すことが、私の役目」
「あるべき姿、ね。いかにも正解を知ってますよって態度だけど」
「マスターの正体は殆どの存在は知らないでしょうね。原初三龍ですら、ある一柱を除いて知らない」
「へえ、気になるわね」
「私が教えるとでも?元はと言えば、あなたのその狂気的な好奇心のせいで全てが狂った」
「バロンと自分を繋ぎ合わせた時点で覚悟してるつもりなんだけど。世界を作り、その輪転を支える。私は自分なりに頑張ってたつもりよ」
「随分と思い上がった神子ですね」
「お褒めの言葉ありがとう。でも、そっちも大概驕りがあるように見えるけど?どうしてバロンを自分の下に引き戻したら正しい形になると思ってるの?」
「ええ。元々あなたはマスターに相応しくない」
「ハッ。あるべき姿とか、相応しくないとか、決めつけが激しすぎるんじゃない?あんまり束縛するもんじゃないわよ」
シマエナガは杖を背から引き抜き、右手に持って構える。
「アレクシア!」
その呼び声で、天空から風を纏った長虫のような竜が急降下してくる。そしてシマエナガを守るように体を巻き、エリアルを睨む。
「あなたがマスターにしているのは洗脳となんら変わりはない。澱んだ因果はマスターに蓄積し、もはや崩壊寸前です。全てが崩れる前に、私がマスターを救う」
「いいわ。いい加減そっちのストーカーにも飽き飽きしてた頃だったし……ここで消し去ってあげる!」
エリアルが杖を構える。シマエナガも同じように構え、先手を打って杖の先から風の塊を放つ。エリアルは身を翻しつつ杖を大量に分身させ、それらの石突きから光線を放つ。アレクシアが身を捩らせて光線を弾き返し、高速でとぐろを巻いて小型の竜巻を三つ生成して飛ばす。シマエナガがアレクシアの鼻先を踏み台にして飛び上がり、天空で杖に強烈な電撃を宿して急降下する。エリアルも杖を構えて迎え撃ち、電撃が迸って杖同士が競り合う。
「すごい憎悪ね。ヒリヒリするわ」
「当然のこと」
シマエナガは自分の杖をエリアルの杖に張り付け、手放して踏みつけエリアルを地面へ飛ばすと、杖を手元に戻し、落下していくエリアルを食まんとアレクシアが突進してくる。エリアルは空中で受け身を取り、アレクシアの頭部に飛び乗って額に杖を突き刺し、腕力で強引に体の主導権を握る。アレクシアの口が開かれ、そこから怒涛のごとき激流がシマエナガに向けて放たれる。
「甘いッ!」
アレクシアの体は掻き消え、再びシマエナガの足下から召喚され、その長大な体躯が激流を弾く。しかしエリアルは既に次の手に移っており、杖を放った瞬間移動から、大量に分身させた杖をアレクシアもろともシマエナガの周囲にばらまき、即座に起爆させる。アレクシアが全身から風を解き放つことで爆発の衝撃を往なし、その影からシマエナガが風の塊で弾幕を張る。絶妙な時間差をつけて放たれる塊と共に、アレクシアが先ほど放った小竜巻が接近しては離れることを繰り返し、さらに追い討ちとして(勢いは弱めだが)正真正銘のブレスが放たれる。一撃の威力よりも命中させることを重視したこれらの多段攻撃は、エリアルには往なしきれず、数発を受けて怯んだところに全て叩き込まれ、吹き飛ばされる。杖が地面に当たって跳ね、エリアルは受け身を取りつつ杖を握りしめる。
「伊達に腐れ縁じゃないわね」
「マスターに頼りきりのあなたとは違うので。今の私なら、アウル様にも勝てる」
「それ、バロンから見た魅力度でって話?」
「その減らず口、完全に塞いで殺してあげます」
シマエナガとアレクシアが再び臨戦態勢に入る。
「(私は数の不利を巻き返せるほど強くない……けど、バロンさえ生きていれば、私は何回でも体を消し飛ばしても戦える)」
エリアルが杖を地面に突き刺し、全身に血管のように青い輝きを放つ線を通わせる。
「遂に私も腹を括る時が来たってことね」
自分に言い聞かせるように呟くと、勢いよく杖を掴む。
「上等だわ。私の覚悟ってやつを見せてやろうじゃない。行くわよシマエナガ!アレクシア!」
エリアルは勢いよく一歩踏み出し杖を投げる。フリーになった両腕に白と黒の球体を一つずつ産み出し、シマエナガたちに撃ち放つ。
「アレクシア!」
掛け声で彼の竜はシマエナガを背に乗せて全速力で球体から逃れる。白黒の球体が混じり合うと同時におぞましいほどの衝撃が巻き起こり、一瞬拡大してすぐに消滅する。球体が覆った空間は切り取られて虚空となり、杖がエリアルの手元に戻る。その隙を逃さずアレクシアが突進し、エリアルを食む。凄まじい力が押し込まれることで地面に足を削られ、靴底が急速に磨り減るが、それでもエリアルは杖をアレクシアの額に再び突き刺し、両手で彼の竜の顎を掴んで口を開かせ、再び白黒の球体を叩き込む。
「ッ……!」
咄嗟に反応したシマエナガだったが、体が追い付かず、アレクシアが体をしならせて吹き飛ばし、融合した球体がアレクシアを完全に消し飛ばす。シマエナガは受け身を取り、二人は向かい合う。
「アレクシア……」
「これで、対等になったわね」
「いいえ。それは、エラン・ヴィタールを守る二体の王龍から貰った力のはず。いくらあなたでもその力を多用すれば体が崩壊するはず」
「そう思う?」
シマエナガから見て、エリアルの肌は明らかに干魃した大地のようにひび割れている。
「ええ。純化が始まっています。常人が竜化し過ぎた時のように」
「そう。その通り。私は特別強い人間じゃないわ。世界の仕組みがよくわかってる存在なら、私が単なる常人ってことくらいわかる」
エリアルは不敵に笑う。
「ずっと隠してたのよね、これ。だって普通、獣や人間がこれだけの長時間を生きるなんてこと、有り得ないもの」
「何を……」
エリアルが右腕を勢いよく振ると、右前腕が千切れて地面に落ち、塩になって砕け散る。そして霊体のように新たな右前腕が構成され、受肉する。
「どうなって……」
「私はバロンと一蓮托生。いや、厳密にはバロンは一人でも生きていけるでしょうね。私はバロンに思われ続ける限り、永遠に存在し続ける」
「永遠の命、ですか。……。そうまでして、あなたはマスターと共にあると」
しばしの沈黙が流れ、再びシマエナガが口を開く。
「ここであなたを殺せないのなら、もう戦う意味はない」
彼女はエリアルに杖を投げ渡す。
「ですが覚えておいてください。私はマスターを諦めることはない」
突然風が吹き出し、周囲の景色が消え去っていく。
――……――……――
やがて元の大戦区域の景色に戻り、塵も消え、視界が黄昏の色に染まる。
「諦めがいいってよりは、引き際を弁えてるって方が正しいわね」
エリアルは眼前にある要塞の残骸へ向かう。
三千世界 要塞残骸グロズニィ
砕けたフォルメタリア鋼の破片を通り抜けて、動力炉の跡地に足を踏み入れる。佇んでいたパラワンが顔を上げ、二人は視線を合わす。
「二十分お仕置きされたの?」
「貴様が知る必要はない。死んで貰おう」
「メイヴが母親なんて苦労しそうね」
「だが奴が私に二度目の生を与えた存在であることに変わりはない。恩は返す主義だ」
パラワンがゆるりと二本のマチェーテを引き抜く。
「バロンには申し訳ないけど、私が引導を渡してあげるわ」
エリアルが杖を二つ、左右にそれぞれ持つ。その瞬間、体表を青い光の線が覆う。
「神子など勲章程度にしか見ていなかったが……その纏う覇気。流石はバロンの伴侶と言ったところか。行くぞ!」
パラワンが甘く踏み込み、大振りにマチェーテを振るい、エリアルは右の杖を振るって風の壁を産み出しつつ浮き上がり、真空刃を弱めつつ追尾を躱す。水を纏った左の杖を頭上から振り下ろすが、振るう速度が甘く、容易に弾き返され、素早く切り返される。エリアルはマチェーテが振るわれた地点には既に居らず、背後から右の杖から真空刃を放ち、左の杖を振るって水の刃で薙ぎ払う。パラワンの強烈な振り下ろしが水を断ち切り、エリアルの体を内蔵まで斬り捌く。瞬間、彼女は杖を両方を手放し、水を纏わせながら両手をパラワンの体に当て、飛び退く。
「バロンの猿真似をしても意味など無いぞ」
「それはどうかな?」
パラワンの腹が内部から弾け飛び、蒸気が上がる。
「ほう」
「バロンのおまけだと思って油断したわね」
「いや、違う。なんだ貴様は……」
パラワンの腹が即座に修復される。杖がエリアルの手元に戻り、二人が再び距離を詰めんとした時、遠方から急速に近寄ってくる足音に気を取られる。
「なんだ……!」
青い蝶が一頭現れ、パラワンのマチェーテの切っ先に着地する。
「ちっ、承知した、母上」
パラワンはマチェーテを納め、飛び去る。足音が間近に接近したと同時に壁が破砕され、見慣れた竜人が現れる。
「……逃がさ……ない……エリ……アルゥ……」
「バロン……」
黒鋼は明らかに正気を失っているようで、躊躇無くエリアルに拳を振り下ろす。回避するが、完璧な予測から放たれた追撃に叩き落とされ、地面に叩きつけられる。エリアルが立ち上がるより前に攻撃を重ねられ続け、その場に釘付けにされ続ける。
「……あ、あ……」
黒鋼の動きが鈍り、竜化を解く。エリアルはようやくふらつきつつ立ち上がるが、バロンはなおも距離を詰めて拳を振るう。技の精度と速度自体は落ちているが、それでもエリアルには防御が精一杯であり、杖でギリギリ弾き続ける。
「……」
「そう言えば、今までちゃんとお互いに慈しみ合いながらイチャイチャはよくしたけどさ……こうしてマジで殺し合うのは流石に初めてよね……!」
バロンの剛拳を素手で受け止める。パワー不足を補うように体表の青の輝きが増す。
「バロンと殺り合うなら……素手じゃないと失礼よね……!」
拳を押し返すが、バロンは流石と言うべきか隙の無い連打を放ち、エリアルは変わらず反射神経による寸前の防御に専心し続ける。
「……抵抗……するな……」
「なるほどね。普段は気を使ってくれてるけど、バロンって意外と強引に行きたいタイプなんだ……覚えとこ」
軽口を叩いても余裕はまるでなく、バロンの拳の一撃が余りにも重すぎるゆえに防御した際の硬直で、強制的に防御一択にさせられている。
「(流石はバロン。パワーもスピードも精密性も、全てが高水準で纏まってる……)」
エリアルは強引に姿勢を崩して防御一辺倒から逃れる。即座に追撃が放たれるが、紙一重で躱し、無謀とはわかっていても真正面から互いに正拳突きを放つ。もちろん、エリアルの腕がひしゃげ、衝撃で大きく後方に吹き飛ばされるが、それで距離を取り、杖を手元に戻し、地面に魔法陣を産み出す。
「やっぱさっきの発言ナシ!」
「……ガアアアアッ!」
バロンは瞬間、竜化し、殺意を放ちつつ距離を詰める。黒鋼が拳を放った瞬間、それに反応して魔法陣が作動し、地面をくりぬいて二人は黄昏に放り出される。
三千世界 空中
エリアルは空中に散らばる大地の破片に死に物狂いで瞬間移動し、黒鋼が一瞬だけ遅れて攻撃し、破片を粉々にする。
「(一撃でも貰えばシャングリラまで真っ逆さま。そうなったら恐らく……アルヴァナがこの世界を処分する。この世界が積み上げてきたものが全て無に還るのは、流石に作った側としては避けたいわね)」
ギリギリの攻防を繰り広げながら先へ進み続けると、浮かぶ大樹が見えた。
三千世界 クシナガラ
焼け焦げた大樹の頂上にエリアルは転がり込み、黒鋼が仕留めんと攻撃を放ちつつ着地する。エリアルが即座に飛び退くと、黒鋼が攻撃を重ねてくる。回避できずにそれを受け、縁に叩きつけられる。エリアルは全く動けないほどのダメージを受けるが、黒鋼は追撃してこず、膝をついて竜化が解ける。
「今しかない……!」
エリアルは体を全て作り替えて自分の杖を持ち、助走をつけてバロンの胸に突き刺す。
「……う……ぐ……!」
バロンはエリアルを突き飛ばし、光となってその場から飛び去る。
「はぁ……っ……」
エリアルはため息をつき、シマエナガの杖を支えに両足で立つ。
「たぶんメイヴのせいだけど……あの状態のバロンは何がどうなってるの……?」
体力の消耗に抗えず、その場に座り込む。
「私一人でこれ以上戦うのは、無理があるわね……」
意を決して、エリアルは立ち上がる。
「ま、何のために不死身になったのかって話よね。こうなったら、とことん行くわよ……!」
縁から飛び立ち、破片を飛び継いでいく。
異史帝都アルメール 大聖堂
玄海が急いで戻ってくると、下着姿のメイヴが玉座に足を組んで座っていた。
「何があったのだ、女王」
「別に」
メイヴは若干不貞腐れている。
「随分と派手に事をしていたようだが。精液と愛液の臭いがかなりキツいぞ、女王。湯浴みでもしてきたらどうだ」
「まあ、セックス自体は悪くなかったわよ?アタシでさえもうちょっとで飛びそうなくらい気持ちよかったし。でもアイツは……人間ってより、寧ろ……そういう装置みたいな。どうしてエリアルが選ばれたのか、何となくわかった気がするわ」
