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三千世界・始源(4)
本編(通常版)
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王子が差し出した輝く杯を、姫は飲み干した。すると姫はその場に倒れ臥し、王子は不敵に笑って去っていった。姫の体から炎が沸きだし、黒い衝動で埋め尽くされる。王子は全身を包む猛火に焼かれ、灰すら残さず消え去った。
「とってもいい話」
二つ結びの少女が、傍に居る騎士に絵本を手渡す。少女は兎のような耳を生やした獣に座っている。ふと少女が大きな窓から外を覗くと、城の周りの湖に沈んだ陣原の街並みが見える。
「結審は始まったばかり。これから五百年をかけて、人類は再び進化する。直立し、道具を持ち、言語を生み出す。その次は……生命を放棄する。いいや正確には、生命を維持する必要を棄てる」
少女は兎の背から立ち上がると、窓を抜けてベランダに出た。どこまでも続く灰色の空に、かつての自分を馳せた。
陣原・狐姫の怨愛城
湖にかかる巨大な橋を歩きながら、明人はやれやれと首を振る。
「前々から計画してたこととは言え、こんなにめんどくせえ移動を強いられるとはな。なあ、トラツグミ」
明人のすぐ横を一歩引いて歩くトラツグミは、明人を見る。
「なあ?……申し訳ありません、明人様。未熟者ゆえ、今の会話の流れに対する返答を持ち合わせておらず……」
「あー、じゃあいいや。ま、ともかく。零さんには俺たちの計画通りに動いてもらおう」
「はっ。このトラツグミ、全力で明人様のサポートを……」
「硬い硬い!態度が硬い!もっと気楽にしとけよな!」
「しかし……」
「いいんだよ。今やってることだって、お前があいつらから任されてやってることだ。別に主従関係じゃない」
「わかりました。善処はします」
「それでよし」
トラツグミは明人を横抱きに持ち上げ、城の尖塔へ飛ぶ。
折那-陣原大橋
零は折那と陣原を繋ぐ大橋を渡っていた。ちょうど橋の中央にある円形の部分に差し掛かると、眼前に白い鎧の骸骨騎士と、鋏を腰に携えた少年が現れる。
「白金零、ユグドラシルの作り上げた最強の隷王龍よ」
少年が零に近寄る。
「あなたに会いたかったです。白金零」
零は少年の非常に美しい容姿にしばし見とれるが、落ち着きを取り戻す。
「私が零だけど、何か?」
「僕はリグゥ。そして白い鎧の彼はホワイトライダー。私は四聖典と呼ばれる内の一人、彼は黙示録の四騎士の一人。我々は、自己紹介をしようとここへ来ました」
ホワイトライダーが白馬を進め、零の前に近づく。
「お初にお目にかかる、白金零。俺はホワイトライダー。黙示録の四騎士の一人、支配をもたらすものだ」
リグゥが続く。
「僕たちはあなたに、結審についてお伝えします」
そして、橋に備えられている長椅子へ座るよう促す。リグゥと零が腰かけると、リグゥは口を開く。
「結審の日。それは、世界を浄化するためのシステムです。本来、世界はある一定の年月を過ぎると成長を止め、宇宙を無明の闇で覆い尽くそうとします。そして最小まで収縮した世界は、エメル・アンナの力で粉砕され、消滅する。でもそれは、あくまでも何の対策もせずに繁栄を続けた場合に起こることです。言うなれば、延命治療をせずに寿命を迎える老人、それが世界なのです。ですが、結審の日はただ数合わせに増やされた存在を一掃し、優れた存在だけを残して世界を延命させるシステム。世界の生命力を貪る無能な存在を消して、世界を長生きさせるのです」
「つまり、ガン細胞を消す作業が結審?」
「その通り。杉原明人は福岡県に住まう全ての生命を犠牲に、結審を発動させました。その結果残ったのは、あなたと、杉原、そして五人の堅い意思を持つものたち。結審は、最後に勝ち残ったものがその制御を得る。あなたが望むことを結審に願うことができる」
「私の願うこと?」
「はい。倒すべき五人というのは、そこに見える城に住まう、来須月香。八幡の山の頂上で竜を統べる暮柳湊。スペースユニバースを闘技場へ変えた左近衛陽花里。百道浜の商業タワー周辺を統治する黒崎奈野花。そしてこの折那の地下墓所に拠点を構えた穴井悠雷。杉原明人もまた倒すべき相手ですが、彼は特定の拠点を持たない。他の五人を倒せば、強制的に引きずり出せるとは思いますが」
零は顎に手を当てて頷く。
「ご教授ありがとう。時間制限はあるの」
「いえ。今この福岡県は異空間になっていて、なおかつ時間を定義する人間がいない。世界の元々のデザイン上、人間がいなければ時間は存在しないので、常にこの景色、この時間です」
零はそういわれて、左腕の時計を見る。時計は七時半を指したままだが、日付は昨日になっていた。
「昨日のまま……」
「ええ。ですから時間制限はございません。……だからと言って火事場泥棒に勤しんだりしないでくださいね」
「しない。お腹が減ったら何か拝借するかもしれないけど」
リグゥは苦笑すると、立ち上がる。
「それでは僕たちは失礼します。僕たちの同志と会うことがあるかもしれませんが、その時は話を聞いてあげてくださいね」
リグゥはホワイトライダーの白馬に乗り、そして白馬は空へ帰っていった。
「城に来須さんが……」
零が橋を進もうとすると、堀川の向こうから巨大なヒレが近づいてくるのが見える。次の瞬間、水面を引き裂いて巨大な魚が現れ、橋の中央を飲み込む。零が躱すと、魚は腕を使って橋へ寄り掛かり、零を見る。
「貴様はこの湖で何するものぞ!」
魚は喋ったかと思うと吠え、尋常ではない生臭さを撒き散らす。
「何を……結審を果たそうとしている、でいい?」
「貴様が?その程度の力でか?」
魚は見下すように声を荒げる。
「先刻ここを通った小僧もそんなことを抜かしていたが……運良く結審を生き延びただけで、調子に乗るなよ!」
魚は零を食らおうと身を乗り出す。零は橋の先の道路まで飛び退き、魚も道路に着地する。
「我が名はバハムート!始源の海の覇者の血族なり!」
零はトンファーを構え、バハムートは腕を振るう。スライディングで腕を躱し、腹を狙って杭を撃つが、バハムートは勢い良く飛び上がって零を食らおうとする。零に躱されると、バハムートは地面に食い付く。零はその隙に攻撃しようとするが、バハムートは素早く体勢を建て直す。
「貴様中々やるようだな……それに始源世界の気配を感じる」
「そう言われても。こっちは寝起きだし、ただの中学生だし」
「まあそんなことはどうでもいい。この結審は我が成す!」
バハムートは水圧カッターのような水のビームを放ち、零はトンファーを地面に叩きつけて氷壁を生み出してそれを弾く。バハムートは氷壁を腕で破壊する。が、零は氷壁の向こうには居なかった。
「何?逃げ仰せたか……」
零はバハムートの頭上からトンファーの杭を撃ち込み、その脳天を貫く。
「まさか戦いの途中で気を抜くとか。人間を甘く見すぎ」
「バカな……」
凍りついたバハムートは、零の踵落としで砕け散る。零はトンファーを消し、手をはたく。そして湖の城へ向かった。
陣原・狐姫の怨愛城
零は大橋を渡り、巨大な城門の前に立つ。どこからともなく零の身長ほどもある大きな兎が現れ、零へ敵意を向ける。
「血の気の多いウサちゃん」
飛びかかってきた兎を躱し、腹にトンファーを叩き込んで気絶させる。そして杭が兎の背中を破り、凍りつかせる。
「さよなら」
そして兎を湖へ放り投げる。
「……。これだけの城をどうやって……」
零は城門を押し開き、中へ入る。薄暗い廊下を零は歩き、機械仕掛けの巨大な門の前に辿り着く。
「ん?何かしらの条件があるってことかな……」
来た道を引き返し、廊下から繋がる部屋に片っ端から入っていき、食堂のゴミ箱から鍵を拾い上げる。
「古い鍵……どう考えてもあれを開けるためのものじゃない」
鍵の使える場所を探して彷徨っていると、鍵の掛かった古い扉を見つけ、鍵を使って開く。扉を開けると、そこは湖が見える広場だった。
「収穫無し。こうなったらここから上に上がるか……」
そう呟いていると、零は湖が少し膨らんでいるように感じた。目を凝らす。先程のバハムートのように、水面を突き破って巨大な二足歩行の兵器が現れ、広場に着地する。逆に折れた特徴的な脚部と、翼のようなヒレのパーツが二つ、腕のようについていた。兵器は上半身をもたげ、金属の軋む音を咆哮のように発する。
「これは……」
ヒレの付け根にあるバルカンが火を噴き、零は猛烈な速度の後ろ歩きで後退し、更に方向転換して壁を走り避ける。兵器は続けて口の装甲を開き、炎のレーザーを発射する。城壁が燃え上がり、爆発する。零は広場に着地する。
「(これを上手く使えば、あそこの扉を無視して奥へ行けるかも……)」
そう思っていると、兵器の頭部から映像が投影される。
「来須さん」
そこに映るツインテールの少女を見て、零は呟く。
『おはよう、零さん』
来須は微笑む。
『これはね、水陸両用二足歩行戦車・蒼龍だよ。シフルを試験的に使った、人類初の巨大兵器さ。ロマンあるでしょ?』
上機嫌に話しかけられるが、零は仏頂面で黙っている。
『脚部、そして多目的ロングペイロードの付け根にあるバルカンは怨愛の炎が詰まった特製ナパーム、そして頭部から発される熱線は怨愛の炎そのものを照射するぶっとび兵器なんだよねー!』
なおも饒舌に語る来須を前に、零は居眠りを始める。
『正直シフルの研究はまだまだ始まったばかりで、変換効率やどれだけ元のシフルを搭載してどれくらいのサイズに落とし込むかとか、色々苦労したんだけど……現状最高にバランスがいいのはこの蒼龍!この陣原は殆ど水没したからちょうどいいし、福岡は洞海湾から遠賀川、堀川と続いているし、川を辿ればだいたいのところに襲撃に向かわせられ……って、零さん聞いてる?』
その声で零は眠りから覚める。
「聞いてる聞いてる」
『まあとにかく!零さんはここで終わりだよ!』
映像は途切れる。蒼龍は歩を進める。
「何はともあれ、これの相手をせねばどうしようもない」
蒼龍が右のヒレを持ち上げ、零目掛けて振り下ろす。素早く左に動いて零は躱し、ヒレに飛び乗る。蒼龍は激しくヒレを振るうが、零は巧みな重心移動と、足を凍らせてヒレに張り付けることで耐える。蒼龍の背から多目的対戦車榴弾が発射され、零を掠めて飛び回る。飛んできた一発を後ろに仰け反ることで躱し、正面から来た一発をトンファーで弾く。左のヒレのバルカンを破壊し、蒼龍は零を振り払う。零は広場に三点着地し、次の挙動に入る蒼龍を見る。蒼龍は左のヒレを包むように展開された炎の刃を零へ振り下ろし、広場の石床を燃やす。零は再び右のヒレのバルカンのあったところまで飛び、トンファーの杭を叩き込んで穴を空け、そこに手を捩じ込んで無理矢理ヒレを引き千切る。ヒレを抱え、蒼龍の炎の刃と打ち合う。そして蒼龍の炎の刃を押し切り、蒼龍は倒れる。炎の刃が消えた左のヒレを抱え、零はハンマー投げの要領でぐるぐる回転し、城に向かって投げつける。城壁が豪快に崩れ、蒼龍は沈黙する。
「これでよし」
零は崩れた城壁から中に入る。ちょうど先程の機械仕掛けの扉の先を壊したようだ。零はまた行き止まりまで歩き、また同じように大きな門へ辿り着く。今度は容易に開き、その先にはまたもや大橋があった。零は橋を渡り、高い塔の麓に着く。正面の扉を開き、中へ入る。塔内部は城よりも豪華な、白を基調とした装飾がなされていた。その装飾と同じ純白の鎧に身を包んだ騎士が三人現れ、更には二足歩行の小型兵器も複数現れる。
