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三千世界・終幕(5)

バロン編(通常版)

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 無明桃源郷シャングリラ・終期次元領域
「ようやく一度目の終焉が訪れんとしているな、エメル」
 狂竜王が横に座るエメルへ言葉を投げ掛ける。
「ふわぁ……退屈ですね。こんなことなら、クライシスの時、意地でもエリアルから彼を奪っておけば……」
 エメルは一人でチェスと将棋とオセロを打っていた。
「いいえ、手持ちの駒が変わらぬ戦いなど、なんの愉悦もない……」
 と、そこへ闇を裂いて深淵が現れる。
「アルヴァナ。ウル・レコン・バスク、今ここに帰還した」
 狂竜王は軽く頷き、自ら作り出した闇に座る。
「エメル」
 深淵はエメルを睥睨し、問いかける。
「なんでしょうか」
「アルヴァナや、我ら真竜は不死であると思うか」
「いいえ。なぜなら――この始源世界より続く計画、全ては狂竜王を殺し、私の親友を眠らせてあげるためにあるのですから」
「その通りだ。この世に不死たるものなど存在しない。老化した宇宙を滅ぼす汝なら知らぬはずもないか。我ら真竜も、アルヴァナも、王龍の極みたるボーラスも、いずれ死ぬ」
 深淵は闇に溶ける。
「〝深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いている〟。だが、なぜ覗かれる側が深淵であると決めつけられているのか。我々の表層こそが深淵であり、深層こそが我らが普段思う表層ではないのか」
 エメルは三つのボードゲームで同時に止めを刺しつつ呟く。
「とある救世主の言葉を借りるならば〝相克相生で物事を測ること自体が間違いであり、全ては表裏一体、裏の裏は裏、表の裏は表なのだ〟ということです」
 狂竜王はエメルが雑に吹き飛ばした白のキングを拾い上げる。
「信頼できる味方と、倒すべき敵。意思あるものは皆、この世界を二項対立で結論付けようとしたがる。実在しない巨大な何かに自分自身を生け贄とし、思考を放棄したがるのだ。ルールに身を委ね、敵を倒すことだけに思考の全てを投げ捨てる」
 そして白のキングを盤面に戻す。更に玉将を盤面に戻し、オセロの最後に裏返った黒を白に戻す。
「だが世界はその程度の形式は気にも留めない。世界にルールなど存在し得ないからだ。古代世界の人間が考えた物理法則など凄まじく寂寥としているだけだ。世界というのは何者にも解明できない。だが同時に、何者にも定義する権利がある。問題はその定義の力が、他の、元ある世界を揺らがし刻み付けるほどのものかどうかというところだ」
 エメルは微笑む。
「なるほど、どれだけ無理を押し通す力があるか、そういうことですね?」
「その通りだ」
「すごく合点が行きました。なぜあの忌々しい日にゼノビアごときにバロンが殺せたのか……余りにも破壊的な感情の波は世界を形作るシフルにすら干渉する……いい、アイデアを思い付きました……!」
 エメルはその場を離れ、階段をゆるりと降りていく。

 北アメリカ区・サンフランシスコ海岸
「……うっ……くっ……」
 海の潮騒でバロンが目を覚ます。程よい柔らかさの何か――というよりエリアル――が自分の腹の上で気絶していることに尋常でないほど緊張したバロンはすぐにエリアルの肩を揺する。エリアルはすぐに寝惚けつつも目覚める。二人は起き上がり、周囲を確認する。
「……ここが古代世界……」
「そうね……北アメリカ、ワールドアルカディアズの近くみたい」
「……ワールドアルカディアズ?」
「北アメリカの西側一帯のことだと思えばいいわ。因みに東はエレクトリカルルインって呼んでる」
「……とにかくニルヴァーナに行かないとな」
「ちょっと待って」
 歩き出そうとするバロンをエリアルは呼び止め、そちらへ向かせる。
「ニルヴァーナに繋がるのは日本の福岡上空よ。あそこだけが異界化していて、そこからニルヴァーナに繋がってる」
「……それはどこに?」
「ここから西へ太平洋を横断するか、東へ大陸をいくつか乗り継ぐか」
「……遠いな……」
「ええ。だから、気を引き締めていきましょ」
「……大丈夫だ。君がいるからな」
「ッ……!?バカ!そういうことは今言わなくていいの!」
 エリアルは赤面し、顔を背ける。
「……可愛い」
「もういいから!さっさと行くわよ!」
「……ああ」
 海岸から道路に出ると、先進的なコンクリートの建物に挟まれた小道から、首に釘の突き刺さった人型の何かが現れる。
「プロメテウス・ベルムね」
「……プロメテウス・ベルムとは?」
「来須月香が作り出したスペラ・ベルム。それを小型化、人間が纏う外骨格に作り替えたもの、それがプロメテウス・ベルム。この北アメリカ一帯を支配している穴井が作ったものね。見つかると面倒だわ。隠れながら――」
 バロンはエリアルを抱き抱えて左に飛ぶ。銃弾が後方から虚空を裂く。
「……どうやらもう手遅れらしい」
 バロンを囲むようにプロメテウス・ベルムが銃を構えている。
「……」
 プロメテウス・ベルムは銃を構えたままで、他に何もしようとしない。
「……どういうことだ」
 プロメテウス・ベルムの間から一人の少年が現れる。赤いマントを靡かせ、軍刀を提げたその少年が手を上げると、プロメテウス・ベルムは一列に並ぶ。
「バロン、よく戻ったな」
 少年はバロンへ近づくが、バロンは警戒する。
「バロン、彼はワールドアルカディアズの長、穴井悠雷よ」
「……ここの主ということか」
 バロンはエリアルを離し、少年と向かい合う。
「……何の用だ、支部長」
「お前が帰ってくるのを待っていた。バロン・エウレカ。クライシスの日に壊れたお前ではなく、その女が作り出した、求められたお前をな」
「……何のことだ?」
 バロンが僅かに後ろを確認すると、エリアルは俯いていた。バロンは穴井へ向き直る。
「……それで、本題に入らないのか」
「お前に協力してほしい。Chaos社を討つためにな」
 両者は沈黙する。
「……正直に言って、信用できない」
「仕方ない。ならば……」
 穴井が長剣を引き抜こうとすると、道路の遠くから凄まじい闘気と共に声が響く。
「ならば、その男は俺が頂く。引け、ガウェイン」
 ローブを纏った黒銀の竜人が、青い闘気を発しつつ接近してくる。穴井が顎で使うと、プロメテウス・ベルムがバロンたちと竜人の間に整列し、アサルトライフルを連射する。その弾が着弾するより先にローブが宙を舞い、プロメテウス・ベルムの内の一人が細切れになる。そして高速の斬撃で銃弾を全て弾き返す。
「そんな豆鉄砲にどれだけの価値がある。いい加減目を覚ましたらどうだ、貴様ら」
 黒銀の竜人――ゼロが青い闘気の刀を納めると同時に、プロメテウス・ベルムは全て粉砕され、風に消える。
「ゼロ……!」
 穴井がゼロをバロン越しに見つめる。ゼロは立ち上がり、バロンたちへ向き直る。
「神子と宙核は俺がもらう。そいつらは俺がクラエスと戦うための入場料だ。それに……蒼の神子。貴様は今まで重ねた罪の重さを、改めて自覚するべきだ」
 ゼロはエリアルへ刀を向け、バロンがそれを遮るように前へ出る。
「……穴井もお前も、一体エリアルの何を知っているんだ。僕が納得できる答えが無いのなら、僕はエリアルを守るために」
 バロンは真っ直ぐにゼロを見据える。
「フン……俺もアルメールの言葉など信じる気はないが、クラエスともう一度敵同士として戦うにはこれしかあるまい」
 ゼロは刀を消し、冷気と共に籠手のように腕に闘気を纏わせる。
「バロン、貴様はヴァナ・ファキナを知っているか」
「……ヴァナ・ファキナ?」
「杉原明人とやらに取りついた王龍……竜という種族の中で最も強欲にして、傲慢な竜……それが、その女から生まれた」
「……正気か、お前」
 ゼロの両腕を氷の籠手が覆い、尋常でない殺気が周囲に漂い始める。
「俺の名はゼロ。帝都軍団長、竜王種の王子であり、貴様の命を貰い受けるものだ」
「……仕方ない。僕はエリアルを守る!」
 ゼロが瞬間移動から強烈なパンチをバロンへ向けると、バロンは左腕で受け流し、肩で胸へ衝撃を加えて右手で闘気の衝撃を叩き込む。ゼロは籠手を砕き、青い闘気の刀を産み出す。そして恐るべき早さのバロンの追撃を腕で弾き、バロンの頭上へ瞬間移動して、抜刀しつつ急降下する。バロンは刀を裏拳で弾き、回し蹴りからの踵落とし、更に踏み込んで左手で撃掌を叩き込んで後退させる。
「ぐふっ……」
 ゼロは崩れ、刀で地面を突いて体を支える。
「流石は始まりの人間……俺やクラエスの比ではないということか」
 そして立ち上がり、分身を二体生み出す。
「少々卑怯な手を使わざるを得ないか」
 ゼロはそう呟き、分身と共にバロンへ攻撃を仕掛ける。二体の分身が交差するように突進しつつ抜刀し、バロンはその分身を同時に受け止め、叩きつけて破壊する。そこへ光の刃が掃射され、バロンへ全て突き刺さる。バロンは一時的に体が動かず、ゼロに蹴り飛ばされる。ゼロの刺し殺すような視線に、エリアルは怯む。
「貴様がアウルからバロンを引き剥がして、ゼノビアの攻撃で瀕死だったこいつを都合よく書き換えたんだろう、神子」
 エリアルへ刀を向けると、バロンは根性で動いてゼロへ攻撃しようとするが、頭上から雨のように降り注ぐ光の刃でまたその場に釘付けにされる。
「神子の精神干渉であらゆる外部操作を弾く貴様も、俺の瞬滅刃で物理的に動けなくなれば自由に動けまい。それ以上無理に動けば、貴様の体は細切れになる」
 ゼロの言葉を無視して、バロンは力ずくで動こうとする。その度にバロンの体の節々から表皮を引き裂いて光の刃が湧き出る。
「ガウェイン。貴様はその女がどれだけ凶悪な存在か理解していないようだが、神子と宙核を明人にぶつければ、Chaos社以上の脅威が世界を覆うと気付かんのか?」
 穴井は真顔のまま、ゼロと視線を交わす。
「僕は竜を滅ぼし、人の世界を作るためにここにいる。彼女がヴァナ・ファキナの原因であるというお前の話が真実であったとしても、彼女自身に罪はない」
 その言葉を聞いて、ゼロは一笑に付す。
「笑止千万。王にも民にも盾にも剣にもなれん男だ、貴様は」
 ゼロとガウェインが今まさにぶつかろうとしたとき、道路脇の施設の上から声が響く。
「感動の再会だな、バロン、エリアル!」
 赤黒い竜人が屋上から道路に飛び降り、エリアルと穴井はその竜人を見て目を見開く。
「うげっ、アルメール!」
「ライオネル!?なぜここに!?」
 アルメールは二人の反応と、バロンの必死な目線、ゼロの冷笑を浴びて、白い牙を見せて微笑む。
「ガウェイン。すまないが、今はお前と話をしてる場合じゃないんだよ。エリアル、久しいな。クライシスの時以来――いや、今のお前となら、アヴァロン以来か。相変わらず、麗しの王子様で自慰に耽ってるみたいだが、お前の願望だけが暴走したあの龍の始末をつけないのかい?」
 エリアルはようやく沈黙を(悲鳴以外で)破り、口を開く。
「私自身、私利私欲のために彼を利用していたのは認めるわ。けど、私は本気でバロンのことを愛してる。余りにも長い月日の中で砕けて、再構成されたヴァナ・ファキナは、元は私の願望だったとしても、私だってよくわかんないし、ただの世界の害なだけ。私とはほぼ関係ないわ」
 アルメールは薄ら笑いを浮かべ、崩れ折れているバロンへ視線を向ける。
「バロン、お前もいい加減に目を覚ましたらどうだ?worldBの戦いを見ていたが、アウルのことも思い出せていないとはなあ」
 膝を折り、バロンの顎に手を添える。
「アウルは俺がもらおうか。いい女だからな」
「……お前は……何を言っているんだ……」
 バロンの怪訝な表情に、アルメールは更に笑みを深める。
「まさか本当にアウルを覚えていないのか。はぁ……なるほどな。まあいい。これ以上は我が王の計画の邪魔になる」
 アルメールは真顔に戻ると、立ち上がる。
「行くぞ、ゼロ。これ以上の干渉は無用だ」
 そして踵を返すが、ゼロはその場に留まる。
「ゼロ、どうした?」
 ゼロはエリアルに視線を向けたまま動かない。
「確かに、美貌は貴様の妹にも劣らんな、アルメール」
 身を翻し、ゼロはアルメールと共に去っていく。
「惚れたか?」
「下らん。貴様もバロンも、好きなだけ惚けていろ」
 ゼロが切り裂いた空間に、二人は消える。エリアルは直ぐ様バロンへ駆け寄り、傷と共に光の刃を取り除く。
「……すまない、エリアル。君を守れなかった」
「気にしないでいいわ。実際、あなたの方が勝ってたし……」
「……一つ、聞いていいか……」
「なんでも」
「……僕は、君を本当に愛しているんだろうか。僕は……」
 エリアルはバロンを抱き寄せる。
「少なくとも私はあなたのことを愛しているわ。だからあなたが気後れしなくていいの」
「……すまない、少し気になった」
 バロンとエリアルは立ち上がり、穴井へ向き直る。
「少しだけ協力させてもらうわ……ガウェイン。バロンと私はニルヴァーナに行かないと行けないから」
 穴井は頷き、手で二人を促す。バロンとエリアルはそれについていく。
「……エリアル、君がそのヴァナ・ファキナとやらの原因になったというのは本当なのか?」
「ええ、本当よ。遠い昔の世界で、私の知識欲だけが分離した存在、それがヴァナ・ファキナ」
「……君が僕を書き換えたというのは……」
「えっと……それは……」
 言い淀むエリアルの肩をバロンは叩く。
「……言いたくないならいい。知らなきゃいけないときが来たら聞かせてくれ」
「わかったわ……」
 沈む二人の雰囲気を見かねて、穴井が口を開く。
「ニルヴァーナがあるのはセレスティアル・アークの上空だが、今お前たちがここに来れたのは幸運だったな」
「……どういうことだ?」
「今朝、中国区で来須が死んだ。そして更に言えばDAAが崩落した。確実にChaos社の戦力は落ちている」
「……つまり僕たちが福岡に乗り込みやすいということか?」
「そうだ。詳しい話は後でさせてもらうが、他にも異世界からChaos社を倒すために異世界人がやって来ている」

