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三千世界・反転(9)
第一話 「顕現する母性」
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青く澄み渡る虚空に見下ろされ、白土の大地に等間隔で墓石が突き立てられている。一つの墓の前に、水色の短髪のメイドが立っていた。メイドは一言も発することなく、像のように、直立したまま動かない。とりとめのない虚無が辺りを包み込んでおり、これが誰の視点で、何を見ているのかすらわからない。やがて視界は青に溶け、消えてなくなった。
セレスティアル・アーク
「~♪」
厨房で燐花が鼻歌交じりに料理をしていると、その匂いに誘われたのかゼナが脇から現れる。
「何を作っておるのじゃ?」
「ひぎあああああ!?」
燐花は絶叫してフライパンを振り、目玉焼きが脱走する。ゼナが一瞬で食器棚から皿を取り出して目玉焼きをキャッチし、流れで塩胡椒をかけて一気に食す。
「もぐもぐ……ふむ、ちょいと火が通りすぎてはおらんか?」
「いいんです。明人くんは堅焼きが好きなので。それよりも、折角作っていたのに勝手に食べないでください」
「ふむぅ……」
ゼナが厨房に並べられた料理を見てため息をつく。
「この量は朝に食べるものではあるまい」
「明人くんがもしも食べ残したら、ゼナも食べていいですよ」
「まあ、誰彼構わず手を出す主が悪いか……わしはアリアの作る朝食を食べるとするのじゃ。……ん?ところで、主はアリアの作る朝食はどうするのじゃ?」
「それについてはご心配なく。ちゃんとアリアちゃんと相談して、週交代で作っているんです」
「ほう。お主にそんな譲り合いの精神があったとは驚きじゃ」
「じゃ、私は料理に戻るので。早く出ていってくれますか」
ゼナはやれやれと首を振って厨房を後にする。
――……――……――
明人がベッドから上体を起こしたのと同時に、燐花が部屋に入ってくる。嬉々とした表情で猛ダッシュし、渾身の力で抱きつく。
「あなたの正妻が朝のスイートタイムをご一緒にぃ!」
燐花の恍惚とした表情とは裏腹に、明人は自分の骨が軋む音で悶える。
「おおおおおはよ燐花……ッ!出来ればもうちょっとマイルドに抱き締めてくれ……ごはぁッ!?」
更に強く抱き締められて明人は意識が飛びかけるが、流石に察した燐花が明人を離す。
「おはようございます、明人くん」
「おはよー……」
意識が朦朧とする明人が覇気のない返事をすると、燐花は部屋を飛び出して、廊下から三段構造の台車を二つ運び入れる。それには、美味しそうな料理が大量に積まれていた。
「朝ごはんですよ、明人くん」
燐花が笑顔でそう言う。
「おぅふ……」
見るだけで胃もたれを起こしそうになった明人は、反射的に目を逸らす。
「あっ、量が多いのは気にしないでください。残ったらゼナが食べるので」
明人は話題を逸らそうと、ふと気になったことを訊ねる。
「そう言えばトラツグミはどこに?」
「トラツグミは……そう言えば、仕事場でも見てませんね。何か用事でもあったんですか?」
「いや……まあいいや、ごはん食べよ」
明人は箸を握り、順に料理を口に運んでいく。朝食と言うには余りにもヘビーだったが、何とか食べ終わる。
「うっぷ……もう食べれん……」
明人が横になると、燐花は満足げな表情で立ち上がる。
「うふふ、満足してもらえたみたいでとっても嬉しいです。それで――わぁ!?」
突如として部屋の窓からアリアが飛び込んできて、燐花は思わず大声を上げる。アリアは軽やかに着地すると、二人へ緊迫した面持ちを向ける。
「トラツグミさんが変なのです!」
その言葉に明人は腹の苦しさも気にせずに起き上がる。
「どういう感じで?」
「今ゼナちゃんとマレちゃんが応戦してるのですけど、とっても強くて……しかも、ワープ装置とかの動力が軒並み切られてるのです!」
「燐花!」
明人の声に、燐花は頷く。彼女が纏っていた割烹着が炎に包まれ、いつもの黒鎧になる。