「……。生気は感じられないけど、意思はある……」
騎士は自身を覆い隠せるほどの巨大な盾と、自身の二倍はある槍を構えて零へにじり寄る。小型兵器は前腕部にマウントされたマチェットを掴み、軽快に零へ接近する。最接近した一体が零へマチェットを振り下ろすが、零は素手でそれを受け止める。
「いい包丁だ」
力を込めてへし折り、瞬時に組み伏せて、小型兵器のもう片方の腕にマウントされたミニガンを奪い取り、小型兵器の頭を砕く。ミニガンを発射し、小型兵器は次々とスクラップになっていく。騎士が接近を終え、槍で攻撃してくる。一番手前にいる騎士目掛けて小型兵器を叩きつける。盾に砕かれるが、頭に飛び乗り、そのまま首を振らせて槍を他の騎士にぶつけ、怯んだ右の騎士に向けて乗り掛かっていた騎士を叩きつける。槍を奪い、最後に残った騎士へ投げつける。騎士は俊敏な動きで避けるも、眼前に迫った零のトンファーの一撃で沈黙する。
「中身は人か……」
零は兜の外れた騎士の死体を検める。苦悶の表情で絶命している人間が中に入っていたようだが、腐敗などは進んでいない。
「人間の死体なんて初めて見た」
死体を漁るのを止め、零は塔を登り始める。
―――……―――
尖塔の頂上から先程の蒼龍の戦いを眺めていた明人とトラツグミは、零の戦いっぷりに感心していた。
「ほらな、トラツグミ。俺の言った通り、あの人は完璧だろ?」
「確かに、明らかに素人の挙動ではありませんでした。それが、明人様があの方に執着する理由ですか?」
「まあそれも一つではある。でもあの人の魅力で、憎たらしいところはあんなもんじゃない。もっと近くで見ようぜ、トラツグミ」
明人はねだるようにわざとらしく両手を広げる。トラツグミは黙々と明人を横抱きにして、奥に見える塔へ飛ぶ。
―――……―――
零がしばらく塔を登ると、広い場所に出る。そこには先程の騎士が四体と、鎧に金の装飾が施され、槍の代わりに剣を持った騎士が居た。
「姫を守るのが騎士の役目だと……ベタな話」
剣の騎士が槍の騎士を統率し、下層で戦ったときとは比べ物にならないほどの機敏さで突進してくる。トンファーを床に叩きつけて氷壁を生み、槍を防ぐ。更にトンファーの杭の一撃で一人の騎士の盾を割り、槍を奪い取り、槍の騎士を薙ぎ払って一直線に固め、槍で四体を一気に貫く。そのまま槍を放り投げ、壁に釘付けにする。剣の騎士は滑るように距離を詰め、鋭く剣で切り上げる。躱すが、零の顎を剣が掠める。続いて剣の騎士は突きで踏み込む。零は横に躱して騎士の首を掴み、頭突きで怯ませ足を払い、引きずり回して放り投げ、床に急降下して叩きつけ、傍に落ちている槍を二本剣の騎士へ突き刺し、止めに剣で両断する。
零は呼吸を落ち着け、階段を登っていく。そして階段が終わり、明らかに雰囲気の違う扉に辿り着く。ゆっくりとその扉を開けると、大きな窓の前で、大きな耳を二本生やした生物に座った来須が、絵本を読んでいた。
「ある日目が覚めたら、自分は虫になっていた。言葉を発せず、また体の動かし方もわからず、悶えることしかできない」
来須は本をパタリと閉じ、本を湖に投げ捨てる。
「零さん、おはよう。朝起きたら世界がまるっと変わって、何が起きたのか理解できない、まさに変身ってところだね」
そして立ち上がると、獣も立ち上がる。
「人の世は不思議じゃない?こうして人が居なくなって初めて、ようやく自分の世界に浸れるんだ。どれだけ他の人間と言うものが無駄だったと言うことか、よくわかるね?」
来須は緩やかに獣を撫で、獣は気持ち良さそうに唸る。
「私の恋、恋慕の全てが無駄ではないと、それが憎しみの炎に変わることこそが愛の意味だったと、そう思いたい」
零は口を挟む。
「結審に選ばれたと言うことは、来須さんにも何か望みがあるってこと?」
「うん。あるよ。私は、私のことを捨てたあの人に復讐をすること。世界に消えぬ傷を付けて、どうしようが私のことを意識せざるを得なくする。そのために、全てを私が支配する。そういう零さんは?ここまで来れたんだから、結審を果たすための力も手に入れたはず」
「私、私は―――」
零は黙り込む。
「答えられない、かあ。まあ無理もないよね。たぶん杉原のせいで巻き込まれただけだろうし、素直にここで敗けを認めてくれれば私はこれ以上危害を加えようとは―――」
「杉原くんを、始源世界に連れ戻す」
来須はその言葉に硬直する。
「始源世界……?何を言ってるのかな、まさか異世界転生?」
「いや……私にもよくわからない。ただ今、頭の中に強く浮かんできた。杉原くんを始源世界に連れ戻す。それが私の使命」
「なんだ、結局両思いってこと?詰まんないのー」
来須は心底がっかりしたように椅子を蹴り飛ばす。
「まあ、何を考えようが人の勝手だよね。誰が結審を生き残ろうが、世界は生まれ変わる。新しい世界は、古い世界を打ち壊して生まれる。古くさい、自らの意思を放棄した常識が崩れて、全てを自分の意思で決定する混沌の世界が始まるんだよ!そしてその世界を統べるために、零さんと杉原は使えるからね!」
懐から釵を二つくるくると回転させつつ構える。
「空の器と、それを満たす氷水。その二つこそが、世界の王となるための神器だよ。だから今回の世界では福岡が結審の舞台になった」
来須は窓からベランダに出る。零もそれについていく。
「零さんには悪いけど、この結審は零さん以外の誰かが勝てばそれで私たちの目的は果たされるんだよね。だからごめんね。死んでもらう」
零もトンファーを構える。
「なるほどね……でも謝るのは、こっち」
来須が炎を纏って走り寄り、流れるように釵の連撃を打ち込む。トンファーで受け切るが、来須は続いて飛びながら回し蹴りを放ち、ガードを砕いて足で腰へ組み付き、上半身のテイクバックでそのまま零を押し倒し、股の力だけで押さえ込んで釵を零の胸目掛けて何度も突き刺す。零も足で来須へ組み付き勢い良く放り投げる。胸をはたき、溢れる血を凍らせて止める。
「惜しい!もうちょっとじっとしててくれればミートボールに出来たのに!」
「戦いの素人とは思えない……どうやってここまでの動きを?」
「もちろん、勘でやってるだけだよ」
「私も」
二人は急接近し、釵とトンファーを次々と交わす。逆手で持っていた右手の釵を順手で持って突き出し、零は躱す。脇腹の服を破り、釵は空を裂く。右腕を零は抱え込み、トンファーを振るが来須は頭を左右に振って避け、ツインテールを纏めていた髪留めが飛んでいく。来須の長い髪が炎を纏い、赤く変化する。左手に持つ釵でトンファーを絡めとり、足を払って蹴り飛ばす。零は石畳に指を捩じ込んで踏み止まる。
「その髪……」
来須は赤く染まり、赫焉を放つ髪を弄る。
「ああ、これでしょ?昔から困ってたんだよね……水泳の時間とか見学するしかなかったし、お風呂とかお湯が蒸発しちゃうから」
釵の表面も赤熱化する。
「ねえ零さん。炎ってどう思う?弱者を焼き尽くし、新たな命を芽吹かせる素晴らしい力だと思わない?」
「さあ……弱者とか強者とか、どうでもいいから」
「本当に強い人って言うのは、視界に入った人にしか興味が無いのかもね」
来須は釵を構え直す。
「さ、続けようか」
接近して連続して蹴り込み、零はトンファーで弾く。反撃のアッパーからのトンファーの杭を放ち、来須は躱して尻を向けて思いっきり踵で蹴り上げる。ガードするも、零は思いっきり打ち上げられる。来須は高く飛び上がり、釵を交差させつつ飛びかかる。零は空中で飛び、カウンターで来須を蹴り落とす。そしてトンファーが来須の頭―――の横の石畳に突き刺さる。
「勝負あった」
零はゆっくりと立ち上がり、トンファーを石畳から離す。
「止めを刺さないの?」
「これは殺し合いじゃない。命を奪う必要もまた、ない」
来須も、めり込んだ石畳から起き上がる。
「ふーん。まあ、それでいっか。零さん、こっち来て」
また部屋の中に入り、来須は零に細身の剣を手渡す。
「あげる。私は使わないし」
零がそれを手に取ると、体の中に吸収される。
「おお、すごい!消えてなくなったよ!うんうん、零さんの体はもっと研究してみたいけど、今はそれどころじゃなさそうだし……結審頑張ってね」
来須は笑顔で零の手を取る。
「ありがとう」
零は軽く礼を告げて、部屋から出た。
「さてと」
来須は部屋からベランダへ出る。
「盗み見とは感心しないな、見た目がブスなら性格もブスなのかい?」
右手から炎を放ち、影が揺れる。光学迷彩を解いたトラツグミが、明人を抱えて現れる。
「ブスとは失礼な。並みやし」
明人は子供っぽく抗議する。
「零さんは帰ったよ」
「わかっとるよ。見とったもん。零さんはたぶん次はみーさんのところに行くよね?」
「まあ、たぶんね」
明人はそれを聞いて頷く。
「じゃ、お疲れさん。好きなことして暇潰しとってよ」
それだけ告げて、またトラツグミに横抱きにされて去っていく。
「はっ、どいつもこいつも浮かれやがって……まあいいや。言われた通り、好きなように過ごさせてもらうよ」
悪態をつきつつも、来須はまた獣に腰掛け、陣原の景色を見て絵本を読み始めた。
古代世界 福岡県八幡区・大千なる竜の国 空中大地
鈍色の空を、無数の竜が乱れ飛ぶ。僅かに射し込む日光につられた口の小さい謎の生命体―――プレタが、竜に啄まれて食らわれ、破片となって投げ捨てられる。暮柳湊はその様を見ながら、物思いに耽っていた。
「杉原……俺はお前のために全てを犠牲にしよう。それが俺に希望を与えてくれたお前への、せめてもの返礼だ」
運良く竜から逃れ、湊の後ろまで到達したプレタが、湊に腕を振り下ろす。と、プレタの動きは停止し、湊がいつ抜刀したのか、刀をゆるりと納める。納刀と同時にプレタは十字に切り裂かれ、消滅する。湊が振り返ると、どこから湧いて出たのか、プレタが複数居た。
「自らの意思を放棄した人間の成れの果てか。永遠に苦しみ続ける亡者となるのは、相応しい末路だな」
目にも止まらぬ速度でプレタたちの間を縫い、抜刀する。瞬く間にプレタは木っ端微塵になり、更に現れるプレタに刀を放り、ブーメランのようにプレタを切り裂いて湊の手元に戻る。納刀し、湊はまた元の位置に戻って町を景色を眺める。
「白金零……どれだけのものか」
陣原駅
零が駅前の通路を歩いていると、ふと思い付く。
「線路に沿って歩けば真っ直ぐ八幡まで辿り着くんじゃ……」
駅の階段を上り、機能していない改札を通り、駅のホームから線路へ降りる。そして線路に沿って、八幡駅へ歩き始めた。
八幡駅
零は歩いているしばらくの間、どこにあるのかもわからぬ太陽が動くことによって光量が変わることもなく、ただ何の変化もない景色を横目に見ていた。八幡駅のホームに到着すると、零はフェンスを飛び越えて駅前に出る。真っ直ぐ道の上に座す皿倉山の頂上に、僅かに雲の切れ目があり、そこから日光が射し込んでおり、その周囲を翼を生やした蜥蜴が、プレタを咥えて飛び回っている。
「あの化け物はあの時の……」
零は投げ捨てられたプレタを一瞥すると、道路を真っ直ぐ進み始める。
八幡区・大千なる竜の国
