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三千世界・反転(9)
バロン編「閃光の煤塵」(通常版)
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イタリア区・Chaos社ヨーロッパ支部
「ん……」
アウルが真夜中に眼を覚まし、ベッドで上体を起こす。横を見ると、バロンとエリアルが並んで寝ている。
「何か……変な気配が……」
アウルはベッドから出て、静かに寝室を後にする。着ていたネグリジェを消し去り、ミニドレスを着直す。非常灯以外の光源がない暗い通路を歩き続けて、中庭に出る。同時に雲が晴れ、清かな月光が顔を見せる。
「誰も……いない……」
ゆっくりと歩き、中庭の中央の噴水の前に立つ。貯まった水を覗き込むと、自分の顔が写し出される。
「……」
口端から涎が垂れ、股から生暖かい液体が伝う。
「何にも替えがたいほどに大切な人と、命を奪い合う、あの異常なまでの……興奮が……」
水面に写る自分の背後に、龍の頭が現れる。
「マザーハーロット……」
「なぜ、ヌシは己が欲求に背く?良いではないか、ヌシの本来の力を解き放てば、宙核とまともに殺り合うことも容易じゃろうて」
「でも……でもそれは所詮、略奪愛に他ならない。愛しているんじゃなくて、奪う行為に毒されてるだけ」
「ほう?だがヌシはかつて宙核に、多くの存在を愛せと、そう言ったよな?ヌシのその言葉通り、宙核は多くの存在と愛を紡ぎ、そしてヌシの掌から消え去ったのではないのか?」
「くっ……あなたに何がわかるの……!」
「わからぬよ。妾は王龍。ヌシは人間。決して解り合うことはない。故に王龍は、人間の願いに答えるのよ、あくまで気紛れにな」
「……。私を起こしたのはあなたですか」
「その通り。妾はヌシの願いを叶えた。だが、それに対するヌシの対価がないであろう?」
突然、複数の触手がアウルに絡み付いて彼女を拘束する。
「何を……!」
「脳を壊して無限に犯し続けるのも悪くはないな……力を失っている今のヌシにはそれもお似合いかもしれぬが……じゃがな、妾はもっと見たいものがある」
マザーハーロットはアウルの体に再び吸収され、アウルは地面に投げ出される。
「何をしたの……ッ!」
『なに、ヌシの欲望を果たす手助けをするまでのことよ。自慰では満たされぬものもあるじゃろうしなぁ』
ニブルヘイム 氷竜の骨・食料基地
メインホールの壊れたキャノピーから入り込んできた雪が頬に当たり、バロンは眼を覚ます。
「……ここは……」
横に倒れていたエリアルを揺り起こし、二人は周囲を確認する。
「……ここはニブルヘイムの食料基地か。エリアル、どうして僕たちがここにいるか、覚えはあるか?」
エリアルは裾についた砂埃を払い落として答える。
「さあね。さっぱりわからないわ。アウルが居ないのも気がかりだし……」
「……まあいい。WorldBなら僕たちも馴染みが深い。とりあえず、ガルガンチュアまで行こう」
二人がメインホールを歩こうとすると、キャノピーから男が一人落下してくる。
「……ッ!?」
バロンはその男の姿に驚愕する。男は立ち上がり、口角を上げる。
「……アグニ、生きていたのか」
アグニは拳を鳴らす。
「もちろんだ。てめえをぶっ殺す、そのためだけに甦った」
「……僕たちをここに連れてきたのもお前か」
「いや違う。まあ、てめえをここに連れてきたのが誰かはどうでもいい。あん時と同じように、全ての敵を倒して、ニルヴァーナまで来やがれ」
「……」
バロンが黙っていると、アグニは炎を残して飛び去る。
「……なんなんだ、急に」
「これは……想像以上に面倒な状況になってそうね」
「……早くガルガンチュアに戻ろう」
ニブルヘイム・ガルガンチュア
吹雪の向こうに見えた古城に二人は入る。奥の通路から刀を携えた男が一人現れる。
「ん?……お!バロンじゃねえか!」
男はバロンへ駆け寄る。
「……久しぶりだな、ヴァーユ」
ヴァーユは胸をポンと叩く。
「おうともよ。お前こそ、ずいぶんと久しぶりじゃねえか。急にどうしたんだ?」
「……わからない」
「わからないだって?お前またそれか。ま、今回は記憶があるだけマシか。……。っておい、神子も居るじゃねえか」
ヴァーユはバロン越しにエリアルを見る。
「こんにちは。バロンと二人でゆっくり出来る部屋とかあるかしら?」
「ああ、空いてる部屋なら何個かあるぜ。汚ねえけどな」
「貸してくれる?」
「もちろんだぜ。バロンと神子なら、ヴァルナとラーフも納得してくれるだろ。こっちだぜ」
ヴァーユが先頭を歩き、二人がついていく。古城の石壁の隙間から雪と冷気が入り込み、射し込む日光に思わず眼を細める。
「……ところでヴァーユ、最近のこの世界はどうだ」
「ん、平和なもんだぜ。パラミナの方から草とか木が生えてきててさ、食料を自分達で作れるようになったんだ」
「……そうか」
「そっちはどうなんだよ。神子と子供とか作らなかったのか?」
「……まあ、そこはプライベートな部分だ」
「そっか。ならいいや」
ヴァーユが一つの扉の前で立ち止まる。
「ここを使ってくれ。ちと狭いだろうが、まあ許してくれよな」
そう告げると、ヴァーユは奥へ歩き去った。二人は扉を開ける。部屋には、二段ベッドと、最低限の物置が備え付けられていた。
「兵士用の部屋って感じね」
「……まあ、それで十分だろう」
二人は二段ベッドの一段目に腰かける。
「……しかし、気付かれずに僕たちをこの世界に飛ばすなんて、かなりの手練れだが……」
「ねえ、あくまでも私の推論ということで聞いて欲しいんだけど」
「……どうした」
「アウルがやったってことはないわよね」
「……もちろん、その可能性も大いにある。彼女のことを完全には信用していない。完全に疑っているわけでもないが」
「わかってるわ。だからこれは、私の勝手な推測」
「……とにかく、事態を把握しなければどうにもならないな」
――……――……――
会議室に籠っていたヴァルナは、ヴァーユが入ってきて驚いて目を覚ます。
「どうした。貴様がここに来るなんて珍しいな」
ヴァーユが景気よく返事する。
「おう。バロンと神子が来たんで、部屋に案内してやった」
ヴァルナは驚いた顔をする。
「あの二人が?もっと珍しいな」
「んで、なんかこの世界のこと知りたがってたんでさ、あんたが教えてやってくれよ」
「ふむ……わかった。ところでヴァーユ。ラーフによれば、パラミナの南部の森林で怪しげな影を見たらしい」
「怪しげな影?虫とかじゃねえよな?」
「流石に機甲虫や角竜なら我々も見間違わない。なんでも、ローブを着た金髪の女らしい」
「女ぁ!?神子だけだろ、女ってのは」
「だから怪しいと言っただろう。めかした男かもしれんが、とりあえず動向を探る必要があるだろう」
「おう、わかった。でもよ、女の扱いなら神子と一緒にいるバロンの方がいいんじゃねえか?」
「好きなようにしろ。自分で見た方が、この世界の近況を知れるだろう」
「あいよ」
ヴァーユは会議室を出た。
「尤も、脅威はその女だけではないが……まあ、今はまだ放置していてもいいはずだ……」
ヴァルナは眉間を押さえ、再び眠りに落ちた。
パラミナ南部 アワンダ
かつて砂漠だった頃の面影はまるでなく、一行はパラミナの深い森林へ入っていく。
「……ここがパラミナとは、にわかには信じがたいものだな」
バロンがエリアル、ヴァーユと共に歩く。
「だよな。俺も最初に見たときはハンパ無く驚いたもんだぜ」
ヴァーユがそう言うと、エリアルが続く。
「この世界の主であるヘラクレスの意思から解放されて、本来の生命維持活動が再開されたのかもね」
「木の実とか初めて食ったんだけどさ、すげえうめえんだよ」
ヴァーユが渾身の笑顔をエリアルに向ける。
「今まで何食べてたのよ?」
「ニブルヘイムの地下にあった竜の腐肉とか?まぁ食べないなら食べないでも生きていけるんだけどな!ガハハハ!」
バロンがヴァーユの賑やかな語りに思わず苦笑する。
「……そう言えば、虫嫌いは治ったのか?これだけ緑が生い茂っていると機甲虫以外の普通の虫もいるだろう」
「やなこと言うなよなー!」
バロンが立ち止まる。
「どうした?この話の流れで立ち止まんなよな!」
ヴァーユが茶化すが、バロンは無言で視線を返す。
「ん……?」
それにつられてエリアルが正面を向くと、木々の狭間にローブの女が立っていた。
「こいつか!」
ヴァーユがすぐに刀の柄に手をかける。
「……お前、アウルだな」
バロンがローブの女へ問うと、女はフードを脱ぐ。メタリックピンクの差した長い金髪が零れ、混濁とした黄金の瞳が開かれる。
「なぁなぁバロン。女ってみんな神子みたいな感じじゃないのか?」
ヴァーユが単純な疑問をバロンへ向け、バロンは表情を変えずに答える。
「……まああくまでも人間の性差でしかないからな……僕とヴァーユのように、個人差は当然ある」
バロンはアウルへ向き直る。
「……目の色が違うな。何かあったか」
アウルは妖艶に微笑み、眼を細める。
「普段は赤紫ではないか、ということですね?ちゃんと私のことを見てくれていたようで何よりです」
「……お前は、何のためにこの世界に来た?」
「ふふっ、回りくどく聞くんですね。つまりこう言いたいのでしょう、『僕たちをこの世界に運んだのはお前か?』と」
「……わかっているのなら答えてもらおうか」
「お察しの通りです」
バロンとエリアルはその言葉で得物を構える。
「……やはりこうなるか。最初から信用はしていなかったが」
アウルはその言葉を、憂いを纏った微笑で受けとる。
「では、また死合うのですね」
続いてアウルは天に吼え、そして光に包まれて、右手にメイスを携えた黄金の騎士へ変貌する。
「戦いへの欲望こそが、理性あるものの真なる欲求。ならばこそ、私は戦乱をこの世に望む」
「……それが、僕たちをここへ運んだ理由か」
「否」
アウルはメイスの先から光線を射ち出し、三人は各々の方向に躱す。ヴァーユが抜刀し、木々を足場に凄まじい速度で飛び継ぎつつ一閃を重ねていく。アウルは斬撃をメイスで往なしつつ、エリアルが放ってきた激流を光の壁で弾く。その壁をヴァーユが切り裂くと同時に、バロンが肉薄して強烈な豪腕を叩き込む。が、アウルは怯むこと無く、左腕を振るってバロンを弾き飛ばす。
「……」
バロンが黙って着地し、一行とアウルは向かい合う。
「……旧Chaos社の動乱の時とはまるで強さが違うな。あの時は、加減していたということか?」
アウルは答えず、メイスを振るって光の刃を打ち出す。ヴァーユがそれを切り裂き、バロンは闘気の塊を爆発させてアウルを狙う。彼女はメイスでそれを打ち落とし、弾幕のように注いできた水の棘を体から発したシフルで迎撃する。
「……話を聞かせてもらおうか」
バロンは竜化し、黒鋼となる。拳で突くと、メイスが正面から激突する。凄まじいスパークを起こし、ヴァーユはその影からアウルの腹を切り裂く。怯んだところに黒鋼のもう片方の拳が叩き込まれ、とどめにエリアルが杖の石突きを突き刺そうと飛ぶが、アウルは瞬時に後退して躱す。
「まだ完全ではないか」
アウルはそう言うと、変身を解いて元の少女の姿に戻る。
「バロン、今回は逃げさせてもらう。私との戦いは、これから訪れる混沌の先駆けだとでも思ってくださいね」
そして閃光に包まれ、一行の前から姿を消す。
「なんだぁ、あいつ……」
ヴァーユが納刀しつつ呟く。
「……さっぱりだな。初めに天象の鎖で会ったときから理解不能だ」
バロンが続き、エリアルは不安げに、二人に聞こえぬ声量で呟く。
「動乱の時に現れただけでも度肝抜かれたのに、あの力は……天使の子のような模倣品じゃない。正真正銘の、真如の光……」
「……エリアル?」
俯いていた彼女に、バロンが近寄る。
「え、ええ?何かしら?」
「……いや、君が下を向いたままボソボソ何か言っているようだったから」
「何でもないわ。急に体を動かしたから、ちょっと疲れただけ」
「……わかった。ヴァーユ、ラーフの所に戻ろう」
バロンがそう言うと、ヴァーユは勢いよく頷く。
ミンドガズオルム
三国に跨がる巨大な城塞、それが通称〝古代の城〟、正式名称ミンドガズオルム。そこの神子の護所へと続く洞穴で、二人の人物が話していた。
「で、バロンと一戦交えてきたと」
蒼銀の鋭利な体の竜人が腕を組んで壁に寄りかかる。視線の先にはアウルがおり、貼り付けたような氷の微笑を浮かべる。
「私の力はまだ完全には取り戻せていないから仕方がない」
「ま、んなことはどうでもいいさ。お前さんのやりたいことと、俺たちがやりたいことは相反するものじゃねえ。寧ろ、お前さんが宙核を殺れるなら仕事が減って楽になる」
「……」
「もちろん、〝アレ〟はやってもらうが。あいつらにもある程度の協力は要請してあるから、欲しいやつを数人くらいならお前さんの物にしてもらって構わん」
アウルはローブを脱ぎ捨て、黄色と黒で構成された修道服のような新たな衣装に身を包む。
「かつてこの世界の兵器の一つであった機甲虫のように、羽が固まるまでの間、あなたに時間を稼いで欲しいわ」
「いいだろう。だがもし、お前さんが敗れれば、俺が宙核を頂くぜ。この日のために手に入れた、とっておきの力があるからな」
竜人はアウルの傍を通り抜け、外へ飛び去る。
「意思の強い女が一番おっかねえな、全く」
闘気の翼を展開しつつ竜人は空を飛び、一人の女性を思い浮かべながら彼方へと向かう。
パラミナ首都・ムラダーラ
宮殿の内部にある広間で、一行は円卓についていた。
「なるほど、ローブの女は君の知り合いだったんだね」
ラーフがプラムをむっしゃむっしゃと食べながらそう言う。
「この果物から肉の味がするぜ」
ヴァーユもプラムを食べながら喋る。
「……食べるか喋るかどっちかにしてくれ」
バロンがそう言うと、ラーフはプラムを飲み込んで話を続ける。
「そのアウルという少女は、何か言っていたか」
「……戦乱を望むと。そして、彼女との戦いは、これからやってくる混沌の先駆けだと」
「混沌の先駆け……バロン、将軍が言っていたのですがね、アウル以外にも何かしらの人間がうろついているようなのです」
「……何かしら、か」
「アウルとは違って、誰も姿を見てはいないのですがね……」
会話が行き詰まると同時に、入り口からニブルヘイムの兵が現れる。
「どうかしましたか」
ラーフが訊ねると、兵士は敬礼する。
「はっ。正門に正体不明の竜が現れ、バロン様との仕合いを所望しています」
「……」
ラーフはバロンへ視線を向け、バロンは頷く。そしてエリアルと共に立ち上がり、外へ向かう。
――……――……――
巨大な城門を潜り抜け、二人は外へ出る。
「……懐かしいな。思えば、初めて君のために戦ったのはここだった」
バロンがそう言うと、エリアルが微笑む。
「急にどうしたの?」
「……何か、取り返しのつかない事態になる気がしてな。少しでも一緒にいられる時間を濃くしようと」
「ぷふっ」
エリアルは思わず噴き出す。
「……可笑しかったか」
「うん、ごめん。気持ちは嬉しいんだけど、ちょっと振りが雑かなー、なーんてね」
「……そうだな、次はもっとムードを考えよう」
「バロンが頑張ってるのを見るのってすごくワクワクするわね。さて……」
二人が立ち止まると、眼前に蒼銀の竜人が立っていた。
「……お前か、僕を呼んだのは」
「そうだ」
蒼銀の竜人は組んでいた腕をほどく。
「俺の名前はイゼル。零下太陽Chaos社の、外部特殊作戦部長だ」
「……イゼル……」
「世界を救うために、お前たちには犠牲になってもらおう」
「……お前が、アウルの言っていた〝混沌の先駆け〟とやらか?」
「なるほど、そんなことを言っていたのか。小難しい言い回しは好かんが、たぶんそれで合っている。少なくとも、彼女と俺たちは一応は協力関係だな」
イゼルは竜ゆえの表情の薄さからわかりにくいものの、牙を見せて善く笑っているようだ。
「正直俺としては、混沌ってのは同僚の代名詞なんだがな」
「……世界を救うというのは、どういうことだ」
その問いにイゼルは後頭部を掻く。
「因果の固定がどうたらこうたらで、世界が救われるらしい」
的を射ない答えに、バロンとエリアルは首を傾げる。
「……いまいち信憑性に欠けるが……エリアル、何か知っているか」
「さあ……?」
二人の反応に対して一つ思い出したイゼルは右手に球体を発生させ、そこから映像を投影する。そこには赤と黒の体の竜人が映っていた。
「困ったらこれを見せろってネブラは言ってたぜ!」
映像の中の竜人――ネブラは、カメラに向かって淡々と言葉を発し始める。
『この映像は、零下太陽Chaos社の推し進める世界救済策、〈メビウス・オペレーション〉に関する理論の紹介である。
メビウス・オペレーションはその名の通り、我々が発見した現象、〝メビウス化〟の作用を活用したものだ。
メビウス化は、発症した生命体の精神状態を、その存在に本来規定された状態へと誘導するものだ。所謂表層心理が顕現するか、深層心理が顕現するかは個人差があるが……とにかく、メビウス化した存在は、存在として欲する根本的な欲動に突き動かされるようになる。更に副次的な……いや、これが本命なのだが、メビウス化した存在は、始源世界から、竜から遠く離れた者でさえ、シフルをシフルのまま扱うことが出来る。
本題に移ろう。この世界は今、滅亡の危機に瀕している。数多分岐した未来によって、全ての時間を消費しきり、消え去ろうと。そこで我々零下太陽Chaos社は、この世界に生きる全ての存在をメビウス化させ、そのシフルへの順応性を利用して、メビウス化させた存在を無に固定することで、次の世界が産まれるまで耐えようと考えた。
もうわかってくれただろうか。メビウス・オペレーションは、人類だけでなく、全てを滅亡から救う、最良の選択なのだ。
……。この映像を見ている君が、私たちの思想に賛同してくれることを願う』
ネブラが話し終え、ゆっくり呼吸をすると、映像は消えた。
「ってことだ」
イゼルが球体を消す。
「……そんなことが可能なのか、エリアル」
バロンが訊ねる。
「ええ、まぁ……考えとしては正しいんじゃない?実際に今の世界が瀕死なのは間違いないし、メビウス化で本当に常人でもシフルを使えるようになるなら、世界の外で、滅びを回避することも出来ることは出来るでしょうね」
エリアルの答えを聞いて、バロンはイゼルへ向き直る。
「どうだ?納得してくれたか?世界を救うってのと、守るってのは、本質は同じはずだぜ」
「……断る」
「……。そう来るだろうと思ってたぜ。理屈じゃ否定できねえ。それどころか、同意できるところすらある。だが心が否定するんだろ。それが人間の悲しい性ってヤツだ」
イゼルは拳を構える。
「……悲しくはない。ただ、虚しいだけだ。お前たちの話が本当ならば、僕にはそれを否定する術がない。それどころか、世界を作る側でありながら、滅亡を避けられない僕たちに責任があるとも言える。だが……」
バロンも同じく拳を構える。
「……自分の生きたがりを他人に押し付けてどうする」
イゼルは笑う。
「ハッ!俺にとっちゃ、んなことどうでもいいのさ!ネブラのために戦う、ただそれだけだ!」
「……なるほど、わかりあえそうだ」
バロンが光となって距離を詰め、拳を放つ。イゼルはシフルの粒子の翼を開き、腕を交差させてガードする。周囲の草木が巻き上げられ、バロンは空中で回し蹴りを放つ。イゼルはバックステップで躱し、右の掌に蒼炎を燻らせて爆発させる。バロンは鋼の盾を展開して防御し、それを瞬時に槍に変えて射出する。イゼルは咆哮を放ち、それで槍を流体金属に戻す。それを合図に、両者は目にも止まらぬラッシュをぶつけ合う。強く拳を突き出し、バロンをよろめかせ、左肩のタックルを間近に放ち、右手から発勁を叩き込み、身を翻しながら裏拳で薙ぎ払う。バロンはそれを左腕で受け止め、鋼を纏った右腕で強烈な闘気を発して吹き飛ばし、そのまま鋼の棘を乱射する。イゼルは再び咆哮して棘を打ち消す。