「アリアちゃん、明人くんを奪われるのだけは避けましょう」
そう言われてアリアは頷き、黒のボディスーツにゴーグル姿――つまり、旧Chaos社との戦いで纏っていた衣装に一瞬で着替える。
「もちろんなのです。行くのですよ!」
アリアが明人を持ち上げ、燐花と共に窓から飛び降りる。
虚空の森林
厚い雲を貫いて、二人はアガスティアタワー前のアスファルトに着地する。
「明人くん、大丈夫なのです?」
「肝が冷えたけどまあ……ぼちぼち」
アリアが明人を降ろそうとした時、燐花がそれを制止する。
「どうしたのです?」
「前を見てください」
見ると、そこには白と黒を基調とし、赤いラインの入った鎧を着た中型の竜人がいた。
「初めまして。私はネブラ。零下太陽Chaos社の取締役を務めている」
ネブラの発する声は無機質で、けれど抑揚があり、辛うじて感情の機微を読み取れた。
「……ッ」
何かを感じたのか、明人は自分でアリアから降りる。
「零下……太陽?ってなんなのです?」
アリアが明人の方を向くと、燐花が答える。
「バロン・クロザキが研究していたタイムラインについての報告書で、正史の終着点の一つに、そう言う可能性があるという記述があった気がします」
ネブラが自嘲気味に笑う。
「ご名答だ、部隊長。私の住まう零下太陽は、正史の歴史の果て、全ての可能性が潰えた、最後の世界。私は全てを救うためにここに来た」
右手を挙げ、その掌に赤黒い球体を産み出す。
「〝メビウス〟。我々は、人の感情システムを極限まで解析した。表裏の消失、善悪の彼岸。それこそが、人の思いの極限であると、我々は結論付けた」
ネブラは球体を消し、一行へ向き直る。
「間もなく、世界は寿命を迎える。全ての時を喰らい尽くした世界は、次の世界のため、死んで行かねばならない。私たちは、その滅びに巻き込まれる生命を、少しでも救いたいと思った」
明人が生唾を飲み込む。ネブラから湧き出る意思は揺るぎなく、それでいて悲壮なまでの決意が見えたからだ。ネブラは続ける。
「急で済まない。度しがたいかもしれないが、私たちの考えを理解してくれないか?」
燐花が警戒して旗槍を構える。
「契約内容はキチンと事前に伝えていただけませんかね?」
「メビウス化してもらう。感情の水平線に辿り着いた状態で、多くの生命が次の世界に生き残るための動力になる」
それを聞いた三人が一斉に難色を示すと、ネブラは諦めたようにため息をつく。
「その反応は元々から予想していた」
アリアはその言葉と同時に、周囲から殺気を感じる。咄嗟に明人を燐花の方に突き飛ばす。
「おわっ!?」
吹っ飛ばされた明人は燐花に抱き抱えられる。続けてアリアがブレードを振るい、その一撃を燐花が防御して、そのままネブラの頭上を越えて二人が吹き飛ばされる。それに反応して、空中で透明化していた、ネブラと似たような意匠の兵士たちが実体化する。それらは燐花たちを追おうとするが、ネブラが右腕を挙げて止める。
「待て。ここは、彼女の意を汲もう」
ネブラ越しに視線を交わした燐花とアリアが頷き合い、燐花は明人を抱えて道路を駆け出す。
「いい目をしている。異史では空《から》の鴉に作られた紛い物でも、正史ではここまで育つか」
ネブラとアリアが向かい合う。
「どういうことなのです?」
「私と君はよく似ているということだ。尤も、私は自分の幼顔に不釣り合いな胸が嫌いでね……随分前に切除してしまったよ」
ネブラは声色からは想像も出来ぬほどの優しさを醸し出す。
「昔から性差というものが嫌いでね。浴場で自らの体を見る度に、もっと効率的で、使いやすい体にしたくてたまらなかった」
「それで、その体になったのです?」
「そうだ。竜の体に、男も女もない。自分自身になれる」
ネブラが両腕を広げると、その後方に左右二つずつ、円形の装置が現れる。
「君も、自分自身にしてあげよう。死に行く世界で、最後に最高の自己実現が出来るぞ」
アリアはブレードを構える。