しばらく進むと、道路は山上へと続く坂道に変わる。襲い掛かってくるプレタを片手間に蹴散らしながら、零はなおも進む。分かれ道に辿り着き、どちらへ進むか迷っていると正面からバスが飛んでくる。細剣と盾を召喚し、細剣でバスを両断する。上空から翼の生えた蜥蜴―――ワイバーンが現れて、零へ吠え、灼熱の吐息を漏らす。
「ふむ、確かに爬虫類は好きだけど……残念ながら動物愛護の思考はない」
火球を放つと、零は瞬時にワイバーンの首に細剣を突き刺し、アスファルトへ叩き付ける。トンファーで脳天を破壊し、ワイバーンは沈黙する。零は分かれ道を右に進む。しばらくして高校を発見し、中へ入る。自動販売機を蹴り、出てきたペットボトルのお茶を飲む。一息ついて校庭へ出ると、四体のワイバーンが現れる。
「品揃えが充実してる。いいペットショップ」
盾を投げつけ、細剣で一体封殺する。続く火球を氷壁で弾き、トンファーと細剣のコンボで素早く残りの三体も処理する。と、そこへ赤い鎧の骸骨騎士と槍を背負った少年が現れる。
「流石の強さじゃなあ、白金」
骸骨騎士が感心する。
「儂はレッドライダー。黙示録の騎士が一、戦乱をもたらすもの。そしてこの坊主がサーマ」
レッドライダーが頭をポンポンと叩くと、サーマはその手を払う。
「やめてください。特に仲良くないんですから。こんにちは、白金零。僕はサーマと申します。リグゥと同じ、四聖典の一人です」
零はサーマを見る。
「よろしく」
「はい、よろしくお願いします。では僕は、ここを支配する竜と、それに食われるプレタについてご説明します」
サーマは高校の中に入る。レッドライダーと零もついていき、校内の食堂で座る。
「あの人の形をした怪物、プレタは、結審によって滅びたものの、肉体の滅亡を逃れてしまった元人間です。彼らは扱いきれぬシフルに体を蝕まれ続け、塩化していく体の崩壊を食い止めるために、結審に選ばれた生身の人間を食らおうとします。無論、結審に選ばれるような質のいい人間をプレタごときが食らえるわけがありませんので、ただの邪魔でしかありませんけどね」
「……。プレタを元に戻したりはできないの?」
「無理ですね。貴方も知っているとは思いますが、この古代世界の人間ではシフルを扱いきれない。だからこそ、今まで石油や電気などの、シフルが下位エネルギーに変化したものを使ってきた。シフルは強力かつ原始的エネルギーですが、所持者の力が足りなければ所持者をもろともシフルに変えてしまいます」
「なるほど」
「次に竜ですが、あれは王龍の破片である暮柳湊に付き従う、一般的な竜ですね。一兵卒というやつです」
「王龍の破片?」
「ええ。彼は王龍ゼロの片割れ。本人はそのことに気付いていないみたいですけどね。それに今回の結審には関係のないことです」
サーマは話を終える。
「他に何か気になることはありますかね?」
「いや、今のところはない」
「そうですか。では我々はこの辺で」
サーマはレッドライダーへ視線を向ける。呑気にお茶を飲んでいたレッドライダーは立ち上がり、サーマを連れて出ていく。零もまもなく高校を出て、更に上を目指して進んでいく。そして森の高い木々を乗り継ぎつつ高速で山を登り、頂上につく。光の中から一匹の竜が現れ、零に背を向ける。零はその背に乗り、竜は高く飛び上がる。
大千なる竜の国・空中大地
竜は空中に浮かぶ大地まで零を運ぶと、零は降りる。竜はすぐに飛び去る。空中大地の縁には、長身の坊主頭の男が立っていた。暮柳湊である。
「現れたな」
湊は振り返る。
「あなたは結審に何を望むの」
「俺か。俺はただ、杉原のために全てを捧げる。自らを極限まで希釈し、やつのためだけに全てを滅する。それは白金、お前とて例外ではない」
「なぜそこまで……」
「俺は」
湊は鞘の石突きを地面に突き立てる。
「どうしようもなく死にたくなった。何も変わらない現状に絶望して、何もかもを諦めようと思った。そのとき奴が傍に居てくれた。奴が俺に光をくれた。なら俺は、その恩に応えるのみ」
「……。本当に杉原くんがそんなことをしてくれたの?」
「ふん、信じられんか?まあ無理もあるまい。奴は道化だからな。善人にも、悪人にもなりきれぬ弱い人間だ。だからこそ、俺たちが支えてやらねばならん」
刀を左手に持ち、湊は零を見据える。
「さあ構えろ、白金。結審は誰かが勝ち残らねば終わらない」
「わかってる」
湊は瞬間移動で詰め、零は細剣でギリギリ刀を受ける。
「残念だが白金、今のお前では相手にならん」
鞘で足を払われ、刀の一撃をガードするも弾き飛ばされる。
「殺さぬよう手加減するのは骨が折れる。戦えぬほどに痛め付けるのも趣味ではないが……」
湊が身を引き、いくつもの空間の歪みを飛ばす。零は本能的な殺気を感じて躱す。空間の歪みは零の居た場所で無数の真空刃を生み出し、そして消える。
「これは」
零はその常識はずれの攻撃にひどく驚く。
「この刀が俺の感情を吸い尽くす。それがこの刀の力になる。俺から吸い上げた力で、次元を引き裂く」
「どういうこと?」
「詳しい理論を知ったところで対策できるのか?」
零は黙る。湊はまた瞬間移動で距離を詰め、突進しつつ抜刀する。零は素早く躱す。湊は続いて零の頭上へ瞬間移動し、抜刀しつつ急降下する。零はサイドロールで避け、間髪入れずに細剣で突きを放つ。しかし、鞘で弾かれ、撃掌を喰らい、吹き飛んでいくところに追撃で腹を刀に貫かれる。
「遅いな、白金」
「ぐっ……」
湊は勢い良く刀を引き抜き、零は倒れ伏す。納刀した湊へ零は飛び上がりつつ蹴りを入れ、鞘で弾かれるが距離を取ることに成功する。傷口はすぐに塞がり、それを見た湊が軽く反応する。
「やはり剛太郎の言う通り、お前はシフルに順応しているようだな。ならば、一度完全に絶命させる他あるまい」
湊は瞬間移動し、そのままの勢いで突進しつつ抜刀する。更に零を切り上げつつ上昇し、続けて連続で切りつけ、回転しつつ切り上げて、叩き落とす。地面に叩きつけられた零へ空間の歪みを発射する。対応速度が間に合わず零に直撃し、吹き飛ばされる。しかし零もすぐに踏みとどまり、盾を投げ、それをガードさせてからトンファーで打ち上げ、一気に氷柱を召喚して湊を吹き飛ばす。
「ほう?少しは楽しめそうだ……」
肩に降りた霜をはたき落とし、湊は零を見る。
「文字通り死ぬまで戦うとしよう」
刀を鞘に入れたまま湊はそれを前へ出して突進し、零は横に避ける。素早い抜刀を細剣で受け、湊は連続で刀を打ち付け、零はトンファーで防ぐ。刀の一撃をタイミング良く打ち返し、僅かに態勢を崩したところを逃さずに右のトンファーで頬を打ち、左のトンファーで顎をかち上げ、もう一度右のトンファーで腹を抉る。後退した湊へ追撃しようと零は接近するが、湊は瞬間移動で距離を離す。
「それが、杉原が羨む力か?」
「さあ、何のことやら。私としては、なぜ杉原くんが私に執着してるのかさっぱりわからないから」
「同感だ。世界が前のままだったとしても、奴には多くの仲間が居たはずだ。お前にだけ執着する理由は……もはや、個人的な執念としか言えんだろう」
「はた迷惑」
「まあそう言うな。奴もお前に憧れてここまでの災害をもたらしているんだ。少しは照れるなりしてやったらどうだ」
零はため息をつく。
「ただの知り合いからどう思われていようと何とも反応できない」
続けて零が湊へ言葉を投げ掛ける。
「さっき、あの人間のような化け物……プレタはシフルとかいうエネルギーに侵食されて生まれた人間の成れの果てだと聞いたわ。どうして私たちだけが、この結審を生き残っているの?」
「ふん、その理由はただひとつだ。俺たちは、本気で世界を変えたいと願った。誰を恨むでもなく、全ての人間の意識を変革しようとするでもなく、俺たち自身が、俺たちの手で、世界を変えたいと願った。それだけのことだ」
零はその言葉に引っ掛かるものを覚えた。
「(杉原くんも来須さんも、そして暮柳くんも、皆自分の意思というものを強く意識している……)」
そして再び、湊へ言葉を投げ掛ける。
「暮柳くんはさっき、自分を希釈すると言った。それはあなたの言う、自分の意思を放棄すると言うことにはならないの?」
「もちろん、違う。お前は何か勘違いしているようだが、自分の意思で自分を薄めると言うのは、自分の意思を放棄していない証だ。情報の流れに身を任せ、誰かの示す耳障りのいい規範に自覚のないまま組み込まれる。それこそがこの世で最も忌むべき邪悪であり、存在すべきでない愚劣な人間だ」
「本当に皆がそうだと思うの?」
「現に意思なきものはみなプレタと成り果てたか、既に消滅している。無関心、無感動、ただ流されるままに日々を食い潰す、誰かのミームに流されるだけの人間が、この世には多すぎた」
湊は瞬間移動で距離を詰め、零はトンファーを交差してガードする。それを蹴って空中へ飛び、湊は空間の歪みを連発する。更に地上へ向けて斬撃を放ち、刀を突き立てて急降下する。衝撃波が零を襲い、零は盾で防ぐ。続いて湊は鞘による連撃から抜刀して零を吹き飛ばす。
「人は余りにも、人を生かすのに向いていない。今もこうして、人同士で争い続ける。争わずにはいられない、それが人間の本性であるがゆえに」
湊は零が立ち上がるよりも先に頭上へ瞬間移動し、抜刀しつつ急降下する。零は瞬時に細剣で防ぐが、弾かれて取り落とす。そして再び、零の腹に刀が突き刺さる。
「俺の思いは杉原と完全に一致していた。力無くして、意思無くして人は生きられぬ。今こうして結審の時でさえ、己の身すら守りきることができない。実に愚かだ。こうして地獄を味わわなければ、自分の意思を変えようとはしない。だがもはや、気付いたときには全てが終わっている」
刀を引き抜き、零を蹴り飛ばす。空中大地から放り出された零は途中で意識を取り戻し、トンファーの冷気で上昇して空中大地へ戻る。
「頑丈さだけは飛び抜けているようだな、白金」
湊の体が青い闘気に包まれ、黒と銀の体の竜人へ変貌し、刀が手元から消える。
「ここまで耐えた礼だ。せめて派手に殺してやろう」
零の意識は朦朧としていた。湊は一切の容赦をせず、瞬間移動による接近から、腕からジェットのように溢れる闘気の刃による連撃を放ち、刀を抜刀し、強烈な二振りを叩き込む。納刀と共に湊は竜化を解き、倒れ伏した零を見る。
「期待外れだな、杉原。こいつは所詮この程度、お前が執着するほどの価値もない」
湊は踵を返し、元の場所へ戻ろうとする。が、背後で零が立ち上がる気配を感じて振り返る。
「失望するにはまだ早い……私は根性だけはあるから……」
傷だらけながら、平然と立ち上がる零に、湊は口角を上げる。
「なるほどな。ではその根性がいつまで持つか……とくと見てやろう」
零は貫かれた傷から、刀を生み出す。
「エクスハート」
「ほう、同じ武器で来るか」
二人は高速で接近し、鍔迫り合いを繰り広げる。
「だが新たな武器を手にしたところで、これ以上何ができる」
湊は零の刀を押し返し、素早く切り上げる。が、零はサイドロールで躱し、靴の裏に氷で刀を張り付け、蹴り上げつつ空中へ飛ぶ。完全に想定外の攻撃を受けた湊は空中へ打ち上げられ、トンファーに持ち替えた零のキックで叩き落とされ、しかし湊は瞬間移動で追撃を躱す。斬られた湊の胴体の傷は、凍りついていた。
「まだ戦える」
零はそう言い切り、湊は鼻で笑う。
「戦えはするだろうな。だがその程度の力で、お前が結審を越えられるとは到底思えんな」
二人はまた接近し、刀を高速で振り合う。