「名は体を表す、ということか。宙核……まさに宇宙の核というギミックだと」
「そうね、だいたいそんな感じ」
メイヴがため息をつく。
「そんなにショックを受けたのか、女王よ」
「そりゃもうショックよ。本当にね。今まで会ったどんな男よりもドスケベな竿だったわ。あんなの知ったら他のどんな男でも満足できない」
「そ、そうか……」
玄海は若干困惑しつつ、話を続ける。
「ところで、先ほど宙核と蒼の神子が交戦したようだが」
「ここから飛び出した時点でエリアルの名前をひっきりなしに言ってたし、妥当ね。あの二人なら……」
メイヴが立ち上がる。
「アタシ、湯浴みしてくるわ。最後の戦いの前に、体を完璧にしておかないと」
「承知した。入念に洗い清めるといい」
メイヴは下着姿のまま立ち去る。
「日の本に比べると貞操観念が男女ともに薄くて困るな。単純に目線に困る」
玄海はそう呟いて、その場に寛ぐ。
三千世界 要塞残骸ツェリノ
中央のホットスポット用動力装置だけが残された要塞の残骸にエリアルは着地する。装置前のコンソールに、エメルが腕を組んで腰かけていた。
「エメルも私にバロンは相応しくないとかのたまいに来たの?」
エリアルが距離を詰めつつ皮肉っぽくそう言うと、エメルは微笑みで返す。
「いえいえ。私はとってもお似合いだと思っていますよ。ずっと。そう、ずっとね。うふふ……」
相変わらずの不敵な笑みに、エリアルはやれやれとため息をつく。
「ですが、どちらかが暴走しているというのは解釈違いと言うものです。暴力的で短絡的なバロンもまた魅力的ですが、私が思うに彼の魅力は……」
エメルが呼吸する。
「妻思いで純愛で炊事家事も完璧で子供にも動物にも好かれて男女分け隔てなく友好的に接して常に冷静なのに戦闘狂でライバルとの戦いについ熱くなるけど世界を維持しなければならないという使命のためにその気持ちを圧し殺して目の前の問題に立ち向かい続けてる」
息継ぎもなしに怒涛の勢いで喋り続け、なおもそれは続く。
「すごく優しい目付きですごいいい匂いがして体も何の無駄もないし所作も丁寧でなのに逞しくて声も脳が溶けるような甘美な響きで……」
「もういい。わかったから」
エリアルに制止され、エメルはまた微笑む。あれだけ高速で喋ったにも関わらず、呼吸がまるで乱れていない。
「そうですね。実際に妻であるあなたに説明するまでもありませんでしたか」
「バロンの場所とか知らない?さっき逃げられちゃったんだけど」
「もちろん、知っていますよ。彼の居場所と、どこで何をしているかは常に把握していますから。だからこうしてあなたの前に出てきたのでしょう?」
「……。素直には教えてくれないんでしょ?」
「さっき言ったはずですよ?」
「えー……つまり、暴走状態のバロンは気に入らないから協力するって?」
エメルは頷く。
「あなたを殴るような状態のバロンは解釈違いですからね。暴力的なバロンも嫌いではありませんよ?十分魅力的です。ですがね……何か心の奥で、『これは違う!』と叫んでいるんですよ。ですので一番のファンとして、彼を殴ります」
「えっと、加減は上手なのは信頼してるけどさ……この後も戦わないといけないからほどほどに頼むわね。あと、そのホラー小説みたいな考え方は改めた方がいいと思うわよ?」
「まあまあ。私と戦わないだけでも、あなたには利益でしょう?」
「そうね……じゃあ早速、バロンのところに案内してよ」
「はぁい♪」
エメルはコンソールから立ち上がり、エリアルを横抱きにする。
「ちょっと……!」
「いつ見ても綺麗な体ですね。最終的な美しさを求めると、貧乳が最善なのかもしれませんね」
「ちょっと!同性でもセクハラよ!」
「うふふ」
エメルは助走も無しに飛び上がり、そのまま空を飛び抜けていく。
三千世界 アジュニャー
鋼鉄で出来た神殿の広場に、エメルが着地する。エリアルが降りると、眼前に立つバロンと視線が合う。バロンは胸に刺さった杖を引き抜いており、傷も癒えていた。
「……エリアル……」
バロンが口を開くと、それにエメルが反応する。
「おやおや、早速私は仲間はずれですか?」
「……邪魔だ」
光の速さになって接近し、エメルに拳を放つ。エメルはそれを半笑いで受け止める。
「無駄ですよ、私の愛しい人。私を貫くのにそんな散らかった心では、世界が何度終わろうが不可能です」
狂った速度の裏拳がバロンの顔面に叩き込まれ、受け身すらとれずに後方に激しく吹き飛ばされる。
「わーお。いくらなんでもやりすぎなんじゃ……」
「うふふ……」
エメルが歩き出すと、バロンはすぐ立ち上がって拳を構え直す。
「あら、あなたほどの傑物が怯えているんですか?」
「……」
「黙りですか?なら、気持ちが落ち着くまで何百回でも何千回でも殴って差し上げますよ」
バロンが光速で拳の連打を放つ。しかし難なく全ての拳を受け止められ、エメルの拳を振り下ろされて地面に叩きつけられる。
「……うぐ……」
「思い出しましたか?」
「……邪魔だ……!」
「やれやれ……」
エメルは俯せに倒れているバロンの背後に回り、片腕でバロンの両腕を後ろ手に回させる。
「エリアル!」
掛け声に従い、エリアルがバロンに近づき、跪く。エメルがバロンの上体を起こさせ、二人が向き合う。
「ねえ、バロン。私たち、ここでこんなことしてる場合じゃないわよね?約束したはずよ、始まりの世界で。どんなことがあっても、私たちは世界のために戦い続けるって」
「……」
バロンは黙って、エリアルから視線を外す。が、エリアルが両手でバロンの顔を挟んで自分に向けさせる。
「ちゃんと見て、私を」
有無を言わさず抱き締めると、バロンの体から力が抜けていく。エメルが拘束を解くと、バロンはエリアルに体を寄せる。
「……何と言えばいいか……その……」
口ごもるバロンを、更に強く抱き締める。
「何も言わなくていいわ。私たちは、どうあっても離れない。そうでしょ?」
エリアルがバロンを離し、手を差し伸べる。その手を取り、二人が立ち上がる。
「……君と離れるのはごめんだ」
手を離し、二人はエメルの方を向く。
「……すまな――」
「おっと。バロン、それ以上はいけませんよ?」
「……なぜだ」
「私は感謝されるようなことはしていません。単に一人のファンとしては余りにも出すぎた真似をしてしまいましたし」
「……どういうことだ?」
「どうしても私に感謝したいのなら、彼女と共に前に進み続けてください。あなたを高めるのは、私じゃない。エリアルと、アグニ。その二人だけが、あなたの覇道を共に征く者」
エメルは踵を返す。
「全てを越えた先で、私は待っています。あなたを失うことで、最強になるために」
「……わかった。お前への礼は、この拳に仕舞っておこう」
「うふふ。それでこそ、私が目指した最も偉大な人間。では、名残惜しいですが、今日はこの辺で」
エメルは空へ飛び立って、瞬く間に視界から消えた。
「……行こう、エリアル。僕たちはもう、互いの絆を疑う必要などない」
「ええ。この世界の――私たちの、結末に向かいましょう!」
二人は地続きになる都市へ向かっていく。
異史帝都アルメール 大聖堂
玄海が立ち上がる。衣装を新調したメイヴが玉座に座っており、両者は視線を合わせる。
「女王よ。ここはわえが行こう。わぬしは、己の望み通りに行け」
「ねえ、玄海。アンタは二度目の生で、何がしたかったの?」
「わえか?わえはな……単にわぬしと共に居りたかっただけよ」
「アタシと?目の付け所は流石と言わせて貰うけど、アンタ確か、蟲にしか勃たないんじゃないの?」
「いやいや、そういう意味ではない。わえはわぬしの傍に居るのがことのほか気に入ってな。不知火を失ったわえは、わぬしと共にあるが道理よ」
「ふん……なら、勝手になさい。アタシは感謝なんてしないわよ?」
「よい。これはわえの自己満足。わぬしに恩を背負《しょ》わすつもりなど毛頭ない」
「ふーん……」
メイヴが立ち上がる。
「じゃあ、これが今生のお別れね」
そして歩み寄り、玄海に軽く口づけをする。
「女王……?」
「親愛なる友へアタシからのプレゼントよ。それともう一つだけ、女王に無礼を働く権利をあげるわ。アタシをちゃんと名前で呼びなさい?」
玄海はため息混じりに笑う。
「くふふ、やはりわぬしは面白いな。いいだろう……」
玄海は深呼吸をし、メイヴを見つめる。
「メイヴ。わえはわぬしと出会えて、本当に良かった。不知火に並び立つ、真の友だ」
「アタシもアンタに感謝してるわ。バロンほどとは言わないけど、アンタも……素晴らしい男だった」
メイヴは踵を返す。
「じゃあね」
そしてそのまま立ち去った。
程無くして、大聖堂にバロンとエリアルが立ち入ってくる。
「……玄海か」
バロンの言葉で、玄海は振り返る。
「貴殿は一度見た敵の姿を忘れるのか?」
「……まさかな。そんな能力があるなら、寧ろ使ってみたいところだが」
「さて……」
玄海は右目を見開く。蒼玉が光を放つ。
「貴殿らの絆、あの程度では絶てぬか。それも道理よ……原初世界の戦いでよく思い知ったが、高められたシフルの力は、精神や因果に関わるあらゆる妨害を無力化する。身体の自由を物理的に奪おうとしても、抵抗する精神を制御しながら拘束し続けるのは至難の業だ」
「……なるほどな。目の力を、全て自分の身体に回したのか」
「その通りだ。さあ構えよ宙核!天に佇む空亡に目通り願いたくば、わえを倒して行くがいい!」
玄海は肩に佩いた刀の柄を食んで抜刀する。
「……行くぞ」
バロンは拳を構え、光速で距離を詰める。玄海は寸前で見切り、一瞬に内に重ねられた拳を刀で打ち返し、身を翻して刀を振り下ろし、バロンの左前腕とぶつかり合う。
「……鋭いな。これも忍の技……と言ったところか?」
「まだまだこんなものではない」
玄海は残像を残しつつ後方に飛び下がり、牽制に尾を薙ぐ。バロンは掴もうと構えるが、尾は腕に巻き付き、玄海はそれで引き戻りつつ凄まじい速度で刀を振るい、剣線を連ねる。攻撃の寸前で尾を離すことで玄海はリスクヘッジし、バロンはすぐに攻撃の手立てを練り直して剣線を全て弾き、玄海が逃げるほんの僅かな隙間に撃掌を捩じ込み、彼を吹き飛ばす。
玄海は軽やかに受け身を取る。
「女王よ、わえに力を……!」
玄海が力むと、その表皮を破って光沢のある装甲のようなものが露になる。
「……蟲か」
「わえには皆がついている」
尾が張り裂け、巨大な牙のついた百足となる。玄海は尾で薙ぎ払う。威力の増した一振に、バロンは拳で弾き返し、瞬時に距離を詰める。玄海はスピードはそのままに、蟲による防御に任せて攻撃に専念する。それでもバロンは刀を往なしつつ、玄海に攻撃を加えていく。強烈な衝撃で皮膚が弾け飛ぶ度に蟲が露となり、僅かながらに傷ついていく。隙を見て食らいついた百足が、バロンの拳に弾き返されて千切れ、それで大きく仰け反ったところへ即座に二連打が飛び、一撃目で刀が折られ、二撃目で右前足が吹き飛ぶ。
「あぐ……」
玄海が倒れると、バロンは止めとばかりに闘気を集中させた拳を放ち、玄海が右目を全開にして威力を弱め、立ち上がる。
「……」
「ここまで力の差が歴然としているとはな……」
玄海は呆れたように笑う。
「もうこの力を使わねばならぬと思うと、少々名残惜しくも感じるが……元より無いも同然の命ならば、いつ捨てようと同じことよ」
右目の蒼玉から光が放たれ、九竜の刻印が浮かぶ。
「不死の竜神よ。我が本懐を遂げし魂を糧に、燦然たる世界に旅出への祝福を!出でよ、深淵!」
玄海の体を包み込み、莫大な闇が溢れ出す。瞬く間に大聖堂の天井を破壊した闇は、程無くして竜の姿を成す。
「時の流れとはいと疾きものよ。迅雷がよく言っていることだが、毎度合点がゆくものだな」
「……深淵……いや、ウル・レコン・バスクと呼んだ方がいいか?」
「好きにせよ。そもそも我ら九真竜、名などどうでもいい。我らが成すは依代の願いに添うこと。それ以外にない」
バロンは頷く。
「……エリアル」
「ええ、わかってるわ」
エリアルが並び、二人は手を握る。光に包まれ、瑠璃色の竜人が現れる。〝玉鋼〟だ。
「……押し通る」
「来い」
深淵の周囲に闇が集まり、絶大なエネルギーへと変わっていく。
「不死を求める心は素晴らしい。そして、不死の全てを知るものよ」
凄まじい闇が深淵から放たれ、黄昏すら飲み干さんばかりに荒れ狂う。
「〈不死なる者よ、終焉の恐怖に打ち震えよ〉!」
絶望的なまでの闇の波濤が全てを飲み込んでいくが、玉鋼はその最中を貫いて深淵を殴打し、吹き飛ばす。闇で構成された体が波打ち、深淵は体勢を立て直す。
「我らの体に触れるか……宙核、汝は記憶を」
「……そうだ。これまでの全ての記憶を、アウルに戻された。メビウス事件の時は、この世界の僕の記憶と完全には混じり合えなかったが……エリアルのお陰で、全ては一つになった」