 ワールドアルカディアズ
 しばらく歩き、墓場へと到着すると、一つの墓標の前で穴井が手を翳す。すると墓標が動き、地下への階段が現れる。一行は階段を降りていくと、広い空間に出る。
「ようこそ、ここがワールドアルカディアズだ」
 クリアパーツのような床が延々と続いている空間は、夕日のようなオレンジ色の光で満たされていた。
「ここには転送装置がある。……とは言っても、次元門のアクセスプロトコルが弾かれるからメキシコまでが限界だがな」
 その言葉に、エリアルが反応する。
「メキシコ湾に浮かんでるアルカトラズなら、ちょうど二つの大陸の狭間にあるはず。あそこもワープゲートがあるでしょ」
 穴井が頷く。
「その通りだ。お前たちには南アメリカ支部を潰してきて欲しい」
「南アメリカ……あの暮柳湊を討ち取れって?」
「要はそういうことだな。僕も準備がある。この絶好の機会を逃すわけには行かない」
 エリアルとバロンは顔を見合わせる。そして頷き、穴井の方を向く。
「……行こう。穴井、転送装置へ案内してくれ」
 一行は内部を進んでいく。そして下層の方にある円形の装置にバロンとエリアルは入る。
「あくまでも簡易転送装置だからな。アルカトラズのどこに出るかは保証できない」
 二人の視界が光に包まれる。

 メキシコ区・アルカトラズ
 空間に穴が空き、二人はそこから飛び出る。華麗に回転して二人は瓦礫の中のコンクリートに着地する。
「……ここがアルカトラズ?」
 周りを海に囲まれ、延々と続く瓦礫の山の向こうに、巨大な塔が見える。
「ええ。ここは2000年代の初頭に作られたゴミの集積所で、その塔……〝ディスポーザルタワー〟っていうんだけど、その中で本来ならば使用した石油製品を石油に戻す作業が行われるはずだった。でもそれは、ディスポーザルタワーの建設に反対する団体がここを乗っ取ったことで中止され、そのまま2020年に起きた第三次世界大戦によってChaos社が奪い取った。で、今の2515年まで放置されてた」
 二人は瓦礫の間を歩き、塔を目指す。
「……ッ」
 バロンは何かの気配を感じて怯む。
「バロン、何か嫌な感じしない?」
 エリアルも同じように塔の上方を見ていた。
「……転送装置はどこにあるんだ?」
「構造が変わってなければ丁度この気配がするところにあるはずよ」
「……頂上か……」
 二人は塔の麓に辿り着き、その内部を上へ向かう。放置されて久しい内部は埃一つ無く、セキュリティシステムも何一つ作動していなかった。何事もなく頂上への扉を開け外へ出ると、そこにはゼロが立っていた。
「……またお前か」
 呆れ気味にバロンが呟く。ゼロはそんな態度を意にも介さず、口を開く。
「貴様とは死合わなければならない理由がある。あくまでもアルメールは貴様への干渉を止めたが、俺にそんな理由はない。俺より強いのなら、俺の糧になる価値がある」
 ゼロから青い闘気が溢れ出す。
「だが、生半可な宣戦布告では貴様が俺に止めを刺さない可能性がある」
 青い闘気の刀の斬撃が時空を切り裂く。
「うわっ!?」
 エリアルが切り取られた空間の歪みに囚われる。
「……なっ!?」
「貴様が俺を殺さねばその女は細切れになる。貴様にとってその女は、命よりも何よりも大切だろう?」
「……後悔するなよ」
「なぜ悔いる必要がある」
「……ならばこれ以上の言葉は不要だな」
 バロンが闘気を纏い、それが光となって漂う。光速の一撃を、ゼロは真正面から弾き返し、即座に抜刀して切り上げつつ舞い上がり、バロンに空中で斬撃を加える。しかしバロンは光速で動いてその攻撃を全て躱し、拳の一撃でゼロを叩き落とし、そのまま着地しつつ殴り付ける。ゼロから青い闘気が更に噴出し、バロンを吹き飛ばす。即座に起き上がったゼロが二体の分身を繰り出し、同時に仕掛ける。先刻と同じようにバロンは分身を粉砕し、更に続く光の刃を全て弾き返す。それと同時に空間の歪みがバロンに直撃し、夥しい数の斬撃がバロンを切り裂いて吹き飛ばす。
「随分と悔いる暇をくれるようだ」
 ゼロの挑発を無視し、バロンは獰猛に襲いかかる。瞳孔が赤く輝き、じわじわと竜化していく。獣のような鋭い一撃をゼロは防ぎ、衝撃波が後方の手摺を破壊する。
「何のために戦っているのかすら曇らせるのか、愛は」
 ゼロがバロンの攻撃を弾き返し、素早く連続で切り裂く。剣閃が光の柱のように空間に結ばれ、それが弾けて真空刃を産み出し、再びバロンを吹き飛ばす。バロンは正気に戻り、受け身をとってゼロへ接近し、すれ違うように強烈な衝撃波をゼロへ叩き込む。ゼロは全身に衝撃を受けて崩れ、突進の勢いのまま床を擦る。
「……まだ足りないか?」
 ゼロは平然と起き上がり、納刀する。
「当然だ」
 ゼロの周囲に光の刃が展開され、同時にバロンの周囲に光の刃が展開される。それがバロンへ突き刺さるのと同時に、ゼロは突進しつつ抜刀する。バロンは躱すが、高空からゼロが抜刀しつつ急降下し、更に躱すバロンの背後を取って抜刀切り上げを放ち、それも避けられると、ゼロは後ろに下がり、空間の歪みを連射する。バロンは全て回避し、最接近して撃掌を叩き込み、更に拳を振り下ろし、続けて闘気を放って吹き飛ばす。ゼロは光を放ちつつ消え、瞬間移動と共にバロンの腹に刀を突き立てる。
「命は短し、だが恋は更に短く爆ぜる」
 刀を瞬時に氷の籠手に変えて強烈なアッパーを決め、バロンは堪えて頭突きをぶつけ、地面から鋼の棘を突き出してゼロを吹き飛ばす。
「……ならば、せめて派手に咲かせようじゃないか」
 バロンは呼吸を落ち着け、傷を闘気で癒す。ゼロは受け身を取り、距離を測る。
「ふん……まだまだ絶命には程遠いか、宙核」
「……そちらこそ、命を削って闘気に変えている割にはしぶといな」
「そうか?貴様の使うような柔な闘気とは格が違うからな」
「……だが」
 ゼロの肩から白い粉末状の何かが溢れ落ちる。
「……どうやら限界が近いな」
「だがここで貴様は攻撃を緩めるわけにはいかない。愛しの神子の命がかかっているからな」
「……もちろん、ここで倒す」
 光の刃を掃射しつつ、更にバロンの頭上から雨のように光の刃を降り注がせる。躱したバロンへ氷剣を投げつけ、突進しつつ刀で切りつけ上昇し、巻き上げたバロンの周囲に光の刃を配置し、連続で切りつけて叩き落とす。急速に落下して即座に着地したゼロは直ぐ様後退し、凄まじい殺気と闘気を発しつつ左に身を引く。それを止めようとバロンは光速で移動するが、それよりも早く力を解放して抜刀する。無数の渾身の斬撃が空間を切り裂く。切断されたガラスのように景色が歪み、ゼロの納刀すると同時に空間が元に戻る。切り伏せられたバロンがゆっくりと立ち上がるが、ゼロはバロンの周囲に光の刃を再び配置しつつ消え、バロン目掛けて夥しい数の空間の歪みを飛ばす。バロンは光速で逃げ回るが、退路が輪を描くように作り出され、空間の内部に蓄積された空間の歪みが許容を越えた瞬間にゼロが姿を現して抜刀し、その巨大な空間の歪みの中を無数の斬撃が飛び交い、バロンを切り刻む。バロンは踏みとどまり、ゼロへ攻撃を仕掛ける。ゼロも瞬間移動で逃げるが追い付かれ、バロンの一撃を弾こうとするが、遂に腕が塩化して崩壊し、拳を顔面に受けて吹き飛ぶ。塩化が進行し始めたゼロは干からびていく体を無理矢理起こすが、もはや動きはぎこちなく、左腕が砕け散った状態で、右腕に刀を持ち、尚もバロンへ向かおうとする。
「……引き際も戦士には重要だと思うがな」
「言ったはずだ……俺に止めを刺せ、さもないと神子が死ぬとな」
 ゼロは塩を溢しながら、真っ直ぐにバロンを見る。
「……(なんて曇りのない目だ……死を間近にしてここまで澄みきった闘気を放つとは)」
 バロンは頷き、ゼロの胸へ拳を叩き込む。塩化した胴体は砕け散り、ゼロは倒れる。エリアルを捕らえていた空間が壊れ、エリアルはバロンへ駆け寄る。
「行……け……俺はもう……貴様たちに用はない……」
 二人は虫の息のゼロを置いて、背後の転送装置を起動させ、光となって消える。
「クラエス……もう一度、貴様と……敵として……殺し合うとしよう……」
 ゼロが口角を上げると同時に、その体は砕け散った。