「あえて聞こう、お前は結審に何を望む」
「私は……杉原くんを回収する」
「ふん、下らんな……」
湊の刀が零の刀に弾かれ、空中大地へ突き刺さる。
「ならば、やってみるがいい。俺には、お前を殺さずに叩きのめす技量がない。お前を殺せる時に決着を着けさせてもらう」
身を翻し、刀を抜いて納刀する。
「勝負は預けておこう。お前のその刀が、その証だ」
零は刀を消し、湊へ近づく。
「なぜ最後に力を抜いたの」
「言った通りだ。死なない程度に加減することなど俺には出来ん」
「ありがとう」
そう言って零は空中大地から飛び降りる。
八幡区・大千なる竜の国
軽やかに皿倉山の頂上に着地した零は、木々や建物の屋根を飛び継ぎ、駅まで戻る。
八幡駅
フェンスを越え、再び線路へ入り、線路に沿って道を進んでいく。
スペースユニバース駅
線路は次第に高度が増し、煉瓦造りのホームへ辿り着く。ホームの窓からは、かつては遊園地であった広い空間が見える。今は複数のアリーナが所狭しと作られており、まるで様子が違った。零は階段を降り、遊園地の跡地へ向かった。
光猛の血戦場・屍山
遊園地の中央の建物を貫き、隆起している岩山の上から、一人の少女が零を見下ろしていた。
「新人類の鍵、完全なる未来をもたらす、賢者の石……貴様の血が人を篩に掛け、私たちが望む未来を、強者による強者のための世界が生まれる」
少女は脇に突き立ててある巨大なガントレットに手を置く。
「いかに出来レースと言えど、手加減はしない。貴様自身が強くならねば、貴様自身が己の力を引き出さねば意味はないからな」
ガントレットを持ち上げ、少女はそこから立ち去った。
光猛の血戦場
零が無人のゲートを通ると、中央の道から左右に広がるように、いくつかの店がある広場に出る。そのエリアの中央にある噴水の傍の長椅子に、黒い鎧の少女が座って漫画を読んでいた。零は、その少女に近づく。
「黒崎さん、どうしてここに?」
奈野花は漫画を閉じ、零を見上げる。
「あら、意外と早いのね。じゃあ失礼して……」
立ち上がると、有無を言わさず零の唇を奪う。零はとっさに奈野花を突き飛ばす。
「なんのつもり」
「ご褒美よ、ここまで頑張ったからね。貴方にはまだ力が無いわ。暮柳に苦戦するような人じゃないはずよ、貴方は」
「よくわからない」
零のその一言に、奈野花は首を傾げる。
「よくわからないって、何が?」
「何もかも。朝起きてこの結審とかいうのに巻き込まれたのもそうだけど、スペースユニバースがこうなってたり、皿倉山にドラゴンがいたり、陣原が水没してたり。とても現実とは思えない」
「ああ、なるほど。そういうことね。結審の影響でここだけ異空間になってるってことは知ってる?」
零は頷く。
「ふむ。この世界は今、シフルと言う根源エネルギーで満たされている。シフルはそのものでも力を発揮するけど、強い感情に反応して更なる力を発揮するの。結審に選ばれた人たちが強く願えば、シフルは応え、この異界の中に望んだ通りの領域を作り出す。だから月香ちゃんは自分がお姫様のように扱われる城を生み、暮柳は何もない平坦な大地を作り、陽花里ちゃんはこうして戦いのための空間を作り上げた。私たちはこの願いによって歪められた空間をナラカと呼んでいるわ。陣原が水没してたのはあそこに迷い込んだバハムートのせいだけど、城があったのはそういうこと」
「そもそもどうして結審を?杉原くんも来須さんも暮柳くんも、曖昧な話しかしてくれない」
「いいえ、曖昧ではないわ。彼らは恐らく、弱肉強食の世界を望んでいるような口ぶりだったでしょう?」
「まあ……確かに」
「彼らは現実に嫌気が差した。こんな下らない世界で食い潰されるくらいなら、個々人の正しい闘争を取り戻した方が余程いいとね。まあ、余りにも行きすぎた原理主義だけど、ある意味では人間として最も正しい」
「どうして?」
その問いに、奈野花は微笑む。
「人間は戦い、自分を愛でて、他人を喰らい尽くさねば生きていけない生物よ。自然のように、複数の生物や物質が連関し、総体として一つのメカニズムを生み出している訳じゃない。人間は自らの内に眠る殺意を、破壊衝動を抑えられない。ほら、美味しいものほど健康に悪いとよく言うでしょう?人間は潜在的に、無意識的に、相手を壊し、自分を壊し尽くそうとしているの。現代社会は、その人間の本性から目を背けようとしていた。匿名の鎧に身を包んで、安全なところからただ己の破壊衝動を発散しているだけで、誰も彼も疲れきっていた。だから彼らは、自分達の思うままに気に入らないやつを殴り倒す世界を作り出そうとしているのよ。人間として、人間らしく破壊衝動を好きなようにぶちまけられる世界をね」
零は顔をしかめる。
「度しがたい……気もするし、わかる……気もする」
「ふふっ、まあ自分が正常だと思い込んでいる人間には理解できないかもしれないわね。それか……元々人の心を理解できない〝隷王龍《兵器》〟にも、理解できないかもね。まあ、大体はこんな感じ。特に気にする必要もないけどね。貴方は貴方が望む世界を手に入れるために戦えばいい」
奈野花はもったいぶった視線を零へ向け、長椅子に座り直す。
「ここ光猛の血戦場は、陽花里ちゃんが作り出したナラカ。わかっているとは思うけど、ここはスペースユニバースという、宇宙をテーマにした遊園地だったわ。中央に見える山に陽花里ちゃんが居るんだけど、そこへ行くには四つのエリアの魔獣を倒さないといけないわ。西にあるウォーターエリア、南西にあるスペースエリア、東にあるライドエリア、南東にあるアーカイブエリア。まあ迷わないとは思うけれど、一応これを渡しておくわ。配置自体は変わらないし」
そう言って、奈野花は零にスペースユニバースのパンフレットを投げ渡す。地図が見開きで載せてある。
「本当なら今年の末に閉園だったんだけど、どのみち今回の結審でぶっ壊れちゃったわね。ところで零さん、何か暇潰しになりそうなもの無いかしら?この手の異界にはありがちだけど、スマホの電源がつかないから電子漫画を読んだり出来ないのよね」
零は周囲を見回す。
「特には」
「そう。ならいいわ。終わったらここに戻ってきて。頼みたいことがあるから」
そう言うと奈野花は先程読んでいた漫画を一ページずつ凝視し始めた。零はその場を後にして、スペースユニバースの中へ入っていく。まずは左のウォーターエリアへ向かい、入場口から内部に入る。広いプールは奥に向かうにつれて深くなっており、遊園地のウォータースライダーがあるような場所にしては異常に深みがあった。
「嫌な気配……」
と呟くと同時に、水の中から細長い胴体の海竜が飛び出てくる。零は横に転がって躱し、海竜と向き合う。海竜はコンクリートをぐちゃぐちゃと食い散らかすと、長い舌で舐めずる。
「あなたは?」
「ハルベリル……」
見た目の凶悪さとは異なり、海竜はぼそぼそと喋る。
「ここを守る……」
零は刀を構える。ハルベリルは力むと、全身から水の塊を射出する。零はそれを刀で撃ち落とすが、刀身が腐食している。刀を持つ右腕から冷気を生んで刀身を回復させ、零は飛び上がる。ハルベリルが伸ばした舌を斬り捌き、トンファーの杭を打ち出してハルベリルをプールの底面に叩きつける。ハルベリルはプールの深いところまで戻り、そこから水流ブレスで攻撃する。氷壁でブレスを弾き、刀を持ってプールへ潜る。ハルベリルは零を見るや否や突進し、巧みに体を動かして水流を操り、零の動きを妨害する。零は刀を振って水の流れを絶ち、トンファーの杭を射出する力で高速で上下移動をする。ハルベリルは毒の塊を吐き出し、零はそれを躱す。しかし水中で爆裂したそれは瞬く間に拡散し、零の体を蝕む。
「ちっ……」
舌打ちはしたが、あくまで冷静に動く。零の周りをぐるぐると泳ぎ、巨大な渦が零を閉じ込めている。毒も猛烈に攪拌され、零の周囲に留まっている。零は刀を居合い抜きのように構え、ハルベリルが眼前を通る一瞬で抜刀し、渦を切り裂いて氷の刃でハルベリルを打ち上げる。それを追って、零も浅瀬に戻る。のたうつハルベリルへ、零はトンファーを脳天に叩き込む。なおもハルベリルは起き上がるが、零を敵意のない瞳で見つめる。
「力……認める……」
ハルベリルは天に吠え、水の塊になって零に取り込まれる。零が腕を構え、ステップを踏むと、籠手と具足が装着される。
「ティアスティラ」
零は目の前にあった巨大なマスコットの像をパンチで粉砕する。
「悪くない力。感謝する」
ウォーターエリアを後にして、次はアーカイブエリアへ向かう。その名の通り、大きな資料館があり、そこから休憩室とアリーナに繋がっている。零は資料館へ入る。資料館の中は異常なほど寒く、展示物には霜が降り、ショーケースは結露していた。奥へ続く道は氷で塞がれていたが、零は籠手によるパンチで砕いて進む。めぼしいものが無いため、階段で二階へ上がる。映写室を見つけ、中を覗いてみると液晶に何かの映像が流れていた。そして液晶の前に、眼鏡の男――剛太郎が座っていた。
「ソムニウムか。この戦いに困惑しているようだが、その戦いっぷりは流石だな。俺も杉原を煽って結審を起こさせた甲斐があるというものだ」
「あなたが杉原くんを?」
「ああ。見ろ、ソムニウム。この映像を」
剛太郎に促され、零は流れる映像に目を向ける。映像では明人が金髪の幼女と戯れる様が収められており、二人はとても楽しそうに笑い合っている。
「これは……」
「お前も俺もそうだが、明人もまた、始源世界の人間だ。横に居る女はブリュンヒルデ。始源世界のChaos社が作った人造兵器。明人にだけは懐いていたな、愚かなスクラップだったが」
ブリュンヒルデは、明人がその場を去っていって間もなく、一人で泣き出した。それも声を噛み殺すように、誰にも気付かれないように。
「失敗作であり、俺も捨てようと思っていたんだが……明人は無駄遣いはよくないと言って色んな感情持ちの兵器と戯れていた。今思えば、それは奴の空の器としての性質……誰かの願望に反応して、その思いに尽くそうとする機能の一部だったのだと気付いた」
「空の器」
「そうだ。杉原明人。あいつは空の器。他者から力を注がれなければただのゴミだが、誰かが力を込めれば全土を支配するほどの兵器へと変貌する。空の器は常に、自分に注がれるべき強い力を求める」
ブリュンヒルデは泣き続けている。そのままフェードアウトし、場面が切り替わる。穏やかそうだがガタイのいい男の遺体を、藍色の髪の女が泣き喚きながら抱き抱える。
「エウレカによる始源世界の統一が成った日に起こった大反乱……エメル・アンナという一人の女によってエウレカは壊滅し、ゼノビア・キュリオスという女の凶刃にバロンは倒れた。明人はそのクライシスの最中に俺が回収した」
「(バロン?エメル?初めて聞く名前なのに、すごく聞き覚えがある……)」
零は思考を巡らせる。映像では藍色の髪の少女――ゼノビアの背後で、真顔の金髪の少女がいた。ブリュンヒルデとは異なり、少し大人びていて、ボディラインがくっきりしている。
「明人はクライシスの後、しばらく喪失状態だった。まあ無理もないが……元々作り物なのだからな、あいつも」
金髪の少女がゼノビアへ光の檻を産み出し、閉じ込める。映像がまた切り替わり、明人と零が相対していた。
「私?」
「そうだ。お前は始源世界の存在。今はそれ以上のことを知る必要はないが、お前と明人はお互いが思う以上に因縁が深い」