玉鋼は両腕に閃光を纏わせて拳を放ち、闇を巧みに操って防御する深淵へ届く度に爆裂し、猛烈な攻防を表す。
「真如の光……無明の闇に対する、人間が産み出した輝きか……」
「……そうだ。これは僕たちが、前に進むための道しるべだ」
深淵が口から闇を光線状にして吐き出し、それが闇の炎に変わって炸裂する。重い動作から放たれた故に容易に回避し、玉鋼は容赦なく怒涛の連打をぶつけていく。互いに殆ど負傷した様子はなく、互いに与えた傷が瞬時に完治しては、即死級の攻撃を重ねていく。
「いたずらに戦いを長引かせるのも、戦いの興が醒めるものだな」
「……」
「もう一度行こう」
深淵は大振りな動作から闇を集め出す。
「結構。ここで終わらせよう」
そして再び、闇の波濤が解き放たれる。玉鋼は真正面から闇を突き抜け、両腕を深淵の胸部に突き立てる。そこから爆発的な閃光が迸り、深淵の体の大半を消し飛ばす。
玉鋼は空中で翻り、竜化を解きつつ二人は着地する。
「……終わりだ、深淵」
「そうか。短いものだな。では、我は一足先に帰るとしよう」
深淵は特に悔しそうな態度も何も無く、知り合いと駄弁った後のような爽やかさで消え去った。
「九竜……って、やっぱ自然の権化なだけあってあっさりしてるわね」
エリアルが呟く。
「……僕たちも似たようなものだろう。よほど硬い覚悟、決意が無いのなら、僕たちのようにある種装置のような感覚でなければここまで来ようとは思うまい」
「ま、私たちには全部あるけど……ってね」
「……その通りだ」
二人は砕けた大聖堂の天井から空を見る。
「だいぶ近づいたわね」
「……もう間もなく、と言ったところか。行こう」
二人は大聖堂を後にした。
異史帝都アルメール 廃工場
大聖堂を抜けて先へ進むと、崖の上から廃工場が見えた。
「……」
崖からは巨大なタンクの屋上に繋がるよう瓦礫が繋げられており、いかにも何者かが待ち構えている、といった風だった。
「目的を優先するなら、無視が一番だと思うけど?」
そう言ったエリアルはタンクに佇む影を見据える。
「……ああ。奴は九竜を宿していない。だが……」
バロンは瓦礫の上を歩き出す。
「……決着を預けている」
「ふふっ、そう言うと思ってた」
エリアルもその後をついていく。タンクへ辿り着くと、黄昏の逆光で黒く染まっていた影に、輪郭が浮かぶ。
「……パラワン。決着をつけに来た」
バロンが歩を止めると、パラワンはマチェーテを抜く。
「言葉は要らぬ。ただ死合うぞ!」
「待て!」
予想外の声に、その場にいた全員が聞こえた方へ向く。細めの尖塔の上に立っていたのは、パラワンに似た人型の機甲虫だった。
「グランディス……」
パラワンが徐に口にすると、グランディスは飛び上がり、バロンとパラワンの間に立つ。
「バロン。パラワン殿との決着を、私に預けてくれないか」
「……何……」
グランディスの背から何かを感じ取ったのか、バロンは一歩引く。
「何のつもりだ、グランディス」
「君とバロンが戦えば、間違いなく君が死ぬ。それは、自分で一番わかっているはずだ」
「……」
「我々と彼との実力の差は、埋められるものではない。彼は戦士と言う姿を捨て、もはや自然の猛威そのものだ」
「何が言いたい」
「私は一度、君と手合わせしたいと思っていたんだ。我々はあの世界で生まれてからずっと味方だっただろう?同じムスペルヘイムの二大巨頭、剛顎隊と鉄騎隊を率いていた者同士、どちらが優れているか……」
「ふん、なるほどな。まさか貴様にそこまで熱い意志があったとはな……」
パラワンはグランディス越しにマチェーテの切っ先をバロンに向ける。
「先に行け、バロン。グランディスからの勝ちを以て、私は貴様に勝ったことにする」
「……武運を祈る。行こう、エリアル」
二人はパラワンたちの横を抜け、走り去る。
「日が沈むまでの短い時間で、果たして決着がつくかな?」
グランディスがにこやかにそう言うと、パラワンが鼻で笑う。
「貴様など、瞬時に切り捌いてくれるわ」
両者が得物を構え、そしてパラワンの刃の閃きを合図に、二人の戦いが始まった。
三千世界 古代の城
最後に辿り着いたのは、古代の城のムスペルヘイム側に位置する区画……の残骸だった。エレベーターシャフトが吹き飛んでおり、それ以外は屋上にあたる場所だけが残っている。
「……」
バロンが身構える。そこに居たのは、非常に大柄であるバロンを越える偉丈夫……即ち、バンギだった。
「……バンギ。まさかまた会うことになるとは」
「それは我とて思うたことよ。だが我らにとって、命の使い方など一つしかあるまい」
バンギは豪奢な鎧に身を包んでいたが、マントを脱ぎ捨て、それが黄昏に消えていく。
「汝《うぬ》と戦い、そして勝つ。そのために二度目の生を受けたのだ」
「……応えよう。僕は貴方を倒し……この先へ進む!」
両者が拳を構える。エリアルが一歩引き、バンギの筋肉が僅かな動きを見せたのを合図に一気に距離を詰める。
バンギが先手を打って右拳を放つ。バロンが同じように右拳を放ち、激突しあって衝撃が起こる。
「ほう。我が剛拳と互角になりおったか!」
バンギの拳が徐々に押し、最終的に拳を往なして届かせる。
「……ハァッ!」
剛拳を胸部に受けつつも、バロンは素早く左拳で打ち返し、防御の姿勢を取らなかったバンギの肩口を浅く切り裂く。致命的な隙ではなかったものの、少なからず大振りだったのを見逃さず、バンギは左手から凄まじい光を放ち、バロンを後退させる。二人は再び距離を詰めていき、同時に拳を放つ。しかし拳速はバンギの方が上回っており、先に届く間際にバロンは加速し、バンギの腕の僅か下を、互いの皮膚が削れ合いながら進んでいく。拳先に闘気が集中しているのを察したバンギは、拳が届くより前に打たれるであろう箇所に自身の闘気を集中させる。バンギの拳がバロンの肩を通り抜け、バロンの拳がバンギの肋を叩き、闘気が爆裂する。弾けた闘気はバンギの闘気による防御を貫いて表皮を引き千切るが、その傷は瞬時に癒える。
「ふ……これほどの男と二度も戦うなど、まさに僥倖と言うものよ!」
「……同感だ」
バンギは腕を交差させ、引き戻して力む。
「新たな力を汝が手にしたのなら、我も新たな力を見せようぞ!」
上半身の鎧が吹き飛び、首筋に刻まれた九竜の痣が輝く。
「さあ九竜よ!我が力の糧となれ!」
バンギの体に輝きが満ち、柱となって立ち上る。
「極みに至りし我が力、今こそ天地を砕き、星をも喰らい尽くさん!我が名、〈巌窟〉!」
光を打ち破り、豪腕を備えた竜人が現れる。
「……九竜を顕現させずに自分の力にしたのか……!?」
「我が身を他者に託すなど愚行に他ならぬ。あくまでも我が肉体で、汝を討つ」
「……なるほどな。ならば僕は、共に進む者として貴方を倒そう」
その言葉を言い終えると同時に、エリアルがバロンに並ぶ。
「私たちの力、見せてあげるわ」
「……竜化!」
二人は手を握り、光に包まれる。光を打ち破って玉鋼となり、巌窟と相対する。
「我が魂の猛りのままに、汝と戦わん!」
巌窟が放つ拳は、空を切り裂く轟音と共に振られる。玉鋼が右腕で防御しつつ闘気を炸裂させ、左手を振るって斬撃を与えるが巌窟は怯まず拳を振り下ろし、玉鋼の表皮と削り合って凄まじい火花を散らす。玉鋼は身を翻しつつ左蹴りを狙い、それを迎撃しようと左足を振ると、テイクバックを取らずに蹴りの軌道が変わり、即座に反応して退いた巌窟の胸部を薄く切り裂く。玉鋼はそのまま獣のように飛び込み、虚を衝かれたが難なく対応する巌窟と無防備に打ち合う。
「ふん、あの世界では互いの闘気を抑えねば勝敗がつかなかったが……」
「……今は、全ての業を以て戦っている」
「フハハハハハ!」
強烈な右拳が巌窟の肩を叩き、返しの巌窟の右拳を左前腕で受け止め、右拳が再び胸部を叩く。しかし怯まず巌窟も拳を振り下ろし、玉鋼も怯まず強烈な拳圧で巌窟を大いに仰け反らせ、爆裂した闘気で後退させる。
「これが我と、汝の生き方の違いか……」
「……」
巌窟は背筋を伸ばし、がっちりと地面を両足で捉える。
「よかろう!」
そして全身から、呆れるほど闘気を漲らせる。
「これが我らの最後の会瀬よ!」
「……ああ!」
玉鋼もそれに応え、闘気を放ちつつ二人は近づき、左拳から攻撃し、両者の渾身の右拳が構えられる。
「ぬりゃああああああッ!」
「……ハァァァァァァッ!」
激突し合った拳が、凄まじい閃光を迸らせる。巌窟の拳が砕け、右腕を粉砕しながら玉鋼の拳が巌窟の胴体を貫く。
「ぐふぁぁっ!」
巌窟が拳を構え、放とうとした瞬間に、全身からシフルを霧のように発して後ろへ崩れる。倒れる寸前で膝をつき、玉鋼を見る。
「己の認めた強者に打ち破られる……敗北とは、存外に心地よいものよ」
「……バンギ」
巌窟は立ち上がる。
「もはや悔いはない。我は我が誇りを胸に抱いて、天に還るとしよう」
巌窟は自分の右腕を掲げ、全ての闘気を放出して絶命する。力を失った肉体は、程無くして塵となった。
「……」
玉鋼は竜化を解き、二人に戻る。
「……誇らしき人よ、安らかに眠れ」
「今までの誰よりも凄まじい覇気だったわ。正しく、覇王と呼ぶに相応しい」
バロンが歩を進め、エリアルがそれに従う。
「……行こう。結末を迎えに」
「ええ。次の世界を作り出すために」
「……!」
エリアルが目を覚ますと、そこは球状の水の内部だった。水は酸性が強く、発泡している。彼女は一先ず、泳いで水面に顔を出す。
周囲を確認すると、空は不気味なほど美しい黄昏に包まれており、所々にフォルメタリア鋼製の巨大な鉄板が浮遊している。
「これは……まさか、超複合新界……!じゃあ」
直ぐ様真上を見る。
「やっぱり操核がある!早くバロンを見つけてあそこに行かないと……!」
エリアルは水面から飛び出し、一番近場にある鉄板に着地する。駆け出し、鉄板を乗り継ぎつつ巨大な浮島に到着する。浮島の地表にはChaos社のものらしきビルがいくつも突き刺さっており、森林の様相を呈していた。瓦礫の隙間を抜けると、何者かの気配を感じてエリアルは物陰に隠れる。
「……」
気配の方の様子を窺うと、倒れたバロンに手当てをするメイヴと、傍で佇む玄海が見えた。
「(玄海……!?どうしてこの世界に……それにメイヴまで……)」
エリアルの視線が余りにも熱烈だったからか、玄海が微笑みを浮かべてそちらを向く。
「蒼の神子よ。わえは貴殿の気配に気付いておるぞ。出てこい」
観念してエリアルが姿を現すと、メイヴも立ち上がって視線を向ける。
「アウルといい、最近は昔馴染みによく会うわね」
メイヴが口角を上げ、懐から青い宝玉を取り出して玄海へ投げ渡す。玄海はそれを器用に右の眼窩で受け、嵌め込む。
「わえたちは、あの時果たせなかった宿命を果たしに来た」
「ま、アタシは始源世界での恨みもあるけど」
エリアルは警戒して杖を構える。
「バロンに何をしてたの」
メイヴが肩を竦める。
「何って、見ればわかるでしょ。アタシ専用の竿のメンテよ」
玄海が続く。
「貴殿がついていながら、この男がこれほどの傷を負うとはな。二度は助けぬ。再び彼が一人で倒れていれば、迷わずわえらの手駒にさせてもらう」
メイヴが玄海の背に跨がる。
「んじゃ、そういうことで」
「ちょっと待ってよ!まだ何も本題に触れてないじゃない!」
「どうせ操核を目指してるんでしょ?なら、アタシたちとはいずれ巡り会うことになる」
そのまま、玄海は駆け出して飛び去る。エリアルはバロンに駆け寄り、その上体を起こす。
「バロン、しっかりして!」
「……う……く……エリアルか……?」
「大丈夫……?」
「……ああ、なんとか。今……世界は……どうなっている……?」
「かなり不味い状況よ……創世天門が起動してるみたい。早くしないと、取り返しのつかないことになるわ」
「……わかった……!」
さしもの強靭な肉体でも堪えるのか、バロンはエリアルに支えられてようやく立ち上がる。
「アグニに、随分と派手にやられたわね……」
「……ああ。正直、僕も奴を甘く見ていたところはあった」
二人は寄り添いつつ進む。
「……今更あいつに負けるわけがないと、慢心していたんだ。だが……運がいいのか悪いのか、創世天門が開いて止めの一撃を逃れることが出来た」
「ええ。完全に消滅さえしなければ、挑み直せるわ。今度こそ、奴から勝ちを奪いましょ」
「……ああ。世界のためにも、君のためにも、僕のためにも……もう負けるわけにはいかない……」
しばらく瓦礫の森を進んでいくと、瓦礫の狭間から黒い煙を放つスペラ・ベルムが降下してくる。
「……これは」
「ロシア支部の土木作業機械、スペラ・ベルムね」
「……下がっててくれ、エリアル」
「でも……」
スペラ・ベルムが持っていたカトラスを振り下ろし、それをバロンが片腕で防ぐ。
「……僕は戦える。この体が千々に砕けようと、戦い続ける義務がある」