「よく、わからないのですけど……私は、今のこの世界が好きなのです!だから、それを脅かすあなたは、とりあえず斬るのです!」
「それでこそだ。拒絶したのなら、それ相応の力を見せてみよ」
アリアが飛び出し、中空に浮くネブラへ強烈な一閃を放つ。しかし、円形の装置が一つネブラの前に移動して赤黒い障壁を発生させる。それにブレードは受け止められ、激しいスパークを放つ。
「残念だな……確かに力も、技術も悪くはない。だがね……」
アリアは障壁を足場にしてジャンプして後退し、腰に提げている手榴弾を投げつけ、爆発させる。当然それは障壁に阻まれ、残り三つの装置がアリアを囲むように配置され、赤黒い光線を次々と放つ。アリアは回避し続けるが、反撃の糸口を見つけられずに消耗していく。
「だがね、君は自分自身を見つめてはいない。それは君が今しがた未来を託したあの二人にも言えるが……」
ネブラは右腕を挙げ、振り下ろす。周囲の兵士たちはそれを合図に、各々の銃器から赤黒い光線を、アリアへ集中砲火する。爆風に辺りが包まれ、それが消えると、赤黒いスパークを放ちつつアリアが倒れていた。
「君は未来のため、その礎となる」
ネブラがアリアへ近寄る。
――……――……――
遠くから激しい剣戟の音が聞こえる。血の臭いと、幼い男の匂いがする。辺りを包む焦燥感と、異常なまでの緊張で、一つの感情が沸々と沸き上がる。嗚呼、そうか。これが私の本能。これが、私の理想郷……
――……――……――
アリアの背中から四本の触手が現れ、それが恐るべき速度で巨大化していく。その様に、ネブラは思わず目を見開く。
「なんだこれは!?」
ネブラたちは急速反転して空へ飛び、上空からアリアを見る。尋常ならざる速度で成長していく触手は、瞬く間にアガスティアタワーの大きさを越えて、周囲の全てを飲み込んでいく。間もなく雲を突き抜けてセレスティアル・アークをも飲み込んでしまった。
「これは想像以上だ。凄まじいな……まあいい。あれだけの力があるのなら、我々が干渉せずとも目的は果たされるはずだ」
ネブラたちはその場からワープして消えた。
――……――……――
その頃、二人はとある家の前で零と相対していた。燐花は明人を降ろす。
「零さん……!今までどこにいるのか全然わからなかったのに、なんでこんなところにいるんだよ!」
明人が大声を上げると、零は静かに返す。
「杉原くんの前に姿を現す必要性がなかっただけ」
燐花が続く。
「じゃ、じゃあ今はあるってことですか」
零は頷く。
「この世界が今までに見たことないほど宝の山だったからって、ニヒロもユグドラシルも、アルヴァナもエンゲルバインも調子に乗りすぎた。多くの未来の分岐が生まれすぎたせいで、この世界はもはや瀕死。間もなく、この世界は崩壊を迎える。恐らくそこで、ラータ・コルンツが計画を実行に移すはず」
明人が首を傾げる。
「ラータ……って誰だっけ」
「ロータ・コルンツの双子の弟。……。私は祖王龍の尖兵として、この終局を見届ける使命がある」
「それと俺の前に現れたのと、何の関係が?」
「最後の戦いに向けての準備をするため」
「とりあえずは味方ってこ……とぉ!?」
明人が言い終わるより前に、突如として凄まじい地鳴りが起こる。三人が音の発信源へ目を向けると、急速に巨大化していく何かが見えた。何かからは無数の触手が枝のように生成され、周囲を飲み込んでいく。更にその表皮からは、何とも形容しがたい見た目の生物が怒涛の勢いで生まれ落ちる。そして触手と謎の生物は、明人たち目掛けて凄まじい速度で突撃してくる。
「まずい」
零が冷静にそう言うと、駆け出す。
「明人くん、失礼します!」
燐花は明人を抱え上げ、零の後を追って全速力で駆け出す。零に追い付いた燐花は、並走しながら訊ねる。
「何なんですか、あれ!」
「私が知るわけない」
触手の速度は速く、距離を詰められているのが気配でわかる。零は急ブレーキをかけて反転し、竜化して巨大な氷壁を生み出し、触手の侵攻を止める。すぐに竜化を解いて、先行する燐花に追い付く。