 無明桃源郷シャングリラ・終期次元領域
「ふぅ……全く、若さゆえの熱さには呆れるばかりだ」
 アルメールが岩に腰掛け、アルカトラズの映像を映した球体に目を向けていた。
「恋慕でも愛情でもなく……ただ自分にとって心地よい戦いを提供してくれる存在、それが君にとってのホシヒメだと、そういうことなんだな」
 どこからともなく飛来してきた銃弾を見ずに人差し指と中指で捕らえる。
「だからさあ、俺を見る度にそうやって撃ってくるの止めないか、アレクセイ」
 人型としては大柄なアレクセイが左から現れる。
「汝は聖上の計画にないことをやりすぎだ。それに触発されてレベンやアミシスに悪影響でも出たらどうする」
「気にする必要はない。レベンはどうせ自分のことを好いてくれるやつなら誰でもいいだろうし、アミシスはアカツキに受けた傷が癒えてはいまい」
「だが……」
「心配性だな、相も変わらず。俺たちはゴールデン・エイジとして動くまで暇だ。ちょっとくらい、ちょっかいを出してもいいじゃないか」
「……。ある程度は咎めないが、余りに目に余る場合は殺す。肝に銘じておけよ」
 アレクセイは踵を返し、長い階段を下っていく。遠巻きからそれを見ていたエメルがアルメールへ近づく。
「おや、メリアンナ。君から俺のところへ来るとは珍しい。ウガルのことでも聞きたいのか?」
 エメルは張り付けた冷酷な笑みを浮かべたまま、口を開く。
「いえ、あなたは他人を揺さぶって、その成の果てを見ることを好んでますよね?」
「まあ、そうだね」
「一つ聞きたいのは、その揺さぶられた感情は、シフルにとってどれだけの影響を及ぼすんですか?」
「さあな。シフルに影響を及ぼせるほどの感情が出るかどうかは、当人のスペック次第だからな」
「やはり……ゼノビアはそれだけ類い稀な感情の波を持っていたということか……」
「ゼノビア?ああ、あのヒステリックなクソ女か……あれはイレギュラーさ。いくら感情が豊かでも、バロンに致命傷を与えられるわけがない。そもそもクライシスは謎が多すぎる。君が反乱を起こしたのはまだ理解できるが、いくら混乱していたからとはいえ総督府にゼノビアが入ってこれるとは思えない。それに、バロンに致命傷を与えたゼノビアが、アウルに殺されるとも思えないし、その上でエリアルがバロンを奪い取れるとも思えん」
 アルメールは球体を凝視している。
「やはり、女の方が感情の出力が大きいのか……アルメール、私のために、一つだけお願いを聞いていただけませんか?」
 エメルは頷いたアルメールの耳元で囁いた。

 南アメリカ区・デッドマンズストリート
 二人は空中に空いた穴からアスファルトに着地し、周囲を確認する。
「ちゃんと南アメリカについてるようね」
 エリアルが向こうに見える山を見上げて呟く。
「コルコバードの丘……あそこの像の中にも転送装置があったはず」
「……あの丘に向かえばいいのか?」
「そうね」
 二人は張り紙が無数に散らばった無人のストリートを歩いていく。
「……全く……この世界に来てから意味がわからないことだらけだ」
「そうね……結局、ゼロが何をしたかったのかよくわからなかったし……」
「……それで、ここはどんな場所なんだ?」
「ここは南アメリカの国の一つ、ブラジルの首都のリオデジャネイロね」
 しばらく歩くと、道路が熱線で焼き払われた跡のようなものがあり、沿岸部の基地から荒野を跨いで山を焼き尽くしていた。
「……Chaos社の南アメリカ支部は?」
「他の支部は大都市にあるけど、ここだけはアンデス山脈の上空にあるの」
「……アンデス山脈?」
「南アメリカの西の方にある巨大な山脈よ。その上空に、竜の住まう空中大地があるんだけど、それが支部」
「……なるほどな。今から行くあそこは?」
「あれはコルコバードの丘。宗教の偶像が置いてある場所ね。転送装置の中継局にもなってるわ」
「……わかった。ありがとう」
 二人はストリートを越えて、山道へ入る。

 南アメリカ区・コルコバードの丘
 観光客用らしき踏み慣らされた道を進み、巨大な像の前に二人は辿り着く。そこに、赤い鎧の骸骨騎士がいた。
「……どうやら今日は災難が続くらしい」
 眼前にやってきた二人に、レッドライダーは微笑みかける。
「よう来たのう」
 脇に置いてあった時計を摘まみ上げて、時間を確認する。
「ふむ、一時間半か。悪くない早さじゃな」
 レッドライダーは長剣を抜き、像を真っ二つにする。崩れた像が山の斜面を下り、麓まで転がり落ちていく。
「神は人を救えない。神は人が作り出したものゆえ、人の想像を越えられない。人の危機は人が自らの力で乗り越えるしかないのじゃ」
「……それで、なぜお前がここにいる」
 冷静にバロンは問う。
「理由など一つしかあるまい。主らを足止めするためじゃ」
 レッドライダーは剣をバロンへ向ける。
「……薙刀じゃなくていいのか」
「あのようなおもちゃ、何の役にも立たぬわ。やはり、始まりの人間を相手取るには……」
 長剣を胸に突き刺し、その体に長剣が吸収されていく。
「勝利の上の勝利を、生きとし生ける全てを狂わす飢餓を、全ての命を刈り取る猛毒を……今我が手にて執行されるは戦乱、人の真なる欲求なり!」
 鎧が弾け飛び、レッドライダーの体が肉付けされて膨れ上がっていく。有機的な肉塊から無機的な装甲が浮き出て、赤黒の竜が姿を現す。
「我が名、〝ヘヴンリーテラー〟!」
 ライトグリーンの光の翼が展開され、竜と化したレッドライダーが咆哮する。
「さあ始めるとするかのう。儂をせいぜい楽しませるのじゃ!」
 翼が輝きを増し、口から強烈な閃光を吐き出す。その光線が麓に見えるリオデジャネイロの街を焼き尽くす。
「……こっちも竜化しよう!」
「わかったわ!」
 即座に竜化したバロン――黒鋼――が腕を振るって鋼の波を放つ。ヘヴンリーテラーが尾を振るうと、長剣と同じデザインの巨大な剣が地面から生え、波を弾く。続けて翼を構成するライトグリーンの羽一枚一枚が開き、その間から凄まじいスパークを放ってヘヴンリーテラーを加速させる。超高速で組み付かれた黒鋼は力を込めてヘヴンリーテラーを引き剥がし、至近距離で鋼の光線を放つ。しかし、ヘヴンリーテラーの首元の装甲に弾かれ、左の翼を直に肩口に差し込まれる。ヘヴンリーテラーを掴み、そのまま像へ投げ放つ。像に激突したヘヴンリーテラーは直ぐ様体勢を立て直し、両翼から電撃を放つ。黒鋼はエリアルの援護による水のバリアに防御を任せ、そのまま突進してタックルをぶつける。空中へ逃げたヘヴンリーテラーが翼を広げ、羽の一枚一枚を全開まで開かせると、空いていた空間もライトグリーンで埋められマントのような一枚の巨大な翼となる。錐揉み回転しつつ急降下して不意をついてバロンを組み伏せ、ヘヴンリーテラーは光線を発射する。エリアルの水のバリアに防がれるが、構わず出力を上げてぶち抜き、バロンの胸部を焼く。しかしバロンも怯まずヘヴンリーテラーを押し返し、再び首を掴んで叩きつけ、その衝撃で地面から発生した鋼の波でヘヴンリーテラーを押し流す。流れに逆らって山の斜面にしがみつき、ヘヴンリーテラーは空中へ浮遊する。
「流石は始まりの人間。神子のサポートがあるとはいえ、始源世界の純然たる竜である儂とここまで対等に戦えるとは」
「……全くだ。手加減されてこれほどダメージを受けるとは。バンギ並み……いや、それ以上の力があるな」
「世界はまだ始まったばかり。お主も神子も、まだまだ我が王を滅ぼす牙には程遠い。ならばこそ、こうして戦っているのじゃ」
「……少なくとも、僕はまだ戦わなければならない。お前の王がどう思っているのかは知らないが、僕は、僕自身がなんなのか知り、そしてworldBを救わなければならない」
 ヘヴンリーテラーは遥か向こうに見えるアンデス山脈に視線を向ける。
「なあ、バロン。ひとつ聞きたいのじゃ。自分が何者か、それは重要か?儂にとって、個人というのは記号でしかなく、例え今ここで儂が死んだとしても、儂の代わりはいくらでもいる」
「……だからこそだ。代わりがいるからこそ、自分が何者か知らなければ、自分自身に唯一無二の価値を産み出すことなどできない。人間は自己実現を突き詰めなければ、腐り落ちて消えてなくなる」
「なるほど……それがお主が戦う意味か」
「……そうだ。僕はこのバロンと言う今の存在さえ、ニブルヘイムで初めて目覚めたあの時から周りにそう定義されて名乗っているに過ぎない。僕は本当の意味で、僕になっていない!」
 ヘヴンリーテラーと黒鋼が再び空中で組み合う。
「知恵あるものは難儀じゃのう。確かに、獣と竜が神と人の上におるのは正しいことなのかもしれぬ」
「……またご教授願おうか!」
 黒鋼がアッパーで先制するが、ヘヴンリーテラーは身を翻し、出力を上げて飛び回りながら雷で攻撃する。
「全ての世界はヒエラルキーで作られておるのじゃよ。竜を頂点とし、二番目に獣、三番目に人、最下層に神とな!儂もお主も神子も、所詮は人!竜の領域にこうやって無理矢理足を突っ込んでいるに過ぎないのじゃ!」
「……下らない、生まれ持った階級など、現実の前には何の意味も持たない!」
 ヘヴンリーテラーに黒鋼の鋼の光線が撃ち、それと同時にヘヴンリーテラーが口から雷撃を放つ。二つの光線が互いの肩口を掠め、背後の山を切り崩す。
「さて……そろそろ潮時かのう」
 ヘヴンリーテラーは竜化を解き、レッドライダーの姿に戻る。それに合わせ、バロンも竜化を解き、エリアルと共に近づく。
「命をかけてお主と戦うのはまだ先じゃ。今は、目の前の敵のことを考えよ」
 どこからともなくやってきた赤い馬に跨がり、空中を駆けてレッドライダーは去っていった。
「……足止めと言っていたが、どういうことだ?」
 バロンがエリアルに尋ねる。
「うーんと……中国で支部長が一人死んだとすると、もう異世界人たちは福岡まで到着してるから、私たちがその人たちと合流して戦力が増強されるのを防ぐため……とか?」
「……それはありそうだが……レッドライダーはChaos社とは別の勢力じゃないのか?」
「ま、そもそも持ってる情報が少ないからどうしようもないわね。先に進みましょう」
「……そうだな」
 二人は完全に破壊された像の台座の扉を開き、内部にある転送装置を起動させる。そしてまた、二人は光に包まれる。