エリアルは頷いて飛び退き、バロンはカトラスを押し返し、スペラ・ベルムの右腕に両腕で螺旋状の闘気を纏わせ、一気に捻れさせて千切り飛ばす。続けて指先から闘気を放ってスペラ・ベルムを空中に浮かせ、拳の連打を叩き込んで吹き飛ばす。
見るも無惨に叩きのめされたスペラ・ベルムは岩のような質感の黒い苔を破損した部位を補うように爆発的に増殖させる。
「……これはE-ウィルスの嚢胞!こんなタイプのスペラ・ベルムは見たこともないぞ……」
「玄海やメイヴが甦っていたことを考えると、来須支部長かグラナディアが甦っていても不思議じゃないわ。そうだとしたら、彼女が改良を加えたのかも……」
バロンは油断せず、鋭い指線を放って苔の腕を細切れにし、続けて暴力的なまでの闘気を叩き込む。瓦礫の森を突き抜けてスペラ・ベルムは世界の端へ落下し、程無くして無明の闇に溶ける。
「……事態はネブラたちと戦っていた時よりも悪化しているようだな」
「そうね……メビウス化のせいで、こちらの戦力もかなり削られているし……」
「……僕たちもそろそろ、今まで見て見ぬふりをしてきたことと向かい合う時なのかもしれない……」
「それってどういう……」
バロンは振り向く。
「……君と僕が愛し合うために犠牲にしてきたものたちと、ケリをつけるということだ」
「……」
「……僕たちは、呆れる程の長い時間を共に過ごし、幾度となく愛し合った。そしてそれが図るとも、図らずとも、多くの人々を犠牲にしたんだ」
「わかってるわ」
「……まあ、いい。アウルとの戦いで、僕も少々掻き乱されたようだ。先へ進もう」
二人は再び瓦礫の森を進み、飛び石のように浮遊する岩を飛び継いで、直立しているビルに乗る。
ジオグラフタワー
屋上には無明の闇が所々に残されており、更に床に無数の切創が刻まれていた。
「……何者かが争った形跡があるな。少々時間が経っているようだが」
バロンは切創に触れる。
「ここは福岡にあるジオグラフタワーみたいね。無明の闇が残っているということは、アルヴァナの勢力が絡んでるのは間違いないだろうけど」
エリアルの言葉に、バロンが立ち上がり、続く。
「……福岡ならば、母さんの仕業だろう。メビウス事件の折に、明人が助力を求めたとしても不思議ではない」
「これといってめぼしいものは無さそうね……」
「……そうだな」
二人が前へ視線を向けると、しばらく岩場は無かった。
「……先に進み続ける他ないか」
バロンが流体金属の足場を産み出し、エリアルを抱き上げて、足場を強く踏み込んで空中へ飛ぶ。
三千世界 空中
「……しかし、ネブラの事前の準備は相当なものだったはずだ。ならばなぜ、まだ彼の望む新世界は姿を現さない」
バロンが鉄板を乗り継ぎつつ黄昏の中を駆けていく。
「それは私も思ってたわ。勝ちを確信したからと言って相手を泳がすような不用心な真似はしなさそうだし」
「……他の誰かの計画の一部だったと考えるのが妥当か。如何にもアルヴァナがやりそうな手だが……」
「アルヴァナがやらないっていうのは理由があるわ」
「……というと」
「操核にはバロンが入る必要があるの。アルヴァナが手を加えているのなら、クロザキを使えば済む話じゃない?」
「……確かにそうだな。とすると……」
三千世界 反重力食料基地
バロンが着地したのは逆さになった非常に巨大な管の底部だった。
「……とすると、ラータか」
エリアルがバロンから降りる。
「恐らくはね。……。隠してたことがあるんだけど、言っていい?」
バロンはその言葉に身構えるが、頷く。
「アルバは、自分の未来に帰れていないわ。あの戦いの後、セレナが使った帰還用の次元門をモニタリングしてたんだけど、何者かの妨害を受けて本来の道筋を大きく外れてしまっていた」
「……ラータがアルバと接触するためにか……?」
「ええ。その可能性は大いにあるわ。セレナを狙わずに、アルバだけを狙うのは、そちらの方が強大だから。それを知っているのは、あの一家を覆う負の連鎖を理解している存在だけ」
「……なるほどな……」
二人が足を踏み出す。
「バロン」
「……ああ」
眼前からは大量の機甲虫たちがこちらに向かって飛翔してくるのが確認でき、更に上空からは蛆の涌いたプレタモリオンと黒い煙を放つスペラ・ベルムの大群が降下してきていた。
「……傷の経過を見るには丁度いいだろう」
バロンが闘気を放ち、腕を振るう。それだけで頭上の大群は吹き飛ばされ、黄昏へ落ちていく。
「……行くぞエリアル」
エリアルはバロンへ駆け寄り、バロンはそのまま彼女を抱き上げて機甲虫の群れへ飛ぶ。彼らの背を乗り継ぎつつ殲滅し、次の浮遊大地へ到達する。
三千世界 氷竜の骨
凍土に着地したバロンは、この浮遊大地がかなり長く繋がっていることを確認する。
「……」
同時に、先程往なした群れよりも多くの機甲虫たちの姿と、なおも降下し続けるプレタモリオン、スペラ・ベルムの姿を捉える。
「……メビウス事件の時、アウルの手によって永久凍土は全て融けたと思っていたが……」
「三千世界にはどの時代のどの世界の欠片が流れてくるかわからないわ。事件より前か、並行世界のどこかから来たんでしょ」
「……一先ず、あそこへ向かおう」
二人の視線の先には、見慣れた古代の城があった。バロンは駆け出し、エリアルを抱えたまま片腕で機甲虫たちを一瞬で消し飛ばしていく。
三千世界 ガルガンチュア
多少の討ち漏らしはあったものの、なぜか機甲虫たちはバロンたちがガルガンチュアに入った時点で追撃を止め、空気を読まずに突貫してくるプレタモリオンたちの相手をし始める。
バロンはエリアルを降ろし、二人は城内を歩き始める。
「そう言えば、ここって正面から入ったことしかないから恨めんがどんな構造なのか知らないわね」
「……そうだな。今にして思えば、あの世界は随分と奇妙な構造だった。機械的に仕切られた長方形の大地が三つ連続しているだけの世界……」
二人の会話を、もう一人の声が遮る。
「愉快な話だ。この世界を作ったのは貴様たちだろう?」
眼前には、見慣れぬ人型の機甲虫が立っていた。
「……お前は」
「貴様との戦いで、死を知ったものだ」
「……パラワンか。だが、なぜ。お前は僕と戦い、溶岩に飲まれたはずだ」
「生者が永遠に死なない世界があるのだ、死者が蘇るのなど造作もないはずだ」
パラワンは腰に佩いた刃渡りの長いマチェーテを引き抜き、バロンへ向ける。
「バロン、我らが望むのが何か知っているか」
「……戦い」
「その通りだ。鮮血に塗れ続ける、それが我らの生きる道だろう、バロン。決してその女と愛を育み続けることが、正解ではないはずだ」
「……僕はそのどちらも僕にとって必要なものだと断じる」
「貴様は甘い男だ。そう言うと、思っていたぞ」
パラワンはマチェーテを納め、背を向ける。
「ついてこい」
歩を進めたパラワンに、二人はついていく。
三千世界 古代の城
古代の城の中腹、パラミナに面する区画に到達すると、パラミナは立ち止まって向き直る。
「ここで貴様に決闘を申し込む。この世界が終わる前にな」
「……わかった。断る理由はない」
「メイヴとかいう女が言うには、貴様はあのアグニに一度敗れているようだな。まあ貴様が誰に負けたかなどどうでもいい。貴様が私に敗れたか、それが重要だ」
「……メイヴ、か」
「貴様は性も種族も関係なく、全ての存在から愛される、敬意を表される。私とて例外ではない。貴様は戦士として、誰よりも素晴らしい。陛下と並ぶ、至上の存在だ」
「……」
パラワンは二本のマチェーテを抜く。
「手を出すなよ、神子。貴様に興味などない」
「……下がっていてくれ、エリアル」
バロンが拳を構える。
「行くぞ、バロン!」
パラワンの総身から暗黒闘気が溢れ、マチェーテの刀身には輝く闘気が乗る。凄まじい速度で突進し、マチェーテを振り下ろす。鋼の防壁が往なすが、産み出された真空刃が防壁を通り抜けて斬撃がバロンへ叩き込まれる。瞬間防壁を手元に戻し、剛拳が信じられないほどの速度で放たれ、マチェーテの切り返しと交差して、互いに寸前で致命傷を躱す。
「あの時とはまるで違う……技が洗練され、僅かな隙もない」
両者は示し合わせたようにすんなりと距離を取り、パラワンは大きく翻りながらマチェーテを振り下ろす。大振りであり、踏み込みも甘いその攻撃の本質を理解し、バロンは飛び上がりつつ距離を詰める。バロンが居た場所には凄まじい量の真空刃が巻き起こり、パラワンはバロンの挙動に適応してマチェーテを振る。鋭く明確に切っ先で捉えようとした斬撃だったが、バロンは前腕に鋼を纏わせてマチェーテと激しい火花を散らし、大上段から蹴り降ろしてパラワンを後退させ、逃さず拳の連打を叩き込んで吹き飛ばす。更に彼が体勢を立て直す前に顔面に追撃の拳が打ち込まれてパラワンが地面を転がり、マチェーテが地面に突き刺さる。
「ぐ……やるな、だがまだだ!」
パラワンが立ち上がり、マチェーテを握ろうとすると、両者の間にメイヴが着地する。
「おっとパラワン。誰のお陰でその体が保たれているかわかってる?」
「……。チッ」
メイヴの言葉に、パラワンは苦虫を噛み潰したように怪訝な表情をする。
「はい、復唱」
「母上の蟲の力で蘇りました」
「勝手に単独行動したら?」
「お仕置き二十分」
「よろしい」
メイヴはバロンへ向き直る。
「楽しんでるところ悪いけど、決着はまだよバロン」
彼女の横にするりと玄海が現れる。
「わえたちにはまだせねばならぬことがあるのでな」
メイヴが玄海の背に乗り、飛び立つ。
「下らん……」
パラワンはマチェーテを納める。
「バロン、今のは私の敗けではない。いいか」
そして羽を開き、玄海を追って飛び立った。
エリアルがバロンに駆け寄る。
「大丈夫?」
「……ああ。パラワンはメイヴのことを母上と呼んでいたが……奴に関することで蟲と言えば……」
「大仏殿の話?」
「……そうだ。結局、奴が産んだ蟲と相対することはなかった。パラワンが蘇っているのは、奴の蟲が原因なのだろうな」
「普通あれだけの目に遭ったらトラウマになりそうなものだけど……やっぱ飛んでるわね」
「……ともかくだ。先に進めるようにはなった。行こう」
二人は古代の城を後にする。
三千世界 グランシデア大橋
凍土を抜けると、長い石造りの橋が現れる。そこにまたもや空から何かが落下してくる。それは無数の腕が生えた双頭の怪物で、まさに異形と呼ぶに相応しい造形をしていた。
「……」
「……」
二人はその異形をまじまじと見つめる。異形はじたばたと暴れ、程無く無数の腕の中でも頑強な四肢で立つ。
「おにいちゃああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!」
余りにもおぞましい絶叫が轟き、空間を歪めんばかりに震わせる。
「……これは?」
「さあ……?思念の集合体みたいに感じるけど、もう誰が骨子なのかわからないぐらい混濁してるわね」
異形は無数の腕をバロンに向けて伸ばす。
「……邪魔だ」
全身から闘気を放ったバロンに、腕は触れることも出来ずに焼き尽くされる。そのまま強烈な闘気の奔流に飲まれて異形は消し炭になった。
「なんだったの、あれ」
「……わからん」
二人は大橋を渡る。
三千世界 アレフ城塞跡
半壊し、所々に流体金属が流れた形跡のある城塞の跡地へ到着する。城塞を構成する建材は多く水分を吸収しており、流体金属もろとも酷く酸化していた。
「……これは……今の僕たちがいた世界のアレフ城塞か」
「そうね。ゾルグが用意した伏兵を仕留めたバロンの流体金属と、アウルが融かした凍土の水が反応してるみたい」
崩れた城塞の合間から、白い鎧の骸骨騎士が現れる。ホワイトライダーだ。彼は一人の赤子を抱いており、眼窩から朗らかな光を放つ。
「星の赤子は、時の奇跡に祝福され、その血の呪いから解き放たれる」
ホワイトライダーは存外に赤子の扱いが上手なのか、彼の懐は安泰だった。
「子供というのはいいものだ。次代に生まれる魂は、より鋭く、より綿密な殺意を以て、自然に牙を剥くものだからな」
「……何用だ、ホワイトライダー」
「俺がお前たちの前に来る理由なんてただ一つだろ?我が王に命じられた以外に無いって知ってるはずだぜ」
「……その子は」
「ん?こいつか?こいつはまぁ……次の世界のお楽しみだ」
ホワイトライダーの手元から赤子は光になって消える。
「事を致すってのはまぁ、ペイルの野郎なら興奮するんだろうが、普通は単なる遺伝子を残すための作業だ。だが俺たちが人間に望む生殖ってのはそうじゃねえ。我が王に突き立てる牙を、より研ぎ澄ますための儀式だ、そうだろう?」
「……さあな」
「まあお前らの事だ。何もない日はどうせ一日中ヤッてんだろ?お前らが産んだ、〝人間〟としての子供であるシエルは、ついさっき死んじまったがな」
「……」
「この世界のお前はあんまり実感はないかもしれんがな。ま……子供の頃に死のうが、老いて死のうが、俺たちにとっちゃ価値は同じだ」
