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三千世界・始源(4)

本編 第十六話

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 折那・茫漠の墓場
 折那駅は辛うじて姿を保っていたが、折那の町はほぼ全て白い砂に埋もれている。障害物は殆どなく、ここだけ切り取られたかのように無限に砂漠が続いている。地平線の向こうに見える建物を目指して零は歩き、その建物の鉄製のフェンスを開けて入る。中央に白い円形のフィールドが見え、それを中心にマンションが三つ建っている。道は一本しかなく、零は一番近くのマンションへ入る。マンションの部屋のドアには、無数のカルテや生活保護の申請書、給与明細などが夥しい量貼り付けられている。視線を通路に戻すと、黒いボロ布に身を包み、蜃気楼のようにゆらめく老人が現れる。
「我々は、死に行く者。人の社会から除外され、憲法の下に生かされている死体」
 老人が掠れた声で言葉を紡ぐ。
「年金、生活保護……文化的で最低限度とは、一体何を指すのだろうな」
 乾いた風が零の足元に新聞を運んでくる。零はそれを手に取る。
「高齢者、またも餓死。物価上昇による貧困や、孤独による支援の停滞が原因か」
 零が呟く。
「そうだ。世界はもはや、戦えるものしか必要としない。需要と供給の輪廻の外にある我々は、死ぬしかない。だが死ぬ勇気はない。されど生きる希望もない。ただ死を待つだけの、草臥れた案山子」
 老人は消える。
「私に何を思えと」
 新聞を投げ捨てて、零は次のマンションへ向かう。その連絡通路で、人間の影を見つける。零はそれを追う。次のマンションの通路で止まり、影は振り向く。影の輪郭はスーツを着たサラリーマンのようで、凄まじい猫背だ。
「俺たちは消え行く者。社会の歯車となり、永遠の苦痛を味わう」
 零が通路から外を見ると、次々と影が上の階から落ちてくる。通路の電灯に縄を通し、それで首を括った影が無数に現れる。
「人間は何十億も居る。一年で何万人死のうが、すぐに次が生まれる。何も変わらない。世界は、人間が居なくても回り続ける」
 サラリーマンの影は消える。
「どうしようもない、私に言われても」
 零が次のマンションへ向かうと、通路に陶器のような皮膚の赤ん坊がいた。不自然なほど首がすわっている。
「僕たちは、生まれ得ぬ者。産み落とされ、すぐに死ぬ。我々はたった四、五年しか生きないために生まれ落ちたのではない」
 赤ん坊は縁を拳で破壊し、それを貪る。
「神の子が石をパンに変える以上の奇跡を起こせるのなら、なぜ我々は親を選ぶと言う当然の権利さえ無いのだ?なぜ腐った親を選ばされたせいで我々が死なねばならぬ」
 縁がただの砂に変わり、赤ん坊の生え揃っていない歯と歯の隙間から溢れる。そして赤ん坊は陶器のように壊れる。
「理不尽に遭遇しても、死ねば憤ることすら出来ないってこと」
 零は前へ進む。
「誰にも同情するつもりはない」
 道の終わりを左へ曲がり、フェンスを開く。中央の広場に辿り着く。明人とトラツグミが待ち構えていた。
「ここが、あなたの心の中?」
 零の問いに、明人は頷く。
「俺はこの十四年間で、人の悪意と人の欲望に辟易した。見てきたか?生きたい奴と、死にたいやつ、どっちも選べないやつ。どいつもこいつも下らねえ。誰も当事者じゃねえのに、専門家面してあーだこーだ言う。自分だけが誰よりも苦しいのだと勘違いする。同情と憐憫だけが、人間の美しいところだと思ってやがる」
 長剣を白磁の床に叩きつける。