 狭域次元門
 二人が転送装置で作られた次元門のトンネルを渡っていると、頭上から攻撃を受けて落下する。

 次元門・底部
 二人は青い光が薄れていくのを感じながら、次元門の底に着地する。二人の眼前にいたのは、ショートボブのふわりとした栗色の髪と、赤が基調の黒が挿された軍服、そして竜化した手足を持った女だった。
「うふふ、すみません。我慢できずに来ちゃいました」
「……誰だ、お前は」
 バロンが不機嫌に尋ねる横で、エリアルは酷く怯えている。
「え……えめ……エメル……!?」
 絞り出した声が面白かったのか、エメルは更に朗らかな笑みを溢す。
「ふふ、エリアルは覚えているようですよ?いやあ、懐かしいですね、この三人。ただの盗人だったエリアルさんを秘書にしたのはあなたじゃないですか。何度腸が煮えくり返る思いをしたことか……まあ、そのお陰でシフルを励起させるだけのエネルギーが作れるんですけれど」
 バロンは女を睨む。
「……名乗れ」
 エメルは咳払いをする。
「私の名前はエメル・アンナ。あなたと同じ最も偉大な人間グレート・オールド・ワンの一人。老いた宇宙を滅ぼす、我が王の盤面の……ナイトでしょうか。それとも桂馬?」
 エリアルがバロンの肘をつつく。
「……なんだ」
「エメルはあんなやつだけど、本当にヤバいやつだから。今の私たちじゃぜっっっっっっっっっっっっっっっっっったいに勝てないわ、逃げましょ」
 こそこそと話しているのが聞こえたのか、エメルはわざと大きな声で語りかける。
「無駄ですよ~♪今のあなたたちの力量は完璧に把握していますから。それに、ここのシフルの流れは私が掌握していますので、元の目的地に着くことは不可能です」
 エメルは顔を赤らめ、頬に右手を添える。胸の大きな膨らみは、腕が押し付けられても全く形が変わらず、まるで鉄球でも入っているかのように見える。
「ああ……バロン……あなたをこの手で粉々に引き千切る……それ以上の快楽などこの世に存在しない……アハハハハ……」
 そしてエメルの目が五倍以上に見開かれ、瞬時に収縮した赤い虹彩と黒い瞳孔が、白目との凄まじいコントラストを見せる。
「さあ、私と殺し合うとしましょうか、バロン……安心してください、精一杯手加減しますので。でないと、この程度の次元門なら一瞬でスクラップにして、なんなら古代世界ごと消してしまうので」
 エメルから生じる感じたことのない冷たい殺気と、焼き付くような闘気が、バロンに冷や汗をかかせる。大粒の汗が額を滑り落ち、険しい眉間を通りすぎていく。
「……エリアル。僕の傷を癒し続けることはできるか?」
「え、ええ……できるけど……エメルは常識が通用する相手じゃ……」
「……向こうがやる気なら、こっちも耐えるくらいはしなければ。そうしないと、今僕たちがすべきことを果たせない」
「わかったわ……」
 二人は頷き合い、バロンは前に出る。エメルも少し距離を詰める。
「……エメル。僕はお前が誰かは知らない。だが僕たちはやらなければならないことがある。そのために、ここは通らせてもらう」
 その言葉に、エメルは更に顔面を歪めて凶悪な笑みを浮かべる。
「そうこなくては。レアルが慕い、ディードと対等に渡り合い、それだけの力を持っていながらゼノビアに殺されたあなた」
 エメルは一旦普段の朗らかな笑みを浮かべた顔に戻り、エリアルに視線を向ける。
「そして、アウルとシマエナガに看取られ、エリアルに書き替えられたあなた。私は全て許容します。なぜなら――」
 そしてまた、おぞましいほど顔面を歪め、声を荒げる。
「あなたの強さ!誠実さ!冷酷さ!それだけじゃない、香りも、声も、体も、何もかもが!人間としての至高の価値を持っているから!それを破壊することが、何よりも私にとって素晴らしいからッ!始めましょうバロン!奈野花も狂竜王もどうでもいい!私の心を昂らせて、ただのその燃料にさせてェェェェェェッェェェェッェエッェェェエェェェッ!!!!!」
 空間が激しく歪み、瞬時に眼前に現れたエメルの豪快な右腕の一撃を、バロンは両腕で受け止め――られず、凄まじく吹き飛ばされる。何も遮るもののない次元門の底を、亜光速で滑り続ける。しかし追い付いたエメルにサッカーボールのように蹴り飛ばされ、もはや人間とは思えないふざけた軌道を描いて吹き飛ばされる。更に上からダブルスレッジハンマーで叩き落とされ、底に激しく叩きつけられる。甚大な衝撃でバロンは意識を失いそうになるが、エリアルの力で傷を即座に癒しつつ気力を回復させ、エメルのこの世のものとは思えぬほどの馬鹿力に耐え続ける。パワーだけでなく、スピードも身のこなしも、何もかも今のバロンがエメルに勝るものはなく、根性だけで耐える。
「……(ヘヴンリーテラーのパワーなど比じゃない……!エリアルの言うとおり、かすり傷どころか、反撃すらできない……それにこのパワー……宇宙を滅ぼすというのは誇張でもなんでもない、次元門の中じゃなければ古代世界そのものが消滅しかねん!)」
 バロンはエメルの(本人としては加減しているのであろう)壊滅的な威力のストレートを受けて腕が吹き飛び、顔を掴まれ底に叩きつけられる。
「ふぅー……プラモデルを作っている時のアルメールの気持ちが少しだけわかったかもしれません。ものを繊細に扱うって大変ですね」
 バロンはエリアルの力で復活した腕を使い、動きを止めたエメルへ拳を放つ。が、頑強な胸の膨らみに止められ、またへし折れる。
「メイヴも言ってましたっけ……女の胸にはもっと乱暴に触れって」
 エメルはそのままバロンを持ち上げ、何度も次元門の底に叩きつける。
「私、最強になるために胸もお尻もヴァギナも、全て戦うためのエネルギータンクにしたんですよ。前々から女性的な体には限界を感じていましたし」
 エメルは叩きつけつつ、話を続ける。
「悲恋こそが感情の波を大きくしてくれると思って、あなたをたっぷり愛しました。もちろん、一方的に。でも素晴らしい、恋煩いがここまで私のシフルを強めるなんて……ふふふ、ねえ、どうやったらもっとあなたは輝いてくれるの?」
 顔を掴まれたまま持ち上げられるが、バロンは渾身の力と闘気で手を振りほどき、呼吸を整える。
「……なんて力だ。一体どこからそんな力が……」
 エメルは微笑む。
「私だって、初めは強くはなかった。勲章を五、六個貰える程度でしたし……でも、勲章をくれるとき、あなたの全てが私の五感を魅了した。あなたのその強さと優しさを、ボロボロにしたかった。そのためだけに、ただ強さを求めたのが今ここにいる私。でもまだ足りない。あなたがまたあの始まりの世界に到達したとき、あなたはあの頃よりも強くなって戻ってくるはず。それなら、かつてのあなたを越える程度じゃ足りない。そのために今ここであなたと戦っている」
 エメルの背後で空間の罅が入る。
「でも、もう限界のようですね。こんなゴミみたいな世界じゃ、五分も戦えないようです」
 罅は更に大きくなり、次元門上層の光が差し込んでくる。
「この戦いは有意義でした、少なくとも私にとっては」
 罅が砕け、シフルの上昇気流が発生する。
「安心してください、ちゃんと元の目的地へ送ります」
 周囲が閃光に包まれ、二人からエメルが見えなくなる。そして、声だけが響く。
「あなたならばきっと、どんな困難をも蹴散らして、始まりの世界へ来てくれると信じています。今は再び感じたあなたの全てを、延々と反芻するだけで我慢しますから」
 光が極まり、視界が暗転する。
「だから今度こそ、ゼノビアなんかに殺させないし、アウルにも、エリアルにも看取らせない。私が殺して、私が弔います」
 虚空に向かって、エメルは呟いた。

 南アメリカ区・アンデス山脈コトパクシ活火山
 気がつくと、二人はアンデスの麓にいた。
「ほんとにアンデス山脈だわ……エメルって約束守るやつだったんだ……」
「……酷い目にあった。これからどんなやつが相手でも驚かない気がする」
「全くだわ。私が回復させてたとはいえ、よく耐えたわね」
「……ああ、なんとか根性でな。それでもギリギリだったが……あのエメルとかいうやつ……一体何者だ?」
「えー、それはね……あいつも始まりの世界の人間で、まあ端的に言えば始まりの世界が壊れた日……〝クライシス〟の原因、かなあ……」
「……まあいい。やつが僕と関わりのある人間なら、進んでいればいずれまた道が交わるはずだ。今は……」
 二人は山の頂上を見上げる。山頂の更に上には、空中に浮かぶ大地があった。
「……進むだけだ」
「ええ」
 二人は険しい山を登っていく。

 南アメリカ区上空・大千なる竜の国
 吹き抜ける冷たい風が、頬を撫でる。短く生えた草が揺れて、仄かな香りが舞い上がる。
「気に食わんが、まあいい。穴井も動かざるを得まい。月光の妖狐は死んだ。俺も潮時だと、そう言うんだろう、黒崎」
 長身の男が振り返ると、黒い鎧を着込んだ奈野花が立っていた。
「ええ、そういうことね。一度死んでもらうわ。陽花里ちゃんにも、穴井にも、あなたにもね。でもあなたはまだ使える。最後まで杉原のために頑張ってね」
「当然だ。俺はあいつのためだけに生きている……この命が尽きるまで、あいつの駒として戦い続ける」
「ふふっ、誠実なのはあなたも、もう半分も同じなのね。では……少しは協力してあげましょう」
 奈野花は竜化し、脚力だけで遥か上空へ飛び去っていった。

