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三千世界・結末(10)

第一話「ボイル・オーバー」

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 滑った、生暖かい液体が頬に落ちる。
 その感覚が断続的に、無感情に起こり続ける。
 やがて少女は目覚め、シャワールームのタイルのような床に手をついて立ち上がる。
「……」
 濃厚な血の匂いが周囲に漂い、天井に添えられた白色電灯が血霞を照らして大いに不気味さを増している。
「ロータ!」
 少女の後ろから、銀髪の美青年が現れる。
「兄様……」
 少女が僅かに後退して警戒を示す。
「どうしたんだよ、いつもはそんなんじゃないだろ……」
 美青年は溶け始め、少女に襲いかかろうとする。少女は即座に反転して駆け出す。
「おぉい、おぉぉぉぉい……にげるなよぉ、おぉぉい……」
 溶けた青年は床の血溜まりから次々と現れ、少女を追いかける。
 鉄製の階段を少女が駆け上がり、その縁から飛び立つ。瞬間、強烈なフラッシュを受けて、視界が飛ぶ。

 ――……――……――
 三千世界・未来遺骸
 ロータがフラッシュを抜けると、そこは黄昏に包まれた世界だった。眼下に見えるのは近未来的な都市の破片であり、一気に急降下して広めの歩道に着地する。
「さっきのは一体……」
 制服の袖口についた血を嗅ぐと、不思議と心が落ち着くような感覚になる。ロータが正面を向いて歩き始めると、左前方にあるビルのせり出したテラスからシルルが飛び出してきて道路に着地する。
「シルル……」
「生きていたようだな」
「それは……こっちの台詞。何のために私の前に何回も現れるの」
「まだ答える時じゃない」
「まだ……?」
 ロータが怪訝な表情を見せると、シルルは身震いする。
「そうだな、一つだけ教えるとするならば、我々とお前の目的は一致している」
「コルンツの血筋を、ヴァナ・ファキナの眷属を、全て滅ぼす……」
「そうだ」
「でもそっちはChaos社の兵器のはず……杉原の配下となれば、ヴァナ・ファキナの手足も同然……」
「どう思おうが構わん。どうせお前は先へ進むだろう」
「……」
 ロータは頭上へ視線を上げる。そこに浮かぶ球体を見たあと、シルルに視線を落とす。
「もう、兄様と姉様をこの手にかけた以上、立ち止まる選択肢はない」
「それでいい。ではな」
 シルルは踵を返し、ビルを飛び継ぎながら去っていった。それと同時に、凄まじい振動が起こり、前方の地面が時計回りに回転し始める。
「これは……!」
 ロータは鎖を召喚してその上を滑り、狭まるビルの隙間を通り抜けていく。一気に上空まで飛び出ると、ロータが立っていた方の地面が反時計回り回転し、大地同士が衝突しあって砕け散っていくのが見える。
 そして彼女が前に振り返った瞬間、再び激しいフラッシュに見舞われる。
 ――……――……――

 フラッシュを抜けると、ロータはぬるついたタイルの上に着地する。変わらず血の匂いが立ち込めており、至るところに血と肉片がこびりついている。細い通路の向こうを見ると、見慣れた後ろ姿が見えた。そのレイヴンらしき人間が前に駆け出すのを見て、ロータもそれを追う。細い通路を抜けて、劇場にあるような赤に金の装飾の扉を開けると広間に出る。そして彼女を囲むように、床から次々と溶けたレイヴンが生まれてくる。
「ロォォォォタァァァァァア」
「無様ね……ヴァナ・ファキナ。私の兄様は諦めたりしない」
 ロータは溶けたレイヴンたちに見向きもせずに鎖で貫き暗黒竜闘気で消し去り、淡々と前に進んでいく。
「最初は驚いたけど……この場所が何なのかだいたい理解した」
 広間を抜けて再び通路に出ると、そこは行き止まりで、足元に水路へ降りるエアロック式のマンホールがあった。
 ロータは軽い蹴りでその分厚い蓋を蹴破り、飛び込む。
 視界の著しく悪い汚水の中を進んでいると、どこからか凄まじい唸り声が聞こえてくる。瞬間、前方を巨大な四肢を生やした魚が通りすぎる。
「……」
 ロータは泳ぐのをやめ、下方から突っ込んできた魚を片手で受け止め、そのまま身を翻して踵落としで両断する。再びロータは泳ぎ始め、壁に備え付けられていたエアロック式の扉を指で引き千切り、外へ出る。
「これは……」
 汚水と共に流れ出ると、そこは何かしらの工場の一室のようだった。コンソールの上方のガラスから見えるのは、吊るされた少女たちが延々と運ばれていく様だった。
 ロータがコンソールへ近づこうとすると、部屋の左側の扉が壁ごと吹き飛ばされ、無数の人間を混ぜ合わせて作られたような双頭の異形が現れる。
「こいつは……!」
 異形が恐るべき精確さの跳躍から素早く前脚を叩きつける。ロータは難なく躱し、鎖を一絡げにして射出し、異形を壁に衝突させる。
「メギドール!」
 全闘気と魔力を凝縮した塊を発射し、それが螺旋を描きつつ超高速で異形へ激突して超大爆発を起こし、同時にフラッシュに飲まれる。
「ちっ……!」