「流石は最強の人間というところだな、バロン」
「……お前も、中々強い思いを拳に乗せているな」
「だが……少し疑問に思わないか?」
「……なに?」
「俺のように、明らかにお前たちと相反する思想を持った者が、わざわざお前だけを引き剥がすような真似をしたのかを」
「……」
バロンは顔をしかめる。
「お前たちの気持ちは俺もわかる。この世界は、戦いを、決闘を最優先に廻る、戦士の楽園。薄っぺらい道徳や安らぎを捨てた、天国の外側。だからこそ、サシでの勝負を挑めばお前だけ出てくると思っていたさ」
突如として地鳴りがやって来て、遠くから荒れ狂う激流の音が轟いてくる。
「……なんだ!?」
少し前――
ニブルヘイム・ガルガンチュア
ヴァルナが眠りから覚め、寝惚け眼で会議室を見渡す。部屋の隅に、アウルが立っていた。
「お前は……」
ヴァルナはすぐに立ち上がり、氷剣を構える。
「バロンたちの報告にあった女か」
切っ先を向けられたアウルは、優しく微笑む。
「その通りです」
「まさか本陣まで来るとはな」
「ええ、ええ。ここに来るまでの間にいた、あなた方の兵は一通り倒してきました」
アウルは右手を腹の辺りで開き、揺らめく球体を産み出す。
「見えますか?これは、彼らの命を凝縮したもの。死ねるようになったあなた方はこうして魂の糧となる」
「人質でも取ったつもりか?」
「いいえ。それではあなたの全力が引き出せないでしょう」
アウルは球体を握り潰す。溢れた光が吸収され、彼女は微笑む。
「先程言った通り、あなた方は私の力にさせてもらう。さて、少し見せたいものがあるのでついてきて貰えますか?」
ヴァルナは最大限の警戒をするが、一向に行動を起こさないアウルに根負けして氷剣を壊して従う。アウルは会議室の扉を破壊し、ヴァルナを宙に浮かせて共に空を飛ぶ。
ニブルヘイム
猛吹雪の中を突っ切りながら、二人はある場所で停止する。その瞬間、凄まじい轟音が鳴り響き、吹雪を貫いて熱湯が湧出する。圧倒的な破壊力の間欠泉は雲を貫き、熱を帯びた雨になって注ぐ。二人は地面にぽっかり空いた穴に降下し、地中深くの地肌に着地する。
「ここはどこだ」
ヴァルナが問うと、アウルは極めて事務的に返す。
「なに、簡単なことです。ここニブルヘイムは、大昔はムスペルヘイムで加熱された超高温の熱湯が流れ着き、その地表の大半を覆い尽くしていたのです。それが、白き神――王龍カルムウバスの到来によって一気に氷結させられ、今度は逆に全ての命が凍りつく、絶対零度の世界となった」
「そんなことがあったのか……」
「今、カルムウバスの力は失せた。先の戦いの最終局面で、滅王龍エンガイオスの上澄み……鏖殺の角竜王の手によって滅ぼされたことで」
「つまり、ムスペルヘイムからやってくるこの熱湯が、ニブルヘイム全域を溶かそうとしているのか?」
「その通り」
ヴァルナは訝しげに視線を向ける。
「にわかには信じがたいな……最近は、ムスペルヘイムの火山活動も和らいできた。お前の言うことが正しいのなら、なぜ今、熱湯が噴出した。白き神の力が弱まったなら、同時に滅んだ黒き神の力は弱まっていない」
「無論、黒き神の力も弱まっています。だからこそ、パラミナは緑豊かになった」
「……。なに?」
「わかりませんか?二体の王龍によってパワーバランスが崩れていたのが、元の形に戻っただけです。ムスペルヘイムは地熱活動こそ活発ですが、外見は休火山地帯。ニブルヘイムは豊富な地下水からなる巨大な海域。その間に位置するパラミナは、広大な熱帯雲霧林。それがこの世界が、二体の王龍の縄張りとされる前の姿」
「見せたいものとは、この地下水のことだったのか?」
「いいえ」
アウルが右手を挙げ、指を鳴らす。周囲を覆う全ての氷が一気に解け出し、瞬く間に海へと変わる。
「なんだ!?」
余りの変貌にヴァルナは酷く動揺するが、すぐに気を取り直す。
「下らん大道芸を見せに来たのなら、このまま問答無用で斬らせてもらうぞ」
ヴァルナが氷剣を産み出し、その切っ先を向ける。
「ふふふ……その闘志は素晴らしい。それでこそ、我が糧となるに相応しき猛者……」
アウルが天を仰いで吼えると、凄まじい衝撃が辺りを包む。ヴァルナは怯み、アウルは口角を上げる。
「では始めましょう」
アウルの衣装から輝きが放たれ、足を包んでいた布地が消え去り、生足を曝す。そして身体中に黄金の光が血管のように巡り、帯電する。
「準備は万全か」
「ええ。でも一つだけ、戦う前に言っておきます」
アウルは微笑む。
「あなたが死ねば、この水はパラミナに全て流れ込む。長い目で見れば新たな生態系を作り出すでしょうが、短い、あなたたちの利益で言えば、しばらくは死の海となるでしょうね。私が死ねば、それはそれで終わるだけ」
「いい条件だ。ニブルヘイムの兵士は背水の陣でこそ輝く」
アウルが光の刃を弾幕にして飛ばし、ヴァルナが発する強烈な冷気で凍らされ、彼は左足から素早く踏み込み、氷剣の細い剣先でアウルの首を狙う。アウルは体を電撃に変えて後退し、メイスを産み出して光弾をいくつか打ち出す。先ほどと同じように、それらは冷気に撃ち落とされ、再び鋭く振られた氷剣をメイスの柄で受け止める。
「素早く、そして鋭い攻撃ですね。纏う冷気と合わせて、少しでも気を抜けば魂を奪われそうです」
「御託は要らん!」
ヴァルナは氷剣を砕いて姿勢を下げ、右腕を突き出してアウルの腹に突き刺し、そのまま凍てつかせて腹の肉を引き千切る。更に容赦なく氷剣を産み出して横に薙ぎ、鋭い二連の斬撃を与える。アウルは即座に後退して傷を瞬時に修復し、メイスから輝きを放って黄金の騎士へと変身する。メイスを振りかざし、無数の光弾が飛び散る。ヴァルナの纏う冷気を突破して降り注ぎ、ヴァルナは氷壁を張って受け止め、氷の真空刃を交差させて飛ばす。アウルはメイスを高速回転させて真空刃を破壊し、ヴァルナは続けて氷の刃をアウルの前後上下左右、全てを余さず囲むように放つ。アウルは瞬時に反応するが、流石に対処しきれずにいくつかの刃が届く。それが爆発して、強烈な冷気が視界を揺らがせ、頭上から巨大な氷塊が落下する。アウルはそれの下敷きになり、しばし静寂が訪れる。
「いや……」
ヴァルナは油断せず、氷塊に入った亀裂を注視する。
「不死身同士で戦ってきた経験ですか、それは」
氷塊を砕き、人間態に戻ったアウルは肩に残った氷の破片を払う。
「そうとも言える。一度不覚を取った程度で死ぬようでは、まず我々に喧嘩を売るなど出来ようはずもない」
「死に足りぬものは、生きるのが嫌になるほど殺すと。全く……全く以て、素晴らしい世界です」
アウルが歯を見せて笑い、濁った黄金の瞳が輝く。
「……。お前、体の持ち主と心が別だな」
ヴァルナがそう言うと、アウルは予想外の質問に僅かにきょとんとしたあと、先程よりも大きな笑みを見せる。
「どうして、そう思うのですか?」
「確かに今、私と打ち合っているお前は、この戦いを楽しんでいる。私と向き合っている、とでも言えばいいか。だがその体は、どうやら私を見ていないようだな。私を倒したその先に居るもの……」
ヴァルナは合点がいったように続けて唾棄するごとく言葉を紡ぐ。
「そうか、バロンだな」
アウルが黙り、それを同意だとしてヴァルナは呆れる。
「下らん戦いだ。ただの前座としてここまで呼ばれたとはな」
「ふふ、ならばこの体の望みのために、前座らしく死んでいただけますか?」
「断る。私はお前を倒し、この世界の平穏を磐石なものとする」
「そうですか。では……」
アウルは再び黄金の光に包まれ、今度は軽装の鎧に斧槍を持った騎士へ変身する。槍の穂先は黄金の輝きが纏わりついて刃となり、騎士の関節の随所にも輝きを詰めた球体が鏤められていた。
「勇敢なる戦士よ、その誇りと願いを抱いて」
斧槍をヴァルナへ向ける。
「死ね」
アウルは凄まじい速度で接近すると、斧の刃に水を纏わせて振る。ヴァルナの纏う冷気の幕を切り裂いて、僅かに躱されて地面にめり込む。光を噴出させて姿勢を戻して隙を潰し、殆ど躱す猶予のない速さで反撃してきたヴァルナの氷剣を往なし、光を噴き出させてブーストした斧の一撃で彼を吹き飛ばす。更にアウルは斧槍に水の螺旋を宿らせる。再び横に振るい、過度に熱されながらも蒸発しない水を刃に変えて降り注がせる。態勢を立て直したヴァルナが迎え撃つように氷の刃を飛ばし、水の弾幕を潜り抜けて肉薄し、氷剣の一閃で斧槍をへし折り、隙を見せたアウルへ正真正銘の致命の一撃を加える。
―――よく言えば、それは完璧な攻撃であった。悪く言えば、それ以上の進展は見込めぬ、一つの限界であった――。
アウルは届いた氷剣によって受けた傷に苦しむどころか昂り、折れた斧槍でヴァルナの脳天を砕く。無論、それだけでは死なぬ。ヴァルナも当然のように新たな氷剣を作り出して反撃する。アウルは突然変身を解いて頭身を下げることで氷剣を躱し、生まれたほんの僅かな猶予に力を溜め、全身全霊で紫雷を放ってヴァルナの体の大部分を吹き飛ばす。左肩と頭部だけ残った彼は地面にそのまま落下し、アウルは呼吸を整えつつ着地する。
「バカな……」
ヴァルナがなおも左腕だけで動こうとするが、アウルは腕を踏みつけ、動きを止めさせる。
「あなたの雄姿は、決して忘れることなくこの胸に刻み込みましょう」
アウルはそう告げ、ヴァルナはそちらへ顔を向ける。
「この世界で生まれた故に解り得なかったが……もし、私に母が居たのなら……それを、お前の中に、僅かに感じた」
ヴァルナは倒れ伏し、アウルに吸収された。
「さあ、眩き命よ。我が糧となりて、彼の者を貫く刃となれ」
凄まじい地鳴りと共に、周囲に満ちていた水はパラミナへと流れ込んでいく。
現在
パラミナ
「……う……く……」
バロンが目を覚まし、立ち上がると、周囲は水浸しになっており、所々から煙が上がっていた。
「……どうなっている……」
周囲を見渡していると、横からエリアルが現れる。
「……無事か、エリアル」
「ええ。この通りね。イゼルは逃げたみたいだけど」
「……どうなっているんだ、これは」
「ふん、そうね……」
エリアルがかがんで足元の水を掬う。そしてすぐに流し、立ち上がる。
「かなり酸性の強い水のようね。火山灰が溶け出してるように感じるけど」
「……つまり?」
「ニブルヘイムの方から大津波が来て、ここら一帯を飲み込んだわ。パラミナの建物はたぶん、全滅してるし、私たちもだいぶ流されたみたい」
「……」
「ああ、ごめん。ニブルヘイムって凍土地帯だったじゃない?なのになんでこんな性質の水が流れてくるんだろう、ってね」
「……そう言えば、そうだな」
「それにとても熱い。真水の沸点は余裕で越してるわね」
「……ニブルヘイムに行く必要があるな」
「ねえバロン、また推論なんだけど、聞いてくれる?」
「……もちろん」
「ニブルヘイムからこの性質の液体が流れ込んでくるとは到底思えないわ。それに、永久凍土地帯から津波がやってくるなんて、普通じゃない。だから原因はきっと、ムスペルヘイムの方にあると思うの」
「……なるほど」
「どっちに行くかは、あなたが決めていいわ。決められないなら、私はムスペルヘイムに行きたいけど」
「……そうだな、ヴァーユたちは自分でなんとかしているだろう。僕たちはムスペルヘイムへ行こう」
二人は頷き合い、遠くに見える火山地帯へ向けて足を踏み出した。
――……――……――
「がぼぁっ!?」
ヴァーユは一気に水を吐き出しながら上体を起こす。刀を支えに立ち上がると、そこは倒壊したムラダーラの民家の中だった。
「どーなってんだ、こりゃあ……」
瓦礫で盛り上がっていた場所から立ち上がり、水没した地面に足を踏み入れると、膝の高さまで浸かった。
「温いなこの水」
水を掻き分けつつ外へ出ると、ムラダーラの特徴的な壁はニブルヘイム側だけ破壊されており、更に、普段なら見えるはずのニブルヘイムの氷山が消えていた。ヴァーユは訝しみ、民家の屋根に上る。
「全部水に呑まれてんな……この量の水をぶちまけるってこたぁ、ニブルヘイムの氷山が全部融けちまったってことか」
「わあ」
遠くを見ていたヴァーユの足元から突然アウルが現れて、ヴァーユは声にならないほどの絶叫を上げて驚き、一気に飛び退く。
「てめえはさっきの!」
「こんにちは。また会いましたね、ヴァーユさん」
「っ……!てめえ、ヴァルナに何かしたか!?」
その言葉は予想外だったのか、アウルは少し驚いた表情をする。
「それ、戦士の勘、ですか?」
「てめえの魂の濁りを感じるんだよ。なんつーんだろうな、こういうの。合ってないのに無理矢理ジクソーバズルを嵌めてるみたいな感じって言えばわかるか?」
「完成された芸術品に、後年の誰かが余計なものを付け足したようなもの、と?」
「そうそう、そういうことだぜ!意外と話がわかるじゃねえか、あんた!」
「うふふ、そうですか?」
「つまり、だ……」
ヴァーユは刀の柄に手をかける。
「てめえがヴァルナを倒したってことだ。敵討ちなんてしょうもねえと思うが……てめえはここで殺すぜ!」
アウルは右手を伸ばして制止する。
「ここではちょっと決着の舞台としては不十分です」
そして右手を戻して指を鳴らす。すると、凄まじい地鳴りと共にムラダーラが浮上していく。
「なんだぁ!?」
困惑するヴァーユをよそに、アウルは口を開く。
「戦いって、まるでセックスみたいで興奮しませんか?」
「せっくす?なんだそりゃ」
「え?……ああ、そっか」
意地の悪い笑みを浮かべて、アウルは自らの剥き出しの太腿を指でなぞる。
「それなら、私が手取り足取り教えて上げましょうかぁ?戦いと同じくらい、とっても気持ちいいものですよ」
ヴァーユは露骨に嫌悪感を顕にして後ずさる。
「遠慮しとくぜ。よくわかんねえし、てめえは敵だし」
「あらあら、勿体無い。自分で言うのも何ですけど、こんな美しい少女とまぐわうチャンスなんて、大枚をはたいてもそうそう出逢えないんですよぉ?」
「敵の提案するルールに乗らない、これが鉄則だぜ」
「なるほど、童貞って意外とガードが堅いものなんですね。……。いえ、違うか。戦いに勝る快楽などないと、本能に刻み込まれているのか」
アウルはふっと目を閉じる。
「では、死合いならばやらせていただけるんですね?」
ヴァーユは声のテンションが露骨に上がる。
「もちろんだぜ。あんたが強いってのはよくわかってる。寧ろ、こっちからお願いしたいくらいだ」
「ふふ、ふふふ……強者と命を削り合えば削り合うほど、命を孕みたくてしょうがない。体が疼いて疼いて、子種無しでも子を産めるほどに……!」
アウルは目を開き、一瞬見えた赤紫の瞳が、瞬時に濁った黄金に変わる。
「くふ、くふふふ……くっはははは!」
呆れるほどの大笑いの後、アウルは狂気に満ちた顔を彼へ向ける。
「ではぁ……命を奪い合うとしましょうかぁ!」
「ああ!全力でぶっ殺してやるぜ!」
ヴァーユは刀を抜く。刀身に竜巻が絡み付いており、彼は眩しいばかりの笑顔で距離を詰めていく。アウルが後ずさりをした瞬間、大振りな動作から尽きぬ連撃を放つ。重ねられる斬撃のそれぞれに凄まじい量の真空刃が乱れ飛び、アウルは光で体表を防御しながら、拘束力の高い連撃から飛び退いて逃れるが、ヴァーユはそれを見抜いて恐るべき踏み込みで追撃の一閃を放つ。アウルは目を見開いて咄嗟に光の刃を産み出して受け流し、一気に光の刃を産み出して発射する。ヴァーユは刃を撃ち落としながら後退する。
「へへ、さっき戦ったときよりつええな!やっぱ戦うのって気分爽快だな!」
ヴァーユは背負った剛弓を構えて引き絞り、風を纏った一矢を飛ばす。アウルの頬を切り裂いて飛んで行き、遠くの壁を破壊する。
「ふふふ、とっても逞しくて、穢れを知らない闘気……ヴァルナの心も、力強くて美しかったけれど……」
ヴァーユが目にも止まらぬ速度で距離を詰めて刀を振り、アウルも光の刃を手に持って剣戟を繰り広げる。
「あなたの心は、嗜虐心を煽りますね」
「へへ、そうか?なんか言ってることの半分もわかんねえけど、楽しいから別にいいぜ!」
刀が刃を弾き返し、そこから裏拳を入れ、怯んだアウルを一気に引き寄せて腹に膝蹴りを叩き込み、そのまま突き放して神速の三連斬りをぶつける。深い傷を負うが、押し込まれつつもアウルの傷はすぐに修復する。
「やっぱこの程度じゃ殺しきれないか。一回目の命を奪うくらいは出来ると思ったんだけどな」
「あはぁ……」
アウルはヴァーユの清々しい表情とは対極に、卑猥な、恍惚とした表情で熱っぽい吐息をつく。
「力を得る度に、どんどん満たされていくこの感触……」
そして閃光に包まれ、斧槍の騎士の姿となる。
「素晴らしき魂の輝きを、是非私に見せてくださいませ!」
噴き出す水の勢いで斧槍が振られ、ヴァーユは刀の竜巻を放ちつつ迎え撃ってアウルをよろめかせ、大きく回って懐に刀を構え、風圧を纏った強烈な二連斬りで彼は空中へ飛び上がり、渾身の一閃でアウルを押し返す。彼女は全て防ぎきるも、余りにも鋭い攻撃によって深い傷を負う。続けてヴァーユは矢を引き絞り、強烈な一矢を放ち、それに続けて肉薄しつつ刀を振り抜く。更に開幕で放ったのと同じ連撃から、風圧を纏った二連斬りからの一閃をぶつけ、再び防御の上から命を削り取る。が、最後の一閃で見せた隙を逃さず、アウルは斧の一振に全体重をかけてぶつけ、更に持ち手を変えつつ薙ぎ払い、メイスに持ち替えて巨大な光の刃をぶつけて吹き飛ばす。
「まだまだ余力があるみたいだな。ヴァルナを倒したのは伊達じゃないってことか」
傷の修復をし、アウルは斧槍を持ち直してヴァーユを見る。
「仲間の死すら、悲しむに値しないのですか?」
「ああ。結局、仲間なんて言ったって、俺が自分で勝手にそう思ってるだけだ。なら、本人が死んでも、俺の中にいるそいつは死なない。ずっと傍にいるなら、悲しむ必要なんて少しもないだろ?寧ろ、ヴァルナはずっとやいややいや言ってくるから鬱陶しいくらいだぜ」
「なるほど……。私には、永遠に理解できないものですね」
「ま、それでいいだろ。無理して分かり合う必要なんてない。殺し合ってれば、いつかは分かり合える。それで仲間になれても、敵じゃなくなるとは限らないけどな」
「……」
「理解できない、ってか?ただ憎み合うだけが戦いじゃねえ。確かに、戦争となればそんななまっちょろいことを言ってる余裕なんてありゃしねえ。だけどよ、サシでの勝負のときくらいは、思いをぶつけ合うのが正道ってもんだろ」
ヴァーユは改めて刀を構える。
「さあ、ぶつけてこいよ。あんたの魂、背負ってきた遺志、何もかもを!余裕なんてない、全身全霊をよぉ!」
アウルは頷き、凄まじい閃光を放ち咆哮する。光を突き破り、黄金に包まれた一つ目の怪物と化したアウルが姿を現す。筋骨隆々たる上半身と、蛇のごとく長い下半身を併せ持つ怪物は、ヴァーユを睥睨する。
「その穢れなき心を喰らって、私はあなたの思いを理解するとしましょう」
「へへっ、行くぜ!」
ヴァーユは刀を懐に引き寄せて納刀し、衝撃波を伴いつつ抜刀して真空刃を飛ばす。アウルが上体を起こし、巻き上げられた水が壁となってそれを防ぐ。更に右腕を振り下ろして蒸気を伴った間欠泉を次々に生成する。ヴァーユは轟く水に視界を遮られつつも合間を縫って進み、神速の二連斬りからの渾身の一振を放つ。が、アウルの体表を満たす水に衝撃が吸収され、その隙に握り締められ、放り投げられる。続けてアウルは両腕を地面に叩きつけて海嘯を起こし、その怒涛がヴァーユを叩き潰す。しかし、ヴァーユはそれだけでは死なず、莫大な風を纏った十字斬りを放ち、アウルの体を大いに傷つける。反撃に拳を地面に叩きつけて飛沫を上げ、雨を刃に変えて射出する。ヴァーユは風を纏ったままの刀を空中で振り抜き、それらを全て掻き消す。その瞬間、元の姿に戻ったアウルが光の刃を携えて眼前にいた。