「……さっきから高説痛み入るが……お前の王の命令は、僕たちの前に現れて保健の授業をすることか?」
「そういうんじゃねえよ。ただ、お前らに子作りの重要性……はどうでもいいな。俺は好きな奴とか出来たことねえし」
「……」
「あー、つまり、恒例のあれだよ、あれ。ネタ切れ感半端ねえが……」
ホワイトライダーは背の弓を掴み、構える。
「お前と俺が殺し合うってこったな!」
「……なるほどな、話が早い」
バロンが拳を構える。
「この世界を越えるための鍵はお前なんでな。お前は誰よりも強い必要があるのさ」
弓から大量の光の矢が放たれる。近距離かつ直線で放たれたそれらは、矢が持つ本来の破壊力など当然微塵も持ち合わせていなかったが、凄絶な粒子が尾を引いて空を裂く。
「……ッ!?」
バロンの退路を潰すように放たれた矢に思わず目を見張り、ギリギリでそれらを回避し、拳を放つ。ホワイトライダーは弓で拳を滑らせて往なし、反撃気味に矢をつがえる。しかしそれより速く重ねられたバロンの拳に対応するべく、矢を光に戻して壁にし、僅かながらの時間を稼いで後退する。
「まあその様子だと、お前らの愛は全然冷めてなさそうだな。だからこそこれから起きることに意味があるんだが」
「……何を言っている」
バロンは光の矢を躱し、圧縮した闘気を込めてアッパーを与え、弾けた闘気でホワイトライダーの鎧が一部破壊される。更に上から振り下ろされた斧のような一撃が防御に使った弓をへし折り、強烈な蹴り上げと共に闘気が弾けて後退させる。
「……眼前の敵に集中せぬものなどこんなものだ」
「確かにな……だがな、正義の味方と違って、黒幕側は考えることが多いんだよ。敵との戦いに集中できることがどれだけ幸せなことか、もう少し噛み締めた方がいいぜ?」
「……来い」
「どのお前も神子以外には大概薄情だな、ったく」
ホワイトライダーは積極的に距離を取りつつ矢を乱射する。バロンは一連の動作に慣れたのか軽く躱すが、次第に死角から次々に矢が飛んできているのを察する。ホワイトライダーが放つ矢には二種類あるようで、空間に固定された一矢が続く矢を無尽蔵に反射しているのが見て取れる。
「……なるほど」
バロンは矢を全て躱しつつ、固定された矢を全て流体金属で絡めとり、破壊する。
「マジか」
一瞬で見破られたことに驚いたホワイトライダーは、続くバロンの剛拳の直撃を受けて城塞の壁に叩きつけられる。
「流石は宙核。寸分乱れぬ動作、迷いのない拳、極められた闘気、どれをとっても最強の戦士だ」
瓦礫を押し退けて立ち上がると、弓を背に戻す。
「お前の旅路が終わるとき、この世界も役目を終える。望む結末のために、お前にはもっと苦しんで、もっと強くなる必要がある」
ホワイトライダーの鎧の表面に光が走り、弾けとんで、彼は受肉して急速に質量が巨大化していく。
「我が司るは勝利の上の勝利!支配こそ、滅亡の魁なり!我が名、〝ヘヴンリードミネイト〟!」
白色の竜が顕現し、蛍光紫の翼が展開される。
「行くぞバロン!」
ヘヴンリードミネイトは虹色の障壁に覆われ、大量の光線を抽出してバロンへ注がせる。無尽蔵に降り注ぐ弾幕は、先程の矢の雨とは比べ物にならぬほど濃密で、高威力であった。バロンは黒鋼の姿となり、最小限の光線を粉砕して拳を障壁に突き刺し、溶けたガラスのように抉じ開ける。ヘヴンリードミネイトは障壁を消し、黒鋼と組み合う。
「……お前たちは……」
「俺たちか?知ってるだろ、何を今さら」
身を翻してサマーソルトをぶつけ、輝きを両手に満たして十字に切り裂く。黒鋼は鋼の盾で防ぎ、それを凝縮して槍に変えて放つ。切っ先がヘヴンリードミネイトの首筋を掠め、彼は掌底を合わせて輝きを放つ。黒鋼は脇腹を削らせながらヘヴンリードミネイトの首を鷲掴み、城塞に叩きつけ、強烈な拳を腹に叩き込む。
「おいおい、ちょっと待て……」
姿がホワイトライダーに戻り、ふらつきつつ立ち上がる。同時に黒鋼はバロンの姿に戻る。
「……死の覚悟は出来たか」
「だから待てって。確かに喧嘩をふっかけたのは俺だけどよ、お前が今追うべきはメイヴだろうが」
「……お前は、この世界であいつが何をしようとしているか知っているんだな」
「知りてえのか?」
「……情報は多い方がいい」
「我が王に許可されてないんでな。聞いておいてなんだが、教えてやれることは何もない」
どこからともなく白馬が現れ、ホワイトライダーはそれに乗る。
「俺では力不足だ。最初の浄化の前では、レッドにすら苦戦していたようだが……流石にどうにもならん。じゃあな」
白馬は黄昏を駆け、走り去った。
「……」
バロンがエリアルの方を向く。
「ね、ねえ。さっきの赤ちゃんさ……」
「……ああ。コルンツ家の気配を感じた……」
「あとさ」
「……ん?」
エリアルの言葉に、バロンは耳を傾ける。
「私たち、そんなにしてたっけ?」
「……………………ああ。最高記録は一週間ぶっ通しだ」
「わぁお。私たちって脳内下半身ね。メイヴのこと言えないわ」
「……仕方のないことだ。君が魅力的すぎるからな。まあいいが……しばらくお預けになるな。そちらの方が興奮するが」
「そうね。全部終わるまで悶々としてましょ」
二人は頷き合い、先へ進む。
三千世界 アリンガ
砂漠の浮遊大地を抜け、二人は倒壊した塔に辿り着く。
「アリンガ、ね……」
「……レッドライダーやアーヴェスと初めて会った場所だな」
入り口に差し掛かった二人の前に、青い蝶が一頭、ひらひらと舞う。
「レムリアモルフォ……って、まさか」
「……メイヴが待っている……ということか……」
二人は擂り鉢状のフロアの中央のエレベーターに乗り、上層へ向かう。
エレベーターの扉が開き、廊下に出る。最新のオフィスのような奇抜なデザインのデスクが並び、部屋の仕切りは殆どガラスで、互いの仕事の様が監視できるような仕組みだった。
「流石、Chaos社のオフィスなだけはあるわね」
「……メイヴはどこに」
青い蝶が二人を誘うように通路へ消えて行く。蝶が飛んで行く軌跡には、赤い血液が尾を引いてカーペットへ落下する。
「罠だと思うわよね」
「……仕方がない」
蝶に誘われるままに進むと、所長室と書かれた扉に辿り着く。バロンが開くと、デスクに備えられたチェアに座ったメイヴがいた。
「チャオ、アタシのバロン」
メイヴが朗らかな笑みと共に右手を振る。
「……お前のものになったつもりはない」
「でもアタシとセックスしたいって思ったことはあるでしょ?」
「……一度もない」
「ふーん。ま、いいわ。アタシ、ビッチに見せかけた清楚系ビッチに見せかけた清楚系だから」
「……どうでもいい。お前はこの世界で何をしようとしている」
「ついさっき一人産んじゃったのよね。アタシ育てるの苦手だからアルヴァナに渡したけど」
「……それがなんだ」
「アタシがこの世界でやるべきことは一つ。アタシがずっと手に入れたくて、手に入れられなかったもの……バロン。アンタを手に入れること。ただそれだけ。たったそれだけのことよ」
メイヴが少し大きめに息をする。
「アタシは始源世界の頃からアンタが欲しかった。アタシたちが感情を手に入れる前から、ずっと。だからアタシはすぐにわかったわ。アタシに最初に起こった感情が、憎しみだと」
「……」
「わかる?狙ってたの、アンタを。ずっとね。それを妹に取られて、それどころか得体の知れない学生に寝取られた気分がわかる!?」
バロンは無言で佇む。
「まあいいわ。アンタはいい意味でも悪い意味でも、良心が欠けている。アタシは良心なんてそもそも持ち合わせていないわ。自分で捨てたもの。でもアンタは違う。元々無いのよ。アンタに人間の心なんて」
「……そうか。遺言はそれでいいか。僕たちは操核に行かねばならない」
「世界のために命を懸ける。それがアンタの生きる意味だものね」
メイヴは素早く立ち上がりつつ鞭を振るって背後の壁を切り裂く。
「日の陰りを見て、日の出なのか、日の入りなのかわからなくなるときがない?」
「……何が言いたい」
「ありきたりだとは思うわ。終わりと始まりって、表裏一体じゃない?」
「……」
「始まりにこそ、終わるための鍵があるのだと、アタシは日頃から思ってるわ」
メイヴは切り裂かれた壁から去っていった。
「……なんだあいつ」
呟くバロンに、エリアルが並ぶ。
「見てよ、バロン」
彼女が指差した先に見えたのは、パラミナの首都の残骸だった。
三千世界 ムラダーラ
崩壊した首都に足を踏み入れた二人へ、倒壊した建物の屋上から声が響く。
「久しいのう、宙核よ」
赤い鎧の骸骨騎士――レッドライダーが屋上から飛び降り、二人の前に着地する。
「……さっきホワイトライダーと戦った」
「それは無論、知っておる。奴も儂も、毎度お馴染み我が王からの命令でここにおるからな」
「……次はなんだ。また戦うのか?」
「違うな。色々と回収しておるのじゃよ。次の世界で手駒になる有用な者共をな」
「……」
「儂らが当初目的としていたのはこの戦いじゃ。この後は、儂らがすることは殆どない。長きに渡ってお主らと関わってきたが、もう当分会うことはあるまい」
レッドライダーの横に、真紅の馬が現れる。
「ブラックとペイルもこの先にいるが、お主とじゃれたい奴がいるかもしれんな。儂はもう興味などないが」
彼は馬に乗る。
「では、達者でな」
そのまま、馬は彼方へ駆け出した。
「……次の手駒か……」
バロンが呟くと、エリアルが反応する。
「さっきの赤ちゃんも、そういうこと?メイヴが産んだ子がアルヴァナに渡ったのも……」
「……今考えることじゃないな。ともかく先へ進もう。黙示録の四騎士が手出しする気がないなら、本当にクロザキは動かないに違いない」
バロンはエリアルへ向く。
「……三千世界は、時間制限はあるのか」
「基本的には無いわ。時間って言う概念が無い空間だからね。でも……もし、もしよ。ラータが裏にいるんだとしたら……新たに世界を作る必要なんて無い。全て整ったら滅亡させるはずよ」
「……急ごう」
頷き合い、二人は水を吸った砂地を進んでいく。
三千世界 リベレイトタワー
砕けたフォルメタリア鋼の壁の向こうに、リベレイトタワーが聳える。歩を進め、ガラス戸の前に立つ。そこで、天空から喇八が響き渡る。
「この音は……!?」
「……バカな」
凄まじい輝きが黄昏から注ぎ、喇八を手にした法衣の骸骨が現れる。
「トランペッター……!」
二人の声がハモり、トランペッターは地上に降り立つ。
「宙核、蒼の神子。貴殿らには、ここで裁きを受けてもらおう」
エリアルが動揺する。
「裁き……って」
「自分自身が一番よくわかっているはずだが。いい頃合いだろう。貴殿は、自分の幸せのために多くを犠牲にした。それを反省する必要はないが……のらりくらりと躱していては、いつかは終わりが来る」
トランペッターが喇八を吹き鳴らす。
「さあ――結末を彩ろう」
眼前を閃光が覆い、二人は倒れる。
「……」
佇むトランペッターの後方から、メイヴが現れる。
「ねえ、アタシがバロンを貰っていっていいのよね?」
「好きにするといい。私がすべきことはもう終わった」
トランペッターは黄昏へ飛び立っていった。
「うふふ……」
メイヴは倒れたバロンへ寄り添う。その真横に、玄海が降り立つ。
「神子。約束通り、宙核は貰うぞ」
メイヴが玄海の背にバロンを乗せ、自分も乗る。
「じゃあね、エリアル。アンタのこと、ほんっと昔から大っ嫌いだったわよ」
玄海が飛び、リベレイトタワーから去る。
三千世界 異史帝都アルメール
ビルの合間を飛び抜けて行く玄海を、アルメールが電波塔の上から見ていた。
「宙核が落魄したとしても、君の望み通りにはならないだろうねえ、メイヴ。神子と同じように性欲と独占欲くらいは満たせるかもね?ま、せいぜい頑張ってくれ」
炎の軌跡だけを残して、アルメールは姿を消す。
異史帝都 行政府大聖堂
巨大な礼拝堂に玄海は辿り着き、メイヴが背から降り、玄海が尾でバロンを摘まんで床に寝かせる。
「さぁて、何からしようかしらね?」
メイヴが屈み、舌舐めずりをする。その横で、玄海がまじまじとバロンを眺める。
「遠目からは見ていたが……凄まじい肉体だな。わえのような貧弱な肉体では想像もつかん剛力を、ここから産み出しているのか」
「全くね。こんなエロい、歩く媚薬みたいなヤツを今までお預けにされてたなんて拷問だわ」
青い蝶が集まり、バロンの体を持ち上げる。
「じゃ、アタシはお楽しみしてくるから」
「わかった」
メイヴは大聖堂の奥へ去り、蝶たちはそれに従った。
「性欲というものはろくなことにならんな。母君しかり、女王しかり」
玄海はあくびをして、その場でくつろぐ。
三千世界 リベレイトタワー
「くっ……」
エリアルが意識を取り戻して立ち上がる。辺りを見回すと、バロンが居なくなった以外は変化がなかった。