明人が逃げに徹し、零は容赦なく攻撃し続ける。その攻防の途中で映像は終わる。剛太郎は立ち上がり、消える。
「……。とんでもないオカルトかデマに巻き込まれた気分」
零はそう吐き捨て、アリーナへの通路を渡る。アリーナの二階の観覧席へ出ると、アリーナ全体が凍りついていた。零は一階に飛び降り、それと同時に空中から巨大な狼が落ちてくる。
「あなたがここを守っているの」
「そうだ。俺は黒皇獣エンキドゥ。黒皇獣ヴァナルガンドの一部だ。我が王の命により、ギルの兄貴と仕事を分担してる」
エンキドゥは鎖が身体中に巻き付いており、アリーナの半分を覆うほどの巨体を持っていた。
「知ってるだろ、シュメールのギルガメス叙事詩。あれのエンキドゥが俺」
妙に軽い口調のエンキドゥは、その巨体から想像も出来ないほどに爽やかな声色だった。
「まあ、一応」
「色々縁があってなあ、とりあえずここを守らしてもらってんだ。白金零、アンタがここに来るまで暇だったんだぜ?」
「あっうん。どうでもいいけど、さっさと勝負しよう」
「おっしゃ、そう来なくちゃな!」
エンキドゥが咆哮すると、アリーナを覆っていた氷が全て砕ける。
「正直寒くてしょうがなかったんだよ。でも王に凍ってた方が演出的に面白いって」
「ああ……」
露骨に聞き飽きた態度を取って、零は飛び上がり具足によるキックを叩き込む。噴き出す激流によって加速したキックはエンキドゥを後ろへ押し返す。
「ハッハァ!ハルベリルの力を感じるぜ……!」
エンキドゥは上体を起こし、ジャンプしつつ右前足を零を叩きつける。トンファーの冷気でエンキドゥのマウントを取り、細剣を投げつけ、刀で鎖を絶つ。すると全身を覆っていた鎖が解け、エンキドゥは黄金の輝きを放つ。左前足を床に叩きつけ、地面から刺のように張った鎖が無数に涌き出る。零はトンファーで滞空時間を稼いでそれを躱し、着地して一気に距離を詰め、刀の連撃で足を払い、崩れたところに激流の勢いを乗せたアッパーを叩き込んでアリーナの天井に激突させる。エンキドゥは床へ落下し、気絶する。張り付けたように、目は渦巻きになっていた。
「正直あなた、滑ってると思う」
そう言い残して、零はアリーナの一階の正面ドアから出ていく。次はライドエリアに向かい、観覧車の前で立ち止まる。動いていない観覧車の最高点に、大きな熊が立っていた。
「ハーッハッッハッハッハ!遂にここまで来たか白金零!かくごー!」
熊は暴れながら零を指差すが、零はため息をついてそっぽを向く。
「おい!ちょっと待って!無視せんといて!ここまで来ておいてスルーするとか時間が勿体ないとか思わんとか!?」
熊はわちゃわちゃ騒いでいる。
「(最悪この人を無視して無理矢理通るか……)」
零が完全に無視を決め込んで立ち去ろうとすると、熊は足を踏み外して落下し、零の目の前の地面に頭から突き刺さる。
「邪魔」
熊は勢いよく頭を引っこ抜き、思い出したように腕を組んで堂々と佇む。
「ふん、やっと戦う気になったか!俺はフンババ、このライドエリアの……」
余りにも堂々と自己紹介を続けていたため、零に氷漬けにされて、スペースユニバースの敷地外に投げ捨てられる。零はそのままスペースエリアへ向かう。アトラクションの前に、一体の巨大な虎が鎮座していた。
「来たか……白金零」
「……」
零は虎の前に立つ。
「我が名は光猛覇天獣 リベリオン・リベロ。このナラカを生み出した者の心を映す鏡、力の具現である」
リベロは徐に立ち上がる。
「来い、勝負はこれでやる」
二つのレーンが並列して作られているアトラクションにリベロは案内する。片方のレーンにはカートがあり、もう片方のレーンには何もなかった。
「これは」
「俺とお前でレースをする。相手を殺すか、先にゴールした方の勝ちだ」
「なるほど」
「所詮は人間の娯楽のために作られたものだ、そこまで長いコースではない。だが――気を抜けば一瞬で死ぬ」
零はカートに乗る。リベロも準備を終えると、ランプが赤から青に変わる。カートは自動で加速し、リベロは自分の足で走り出す。スタートしてすぐかなり急なカーブが来る。リベロがスピードを落とさずにカーブへ突入し、尾をしならせることで零の走路を妨害する。零はカートのアクセルペダルを氷漬けにして最高速を保たせ、籠手から水の塊を発射してリベロのレーンを破壊する。リベロは華麗に横回転しつつ飛んで走路を確保し、零はレーンを濡らして摩擦を減らし、スピードを更に上げていく。リベロはかなり速く、零との距離がみるみる内に離れていく。追い付けないと考えた零は、カートから飛び降り、正面から受け止め、そのままリベロよりも先のレーンへカートを投げ飛ばす。トンファーで加速して投げたカートに追い付き、着陸させつつ飛び乗って籠手の激流でカートを加速させる。リベロは口から光を吐き出し、零は氷壁で光を弾き、刀を掌底で飛ばし、氷の破片と共にリベロの視界を妨害する。リベロは加速するも、眼前に立っていた零の拳を真正面から食らう。そして零はカートへ飛び乗り、そのままゴールする。リベロも遅れてスタート地点に戻る。
「うむ。陽花里の下へ向かうがよい」
リベロはそれだけ告げて、消え去った。
光猛の血戦場・屍山
「やっと最後か」
零は中央に聳える山の門の前に立つと、四つの宝玉が光輝いて扉が開く。零は山道を登り、頂上につく。そこには、ガントレットを地面に突き立てて零を待ち構えていた陽花里がいた。
「ようこそ、白金ちゃん」
陽花里は柔和な笑顔を見せる。
「……。別に飾らなくていい。本物のあなたを見せて」
その一言で、陽花里から笑顔が消える。
「そう。なら、そうさせてもらう。私は貴様を討つ。杉原が貴様のことをどう思っているのかは知らないが、杉原には恩がある。私たちのバレー部を、取り戻してくれたし、力ある世界の理想もくれた。自分の意思で、自分の力で戦い続ける世界。苦しいかもしれない、次の瞬間には死んでいるかもしれない。けれど、その世界では生きているということをこの上なく実感できる」
ガントレットを両腕に一つずつマウントし、全身が虎を模したパワードスーツに包まれる。
「世界は変革する。我らChaos社の力で、貴様の血で、世界は有史以来の大進化を遂げる!意味のない偽善を振りかざす時代を終わらせ、個人と個人の闘争の世界を取り戻す!」
陽花里は雄叫びを上げ、ガントレットをぶつけ合って甲高い金属音を鳴らす。
「覚悟せよ、白金零!」
右のガントレットから巨大な光線が放たれる。零は躱すが、陽花里はしつこく銃口を補正する。背後の彼方に見える博物館がスライスされて崩落し、零は一気に接近してトンファーを打ち込む。陽花里は左のガントレットで攻撃を弾き、上部から光をブースターのように放って零をかち上げ、今度は光の玉を握りつぶして細い光線を拡散させる。零は刀で光線を弾き、具足で蹴りを放つ。陽花里はガントレットに光を充填して盾とし、更にガントレットの先端が指のように五本に分かれる。そのまま地面に突き刺し、溢れる輝きが噴出し、零は吹き飛ばされる。
「遅いッ!」
零が体勢を立て直すより速く、陽花里はパンチを重ねる。トンファーを交差させて防ぐが、そのガードを崩して腹に拳をめり込ませ、光を爆散させ、零の皮膚を焼き焦がす。零はガントレットを抱え込み、陽花里の頭を足で抱え込んで投げ飛ばす。両者呼吸を落ち着け、視線を交わす。
「あなたは極端な一般化をしているに過ぎない。人間の中には、戦いを好まない人もいる」
「いいや。貴様は現実を見ていないだけだ。人間は愚かだ。こんなことなら、猿に生まれていた方が余程幸せな程度にはな」
「少なくとも私は、戦いたくない。めんどくさいから」
「ふん、目の前の事実から目を背けて、背け続けて、その先に一体何が残る?貴様はその『めんどくさい』のお陰でここにいるのではないのか」
「さあ、知らない。私も所詮、誰かに流されるだけの一般人だから」
零の籠手と陽花里のガントレットが衝突する。
「ならば死ね。我々が欲するのは、貴様の細胞と血だけだ」
「あいにく、ヴァンパイアは趣味じゃないから」
零が腕を引っ込め、飛び上がって急降下し、地面から水を噴き出させて陽花里の視界を妨害する。そして零を探して頭を振っている陽花里へ、零は細剣を突き刺す。
「ごふっ……」
血を吐き、陽花里は崩れる。ガントレットを外して、思いっきり細剣を引き抜いて投げ捨てる。指を差し込み、光を放って傷口を焼く。
「ちっ……深追いはするなと言われているからな……」
そう呟き、陽花里は立ち上がる。
「貴様の勝ちにしといてやる。さっさと行け」
零は頷き、山を降りていく。零の背中が見えなくなると同時に、陽花里の下へ明人とトラツグミが現れる。
「ごめん、杉原……白金を仕留め損ねた」
陽花里の懺悔に、明人はゆっくり頷く。
「心配せんでいいよ。まだ黒崎さんもゆーちゃんも俺もおる。結審が終わるまでゆっくりしとって」
そう告げられ、陽花里は兵装を解除してその場に座り込む。
「俺たちはやることがある。そのために、ここにいるんだから」
明人はトラツグミに抱えられ、その場を去った。
光猛の血戦場
零が入り口まで戻ってくると、奈野花は立ち上がる。
「意外と遅かったわね」
開口一番、奈野花はそう言い放つ。
「ただ待ってる側としてはそうなんじゃない」
「うん、それじゃあ私のお願いを聞いてもらおうかな」
奈野花はわざとらしく咳払いをする。
「実はね、芦屋の海に次元門が開かれているの」
「次元門……?」
また出てきた意味不明なワードに、零は首を傾げる。
「某猫型ロボットの机の引き出しのようなものよ」
「ああ……」
なんとなく合点がいった零を見て、奈野花は話を進める。
「そこに巨大な物質エネルギーの出現を感知したの。解りやすく言えば、デカい建物が急に現れたの。芦屋の海上に浮かんでるんだけど、そこにこことは違う世界の、貴方のお母様が居るの」
「お母さんが?」
「まあ見た目が同じだけの他人だけれどね。この結審を妨害されると面倒だから、止めてほしいの」
「黒崎さんがやればいいんじゃないの」
「色々と事情があってね、私じゃ役不足なの。移動は私に任せていいから、お願い」
零はため息をつく。
「わかった」
奈野花はガッツポーズを取る。
「それならレッツラゴー!」
鎧を身に付けたまま指を鳴らすという、地味に人間離れした業を見せて、周囲が闇に包まれる。
芦屋海岸
「んん……」
零が目覚めると、そこは芦屋の海岸だった。確かに海上には、何やら巨大な物体が見える。そして海岸の方では、ホワイトライダーと奈野花がビーチバレーをしていた。――鎧のままで。零が起きたことに気付き、奈野花は近寄ってくる。
「あら、お目覚めね?波止場から中に入れるから、そこからどうぞ~」
緩い雰囲気でそう言うと、またビーチバレーに興じ始めた。
「今日の出来事だけで小説がかけそう」
零は立ち上がり、波止場から構造物の内部に侵入する。
月詠の帝都アタラクシア
内部は動力が落ちているのか真っ暗で、構造として空洞が多いのか、殆ど海水で満たされていた。
「下には……流石に誰もいないか。取り敢えず上に行こう」
零は広大かつ複雑な構造物内部を歩き回り、一際大きな扉に辿り着く。開こうとしても開かないため、零は横にあった螺旋階段で上へ昇る。そこは屋上であり、周囲の景色が一望できると共に、構造物の巨大さを把握できた。零が屋上を調べようと歩いていると、背後から気配がして振り返る。そこには明人とトラツグミが立っていた。