「ッ!?」
気づいた時にはもう遅く、二つの光の刃が十字にヴァーユを切り裂く。それでもヴァーユは倒れることなく反撃の刃を放つ。それより速く、束ねられた光がヴァーユの右腕を吹き飛ばす。更に意地から放たれた蹴りを弾き、止めに光の刃で腹を貫く。力を失ったヴァーユの体はアウルにもたれ、アウルはその体を支える。
「俺の負けだぜ……まさか、ここまで強いなんてな……」
アウルはヴァーユの体を仰向けに横たえ、その傍に座る。
「ヴァルナを倒した実力に……偽りなしってか……」
「……」
「へへっ……この充実感に満たされたまま……俺を倒したやつに看取られる……最ッ高の……臨終ってやつだ……」
ヴァーユの体は粒子となって消え、アウルに吸収された。
「げに素晴らしき戦士たちよな」
アウルの体から赤い龍の首が現れ、彼女の瞳が濁った金色から赤紫へと戻る。
「獣由来の欲望を忘れ、ただ貪欲に人間の本能に従う……それがどれだけ穢れなく、美しいものか……今回でよくわかりました。覇道を進む王の傍らにあるためには……王と命を奪い合えるほどの、好敵手でなければならない」
「さて、そろそろ先を急ぐとしよう」
龍はアウルの体に戻り、瞳がまた黄金に変わる。
「彼らの力に安息は無くとも、その存在は安らかに眠らんことを」
『ヌシの願いのため、全てに糧になってもらうとしよう』
アウルはムラダーラの端から飛び去った。
ムスペルヘイム
バロンとエリアルの二人は溶岩地帯を歩いていた。
「……」
先の大戦の時とは異なり、活発に流動していたマグマは冷え固まっており、随分と歩きやすくなっていた。
「……同じ場所とは思えないな」
「ええ、そうね。土地全体の活力が下がっていると言うか」
「……聞きたいんだが、ムスペルヘイムはどんな土地なんだ?」
「元々活火山を中心とした広大な溶岩地帯だったのだけど、王龍トゥルアカム……この世界で、黒き神と呼ばれていたあの龍の力で、強引に、本来持つ以上のパワーを発揮していたのよ」
「……なるほど」
「ねえねえ、ところでなんだけど」
「……ん、どうした?」
「温泉に入ってみない?」
エリアルの言葉の意図を読めずに、バロンはきょとんとする。
「いや、この緊急事態で本当に温泉でイチャつこうなんて思ってないわよ?ここのどこかに、ニブルヘイムに流れ込む熱湯の源泉があるはず。そこに向かうの」
「……合点がいった。だが、どうやって探す?」
「そうね……昔、要塞があったホットスポットってあるでしょ?」
「……ツェリノやグロズニィがあった場所だな」
「ホットスポットは、言うなればエネルギーの集積所。そこを中心として、多くの資源が集中しているわ。ホットスポットに私の水を叩き込んで、地中まで降りれば、この世界の秘密がわかるはず」
「……わかった。すぐに行こう」
二人は頷き合い、黒い岩石の平野を駆け抜ける。
要塞残骸グロズニィ
周囲に無数の鋼の破片が突き刺さった、崩壊した要塞に二人は辿り着く。
「……この世界での戦いからそう長くは経っていないはずなのに、ここに来るのが随分と懐かしく感じる」
「何も知らないところから、ここまで来たって、なんかワクワクするわね」
エリアルが先行し、バロンはそれに従って残骸の中を進む。
「……あの時はかなり派手に吹き飛んだと思っていたんだが、案外形を保っているものだな」
「ま、フォルメタリア鋼製だからね。如何に凄まじい溶岩流を受けても、全壊はしないでしょ」
「……フォルメタリア鋼か」
「ディクテイターの遺した、多くの兵器の内の一つ、フォルメタリア。……の瞳を精錬して作られる金属で、シフルの伝導効率が非常にいいっていう性質を持ってるわ」
「……物に思いが伝わりやすい、と?」
「そう。だからここを守っていたのがコーカサスでなく、グランディスだったら、もっと形を保っていたでしょうね」
「……どちらも素晴らしい英傑だった」
二人は巨大な穴の前で立ち止まる。
「行くわよ、準備はいい?」
「……もちろん」
エリアルは穴へ莫大な量の水を叩き込む。それに乗って、二人は落下していく。
地底火山
二人が着地すると、そこはまだ滾る溶岩が広がる洞窟だった。
「……こんな場所があったとは」
「とりあえず、水の臭いを頼りに進むしかないわね」
二人は溶岩の合間に残った岩場を乗り継いで進み、横穴を歩く。
「バロン」
エリアルが一瞬足を前に出すのを躊躇う。
「……ああ……どうしてここまでの闘気を感じなかったんだ」
横穴を抜けるとそこは地底湖であり、白煙が所々で上がっていた。その中央には、銀髪のポニーテールの少女が禅を組んで座っていた。
「誰ば思たらめっちゃなついメンツやんけ」
少女は眼を開く。
「ウチに会いに来たんばと?」
その問いに、エリアルは首を横に振る。
「パラミナに流れ込んだ水の出所を調べに来ただけよ」
少女は立ち上がる。
「そがんこと言うたら、ウチも少しは傷つくんばい?」
「傷つく心なんて元々ないでしょ。インドミナス・コラプス」
コラプスは口角をつり上げる。
「もちろん。ウチは全てを破壊し尽くす、そのために作られた兵器やけね」
バロンはエリアルに並ぶ。
「……あれは確か、始源世界で明人を葬った……」
「そう。インドミナス・コラプス。またの名を、王龍インドミナス」
「……なぜお前がこんなところにいる」
バロンとコラプスは互いに殺意を纏わせた視線を交わす。
「理由は一つ」
コラプスの言葉に、二人は注意を向ける。
「あのアホんだらと刺し違えた後に、ここん流されてきたっちゃ」
「……本当にそれだけか」
「本当にそんだけ」
バロンは訝しむが、エリアルが続く。
「ともかく、これでニブルヘイムに流れ込んだ水の出所がわかったわ。後はニブルヘイムが今どうなっているかを確かめれば……」
コラプスが微笑む。
「ウチが通すと思っとん?」
そして力み、凄まじい力を発する。
「はよう構えんば、一撃でいてまうぞ!」
竜化し、黒い棘を備えた巨体を現す。
「……これが彼女の真の姿か」
放たれた衝撃波に干渉され、地底湖の周囲の間欠泉から熱湯が吹き上がる。
「構え、来い!」
刺々しい体が圧倒的な俊敏性で飛びかかり、右前腕を振り上げ、バロンの拳と衝突する。強烈な衝撃波が響き渡り、周囲から更に熱湯が湧出する。コラプスは勢いよく飛び上がり、翼を前腕で外套のごとく引き出して、自分の体を破壊せんばかりに地面に叩きつける。バロンは飛び退き、落下の隙を狙って光の速さで拳を放つ。が、コラプスはそのまま地面に再び自分の体を叩きつけて、無数に屹立した棘を炸裂させてカウンターする。バロンの拳の威力が殺され、体を起こしたコラプスはそのまま頭を地面に叩きつけ、地面を抉りながら猛進する。バロンは躱し、一定の距離を取る。
「……凄まじい蛮勇だな」
「ああ、まだ全然足らんッ!」
コラプスが身を震わせて棘を全て破棄し、白く光輝く棘が生え揃う。
「気をつけて、バロン!あの棘は、シフルの結晶よ!」
エリアルがそう告げると同時に、コラプスは吼えて飛び上がり、凄絶な勢いで突進し、棘を撒き散らす。バロンは光となって躱し、背後から闘気の弾を放つ。コラプスは躱されても構わず突撃し続け、前腕を地面に突き刺して強引なドリフトを決め、向かってくる闘気の弾を強烈な前腕の叩きつけで打ち消し、そのまま飛びかかって再び両者の拳が衝突する。
「戦いを待っちょったけんが、ウチも全力でぶつかりよるわ!」
コラプスはバロンを吹き飛ばし、飛び上がり、右前足を大きく振りかぶって急降下する。バロンが直ぐに立て直したことで躱され、激烈な一撃が大地を抉る。同時に、突然の地鳴りが起こる。
「……なんだ!?」
「まずいわね……二人の戦いの衝撃で、地下水が反応してるのかも!」
エリアルはそう叫び、バロンと共に駆け出す。コラプスが足を引き抜き、二人を追って滅茶苦茶な突進で周囲を傷つけながら進む。遅れて、激流が地面から噴出し、一行を追うように地表へ突き進む。
ニブルヘイム
エリアルを抱えたバロンが闘気で地面を突き破り、外へ出る。そこは、氷山に囲まれていたニブルヘイムとはとても思えない湿地が広がっていた。程無くしてコラプスが飛び出し、続けて間欠泉のごとく凄まじい量の熱湯が噴き出す。
「……まだ追ってくるか」
バロンはエリアルを下ろし、コラプスと向かい合う。
「久しぶりに暴れられるんやけ、簡単に見逃すわけが無いっちいいよろうもん」
「……エリアル、これでわかったな」
バロンが顔だけエリアルに向ける。
「ええ。ムスペルヘイムから流れ込んだこの熱湯がなんらかの要因で氷結したのがニブルヘイムの大氷山。そして、それがまたなんらかの要因で融けて、パラミナへ流れ込んだ。さっきの大津波は、それが原因ね」
「……ひとまず、こいつを撃退しよう」
「そうね。アウルとの戦いに割り込まれても邪魔だし」
エリアルが杖を構えると、コラプスは開戦の合図のようにけたたましい咆哮を撒き散らす。
ミンドガズオルム
神子の護所へ続く洞穴に向かってアウルが歩いていると、突如として巨大な岩に周囲を囲まれる。
「これは……」
アウルが警戒していると、後ろから声がした。
「随分と好き勝手やってくれているようだな」
振り返ると、そこにはラーフがいた。
「まさか、獲物の方からこちらに来てくれるなんて」
アウルが微笑みかけると、ラーフは眼鏡の位置を直す。
「氷河を融解させたのはお前か?」
「ええ。王龍カルムウバスの力を失った氷を融かすなど、造作もないのでね」
「なるほどな」
ラーフは眼を閉じ、左手を顔の前で握る。すると、手の甲の刻印が輝き、その姿を転じる。マッシブな身体に、無数の鋭い牙が屹立した頭部を持つ怪物へ変身すると、拳を突き合わす。
「ならば一刻の猶予もない。お前を喰らい、脅威を取り除く」
「そう来なくては」
アウルも光を放ち、翼の生えた蛇に腕を生やしたような黄金の騎士へ変貌する。
「私の最後の試練の前に、あなたの力を私の物にするとしましょうか」
両腕を胸の前に構え、螺旋状の闘気をラーフへ放つ。ラーフは三つの巨大な鉤爪がついた両腕を展開し、中央から巨大な棘を出して地面に突き刺し、一気に地面を隆起させる。闘気は岩に阻まれ、砕け散った岩片が全てアウルの方を向いて発射される。アウルはメイスを産み出して弾き返すが、なんとラーフの頭部だけが分離して飛びかかってくる。口に見えていた部分は腹であり、奇怪で細長い四肢をじたばたさせながら特攻しようとしている。アウルは長い尾を振り抜いて迎撃するが、ラーフの頭部は空中で飛び上がって躱し、そのままアウルの頭にしがみついて口を開き、噛み砕こうと果敢に食らい付く。今度こそアウルは尾でラーフの頭部を捉え、尾を巻き付けて地面に叩き落とす。ラーフの本体が隙を見せたアウルに向けて音波を飛ばし、翼を撃ち抜いて撃墜させる。そこへ先ほど発生した巨大な岩が次々と雪崩れ込み、ラーフは追撃に地面を隆起させ、アウルを串刺しにする。しかし、アウルはすぐに態勢を立て直し、受けた傷を再生する。ラーフは頭部と本体を合体させ、両者向き合う。
「まさか悪魔化出来るなんて」
「ヴァーユと将軍も同じような物を持っていたが……その様子だと二人は使わなかったようだな」
「……」
「あの二人のことだから、己の力だけで戦いたかったんだろう。だが、私にそんな高尚な志はない」
「ええ、伝わってきます。この戦いの世界で、策を弄することがどれだけ無意味で、そのために虐げられてきたかを」
「百の兵で万の兵を倒す策を考えようと、バロンや将軍のような、正真正銘の一騎当千の兵が一人いるだけで、そんなものは一瞬にして無意味なものとなる。この世界で信じられるのは己の力のみと、そう悟るのに時間はかからなかった。だが、どこまでが己の力かを決めるのは、それこそ己の自由だ。二人は生来の実力と、努力で勝ち取ったものだけをそう言った」
「あなたは違う、と?」
「どんな手段で手に入れた力でも、使いこなせば己の力だと私は思っている。だからこそ、一対の神が現れる前、私が出会った一体の王龍から、この力を受け取った」
「!」
アウルは最後の一言に鋭く反応する。
「(まさか、ニヒロはここに来たことが……?)」
「私はただ、どんな力も、手段も許容される世界に生きたかった」
ラーフは凄まじい音波を飛ばして地面を隆起させ、アウルは紫雷を纏った光の刃をメイスから飛ばす。二つの攻撃が激突した影から斧槍を持ったアウルが激流でブーストされて突撃し、その一撃をラーフは左腕で防御し、肉薄した瞬間にラーフは頭部を分離させ、先読みしていたアウルは尾を放ち、ラーフの頭部に巻き付けて引き剥がし、出力を上げた斧槍で腕を断ち切り、メイスに持ち替えて強烈な殴打をラーフの本体の腹に叩きつける。が、ラーフの身体の表面から岩が突如として隆起して、アウルを吹き飛ばす。吹き飛んだ先に岩がいくつも屹立し、シフルを生じて力場を産み出し、アウルを拘束する。
「うぐっ!?」
「終わりだッ!」
ラーフが腕から棘を生やし、再び地面に突き刺す。凄まじい音波が響き渡り、アウルを拘束する岩柱に反響して彼女に幾度も衝撃を叩きつける。
「このッ……音はッ……ベリスのッ……!」
激甚なダメージを負いつつも、アウルは閃光を放って岩柱を砕き、メイスの先端から紫雷を放つ。ラーフは音波で攻撃を逸らし、既に分離していた頭部が背後からアウルに飛びかかる。アウルは変身を解き、強烈な光の刃を産み出してラーフの頭部を切り裂き、ラーフの本体は首から極大の光線を放つ。アウルは閃光を盾にして防ぎ、ラーフの本体を囲うように光の糸を紡ぎだし、閉じ込め、徐々に光の檻を狭めていく。檻の内部に凄まじいほどの輝きが充満し、ラーフは徐々に削り取られていく。ラーフは怪物の腕のままで檻を掴む。煙が上がり、鉤爪が溶断される。
「……」
ラーフは人間の姿に戻り、悟ったような表情でアウルを見つめる。アウルもまた、呼吸を整えつつも、一言も発さなかった。やがて檻のなかに光が満ち、ラーフは消えてなくなった。光が全てアウルへ吸収され、彼女は眼を閉じ、そして見開く。
「これで、私は最後の試練に望める。早急に準備しましょう、マザーハーロット」
アウルの背から、赤い龍の首が現れる。
「ヌシにとっての最後の試練……くくくっ、妾も全力を貸してやろう。盛大に潰し合うがよかろ」
「もうすぐ私たちの協力関係も終わりを告げます。……ある程度の感謝を、あなたに表しておきますので、ありがたく受け取ってください」
「今になって思えば、瀕死のヌシに妾が力を貸し、逃げ仰せたエリアルを追うために策を練り続けたが……いやはや、下らぬ鳥の姿になってまで焦ったのは意味が無かったのう」
「あの時点で既に、狂竜王がなんらかの手段で間に合わせの手駒を欲していたのは把握していましたからね。けれど、あのお陰でバロンにはすぐに理解を示してもらえましたし」
「毒を喰らえばなんとやら……せっかくじゃ、ヌシの死出の旅に最後まで付き合ってやろ」
「ええ」
龍の首は引っ込み、アウルは沸き上がる感情を抑えきれず、微笑みながら神子の護所へ進んでいった。
ニブルヘイム
狂ったようにコラプスが暴れまわり、黒鋼とエリアル、二人からの猛攻を受けても意に介することなくそれ以上の猛反撃でニブルヘイムの大地を傷つけまくる。エリアルが激流を起こしてコラプスを横転させ、コラプスは受け身を取って凄まじく強引にエリアルへ向けて突撃し、横から鋼の波を受け、黒鋼の豪腕を喰らって吹き飛ばされる。
「なんて生命力なの」
エリアルが辟易してそう言う。
「……傷を付けても、より強力に再生している……」
コラプスは翼を広げ咆哮する。
「なんしよんか!もっとウチと死合わんといけんやろうが!そげん臆病風な攻撃をウチが許すとか思っとーとか!」
「……それはすまない」
コラプスと黒鋼が再び暴威を振るおうとした瞬間、エリアルの足元から黄金の光が湧き出る。黒鋼が目線を奪われたのは当然として、余りに急な出来事だったためかコラプスも手を止める。程無くして、光と共にエリアルは消えていた。
「……何だと……」
「余所見しとる暇なんかないやろが!」
コラプスは僅かな間棒立ちになった黒鋼を薙ぎ倒し、渾身の拳をめり込ませる。黒鋼はすぐに振りほどき、強烈な猛打を互いにぶつけ合う。
神子の護所
蒼い鉱石の放つ光によって照らされた空洞で、アウルは静かに眼を閉じて座していた。そこへ、黄金の光と共にエリアルが現れる。
「来ましたね、神子。……いえ、エリアル・フィーネ」
アウルは眼を開き、立ち上がる。
「随分強引に招待してくれるじゃない。私、今バロンと一緒に王龍の相手してたんだけど」
「ふふっ、ごめんなさい。こうでもしないと、バロンからあなただけを引き剥がすなんて無理そうでしたから」
「ふーん。ま、パラミナの森で会ったときからこうなるだろうとは思ってたけど、結構急いだものね。ニブルヘイムの氷が融けたのって、そっちのせいでしょ?」
「もちろん」
「で、あのイゼルとかいうのはどうなの?」
「彼は偶然協力関係になっただけの、ほぼ他人ですよ」
エリアルは怪訝な、アウルは喜びに満ちた視線を互いに向ける。
「もしかして、私がバロンを奪ったとかいう理由でここまで来て、私だけ引き剥がしたりしてるの?」
「いえ、別に。私、気付いたんです。自分の、本当に望むことを」
「……?」
「私はただ、彼を支配したかっただけなんです。彼に、私が思うままの人生を歩んでほしかった」
「あっそ。バロンは一人に尽くすのが大好きみたいだし、そっちがあんなこと言わなけりゃ、今でも傍に居てくれたかもよ」
「そうですね。私にとっても、あれはもうどうでもいいことです」
アウルは口端を上げる。
「私の最後の試練はエリアル、あなたを倒し、私の力とすること。そのために、私は力を取り戻すべく戦った」
「全く……」
エリアルは呆れてため息をつく。
「あの時ちゃんと死んでてくれれば、こんな面倒は無かったのにね!」
「全力で来てください、エリアル!全力のあなたを真正面から粉砕してこそ、この戦いには意味がある!」
エリアルは両腕を開き、杖を無数に分身させる。それぞれの杖が光を纏い、空中で整列し、光線を放ちながら縦に薙ぎ払う。護所が切り刻まれ、アウルは球状の光に籠って防御する。エリアルは自身の持つ杖を地面に突き刺し、間欠泉のごとく水を地中から爆裂させて攻撃する。アウルは身を翻し、メイスを持った黄金の騎士へ変身し、メイスから光線を放つ。エリアルは素早く反応し、地中から水をカーテン状に噴き出させて光線を弾き、瞬間移動でアウルの背後を取る。アウルも咄嗟に振り返ってメイスと杖が激突する。
「改めて聞くけど、私たちをこの世界に連れ込んだのも、そっちのせいでいいのよね?」
「さあ。そちらのご想像にお任せします」
杖がメイスを弾き飛ばし、鋭い突きが放たれる。アウルは変身を解き、杖を両手で受け止める。
「バロンに下らない入れ知恵をしたのも知ってるわよ?」
「はて、なんのことやら」
「とぼけても無駄よ。バロンが王龍インドミナスのことなんて覚えてるはずがないもの」
アウルは少し疑問を覚えたが、すぐに意識を戦闘に戻す。杖をぶんどり、それに閃光を纏わせて斬りかかる。エリアルは素早い蹴りで杖を弾き、肩から綺麗なタックルを叩き込み、両者の間で圧縮されたシフルを爆裂させ、アウルは縦に吹き飛ぶ。しかし、アウルは手を地面に突き刺して堪え、杖を取り戻したエリアルが再び杖を分身させ、光線を縦に薙ぎ払う。今度は避けきれずに被弾し、光線を受けつつアウルは傷を修復し続けて耐える。エリアルは着地する。
「流石です、エリアル……」
「久しぶりに本気で戦ってるけど、バロンのお陰か鈍ってないわね」
エリアルは杖の石突きをアウルへ向ける。
「悪いけど、私はバロンの傍に居ないといけないの」