「トランペッター……まさかあいつがいるなんて。バロンを早く取り返さないと」
リベレイトタワーのガラス戸を腕力で抉じ開け、内部に入る。受付に配置されていたデュプリケートは虚空を見つめたまま停止しており、アリンガと同じように奇妙な静寂に包まれていた。
「私たちが愛し合うために、犠牲にしてきたもの……」
受付奥の階段を上り、エレベーターホールに着くと、一基だけエレベーターが到着していた。エリアルはそれに乗り、最上階のボタンを押す。最上階に到着し、降りると、そこは医療エリアだった。
「まさにメディカルパレートってところね」
エリア内を奥へ歩き、廊下のガラスから外を眺める。そこからは、異史の中国の激戦区が見える。
「犠牲にしてきたもの……」
「お前の真剣な……表情は……あまり見ないな」
エリアルは声がした方に向く。そこには、ブラックライダーが立っていた。
「愚かな報いだ。因果応報とは……まさにこのこと……こちらは恨みなど無いが、我が王がそれを望む以上、動機などどうでもいい」
「アルヴァナは私とバロンを引き離して何がしたいの?」
「番として結ばれることが確定していては……感覚が麻痺するものだろう……これは恐らく、ホワイトが言ったと思うが……お前たちは……この世界を導かなければならない」
「バロンが童話のお姫様みたいにじっとしてるとは思えないけど?」
「そうだな……じっとしてはいないだろう。だが、お前たちはこれから死ぬほど……過酷な戦いに身を投じることになる……それだけ胸に刻んでおけ」
ブラックライダーはそう言うと、踵を返して去っていった。エリアルは杖を構え、石突きで窓ガラスを粉砕して外へ飛ぶ。
三千世界 大戦区域
凄まじい激戦が起こったことを物語るように、無数の無人機やChaos社、レジスタンス両陣営の装備が破損したまま道路に投げ出されている。多くのビルは遮蔽物となって半壊しており、黄昏の最中でさえ視界を灰色が占めるほど塵が煙っていた。
エリアルが着地し、杖を腰に挿す。
「玄海が飛んでいったのはかなり先の方ね……」
塵の中を無数の青い蝶が飛び回る。
「……。人の良心を失うこと、元々欠如していること……」
蝶に誘われるように、エリアルは歩を進めていく。煙は濃くなり、まともに呼吸すれば悶絶しかねないほどの塵がエリアルを包む。黄昏の中にも関わらず、視界が完全に白け、まるで神隠しにでも遭遇したかのような感覚に陥る。
「愚かで哀れな我が恋敵よ。我が下まで来よ」
強烈な突風が吹き荒れ、塵が吹き飛ばされる。
周囲を見渡すと大戦区域の一画ではあるが、霧が立ち込めて黄昏を隔てていた。エリアルが徐々に歩を進めていくと、次第にビルが復元され、別の既視感を持つ景色へ変わっていく。
――……――……――
絶海都市エウレカ 行政ビル前広場
霧が立ち込める中を進み続け、もはや見慣れたエウレカの行政ビル前に到着する。足下に多様な紋様が象られた広場の中央に、白髪の少女が立っていた。
「シマエナガ……私に復讐するチャンスってことで来たの?」
エリアルが皮肉混じりに訊ねると、彼女は首を横に振る。
「じゃあ何かしら。まさかメイヴに寝返ったとか?」
シマエナガが食い気味に言い返す。
「違います。そもそも、あなたは最初から勘違いをしている」
「勘違い?」
「私はマスター以外のことなどどうでもいい。あなたが何をしようが、メイヴがどうしようが、マスターに仕えることが、あるべき姿に戻すことが、私の役目」
「あるべき姿、ね。いかにも正解を知ってますよって態度だけど」
「マスターの正体は殆どの存在は知らないでしょうね。原初三龍ですら、ある一柱を除いて知らない」
「へえ、気になるわね」
「私が教えるとでも?元はと言えば、あなたのその狂気的な好奇心のせいで全てが狂った」
「バロンと自分を繋ぎ合わせた時点で覚悟してるつもりなんだけど。世界を作り、その輪転を支える。私は自分なりに頑張ってたつもりよ」
「随分と思い上がった神子ですね」
「お褒めの言葉ありがとう。でも、そっちも大概驕りがあるように見えるけど?どうしてバロンを自分の下に引き戻したら正しい形になると思ってるの?」
「ええ。元々あなたはマスターに相応しくない」
「ハッ。あるべき姿とか、相応しくないとか、決めつけが激しすぎるんじゃない?あんまり束縛するもんじゃないわよ」
シマエナガは杖を背から引き抜き、右手に持って構える。
「アレクシア!」
その呼び声で、天空から風を纏った長虫のような竜が急降下してくる。そしてシマエナガを守るように体を巻き、エリアルを睨む。
「あなたがマスターにしているのは洗脳となんら変わりはない。澱んだ因果はマスターに蓄積し、もはや崩壊寸前です。全てが崩れる前に、私がマスターを救う」
「いいわ。いい加減そっちのストーカーにも飽き飽きしてた頃だったし……ここで消し去ってあげる!」
エリアルが杖を構える。シマエナガも同じように構え、先手を打って杖の先から風の塊を放つ。エリアルは身を翻しつつ杖を大量に分身させ、それらの石突きから光線を放つ。アレクシアが身を捩らせて光線を弾き返し、高速でとぐろを巻いて小型の竜巻を三つ生成して飛ばす。シマエナガがアレクシアの鼻先を踏み台にして飛び上がり、天空で杖に強烈な電撃を宿して急降下する。エリアルも杖を構えて迎え撃ち、電撃が迸って杖同士が競り合う。
「すごい憎悪ね。ヒリヒリするわ」
「当然のこと」
シマエナガは自分の杖をエリアルの杖に張り付け、手放して踏みつけエリアルを地面へ飛ばすと、杖を手元に戻し、落下していくエリアルを食まんとアレクシアが突進してくる。エリアルは空中で受け身を取り、アレクシアの頭部に飛び乗って額に杖を突き刺し、腕力で強引に体の主導権を握る。アレクシアの口が開かれ、そこから怒涛のごとき激流がシマエナガに向けて放たれる。
「甘いッ!」
アレクシアの体は掻き消え、再びシマエナガの足下から召喚され、その長大な体躯が激流を弾く。しかしエリアルは既に次の手に移っており、杖を放った瞬間移動から、大量に分身させた杖をアレクシアもろともシマエナガの周囲にばらまき、即座に起爆させる。アレクシアが全身から風を解き放つことで爆発の衝撃を往なし、その影からシマエナガが風の塊で弾幕を張る。絶妙な時間差をつけて放たれる塊と共に、アレクシアが先ほど放った小竜巻が接近しては離れることを繰り返し、さらに追い討ちとして(勢いは弱めだが)正真正銘のブレスが放たれる。一撃の威力よりも命中させることを重視したこれらの多段攻撃は、エリアルには往なしきれず、数発を受けて怯んだところに全て叩き込まれ、吹き飛ばされる。杖が地面に当たって跳ね、エリアルは受け身を取りつつ杖を握りしめる。
「伊達に腐れ縁じゃないわね」
「マスターに頼りきりのあなたとは違うので。今の私なら、アウル様にも勝てる」
「それ、バロンから見た魅力度でって話?」
「その減らず口、完全に塞いで殺してあげます」
シマエナガとアレクシアが再び臨戦態勢に入る。
「(私は数の不利を巻き返せるほど強くない……けど、バロンさえ生きていれば、私は何回でも体を消し飛ばしても戦える)」
エリアルが杖を地面に突き刺し、全身に血管のように青い輝きを放つ線を通わせる。
「遂に私も腹を括る時が来たってことね」
自分に言い聞かせるように呟くと、勢いよく杖を掴む。
「上等だわ。私の覚悟ってやつを見せてやろうじゃない。行くわよシマエナガ!アレクシア!」
エリアルは勢いよく一歩踏み出し杖を投げる。フリーになった両腕に白と黒の球体を一つずつ産み出し、シマエナガたちに撃ち放つ。
「アレクシア!」
掛け声で彼の竜はシマエナガを背に乗せて全速力で球体から逃れる。白黒の球体が混じり合うと同時におぞましいほどの衝撃が巻き起こり、一瞬拡大してすぐに消滅する。球体が覆った空間は切り取られて虚空となり、杖がエリアルの手元に戻る。その隙を逃さずアレクシアが突進し、エリアルを食む。凄まじい力が押し込まれることで地面に足を削られ、靴底が急速に磨り減るが、それでもエリアルは杖をアレクシアの額に再び突き刺し、両手で彼の竜の顎を掴んで口を開かせ、再び白黒の球体を叩き込む。
「ッ……!」
咄嗟に反応したシマエナガだったが、体が追い付かず、アレクシアが体をしならせて吹き飛ばし、融合した球体がアレクシアを完全に消し飛ばす。シマエナガは受け身を取り、二人は向かい合う。
「アレクシア……」
「これで、対等になったわね」
「いいえ。それは、エラン・ヴィタールを守る二体の王龍から貰った力のはず。いくらあなたでもその力を多用すれば体が崩壊するはず」
「そう思う?」
シマエナガから見て、エリアルの肌は明らかに干魃した大地のようにひび割れている。
「ええ。純化が始まっています。常人が竜化し過ぎた時のように」
「そう。その通り。私は特別強い人間じゃないわ。世界の仕組みがよくわかってる存在なら、私が単なる常人ってことくらいわかる」
エリアルは不敵に笑う。
「ずっと隠してたのよね、これ。だって普通、獣や人間がこれだけの長時間を生きるなんてこと、有り得ないもの」
「何を……」
エリアルが右腕を勢いよく振ると、右前腕が千切れて地面に落ち、塩になって砕け散る。そして霊体のように新たな右前腕が構成され、受肉する。
「どうなって……」
「私はバロンと一蓮托生。いや、厳密にはバロンは一人でも生きていけるでしょうね。私はバロンに思われ続ける限り、永遠に存在し続ける」
「永遠の命、ですか。……。そうまでして、あなたはマスターと共にあると」
しばしの沈黙が流れ、再びシマエナガが口を開く。
「ここであなたを殺せないのなら、もう戦う意味はない」
彼女はエリアルに杖を投げ渡す。
「ですが覚えておいてください。私はマスターを諦めることはない」
突然風が吹き出し、周囲の景色が消え去っていく。
――……――……――
やがて元の大戦区域の景色に戻り、塵も消え、視界が黄昏の色に染まる。
「諦めがいいってよりは、引き際を弁えてるって方が正しいわね」
エリアルは眼前にある要塞の残骸へ向かう。
三千世界 要塞残骸グロズニィ
砕けたフォルメタリア鋼の破片を通り抜けて、動力炉の跡地に足を踏み入れる。佇んでいたパラワンが顔を上げ、二人は視線を合わす。
「二十分お仕置きされたの?」
「貴様が知る必要はない。死んで貰おう」
「メイヴが母親なんて苦労しそうね」
「だが奴が私に二度目の生を与えた存在であることに変わりはない。恩は返す主義だ」
パラワンがゆるりと二本のマチェーテを引き抜く。
「バロンには申し訳ないけど、私が引導を渡してあげるわ」
エリアルが杖を二つ、左右にそれぞれ持つ。その瞬間、体表を青い光の線が覆う。
「神子など勲章程度にしか見ていなかったが……その纏う覇気。流石はバロンの伴侶と言ったところか。行くぞ!」
パラワンが甘く踏み込み、大振りにマチェーテを振るい、エリアルは右の杖を振るって風の壁を産み出しつつ浮き上がり、真空刃を弱めつつ追尾を躱す。水を纏った左の杖を頭上から振り下ろすが、振るう速度が甘く、容易に弾き返され、素早く切り返される。エリアルはマチェーテが振るわれた地点には既に居らず、背後から右の杖から真空刃を放ち、左の杖を振るって水の刃で薙ぎ払う。パラワンの強烈な振り下ろしが水を断ち切り、エリアルの体を内蔵まで斬り捌く。瞬間、彼女は杖を両方を手放し、水を纏わせながら両手をパラワンの体に当て、飛び退く。
「バロンの猿真似をしても意味など無いぞ」
「それはどうかな?」
パラワンの腹が内部から弾け飛び、蒸気が上がる。
「ほう」
「バロンのおまけだと思って油断したわね」
「いや、違う。なんだ貴様は……」
パラワンの腹が即座に修復される。杖がエリアルの手元に戻り、二人が再び距離を詰めんとした時、遠方から急速に近寄ってくる足音に気を取られる。
「なんだ……!」
青い蝶が一頭現れ、パラワンのマチェーテの切っ先に着地する。
「ちっ、承知した、母上」
パラワンはマチェーテを納め、飛び去る。足音が間近に接近したと同時に壁が破砕され、見慣れた竜人が現れる。
「……逃がさ……ない……エリ……アルゥ……」
「バロン……」
黒鋼は明らかに正気を失っているようで、躊躇無くエリアルに拳を振り下ろす。回避するが、完璧な予測から放たれた追撃に叩き落とされ、地面に叩きつけられる。エリアルが立ち上がるより前に攻撃を重ねられ続け、その場に釘付けにされ続ける。
「……あ、あ……」
黒鋼の動きが鈍り、竜化を解く。エリアルはようやくふらつきつつ立ち上がるが、バロンはなおも距離を詰めて拳を振るう。技の精度と速度自体は落ちているが、それでもエリアルには防御が精一杯であり、杖でギリギリ弾き続ける。
「……」
「そう言えば、今までちゃんとお互いに慈しみ合いながらイチャイチャはよくしたけどさ……こうしてマジで殺し合うのは流石に初めてよね……!」