「よう、零さん。パーティーはまだ準備中やってん」
「確かにね。お母さんがどこにいるかも聞いていないし、そもそもこれがどういう建物なのかも聞いてないし」
「黒崎さんが言うには、異史とかいうところから流れ着いてきたやつなんやってさ。確か名前を……」
「アタラクシア」
明人が言い淀んでいると、トラツグミが助け船を出す。
「そうそう、アタラクシア。ま、そんなことはどうでも良くて……」
そして明人はしゃがみ、床に手を触れる。
「どうやらこいつを起動させなきゃ、ここから蜂美さんに退場してもらえないらしい。起動するのに必要なのは二つ。空の器と、氷水」
零はその言葉に反応する。
「そう、どうやら俺と零さんが鍵みたいなんちゃね。でも生憎、零さんは血でもなんでも力になるっちゃけど、俺は一人しかおらん。つまりどっちかがぶっ倒れなきゃいけないってわけなんよ!」
明人の手足に紫黒の輝きを放つ籠手と具足が装着される。
「ここで決着をつけるなんてね」
零の一言に、明人ははにかむ。
「まさに棚からぼたもちってなあ!」
明人は瞬間移動し、高空からキックを放つ。零は刀で弾き、宙返りしつつ具足で蹴り込む。明人は長剣に持ち替え急降下しつつ振り下ろす。具足と長剣がぶつかり合い、火花を散らす。明人は即座に着地し、すかさず長剣の突きを突進しつつ放つ。盾で凌ぎ、細剣と長剣がぶつかり合う。
「なぜあなたは結審を起こしたの」
「決まっとーやん、腐った世界を終わらせっとよ。二度と世界に、人間を生み出すなんて間違いを起こささんためにな!」
「なぜそこまで……杉原くんが言うような流されるだけの人間が居ることに、なんの問題がある」
「全部だよ。そういう人間は確かに、人間という生物が安定するまでは必要だったかもしらん。だけど人間は進化の極点に達した。もうこれ以上、人間は他者を犠牲にしても発達しない。破壊をもたらすだけだ。だったら、人間は一刻も早くこの世から消え去るべきだ」
「なるほど……ね!」
両者が弾き合い、離れる。
「どうして人間が進化しきったと言い切れるの」
「世界は安定しきった。確かに紛争や、社会問題や差別は残っているかもしれない。だけど、もう世界は宇宙を見据え始めた。それは道具に頼りきった、地球の生物としての限界を越えた所業だ。もう人間は、人間に抱えきれる限界を確実に越えたんだ。始源の存在じゃない、俺たちのような劣化人類は進化を終えた」
「仮にそれは本当だとしても、みんなの命をあなたが決めることも、人間に抱えきれないんじゃないの」
両者の籠手が衝突し、凄まじい衝撃波を起こす。
「まさにその通りだよ、零さん。でも誰かが全てを抱えなきゃならない。世界を終わらせるにしても、続けるにしても、それに相応しい力を持った誰かが全て背負わなきゃならない」
二人は手を掴み合って押し合う。
「あなたにその力があると?」
「いや。その力を持ってるのは君っちこと。俺がその力を持ってないけ、わざわざこんなことしよるんやん。力は、力を欲するもののところにあるべきやから」
勢いよく手を離してアッパーを零へぶつけ、脇腹へ蹴り込み、反撃で振られた刀を長剣で弾き返してそのまま腹を貫く。
「やけん、こうなる。より強い意思を持つものが、願いを果たす」
長剣を更に強く捩じ込む。
「俺は零さん、君が目標だった。何事もそつなくこなして、常にクールで、俺の理想だった」
勢いよく長剣を引き抜き、零は倒れる。
「血は手に入った。行くぞ、トラツグミ」
明人は淡々と告げ、二人で階段へ戻ろうとする。背後で零が起き上がりのを察して、走り寄って再び長剣で左胸を突き刺す。今度こそ動かなくなった零を置いて、二人は去っていった。しばらくして、零は立ち上がる。腹に空いた傷と、胸に空いた傷を眺め、そこから黒い瘴気が溢れているのを確認する。
「ラグナロク」
そう呟くと、零の体が竜化し、黒いコートのようなパーツで覆われた竜人へと変化する。零はすぐに竜化を解き、顔を綻ばせる。
「ちょっと戦うのが楽しくなってきたかも」
階段を降り、明人を猛追する。
アタラクシア・最下層
トラツグミが巨大な右腕を装着し、力任せに巨大な門を粉砕する。円形の祭壇が眼前に広がっており、その中央に窪みがある。明人はその前に立ち、長剣から零の血を滴らせ、籠手のパンチを窪みへぶつける。
「……」
「……」
明人もトラツグミも、窪みを見つめるが、しばらく経っても何も起きない。
「あれ?ぶっ壊れとーばい、これ」
「おかしいですね、剛太郎様より頂いた情報はそれだけですが……」
「血がもっといるとかかなあ?」
「困りましたね……白金零がここまで来るのをまた待つ必要があるかもしれませんね」
―――……―――
零は空洞に満たされた水の中を泳ぎ、最下層の壁に穴を開けてそこから入る。氷で穴を塞ぎ、奥へ進む。壊れた大扉を通り、円形の祭壇へ辿り着く。
「あっ零さん。やっほー」
明人がばつが悪そうに手を振る。
「いや誤算だったね。まさか起動しないなんて」
零はその一言に思わず吹き出す。
「人のことをあれだけぶっ刺しておきながらそれだけ笑えるなんて、ある意味才能」
「まあいいやん、生きとんやけ」
零はトンファーを構える。
「正直めんどくさい気分も拭えないけど……ぶん殴って止めさせてもらう」
明人は肩を竦める。
「ちょうどいい。零さんを死体ごとぶちこめばこれも動くに違いない」
先程と同じように籠手と具足を装備し、更に長剣を抜く。
「それなら決着をつけよう、そろそろ幕引きの時間だしね」
明人はストレートを構えて具足から蒸気を発して加速して拳を打ち込む。零は刀で弾き、抜刀しつつ突進する。明人は長剣の腹でガードし、上空へ瞬間移動し、急降下しつつキックを放つ。零は横に避け、細剣で突きを放つ。明人は左の籠手の蒸気で無理矢理体を動かして躱し、蒸気を発しつつ右の籠手で拳を放つ。零は左の籠手で弾き、至近で右の籠手から水の塊を放つ。明人は再び長剣でガードし、後方へ瞬間移動の後、長剣から衝撃波を放つ。零は盾で凌ぎ、トンファーの冷気で一気に距離を詰める。具足による高速キックを打ち込むが、明人は籠手で受けきり、両者の拳が衝突する。
「今の零さんじゃ、何回やっても俺に勝てなさそうやな」
「それは、どうかな?さっきだって決着はついてはない」
零は明人を吹き飛ばし、壁に叩きつける。黒い闘気を放って竜化し、巨大なナイフのような刃がついた槍を構え、明人目掛けて突進する。明人は必死の表情でその突進を躱し、零は避けられるのを察して踏みとどまる。
「マジかよそんなことできるのかよ!?」
「覚悟して。ここで仕留める」
眼前に佇む零に、明人は酷く困惑する。
「やっぱりあんたサイコーだぜ!やっぱあんたは俺の一歩先を歩いてなきゃな!」
零が勢いよく突っ込み、槍を縦横無尽に振るう。明人がすんでのところで長剣と籠手を駆使して防ぐが、反撃できずに消耗する。その戦いを脇で見ていたトラツグミが、ふと祭壇の中央がせり出ていることに気付く。
「明人様!アタラクシアのメインシステムが起動しております!」
「え!?どわぁ!」
その一言に気を取られた明人は零の一撃に吹き飛ばされる。そのまま、吹き飛んだ明人はトラツグミに受け止められる。零は竜化を解く。そして、凄まじい振動と共に、水が流れ落ちる音が聞こえ、祭壇の周囲の壁が格納されていく。
「うおおお!浮いてるぜ、トラツグミ!」
「はい、浮いております。恐らく、お二方の単純なパワーのぶつかり合いが与えられた起動用のエネルギーに作用し、そのシフルエネルギーを増幅させたのでしょう」
零は遠目で二人の気の抜けた微妙に噛み合っていない会話を見つつ、未だ姿を見せない母の存在に思考のリソースを割く。
「ところで杉原くん、私のお母さんがここにいるらしいのだけど、知ってる?」
「いや知らんけど」
「ああ……そう」
零のそっけない反応に明人は過剰に焦る。
「ちょちょちょ!ちょっと待って!ねえトラツグミ、ここに蜂美さんいるって本当?」
明人の焦りとは真逆に、トラツグミは淡々と答える。
「ええ、事前のブリーフィングで奈野花様より教えていただきました。ただ、アタラクシアの完全な起動を成さねば本体を誘き出せない。故に、こうして白金零を誘い込み、戦ったということです」
「ほーん」
明人は零へ向き直る。
「このアタラクシアが起動した以上、ここのどこかにいるらしいよ」
「わかった。じゃあ一緒に探して」
「え?」
「杉原くんもあの人が邪魔なんでしょ。なら戦力は少しでも多い方がいい」
突然の提案に明人は戸惑う。そこへトラツグミが耳打ちする。
「明人様、ここで白金を使わぬ手はございません。異史の白金蜂美はどうやら、剛太郎様より受け取っている悪魔化プログラムを持っているようですから、隙を見て奪えば、明人様の戦力の増強としてぴったりではありませんか?」
「確かに……」
明人は零に近づく。
「おっけ。今だけ共闘ね」
「じゃあ行こう」
「ういっす」
芦屋海岸
壊れかけの海の家の椅子で座って談笑していたホワイトライダーと奈野花は、浮き上がり、展開を始めたアタラクシアを見上げて感嘆の声を漏らす。
「いやーすごいですなあ、王よ」
「そりゃすごいでしょうね。アタラクシアは異史Chaos社が総力を結集して作り上げた天上の方舟……エンゲルバインに支配された哀れな女性の権力の象徴だもの。尤も、杉原はともかくとしても、零さんの力が無ければ起動しないって言うのはガラクタ一歩手前だけど」
二人は立ち上がり、それぞれの得物を手に取る。海上に展開され続けるアタラクシアから無数の兵士や兵器が落ちてくる。
「やれやれ、世話の焼ける兵器たちだわ」
「全くですな」
光の矢が蜂を模した装備のアタラクシアの兵士を一匹貫く。肉厚の人工脚でのっしのっしと歩み寄ってくる中型歩行戦車を奈野花がでこぴんで木っ端微塵にする。
「Chaos社の技術をすべて掠め取ったのだから当然だけど、金剛がいるとはね」
砕け散った金剛の破片を持ち上げ、まじまじと見つめる。
「フォルメタリア超合金ですなあ」
「そうね、ほぼシフルで構成されたフォルメタリア鋼をそのまま精錬できなかったから、これを保護材として劣化ウラン装甲と固定セラミック装甲とタングステン装甲を併せた変態装甲材。ただ脚はがちがちに固めるわけにもいかないから脆い……まあ、現代の戦場ならネックだったでしょうね」
奈野花が装甲を放り投げる。凄まじい重量のそれは、砂浜に深々と突き刺さる。
「あの二人が帰ってくるまでは、遊ばせてもらいましょ」
余裕の表情で、奈野花はホワイトライダーを見る。
「やれやれ、我らの目的のためとはいえ、雑魚狩りとは」
アタラクシア
三人が上層へ戻ってくると、内部は侵入したときとは異なり、凄まじい広大さを持つ空中要塞へと変貌している。
「トラツグミ、敵はどれくらいいる?」
三人は柱に隠れて様子を窺っていた。トラツグミはゴーグルを掛け、柱越しに敵を見る。
「一分隊がいますね。装備はアサルトライフルに高周波ブレード、中央前方に隊長クラス、左右に三人ずついます」
零が頷く。
「ぶん殴って進もう」
明人が止めに入る。
「ちょ、今トラツグミに見てもらったのに。こういうときはステルスアクションした方がいいって!」