暫し静寂が二人の間を埋め、杖を地面に向け、エリアルは再び口を開く。
「あの人は、一人で勝手に何でも背負い込む癖があるからね」
「ふ、ふふ……」
アウルは妖しく笑う。
「あなた達は、私の想像以上にお互いを思い合い、尊重し合っている……それがこの上なく、妬ましいッ!」
凄まじい閃光が放たれ、アウルは鎧を着込み、四本の腕を持つ蛇の怪物へ変身する。
「それ、逆恨みってやつよ?私はちょっとみっともないと思うけど?」
「逆に聞きますが、あなたはバロン以外に人格を否定されて素直に聞き入れますか?」
「いいえ全く。っていうか、バロンから何か言われたことないし。私もバロンに何も不満はないけど」
「では黙って死合うのみ」
アウルは四本の腕にそれぞれ剣を持ち、二本をそれぞれ振り下ろし、エリアルは軽くそれらの攻撃を受け流す。アウルは光を纏わせた強烈な連続斬りを放ち、それらは的確に展開された杖の分身に弾かれ、アウルは力を溜めて全力で突進する。エリアルは瞬間移動で右に回避するが、退路を潰すようにアウルは切っ先から光の刃を放ち、地中から光が壁となって噴出し、エリアルの行動エリアを著しく制限する。
「仰々しく力がどうの言った割にはそんな程度?」
エリアルの挑発に乗ることなく、アウルは地面を捲り上げつつ突進し、牽制に右の上の腕を振るう。エリアルはその攻撃を鋭く弾き、右の下、上、左の下、右の上、左の上と続くアウルの剣を杖の分身で的確に弾き続ける。次第に光を纏い始めたアウルの剣は、だんだんと振る速度が上がっていく。エリアルの防御も次第に間に合わなくなっていき、彼女は後方に瞬間移動する。が、光の壁のせいで思うように下がれず、距離を詰めたアウルの一撃を杖で受け止める。
「くっ……」
エリアルは堪えるが、アウルが次の一撃をぶつけて吹き飛ばし、光の壁に激突してエリアルは更にあらぬ方向に吹き飛ばされる。だがすぐに受け身を取り、杖を分身させ、四方八方から次々と光線をアウルへ発射させる。アウルは全身から黄金の光を放ち、全ての光線を無力化する。
「生憎ですが、あなたでは私を止めることはできない。それはあなた自身が一番よくわかっているはず」
「ふん。……ふふ……」
エリアルは杖を持つ右腕からシフルの粒子が零れるのを見て笑う。
「あなたから漏れ出たヴァナ・ファキナが、あなたから殆どの生きる活力を奪い取った。あなたを活かすのはもはや自分自身ではない。バロンにそう望ませることで繋ぎ止めているだけ。バロンから愛されなければ、存在を望まれなければ、あなたは生きられない」
「ええ、その通り。でもそれでいいでしょう?バロンが望むのは私。私が望むのはバロン。それで私は確かにここに存在しているもの」
「まあ、なんでも構いませんが」
アウルが突進し、エリアルは飛び退く。再三のその行動をアウルは読み、身を翻して剣を振るう。エリアルの背後を潰すように紫雷が線のように横に三本現れ、エリアルは咄嗟に急降下する。その隙を狙ってアウルが前のめりになりつつ剣を振り下ろす。左に躱したエリアルへ向き直らず、アウルは天へ咆哮する。光の壁が更に狭まり、ほぼ強制的に真正面からの打ち合いを強制する間合いになる。
「さよなら、我が愛しき恋敵」
アウルは右の下の腕に持った剣を向ける。
「まだまだ、蒼の神子はこんなもんじゃないわよ」
エリアルの足元に蒼い光を放つ魔法陣が現れる。それが身体へ吸収され、エリアルの肌に蒼い光の紋様が現れる。
「私が死ぬとバロンが悲しむからね」
アウルは四本の腕を使った全力の猛攻を仕掛け、エリアルは先程よりも速いその連続攻撃を往なし、左下腕と右上腕を斬り裂いて、そのまま強烈な一撃を頭部に叩き込んで吹き飛ばし、アウルは人間の姿へ戻る。
「うぐ……」
エリアルは限界が近いのか、杖を支えに膝をつく。アウルはその隙を逃さず、メイスを持った黄金の騎士へ変身し、光の刃を叩きつけ、光の壁までエリアルを吹き飛ばし、光の壁に激突したエリアルは地面にうつ伏せに倒れる。アウルは人間の姿に戻り、爪先でエリアルを仰向けにさせる。
「私の勝ちです」
「ふん……満足したなら、さっさと私に止めを刺しなさいよ」
「……」
二人はそれ以上何も語らず、アウルはエリアルを吸収した。同時に、奥からイゼルが現れる。
「終わったようだな」
「ええ。そちらは?」
「首尾は上々だな。この世界はもう用済みだ。あとはお前さんが宙核との決戦のために好きにして構わん」
「わかった」
会話が終わると、イゼルはすぐにその場から去る。アウルは胸の高鳴りを感じながら、外を目指して歩く。
ニブルヘイム
コラプスの無茶苦茶な攻撃が周囲を粉砕し、次々に噴き出す間欠泉が二人の視界を著しく妨害する。
「往生せえやぁ!」
全身からシフルの棘を生やしたコラプスが後方へ飛び上がり、全身全霊をかけた突進を放った瞬間、黒鋼との間に巨大な氷塊が現れ、構わずコラプスが突撃するも、あえなく激突してそのまま止まる。
「んあ!」
コラプスはその氷から何かを感じたのか、翼を広げてそのまま飛び去る。
「……逃げたか……?まあいい、今はエリアルを探さなくては……!」
黒鋼は竜化を解き、バロンがその場から駆け出そうとした瞬間、眼前にアウルが現れる。
「……アウル……」
「パラミナの森以来ですね」
「……!?」
バロンがアウルから感じた力の気配に驚愕する。
「……エリ……アル……!」
そして反射的にアウルに拳を放つが、彼女は軽々とそれを受け止める。
「バロン。私はありのままのあなたと戦いたい。エリアルの庇護を離れた、裸のあなたと」
「……」
「でもここでは決戦の舞台としては弱い、そうですよね?」
「……ああ」
バロンが拳を引き、アウルがその手を横に伸ばすと、周囲の景色が光に呑まれて変わる。
絶海都市エウレカ 行政ビル前広場
無数のオフィスビルが並ぶ街中に、一際巨大なビルが見える。その前にある広場に、二人は立っていた。
「……当て付けのつもりか」
「いいえ。ここはエリアルにも、私にも、エメルも、ゼノビアも、シマエナガにも、そしてもちろん、あなたにとっても始まりの場所」
「……この記憶は、お前が寄越したのか」
「私が幸せだった、あなたの初めの世界の記憶。何も手を加えていない、ありのままあなたの記憶ですから、ご心配なさらず」
「……」
言葉が止み、互いに悟ったような表情で視線を交わす。アウルは諦めたように笑い、バロンは少しも表情を変えない。アウルは右手を空に掲げ、同時に光が空に集まっていく。
「……何をするつもりだ」
「エリアルの力を得た私には、何が出来ると思いますか?」
「……まさか。世界をシフルに戻しているのか」
アウルは微笑み、右手を戻し、開いた掌に光が渦を巻いて降りてくる。そしてアウルの身体は閃光に包まれ、赤い龍の首が一本ずつ順に光の中から現れ、そして七首の赤龍が姿を現す。
「……またそれか」
「私は旧Chaos社の動乱で、あなたと戦った。そこで感じた、あの興奮。あの目眩く焦燥を感じるためには、再びあなたと殺し合う必要があった」
「……」
「きっとあなたはこう思っているのでしょう。私ごときでは、何も感じないと」
七つの首が同時に口に紫雷を燻らせ、光線にして縦に薙ぎ払う。バロンは瞬時に竜化し、黒鋼は鋼の壁でそれらを防ぐ。壁が崩れ、両者の視線は再び交わる。
「……なるほど。確かに、あの時よりも力は増している。気を抜けば一瞬で消し去られる程にはな」
「では参りましょう。この世の陽が暮れるまでの短い間、気が狂れるほど愛し合うために我らは……」
「……命を、懸ける」
黒鋼が拳を振るい、無数の鋼の槍が射出される。アウルは爆散する光線を噛み砕き、飛び散る電撃でそれらを打ち落とす。紫雷を放って突撃し、全ての首を使って怒涛の噛みつきを放つ。黒鋼も同じように怒涛のラッシュをぶつけ、鋼が飛び散り、それらに雷が流れて弾け飛び、周囲のビルのガラスが割れる。続く黒鋼の殴打でアウルの首が一本吹き飛ぶが、二人の頭上に燦然と輝く球体からシフルが供給され、即座に再生する。輝きを失った分だけ世界を消滅させ、その光輝を取り戻す。
「……」
「……」
互いに黙ったまま、狂気的なまでの殺意を叩きつけ合う。アウルの噛みつきは同時に、迸る紫雷を解き放ち、前隙も後隙もない。黒鋼の拳速も時間の経過につれてドンドン加速して行き、首の損耗もまた激しくなっていく。特大の雷を纏って凄まじい噛みつきを放ち、黒鋼は咄嗟に鋼の盾を産み出して噛み砕かせ、そのまま防御を無視した連続攻撃を放つ。アウルも卓越した連続噛みつきで防御する。黒鋼は乱雑に攻撃している風を装って、再び鋼の盾を噛ませ、今度は飛び退く。本能的に察したのか、アウルも同時に踏み込んで中央の首で噛みつく。
「……甘いッ!」
黒鋼はそれすら見切って手刀を振るい、中央の首を斬り飛ばす。再び頭上の輝きから光が降り立ち、首が再生する。
「……なるほどな。足りない耐久性を、このWorldBを変換して強引に補う。そのためにエリアルを狙ったのか」
「あなたはわかっていない。ずっと、わかろうともしない」
「……」
「神子の力を得て、私は彼女の心の全てを知った」
「……なんだと?」
「私が思うよりも、遥かに大きく、確かに彼女は、あなたのことを思っていた。でもあなたにとって、彼女は何?」
「……全てだ」
「……。あなたは、神子のものになる前、私にもそう言った。全てを捧げて、愛して、それであなたは満足?」
「……どういう……ことだ……?何が言いたい」
「わからないのなら、あなたは二度と神子に会えない。私を倒しても、エリアルという一人の人間に、再び出会うことはない」
アウルは左右三本ずつの首を地面に突き立て、足元から凄まじい閃光を次々と放つ。黒鋼は光の噴き出す穴を鋼で塞ぎ込み、アウルは首を引き抜いて電撃を飛び散らせながら紫雷の球体を放つ。更に続けて首を地面に擦り付け、巻き上げ噛み砕きながら突撃し続ける。黒鋼は機雷を警戒して真正面から受け止める。
「……ぐぅ……!?」
闘気が安定しないのか、黒鋼の体の縁からシフルが霧散していく。そして押し切られ、中央から右に一本目の首に喉元に噛みつかれ、そして雷を迸らせて噛み千切る。首の肉が無くなった場所から、凄まじい勢いで闘気が漏れ出す。そのまま左右の三本目の首が黒鋼の両腕に食らいついてそのままビルに叩きつけ、五つの首でラッシュを叩き込む。止めに中央の首で最大の電撃を纏った噛みつきで吹き飛ばし、黒鋼はバロンに戻る。
「……」
バロンは壊れたアスファルトの残骸を重い動作ではねのけ、近寄ってくるアウルを見る。
「あなたは迷っている。誰のために戦っているか、わからなくなって」
「……僕は……」
「終わりにしましょう。あなたは、今度は私のために眠る」
アウルが全ての首に紫雷を集中させ、噛みつこうとした瞬間、無数の鎖で編まれた防壁に阻まれる。怯んだアウルは横から現れた天使の、盾を使ったタックルで吹き飛ばされる。
「兄貴!胴体の連結部が弱点みたいだよ!」
「わかってるッス!」
姿勢を戻す瞬間に頭上から飛んできた槍がアウルの中央の首の連結部に突き刺さり、電撃を放つ。そしてバロンの目の前に四人が着地する。
「どうやら……間に合ったようね……」
吹きすさぶ風に美しい黒髪が靡き、チェックミニスカートが踊る。赤い裏地のマントに刺繍されたグランシデアの国章が、光を受けて燦然と輝く。
「……君は……」
バロンの前には、なんとロータが立っていたのである。
「さっきの話は聞いていた。……。愛するものを、本当に愛しているかわからなくなった時の気持ちは、私にはよくわかる……」
横に並ぶエリナが頷く。
「自分のことばかりを考えて、他人を見ていないのは誰にでもよくあることだ」
ロータがはにかみ、バロンを横目に見る。
「あなたが真に望む人のことを……ちゃんと強く願えばいい」
それだけ告げて、ロータはアウルと相対する。
「天象の鎖、ですか。どうか邪魔しないで頂きたい」
「嫌。今……こいつを失うと面倒だから……」
紫の棘を纏った鎖がアウルの一番右の首を戒め、そのまま捻じ切るが、輝きが舞い降りて修復される。
「……」
ロータがミリルをちらりと見る。ミリルは頷き、ゴーグルを装着する。
「兄貴、しばらく集中するから護衛よろしく!」
「任せとけッス!」
マイケルが槍を構え、後ろからバロンが飛び出してロータ、エリナと並ぶ。
「……これは僕の問題だ。助けてくれたのは礼を言うが、ここは僕が――ぶごぉ!?」
バロンが言い終わるより前に、ロータから強烈な飛び回し蹴りを受けて吹き飛ばされる。
「邪魔」
そこへアウルが紫雷を機雷のように球体にして連射し、ロータは瞬時に鎖を天空に編んで機雷を全て爆発させる。急接近して噛みつきを放ってきたのをエリナが盾で受け止め、鎖で薙ぎ払ってアウルを吹き飛ばし、凄絶な爆発が周囲を包み込む。アウルの首は五本焼失していたが、また輝きに包まれて再生する。ロータが右耳に付けていたイヤホンからミリルの声がする。
『ロータちゃん!あのドラゴンは、空にあるあの球体からシフルを供給して再生してるみたいだよ!原理はわからないけど、この世界そのものを変換して力にしてるみたい!』
と、そこでイヤホンからバロンの声がする。
『……恐らく、彼女の中にあるエリアルの力で、この世界を強制的に書き換えているんだ。そこでだ。僕が一時的にこの世界を他の世界との連結から断ち切る。その時に、全力でアウルのエネルギーを削ってくれ』
「わかった……合図は何?」
『短く連絡音を三回鳴らします。それが合図です』
ロータは短く頷き、アウルの攻撃を往なす。噛みつきが弾かれた隙にエリナが強烈な一撃を加え、首を一本吹き飛ばす。
「流石は天象の鎖、そして狂竜王の配下、と言ったところでしょうか」
アウルが嘲笑すると、エリナが呆れたように首を振る。
「もう既に、私は王の下を離れた。そう呼ばれる筋合いはない」
ロータは黙っていたが、耳許に短い音が三回響いて、エリナと頷き合う。
「ここで時間を食うわけには行かない……さっさと終わらせて、先に進ませてもらう……」
ロータは全身から魔力を放ち、凄まじい勢いで鎖を放ってアウルを戒め、無数の最上級の魔法を叩き込み、首を再生した端から消し飛ばしていく。急速に頭上の輝きが収縮していき、次第にビル群が消え去っていく。
「舐めるな!」
アウルが鎖の戒めを解き、中央の首に力を溜めて突撃する。が、エリナが振るった剣の一閃で斬り捌かれ、アウルは人間の姿に戻って吹き飛ばされる。
「……ッ」
動揺したアウルへロータが口を開く。
「口から出る理念の割には……まあセコいな手を使うのね……」
「横槍が入らなければ勝てたんですがね」
「あなたは……何がしたいの……?バロンと死合いをするっていう建前で……単に彼が欲しいだけに見えるけど……?」
「知る必要はありません」
アウルが力むと、凄まじい輝きが彼女から放たれる。
「ミリル、これは?」
『あの人から発せられる力で、空間が歪んでいます!』
「それはわかる」
『バロンさんが閉じた世界の連結を、無理矢理再開させようとしてるみたいです!』
「チッ……いくら宙核でも限度はあるか……」
と、背後から再びバロンが現れる。ロータはそちらを向く。
「力は削ったから。後は自分で決めて。……終わったらニルヴァーナに来て。こんなことより優先しないといけないことがあるから」
「……わかった」
ロータが頷き、四人は鎖に乗って去っていった。
「……アウル、さっきはお前に心を乱されたが……僕が思うことはただひとつ。いかに独りよがりと言われようと、僕にはエリアルが必要であり、エリアルだけが、僕の愛を捧げる伴侶だ」
アウルは沈黙する。
「……お前も同じなんだろう。僕と命を奪い合いたいのが本心ではなく、ただ、僕を手中に収めたかった。それだけなんだろう」
「本心なんてものは、自分でもよくわからないものです。自我も、深層心理や表層心理など、様々に定義したところで、その実在を証明することは出来ない。強く意識しても、所詮は蒙昧で、そこには存在しないかのようにとりとめのないもの」
「……だが確かに彼女は存在する。存在の根幹を僕に託すことで、ここにある」
バロンが自分の胸に触れ、祈るように眼を閉じる。すると、彼の横に、アウルから漏れ出たシフルが集まり、エリアルが現れる。
「……エリアル……」
バロンの安らかな視線に、エリアルは照れ臭そうに顔を逸らす。
「いやー、一応安全策を用意してたけど、ロータが来るまで思い付かないとは思わなかったわー」
棒読みだったが、アウルはそれで感づく。
「まさか、あなたはここまで計算して……!」
エリアルはドヤ顔でアウルを見て、これ見よがしにウィンクする。
「その通り。そっちがヴァルナを襲撃した時点で察しはついてたわ。だからわざわざコラプスを刺激したんじゃない」
「……ッ!コラプスがあなたたちを圧倒するのを嫌ったニヒロが、干渉してくるところまで想定して……!」
「ま、さっきは流石にヒヤッとしたけどね。もしロータたちが来なかったらどうしよう、ってね。さて、と」
エリアルはバロンの手を握る。
「じゃ、あなたのご期待に答えて、私が力を貸してあげますとも!」
「……ああ」
二人は握った手を掲げ、そして竜化する。瑠璃色の体が現れる。〝玉鋼〟だ。
「……行くぞ」
その声に、アウルは笑う。
「これが、あなたと向かい合える最後の時間なのかもしれませんね」
彼女は光に包まれ、赤い大蛇へと変身する。巨大な一対の腕と、光線で象られた翼が、その偉容を彩る。
「エリアル……あなたはこの戦いの行く末すら、計算内ですか?」
「まさか。後は流れに任せるしかないわ」
アウルが極大の光線を放ち、玉鋼は腕の一振でそれを弾き返し、拳を光速で放つ。しかし、アウルが張ったバリアに弾かれ、そして大爆発する。玉鋼はそれに怯むことなく激流を打ち出し、バリアに弾かれて蒸発する。アウルは翼のエネルギーを増幅させ、射出して光線を降り注がせる。玉鋼が産み出した水と鋼の盾にそれは弾かれ、回転をかけて盾を投げ飛ばす。バリアに弾かれるが玉鋼は盾を体に吸収し、勢いを乗せた強烈な拳をバリアに突き刺し、力ずくでバリアを引き千切る。両者の拳が至近距離で激突し、玉鋼の拳がアウルの拳を粉砕し、そのまま胴体を貫く。
「が……はっ……」
そのまま、玉鋼は渾身の闘気を間近で放って龍の体を消し飛ばす。人間に戻ったアウルが地面を転がり、玉鋼は竜化を解いて二人に戻る。
「……アウル」
バロンが近寄り、跪いてアウルの体を起こす。
「私の負け……ですか……」
「……ああ」
「結局……あなたは……」
アウルの唇をバロンが自らの唇で塞ぎ、そして離れる。
「……それ以上言うな。僕は一瞬でも迷った。それは事実だ。お前のお陰で、僕は目を背けていた事実に向き合えた」
アウルが微笑む。
「〝あなたが幸せならそれでいい〟って……少しでも……思えたのなら……」
そして体をバロンに寄せる。
「最後に……私を……」
言い終わるより先にバロンがアウルを抱き締める。
「嗚呼……餞別に抱き締めてもらう、なんて……きっと……昔の私に言ったら……嫉妬しちゃいますね……」
アウルはシフルの粒子になって消えた。バロンはゆっくりと立ち上がり、エリアルの下へ戻る。
「いくら恋敵とは言え、最後を看取るって言うのは慣れないわね」
「……アウル……」
二人はしばらく静寂に佇み、そしてバロンが口を開く。
「……ニルヴァーナへ行こう。零下太陽Chaos社を野放しには出来ない」
「ええ、そうね……」
エリアルが杖から光を放ち、二人の姿は消えた。そのすぐ後、虚空に光が集まり、赤い龍が現れる。
「妾は見たいものが見れた。ヌシが真に望んだものは、ただ、彼の者の愛、それだけ。人は思いゆえに苦しみ、けれど、その思いゆえにここまで進化してきた。ヌシのお陰で、それを改めて知ることが出来たぞ」