「橋の近くに教会があるのは知ってる?」
「ええ、まあ」
「そこに逃げて。私は足止めしてるから」
零は立ち止まり、再び竜化して仁王立ちする。燐花はただひたすら駆け抜け、教会に滑り込む。
陣原教会
鉄柵のゲートを抜けて、建物内に入る。大聖堂と言っても差し支えないほどの豪奢な屋内は、虚空の森林が持つ異様な静寂と相俟って異世界のような雰囲気を持っていた。燐花は息を整えながら明人を降ろす。
「大丈夫か、燐花」
明人が寄り添うと、燐花は頷きつつ姿勢を戻す。
「ええ……なんとか。でも……」
「ああ……あの場所からあのデカいなんかが現れたってことは、アリアちゃんは……」
「これからどうしましょう。アリアちゃんがどうであれ、私たちだけであれと戦うのは間違いなく自殺行為です」
「っていうか俺は戦力外だし、数字で言えば戦力はマイナスだからな」
二人は通路を抜け、礼拝堂に出る。
「マレたちとも連絡取れないしな……っと」
外で響き渡る轟音で、教会が震える。
「そう言えば、教会の隠し扉はまだ使えるんですかね?」
燐花がそう言って、並べられた長椅子の足についている謎のボタンを順番に押していく。すると、突然講壇が二つに割れ、その下に隠されていた階段が姿を現す。同時に凄まじい腐臭が周囲を包み込む。
「くっせえ!なんだこれ!」
二人は鼻をつまむ。
「これはですね、私が幼稚園の頃に一度来たときに間違って開けてしまってですね。ここで働いていた人によると、駅にも出口があるらしいんですよ」
「気乗りしないけど、まあいいや!行こう!」
二人は鼻をつまんだまま階段を駆け降りる。
セレスティアル・アーク
「~♪」
厨房で燐花が鼻歌交じりに料理をしていると、その匂いに誘われたのかゼナが脇から現れる。
「何を作っておるのじゃ?」
「ひぎあああああ!?」
燐花は絶叫してフライパンを振り、目玉焼きが脱走する。ゼナが一瞬で食器棚から皿を取り出して目玉焼きをキャッチし、流れで塩胡椒をかけて一気に食す。
「もぐもぐ……ふむ、ちょいと火が通りすぎてはおらんか?」
「いいんです。明人くんは堅焼きが好きなので。それよりも、折角作っていたのに勝手に食べないでください」
「ふむぅ……」
ゼナが厨房に並べられた料理を見てため息をつく。
「この量は朝に食べるものではあるまい」
「明人くんがもしも食べ残したら、ゼナも食べていいですよ」
「まあ、誰彼構わず手を出す主が悪いか……わしはアリアの作る朝食を食べるとするのじゃ。……ん?ところで、主はアリアの作る朝食はどうするのじゃ?」
「それについてはご心配なく。ちゃんとアリアちゃんと相談して、週交代で作っているんです」
「ほう。お主にそんな譲り合いの精神があったとは驚きじゃ」
「じゃ、私は料理に戻るので。早く出ていってくれますか」
ゼナはやれやれと首を振って厨房を後にする。
――……――……――
明人がベッドから上体を起こしたのと同時に、燐花が部屋に入ってくる。嬉々とした表情で猛ダッシュし、渾身の力で抱きつく。
「あなたの正妻が朝のスイートタイムをご一緒にぃ!」
燐花の恍惚とした表情とは裏腹に、明人は自分の骨が軋む音で悶える。
「おおおおおはよ燐花……ッ!出来ればもうちょっとマイルドに抱き締めてくれ……ごはぁッ!?」
更に強く抱き締められて明人は意識が飛びかけるが、流石に察した燐花が明人を離す。
「おはようございます、明人くん」
「おはよー……」
意識が朦朧とする明人が覇気のない返事をすると、燐花は部屋を飛び出して、廊下から三段構造の台車を二つ運び入れる。それには、美味しそうな料理が大量に積まれていた。
「朝ごはんですよ、明人くん」
燐花が笑顔でそう言う。
「おぅふ……」
見るだけで胃もたれを起こしそうになった明人は、反射的に目を逸らす。
「あっ、量が多いのは気にしないでください。残ったらゼナが食べるので」
明人は話題を逸らそうと、ふと気になったことを訊ねる。
「そう言えばトラツグミはどこに?」