 ――……――……――
 三千世界・王都グランシデア
 フラッシュが収まると、ロータは中央広場の噴水に立っていた。
「逃がしたか……でも……感じた、あの禍々しさ……あの空間と、何らかの関係が……?」
 ロータは噴水から出て、側に置いてあるベンチに座る。前方の視界の中に何かが揺れて、それがシルルとなって現れる。
「随分と細かく……出てくる……」
「気にすることではない。物語の進行に必要なのは、視点人物、情景、伏線、それと、あー……伏線を徐々に解明してくれる、情報を小出しにしかしない敵だ」
「……」
「もうあの場所の目星はついたか?」
「まあ……だいたい。あれは……私の心象風景。DAAで見た、異史の激戦の中で壊れた私の心。確か名前を……淵荊白蘭」
「流石はロータ。このまま、我々がそう労せず互いの目的を果たせるよう、前に進むとしよう」
「……。まあ、結果的に全員消えれば、それで私は構わない……」
 ロータは即座にシルルに飛びかかり、その胴体を抱えて飛び退く。二人が直線上に並んでいた場所に、巨大な鎌が突き刺さる。
「シルル、まさか気付かなかった……なんて言わないわよね……」
「いや……!全く気配を感じなかった。いったい……」
 ロータがシルルを離すと、鎌の真横に靄が現れ、それが青白い鎧の骸骨騎士となる。
「ペイルライダー……!?どうしてここに……!」
 ロータが驚くと、ペイルライダーは三人の人間の死体を彼女たちの眼前に放る。それは、マイケル、ミリル、エリナの三人だった。
「な……!」
「エリナたちは処分させてもらった。仮にここで死なずとも、彼女たちは最終決戦まで耐えられぬ」
 ペイルライダーは一切のおどけを見せず、ただ淡々と告げる。
 そしてマイケルたちの死体が消える。
「悪いとは思っている。だが……君もわかっているだろうが、力不足なのを感じたまま、それをどうすることも出来ず、役に立たず死ぬよりも、早めに脱落していた方が……そうだな、物語の流れとしても自然だろう?」
「……。今更、三つ命が消えたところで咎めたりはしない。お前にミリルたちが殺されたのは、この世界を進む実力が無かったから」
「随分と面構えが変わった。そうか……レイヴンを自分の手で殺めたのは、それほどまでに……」
 ペイルライダーは少々驚いたように、骸骨の奥の光を躍らせる。
「ヴァナ・ファキナは、君という存在を産み出すために、この世に刻まれたのかもしれないな」
 彼は背を向ける。
「ついてこい。天象の鎖。光の御子は……ついてきたいのなら続け。そちらにとって有用な話はしないが」
 学園の方へ歩いていくペイルライダーに、ロータが続き、シルルはそのまま立ち去った。

 三千世界・グランシデア王立学園
 トップスシティを抜けていくと、王立学園の学舎群が見えてくる。延々と黄昏に飲まれてはいるが、特に変哲はない。
「ペイル、一つ聞きたい……」
「出来うる範囲で、なんでも答えよう」
「黙示録の四騎士は……何のために……」
 ロータが言い終わるより先に、ペイルライダーが答える。
「アルヴァナに仕えているの、か?」
「うん」
「私たち五人は、誓い合ったのだ」
「五人……?」
 ロータが呟いた言葉に反応することなく、ペイルライダーは返答を続ける。
「どんなことがあろうとも、我が王の願いを果たすと。仮令、我らの存在が先に無に帰ろうとも。そのために、我らはここにある」
「ただの変態かと」
「くははははっ!ま、私の場合はそれもあるが……美少女を眺めるのは我が王から労われるのと同じくらい、癒されるものだからな。しかし、やはりソムニウムから、いや零なる神を発端とするだけはある。今の相槌など、白金そっくりだ」
「そう。別に……意図してる訳じゃない」
「もしかすると……ヴァナ・ファキナは何度も杉原に乗り移る度に、奴のソムニウムへの憧れが刷り込まれ、無意識の内にヴァナ・ファキナは自分の手でソムニウムを作り出そうとしていたのかもしれないな」
「どうでもいい……わけじゃないけど、興味ない」
「そうか」
 二人は学園へ入り、ロータがいつも屋上にいた学舎へ入っていく。
「どうしてここに」
「淵荊白蘭を踏破する必要がある」
「……」
「どういう形に収束するにしても、出来うる限りの力を、全員に発揮してもらいたいのでな」
 階段を登り終え、屋上の前のガラス戸にペイルライダーは立つ。ロータはそのまま屋上へ出て、落ちていた写真を拾う。それは、アルバとロータと、レイヴンが写ったものだった。
「アルバ……」
 そう呟くと同時に、再びフラッシュに飲まれる。
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