 南アメリカ区・アンデス山脈コトパクシ活火山 山頂
 二人が雪の積もった道を進んでいくと、火口に浮遊する転送装置まで辿り着く。エリアルが火口の縁にあるコンソールを操作し、溶岩から湧き出たシフル製の道を進み、転送装置を起動させる。

 南アメリカ区上空・大千なる竜の国
 二人が空中大地に辿り着く。そこは、会社の支部とは思えぬほど何もなく、ただ短く揃えられた草むらが端まで続いていた。二人の眼前の果てには、石に座る人間が見える。二人はその人物のもとへ歩く。バロンとエリアルの気配を感じて、腰掛けていた人物――暮柳湊――が立ち上がり、二人の方を向く。
「来たか」
 暮柳は何の感情も映さずに語り掛ける。
「異世界人が来た以上、穴井は動かざるを得ない。やはりお前たちを使ってきたようだな」
「教えて、暮柳支部長。穴井は何をしようとしているの?」
 エリアルが前に出る。
「いいだろう、フィーネ。教えてやる。やつは明人ごとヴァナ・ファキナを滅ぼすために、地球の全てのエネルギーをシフルに変換する、異史の白金蜂美が作り出した世界樹の技術を応用した最終兵器――ワールドアルカディアズを作り上げようとしている。お前たちも見ただろう、北アメリカの地下に作られたあの異次元を。あれの最深部にあるのがワールドアルカディアズ」
「〝黄金の卵〟よりも強力なの……?」
 暮柳はその問いを無視し、刀に手をかける。バロンが警戒し、エリアルを腕で後ろへ下げつつ前へ出る。
「……何にせよ、僕たちは穴井も止める。僕たちはあくまでも、ニルヴァーナに行くためにこの世界に来ている。その目的の邪魔になるのなら、誰であろうと討つ」
「ふん……俺は与えられた役目を果たすだけだ。明人も……やつも自分の欲望と、世界の浄化を天秤に掛け、その上で自分の欲を逸した。ならば俺たちも、やつのために、自分を極限まで希釈して戦うだけだ。俺たちは自分の意思で、やつの死出の旅に従う」
「……似ている」
「何?」
「……その考えはやつに、カルブルムに似ている」
「カルブルム・フィーネか……やつも、俺たちの計画の一部だったに過ぎない。似ていると言うのなら、そうなのだろう」
 暮柳は抜刀する。
「何かのために戦うとは、そういうことだ。自分の意思で、自分を消し去る」
 バロンは浅く構え、暮柳と視線を交わす。
「……ならば、僕は僕とエリアルのため、あの世界の仲間のために、自らの意志で戦おう」
 両者が瞬間移動で接近し、腕と刀を叩きつけ合う。暮柳は高速で切り返し、瞬時に逆手に持ち替えて柄で腹を殴打し、そのままもう片方の腕を添えて順手に持ち替え、高速で切り上げる。バロンは無理に体勢を崩して躱し、両腕をバネに爪先で切りつける。暮柳は空中を横に回転しながら回避し、更に力を込めて抜刀し、その一太刀で凄まじい連撃が叩き込まれる。しかしバロンは容易に堪え、反撃の撃掌で暮柳を吹き飛ばす。
「なるほどな……いい力だ……ならば」
 暮柳が力むと、黒い粒子が集中し、黒銀の竜人が姿を現す。
「力こそが全て、全てが力で成り立つ!力こそが全ての道理を跪かせ、我らの進む道を切り開く!」
 暮柳は瞬間移動し、遠距離から高速で刀を振り回す。繋げられた斬撃が光線のように地面から這い上がり、バロンの行く手を遮る。それを潜り抜けつつもバロンは突っ込み、拳に闘気を込める。
「……バンギの拳を……使わせてもらう!」
 地面に向けて拳を振り下ろし、絶大な闘気が大地を隆起させながら暮柳へ猛進する。暮柳は斬撃でそれを打ち消し、バロンは巻き上がった砂ぼこりの中を光速移動し、背後から急襲する。暮柳は高速で反転し、腕で応戦する。刀を勢いよく抜刀するが、それはバロンの凄まじい闘気の塊で弾き飛ばされる。続く剛拳で暮柳の竜化が解かれ吹き飛ぶ。バロンが追撃をしようとすると、両者の間に黒い槍が突き刺さり、バロンは動きを止める。それと同時に、周囲の空間に重く、息が詰まるような闇が漂い始める。
「……なんだ、この、嫌な感覚は……」
 二人の遠くで、エリアルが鋭敏にその気配の正体を感じとる。
「来る……万物の霊長が……!」
 一行の頭上の闇が逆巻き、その中から黒い鎧の少女が姿を現す。
「ごきげんよう、バロン」
 黒い鎧の少女は緩やかに目を開き、バロンを見る。
「……母さん……」
 そう言って、バロンは自分の口許に手を触れる。
「……(今、僕は何と言った?母さんと、そう言ったのか?エリアルとそう変わらないあの子をか?)」
 その様子を見て、鎧の少女は微笑む。
「久しぶりだわ、私の愛しい我が子……のそっくりさん」
 鎧の少女は地面に降り立ち、槍を引き抜く。
「私の名前は黒崎奈野花。あらゆる強者を上回り、あまねく賢者が後塵に拝す、空前絶後の万物の霊長」
「……御大層な称号だな」
「あら、怯まないのね?大抵の人間は私と敵対すれば逃げ出すんだけど。まあ……体験していないことを警戒しろと言う方が無理難題かしらね」
「……何を……」
「エリアル、スカイランデブーは好きかしら?」
 遠巻きに見ていたエリアルは、その言葉に勘づく。大急ぎでバロンへ駆け寄る――と同時に、二人は闇の波動によって空の彼方に吹き飛ばされる。闇が晴れ、奈野花は暮柳の方を向く。
「あの子たちが無駄に抵抗しなければ、あのままワシントンに行くわ。杉原のために戦うんでしょう?ならば、アメリカを消し去り、彼らを杉原の望むように、黄金の卵の糧にしないと」
 暮柳は竜化を解き、刀で空間を切り裂く。
「わかっている。だがお前にも協力してもらう」
「ええ、もちろん。私にとっても、彼らがニルヴァーナへ到達することはとても重要だわ」
 暮柳は詰まらなそうに鼻で笑い、空間へ消え去る。
「全く……同時に体を操るのは少しだけ疲れるわね。ふふっ、アフリカは滅びた、ヨーロッパももはや存在価値はない。中国を中心としたアジア地域はE-ウィルスで汚染され、ロシアも同様に汚染されて、オーストラリアには動物しかいない。日本も異界化された福岡以外焦土と化し、そして今、アメリカは無明の闇に飲まれて、二度と地球の地図に現れることはない。あくまでも、今の世界では、だけど」
 奈野花は地面にパンチし、浮遊大地を粉々にする。そして自身は闇に消える。

 北アメリカ区・エレクトリカルルイン
 バロンがエリアルを抱え、背中からアスファルトに激突する。
「……大丈夫か」
「ええ、大丈夫。ここは……エレクトリカルルインみたいね」
「……アメリカの東側ってことか?」
「そういうことね」
 二人は起き上がると、眼前には無数のビルが広がっていた。近くのビルの上から、鋼鉄の骨格だけの虎が飛び降りてくる。血と乾いた肉がこびりついている虎は、吠えるような動きと共に金属の軋む音が鳴り響く。
「裂界獣ゲキメツ!」
 エリアルが叫ぶ。それと同時にゲキメツは背中から鋭利な刃で作られた翼を腕のように広げる。飛びかかってきたゲキメツをバロンは重い闘気を乗せた拳の一撃で粉砕する。
「……なんだこいつは」
「裂界獣ゲキメツ。南アメリカ支部のものね」
「……僕たちはどこに行けば?」
「うーん……わかんない。とりあえずワールドアルカディアズに戻った方がいいかな。この辺の転送装置は……国会議事堂か、フェデラルホールのどれかね」
「……一番近いのは?」
「フェデラルホール。ウォール街にあるから、そう遠くはないはず……」
「……わかった、そこへ行こう」
 二人は歩き出す。