「生き物に美しいも醜いもありゃしねえ。あるのは出来事だけだ。理不尽をウダウダ嘆くだけのクズが、この世にどれだけいた?痛みに怯んで、現状に恨み言を重ねる暇があったら、自分の手で世界を切り開けよ!誰を利用してでも、自分から進めってんだ!」
 明人はヒステリックに叫び続ける。が、不意に落ち着く。
「ふーっ」
 深呼吸をして、また喋り出す。
「弱者は駆逐される。強いものだけが生き残る。それがこの世の正解。だが人間は、存在そのものが不正解だ。人間はもう、進化の余地はない。世界にとって余計なだけだ」
 明人の傍でトラツグミは、ただ目を伏せ直立している。明人の喋りが一段落したと共に目を開き、口を開く。
「明人様、メンタルが不安定になっております。感情的になりすぎぬよう」
「わかってる」
 明人はイラつきつつ答える。トラツグミは屈み、明人に視線を合わせて抱き寄せる。
「乱心なされては勝てるものも勝てませぬ」
 明人は無言でトラツグミから離れる。トラツグミはフィールドから飛び退く。
「三度目の戦いね」
 零がトンファーを構える。
「幼稚園の頃からだから、三回じゃ数えきれんのやけど」
「決着をつけよう、杉原くん」
 明人は長剣を構える。二人は瞬間移動で距離を詰め、互いの得物をぶつけ合う。素早く突きを放つがトンファーに往なされ、もう片方のトンファーの攻撃を後転で躱し、籠手から蒸気を発して高速のストレートを放つ。刀で弾き返され、明人は空中で杖を取り出して地面に叩きつけて結晶を生み出す。零はバックステップで避け、飛び出してきた明人の黄金の双剣を盾で受け止め、細剣で突きを放つ。明人は蒸気で距離を強引に離す。
「流石は零さん……」
 明人は力み、ベルガを食らった化物へ変身する。
「消え失せろ!」
 装甲が開き、無数の触手が零へ向かう。零は竜化し、触手を切り裂きつつ明人に接近し、槍で腹を貫く。
「うぐっ……」
 勢いよく槍を引き抜き、明人の変身が解ける。
「やっぱ甘くねえよな……」
 明人は後退し、自身を紫の輝きで包み込む。
「濁沼に渦巻く混沌を我が身に宿し、無の波濤、無限の潮騒に無垢なる心を捧げよ。我が名、〝無謬〟!」
 紫光の嵐を引き裂き、紫黒の竜人が現れる。
「言った通りのとっておきだ!覚悟しやがれ!」
 零は明人の声を聞き流し、白い光に包まれる。
「時は今ここに往生し、我が意思の放つままに打ち消えし。巡り巡る糸の果て、儚き夢幻を薄重ね、全ての因果を我が下へ!我が名、〝寂滅〟!」
 光を突き破り、蒼白の竜人が現れる。
「オオオオオオッ!」
 両者は組み合い、離れて、乱暴に拳をぶつけ合う。無謬が紫光の波を放ち、寂滅が氷の壁で防ぐ。なおも拳で殴り合い、寂滅が左腕を盾に懐に突っ込み、至近距離で右手から冷気を爆裂させ、無謬を吹き飛ばす。
「あんたの全部が気に入らねえんだよ、零さん!」
 無謬が拳を振り下ろすが、氷の波濤で押し返される。
「諦めなさい、あなたは空の器。あなたには何の力も……!?」
 突如として真白い床が崩れ、その下へ寂滅が落ちていく。
「なっ……!クソクソクソ!待てよ!まだ勝負はついてないぞ!」
 無謬は急いで助けようと駆け寄るが、時既に遅く、寂滅は何故か床の下に展開された次元門の中に消えた。
「クソッタレが!」
 無謬は竜化を解き、元の姿に戻る。
「ま、まあいい。結審は相成った。俺の勝ちだ」
 明人はふらつきながら、その場を去っていった。
 その様を見下ろしていた蝶は、鱗粉を溢しながら消え去った。
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