バロンの剛拳を素手で受け止める。パワー不足を補うように体表の青の輝きが増す。
「バロンと殺り合うなら……素手じゃないと失礼よね……!」
拳を押し返すが、バロンは流石と言うべきか隙の無い連打を放ち、エリアルは変わらず反射神経による寸前の防御に専心し続ける。
「……抵抗……するな……」
「なるほどね。普段は気を使ってくれてるけど、バロンって意外と強引に行きたいタイプなんだ……覚えとこ」
軽口を叩いても余裕はまるでなく、バロンの拳の一撃が余りにも重すぎるゆえに防御した際の硬直で、強制的に防御一択にさせられている。
「(流石はバロン。パワーもスピードも精密性も、全てが高水準で纏まってる……)」
エリアルは強引に姿勢を崩して防御一辺倒から逃れる。即座に追撃が放たれるが、紙一重で躱し、無謀とはわかっていても真正面から互いに正拳突きを放つ。もちろん、エリアルの腕がひしゃげ、衝撃で大きく後方に吹き飛ばされるが、それで距離を取り、杖を手元に戻し、地面に魔法陣を産み出す。
「やっぱさっきの発言ナシ!」
「……ガアアアアッ!」
バロンは瞬間、竜化し、殺意を放ちつつ距離を詰める。黒鋼が拳を放った瞬間、それに反応して魔法陣が作動し、地面をくりぬいて二人は黄昏に放り出される。
三千世界 空中
エリアルは空中に散らばる大地の破片に死に物狂いで瞬間移動し、黒鋼が一瞬だけ遅れて攻撃し、破片を粉々にする。
「(一撃でも貰えばシャングリラまで真っ逆さま。そうなったら恐らく……アルヴァナがこの世界を処分する。この世界が積み上げてきたものが全て無に還るのは、流石に作った側としては避けたいわね)」
ギリギリの攻防を繰り広げながら先へ進み続けると、浮かぶ大樹が見えた。
三千世界 クシナガラ
焼け焦げた大樹の頂上にエリアルは転がり込み、黒鋼が仕留めんと攻撃を放ちつつ着地する。エリアルが即座に飛び退くと、黒鋼が攻撃を重ねてくる。回避できずにそれを受け、縁に叩きつけられる。エリアルは全く動けないほどのダメージを受けるが、黒鋼は追撃してこず、膝をついて竜化が解ける。
「今しかない……!」
エリアルは体を全て作り替えて自分の杖を持ち、助走をつけてバロンの胸に突き刺す。
「……う……ぐ……!」
バロンはエリアルを突き飛ばし、光となってその場から飛び去る。
「はぁ……っ……」
エリアルはため息をつき、シマエナガの杖を支えに両足で立つ。
「たぶんメイヴのせいだけど……あの状態のバロンは何がどうなってるの……?」
体力の消耗に抗えず、その場に座り込む。
「私一人でこれ以上戦うのは、無理があるわね……」
意を決して、エリアルは立ち上がる。
「ま、何のために不死身になったのかって話よね。こうなったら、とことん行くわよ……!」
縁から飛び立ち、破片を飛び継いでいく。
異史帝都アルメール 大聖堂
玄海が急いで戻ってくると、下着姿のメイヴが玉座に足を組んで座っていた。
「何があったのだ、女王」
「別に」
メイヴは若干不貞腐れている。
「随分と派手に事をしていたようだが。精液と愛液の臭いがかなりキツいぞ、女王。湯浴みでもしてきたらどうだ」
「まあ、セックス自体は悪くなかったわよ?アタシでさえもうちょっとで飛びそうなくらい気持ちよかったし。でもアイツは……人間ってより、寧ろ……そういう装置みたいな。どうしてエリアルが選ばれたのか、何となくわかった気がするわ」
「名は体を表す、ということか。宙核……まさに宇宙の核というギミックだと」
「そうね、だいたいそんな感じ」
メイヴがため息をつく。
「そんなにショックを受けたのか、女王よ」
「そりゃもうショックよ。本当にね。今まで会ったどんな男よりもドスケベな竿だったわ。あんなの知ったら他のどんな男でも満足できない」
「そ、そうか……」
玄海は若干困惑しつつ、話を続ける。
「ところで、先ほど宙核と蒼の神子が交戦したようだが」
「ここから飛び出した時点でエリアルの名前をひっきりなしに言ってたし、妥当ね。あの二人なら……」
メイヴが立ち上がる。
「アタシ、湯浴みしてくるわ。最後の戦いの前に、体を完璧にしておかないと」
「承知した。入念に洗い清めるといい」
メイヴは下着姿のまま立ち去る。
「日の本に比べると貞操観念が男女ともに薄くて困るな。単純に目線に困る」
玄海はそう呟いて、その場に寛ぐ。
三千世界 要塞残骸ツェリノ
中央のホットスポット用動力装置だけが残された要塞の残骸にエリアルは着地する。装置前のコンソールに、エメルが腕を組んで腰かけていた。
「エメルも私にバロンは相応しくないとかのたまいに来たの?」
エリアルが距離を詰めつつ皮肉っぽくそう言うと、エメルは微笑みで返す。
「いえいえ。私はとってもお似合いだと思っていますよ。ずっと。そう、ずっとね。うふふ……」
相変わらずの不敵な笑みに、エリアルはやれやれとため息をつく。
「ですが、どちらかが暴走しているというのは解釈違いと言うものです。暴力的で短絡的なバロンもまた魅力的ですが、私が思うに彼の魅力は……」
エメルが呼吸する。
「妻思いで純愛で炊事家事も完璧で子供にも動物にも好かれて男女分け隔てなく友好的に接して常に冷静なのに戦闘狂でライバルとの戦いについ熱くなるけど世界を維持しなければならないという使命のためにその気持ちを圧し殺して目の前の問題に立ち向かい続けてる」
息継ぎもなしに怒涛の勢いで喋り続け、なおもそれは続く。
「すごく優しい目付きですごいいい匂いがして体も何の無駄もないし所作も丁寧でなのに逞しくて声も脳が溶けるような甘美な響きで……」
「もういい。わかったから」
エリアルに制止され、エメルはまた微笑む。あれだけ高速で喋ったにも関わらず、呼吸がまるで乱れていない。
「そうですね。実際に妻であるあなたに説明するまでもありませんでしたか」
「バロンの場所とか知らない?さっき逃げられちゃったんだけど」
「もちろん、知っていますよ。彼の居場所と、どこで何をしているかは常に把握していますから。だからこうしてあなたの前に出てきたのでしょう?」
「……。素直には教えてくれないんでしょ?」
「さっき言ったはずですよ?」
「えー……つまり、暴走状態のバロンは気に入らないから協力するって?」
エメルは頷く。
「あなたを殴るような状態のバロンは解釈違いですからね。暴力的なバロンも嫌いではありませんよ?十分魅力的です。ですがね……何か心の奥で、『これは違う!』と叫んでいるんですよ。ですので一番のファンとして、彼を殴ります」
「えっと、加減は上手なのは信頼してるけどさ……この後も戦わないといけないからほどほどに頼むわね。あと、そのホラー小説みたいな考え方は改めた方がいいと思うわよ?」
「まあまあ。私と戦わないだけでも、あなたには利益でしょう?」
「そうね……じゃあ早速、バロンのところに案内してよ」
「はぁい♪」
エメルはコンソールから立ち上がり、エリアルを横抱きにする。
「ちょっと……!」
「いつ見ても綺麗な体ですね。最終的な美しさを求めると、貧乳が最善なのかもしれませんね」
「ちょっと!同性でもセクハラよ!」
「うふふ」
エメルは助走も無しに飛び上がり、そのまま空を飛び抜けていく。
三千世界 アジュニャー
鋼鉄で出来た神殿の広場に、エメルが着地する。エリアルが降りると、眼前に立つバロンと視線が合う。バロンは胸に刺さった杖を引き抜いており、傷も癒えていた。
「……エリアル……」
バロンが口を開くと、それにエメルが反応する。
「おやおや、早速私は仲間はずれですか?」
「……邪魔だ」
光の速さになって接近し、エメルに拳を放つ。エメルはそれを半笑いで受け止める。
「無駄ですよ、私の愛しい人。私を貫くのにそんな散らかった心では、世界が何度終わろうが不可能です」
狂った速度の裏拳がバロンの顔面に叩き込まれ、受け身すらとれずに後方に激しく吹き飛ばされる。
「わーお。いくらなんでもやりすぎなんじゃ……」
「うふふ……」
エメルが歩き出すと、バロンはすぐ立ち上がって拳を構え直す。
「あら、あなたほどの傑物が怯えているんですか?」
「……」
「黙りですか?なら、気持ちが落ち着くまで何百回でも何千回でも殴って差し上げますよ」
バロンが光速で拳の連打を放つ。しかし難なく全ての拳を受け止められ、エメルの拳を振り下ろされて地面に叩きつけられる。
「……うぐ……」
「思い出しましたか?」
「……邪魔だ……!」
「やれやれ……」
エメルは俯せに倒れているバロンの背後に回り、片腕でバロンの両腕を後ろ手に回させる。
「エリアル!」
掛け声に従い、エリアルがバロンに近づき、跪く。エメルがバロンの上体を起こさせ、二人が向き合う。
「ねえ、バロン。私たち、ここでこんなことしてる場合じゃないわよね?約束したはずよ、始まりの世界で。どんなことがあっても、私たちは世界のために戦い続けるって」
「……」
バロンは黙って、エリアルから視線を外す。が、エリアルが両手でバロンの顔を挟んで自分に向けさせる。
「ちゃんと見て、私を」
有無を言わさず抱き締めると、バロンの体から力が抜けていく。エメルが拘束を解くと、バロンはエリアルに体を寄せる。
「……何と言えばいいか……その……」
口ごもるバロンを、更に強く抱き締める。
「何も言わなくていいわ。私たちは、どうあっても離れない。そうでしょ?」
エリアルがバロンを離し、手を差し伸べる。その手を取り、二人が立ち上がる。
「……君と離れるのはごめんだ」
手を離し、二人はエメルの方を向く。
「……すまな――」
「おっと。バロン、それ以上はいけませんよ?」
「……なぜだ」
「私は感謝されるようなことはしていません。単に一人のファンとしては余りにも出すぎた真似をしてしまいましたし」
「……どういうことだ?」
「どうしても私に感謝したいのなら、彼女と共に前に進み続けてください。あなたを高めるのは、私じゃない。エリアルと、アグニ。その二人だけが、あなたの覇道を共に征く者」
エメルは踵を返す。
「全てを越えた先で、私は待っています。あなたを失うことで、最強になるために」
「……わかった。お前への礼は、この拳に仕舞っておこう」
「うふふ。それでこそ、私が目指した最も偉大な人間。では、名残惜しいですが、今日はこの辺で」
エメルは空へ飛び立って、瞬く間に視界から消えた。
「……行こう、エリアル。僕たちはもう、互いの絆を疑う必要などない」
「ええ。この世界の――私たちの、結末に向かいましょう!」
二人は地続きになる都市へ向かっていく。
異史帝都アルメール 大聖堂
玄海が立ち上がる。衣装を新調したメイヴが玉座に座っており、両者は視線を合わせる。
「女王よ。ここはわえが行こう。わぬしは、己の望み通りに行け」
「ねえ、玄海。アンタは二度目の生で、何がしたかったの?」
「わえか?わえはな……単にわぬしと共に居りたかっただけよ」
「アタシと?目の付け所は流石と言わせて貰うけど、アンタ確か、蟲にしか勃たないんじゃないの?」
「いやいや、そういう意味ではない。わえはわぬしの傍に居るのがことのほか気に入ってな。不知火を失ったわえは、わぬしと共にあるが道理よ」
「ふん……なら、勝手になさい。アタシは感謝なんてしないわよ?」
「よい。これはわえの自己満足。わぬしに恩を背負《しょ》わすつもりなど毛頭ない」
「ふーん……」
メイヴが立ち上がる。
「じゃあ、これが今生のお別れね」
そして歩み寄り、玄海に軽く口づけをする。
「女王……?」
「親愛なる友へアタシからのプレゼントよ。それともう一つだけ、女王に無礼を働く権利をあげるわ。アタシをちゃんと名前で呼びなさい?」
玄海はため息混じりに笑う。
「くふふ、やはりわぬしは面白いな。いいだろう……」
玄海は深呼吸をし、メイヴを見つめる。
「メイヴ。わえはわぬしと出会えて、本当に良かった。不知火に並び立つ、真の友だ」
「アタシもアンタに感謝してるわ。バロンほどとは言わないけど、アンタも……素晴らしい男だった」
メイヴは踵を返す。
「じゃあね」
そしてそのまま立ち去った。
程無くして、大聖堂にバロンとエリアルが立ち入ってくる。
「……玄海か」
バロンの言葉で、玄海は振り返る。
「貴殿は一度見た敵の姿を忘れるのか?」
「……まさかな。そんな能力があるなら、寧ろ使ってみたいところだが」
「さて……」
玄海は右目を見開く。蒼玉が光を放つ。
「貴殿らの絆、あの程度では絶てぬか。それも道理よ……原初世界の戦いでよく思い知ったが、高められたシフルの力は、精神や因果に関わるあらゆる妨害を無力化する。身体の自由を物理的に奪おうとしても、抵抗する精神を制御しながら拘束し続けるのは至難の業だ」
「……なるほどな。目の力を、全て自分の身体に回したのか」
「その通りだ。さあ構えよ宙核!天に佇む空亡に目通り願いたくば、わえを倒して行くがいい!」