満足げな表情を浮かべて、マザーハーロットは彼方へと飛び去る。程無くして、絶海都市の残像は崩壊を始め、僅かに残った元々のWorldBも、間を置かずに消滅した。
「ん……」
アウルが真夜中に眼を覚まし、ベッドで上体を起こす。横を見ると、バロンとエリアルが並んで寝ている。
「何か……変な気配が……」
アウルはベッドから出て、静かに寝室を後にする。着ていたネグリジェを消し去り、ミニドレスを着直す。非常灯以外の光源がない暗い通路を歩き続けて、中庭に出る。同時に雲が晴れ、清かな月光が顔を見せる。
「誰も……いない……」
ゆっくりと歩き、中庭の中央の噴水の前に立つ。貯まった水を覗き込むと、自分の顔が写し出される。
「……」
口端から涎が垂れ、股から生暖かい液体が伝う。
「何にも替えがたいほどに大切な人と、命を奪い合う、あの異常なまでの……興奮が……」
水面に写る自分の背後に、龍の頭が現れる。
「マザーハーロット……」
「なぜ、ヌシは己が欲求に背く?良いではないか、ヌシの本来の力を解き放てば、宙核とまともに殺り合うことも容易じゃろうて」
「でも……でもそれは所詮、略奪愛に他ならない。愛しているんじゃなくて、奪う行為に毒されてるだけ」
「ほう?だがヌシはかつて宙核に、多くの存在を愛せと、そう言ったよな?ヌシのその言葉通り、宙核は多くの存在と愛を紡ぎ、そしてヌシの掌から消え去ったのではないのか?」
「くっ……あなたに何がわかるの……!」
「わからぬよ。妾は王龍。ヌシは人間。決して解り合うことはない。故に王龍は、人間の願いに答えるのよ、あくまで気紛れにな」
「……。私を起こしたのはあなたですか」
「その通り。妾はヌシの願いを叶えた。だが、それに対するヌシの対価がないであろう?」
突然、複数の触手がアウルに絡み付いて彼女を拘束する。
「何を……!」
「脳を壊して無限に犯し続けるのも悪くはないな……力を失っている今のヌシにはそれもお似合いかもしれぬが……じゃがな、妾はもっと見たいものがある」
マザーハーロットはアウルの体に再び吸収され、アウルは地面に投げ出される。
「何をしたの……ッ!」
『なに、ヌシの欲望を果たす手助けをするまでのことよ。自慰では満たされぬものもあるじゃろうしなぁ』
ニブルヘイム 氷竜の骨・食料基地
メインホールの壊れたキャノピーから入り込んできた雪が頬に当たり、バロンは眼を覚ます。
「……ここは……」
横に倒れていたエリアルを揺り起こし、二人は周囲を確認する。
「……ここはニブルヘイムの食料基地か。エリアル、どうして僕たちがここにいるか、覚えはあるか?」
エリアルは裾についた砂埃を払い落として答える。
「さあね。さっぱりわからないわ。アウルが居ないのも気がかりだし……」
「……まあいい。WorldBなら僕たちも馴染みが深い。とりあえず、ガルガンチュアまで行こう」
二人がメインホールを歩こうとすると、キャノピーから男が一人落下してくる。
「……ッ!?」
バロンはその男の姿に驚愕する。男は立ち上がり、口角を上げる。
「……アグニ、生きていたのか」
アグニは拳を鳴らす。
「もちろんだ。てめえをぶっ殺す、そのためだけに甦った」
「……僕たちをここに連れてきたのもお前か」
「いや違う。まあ、てめえをここに連れてきたのが誰かはどうでもいい。あん時と同じように、全ての敵を倒して、ニルヴァーナまで来やがれ」
「……」
バロンが黙っていると、アグニは炎を残して飛び去る。
「……なんなんだ、急に」
「これは……想像以上に面倒な状況になってそうね」
「……早くガルガンチュアに戻ろう」
ニブルヘイム・ガルガンチュア
吹雪の向こうに見えた古城に二人は入る。奥の通路から刀を携えた男が一人現れる。
「ん?……お!バロンじゃねえか!」
男はバロンへ駆け寄る。
「……久しぶりだな、ヴァーユ」
ヴァーユは胸をポンと叩く。
「おうともよ。お前こそ、ずいぶんと久しぶりじゃねえか。急にどうしたんだ?」
「……わからない」
「わからないだって?お前またそれか。ま、今回は記憶があるだけマシか。……。っておい、神子も居るじゃねえか」
ヴァーユはバロン越しにエリアルを見る。
「こんにちは。バロンと二人でゆっくり出来る部屋とかあるかしら?」
「ああ、空いてる部屋なら何個かあるぜ。汚ねえけどな」
「貸してくれる?」
「もちろんだぜ。バロンと神子なら、ヴァルナとラーフも納得してくれるだろ。こっちだぜ」
ヴァーユが先頭を歩き、二人がついていく。古城の石壁の隙間から雪と冷気が入り込み、射し込む日光に思わず眼を細める。
「……ところでヴァーユ、最近のこの世界はどうだ」
「ん、平和なもんだぜ。パラミナの方から草とか木が生えてきててさ、食料を自分達で作れるようになったんだ」
「……そうか」
「そっちはどうなんだよ。神子と子供とか作らなかったのか?」
「……まあ、そこはプライベートな部分だ」
「そっか。ならいいや」
ヴァーユが一つの扉の前で立ち止まる。
「ここを使ってくれ。ちと狭いだろうが、まあ許してくれよな」
そう告げると、ヴァーユは奥へ歩き去った。二人は扉を開ける。部屋には、二段ベッドと、最低限の物置が備え付けられていた。
「兵士用の部屋って感じね」
「……まあ、それで十分だろう」
二人は二段ベッドの一段目に腰かける。
「……しかし、気付かれずに僕たちをこの世界に飛ばすなんて、かなりの手練れだが……」
「ねえ、あくまでも私の推論ということで聞いて欲しいんだけど」
「……どうした」
「アウルがやったってことはないわよね」
「……もちろん、その可能性も大いにある。彼女のことを完全には信用していない。完全に疑っているわけでもないが」
「わかってるわ。だからこれは、私の勝手な推測」
「……とにかく、事態を把握しなければどうにもならないな」
――……――……――
会議室に籠っていたヴァルナは、ヴァーユが入ってきて驚いて目を覚ます。
「どうした。貴様がここに来るなんて珍しいな」
ヴァーユが景気よく返事する。
「おう。バロンと神子が来たんで、部屋に案内してやった」
ヴァルナは驚いた顔をする。
「あの二人が?もっと珍しいな」
「んで、なんかこの世界のこと知りたがってたんでさ、あんたが教えてやってくれよ」
「ふむ……わかった。ところでヴァーユ。ラーフによれば、パラミナの南部の森林で怪しげな影を見たらしい」
「怪しげな影?虫とかじゃねえよな?」
「流石に機甲虫や角竜なら我々も見間違わない。なんでも、ローブを着た金髪の女らしい」
「女ぁ!?神子だけだろ、女ってのは」
「だから怪しいと言っただろう。めかした男かもしれんが、とりあえず動向を探る必要があるだろう」
「おう、わかった。でもよ、女の扱いなら神子と一緒にいるバロンの方がいいんじゃねえか?」
「好きなようにしろ。自分で見た方が、この世界の近況を知れるだろう」
「あいよ」
ヴァーユは会議室を出た。
「尤も、脅威はその女だけではないが……まあ、今はまだ放置していてもいいはずだ……」
ヴァルナは眉間を押さえ、再び眠りに落ちた。
パラミナ南部 アワンダ
かつて砂漠だった頃の面影はまるでなく、一行はパラミナの深い森林へ入っていく。
「……ここがパラミナとは、にわかには信じがたいものだな」
バロンがエリアル、ヴァーユと共に歩く。
「だよな。俺も最初に見たときはハンパ無く驚いたもんだぜ」
ヴァーユがそう言うと、エリアルが続く。
「この世界の主であるヘラクレスの意思から解放されて、本来の生命維持活動が再開されたのかもね」
「木の実とか初めて食ったんだけどさ、すげえうめえんだよ」
ヴァーユが渾身の笑顔をエリアルに向ける。
「今まで何食べてたのよ?」
「ニブルヘイムの地下にあった竜の腐肉とか?まぁ食べないなら食べないでも生きていけるんだけどな!ガハハハ!」
バロンがヴァーユの賑やかな語りに思わず苦笑する。
「……そう言えば、虫嫌いは治ったのか?これだけ緑が生い茂っていると機甲虫以外の普通の虫もいるだろう」
「やなこと言うなよなー!」
バロンが立ち止まる。
「どうした?この話の流れで立ち止まんなよな!」
ヴァーユが茶化すが、バロンは無言で視線を返す。
「ん……?」
それにつられてエリアルが正面を向くと、木々の狭間にローブの女が立っていた。
「こいつか!」
ヴァーユがすぐに刀の柄に手をかける。
「……お前、アウルだな」
バロンがローブの女へ問うと、女はフードを脱ぐ。メタリックピンクの差した長い金髪が零れ、混濁とした黄金の瞳が開かれる。
「なぁなぁバロン。女ってみんな神子みたいな感じじゃないのか?」
ヴァーユが単純な疑問をバロンへ向け、バロンは表情を変えずに答える。
「……まああくまでも人間の性差でしかないからな……僕とヴァーユのように、個人差は当然ある」
バロンはアウルへ向き直る。
「……目の色が違うな。何かあったか」
アウルは妖艶に微笑み、眼を細める。
「普段は赤紫ではないか、ということですね?ちゃんと私のことを見てくれていたようで何よりです」
「……お前は、何のためにこの世界に来た?」
「ふふっ、回りくどく聞くんですね。つまりこう言いたいのでしょう、『僕たちをこの世界に運んだのはお前か?』と」
「……わかっているのなら答えてもらおうか」
「お察しの通りです」
バロンとエリアルはその言葉で得物を構える。
「……やはりこうなるか。最初から信用はしていなかったが」
アウルはその言葉を、憂いを纏った微笑で受けとる。
「では、また死合うのですね」
続いてアウルは天に吼え、そして光に包まれて、右手にメイスを携えた黄金の騎士へ変貌する。
「戦いへの欲望こそが、理性あるものの真なる欲求。ならばこそ、私は戦乱をこの世に望む」
「……それが、僕たちをここへ運んだ理由か」
「否」
アウルはメイスの先から光線を射ち出し、三人は各々の方向に躱す。ヴァーユが抜刀し、木々を足場に凄まじい速度で飛び継ぎつつ一閃を重ねていく。アウルは斬撃をメイスで往なしつつ、エリアルが放ってきた激流を光の壁で弾く。その壁をヴァーユが切り裂くと同時に、バロンが肉薄して強烈な豪腕を叩き込む。が、アウルは怯むこと無く、左腕を振るってバロンを弾き飛ばす。
「……」
バロンが黙って着地し、一行とアウルは向かい合う。
「……旧Chaos社の動乱の時とはまるで強さが違うな。あの時は、加減していたということか?」
アウルは答えず、メイスを振るって光の刃を打ち出す。ヴァーユがそれを切り裂き、バロンは闘気の塊を爆発させてアウルを狙う。彼女はメイスでそれを打ち落とし、弾幕のように注いできた水の棘を体から発したシフルで迎撃する。
「……話を聞かせてもらおうか」
バロンは竜化し、黒鋼となる。拳で突くと、メイスが正面から激突する。凄まじいスパークを起こし、ヴァーユはその影からアウルの腹を切り裂く。怯んだところに黒鋼のもう片方の拳が叩き込まれ、とどめにエリアルが杖の石突きを突き刺そうと飛ぶが、アウルは瞬時に後退して躱す。
「まだ完全ではないか」
アウルはそう言うと、変身を解いて元の少女の姿に戻る。
「バロン、今回は逃げさせてもらう。私との戦いは、これから訪れる混沌の先駆けだとでも思ってくださいね」
そして閃光に包まれ、一行の前から姿を消す。
「なんだぁ、あいつ……」
ヴァーユが納刀しつつ呟く。
「……さっぱりだな。初めに天象の鎖で会ったときから理解不能だ」
バロンが続き、エリアルは不安げに、二人に聞こえぬ声量で呟く。
「動乱の時に現れただけでも度肝抜かれたのに、あの力は……天使の子のような模倣品じゃない。正真正銘の、真如の光……」
「……エリアル?」
俯いていた彼女に、バロンが近寄る。
「え、ええ?何かしら?」
「……いや、君が下を向いたままボソボソ何か言っているようだったから」
「何でもないわ。急に体を動かしたから、ちょっと疲れただけ」
「……わかった。ヴァーユ、ラーフの所に戻ろう」
バロンがそう言うと、ヴァーユは勢いよく頷く。
ミンドガズオルム
三国に跨がる巨大な城塞、それが通称〝古代の城〟、正式名称ミンドガズオルム。そこの神子の護所へと続く洞穴で、二人の人物が話していた。
「で、バロンと一戦交えてきたと」
蒼銀の鋭利な体の竜人が腕を組んで壁に寄りかかる。視線の先にはアウルがおり、貼り付けたような氷の微笑を浮かべる。
「私の力はまだ完全には取り戻せていないから仕方がない」
「ま、んなことはどうでもいいさ。お前さんのやりたいことと、俺たちがやりたいことは相反するものじゃねえ。寧ろ、お前さんが宙核を殺れるなら仕事が減って楽になる」
「……」
「もちろん、〝アレ〟はやってもらうが。あいつらにもある程度の協力は要請してあるから、欲しいやつを数人くらいならお前さんの物にしてもらって構わん」
アウルはローブを脱ぎ捨て、黄色と黒で構成された修道服のような新たな衣装に身を包む。
「かつてこの世界の兵器の一つであった機甲虫のように、羽が固まるまでの間、あなたに時間を稼いで欲しいわ」
「いいだろう。だがもし、お前さんが敗れれば、俺が宙核を頂くぜ。この日のために手に入れた、とっておきの力があるからな」
竜人はアウルの傍を通り抜け、外へ飛び去る。
「意思の強い女が一番おっかねえな、全く」
闘気の翼を展開しつつ竜人は空を飛び、一人の女性を思い浮かべながら彼方へと向かう。
パラミナ首都・ムラダーラ
宮殿の内部にある広間で、一行は円卓についていた。
「なるほど、ローブの女は君の知り合いだったんだね」
ラーフがプラムをむっしゃむっしゃと食べながらそう言う。
「この果物から肉の味がするぜ」
ヴァーユもプラムを食べながら喋る。
「……食べるか喋るかどっちかにしてくれ」
バロンがそう言うと、ラーフはプラムを飲み込んで話を続ける。
「そのアウルという少女は、何か言っていたか」
「……戦乱を望むと。そして、彼女との戦いは、これからやってくる混沌の先駆けだと」
「混沌の先駆け……バロン、将軍が言っていたのですがね、アウル以外にも何かしらの人間がうろついているようなのです」
「……何かしら、か」
「アウルとは違って、誰も姿を見てはいないのですがね……」
会話が行き詰まると同時に、入り口からニブルヘイムの兵が現れる。
「どうかしましたか」
ラーフが訊ねると、兵士は敬礼する。
「はっ。正門に正体不明の竜が現れ、バロン様との仕合いを所望しています」
「……」
ラーフはバロンへ視線を向け、バロンは頷く。そしてエリアルと共に立ち上がり、外へ向かう。
――……――……――
巨大な城門を潜り抜け、二人は外へ出る。
「……懐かしいな。思えば、初めて君のために戦ったのはここだった」
バロンがそう言うと、エリアルが微笑む。
「急にどうしたの?」
「……何か、取り返しのつかない事態になる気がしてな。少しでも一緒にいられる時間を濃くしようと」
「ぷふっ」
エリアルは思わず噴き出す。
「……可笑しかったか」
「うん、ごめん。気持ちは嬉しいんだけど、ちょっと振りが雑かなー、なーんてね」
「……そうだな、次はもっとムードを考えよう」
「バロンが頑張ってるのを見るのってすごくワクワクするわね。さて……」
二人が立ち止まると、眼前に蒼銀の竜人が立っていた。
「……お前か、僕を呼んだのは」
「そうだ」
蒼銀の竜人は組んでいた腕をほどく。
「俺の名前はイゼル。零下太陽Chaos社の、外部特殊作戦部長だ」
「……イゼル……」
「世界を救うために、お前たちには犠牲になってもらおう」
「……お前が、アウルの言っていた〝混沌の先駆け〟とやらか?」
「なるほど、そんなことを言っていたのか。小難しい言い回しは好かんが、たぶんそれで合っている。少なくとも、彼女と俺たちは一応は協力関係だな」
イゼルは竜ゆえの表情の薄さからわかりにくいものの、牙を見せて善く笑っているようだ。
「正直俺としては、混沌ってのは同僚の代名詞なんだがな」
「……世界を救うというのは、どういうことだ」
その問いにイゼルは後頭部を掻く。
「因果の固定がどうたらこうたらで、世界が救われるらしい」
的を射ない答えに、バロンとエリアルは首を傾げる。
「……いまいち信憑性に欠けるが……エリアル、何か知っているか」
「さあ……?」
二人の反応に対して一つ思い出したイゼルは右手に球体を発生させ、そこから映像を投影する。そこには赤と黒の体の竜人が映っていた。
「困ったらこれを見せろってネブラは言ってたぜ!」
映像の中の竜人――ネブラは、カメラに向かって淡々と言葉を発し始める。
『この映像は、零下太陽Chaos社の推し進める世界救済策、〈メビウス・オペレーション〉に関する理論の紹介である。
メビウス・オペレーションはその名の通り、我々が発見した現象、〝メビウス化〟の作用を活用したものだ。
メビウス化は、発症した生命体の精神状態を、その存在に本来規定された状態へと誘導するものだ。所謂表層心理が顕現するか、深層心理が顕現するかは個人差があるが……とにかく、メビウス化した存在は、存在として欲する根本的な欲動に突き動かされるようになる。更に副次的な……いや、これが本命なのだが、メビウス化した存在は、始源世界から、竜から遠く離れた者でさえ、シフルをシフルのまま扱うことが出来る。
本題に移ろう。この世界は今、滅亡の危機に瀕している。数多分岐した未来によって、全ての時間を消費しきり、消え去ろうと。そこで我々零下太陽Chaos社は、この世界に生きる全ての存在をメビウス化させ、そのシフルへの順応性を利用して、メビウス化させた存在を無に固定することで、次の世界が産まれるまで耐えようと考えた。
もうわかってくれただろうか。メビウス・オペレーションは、人類だけでなく、全てを滅亡から救う、最良の選択なのだ。
……。この映像を見ている君が、私たちの思想に賛同してくれることを願う』
ネブラが話し終え、ゆっくり呼吸をすると、映像は消えた。
「ってことだ」
イゼルが球体を消す。
「……そんなことが可能なのか、エリアル」
バロンが訊ねる。
「ええ、まぁ……考えとしては正しいんじゃない?実際に今の世界が瀕死なのは間違いないし、メビウス化で本当に常人でもシフルを使えるようになるなら、世界の外で、滅びを回避することも出来ることは出来るでしょうね」
エリアルの答えを聞いて、バロンはイゼルへ向き直る。
「どうだ?納得してくれたか?世界を救うってのと、守るってのは、本質は同じはずだぜ」
「……断る」
「……。そう来るだろうと思ってたぜ。理屈じゃ否定できねえ。それどころか、同意できるところすらある。だが心が否定するんだろ。それが人間の悲しい性ってヤツだ」
イゼルは拳を構える。
「……悲しくはない。ただ、虚しいだけだ。お前たちの話が本当ならば、僕にはそれを否定する術がない。それどころか、世界を作る側でありながら、滅亡を避けられない僕たちに責任があるとも言える。だが……」
バロンも同じく拳を構える。
「……自分の生きたがりを他人に押し付けてどうする」
イゼルは笑う。
「ハッ!俺にとっちゃ、んなことどうでもいいのさ!ネブラのために戦う、ただそれだけだ!」
「……なるほど、わかりあえそうだ」
バロンが光となって距離を詰め、拳を放つ。イゼルはシフルの粒子の翼を開き、腕を交差させてガードする。周囲の草木が巻き上げられ、バロンは空中で回し蹴りを放つ。イゼルはバックステップで躱し、右の掌に蒼炎を燻らせて爆発させる。バロンは鋼の盾を展開して防御し、それを瞬時に槍に変えて射出する。イゼルは咆哮を放ち、それで槍を流体金属に戻す。それを合図に、両者は目にも止まらぬラッシュをぶつけ合う。強く拳を突き出し、バロンをよろめかせ、左肩のタックルを間近に放ち、右手から発勁を叩き込み、身を翻しながら裏拳で薙ぎ払う。バロンはそれを左腕で受け止め、鋼を纏った右腕で強烈な闘気を発して吹き飛ばし、そのまま鋼の棘を乱射する。イゼルは再び咆哮して棘を打ち消す。
「流石は最強の人間というところだな、バロン」