「トラツグミは……そう言えば、仕事場でも見てませんね。何か用事でもあったんですか?」
「いや……まあいいや、ごはん食べよ」
明人は箸を握り、順に料理を口に運んでいく。朝食と言うには余りにもヘビーだったが、何とか食べ終わる。
「うっぷ……もう食べれん……」
明人が横になると、燐花は満足げな表情で立ち上がる。
「うふふ、満足してもらえたみたいでとっても嬉しいです。それで――わぁ!?」
突如として部屋の窓からアリアが飛び込んできて、燐花は思わず大声を上げる。アリアは軽やかに着地すると、二人へ緊迫した面持ちを向ける。
「トラツグミさんが変なのです!」
その言葉に明人は腹の苦しさも気にせずに起き上がる。
「どういう感じで?」
「今ゼナちゃんとマレちゃんが応戦してるのですけど、とっても強くて……しかも、ワープ装置とかの動力が軒並み切られてるのです!」
「燐花!」
明人の声に、燐花は頷く。彼女が纏っていた割烹着が炎に包まれ、いつもの黒鎧になる。
「アリアちゃん、明人くんを奪われるのだけは避けましょう」
そう言われてアリアは頷き、黒のボディスーツにゴーグル姿――つまり、旧Chaos社との戦いで纏っていた衣装に一瞬で着替える。
「もちろんなのです。行くのですよ!」
アリアが明人を持ち上げ、燐花と共に窓から飛び降りる。
虚空の森林
厚い雲を貫いて、二人はアガスティアタワー前のアスファルトに着地する。
「明人くん、大丈夫なのです?」
「肝が冷えたけどまあ……ぼちぼち」
アリアが明人を降ろそうとした時、燐花がそれを制止する。
「どうしたのです?」
「前を見てください」
見ると、そこには白と黒を基調とし、赤いラインの入った鎧を着た中型の竜人がいた。
「初めまして。私はネブラ。零下太陽Chaos社の取締役を務めている」
ネブラの発する声は無機質で、けれど抑揚があり、辛うじて感情の機微を読み取れた。
「……ッ」
何かを感じたのか、明人は自分でアリアから降りる。
「零下……太陽?ってなんなのです?」
アリアが明人の方を向くと、燐花が答える。
「バロン・クロザキが研究していたタイムラインについての報告書で、正史の終着点の一つに、そう言う可能性があるという記述があった気がします」
ネブラが自嘲気味に笑う。
「ご名答だ、部隊長。私の住まう零下太陽は、正史の歴史の果て、全ての可能性が潰えた、最後の世界。私は全てを救うためにここに来た」
右手を挙げ、その掌に赤黒い球体を産み出す。
「〝メビウス〟。我々は、人の感情システムを極限まで解析した。表裏の消失、善悪の彼岸。それこそが、人の思いの極限であると、我々は結論付けた」
ネブラは球体を消し、一行へ向き直る。
「間もなく、世界は寿命を迎える。全ての時を喰らい尽くした世界は、次の世界のため、死んで行かねばならない。私たちは、その滅びに巻き込まれる生命を、少しでも救いたいと思った」
明人が生唾を飲み込む。ネブラから湧き出る意思は揺るぎなく、それでいて悲壮なまでの決意が見えたからだ。ネブラは続ける。
「急で済まない。度しがたいかもしれないが、私たちの考えを理解してくれないか?」
燐花が警戒して旗槍を構える。
「契約内容はキチンと事前に伝えていただけませんかね?」
「メビウス化してもらう。感情の水平線に辿り着いた状態で、多くの生命が次の世界に生き残るための動力になる」
それを聞いた三人が一斉に難色を示すと、ネブラは諦めたようにため息をつく。
「その反応は元々から予想していた」
アリアはその言葉と同時に、周囲から殺気を感じる。咄嗟に明人を燐花の方に突き飛ばす。
「おわっ!?」
吹っ飛ばされた明人は燐花に抱き抱えられる。続けてアリアがブレードを振るい、その一撃を燐花が防御して、そのままネブラの頭上を越えて二人が吹き飛ばされる。それに反応して、空中で透明化していた、ネブラと似たような意匠の兵士たちが実体化する。それらは燐花たちを追おうとするが、ネブラが右腕を挙げて止める。
「待て。ここは、彼女の意を汲もう」