「私たちを見たやつ全員に眠ってもらえば完全ステルスよ」
「そんな無茶な!?」
零は飛び出す。
「ああもう、トラツグミ、やるぞ!」
明人とトラツグミも柱から出る。トラツグミは右腕からワイヤーを飛ばして蜂を模したカラーリングがなされた装備を身に付けた兵士を一人引きずり上げ、右手で頭を掴む。前腕部から展開された無数の針が兵士を滅多刺しにし、トラツグミは兵士を投げ捨てる。明人が長剣で兵士を一人串刺しにして、そのまま長剣を振り回して兵士を蹴散らし、トラツグミと二人で一人ずつ兵士に止めを刺していく。零が隊長クラスの兵士を籠手で瞬殺する。ものの数秒で敵は全員絶命し、明人が一息つく。
「ったく、無茶するよ……」
零は明人を気にすることなく、扉を開いて先に進む。
「トラツグミ、ここはアタラクシアのどの辺?」
明人はトラツグミに問う。
「下層の外部船舶発着場のようです。白金蜂美やアタラクシアのコアはもっと上部に集中しています。アタラクシアの正式な名前は『Chaos社製セレスティアル・アーク級空中要塞二番艦アタラクシア』でございますから、その名の通り、空中に浮かぶ要塞という、激しい視界占有率を誇る兵器です」
「これを放置したら確実に今後の作戦に支障が出るもんな。出来れば若松くらいに落としておきたいところだけど」
「今は白金様の進む道に合わせましょう」
「そうやね」
先に進んでいる零に追い付くため、二人は駆ける。零は通路の曲がり角で立ち止まっていた。零の目の前には、無数の赤い線が張り巡らされていた。
「これは?」
明人が零に聞くと、零はゆっくりと視線を合わせる。
「なんかヤバそうだからトラツグミさんを待ってた」
トラツグミは赤い線を見て、頷く。
「アクティブIRセンサーというものでしょう。赤外線による動体感知システムです」
「だってさ」
明人が振り返ると零は先へ走っていた。当然センサーに引っ掛かり、アラートと共に内部が赤い緊急灯の光で覆われる。
「マジで全員ぶっ倒す気かよ」
明人とトラツグミは背後から来た兵士を蹴散らし、正面で大立ち回りを披露している零の下へ駆ける。零は設備や壁を破壊するほどの勢いで氷柱や水塊を敵に叩きつけ、文字通りの蹂躙を見せつける。
「これ俺ら要らないでしょ」
明人は討ち溢した残党を籠手で撲殺しつつ零の下へ辿り着く。
「今全員片付けておいた方が後で邪魔されなくて済む」
「確かに言えてるけどさ……」
三人が暴れまわり、ようやく敵の波が収まる。
「トラツグミさん、ここからどこに行けばいいと思う」
零が尋ねる。
「この先にブリッジへ繋がる長い通路へのエレベーターがあります。間違いなく迎撃設備が用意されているでしょうが、ここまで暴れたら隠れる意味もないかと」
トラツグミが答える。
「それで良さそう。行こう」
三人はアラートが鳴り響く中を突き進んでいく。
アタラクシア上部・大聖道
エレベーターから降りると、そこは一つの飛行物体の内部とは思えぬ、宮殿への長い一本道のような通路があった。三人が通路を歩いていると、前後から一体ずつ、蒼龍が現れる。
「来須さんの……」
零の反応に、トラツグミが続く。
「確かアタラクシアには、蒼龍が八体配備されていたはずです。後で地上の敵の処理もしなければなりませんね」
明人が籠手を構える。
「ぶっ壊して進むしかねえだろ」
明人を捕捉した蒼龍はフェイスプレートを展開し、プラズマビームを照射する。明人は素早く跳躍し、右のヒレのバルカン部分に立ち、蒸気で加速させた踵落としでヒレを切断する。ヒレはそのまま落下し、海へ落ちる。蒼龍は明人を啄もうとプレートをまた開くが、トラツグミの換装された右腕の剣を刺され、大きく仰け反る。更に額に長剣を刺され、明人に力任せに背中から開かれ、爆発しつつ落下していった。一方零は蒼龍の踏みつけを籠手で弾き、崩れたところに刀を抜刀し、蒼龍を両断する。
「流石に仕事が早い。流石は零さん」
明人が長剣を消しつつ零へ近付く。零は正面にある巨大な門を見据える。
芦屋海岸
六体の蒼龍が瞬時に粉砕され、ようやくアタラクシアから降下する兵士は居なくなった。ホワイトライダーが奈野花の方を向く。
「どうやら白金が王の間まで辿り着いたようですな」
「あそこには誰を置いていたっけ」
「ブラックライダーです」
「ああ、なら安心ね。そろそろ福岡に帰りましょうか」
二人はジャンプで空を飛んで消えた。
アタラクシア・王の間
三人が巨大な通路の前に立つと、その横に黒い鎧の骸骨騎士と小刀を持った少年が現れる。
「お初にお目にかかる、僕はヤジュル。四聖典の一人です」
ヤジュルは会釈する。
「私は……ブラックライダー……」
黒い鎧の骸骨騎士が礼をする。
「僕からは、白金蜂美についてお話しさせていただきます。白金蜂美はご存じの通り、白金零、あなたの母親です。この世界でも、異史でも。エンゲルバインと呼ばれる始源の存在によって操られ、あなたと杉原明人を手中にするための駒とされています。本人が元々持っていた性質なのか、非常に傲慢で、例えあなたと対峙したとしても、間違いなくあなたを犠牲にするでしょう」
零は答える。
「そうだったとしても、元の地球に戻るには倒すしかない。何も躊躇うことはない。肉親であっても、必要なら殺すしかない」
「そうですか。ですが、白金蜂美は、間接的ではありますが真滅王龍ヴァナ・ファキナの復活にも関わっています」
ヤジュルのその一言に、明人が不快感を露にする。
「真滅王龍……?」
零がその疑問をヤジュルに投げ掛けようとしたとき、二人の間に明人が割って入る。
「まあまあ、蜂美さんについてちょっとでも知れただけいいじゃん、進もうや」
明人はヤジュルに刺すような視線を向ける。ヤジュルはその背後に溢れる邪悪な気配を察知して、即座に身を引く。
「白金零、くれぐれもあなたの母上には注意するように。この戦いが終わったら、一度自分の家に戻ってみることをおすすめします」
ヤジュルはブラックライダーに抱えられ、飛び去っていった。
「先に行こうぜ、零さん」
明人に言われるまでもなく、零は扉を押し開く。広大な空間には、一つの玉座、一人の女性、そして両脇で向かい合っている騎士が二人いた。
「エリアルはどこにいるかと聞いているんだ!」
金色の鎧に身を包んだ騎士が、青い鎧の騎士を怒鳴り付ける。
「知らん。だいたい、いくら俺たちに余裕が無かったからとはいえ、結審に乱入するなど正気とは思えん!」
中央の女性は、二人の騎士の言い争いを余裕の表情で聞いていた。三人が近づいてきてしばらくの後、ようやく騎士たちは三人を認識する。
「ベルガ、話は後だ。零と空の器が来た」
青い鎧の騎士がハンドガン型のガンブレードを腰から引き抜く。
「仕方あるまい。ゼル、貴様はどうやればバロンからエリアルを引き離せるか考えてろ」
ベルガと呼ばれた黄金の騎士は、金色の巨大な双剣を構える。零を制し、明人とトラツグミが前に出る。
「俺たちがこいつらの相手をする。零さんは蜂美さんの相手を」
零は頷き、正面を進む。
「異世界から遠路はるばるご苦労だが、あいにく今は結審の真っ最中でね。悪いけど、消えてもらうわ」
明人は力み、赤黒く丸い体に、先端に凶悪な口の付いた四本の腕を生やした醜悪な怪物の姿へ変貌する。トラツグミは剣の右腕を外し、三本のミニガンを連結した荒唐無稽な兵器を右腕に取り付ける。ベルガが明人と対峙する。
「覚悟しろ、空の器。我が名はベルガ・エウレカ。バロン・エウレカの兄であり、蜂美に仕える誇り高き騎士である」
「ふん、せいぜい足掻けよ、おっさん!」
二人が激突するのを傍目に見て、ゼルとトラツグミは視線を交わす。
「いいのかよ、あいつはあんたのご主人様だろ?ベルガと戦ってただで済むとは思えんがね」
「本当にそう思っているのなら、貴方様は明人様の、空の器の力の強大さを知らない」
「えらい自信だな」
ガンブレードの刃を肩に乗せたのと同時に、二人の間をベルガが吹き飛んでいく。双剣が床に落ちる甲高い音と共に、ベルガが呟く。
「なんだ、この力は……!」
明人は重い歩行音を散らかして、のっしのっしとベルガへ近付く。
「円卓の騎士風情が調子に乗るなよな!忠義に篤かろうがどうだろうが……力が無ければただの猿以下なんだよォ!」
明人の体の装甲が開き、腕と同じような触手が五本現れる。
「消えてなくなりやがれ!」
腕と触手がバチバチと放電し、凄まじい出力の電撃をベルガへ叩き込む。ゼルとトラツグミは瞬時に飛び退き、お互いの得物を向け合う。雷はベルガを焼き尽くし、そして絶命させる。触手は嬉々としてベルガを鎧ごと喰らい、明人は元の姿に戻る。
「あーあ。俺はゼル・エウレカ。今死んだやつとバロンってやつの弟ってワケだが、降参だ。戦う気が失せちまった。喰われるなんてごめんだぜ」
ゼルはガンブレードを納め、その場に座り込む。
「明人様、この者は私が監視しておきます。白金様の救援を」
トラツグミの言葉に明人は頷き、前へ進む。玉座の近くでは、零と女性が向かい合っていた。
「よくぞ我のところまで戻ってきた。抜き身の剣は元の鞘に戻るということか……」
零はその言葉を遮るように細剣を向ける。
「残念だけど、そうはいかない。そちらにも事情はあるんだろうけど、私は他にやることがある。母さん、面倒だからさっさと死んで」
蜂美は笑い、玉座から立ち上がる。
「愚かな娘だ。大人しく我の王国の礎となれば良いものを」
「愚かで結構。目的に向かう人間は、誰でも端から見れば愚鈍に他ならない」
「まあよい。最後に我の手の中におればよいだけのこと」
蜂美は左手の甲に記された痣を見せる。その痣は輝きを放ち、そこから電子回路のように光が体を覆う。
「デッドリーホーネルダンスよ、我に力を!」
そして蜂美は手足の生えた巨大な蜂となる。
「平伏せ、跪け、服従せよ!」
零は苦笑しトンファーを構える。
「いくら母親が相手とはいえ、言わせてもらうわ。そのセリフはダサいし、どれも嫌い」
「同感だね」
明人が零の横に立つ。
「もう終わったの」
「うん、ほら」
黄金の双剣を手元に生み出し、零に見せる。
「じゃ、二人で倒そうか」
「おっ、初めての共同作業だね!?そう来なくっちゃ!」
明人が長剣を、零がトンファーを蜂美へ向ける。
「「ダブルダウン!」」
ノリノリで言い放ち、明人は吹き出す。
「これ俺らの方がダサくない?」
「ダサいくらいでいい」
痺れを切らした蜂美が、双剣を持って二人へ切りかかる。まずは明人を狙った突進は、明人が長剣での突きを合わせることで弾かれ、それでも蜂美は続く零の攻撃を弾く。更に鋭く立て続けの刺突を放つも、零は籠手でガードしきる。蜂美は幻影を放ちつつ瞬時に後退し、杖に持ち替え電撃を放つ。
「あやーっ!」
マイクを手元に召喚した明人がシャウトし、その電撃を打ち消す。そして、零のトンファーと蜂美の剣がぶつかる。
「お主はそこまで阿呆なのか?」
「さて、誰のことを言っているのやら」
零は剣を弾き、具足の踵落としで蜂美を叩き落とす。床へめり込んだ蜂美へ、明人が籠手で追撃する。蜂美はすぐに起き上がり、素早い突きで明人を吹き飛ばす。後方から飛んでくる零の攻撃を軽く受け止め、蜂美は鋭く切り返す。
「遅いな、小童ども」
明人が起き上がりつつ、煽るように笑う。
「おほほぉ、だってよ零さん。こういう年寄りにはなりたくねえもんだな」
零が苦笑する。