「……お前も、中々強い思いを拳に乗せているな」
「だが……少し疑問に思わないか?」
「……なに?」
「俺のように、明らかにお前たちと相反する思想を持った者が、わざわざお前だけを引き剥がすような真似をしたのかを」
「……」
バロンは顔をしかめる。
「お前たちの気持ちは俺もわかる。この世界は、戦いを、決闘を最優先に廻る、戦士の楽園。薄っぺらい道徳や安らぎを捨てた、天国の外側。だからこそ、サシでの勝負を挑めばお前だけ出てくると思っていたさ」
突如として地鳴りがやって来て、遠くから荒れ狂う激流の音が轟いてくる。
「……なんだ!?」
少し前――
ニブルヘイム・ガルガンチュア
ヴァルナが眠りから覚め、寝惚け眼で会議室を見渡す。部屋の隅に、アウルが立っていた。
「お前は……」
ヴァルナはすぐに立ち上がり、氷剣を構える。
「バロンたちの報告にあった女か」
切っ先を向けられたアウルは、優しく微笑む。
「その通りです」
「まさか本陣まで来るとはな」
「ええ、ええ。ここに来るまでの間にいた、あなた方の兵は一通り倒してきました」
アウルは右手を腹の辺りで開き、揺らめく球体を産み出す。
「見えますか?これは、彼らの命を凝縮したもの。死ねるようになったあなた方はこうして魂の糧となる」
「人質でも取ったつもりか?」
「いいえ。それではあなたの全力が引き出せないでしょう」
アウルは球体を握り潰す。溢れた光が吸収され、彼女は微笑む。
「先程言った通り、あなた方は私の力にさせてもらう。さて、少し見せたいものがあるのでついてきて貰えますか?」
ヴァルナは最大限の警戒をするが、一向に行動を起こさないアウルに根負けして氷剣を壊して従う。アウルは会議室の扉を破壊し、ヴァルナを宙に浮かせて共に空を飛ぶ。
ニブルヘイム
猛吹雪の中を突っ切りながら、二人はある場所で停止する。その瞬間、凄まじい轟音が鳴り響き、吹雪を貫いて熱湯が湧出する。圧倒的な破壊力の間欠泉は雲を貫き、熱を帯びた雨になって注ぐ。二人は地面にぽっかり空いた穴に降下し、地中深くの地肌に着地する。
「ここはどこだ」
ヴァルナが問うと、アウルは極めて事務的に返す。
「なに、簡単なことです。ここニブルヘイムは、大昔はムスペルヘイムで加熱された超高温の熱湯が流れ着き、その地表の大半を覆い尽くしていたのです。それが、白き神――王龍カルムウバスの到来によって一気に氷結させられ、今度は逆に全ての命が凍りつく、絶対零度の世界となった」
「そんなことがあったのか……」
「今、カルムウバスの力は失せた。先の戦いの最終局面で、滅王龍エンガイオスの上澄み……鏖殺の角竜王の手によって滅ぼされたことで」
「つまり、ムスペルヘイムからやってくるこの熱湯が、ニブルヘイム全域を溶かそうとしているのか?」
「その通り」
ヴァルナは訝しげに視線を向ける。
「にわかには信じがたいな……最近は、ムスペルヘイムの火山活動も和らいできた。お前の言うことが正しいのなら、なぜ今、熱湯が噴出した。白き神の力が弱まったなら、同時に滅んだ黒き神の力は弱まっていない」
「無論、黒き神の力も弱まっています。だからこそ、パラミナは緑豊かになった」
「……。なに?」
「わかりませんか?二体の王龍によってパワーバランスが崩れていたのが、元の形に戻っただけです。ムスペルヘイムは地熱活動こそ活発ですが、外見は休火山地帯。ニブルヘイムは豊富な地下水からなる巨大な海域。その間に位置するパラミナは、広大な熱帯雲霧林。それがこの世界が、二体の王龍の縄張りとされる前の姿」
「見せたいものとは、この地下水のことだったのか?」
「いいえ」
アウルが右手を挙げ、指を鳴らす。周囲を覆う全ての氷が一気に解け出し、瞬く間に海へと変わる。
「なんだ!?」
余りの変貌にヴァルナは酷く動揺するが、すぐに気を取り直す。
「下らん大道芸を見せに来たのなら、このまま問答無用で斬らせてもらうぞ」
ヴァルナが氷剣を産み出し、その切っ先を向ける。
「ふふふ……その闘志は素晴らしい。それでこそ、我が糧となるに相応しき猛者……」
アウルが天を仰いで吼えると、凄まじい衝撃が辺りを包む。ヴァルナは怯み、アウルは口角を上げる。
「では始めましょう」
アウルの衣装から輝きが放たれ、足を包んでいた布地が消え去り、生足を曝す。そして身体中に黄金の光が血管のように巡り、帯電する。
「準備は万全か」
「ええ。でも一つだけ、戦う前に言っておきます」
アウルは微笑む。
「あなたが死ねば、この水はパラミナに全て流れ込む。長い目で見れば新たな生態系を作り出すでしょうが、短い、あなたたちの利益で言えば、しばらくは死の海となるでしょうね。私が死ねば、それはそれで終わるだけ」
「いい条件だ。ニブルヘイムの兵士は背水の陣でこそ輝く」
アウルが光の刃を弾幕にして飛ばし、ヴァルナが発する強烈な冷気で凍らされ、彼は左足から素早く踏み込み、氷剣の細い剣先でアウルの首を狙う。アウルは体を電撃に変えて後退し、メイスを産み出して光弾をいくつか打ち出す。先ほどと同じように、それらは冷気に撃ち落とされ、再び鋭く振られた氷剣をメイスの柄で受け止める。
「素早く、そして鋭い攻撃ですね。纏う冷気と合わせて、少しでも気を抜けば魂を奪われそうです」
「御託は要らん!」
ヴァルナは氷剣を砕いて姿勢を下げ、右腕を突き出してアウルの腹に突き刺し、そのまま凍てつかせて腹の肉を引き千切る。更に容赦なく氷剣を産み出して横に薙ぎ、鋭い二連の斬撃を与える。アウルは即座に後退して傷を瞬時に修復し、メイスから輝きを放って黄金の騎士へと変身する。メイスを振りかざし、無数の光弾が飛び散る。ヴァルナの纏う冷気を突破して降り注ぎ、ヴァルナは氷壁を張って受け止め、氷の真空刃を交差させて飛ばす。アウルはメイスを高速回転させて真空刃を破壊し、ヴァルナは続けて氷の刃をアウルの前後上下左右、全てを余さず囲むように放つ。アウルは瞬時に反応するが、流石に対処しきれずにいくつかの刃が届く。それが爆発して、強烈な冷気が視界を揺らがせ、頭上から巨大な氷塊が落下する。アウルはそれの下敷きになり、しばし静寂が訪れる。
「いや……」
ヴァルナは油断せず、氷塊に入った亀裂を注視する。
「不死身同士で戦ってきた経験ですか、それは」
氷塊を砕き、人間態に戻ったアウルは肩に残った氷の破片を払う。
「そうとも言える。一度不覚を取った程度で死ぬようでは、まず我々に喧嘩を売るなど出来ようはずもない」
「死に足りぬものは、生きるのが嫌になるほど殺すと。全く……全く以て、素晴らしい世界です」
アウルが歯を見せて笑い、濁った黄金の瞳が輝く。
「……。お前、体の持ち主と心が別だな」
ヴァルナがそう言うと、アウルは予想外の質問に僅かにきょとんとしたあと、先程よりも大きな笑みを見せる。
「どうして、そう思うのですか?」
「確かに今、私と打ち合っているお前は、この戦いを楽しんでいる。私と向き合っている、とでも言えばいいか。だがその体は、どうやら私を見ていないようだな。私を倒したその先に居るもの……」
ヴァルナは合点がいったように続けて唾棄するごとく言葉を紡ぐ。
「そうか、バロンだな」
アウルが黙り、それを同意だとしてヴァルナは呆れる。
「下らん戦いだ。ただの前座としてここまで呼ばれたとはな」
「ふふ、ならばこの体の望みのために、前座らしく死んでいただけますか?」
「断る。私はお前を倒し、この世界の平穏を磐石なものとする」
「そうですか。では……」
アウルは再び黄金の光に包まれ、今度は軽装の鎧に斧槍を持った騎士へ変身する。槍の穂先は黄金の輝きが纏わりついて刃となり、騎士の関節の随所にも輝きを詰めた球体が鏤められていた。
「勇敢なる戦士よ、その誇りと願いを抱いて」
斧槍をヴァルナへ向ける。
「死ね」
アウルは凄まじい速度で接近すると、斧の刃に水を纏わせて振る。ヴァルナの纏う冷気の幕を切り裂いて、僅かに躱されて地面にめり込む。光を噴出させて姿勢を戻して隙を潰し、殆ど躱す猶予のない速さで反撃してきたヴァルナの氷剣を往なし、光を噴き出させてブーストした斧の一撃で彼を吹き飛ばす。更にアウルは斧槍に水の螺旋を宿らせる。再び横に振るい、過度に熱されながらも蒸発しない水を刃に変えて降り注がせる。態勢を立て直したヴァルナが迎え撃つように氷の刃を飛ばし、水の弾幕を潜り抜けて肉薄し、氷剣の一閃で斧槍をへし折り、隙を見せたアウルへ正真正銘の致命の一撃を加える。
―――よく言えば、それは完璧な攻撃であった。悪く言えば、それ以上の進展は見込めぬ、一つの限界であった――。
アウルは届いた氷剣によって受けた傷に苦しむどころか昂り、折れた斧槍でヴァルナの脳天を砕く。無論、それだけでは死なぬ。ヴァルナも当然のように新たな氷剣を作り出して反撃する。アウルは突然変身を解いて頭身を下げることで氷剣を躱し、生まれたほんの僅かな猶予に力を溜め、全身全霊で紫雷を放ってヴァルナの体の大部分を吹き飛ばす。左肩と頭部だけ残った彼は地面にそのまま落下し、アウルは呼吸を整えつつ着地する。
「バカな……」
ヴァルナがなおも左腕だけで動こうとするが、アウルは腕を踏みつけ、動きを止めさせる。
「あなたの雄姿は、決して忘れることなくこの胸に刻み込みましょう」
アウルはそう告げ、ヴァルナはそちらへ顔を向ける。
「この世界で生まれた故に解り得なかったが……もし、私に母が居たのなら……それを、お前の中に、僅かに感じた」
ヴァルナは倒れ伏し、アウルに吸収された。
「さあ、眩き命よ。我が糧となりて、彼の者を貫く刃となれ」
凄まじい地鳴りと共に、周囲に満ちていた水はパラミナへと流れ込んでいく。
現在
パラミナ
「……う……く……」
バロンが目を覚まし、立ち上がると、周囲は水浸しになっており、所々から煙が上がっていた。
「……どうなっている……」
周囲を見渡していると、横からエリアルが現れる。
「……無事か、エリアル」
「ええ。この通りね。イゼルは逃げたみたいだけど」
「……どうなっているんだ、これは」
「ふん、そうね……」
エリアルがかがんで足元の水を掬う。そしてすぐに流し、立ち上がる。
「かなり酸性の強い水のようね。火山灰が溶け出してるように感じるけど」
「……つまり?」
「ニブルヘイムの方から大津波が来て、ここら一帯を飲み込んだわ。パラミナの建物はたぶん、全滅してるし、私たちもだいぶ流されたみたい」
「……」
「ああ、ごめん。ニブルヘイムって凍土地帯だったじゃない?なのになんでこんな性質の水が流れてくるんだろう、ってね」
「……そう言えば、そうだな」
「それにとても熱い。真水の沸点は余裕で越してるわね」
「……ニブルヘイムに行く必要があるな」
「ねえバロン、また推論なんだけど、聞いてくれる?」
「……もちろん」
「ニブルヘイムからこの性質の液体が流れ込んでくるとは到底思えないわ。それに、永久凍土地帯から津波がやってくるなんて、普通じゃない。だから原因はきっと、ムスペルヘイムの方にあると思うの」
「……なるほど」
「どっちに行くかは、あなたが決めていいわ。決められないなら、私はムスペルヘイムに行きたいけど」
「……そうだな、ヴァーユたちは自分でなんとかしているだろう。僕たちはムスペルヘイムへ行こう」
二人は頷き合い、遠くに見える火山地帯へ向けて足を踏み出した。
――……――……――
「がぼぁっ!?」
ヴァーユは一気に水を吐き出しながら上体を起こす。刀を支えに立ち上がると、そこは倒壊したムラダーラの民家の中だった。
「どーなってんだ、こりゃあ……」
瓦礫で盛り上がっていた場所から立ち上がり、水没した地面に足を踏み入れると、膝の高さまで浸かった。
「温いなこの水」
水を掻き分けつつ外へ出ると、ムラダーラの特徴的な壁はニブルヘイム側だけ破壊されており、更に、普段なら見えるはずのニブルヘイムの氷山が消えていた。ヴァーユは訝しみ、民家の屋根に上る。
「全部水に呑まれてんな……この量の水をぶちまけるってこたぁ、ニブルヘイムの氷山が全部融けちまったってことか」
「わあ」
遠くを見ていたヴァーユの足元から突然アウルが現れて、ヴァーユは声にならないほどの絶叫を上げて驚き、一気に飛び退く。
「てめえはさっきの!」
「こんにちは。また会いましたね、ヴァーユさん」
「っ……!てめえ、ヴァルナに何かしたか!?」
その言葉は予想外だったのか、アウルは少し驚いた表情をする。
「それ、戦士の勘、ですか?」
「てめえの魂の濁りを感じるんだよ。なんつーんだろうな、こういうの。合ってないのに無理矢理ジクソーバズルを嵌めてるみたいな感じって言えばわかるか?」
「完成された芸術品に、後年の誰かが余計なものを付け足したようなもの、と?」
「そうそう、そういうことだぜ!意外と話がわかるじゃねえか、あんた!」
「うふふ、そうですか?」
「つまり、だ……」
ヴァーユは刀の柄に手をかける。
「てめえがヴァルナを倒したってことだ。敵討ちなんてしょうもねえと思うが……てめえはここで殺すぜ!」
アウルは右手を伸ばして制止する。
「ここではちょっと決着の舞台としては不十分です」
そして右手を戻して指を鳴らす。すると、凄まじい地鳴りと共にムラダーラが浮上していく。
「なんだぁ!?」
困惑するヴァーユをよそに、アウルは口を開く。
「戦いって、まるでセックスみたいで興奮しませんか?」
「せっくす?なんだそりゃ」
「え?……ああ、そっか」
意地の悪い笑みを浮かべて、アウルは自らの剥き出しの太腿を指でなぞる。
「それなら、私が手取り足取り教えて上げましょうかぁ?戦いと同じくらい、とっても気持ちいいものですよ」
ヴァーユは露骨に嫌悪感を顕にして後ずさる。
「遠慮しとくぜ。よくわかんねえし、てめえは敵だし」
「あらあら、勿体無い。自分で言うのも何ですけど、こんな美しい少女とまぐわうチャンスなんて、大枚をはたいてもそうそう出逢えないんですよぉ?」
「敵の提案するルールに乗らない、これが鉄則だぜ」
「なるほど、童貞って意外とガードが堅いものなんですね。……。いえ、違うか。戦いに勝る快楽などないと、本能に刻み込まれているのか」
アウルはふっと目を閉じる。
「では、死合いならばやらせていただけるんですね?」
ヴァーユは声のテンションが露骨に上がる。
「もちろんだぜ。あんたが強いってのはよくわかってる。寧ろ、こっちからお願いしたいくらいだ」
「ふふ、ふふふ……強者と命を削り合えば削り合うほど、命を孕みたくてしょうがない。体が疼いて疼いて、子種無しでも子を産めるほどに……!」
アウルは目を開き、一瞬見えた赤紫の瞳が、瞬時に濁った黄金に変わる。
「くふ、くふふふ……くっはははは!」
呆れるほどの大笑いの後、アウルは狂気に満ちた顔を彼へ向ける。
「ではぁ……命を奪い合うとしましょうかぁ!」
「ああ!全力でぶっ殺してやるぜ!」
ヴァーユは刀を抜く。刀身に竜巻が絡み付いており、彼は眩しいばかりの笑顔で距離を詰めていく。アウルが後ずさりをした瞬間、大振りな動作から尽きぬ連撃を放つ。重ねられる斬撃のそれぞれに凄まじい量の真空刃が乱れ飛び、アウルは光で体表を防御しながら、拘束力の高い連撃から飛び退いて逃れるが、ヴァーユはそれを見抜いて恐るべき踏み込みで追撃の一閃を放つ。アウルは目を見開いて咄嗟に光の刃を産み出して受け流し、一気に光の刃を産み出して発射する。ヴァーユは刃を撃ち落としながら後退する。
「へへ、さっき戦ったときよりつええな!やっぱ戦うのって気分爽快だな!」
ヴァーユは背負った剛弓を構えて引き絞り、風を纏った一矢を飛ばす。アウルの頬を切り裂いて飛んで行き、遠くの壁を破壊する。
「ふふふ、とっても逞しくて、穢れを知らない闘気……ヴァルナの心も、力強くて美しかったけれど……」
ヴァーユが目にも止まらぬ速度で距離を詰めて刀を振り、アウルも光の刃を手に持って剣戟を繰り広げる。
「あなたの心は、嗜虐心を煽りますね」
「へへ、そうか?なんか言ってることの半分もわかんねえけど、楽しいから別にいいぜ!」
刀が刃を弾き返し、そこから裏拳を入れ、怯んだアウルを一気に引き寄せて腹に膝蹴りを叩き込み、そのまま突き放して神速の三連斬りをぶつける。深い傷を負うが、押し込まれつつもアウルの傷はすぐに修復する。
「やっぱこの程度じゃ殺しきれないか。一回目の命を奪うくらいは出来ると思ったんだけどな」
「あはぁ……」
アウルはヴァーユの清々しい表情とは対極に、卑猥な、恍惚とした表情で熱っぽい吐息をつく。
「力を得る度に、どんどん満たされていくこの感触……」
そして閃光に包まれ、斧槍の騎士の姿となる。
「素晴らしき魂の輝きを、是非私に見せてくださいませ!」
噴き出す水の勢いで斧槍が振られ、ヴァーユは刀の竜巻を放ちつつ迎え撃ってアウルをよろめかせ、大きく回って懐に刀を構え、風圧を纏った強烈な二連斬りで彼は空中へ飛び上がり、渾身の一閃でアウルを押し返す。彼女は全て防ぎきるも、余りにも鋭い攻撃によって深い傷を負う。続けてヴァーユは矢を引き絞り、強烈な一矢を放ち、それに続けて肉薄しつつ刀を振り抜く。更に開幕で放ったのと同じ連撃から、風圧を纏った二連斬りからの一閃をぶつけ、再び防御の上から命を削り取る。が、最後の一閃で見せた隙を逃さず、アウルは斧の一振に全体重をかけてぶつけ、更に持ち手を変えつつ薙ぎ払い、メイスに持ち替えて巨大な光の刃をぶつけて吹き飛ばす。
「まだまだ余力があるみたいだな。ヴァルナを倒したのは伊達じゃないってことか」
傷の修復をし、アウルは斧槍を持ち直してヴァーユを見る。
「仲間の死すら、悲しむに値しないのですか?」
「ああ。結局、仲間なんて言ったって、俺が自分で勝手にそう思ってるだけだ。なら、本人が死んでも、俺の中にいるそいつは死なない。ずっと傍にいるなら、悲しむ必要なんて少しもないだろ?寧ろ、ヴァルナはずっとやいややいや言ってくるから鬱陶しいくらいだぜ」
「なるほど……。私には、永遠に理解できないものですね」
「ま、それでいいだろ。無理して分かり合う必要なんてない。殺し合ってれば、いつかは分かり合える。それで仲間になれても、敵じゃなくなるとは限らないけどな」
「……」
「理解できない、ってか?ただ憎み合うだけが戦いじゃねえ。確かに、戦争となればそんななまっちょろいことを言ってる余裕なんてありゃしねえ。だけどよ、サシでの勝負のときくらいは、思いをぶつけ合うのが正道ってもんだろ」
ヴァーユは改めて刀を構える。
「さあ、ぶつけてこいよ。あんたの魂、背負ってきた遺志、何もかもを!余裕なんてない、全身全霊をよぉ!」
アウルは頷き、凄まじい閃光を放ち咆哮する。光を突き破り、黄金に包まれた一つ目の怪物と化したアウルが姿を現す。筋骨隆々たる上半身と、蛇のごとく長い下半身を併せ持つ怪物は、ヴァーユを睥睨する。
「その穢れなき心を喰らって、私はあなたの思いを理解するとしましょう」
「へへっ、行くぜ!」
ヴァーユは刀を懐に引き寄せて納刀し、衝撃波を伴いつつ抜刀して真空刃を飛ばす。アウルが上体を起こし、巻き上げられた水が壁となってそれを防ぐ。更に右腕を振り下ろして蒸気を伴った間欠泉を次々に生成する。ヴァーユは轟く水に視界を遮られつつも合間を縫って進み、神速の二連斬りからの渾身の一振を放つ。が、アウルの体表を満たす水に衝撃が吸収され、その隙に握り締められ、放り投げられる。続けてアウルは両腕を地面に叩きつけて海嘯を起こし、その怒涛がヴァーユを叩き潰す。しかし、ヴァーユはそれだけでは死なず、莫大な風を纏った十字斬りを放ち、アウルの体を大いに傷つける。反撃に拳を地面に叩きつけて飛沫を上げ、雨を刃に変えて射出する。ヴァーユは風を纏ったままの刀を空中で振り抜き、それらを全て掻き消す。その瞬間、元の姿に戻ったアウルが光の刃を携えて眼前にいた。
「ッ!?」