ネブラ越しに視線を交わした燐花とアリアが頷き合い、燐花は明人を抱えて道路を駆け出す。
「いい目をしている。異史では空《から》の鴉に作られた紛い物でも、正史ではここまで育つか」
ネブラとアリアが向かい合う。
「どういうことなのです?」
「私と君はよく似ているということだ。尤も、私は自分の幼顔に不釣り合いな胸が嫌いでね……随分前に切除してしまったよ」
ネブラは声色からは想像も出来ぬほどの優しさを醸し出す。
「昔から性差というものが嫌いでね。浴場で自らの体を見る度に、もっと効率的で、使いやすい体にしたくてたまらなかった」
「それで、その体になったのです?」
「そうだ。竜の体に、男も女もない。自分自身になれる」
ネブラが両腕を広げると、その後方に左右二つずつ、円形の装置が現れる。
「君も、自分自身にしてあげよう。死に行く世界で、最後に最高の自己実現が出来るぞ」
アリアはブレードを構える。
「よく、わからないのですけど……私は、今のこの世界が好きなのです!だから、それを脅かすあなたは、とりあえず斬るのです!」
「それでこそだ。拒絶したのなら、それ相応の力を見せてみよ」
アリアが飛び出し、中空に浮くネブラへ強烈な一閃を放つ。しかし、円形の装置が一つネブラの前に移動して赤黒い障壁を発生させる。それにブレードは受け止められ、激しいスパークを放つ。
「残念だな……確かに力も、技術も悪くはない。だがね……」
アリアは障壁を足場にしてジャンプして後退し、腰に提げている手榴弾を投げつけ、爆発させる。当然それは障壁に阻まれ、残り三つの装置がアリアを囲むように配置され、赤黒い光線を次々と放つ。アリアは回避し続けるが、反撃の糸口を見つけられずに消耗していく。
「だがね、君は自分自身を見つめてはいない。それは君が今しがた未来を託したあの二人にも言えるが……」
ネブラは右腕を挙げ、振り下ろす。周囲の兵士たちはそれを合図に、各々の銃器から赤黒い光線を、アリアへ集中砲火する。爆風に辺りが包まれ、それが消えると、赤黒いスパークを放ちつつアリアが倒れていた。
「君は未来のため、その礎となる」
ネブラがアリアへ近寄る。
――……――……――
遠くから激しい剣戟の音が聞こえる。血の臭いと、幼い男の匂いがする。辺りを包む焦燥感と、異常なまでの緊張で、一つの感情が沸々と沸き上がる。嗚呼、そうか。これが私の本能。これが、私の理想郷……
――……――……――
アリアの背中から四本の触手が現れ、それが恐るべき速度で巨大化していく。その様に、ネブラは思わず目を見開く。
「なんだこれは!?」
ネブラたちは急速反転して空へ飛び、上空からアリアを見る。尋常ならざる速度で成長していく触手は、瞬く間にアガスティアタワーの大きさを越えて、周囲の全てを飲み込んでいく。間もなく雲を突き抜けてセレスティアル・アークをも飲み込んでしまった。
「これは想像以上だ。凄まじいな……まあいい。あれだけの力があるのなら、我々が干渉せずとも目的は果たされるはずだ」
ネブラたちはその場からワープして消えた。
――……――……――
その頃、二人はとある家の前で零と相対していた。燐花は明人を降ろす。
「零さん……!今までどこにいるのか全然わからなかったのに、なんでこんなところにいるんだよ!」
明人が大声を上げると、零は静かに返す。
「杉原くんの前に姿を現す必要性がなかっただけ」
燐花が続く。
「じゃ、じゃあ今はあるってことですか」
零は頷く。
「この世界が今までに見たことないほど宝の山だったからって、ニヒロもユグドラシルも、アルヴァナもエンゲルバインも調子に乗りすぎた。多くの未来の分岐が生まれすぎたせいで、この世界はもはや瀕死。間もなく、この世界は崩壊を迎える。恐らくそこで、ラータ・コルンツが計画を実行に移すはず」
明人が首を傾げる。
「ラータ……って誰だっけ」
「ロータ・コルンツの双子の弟。……。私は祖王龍の尖兵として、この終局を見届ける使命がある」