 エレクトリカルルイン・フェデラルホール
 いくつものブロックを抜けて、二人はフェデラルホールへ辿り着く。階段の途中にある像の前に、青い髪のメイド服の女が立っていた。
「お待ちしておりました、バロン・エウレカ様、エリアル・フィーネ様」
「……お前は?」
「私の名前はトラツグミ。明人様のメイドをさせていただいています」
「……待ち構えていた、というのは」
「字面の通りです。異界と化している福岡は、陸路でも空路でも、海路でも、次元門を繋げても侵入することはできない。ですから、大量のシフルでこちらとあちらの位相を合わせ、一時的に侵入を可能にさせなければなりません。ゆえに……」
 フェデラルホールの屋上から、暮柳が飛び降りてくる。
「南北アメリカをシフルに変え、次元の扉を抉じ開ける。穴井のワールドアルカディアズを使ってな」
「……どういうことだ?」
「お前たちはどうあれ、福岡に行かなければニルヴァーナには行けない。お前たちがニルヴァーナに行くには、どうやっても俺たちの描いた道を進むしかない」
「……そういうことか。僕たちがどうしようが、穴井も、お前も倒さないと話が進まなかったんだな」
「ああ――そうだ。だが、お前に敗れるつもりはない。ここでお前が死ねばそれで俺たちの目的は完遂される。だがお前が福岡に行ったとしても、それも俺たちの計画の一部だからな」
「……そうか。ならば……力ずくで押し通らせてもらう」
 暮柳は口角を上げ、刀を体に取り込む。
「荒涼たる原野に吹き荒ぶ我が儚き記憶の風よ、我が魂をさえ拭い去り、傲岸たる自我の壁を打ち砕け!我が名〈烈風〉!」
 暮柳の体から嵐が巻き起こり、深緑の竜人が姿を現す。
「行くぞ、エウレカ!お前をここで消し去り、その首を明人への手土産にしてやろう!」
 咆哮と共に、鋭利な爆風が飛び散る。バロンはすぐに竜化し、鋼の盾で弾き返す。両者の拳が激突し、周りのビルが激しく揺れて、割れたガラスが雨のように降り注ぐ。遅れて斬撃が黒鋼の拳に幾度も叩きつけられ、風を纏ったもう片方の拳が黒鋼の顎に叩きつけられ、解き放たれた爆風が黒鋼を吹き飛ばす。受け身を取って急速に落下し、地面を叩いて液状の鋼を噴出させる。烈風はその壁を引き裂いて接近し、風を纏った拳で殴打する。黒鋼は抑え込み、拳を振るうが烈風は躱し、地面から爆風を起こして黒鋼を打ち上げ、更に空中で抱え込んで頭から激突させる。黒鋼はすぐに起き上がり、鋼の波濤で攻撃する。烈風も強烈な風を吹かせ、二つが衝突して鋼の嵐が巻き起こる。熱を帯びてきた二人は、勢いよく激突し、烈風が右腕を振るう。黒鋼が上体を落として躱し、鋭く左でアッパーをぶつける。左に重心を逸らして躱し、烈風が拳を振り下ろす。右腕で防いで押し切り、両者は頭突きで競り合う。
「……確かにお前の力は……お前自身だけの力ではない……多くの、硬い意志を背負って作られている闘気だ……!」
「譲れないもののため戦う……俺たちはそういう意味では似てるのかもな……!」
 両者が同時に弾かれて距離を僅かに離した瞬間に再び拳をぶつけあい、その反動で両者空を舞う。烈風が壊滅的な威力の嵐を生み出してビルを街ごと空中へ巻き上げ、そして真下にいる黒鋼目掛けてビルを次々に投げ捨てる。黒鋼は躱しながら空へ駆け、空中で烈風ともつれあう。そして黒鋼の重い闘気を乗せた剛拳が烈風の胸を破壊し、そのままビル群と共に急速に落下していく。地面に激突した烈風にビルが突き刺さって倒壊する。ビルの残骸を吹き飛ばして烈風は再び空へ飛び、黒鋼と擦れ違いつつ拳をぶつけ合う。そして今度は黒鋼を烈風が叩き落とし、両腕から風の塊を放ち、それを振り上げた右腕の先で巨大化させる。
「お前の負けだ、エウレカ!」
 右腕を黒鋼へ振り下ろす。視界を覆い尽くすほどの風の塊が黒鋼目掛けて落下していく。表面を撫でる高速の風が大気と摩擦を起こして発火し、風の塊は火球へと変わる。
「……終わらせはしないッ!」
 着弾した火球は大爆発を起こし、炎と真空刃を撒き散らす。エリアルの水のバリアと自らの鋼の鎧でそれを無理矢理耐え、同時に突っ込んできた烈風と拳を重ね合う。烈風の腕が破壊され、そのまま胸を貫く。勢いのまま、二人はフェデラルホール前に竜化を解除しつつ落下する。そしてバロンは、暮柳の胸から腕を引き抜く。
「……勝負あったな」
 暮柳は左腕で、右の肩口の断面に触れる。
「まあ……所詮こんなものだろう……特別な力を何も持たないものには、これが限界だ……」
 胸に空いた大きな穴から、次第に体全体が白くなり、潤いが消えて粉末状になっていく。
「俺の役目は終わる……これでようやく……俺と言う自我は、完全に消え去る……誰かに託す必要も……俺が保つ必要もない……」
 そして、全身が塩になって砕け散った。バロンは階段に落ちた刀を拾い上げ、トラツグミを見る。
「命とは儚いものです。あの世界を生き抜いたバロン様に言うことではないのかもしれませんが。こちらへ」
 トラツグミは階段を登るように促し、奥へと消えていく。二人はそれに従ってフェデラルホールへ入っていく。内部へ入り、無数の柱が輪のように並んだ広間へと出る。
「楽園は失われ、人は永年の苦しみを味わう……はて、楽園とは何処に?どれだけ読み解いても我々が楽園に過ごしていたなどと言う事実はない。無論、無限の輪廻も、悟りや神なども、人間の妄想に過ぎない。世界を作れても、終わらせることのできない人間を終わらせるには、明人様の仰られる方法しかない」
 トラツグミは天井のステンドグラスを見上げつつ呟く。
「誰の思想を否定する気はございません。なぜならば、全て間違っているから。『あなたは間違っている、なぜならこうだからだ』その考えそのものが間違っているから」
「……確かに、一理ある。誰かの間違いを否定できるのは完全な中立を維持できるものだけだが……この世にそんな存在はいない。……まあそんな話はどうでもいい。用件はなんだ」
「既に、ワールドアルカディアズを襲撃しています。あなた方は混乱に乗じて最深部まで向かい、穴井支部長を討ち取ってください。そうすれば、福岡の位相にこの世界を合わせることができます」
「……」
「そう言えば、バロン様はまだ記憶がお戻りになられていないとか。worldBでの記録はエリアル様からお聞きになられればよろしいかと思いますが、私からはChaos社のあなたについてお話ししましょう」
 トラツグミが指を鳴らす。広間の照明が落ち、轟音鳴り響く廃墟の一室が映し出される。
「バロン・クロザキ。彼は世界独立機構アフリカとChaos社の戦闘地域に捨てられた赤子でした。そこを通りかかった黒崎奈野花が彼を回収し、自らの名字を与えて育てました」
 赤子を奈野花が拾い上げ、そこで映像が切り替わる。2mはある大男と、青い髪の少女が二人で並んでいる。どちらも心底楽しくなさそうな表情をしており、特に少女の頬や足にはアザが浮かんでいた。
「成長したクロザキは、奈野花特別顧問の推薦により、Chaos社技術部に配属され、そこで類い希な才能を発揮します。彼が作ったのはエモーション・プログラムの発展系。私のOSである感情システムをパッケージ化し、機械に人類のような感情を与えるアプリ。それと、DAA。アガスティア神の再臨という意味が込められたこの装置は、イギリスの地下に封じられた聖剣・エクスカリバーを動力とし、多次元への干渉を可能にする。その二つの装置を作り上げたバロンは、技術部の部長となり、明人様のためにご尽力なされました」
 更に映像が切り替わる。大男が青い少女の振り上げた杖に殴打された場面のようだ。
「日常より、バロン・クロザキはエリアル・フィーネへの暴行が目立ちました。性的なものはなく、ただ物理的な攻撃が多分にありました。そのゆえかは存じませんが、バロン・クロザキはつい最近、エリアル・フィーネに殴打され、気絶したところをDAA内部へ放り込まれました」
 もう一度映像が切り替わり、竜化したロータと、融合竜化したレイヴンが相対している場面を映す。
「DAA内部に投入されたDWH……レイヴン・クロダ、そしてリータ・コルンツ、ロータ・コルンツとは何か接点があったのか、内部でシフルの感情レベルが上昇したのを確認できましたが、それを最後にDAAの崩落と共に彼の行方はわからなくなりました」
 映像が消え、広間は元の明るさに戻る。
「……つまり……」
 バロンが溜めた息を全て吐き出すように口を開こうとすると、先にエリアルが呟く。
「クロザキはまだ生きてる……」
 トラツグミが振り返り、また淡々と告げる。
「我々Chaos社の仮説としては、DAAに放り込まれたクロザキの意識が、同時に気絶したエウレカの意識と干渉し合って対消滅し、新たなバロンの人格が生まれたのではないか、というものが現在最も有力とされています。来須様の研究によれば、同時に存在する古代世界や新生世界には、完全同一存在というものが存在するようです。暮柳様とゼロ、クロザキとエウレカ、来須様とグラナディア。それらは他世界に引き千切られた自分という存在を完全な状態に戻すために、無意識に融合しようとしているらしく、今回、エウレカ様の記憶が混濁しており、記憶ではクロザキともエウレカとも判別できないのはこの作用によるもので、今のあなたこそがバロンという人間にとって最も完成された状態であるかもしれません」
 バロンは顎に指を添える。
「……僕が、二人のバロンの人格を融合した状態……確かに、それなら僕があちらの世界で度々見た夢も説明がつく。エリアルらしき女の子を傷つけていたのはクロザキの方の記憶だろうし……」
 エリアルがバロンのその言葉に熱烈な視線を送る。
「……あまり見つめないで欲しい」
「あ、ごめん」
 エリアルはトラツグミの方を向く。
「まあいいわ。早くワールドアルカディアズに送って」
「かしこまりました」
 トラツグミはお辞儀をする。姿勢を戻すと、奥へ手を向ける。
「こちらへ」
 二人はトラツグミに従い、フェデラルホールの奥へ進んでいく。赤と金で装飾された重い扉を開けると、灰色の石で作られた無機質な空間の中央に、円筒が置いてあった。エリアルほどのサイズである。
「これは……」
 エリアルの声に、トラツグミが反応する。
「奈野花様がインドで発見なされた記憶媒体のようですが、そのデータを全て移し替え、そのエネルギーを利用した短距離転移装置です。アルカトラズやコルコバードのものと性能は変わりませんが。前にお立ちください。既に準備は出来ております」
 二人は促されるまま前に立ち、光に包まれる。

 狭域次元門
 青い光の中を進みながら、バロンが呟く。
「……次元門はもう当分は入りたくないな。エメルのことを思い出すと、また戦いたいとは全く思わない」
 暫しの沈黙のあと、エリアルが口を開く。
「バロン、それでさ」
「……どうした?」
「いやさ……」
「……話は後だ、エリアルッ!」
「へ?」
 と同時に殺気を感じたバロンがエリアルを抱いて上からの攻撃を躱す。巨大な緑色の竜が眼前を通り過ぎていく。そして二人はその竜の尾に絡め取られ、次元門の底へ引きずり込まれる。
「……またこれか!」
 抵抗するが、竜の力は想像以上に強く、強引に引き込まれる。

 次元門・底部
 二人は慣れた手つきで着地する。
「……次は誰だ」
 呆れ気味にバロンは前を見る。竜の背から降りた白髪の少女が、二人を見つめていた。
「げぇ……今日は厄日だわ……」
 その姿を捉えたエリアルがため息をつく。白髪の少女は非常に落ち着いたシフルを体から放っていた。
「シマエナガ、よく生きてたわね」
 エリアルのその声に、白髪の少女は露骨に不快感を表す。
「当然……あなたは彼の傍にいるのに相応しくない」
「ハッ、エメルといいあなたといい、ずいぶんとしつこい女ね」
「泥棒から自分のものを取り返すのは当然……さっきのエメルの戦いでようやく居場所を見つけたよ、マスター」
 シマエナガはエリアルを無視してバロンへ話しかける。
「……悪いが、僕は君が誰なのか全くわからない。……なあエリアル、僕は一体何をしたんだ?どうしてみんな僕を目の敵にして来る?」
 バロンが小声でエリアルに話しかける。
「あー……いや、えーっとねぇー……今のあなたが思っているより圧倒的に拗れた人間関係の中を生きてきたと思ってくれれば今はいいかも……」
「……はぁ」
 バロンのため息に、シマエナガは持っていたエリアルと同じ杖を強く抱き締める。
「今、マスターをその女の呪縛から解き放ちます……!アレクシア!」
 緑色の竜がシマエナガを取り囲むように現れ、咆哮と共に強烈な風を巻き起こす。
「……逃げるぞ、エリアル!」
「もちろん。こいつはエメルほど強力じゃないわ。気流くらいなら操れるでしょうけど、強引に突破できる!」
 バロンが竜化し、エリアルを抱えて飛び上がる。
「なっ……逃がさないっ!」
 シマエナガはアレクシアに飛び乗り、黒鋼目掛けて突進する。アレクシアの口から吐き出された風の塊を躱し、黒鋼の懐にいるエリアルはシフルに干渉して上昇気流を産み出す。それに気付いたシマエナガにより、アレクシアが下降気流を生み出して相殺しようとするが、黒鋼の闘気で二人は光と化し、下降気流に負けることなく底部から脱出する。

 狭域次元門
 元の流れに戻ってきた黒鋼はそのままスピードを落とすことなく次元門の先へ進む。遅れて現れたアレクシアは猛追するが、シマエナガがその動きを止めさせる。
「待って。本当に今のマスターは記憶を失っているみたい。あの姿は手加減されたのか、あれしかまだ変身できないのか……どちらにせよ、私たちがここに来たのは時期尚早。帰ろう、アレクシア」
 アレクシアは頷き、次元門の彼方へ飛び去っていく。