気づいた時にはもう遅く、二つの光の刃が十字にヴァーユを切り裂く。それでもヴァーユは倒れることなく反撃の刃を放つ。それより速く、束ねられた光がヴァーユの右腕を吹き飛ばす。更に意地から放たれた蹴りを弾き、止めに光の刃で腹を貫く。力を失ったヴァーユの体はアウルにもたれ、アウルはその体を支える。
「俺の負けだぜ……まさか、ここまで強いなんてな……」
アウルはヴァーユの体を仰向けに横たえ、その傍に座る。
「ヴァルナを倒した実力に……偽りなしってか……」
「……」
「へへっ……この充実感に満たされたまま……俺を倒したやつに看取られる……最ッ高の……臨終ってやつだ……」
ヴァーユの体は粒子となって消え、アウルに吸収された。
「げに素晴らしき戦士たちよな」
アウルの体から赤い龍の首が現れ、彼女の瞳が濁った金色から赤紫へと戻る。
「獣由来の欲望を忘れ、ただ貪欲に人間の本能に従う……それがどれだけ穢れなく、美しいものか……今回でよくわかりました。覇道を進む王の傍らにあるためには……王と命を奪い合えるほどの、好敵手でなければならない」
「さて、そろそろ先を急ぐとしよう」
龍はアウルの体に戻り、瞳がまた黄金に変わる。
「彼らの力に安息は無くとも、その存在は安らかに眠らんことを」
『ヌシの願いのため、全てに糧になってもらうとしよう』
アウルはムラダーラの端から飛び去った。
ムスペルヘイム
バロンとエリアルの二人は溶岩地帯を歩いていた。
「……」
先の大戦の時とは異なり、活発に流動していたマグマは冷え固まっており、随分と歩きやすくなっていた。
「……同じ場所とは思えないな」
「ええ、そうね。土地全体の活力が下がっていると言うか」
「……聞きたいんだが、ムスペルヘイムはどんな土地なんだ?」
「元々活火山を中心とした広大な溶岩地帯だったのだけど、王龍トゥルアカム……この世界で、黒き神と呼ばれていたあの龍の力で、強引に、本来持つ以上のパワーを発揮していたのよ」
「……なるほど」
「ねえねえ、ところでなんだけど」
「……ん、どうした?」
「温泉に入ってみない?」
エリアルの言葉の意図を読めずに、バロンはきょとんとする。
「いや、この緊急事態で本当に温泉でイチャつこうなんて思ってないわよ?ここのどこかに、ニブルヘイムに流れ込む熱湯の源泉があるはず。そこに向かうの」
「……合点がいった。だが、どうやって探す?」
「そうね……昔、要塞があったホットスポットってあるでしょ?」
「……ツェリノやグロズニィがあった場所だな」
「ホットスポットは、言うなればエネルギーの集積所。そこを中心として、多くの資源が集中しているわ。ホットスポットに私の水を叩き込んで、地中まで降りれば、この世界の秘密がわかるはず」
「……わかった。すぐに行こう」
二人は頷き合い、黒い岩石の平野を駆け抜ける。
要塞残骸グロズニィ
周囲に無数の鋼の破片が突き刺さった、崩壊した要塞に二人は辿り着く。
「……この世界での戦いからそう長くは経っていないはずなのに、ここに来るのが随分と懐かしく感じる」
「何も知らないところから、ここまで来たって、なんかワクワクするわね」
エリアルが先行し、バロンはそれに従って残骸の中を進む。
「……あの時はかなり派手に吹き飛んだと思っていたんだが、案外形を保っているものだな」
「ま、フォルメタリア鋼製だからね。如何に凄まじい溶岩流を受けても、全壊はしないでしょ」
「……フォルメタリア鋼か」
「ディクテイターの遺した、多くの兵器の内の一つ、フォルメタリア。……の瞳を精錬して作られる金属で、シフルの伝導効率が非常にいいっていう性質を持ってるわ」
「……物に思いが伝わりやすい、と?」
「そう。だからここを守っていたのがコーカサスでなく、グランディスだったら、もっと形を保っていたでしょうね」
「……どちらも素晴らしい英傑だった」
二人は巨大な穴の前で立ち止まる。
「行くわよ、準備はいい?」
「……もちろん」
エリアルは穴へ莫大な量の水を叩き込む。それに乗って、二人は落下していく。
地底火山
二人が着地すると、そこはまだ滾る溶岩が広がる洞窟だった。
「……こんな場所があったとは」
「とりあえず、水の臭いを頼りに進むしかないわね」
二人は溶岩の合間に残った岩場を乗り継いで進み、横穴を歩く。
「バロン」
エリアルが一瞬足を前に出すのを躊躇う。
「……ああ……どうしてここまでの闘気を感じなかったんだ」
横穴を抜けるとそこは地底湖であり、白煙が所々で上がっていた。その中央には、銀髪のポニーテールの少女が禅を組んで座っていた。
「誰ば思たらめっちゃなついメンツやんけ」
少女は眼を開く。
「ウチに会いに来たんばと?」
その問いに、エリアルは首を横に振る。
「パラミナに流れ込んだ水の出所を調べに来ただけよ」
少女は立ち上がる。
「そがんこと言うたら、ウチも少しは傷つくんばい?」
「傷つく心なんて元々ないでしょ。インドミナス・コラプス」
コラプスは口角をつり上げる。
「もちろん。ウチは全てを破壊し尽くす、そのために作られた兵器やけね」
バロンはエリアルに並ぶ。
「……あれは確か、始源世界で明人を葬った……」
「そう。インドミナス・コラプス。またの名を、王龍インドミナス」
「……なぜお前がこんなところにいる」
バロンとコラプスは互いに殺意を纏わせた視線を交わす。
「理由は一つ」
コラプスの言葉に、二人は注意を向ける。
「あのアホんだらと刺し違えた後に、ここん流されてきたっちゃ」
「……本当にそれだけか」
「本当にそんだけ」
バロンは訝しむが、エリアルが続く。
「ともかく、これでニブルヘイムに流れ込んだ水の出所がわかったわ。後はニブルヘイムが今どうなっているかを確かめれば……」
コラプスが微笑む。
「ウチが通すと思っとん?」
そして力み、凄まじい力を発する。
「はよう構えんば、一撃でいてまうぞ!」
竜化し、黒い棘を備えた巨体を現す。
「……これが彼女の真の姿か」
放たれた衝撃波に干渉され、地底湖の周囲の間欠泉から熱湯が吹き上がる。
「構え、来い!」
刺々しい体が圧倒的な俊敏性で飛びかかり、右前腕を振り上げ、バロンの拳と衝突する。強烈な衝撃波が響き渡り、周囲から更に熱湯が湧出する。コラプスは勢いよく飛び上がり、翼を前腕で外套のごとく引き出して、自分の体を破壊せんばかりに地面に叩きつける。バロンは飛び退き、落下の隙を狙って光の速さで拳を放つ。が、コラプスはそのまま地面に再び自分の体を叩きつけて、無数に屹立した棘を炸裂させてカウンターする。バロンの拳の威力が殺され、体を起こしたコラプスはそのまま頭を地面に叩きつけ、地面を抉りながら猛進する。バロンは躱し、一定の距離を取る。
「……凄まじい蛮勇だな」
「ああ、まだ全然足らんッ!」
コラプスが身を震わせて棘を全て破棄し、白く光輝く棘が生え揃う。
「気をつけて、バロン!あの棘は、シフルの結晶よ!」
エリアルがそう告げると同時に、コラプスは吼えて飛び上がり、凄絶な勢いで突進し、棘を撒き散らす。バロンは光となって躱し、背後から闘気の弾を放つ。コラプスは躱されても構わず突撃し続け、前腕を地面に突き刺して強引なドリフトを決め、向かってくる闘気の弾を強烈な前腕の叩きつけで打ち消し、そのまま飛びかかって再び両者の拳が衝突する。
「戦いを待っちょったけんが、ウチも全力でぶつかりよるわ!」
コラプスはバロンを吹き飛ばし、飛び上がり、右前足を大きく振りかぶって急降下する。バロンが直ぐに立て直したことで躱され、激烈な一撃が大地を抉る。同時に、突然の地鳴りが起こる。
「……なんだ!?」
「まずいわね……二人の戦いの衝撃で、地下水が反応してるのかも!」
エリアルはそう叫び、バロンと共に駆け出す。コラプスが足を引き抜き、二人を追って滅茶苦茶な突進で周囲を傷つけながら進む。遅れて、激流が地面から噴出し、一行を追うように地表へ突き進む。
ニブルヘイム
エリアルを抱えたバロンが闘気で地面を突き破り、外へ出る。そこは、氷山に囲まれていたニブルヘイムとはとても思えない湿地が広がっていた。程無くしてコラプスが飛び出し、続けて間欠泉のごとく凄まじい量の熱湯が噴き出す。
「……まだ追ってくるか」
バロンはエリアルを下ろし、コラプスと向かい合う。
「久しぶりに暴れられるんやけ、簡単に見逃すわけが無いっちいいよろうもん」
「……エリアル、これでわかったな」
バロンが顔だけエリアルに向ける。
「ええ。ムスペルヘイムから流れ込んだこの熱湯がなんらかの要因で氷結したのがニブルヘイムの大氷山。そして、それがまたなんらかの要因で融けて、パラミナへ流れ込んだ。さっきの大津波は、それが原因ね」
「……ひとまず、こいつを撃退しよう」
「そうね。アウルとの戦いに割り込まれても邪魔だし」
エリアルが杖を構えると、コラプスは開戦の合図のようにけたたましい咆哮を撒き散らす。
ミンドガズオルム
神子の護所へ続く洞穴に向かってアウルが歩いていると、突如として巨大な岩に周囲を囲まれる。
「これは……」
アウルが警戒していると、後ろから声がした。
「随分と好き勝手やってくれているようだな」
振り返ると、そこにはラーフがいた。
「まさか、獲物の方からこちらに来てくれるなんて」
アウルが微笑みかけると、ラーフは眼鏡の位置を直す。
「氷河を融解させたのはお前か?」
「ええ。王龍カルムウバスの力を失った氷を融かすなど、造作もないのでね」
「なるほどな」
ラーフは眼を閉じ、左手を顔の前で握る。すると、手の甲の刻印が輝き、その姿を転じる。マッシブな身体に、無数の鋭い牙が屹立した頭部を持つ怪物へ変身すると、拳を突き合わす。
「ならば一刻の猶予もない。お前を喰らい、脅威を取り除く」
「そう来なくては」
アウルも光を放ち、翼の生えた蛇に腕を生やしたような黄金の騎士へ変貌する。
「私の最後の試練の前に、あなたの力を私の物にするとしましょうか」
両腕を胸の前に構え、螺旋状の闘気をラーフへ放つ。ラーフは三つの巨大な鉤爪がついた両腕を展開し、中央から巨大な棘を出して地面に突き刺し、一気に地面を隆起させる。闘気は岩に阻まれ、砕け散った岩片が全てアウルの方を向いて発射される。アウルはメイスを産み出して弾き返すが、なんとラーフの頭部だけが分離して飛びかかってくる。口に見えていた部分は腹であり、奇怪で細長い四肢をじたばたさせながら特攻しようとしている。アウルは長い尾を振り抜いて迎撃するが、ラーフの頭部は空中で飛び上がって躱し、そのままアウルの頭にしがみついて口を開き、噛み砕こうと果敢に食らい付く。今度こそアウルは尾でラーフの頭部を捉え、尾を巻き付けて地面に叩き落とす。ラーフの本体が隙を見せたアウルに向けて音波を飛ばし、翼を撃ち抜いて撃墜させる。そこへ先ほど発生した巨大な岩が次々と雪崩れ込み、ラーフは追撃に地面を隆起させ、アウルを串刺しにする。しかし、アウルはすぐに態勢を立て直し、受けた傷を再生する。ラーフは頭部と本体を合体させ、両者向き合う。
「まさか悪魔化出来るなんて」
「ヴァーユと将軍も同じような物を持っていたが……その様子だと二人は使わなかったようだな」
「……」
「あの二人のことだから、己の力だけで戦いたかったんだろう。だが、私にそんな高尚な志はない」
「ええ、伝わってきます。この戦いの世界で、策を弄することがどれだけ無意味で、そのために虐げられてきたかを」
「百の兵で万の兵を倒す策を考えようと、バロンや将軍のような、正真正銘の一騎当千の兵が一人いるだけで、そんなものは一瞬にして無意味なものとなる。この世界で信じられるのは己の力のみと、そう悟るのに時間はかからなかった。だが、どこまでが己の力かを決めるのは、それこそ己の自由だ。二人は生来の実力と、努力で勝ち取ったものだけをそう言った」
「あなたは違う、と?」
「どんな手段で手に入れた力でも、使いこなせば己の力だと私は思っている。だからこそ、一対の神が現れる前、私が出会った一体の王龍から、この力を受け取った」
「!」
アウルは最後の一言に鋭く反応する。
「(まさか、ニヒロはここに来たことが……?)」
「私はただ、どんな力も、手段も許容される世界に生きたかった」
ラーフは凄まじい音波を飛ばして地面を隆起させ、アウルは紫雷を纏った光の刃をメイスから飛ばす。二つの攻撃が激突した影から斧槍を持ったアウルが激流でブーストされて突撃し、その一撃をラーフは左腕で防御し、肉薄した瞬間にラーフは頭部を分離させ、先読みしていたアウルは尾を放ち、ラーフの頭部に巻き付けて引き剥がし、出力を上げた斧槍で腕を断ち切り、メイスに持ち替えて強烈な殴打をラーフの本体の腹に叩きつける。が、ラーフの身体の表面から岩が突如として隆起して、アウルを吹き飛ばす。吹き飛んだ先に岩がいくつも屹立し、シフルを生じて力場を産み出し、アウルを拘束する。
「うぐっ!?」
「終わりだッ!」
ラーフが腕から棘を生やし、再び地面に突き刺す。凄まじい音波が響き渡り、アウルを拘束する岩柱に反響して彼女に幾度も衝撃を叩きつける。
「このッ……音はッ……ベリスのッ……!」
激甚なダメージを負いつつも、アウルは閃光を放って岩柱を砕き、メイスの先端から紫雷を放つ。ラーフは音波で攻撃を逸らし、既に分離していた頭部が背後からアウルに飛びかかる。アウルは変身を解き、強烈な光の刃を産み出してラーフの頭部を切り裂き、ラーフの本体は首から極大の光線を放つ。アウルは閃光を盾にして防ぎ、ラーフの本体を囲うように光の糸を紡ぎだし、閉じ込め、徐々に光の檻を狭めていく。檻の内部に凄まじいほどの輝きが充満し、ラーフは徐々に削り取られていく。ラーフは怪物の腕のままで檻を掴む。煙が上がり、鉤爪が溶断される。
「……」
ラーフは人間の姿に戻り、悟ったような表情でアウルを見つめる。アウルもまた、呼吸を整えつつも、一言も発さなかった。やがて檻のなかに光が満ち、ラーフは消えてなくなった。光が全てアウルへ吸収され、彼女は眼を閉じ、そして見開く。
「これで、私は最後の試練に望める。早急に準備しましょう、マザーハーロット」
アウルの背から、赤い龍の首が現れる。
「ヌシにとっての最後の試練……くくくっ、妾も全力を貸してやろう。盛大に潰し合うがよかろ」
「もうすぐ私たちの協力関係も終わりを告げます。……ある程度の感謝を、あなたに表しておきますので、ありがたく受け取ってください」
「今になって思えば、瀕死のヌシに妾が力を貸し、逃げ仰せたエリアルを追うために策を練り続けたが……いやはや、下らぬ鳥の姿になってまで焦ったのは意味が無かったのう」
「あの時点で既に、狂竜王がなんらかの手段で間に合わせの手駒を欲していたのは把握していましたからね。けれど、あのお陰でバロンにはすぐに理解を示してもらえましたし」
「毒を喰らえばなんとやら……せっかくじゃ、ヌシの死出の旅に最後まで付き合ってやろ」
「ええ」
龍の首は引っ込み、アウルは沸き上がる感情を抑えきれず、微笑みながら神子の護所へ進んでいった。
ニブルヘイム
狂ったようにコラプスが暴れまわり、黒鋼とエリアル、二人からの猛攻を受けても意に介することなくそれ以上の猛反撃でニブルヘイムの大地を傷つけまくる。エリアルが激流を起こしてコラプスを横転させ、コラプスは受け身を取って凄まじく強引にエリアルへ向けて突撃し、横から鋼の波を受け、黒鋼の豪腕を喰らって吹き飛ばされる。
「なんて生命力なの」
エリアルが辟易してそう言う。
「……傷を付けても、より強力に再生している……」
コラプスは翼を広げ咆哮する。
「なんしよんか!もっとウチと死合わんといけんやろうが!そげん臆病風な攻撃をウチが許すとか思っとーとか!」
「……それはすまない」
コラプスと黒鋼が再び暴威を振るおうとした瞬間、エリアルの足元から黄金の光が湧き出る。黒鋼が目線を奪われたのは当然として、余りに急な出来事だったためかコラプスも手を止める。程無くして、光と共にエリアルは消えていた。
「……何だと……」
「余所見しとる暇なんかないやろが!」
コラプスは僅かな間棒立ちになった黒鋼を薙ぎ倒し、渾身の拳をめり込ませる。黒鋼はすぐに振りほどき、強烈な猛打を互いにぶつけ合う。
神子の護所
蒼い鉱石の放つ光によって照らされた空洞で、アウルは静かに眼を閉じて座していた。そこへ、黄金の光と共にエリアルが現れる。
「来ましたね、神子。……いえ、エリアル・フィーネ」
アウルは眼を開き、立ち上がる。
「随分強引に招待してくれるじゃない。私、今バロンと一緒に王龍の相手してたんだけど」
「ふふっ、ごめんなさい。こうでもしないと、バロンからあなただけを引き剥がすなんて無理そうでしたから」
「ふーん。ま、パラミナの森で会ったときからこうなるだろうとは思ってたけど、結構急いだものね。ニブルヘイムの氷が融けたのって、そっちのせいでしょ?」
「もちろん」
「で、あのイゼルとかいうのはどうなの?」
「彼は偶然協力関係になっただけの、ほぼ他人ですよ」
エリアルは怪訝な、アウルは喜びに満ちた視線を互いに向ける。
「もしかして、私がバロンを奪ったとかいう理由でここまで来て、私だけ引き剥がしたりしてるの?」
「いえ、別に。私、気付いたんです。自分の、本当に望むことを」
「……?」
「私はただ、彼を支配したかっただけなんです。彼に、私が思うままの人生を歩んでほしかった」
「あっそ。バロンは一人に尽くすのが大好きみたいだし、そっちがあんなこと言わなけりゃ、今でも傍に居てくれたかもよ」
「そうですね。私にとっても、あれはもうどうでもいいことです」
アウルは口端を上げる。
「私の最後の試練はエリアル、あなたを倒し、私の力とすること。そのために、私は力を取り戻すべく戦った」
「全く……」
エリアルは呆れてため息をつく。
「あの時ちゃんと死んでてくれれば、こんな面倒は無かったのにね!」
「全力で来てください、エリアル!全力のあなたを真正面から粉砕してこそ、この戦いには意味がある!」
エリアルは両腕を開き、杖を無数に分身させる。それぞれの杖が光を纏い、空中で整列し、光線を放ちながら縦に薙ぎ払う。護所が切り刻まれ、アウルは球状の光に籠って防御する。エリアルは自身の持つ杖を地面に突き刺し、間欠泉のごとく水を地中から爆裂させて攻撃する。アウルは身を翻し、メイスを持った黄金の騎士へ変身し、メイスから光線を放つ。エリアルは素早く反応し、地中から水をカーテン状に噴き出させて光線を弾き、瞬間移動でアウルの背後を取る。アウルも咄嗟に振り返ってメイスと杖が激突する。
「改めて聞くけど、私たちをこの世界に連れ込んだのも、そっちのせいでいいのよね?」
「さあ。そちらのご想像にお任せします」
杖がメイスを弾き飛ばし、鋭い突きが放たれる。アウルは変身を解き、杖を両手で受け止める。
「バロンに下らない入れ知恵をしたのも知ってるわよ?」
「はて、なんのことやら」
「とぼけても無駄よ。バロンが王龍インドミナスのことなんて覚えてるはずがないもの」
アウルは少し疑問を覚えたが、すぐに意識を戦闘に戻す。杖をぶんどり、それに閃光を纏わせて斬りかかる。エリアルは素早い蹴りで杖を弾き、肩から綺麗なタックルを叩き込み、両者の間で圧縮されたシフルを爆裂させ、アウルは縦に吹き飛ぶ。しかし、アウルは手を地面に突き刺して堪え、杖を取り戻したエリアルが再び杖を分身させ、光線を縦に薙ぎ払う。今度は避けきれずに被弾し、光線を受けつつアウルは傷を修復し続けて耐える。エリアルは着地する。
「流石です、エリアル……」
「久しぶりに本気で戦ってるけど、バロンのお陰か鈍ってないわね」
エリアルは杖の石突きをアウルへ向ける。
「悪いけど、私はバロンの傍に居ないといけないの」
暫し静寂が二人の間を埋め、杖を地面に向け、エリアルは再び口を開く。
「あの人は、一人で勝手に何でも背負い込む癖があるからね」
「ふ、ふふ……」
アウルは妖しく笑う。