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「とりあえずは味方ってこ……とぉ!?」
明人が言い終わるより前に、突如として凄まじい地鳴りが起こる。三人が音の発信源へ目を向けると、急速に巨大化していく何かが見えた。何かからは無数の触手が枝のように生成され、周囲を飲み込んでいく。更にその表皮からは、何とも形容しがたい見た目の生物が怒涛の勢いで生まれ落ちる。そして触手と謎の生物は、明人たち目掛けて凄まじい速度で突撃してくる。
「まずい」
零が冷静にそう言うと、駆け出す。
「明人くん、失礼します!」
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「何なんですか、あれ!」
「私が知るわけない」
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「橋の近くに教会があるのは知ってる?」
「ええ、まあ」
「そこに逃げて。私は足止めしてるから」
零は立ち止まり、再び竜化して仁王立ちする。燐花はただひたすら駆け抜け、教会に滑り込む。
陣原教会
鉄柵のゲートを抜けて、建物内に入る。大聖堂と言っても差し支えないほどの豪奢な屋内は、虚空の森林が持つ異様な静寂と相俟って異世界のような雰囲気を持っていた。燐花は息を整えながら明人を降ろす。
「大丈夫か、燐花」
明人が寄り添うと、燐花は頷きつつ姿勢を戻す。
「ええ……なんとか。でも……」
「ああ……あの場所からあのデカいなんかが現れたってことは、アリアちゃんは……」
「これからどうしましょう。アリアちゃんがどうであれ、私たちだけであれと戦うのは間違いなく自殺行為です」
「っていうか俺は戦力外だし、数字で言えば戦力はマイナスだからな」
二人は通路を抜け、礼拝堂に出る。
「マレたちとも連絡取れないしな……っと」
外で響き渡る轟音で、教会が震える。
「そう言えば、教会の隠し扉はまだ使えるんですかね?」
燐花がそう言って、並べられた長椅子の足についている謎のボタンを順番に押していく。すると、突然講壇が二つに割れ、その下に隠されていた階段が姿を現す。同時に凄まじい腐臭が周囲を包み込む。
「くっせえ!なんだこれ!」
二人は鼻をつまむ。
「これはですね、私が幼稚園の頃に一度来たときに間違って開けてしまってですね。ここで働いていた人によると、駅にも出口があるらしいんですよ」
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最初は脅され渋々同行していた祐介も、勇者や仲間の思いをしり、どんどん勇者が好きになり、勇者から告白までされる。
だが、魔王を討伐を成し遂げるも、魔王戦で勇者は祐介を庇い、障害者になる。
祐介は、勇者の嘘で、病院を作り、医師の道を歩みだすのだった。
私の代わりが見つかったから契約破棄ですか……その代わりの人……私の勘が正しければ……結界詐欺師ですよ
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「リリーナ! 貴様との契約を破棄する!」
結界魔術師リリーナにそう仰るのは、ライオネル・ウォルツ侯爵。
「彼女は結界魔術師1級を所持している。だから貴様はもう不要だ」
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リリーナは結界魔術師2級を所持している。
ライオネルの言葉が本当なら確かにすごいことだ。
……本当なら……ね。
※完結まで執筆済み
魔導書転生。 最強の魔導王は気がついたら古本屋で売られていた。
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最強の魔導王だったゾディアは気がついたら古本屋に売られている魔導書に転生していた。
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