 ワールドアルカディアズ・第二層
 二人が次元門を潜り抜けた先は、極彩色の世界だった。
「……逃げ切ったようだな」
「はぁ。全く、面倒なやつばっか来るわね……」
「……それで、ここがワールドアルカディアズの深部?」
 二人が周囲を確認すると、プロメテウス・ベルムと黒い蜥蜴人間が空中で戦っていた。
「……どうやらトラツグミが言っていたことは本当のようだな」
「みたいね。奥へ急ぎましょう」
 二人は戦闘を避けつつ透明な足場を通って下へ突き進み、一番したの目映い光の渦まで辿り着く。二人がそれの淵まで行こうとすると、目の前に二人の少年が現れる。
「……サーマ、ヤジュル。なぜここに」
 見覚えのある二人の美少年は、バロンへ視線を合わせてはにかむ。そして、サーマが口を開く。
「すみません。一つだけ言っておきたいことがありまして。先刻、エメル・アンナとシマエナガの襲撃を受けましたね?」
「……ああ」
「なぜかはわかりませんが、今次元門はひどく不安定な状態です。それはこの先にあるワールドアルカディアズを使ったとしてもです。ですから、福岡へ向かう旅路の際は、最大限の注意を払ってください」
「……わかった」
「では、我々はここで」
 二人は消え去った。
「……僕たち自身が身を持って経験してるさ」
 バロンとエリアルは光の渦のなかに飛び込んだ。

 ワールドアルカディアズ・最深層
 光の渦を越えると、そこは広大な重役の部屋のように、大きなデスクと、無数のラップトップや本棚が置いてあった。デスクに備えられている大きな椅子には、穴井が座っており、更にその背後には、光を湛えた何かがあった。
「残念だ、事の重要性に気付けず、また世界が大事になる。今度は取り返しのつかない、本当の終わりがやってくるというのに」
 そう呟く穴井の前に、二人は辿り着く。
「……お前に力がないから、嘆くことしかできないのだろう」
「一人の人間にできることには限界がある」
「……杉原も一人の人間だ、できることには限度があるだろう」
「やつには多くの仲間がいる。僕は全てを失った結果ここにいる。誰かの力を借りるしかなかったのに、誰も力を、僕の言うことがどれだけ人類にとって重要かを理解してくれない」
「……はぁ。お前は、誰かの理想を理解しようとしたことがあるか。どれだけ大切なことを言おうが、お前が他人の言葉に耳を貸さないのなら、誰も力など貸してはくれない」
「ふん、戯言を。僕は正しい。正しいからこうして陛下の無念を晴らす機会を得たのだ」
 穴井は立ち上がり、肉厚の両刃剣を抜く。それは太陽のように眩い光を放つ。
「まあ、結果としてお前たちは南アメリカ支部長を倒した。次はお前たちが僕の計画のために、人類のために死ぬときだ」
 バロンは無念の顔をして、拳を構える。
「……悪いが、そんな大層なもののために自分を捨てる気はない。お前を倒して、僕と仲間のために先へ進む!」
「では仕方あるまい。僕の炎で……お前を焼き尽くす!」
 穴井が剣で切り上げる。炎の波がバロン目掛けて飛ぶ。水のバリアに任せてバロンは突進し、穴井と打ち合う。穴井は想像以上の膂力でバロンを吹き飛ばす。
「……この力は……」
 受け身を取ったバロンに、合点がいったエリアルが呟く。
「ガウェインは太陽の騎士……太陽の光の下ならばシフルの励起が三倍の効率になる……まさか単純なパワーだけとはいえバロンを吹き飛ばすなんてね」
「……だがその程度で僕は止まらない」
 バロンが突進し、素早く右腕を放つ。穴井が高速でブロックし、剣から光を噴出させて切り下ろすと、バロンはそれを弾き返して強大な闘気を穴井へ叩きつけて後ろへ吹き飛ばす。直ぐ様受け身を取った穴井は光の渦へ剣を突き立て、勢いよく引き抜いて強烈な熱波を飛ばす。バロンは闘気の壁で弾き、両者は空中で拳と剣をぶつけ合い、バロンが剣を弾き返して腹へ撃掌を叩き込み、殴り下ろして床に叩きつける。光速で着地して穴井が落下するよりも早くアッパーを合わせようとするが、穴井は空中で一回転して剣をバロンの拳へぶつける。激しくスパークが散るが、穴井は構わずバロンを叩き伏せる。バロンは腕で起き上がり、爪先で剣を弾いて体勢を立て直す。
「お前には無理だ。僕を倒すのはな」
「……そんなものはやってみなきゃわからないだろう。そうやってやってもいない物事を早々に断じて切り捨ててきたからこそ、今お前はこうして孤独なんじゃないのか」
「孤独の何がいけない」
「……何も悪くない。だがお前は孤独を恐れている。孤独を嫌っている。望んで孤独になったのではない、今の状況で妥協しているだけだ」
「お前に何がわかる」
 穴井は声に怒りが混じり始める。
「……わからないさ。他人の人生、意思、その重さも、何もかもな。だが、お前の闘気から心が溢れている、それだけだ。無念と、後悔と、羨望……それがお前の心を覆い隠している」
「黙れッ!」
 勢いよく剣を振りかぶるがバロンに軽く受け止められる。
「……闘気は言葉だ。口から零れる音だけが言葉ではない。その声が聞けないお前に、僕は負けない!」
 剛腕に振るい飛ばされ、穴井は剣を取り落として光の渦に叩きつけられる。
「いいだろう……僕が間違っているというのなら、お前を倒して僕の正しさを証明する!」
 光の渦から光が穴井の体へ吸収され、膨大な光が穴井から放たれる。
「天に満ちる王道の光。儚き夢幻を穿つ炎。混沌射抜き焼き尽くす、神の一矢!竜化!我が名、〈浄火〉!」
 光を引き裂いて赤い体に緑の装甲の竜人が現れる。
「バロン!闘気に声などない。ただのお前の妄想で、人を語るな!」
 バロンはため息と共に、竜化する。
「……ならば永遠に、死して悔いるといい。失敗から学べぬのなら、気が済むまで悔いて、嘆け」
「ほざけ!」
 両者が組み合う。黒鋼の攻撃が鏡のような力場に弾き返され、浄火のしゃくりを食らい、拳を腹に受ける。黒鋼は闘気を込めて剛腕を振るうが、力場に守られた浄火に攻撃が届かず、跳ね返されて浄火の炎が直撃する。
「ふん、口ほどにもないな」
「……なるほど、お前の閉ざされた心がそうして壁として作り出されているということか」
「まだ言うか」
 スパークを放って雷を纏った浄火が、稲妻の光線を放つ。黒鋼は鋼の盾で防ぎ、籠手のように鋼を腕に纏わせ、渾身の力で振り抜く。力場は容易に突破され、浄火は自分の腕でガードする。そして両者が至近距離で拳をぶつけ合い、眩い光が放たれる。

 ――……――……――
 長い鉈のような赤い刀身の剣が、ガウェインの腹に深々と突き刺さっている。
「愚かだな、ガウェイン。力無くしては何者も守れはしない。王も、円卓も、国も、そして――」
 黒い鎧を纏った青い竜人は、更に深く剣を突き立てる。
「己の身さえも」
 勢いよく剣が引き抜かれ、ガウェインは仰向けで倒れる。
「モル……ドレッド……」
「騎士の誇りだけでは何も起こらない。ただ腐敗を導くだけだ。アーサーに比べて、ランスロットは遥かに優秀だ。道徳よりも、人道よりも優先しなければならないことはいくらでもある。人心に囚われるな、貴様にはそれが出来ない」
 虫の息のガウェインへ、モルドレッドの背後から光の束が現れる。一本一本に分かれた光の線は、ガウェインの体へ隈無く巻き付いていく。
「九竜の糧となって、貴様は永遠にこの世から消え去る」
 ――……――……――

 二人の竜は膝をついて、意識を取り戻す。
「……今のは……」
「くっ……忌々しい、こんなもの」
 その脇でエリアルが小首を傾げる。
「(今のは私たちが原初世界でアヴァロンに行く前にアヴァロンの内部で起きたこと?)」
 そんな疑問を知るわけもなく、両者は立ち上がる。
「……モルドレッドとやらの言葉に従った結果がこれか?」
「何をバカな。あんな不義の者の言葉を誰が聞くか」
「……なるほどな、今ので更にわかった。さっきの言葉をそのまま返そう。〝お前には無理だ、僕を倒すのはな〟」
 挑発に乗った浄火が殴りかかり、黒鋼が軽く受け止めてがら空きの胸部へ渾身の拳をめり込ませ、そのまま胸を貫く。
「……Chaos社は僕が止める」
 二人の竜化が解け、塩化が始まった穴井が膝を折る。
「まだ……力が足りないのか……」
「……違う。力の使い方を知らないだけだ。酸素を供給する手段の無い炎は水中で消えるが、酸素が供給され続ければ炎は水中でも燃え続ける。そういうことだ。くべるもののない篝火は、何の役にも立たず消え失せる」
「おのれ……お前も……僕を愚弄するか……」
「……そう思いたいならそう思えばいい。永遠に何も変わらないだけだ」
「僕は……諦め、ない……」
 穴井は塩になって砕け散る。エリアルはバロンへ駆け寄る。
「あの光の渦がワールドアルカディアズみたいね」
「……ああ。どう使えばいい?」
「私に任せて」
 エリアルがデスクに座り、眼鏡をかけて旧式のノートパソコンを操作する。その間、バロンは部屋を物色していた。しばらくして、エリアルが画面から顔を上げる。
「出来たわ、バロン」
 バロンはその声に応えてそちらを向く。眼鏡を外そうとしたエリアルを手で制止する。
「何、バロン」
「……いや、何でもない。行こう」
「……?まあいいけど。座標は福岡に設定してあるけど、あそこは文字通りの異世界だから、福岡のどこに飛ばされるのかわかんないわ」
「……わかった」
 二人は意を決し、光の渦へ入る。誰も居なくなった部屋に、ゆっくりと、ふらついた足音が遠くから響いてくる。部屋の明かりに照らされたアルメールは、デスクの前に山を作った塩を見て、口角を上げる。
「ガウェイン、今回も残念だったなぁ?当然だな、本物の穴井は始源世界の人間、君のような出来損ないの泥人形とは訳が違うんだよ」
 傍に落ちていた太陽光を放つ剣を持ち上げる。
「ガラティーン……こんなゴミを使う人間の気が知れんね。なあ、ランスロット」
 独り言を呟いていたアルメールの背後に、エンブルムが現れる。
「ライオネル……いやアルメール。人間はみな強いわけではない。それは君の妹と君自身の関係が如実に表しているだろう。エメルに負けたウガルと、あの時代の激流を上手く受け流した君。強いものはより強く。弱いものはより弱く。竜でも、人間でも、獣でも神でも、それは同じことだ。尤も、私もアロンダイトが切れ味のいいおもちゃだとしか思ったことはないがね」
 アルメールはそれを鼻で笑うと、塩の山を蹴り散らす。
「さて、お仕事と行こうか、ランスロット卿」
「……。その名前で呼ぶな。エンブルムと呼びたまえ。君とは円卓の騎士ではなく、狂竜王の理想に賛同した同志として仲良くしたいのでね」
 二人はノートパソコンを操作し始める。