「あなた達は、私の想像以上にお互いを思い合い、尊重し合っている……それがこの上なく、妬ましいッ!」
凄まじい閃光が放たれ、アウルは鎧を着込み、四本の腕を持つ蛇の怪物へ変身する。
「それ、逆恨みってやつよ?私はちょっとみっともないと思うけど?」
「逆に聞きますが、あなたはバロン以外に人格を否定されて素直に聞き入れますか?」
「いいえ全く。っていうか、バロンから何か言われたことないし。私もバロンに何も不満はないけど」
「では黙って死合うのみ」
アウルは四本の腕にそれぞれ剣を持ち、二本をそれぞれ振り下ろし、エリアルは軽くそれらの攻撃を受け流す。アウルは光を纏わせた強烈な連続斬りを放ち、それらは的確に展開された杖の分身に弾かれ、アウルは力を溜めて全力で突進する。エリアルは瞬間移動で右に回避するが、退路を潰すようにアウルは切っ先から光の刃を放ち、地中から光が壁となって噴出し、エリアルの行動エリアを著しく制限する。
「仰々しく力がどうの言った割にはそんな程度?」
エリアルの挑発に乗ることなく、アウルは地面を捲り上げつつ突進し、牽制に右の上の腕を振るう。エリアルはその攻撃を鋭く弾き、右の下、上、左の下、右の上、左の上と続くアウルの剣を杖の分身で的確に弾き続ける。次第に光を纏い始めたアウルの剣は、だんだんと振る速度が上がっていく。エリアルの防御も次第に間に合わなくなっていき、彼女は後方に瞬間移動する。が、光の壁のせいで思うように下がれず、距離を詰めたアウルの一撃を杖で受け止める。
「くっ……」
エリアルは堪えるが、アウルが次の一撃をぶつけて吹き飛ばし、光の壁に激突してエリアルは更にあらぬ方向に吹き飛ばされる。だがすぐに受け身を取り、杖を分身させ、四方八方から次々と光線をアウルへ発射させる。アウルは全身から黄金の光を放ち、全ての光線を無力化する。
「生憎ですが、あなたでは私を止めることはできない。それはあなた自身が一番よくわかっているはず」
「ふん。……ふふ……」
エリアルは杖を持つ右腕からシフルの粒子が零れるのを見て笑う。
「あなたから漏れ出たヴァナ・ファキナが、あなたから殆どの生きる活力を奪い取った。あなたを活かすのはもはや自分自身ではない。バロンにそう望ませることで繋ぎ止めているだけ。バロンから愛されなければ、存在を望まれなければ、あなたは生きられない」
「ええ、その通り。でもそれでいいでしょう?バロンが望むのは私。私が望むのはバロン。それで私は確かにここに存在しているもの」
「まあ、なんでも構いませんが」
アウルが突進し、エリアルは飛び退く。再三のその行動をアウルは読み、身を翻して剣を振るう。エリアルの背後を潰すように紫雷が線のように横に三本現れ、エリアルは咄嗟に急降下する。その隙を狙ってアウルが前のめりになりつつ剣を振り下ろす。左に躱したエリアルへ向き直らず、アウルは天へ咆哮する。光の壁が更に狭まり、ほぼ強制的に真正面からの打ち合いを強制する間合いになる。
「さよなら、我が愛しき恋敵」
アウルは右の下の腕に持った剣を向ける。
「まだまだ、蒼の神子はこんなもんじゃないわよ」
エリアルの足元に蒼い光を放つ魔法陣が現れる。それが身体へ吸収され、エリアルの肌に蒼い光の紋様が現れる。
「私が死ぬとバロンが悲しむからね」
アウルは四本の腕を使った全力の猛攻を仕掛け、エリアルは先程よりも速いその連続攻撃を往なし、左下腕と右上腕を斬り裂いて、そのまま強烈な一撃を頭部に叩き込んで吹き飛ばし、アウルは人間の姿へ戻る。
「うぐ……」
エリアルは限界が近いのか、杖を支えに膝をつく。アウルはその隙を逃さず、メイスを持った黄金の騎士へ変身し、光の刃を叩きつけ、光の壁までエリアルを吹き飛ばし、光の壁に激突したエリアルは地面にうつ伏せに倒れる。アウルは人間の姿に戻り、爪先でエリアルを仰向けにさせる。
「私の勝ちです」
「ふん……満足したなら、さっさと私に止めを刺しなさいよ」
「……」
二人はそれ以上何も語らず、アウルはエリアルを吸収した。同時に、奥からイゼルが現れる。
「終わったようだな」
「ええ。そちらは?」
「首尾は上々だな。この世界はもう用済みだ。あとはお前さんが宙核との決戦のために好きにして構わん」
「わかった」
会話が終わると、イゼルはすぐにその場から去る。アウルは胸の高鳴りを感じながら、外を目指して歩く。
ニブルヘイム
コラプスの無茶苦茶な攻撃が周囲を粉砕し、次々に噴き出す間欠泉が二人の視界を著しく妨害する。
「往生せえやぁ!」
全身からシフルの棘を生やしたコラプスが後方へ飛び上がり、全身全霊をかけた突進を放った瞬間、黒鋼との間に巨大な氷塊が現れ、構わずコラプスが突撃するも、あえなく激突してそのまま止まる。
「んあ!」
コラプスはその氷から何かを感じたのか、翼を広げてそのまま飛び去る。
「……逃げたか……?まあいい、今はエリアルを探さなくては……!」
黒鋼は竜化を解き、バロンがその場から駆け出そうとした瞬間、眼前にアウルが現れる。
「……アウル……」
「パラミナの森以来ですね」
「……!?」
バロンがアウルから感じた力の気配に驚愕する。
「……エリ……アル……!」
そして反射的にアウルに拳を放つが、彼女は軽々とそれを受け止める。
「バロン。私はありのままのあなたと戦いたい。エリアルの庇護を離れた、裸のあなたと」
「……」
「でもここでは決戦の舞台としては弱い、そうですよね?」
「……ああ」
バロンが拳を引き、アウルがその手を横に伸ばすと、周囲の景色が光に呑まれて変わる。
絶海都市エウレカ 行政ビル前広場
無数のオフィスビルが並ぶ街中に、一際巨大なビルが見える。その前にある広場に、二人は立っていた。
「……当て付けのつもりか」
「いいえ。ここはエリアルにも、私にも、エメルも、ゼノビアも、シマエナガにも、そしてもちろん、あなたにとっても始まりの場所」
「……この記憶は、お前が寄越したのか」
「私が幸せだった、あなたの初めの世界の記憶。何も手を加えていない、ありのままあなたの記憶ですから、ご心配なさらず」
「……」
言葉が止み、互いに悟ったような表情で視線を交わす。アウルは諦めたように笑い、バロンは少しも表情を変えない。アウルは右手を空に掲げ、同時に光が空に集まっていく。
「……何をするつもりだ」
「エリアルの力を得た私には、何が出来ると思いますか?」
「……まさか。世界をシフルに戻しているのか」
アウルは微笑み、右手を戻し、開いた掌に光が渦を巻いて降りてくる。そしてアウルの身体は閃光に包まれ、赤い龍の首が一本ずつ順に光の中から現れ、そして七首の赤龍が姿を現す。
「……またそれか」
「私は旧Chaos社の動乱で、あなたと戦った。そこで感じた、あの興奮。あの目眩く焦燥を感じるためには、再びあなたと殺し合う必要があった」
「……」
「きっとあなたはこう思っているのでしょう。私ごときでは、何も感じないと」
七つの首が同時に口に紫雷を燻らせ、光線にして縦に薙ぎ払う。バロンは瞬時に竜化し、黒鋼は鋼の壁でそれらを防ぐ。壁が崩れ、両者の視線は再び交わる。
「……なるほど。確かに、あの時よりも力は増している。気を抜けば一瞬で消し去られる程にはな」
「では参りましょう。この世の陽が暮れるまでの短い間、気が狂れるほど愛し合うために我らは……」
「……命を、懸ける」
黒鋼が拳を振るい、無数の鋼の槍が射出される。アウルは爆散する光線を噛み砕き、飛び散る電撃でそれらを打ち落とす。紫雷を放って突撃し、全ての首を使って怒涛の噛みつきを放つ。黒鋼も同じように怒涛のラッシュをぶつけ、鋼が飛び散り、それらに雷が流れて弾け飛び、周囲のビルのガラスが割れる。続く黒鋼の殴打でアウルの首が一本吹き飛ぶが、二人の頭上に燦然と輝く球体からシフルが供給され、即座に再生する。輝きを失った分だけ世界を消滅させ、その光輝を取り戻す。
「……」
「……」
互いに黙ったまま、狂気的なまでの殺意を叩きつけ合う。アウルの噛みつきは同時に、迸る紫雷を解き放ち、前隙も後隙もない。黒鋼の拳速も時間の経過につれてドンドン加速して行き、首の損耗もまた激しくなっていく。特大の雷を纏って凄まじい噛みつきを放ち、黒鋼は咄嗟に鋼の盾を産み出して噛み砕かせ、そのまま防御を無視した連続攻撃を放つ。アウルも卓越した連続噛みつきで防御する。黒鋼は乱雑に攻撃している風を装って、再び鋼の盾を噛ませ、今度は飛び退く。本能的に察したのか、アウルも同時に踏み込んで中央の首で噛みつく。
「……甘いッ!」
黒鋼はそれすら見切って手刀を振るい、中央の首を斬り飛ばす。再び頭上の輝きから光が降り立ち、首が再生する。
「……なるほどな。足りない耐久性を、このWorldBを変換して強引に補う。そのためにエリアルを狙ったのか」
「あなたはわかっていない。ずっと、わかろうともしない」
「……」
「神子の力を得て、私は彼女の心の全てを知った」
「……なんだと?」
「私が思うよりも、遥かに大きく、確かに彼女は、あなたのことを思っていた。でもあなたにとって、彼女は何?」
「……全てだ」
「……。あなたは、神子のものになる前、私にもそう言った。全てを捧げて、愛して、それであなたは満足?」
「……どういう……ことだ……?何が言いたい」
「わからないのなら、あなたは二度と神子に会えない。私を倒しても、エリアルという一人の人間に、再び出会うことはない」
アウルは左右三本ずつの首を地面に突き立て、足元から凄まじい閃光を次々と放つ。黒鋼は光の噴き出す穴を鋼で塞ぎ込み、アウルは首を引き抜いて電撃を飛び散らせながら紫雷の球体を放つ。更に続けて首を地面に擦り付け、巻き上げ噛み砕きながら突撃し続ける。黒鋼は機雷を警戒して真正面から受け止める。
「……ぐぅ……!?」
闘気が安定しないのか、黒鋼の体の縁からシフルが霧散していく。そして押し切られ、中央から右に一本目の首に喉元に噛みつかれ、そして雷を迸らせて噛み千切る。首の肉が無くなった場所から、凄まじい勢いで闘気が漏れ出す。そのまま左右の三本目の首が黒鋼の両腕に食らいついてそのままビルに叩きつけ、五つの首でラッシュを叩き込む。止めに中央の首で最大の電撃を纏った噛みつきで吹き飛ばし、黒鋼はバロンに戻る。
「……」
バロンは壊れたアスファルトの残骸を重い動作ではねのけ、近寄ってくるアウルを見る。
「あなたは迷っている。誰のために戦っているか、わからなくなって」
「……僕は……」
「終わりにしましょう。あなたは、今度は私のために眠る」
アウルが全ての首に紫雷を集中させ、噛みつこうとした瞬間、無数の鎖で編まれた防壁に阻まれる。怯んだアウルは横から現れた天使の、盾を使ったタックルで吹き飛ばされる。
「兄貴!胴体の連結部が弱点みたいだよ!」
「わかってるッス!」
姿勢を戻す瞬間に頭上から飛んできた槍がアウルの中央の首の連結部に突き刺さり、電撃を放つ。そしてバロンの目の前に四人が着地する。
「どうやら……間に合ったようね……」
吹きすさぶ風に美しい黒髪が靡き、チェックミニスカートが踊る。赤い裏地のマントに刺繍されたグランシデアの国章が、光を受けて燦然と輝く。
「……君は……」
バロンの前には、なんとロータが立っていたのである。
「さっきの話は聞いていた。……。愛するものを、本当に愛しているかわからなくなった時の気持ちは、私にはよくわかる……」
横に並ぶエリナが頷く。
「自分のことばかりを考えて、他人を見ていないのは誰にでもよくあることだ」
ロータがはにかみ、バロンを横目に見る。
「あなたが真に望む人のことを……ちゃんと強く願えばいい」
それだけ告げて、ロータはアウルと相対する。
「天象の鎖、ですか。どうか邪魔しないで頂きたい」
「嫌。今……こいつを失うと面倒だから……」
紫の棘を纏った鎖がアウルの一番右の首を戒め、そのまま捻じ切るが、輝きが舞い降りて修復される。
「……」
ロータがミリルをちらりと見る。ミリルは頷き、ゴーグルを装着する。
「兄貴、しばらく集中するから護衛よろしく!」
「任せとけッス!」
マイケルが槍を構え、後ろからバロンが飛び出してロータ、エリナと並ぶ。
「……これは僕の問題だ。助けてくれたのは礼を言うが、ここは僕が――ぶごぉ!?」
バロンが言い終わるより前に、ロータから強烈な飛び回し蹴りを受けて吹き飛ばされる。
「邪魔」
そこへアウルが紫雷を機雷のように球体にして連射し、ロータは瞬時に鎖を天空に編んで機雷を全て爆発させる。急接近して噛みつきを放ってきたのをエリナが盾で受け止め、鎖で薙ぎ払ってアウルを吹き飛ばし、凄絶な爆発が周囲を包み込む。アウルの首は五本焼失していたが、また輝きに包まれて再生する。ロータが右耳に付けていたイヤホンからミリルの声がする。
『ロータちゃん!あのドラゴンは、空にあるあの球体からシフルを供給して再生してるみたいだよ!原理はわからないけど、この世界そのものを変換して力にしてるみたい!』
と、そこでイヤホンからバロンの声がする。
『……恐らく、彼女の中にあるエリアルの力で、この世界を強制的に書き換えているんだ。そこでだ。僕が一時的にこの世界を他の世界との連結から断ち切る。その時に、全力でアウルのエネルギーを削ってくれ』
「わかった……合図は何?」
『短く連絡音を三回鳴らします。それが合図です』
ロータは短く頷き、アウルの攻撃を往なす。噛みつきが弾かれた隙にエリナが強烈な一撃を加え、首を一本吹き飛ばす。
「流石は天象の鎖、そして狂竜王の配下、と言ったところでしょうか」
アウルが嘲笑すると、エリナが呆れたように首を振る。
「もう既に、私は王の下を離れた。そう呼ばれる筋合いはない」
ロータは黙っていたが、耳許に短い音が三回響いて、エリナと頷き合う。
「ここで時間を食うわけには行かない……さっさと終わらせて、先に進ませてもらう……」
ロータは全身から魔力を放ち、凄まじい勢いで鎖を放ってアウルを戒め、無数の最上級の魔法を叩き込み、首を再生した端から消し飛ばしていく。急速に頭上の輝きが収縮していき、次第にビル群が消え去っていく。
「舐めるな!」
アウルが鎖の戒めを解き、中央の首に力を溜めて突撃する。が、エリナが振るった剣の一閃で斬り捌かれ、アウルは人間の姿に戻って吹き飛ばされる。
「……ッ」
動揺したアウルへロータが口を開く。
「口から出る理念の割には……まあセコいな手を使うのね……」
「横槍が入らなければ勝てたんですがね」
「あなたは……何がしたいの……?バロンと死合いをするっていう建前で……単に彼が欲しいだけに見えるけど……?」
「知る必要はありません」
アウルが力むと、凄まじい輝きが彼女から放たれる。
「ミリル、これは?」
『あの人から発せられる力で、空間が歪んでいます!』
「それはわかる」
『バロンさんが閉じた世界の連結を、無理矢理再開させようとしてるみたいです!』
「チッ……いくら宙核でも限度はあるか……」
と、背後から再びバロンが現れる。ロータはそちらを向く。
「力は削ったから。後は自分で決めて。……終わったらニルヴァーナに来て。こんなことより優先しないといけないことがあるから」
「……わかった」
ロータが頷き、四人は鎖に乗って去っていった。
「……アウル、さっきはお前に心を乱されたが……僕が思うことはただひとつ。いかに独りよがりと言われようと、僕にはエリアルが必要であり、エリアルだけが、僕の愛を捧げる伴侶だ」
アウルは沈黙する。
「……お前も同じなんだろう。僕と命を奪い合いたいのが本心ではなく、ただ、僕を手中に収めたかった。それだけなんだろう」
「本心なんてものは、自分でもよくわからないものです。自我も、深層心理や表層心理など、様々に定義したところで、その実在を証明することは出来ない。強く意識しても、所詮は蒙昧で、そこには存在しないかのようにとりとめのないもの」
「……だが確かに彼女は存在する。存在の根幹を僕に託すことで、ここにある」
バロンが自分の胸に触れ、祈るように眼を閉じる。すると、彼の横に、アウルから漏れ出たシフルが集まり、エリアルが現れる。
「……エリアル……」
バロンの安らかな視線に、エリアルは照れ臭そうに顔を逸らす。
「いやー、一応安全策を用意してたけど、ロータが来るまで思い付かないとは思わなかったわー」
棒読みだったが、アウルはそれで感づく。
「まさか、あなたはここまで計算して……!」
エリアルはドヤ顔でアウルを見て、これ見よがしにウィンクする。
「その通り。そっちがヴァルナを襲撃した時点で察しはついてたわ。だからわざわざコラプスを刺激したんじゃない」
「……ッ!コラプスがあなたたちを圧倒するのを嫌ったニヒロが、干渉してくるところまで想定して……!」
「ま、さっきは流石にヒヤッとしたけどね。もしロータたちが来なかったらどうしよう、ってね。さて、と」
エリアルはバロンの手を握る。
「じゃ、あなたのご期待に答えて、私が力を貸してあげますとも!」
「……ああ」
二人は握った手を掲げ、そして竜化する。瑠璃色の体が現れる。〝玉鋼〟だ。
「……行くぞ」
その声に、アウルは笑う。
「これが、あなたと向かい合える最後の時間なのかもしれませんね」
彼女は光に包まれ、赤い大蛇へと変身する。巨大な一対の腕と、光線で象られた翼が、その偉容を彩る。
「エリアル……あなたはこの戦いの行く末すら、計算内ですか?」
「まさか。後は流れに任せるしかないわ」
アウルが極大の光線を放ち、玉鋼は腕の一振でそれを弾き返し、拳を光速で放つ。しかし、アウルが張ったバリアに弾かれ、そして大爆発する。玉鋼はそれに怯むことなく激流を打ち出し、バリアに弾かれて蒸発する。アウルは翼のエネルギーを増幅させ、射出して光線を降り注がせる。玉鋼が産み出した水と鋼の盾にそれは弾かれ、回転をかけて盾を投げ飛ばす。バリアに弾かれるが玉鋼は盾を体に吸収し、勢いを乗せた強烈な拳をバリアに突き刺し、力ずくでバリアを引き千切る。両者の拳が至近距離で激突し、玉鋼の拳がアウルの拳を粉砕し、そのまま胴体を貫く。
「が……はっ……」
そのまま、玉鋼は渾身の闘気を間近で放って龍の体を消し飛ばす。人間に戻ったアウルが地面を転がり、玉鋼は竜化を解いて二人に戻る。
「……アウル」
バロンが近寄り、跪いてアウルの体を起こす。
「私の負け……ですか……」
「……ああ」
「結局……あなたは……」
アウルの唇をバロンが自らの唇で塞ぎ、そして離れる。
「……それ以上言うな。僕は一瞬でも迷った。それは事実だ。お前のお陰で、僕は目を背けていた事実に向き合えた」
アウルが微笑む。
「〝あなたが幸せならそれでいい〟って……少しでも……思えたのなら……」
そして体をバロンに寄せる。
「最後に……私を……」
言い終わるより先にバロンがアウルを抱き締める。
「嗚呼……餞別に抱き締めてもらう、なんて……きっと……昔の私に言ったら……嫉妬しちゃいますね……」
アウルはシフルの粒子になって消えた。バロンはゆっくりと立ち上がり、エリアルの下へ戻る。
「いくら恋敵とは言え、最後を看取るって言うのは慣れないわね」
「……アウル……」
二人はしばらく静寂に佇み、そしてバロンが口を開く。
「……ニルヴァーナへ行こう。零下太陽Chaos社を野放しには出来ない」
「ええ、そうね……」
エリアルが杖から光を放ち、二人の姿は消えた。そのすぐ後、虚空に光が集まり、赤い龍が現れる。
「妾は見たいものが見れた。ヌシが真に望んだものは、ただ、彼の者の愛、それだけ。人は思いゆえに苦しみ、けれど、その思いゆえにここまで進化してきた。ヌシのお陰で、それを改めて知ることが出来たぞ」
満足げな表情を浮かべて、マザーハーロットは彼方へと飛び去る。程無くして、絶海都市の残像は崩壊を始め、僅かに残った元々のWorldBも、間を置かずに消滅した。
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