玄海は肩に佩いた刀の柄を食んで抜刀する。
「……行くぞ」
バロンは拳を構え、光速で距離を詰める。玄海は寸前で見切り、一瞬に内に重ねられた拳を刀で打ち返し、身を翻して刀を振り下ろし、バロンの左前腕とぶつかり合う。
「……鋭いな。これも忍の技……と言ったところか?」
「まだまだこんなものではない」
玄海は残像を残しつつ後方に飛び下がり、牽制に尾を薙ぐ。バロンは掴もうと構えるが、尾は腕に巻き付き、玄海はそれで引き戻りつつ凄まじい速度で刀を振るい、剣線を連ねる。攻撃の寸前で尾を離すことで玄海はリスクヘッジし、バロンはすぐに攻撃の手立てを練り直して剣線を全て弾き、玄海が逃げるほんの僅かな隙間に撃掌を捩じ込み、彼を吹き飛ばす。
玄海は軽やかに受け身を取る。
「女王よ、わえに力を……!」
玄海が力むと、その表皮を破って光沢のある装甲のようなものが露になる。
「……蟲か」
「わえには皆がついている」
尾が張り裂け、巨大な牙のついた百足となる。玄海は尾で薙ぎ払う。威力の増した一振に、バロンは拳で弾き返し、瞬時に距離を詰める。玄海はスピードはそのままに、蟲による防御に任せて攻撃に専念する。それでもバロンは刀を往なしつつ、玄海に攻撃を加えていく。強烈な衝撃で皮膚が弾け飛ぶ度に蟲が露となり、僅かながらに傷ついていく。隙を見て食らいついた百足が、バロンの拳に弾き返されて千切れ、それで大きく仰け反ったところへ即座に二連打が飛び、一撃目で刀が折られ、二撃目で右前足が吹き飛ぶ。
「あぐ……」
玄海が倒れると、バロンは止めとばかりに闘気を集中させた拳を放ち、玄海が右目を全開にして威力を弱め、立ち上がる。
「……」
「ここまで力の差が歴然としているとはな……」
玄海は呆れたように笑う。
「もうこの力を使わねばならぬと思うと、少々名残惜しくも感じるが……元より無いも同然の命ならば、いつ捨てようと同じことよ」
右目の蒼玉から光が放たれ、九竜の刻印が浮かぶ。
「不死の竜神よ。我が本懐を遂げし魂を糧に、燦然たる世界に旅出への祝福を!出でよ、深淵!」
玄海の体を包み込み、莫大な闇が溢れ出す。瞬く間に大聖堂の天井を破壊した闇は、程無くして竜の姿を成す。
「時の流れとはいと疾きものよ。迅雷がよく言っていることだが、毎度合点がゆくものだな」
「……深淵……いや、ウル・レコン・バスクと呼んだ方がいいか?」
「好きにせよ。そもそも我ら九真竜、名などどうでもいい。我らが成すは依代の願いに添うこと。それ以外にない」
バロンは頷く。
「……エリアル」
「ええ、わかってるわ」
エリアルが並び、二人は手を握る。光に包まれ、瑠璃色の竜人が現れる。〝玉鋼〟だ。
「……押し通る」
「来い」
深淵の周囲に闇が集まり、絶大なエネルギーへと変わっていく。
「不死を求める心は素晴らしい。そして、不死の全てを知るものよ」
凄まじい闇が深淵から放たれ、黄昏すら飲み干さんばかりに荒れ狂う。
「〈不死なる者よ、終焉の恐怖に打ち震えよ〉!」
絶望的なまでの闇の波濤が全てを飲み込んでいくが、玉鋼はその最中を貫いて深淵を殴打し、吹き飛ばす。闇で構成された体が波打ち、深淵は体勢を立て直す。
「我らの体に触れるか……宙核、汝は記憶を」
「……そうだ。これまでの全ての記憶を、アウルに戻された。メビウス事件の時は、この世界の僕の記憶と完全には混じり合えなかったが……エリアルのお陰で、全ては一つになった」
玉鋼は両腕に閃光を纏わせて拳を放ち、闇を巧みに操って防御する深淵へ届く度に爆裂し、猛烈な攻防を表す。
「真如の光……無明の闇に対する、人間が産み出した輝きか……」
「……そうだ。これは僕たちが、前に進むための道しるべだ」
深淵が口から闇を光線状にして吐き出し、それが闇の炎に変わって炸裂する。重い動作から放たれた故に容易に回避し、玉鋼は容赦なく怒涛の連打をぶつけていく。互いに殆ど負傷した様子はなく、互いに与えた傷が瞬時に完治しては、即死級の攻撃を重ねていく。
「いたずらに戦いを長引かせるのも、戦いの興が醒めるものだな」
「……」
「もう一度行こう」
深淵は大振りな動作から闇を集め出す。
「結構。ここで終わらせよう」
そして再び、闇の波濤が解き放たれる。玉鋼は真正面から闇を突き抜け、両腕を深淵の胸部に突き立てる。そこから爆発的な閃光が迸り、深淵の体の大半を消し飛ばす。
玉鋼は空中で翻り、竜化を解きつつ二人は着地する。
「……終わりだ、深淵」
「そうか。短いものだな。では、我は一足先に帰るとしよう」
深淵は特に悔しそうな態度も何も無く、知り合いと駄弁った後のような爽やかさで消え去った。
「九竜……って、やっぱ自然の権化なだけあってあっさりしてるわね」
エリアルが呟く。
「……僕たちも似たようなものだろう。よほど硬い覚悟、決意が無いのなら、僕たちのようにある種装置のような感覚でなければここまで来ようとは思うまい」
「ま、私たちには全部あるけど……ってね」
「……その通りだ」
二人は砕けた大聖堂の天井から空を見る。
「だいぶ近づいたわね」
「……もう間もなく、と言ったところか。行こう」
二人は大聖堂を後にした。
異史帝都アルメール 廃工場
大聖堂を抜けて先へ進むと、崖の上から廃工場が見えた。
「……」
崖からは巨大なタンクの屋上に繋がるよう瓦礫が繋げられており、いかにも何者かが待ち構えている、といった風だった。
「目的を優先するなら、無視が一番だと思うけど?」
そう言ったエリアルはタンクに佇む影を見据える。
「……ああ。奴は九竜を宿していない。だが……」
バロンは瓦礫の上を歩き出す。
「……決着を預けている」
「ふふっ、そう言うと思ってた」
エリアルもその後をついていく。タンクへ辿り着くと、黄昏の逆光で黒く染まっていた影に、輪郭が浮かぶ。
「……パラワン。決着をつけに来た」
バロンが歩を止めると、パラワンはマチェーテを抜く。
「言葉は要らぬ。ただ死合うぞ!」
「待て!」
予想外の声に、その場にいた全員が聞こえた方へ向く。細めの尖塔の上に立っていたのは、パラワンに似た人型の機甲虫だった。
「グランディス……」
パラワンが徐に口にすると、グランディスは飛び上がり、バロンとパラワンの間に立つ。
「バロン。パラワン殿との決着を、私に預けてくれないか」
「……何……」
グランディスの背から何かを感じ取ったのか、バロンは一歩引く。
「何のつもりだ、グランディス」
「君とバロンが戦えば、間違いなく君が死ぬ。それは、自分で一番わかっているはずだ」
「……」
「我々と彼との実力の差は、埋められるものではない。彼は戦士と言う姿を捨て、もはや自然の猛威そのものだ」
「何が言いたい」
「私は一度、君と手合わせしたいと思っていたんだ。我々はあの世界で生まれてからずっと味方だっただろう?同じムスペルヘイムの二大巨頭、剛顎隊と鉄騎隊を率いていた者同士、どちらが優れているか……」
「ふん、なるほどな。まさか貴様にそこまで熱い意志があったとはな……」
パラワンはグランディス越しにマチェーテの切っ先をバロンに向ける。
「先に行け、バロン。グランディスからの勝ちを以て、私は貴様に勝ったことにする」
「……武運を祈る。行こう、エリアル」
二人はパラワンたちの横を抜け、走り去る。
「日が沈むまでの短い時間で、果たして決着がつくかな?」
グランディスがにこやかにそう言うと、パラワンが鼻で笑う。
「貴様など、瞬時に切り捌いてくれるわ」
両者が得物を構え、そしてパラワンの刃の閃きを合図に、二人の戦いが始まった。
三千世界 古代の城
最後に辿り着いたのは、古代の城のムスペルヘイム側に位置する区画……の残骸だった。エレベーターシャフトが吹き飛んでおり、それ以外は屋上にあたる場所だけが残っている。
「……」
バロンが身構える。そこに居たのは、非常に大柄であるバロンを越える偉丈夫……即ち、バンギだった。
「……バンギ。まさかまた会うことになるとは」
「それは我とて思うたことよ。だが我らにとって、命の使い方など一つしかあるまい」
バンギは豪奢な鎧に身を包んでいたが、マントを脱ぎ捨て、それが黄昏に消えていく。
「汝《うぬ》と戦い、そして勝つ。そのために二度目の生を受けたのだ」
「……応えよう。僕は貴方を倒し……この先へ進む!」
両者が拳を構える。エリアルが一歩引き、バンギの筋肉が僅かな動きを見せたのを合図に一気に距離を詰める。
バンギが先手を打って右拳を放つ。バロンが同じように右拳を放ち、激突しあって衝撃が起こる。
「ほう。我が剛拳と互角になりおったか!」
バンギの拳が徐々に押し、最終的に拳を往なして届かせる。
「……ハァッ!」
剛拳を胸部に受けつつも、バロンは素早く左拳で打ち返し、防御の姿勢を取らなかったバンギの肩口を浅く切り裂く。致命的な隙ではなかったものの、少なからず大振りだったのを見逃さず、バンギは左手から凄まじい光を放ち、バロンを後退させる。二人は再び距離を詰めていき、同時に拳を放つ。しかし拳速はバンギの方が上回っており、先に届く間際にバロンは加速し、バンギの腕の僅か下を、互いの皮膚が削れ合いながら進んでいく。拳先に闘気が集中しているのを察したバンギは、拳が届くより前に打たれるであろう箇所に自身の闘気を集中させる。バンギの拳がバロンの肩を通り抜け、バロンの拳がバンギの肋を叩き、闘気が爆裂する。弾けた闘気はバンギの闘気による防御を貫いて表皮を引き千切るが、その傷は瞬時に癒える。
「ふ……これほどの男と二度も戦うなど、まさに僥倖と言うものよ!」
「……同感だ」
バンギは腕を交差させ、引き戻して力む。
「新たな力を汝が手にしたのなら、我も新たな力を見せようぞ!」
上半身の鎧が吹き飛び、首筋に刻まれた九竜の痣が輝く。
「さあ九竜よ!我が力の糧となれ!」
バンギの体に輝きが満ち、柱となって立ち上る。
「極みに至りし我が力、今こそ天地を砕き、星をも喰らい尽くさん!我が名、〈巌窟〉!」
光を打ち破り、豪腕を備えた竜人が現れる。
「……九竜を顕現させずに自分の力にしたのか……!?」
「我が身を他者に託すなど愚行に他ならぬ。あくまでも我が肉体で、汝を討つ」
「……なるほどな。ならば僕は、共に進む者として貴方を倒そう」
その言葉を言い終えると同時に、エリアルがバロンに並ぶ。
「私たちの力、見せてあげるわ」
「……竜化!」
二人は手を握り、光に包まれる。光を打ち破って玉鋼となり、巌窟と相対する。
「我が魂の猛りのままに、汝と戦わん!」
巌窟が放つ拳は、空を切り裂く轟音と共に振られる。玉鋼が右腕で防御しつつ闘気を炸裂させ、左手を振るって斬撃を与えるが巌窟は怯まず拳を振り下ろし、玉鋼の表皮と削り合って凄まじい火花を散らす。玉鋼は身を翻しつつ左蹴りを狙い、それを迎撃しようと左足を振ると、テイクバックを取らずに蹴りの軌道が変わり、即座に反応して退いた巌窟の胸部を薄く切り裂く。玉鋼はそのまま獣のように飛び込み、虚を衝かれたが難なく対応する巌窟と無防備に打ち合う。
「ふん、あの世界では互いの闘気を抑えねば勝敗がつかなかったが……」
「……今は、全ての業を以て戦っている」
「フハハハハハ!」
強烈な右拳が巌窟の肩を叩き、返しの巌窟の右拳を左前腕で受け止め、右拳が再び胸部を叩く。しかし怯まず巌窟も拳を振り下ろし、玉鋼も怯まず強烈な拳圧で巌窟を大いに仰け反らせ、爆裂した闘気で後退させる。
「これが我と、汝の生き方の違いか……」
「……」
巌窟は背筋を伸ばし、がっちりと地面を両足で捉える。
「よかろう!」
そして全身から、呆れるほど闘気を漲らせる。
「これが我らの最後の会瀬よ!」
「……ああ!」
玉鋼もそれに応え、闘気を放ちつつ二人は近づき、左拳から攻撃し、両者の渾身の右拳が構えられる。
「ぬりゃああああああッ!」
「……ハァァァァァァッ!」
激突し合った拳が、凄まじい閃光を迸らせる。巌窟の拳が砕け、右腕を粉砕しながら玉鋼の拳が巌窟の胴体を貫く。
「ぐふぁぁっ!」
巌窟が拳を構え、放とうとした瞬間に、全身からシフルを霧のように発して後ろへ崩れる。倒れる寸前で膝をつき、玉鋼を見る。
「己の認めた強者に打ち破られる……敗北とは、存外に心地よいものよ」
「……バンギ」
巌窟は立ち上がる。
「もはや悔いはない。我は我が誇りを胸に抱いて、天に還るとしよう」
巌窟は自分の右腕を掲げ、全ての闘気を放出して絶命する。力を失った肉体は、程無くして塵となった。
「……」
玉鋼は竜化を解き、二人に戻る。
「……誇らしき人よ、安らかに眠れ」
「今までの誰よりも凄まじい覇気だったわ。正しく、覇王と呼ぶに相応しい」
バロンが歩を進め、エリアルがそれに従う。
「……行こう。結末を迎えに」
「ええ。次の世界を作り出すために」
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