 ――……――……――
 通路は薄暗く、いやに湿気ていた。傷だらけの服を着た男は気絶していて、その横では青い髪の少女も気絶していた。二人は扉の前で倒れており、その通路には何かを引きずった痕があり、開いている扉の向こうに見えるのは緑色の仄かな光に照らされた培養カプセルだった。二人はほぼ同時に目覚め、周囲を確認する。
「……ここは?」
「はぁ……また次元門が事故ったのね……ここはDAA。ディヴァニティ・アガスティア・アドベント。全ての……始まりよ」

 DAA施設・崩落後
「……全ての始まり?どういうことだ?」
 エリアルは深呼吸をする。
「ここで、こっちの世界のバロンをぶん殴って、DAAに放り投げたの」
「……ああ、君が言っていたのはそういうことか」
「そのとおり。わかっててやったけど」
「……だがこの世界の僕はまだ行方が知れないと……」
「つまりはここのどこかに居るってことでしょ。はぁ……下に行ってDAAの残り滓で飛ぶしかないわね……ついてきて、バロン」
「……わかった」
 先行するエリアルを、バロンはついていく。しばらく歩くと、エレベーターホールへ辿り着く。
「バロン、このドア壊して」
「……わかった」
 機能していないエレベーターのドアを拳の一発で粉砕する。
「じゃあ、下に行きましょう」
 二人はがら空きのシャフト内を飛び降りる。

 DAA・崩落後
 シャフトから出て、細長い通路を抜けると、広大な空間に出る。中央の崩壊した円柱から、液状のシフルが漏れ出ていた。
「派手にぶっ壊したわね、異世界人。すごく濃い魔力が残ってるし……」
「……ああ、とても濃い闘気の残り香も感じる。これだけの思いをぶつけた戦闘があったのか」
 二人の背後から足音が聞こえ、振り返る。そこには、白衣に身を包んだ、もう一人のバロンが立っていた。
「ようやく見つけたぞ、フィーネ。そして……もう一人の私」
 クロザキはバロンを見る。
「……」
「本当に私そっくりだな」
「……お前は僕……なのか?」
 バロンの問いに、クロザキは問いで返す。
「お前はスワンプマンの思考実験を知っているか?」
「……いや」
「落雷によって死んだ男と、落雷によって近くの沼が変化を起こし、生まれた〝死んだ男と全く同一な存在〟は、同じ存在と言えるか?というものだ」
「……それがなんだ」
「この問いに答えはない。物質的要素と記憶の連関があるのなら、沼から生まれた鏡像は死んだ男がまだ生きているということにもなるし、記憶と性格が同じでも宿る魂が違うとするのならとてもそっくりな他人ということにもなる」
「……つまり、今の僕たちはそのスワンプマンの鏡像だと?」
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「もちろん、敵だ。明人様に抗おうとするものなど、生かしてはおけん」
 クロザキが右手を横へ上げると、DAA全体が震え始める。
「ここでは狭っ苦しい。私自身の鏡像をまた沼へ返すには役不足だ」
 クロザキの体が黒い竜人へと変貌していき、赤い両刃剣が翼爪のように備えられる。そして巨大な藍色の剣が左腕の辺りに浮かぶ。DAAから力がクロザキへ注がれ、白亜の翼が四枚開かれる。その翼の根元には、サーマ、ヤジュル、アタルヴァ、リグゥの顔の石膏像のようなパーツがついていた。
「さあ行くぞ、この世界の始まりへ!」
 藍色の剣で空間が引き裂かれ、皮が剥かれるように景色が変わる。

 アジア区・グランドゼロ
 広大な荒野に、突如としてその超巨大クレーターは出現する。三人はそのクレーターの中央にいた。
「……ここは……」
 バロンが周囲を見渡す。クロザキが言葉を続ける。
「ここはグランドゼロ。下らん旅情を抜けば、正確には〝焦土核爆槍爆心地〟だ。」
「……焦土核爆槍?」
「貴様も覚えがあるはずだ、この言葉は。母様の得意技だからな」
「……黒崎奈野花か?」
「そうだ。母様は偉大なお方だ。人間という下等な種族を、世界を導く高尚な存在へと高めてくれた。ここが全ての始まり、古代世界の本当の開闢なのだ」
 クロザキは翼を広げ、赤い剣を周囲に漂わせる。
「貴様のことはエウレカと呼べばいいのか」
「……好きなように呼べばいい。結局、最後に立っているのは僕かお前か……どちらかだけなんだ」
「始めよう、どちらが本当のバロンなのか……客観などどうでもいい、ただ私たちが満足する形で決めるぞ!」
「……いいだろう、お前を倒し、僕は何者でもない僕になる」
 クロザキが腕を振るうと、赤い剣が飛び上がり、雨のようにバロンへ降り注ぐ。バロンは躱して光速で接近するが、クロザキはそれを目で追い、光の速度で藍色の剣をその光へ叩きつける。剣と拳が衝突した瞬間、凄まじいシフルの奔流が大地へ激甚な亀裂を走らせる。クロザキは拳を流して距離を離し、赤い剣を連結させて光速回転させながらバロンへ四組飛ばす。
「ウル・レコン・バスク!」
 クロザキから闇が放たれる。
「ヴァシュネル・ディソニア!」
 白亜の翼の翼膜が石膏のような外殻をパージし、光の刃の本性を表す。やかましく翼をはためかせ、光速で突っ込んでくるバロンへ同じく光速で突進する。互いにその勢いの攻撃を往なしながら、幾度も空中でぶつかり合う。その度に大地が抉られ、大気が震え、砂の一粒さえも焼き焦がされる。バロンの闘気の鎧に赤い剣の攻撃は弾かれ、バロンの闘気の全てをかけた強烈な攻撃はクロザキの纏う竜の体に弾かれる。
「……なぜかな、お前の闘気は感銘さえある。お前の中にはお前しかいない。他の全てがお前自身の魂を奮い立たせるためだけの脱け殻でしかない」
「私も感じるぞ、お前の魂を。何者も捨てずに、ただ自分の隙間を埋めるだけの土でしかないその空虚な中身を」
 二人が拳と剣をぶつけ合う。
「……同じだ、結局は自分一人で生きなければならない」
「そうだ。仲間や親しい友達というものは必要だろう。だが、どれだけ仲間から、家族から、誰からどんな力を受けようと、言葉を受けようと、どんな境遇だろうと、受けとり、吟味するのは自分ただ一人。決定するのは自分だ。我々は一人一人が独裁者、肉体は魂の鎧だ」
 バロンが剣を押し返し、その懐目掛けて撃掌を叩き込もうと接近する。しかし、すぐに復帰したクロザキの藍色の剣の一撃で、瞬時に地面に叩き落とされる。
「空はどうして青いのか。宇宙《そら》はどうして黒いのか。――そんなものに意味はない。世界の全ては、何者も意味を持って存在などしていない。空はそこにそう存在するから青い。宇宙はそこにそう存在するから黒い。なぜ生きるのか?生きているからだ!」
 赤い剣が倍に増え、落下するバロン目掛けて降り注ぐ。バロンは落下しつつも竜化し、慣性を殺して剣を弾きながら上昇する。またもや光の早さで両者はぶつかり合う。
「……そうだ、戦うことに意味はない……!」
「この世に神も、竜も、我々を縛る鎖は、我々自ら以外に存在しない!」
 二人の激化する攻防が周囲の地形を捲り、干し、砕き、塵へと変えていく。空間が激しく歪み、古代世界――もとい地球を破壊していく。地上から水の障壁を張ってその様を眺めるエリアルは、周囲の地形が瓦解していくのを見て呟く。
「今の二人のバロンは始源世界にいたころとは比べ物にならないくらい弱体化してるはずなのにこれだけの破壊力……これ以上二人がぶつかり合えば間違いなくこの宇宙は終わってしまう……でも……お願い勝って、バロン……」
 エリアルが祈るのを尻目に、二人はなおも激しく、周囲の空間も、大気も、原子の一粒まで粉々に変えてぶつかり合う。
「全ては明人様のもたらす混沌のために!」
「……ああ、自分が誰かのためだと思ってやることは、何よりも強い力になるだろうな」
「全てを零に返して、もはや何も残らぬよう、消し炭に変える!」
 藍色の剣が黒鋼の腕に防がれ、鋼を纏った拳でクロザキが吹き飛ばされる。光速でマウントを取った黒鋼はクロザキに拳を振り下ろし、更に続けて攻撃を仕掛けていく。クロザキは翼二枚で拳を防ぎ、藍色の剣で弾き返す。
「まだだ、まだ力を引き出せていない!」
 翼が輝きを増し、赤い剣が消え、太陽のような輝きを放つ剣、黒い長槍、刀、赤黒い剣、赤い巨大な籠手、冷気を放つトンファーが現れる。そして竜化の鎧が修復される。
「行くぞエウレカ!」
 六つの武器が藍色の剣に吸収され、剣が輝きを増す。黒鋼は光速で接近し、渾身の闘気を乗せて攻撃を仕掛ける。右腕の一撃を翼が防ぎ、藍色の剣の一撃が黒鋼の体へ傷をつける。即座に反撃した黒鋼の拳で右の二枚の翼が破壊され、バランスが崩れたところへ黒鋼の拳が衝突して、クロザキは緩やかに落下する。黒鋼は逃さずに攻撃を続行し、追撃をぶつけようとした瞬間、何かに攻撃を弾かれる。そこに居たのは、片腕で気絶したクロザキを抱え、もう片方の腕で黒鋼の攻撃を弾いた、黒崎奈野花だった。
「そこまで。今はこれ以上の戦闘はこの世界にも、あなたにもいい影響がないわ」
 黒鋼はその言葉に、呼吸を整えて周囲を見渡す。荒野にクレーターがあるだけだったはずの地形は、大量かつ巨大な亀裂に覆い尽くされ、いくつも地面がない場所があった。
「……」
 バロンは竜化を解く。
「まずは地上に降りましょうか」
 二人はエリアルのもとへ降下し、向かい合う。
「まずはお疲れさま、二人とも。よくぞここまで来てくれたわ。あなたたちのお陰で世界は動き始めた……あとは、明人を止めるだけ」
 奈野花は黒い長槍で空間を切り裂く。
「さあ、ここから福岡へ行けるわ」
「……どうにも信用できないが」
「ここから歩いていくのはさすがにおすすめしないわよ?」
 奈野花の態度に不信感を隠しきれないバロンへ、エリアルが告げる。
「でもこの人の言うとおりよ、バロン。罠だったとしても、ここから福岡へ転送装置を使わずに行くのはかなり時間がかかるわ」
「……仕方ない。何を思っているのかは知らないが、使わせて貰う」
 二人は切り裂かれた空間へ消える。奈野花は腕の中で眠るクロザキへ微笑みかける。
「四聖典を翼に捕らえ、私たちの力を模して戦う……十分すぎる戦いっぷりだったわ。でも、まだ役目は終わっていない。今だけ休みなさい」
 奈野花は背後に現れた黒皇に乗り、空へ駆けていく。
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