「私の本物の母さんはもっと優しくて謙虚だから。ところで、こうやって二人で力を分散させても意味ないと思わない?」
「なるほどね、じゃあこうしよう!」
明人は飛び上がり、零が空中で受け止める。零の手元で明人は光に包まれ、短剣になる。
「痩せたの?」
「やったぁ!贅肉が落ちたぜ!ってそういうことじゃない!使い方だいたいわかるっしょ?」
短剣を通じて零の脳内に明人の声が響く。零は迷わず短剣を胸元に刺し、力が噴出する。
「時は今ここに往生し、我が意思の放つままに打ち消えし。巡り巡る糸の果て、儚き夢幻を薄重ね、全ての因果を我が下へ!我が名、〝寂滅〟!」
力の渦を引き裂いて、巨大な蒼白の竜人が現れる。
「ゆゆうじょうぱぱわー!」
明人が叫ぶ。
「黙ってて」
零はそう告げ、蜂美を指差す。
「母さん、ここがあなたの墓標」
蜂美は呆れたように鼻で笑う。
「何をするかと思えば……所詮はただの子供、その程度が限界だろう」
「母さん……いや、エンゲルバイン。あなたは私や空の器が欲しいのに、その力は侮るの?」
「侮るも何も、その力を最も上手く操れるのは我以外におらぬわ。故に、我がお主らに負ける道理はない」
「ま、やってみればわかる」
蜂美が杖に持ち替え、それで床を叩くと結晶の波が寂滅へ飛ぶ。寂滅は腕を軽く振るってそれを砕き、同時に氷の波で蜂美を吹き飛ばす。蜂美は柱に叩きつけられ、悪魔化が解ける。
「バカな……」
「異史と正史で同じ人間だろうと、過ごしてきた人生は違う。その強さもまた違う。一人として同じ存在はいない」
蜂美は零の言葉を強く否定するように、床を殴り付けて立ち上がる。
「愚か者がァ!」
ヒステリックに叫び上げ、殴り付けられた床は粉々に砕ける。
「もういい、お主らを手に入れてから全てを成すつもりだったが気が変わった。この結審ごと、地球を飲み込んでくれるわ!」
蜂美は玉座を素手で粉砕して飛び降りる。寂滅は変身を解き、二人は玉座の向こうを覗き込む。海へ落下していく蜂美は、巨大な蔦に巻き取られ、見えなくなる。海面から湧き出た蔦は凄まじい速度で増えていき、海面に大きな次元の穴が空く。
「トラツグミ!」
明人の声に応じてトラツグミはゼルの襟元を掴んで明人の傍に寄る。
「間違いありません、あれがアタラクシアを召喚した次元門です!」
零はゼルへ視線を向ける。
「ゼルくん、あなたは何か知らない?」
ゼルはため息をつく。
「アンウィーレルドだな、ありゃ。異史でもあの人は一回やったことがある、地球全ての養分を自らに取り込んで、地球そのものになるって言うアホみたいなことをな。まあ安心しな、ここが異界化してる影響で正史の地球には関係ないからな」
ゼルの言葉に、明人が続く。
「じゃああの蔦はどこからエネルギーを吸収して動いてんだよ」
「恐らくだが、アタラクシアそのものにアンウィーレルドの一部を用意してたんだろう。それを解凍して、今自分と一体化させて活性化する。ZIPファイルみたいな感じだ」
「微妙に分かりにくい例えだな……」
巨大化していく蔦から、蜂美の怨嗟の声が轟く。
「全て我のものだ!バロンも、空の器も、何もかも!」
蔦の先端から超巨大な蕾が生まれ、それが開いて絢爛な花となる。
「はぁ、めんどくせえ。結局こうなるのか」
ゼルがため息をつきつつトラツグミの手を払う。
「一言に異史って言ってもな、正史以外の全ての時間軸は異史だ。色々あるのさ……」
蒼い粒子に包まれ、ゼルは蒼銀の竜へと変身する。そして空へ飛ぶ。
「俺は適当にこいつに攻撃する。あんたらも好きにやれよ」
アンウィーレルドへ突進し、華麗に舞いながら光弾を次々と叩きつけていく。
「どうするよ、あのデカさだと弱点があったとしても狙うのは容易じゃないぜ」
明人が零を見る。
「明人くんは何か手があるの?」
「ん?まあ俺はあるよ。零さんとの戦いのためにとっておきのやつが」
「じゃあそれ使って」
「人の話聞いて?とっておきって言うとるやん」
「とっておきを使うタイミング来ないかもしれないじゃん」
花から放たれた光弾が零たちの足場に着弾し、三人は宙を舞う。
「ほらね」
「わかりました」
明人は意を決し、紫色の光に包まれる。
「濁沼に渦巻く混沌を我が身に宿し、無の波濤、無限の潮騒に無垢なる心を捧げよ。我が名、〝無謬〟!」
紫の光を打ち破り、巨大な黒紫の竜人が現れる。零も同時に竜化し、お互い空中に停滞する。
「俺思うんだけどさ……」
「何。早く言って」
「たぶんあの程度の観葉植物とか相手にならないと思うよ」
アンウィーレルドから放たれた二本の巨大で鋭利な蔦を、無謬は掌を翳すだけで止める。
「無は無限の力。シフルをそのまま扱えないあの体じゃ、俺たちをどうにかしようって方がイカれてるよ」
無謬は続いてアタラクシアの端を掴み、豪快にアンウィーレルドにぶん投げる。アンウィーレルドは花を閉じてガードするが、無謬は続いて透明な玉をアタラクシアへ撃つ。それを受けたアタラクシアは、粉々になりつつも永遠に花に激突し続ける。無謬は花びらの重なりあった隙間に両腕を捻り込み、花びらを二枚引き千切る。
「おのれ空の器!なぜお主にそんな力がある!」
「わかるだろ、エンゲルバイン!あんたを上回る力を誰かからもらってるってわけ!」
無謬は両手から暗黒の波動を放ち、アンウィーレルドを怯ませる。
「この力、お主ヴァナ・ファキナの力を!」
「気づいたみてえだな!でももう終わりだぜ!行け零さん!」
無謬が花の中央に座す悪魔化した蜂美をぶん殴り、続く零の槍で蜂美は刺し貫かれる。
「うぐぅっ!?零……貴ィ様ァァァァァァァ!」
「さよなら、お母さん。悪いけど、異史のあなたには微塵も未練がないわ」
喚く蜂美を十字に切り裂き、アンウィーレルドは崩壊を始める。先程無謬が放り投げたアタラクシアは自力で制御を取り戻し、浮かんでいる。零と無謬とトラツグミとゼルは元の王の間に着地し、トラツグミ以外の三人は竜化を解く。
「これでいいの、杉原くん」
零が明人へ尋ねる。
「いや、まだ。次元門を閉じないと」
二人の会話に、ゼルが割って入る。
「それは俺に任せてくれ。元々白金蜂美を止めるためにここにいたわけだしな」
ゼルはガンブレードを肩に乗せる。
「なあトラツグミ、信用していいと思う?」
「いえ、全く。この者に頼らずとも我々でも封鎖できますので、頼る必要はまるでございませんね」
「だってさ、零さん」
明人は零の方を見る。
「ゼルくんがこの世界にいることも余り良くないんじゃないの」
零のその言葉に、ゼルは口角を上げる。
「やっぱそうなるだろうな。確かに歩んできた人生は違っても、根に深く張った元々の性格ってのは変わらないもんだ」
ゼルは竜化しつつ次元門へ飛び去っていった。
「行っちまった。俺らも帰るか。零さん、アタラクシアの浮力は次元門から供給されてる。あいつが次元門を閉じたらこれは落下する。早めに脱出した方がいいぜ」
明人はトラツグミにお姫様のように抱き抱えられ、トラツグミは零を見る。
「今回は共闘しましたが、基本的に私は貴方様のことが嫌いです。次に会う時は敵……明人様の邪魔をするのであれば容赦いたしません」
そう告げると、流麗に飛び降りて去っていった。
「一旦家に戻ろう……」
零は踵を返して去っていった。
芦屋海岸
零が砂浜を歩いていると、アタラクシアが落下を始めた。
「終わったようね……」
轟音を立ててアタラクシアが海へ落ちると共に、巨大な波が起こって零を飲み込もうと迫る。が、波はぶつかる前に凍る。
「自然現象はこれだから……何も考えずに突っ込んできてもこうなるだけでしょう」
呆れ気味にため息をひとつつくと、零はそのまま去っていった。
自宅
零は自分の家の玄関の扉を開き、中へ入る。家の中は当然ながら何の変化もなく、今朝のままだ。ゴミ箱の中には菓子パンの包装しかない。
「母さんの部屋に行こう」
零は階段を上がり、リビングを経由して両親の寝室へ入る。適当に引き出しを漁っていると、鍵のかかった手帳を発見する。
「鍵……は今の私ならぶっ壊せるか」
鍵を素手で引き千切ると、パラパラと捲って内容を確認していく。大半のページは日々の出来事や買い物のメモだが、あるページが目につく。
「『最近は疲れなのか、幻聴がよく聞こえる。仕事の時や家族で過ごしているときは大丈夫だけど……帰る途中や、家事をしてるときは頻繁に聞こえる』。この声の主がエンゲルバインってことかな」
零はなおもページを読み進め、最後のページに辿り着く。
「『今朝起きてから、時計が全く進まない。空も曇ったままで、しかも陣原の方に大きな城が見える。声が』。ふむ、ここから先は読めない……ありがちだけど、状況から察するに今朝、母さんはエンゲルバインに乗っ取られたと。でも私がさっき倒したのが異史の母さんなら、正史の、この世界の母さんはどこに?」
零は手帳を投げ捨て、リビングの戸棚を漁り、スナック菓子を食べて、家を出る。
虚空の森林
零は玄関を出ると、鉛色の空を見上げる。
「残ったのは穴井くんと、黒崎さんだけ……穴井くんは折尾の地下墓地にいるってことだけど……まあいい、手当たり次第に探してみよう」
零が折那の町を歩き回っていると、プールの横の公園に大穴が空いているのを発見する。零は穴を覗き込む。
「底は見えない……」
零は躊躇いなく穴に飛び込む。
異元の雷迅庫
落下を終えると、そこは前情報通りの石でできた巨大な墓所だった。
「墓、ねえ。こんな大きな墓に埋葬される人って、どれだけお金持ちだったのやら」
苔むした扉を開き、墓所の内部へ入っていく。意外にも内部は現代的な白い無機質な空間が広がっており、画一的な、変化の無い通路が延々と広がっている。と、入り口で立っていた零へ、一人の少年が近寄ってくる。四聖典に劣らぬ容姿の美少年だ。
「穴井くん」
零がそう呼ぶと、少年は視線を合わせる。
「よく来た、白金零。お前がここまで来るのを待っていた」
「私を結審で倒すため?」
「いいや、そうじゃない。お前に明人を倒してほしいんだ」
「ん?どういうこと」
「Chaos社も一枚岩じゃない。僕はこの世界がつまらないと言うことには同感だが、全て滅ぼすほど絶望してもいない。僕はこの結審を奪い取り、この世界と他の世界を融合させ、一つの複合世界を作り上げる」
「それなら、私じゃなくて穴井くんが直接杉原くんを倒せばいい」
「バカを言うな。明人に負けるつもりはないが、明人に取りついているものは俺たちのようなただの人間では歯が立たん」
穴井は踵を返す。
「ついてこい」
零は仕方なく、穴井の後をついていく。しばらく歩き、巨大なゲートを開くと、格納庫に辿り着く。黒いボディスーツに身を包んだ兵士たちが複数配置されており、アサルトライフルを持って哨戒に当たっていた。穴井が一台のジープの荷台に座り、零も座るように促す。零が荷台に乗ると、ジープは走り出す。
「さて、さっきの話の続きだが……明人は空の器……力を求めるやつには、喉から手が出るほど欲しい〝道具〟なんだ。この世界の結審において、やつに力を注ぎ、先手を打ったのは、異史の最後の仇敵、〝真滅王龍ヴァナ・ファキナ〟だ。ヴァナ・ファキナは異史の最後に、バロンと相討ちになって粉々になった。だが、ヴァナ・ファキナは核としていたアルバ・コルンツを切り離し、ボロボロになりつつも次元門を越えて明人に憑依した。この結審は、あくまでもヴァナ・ファキナが僕たちを体よく利用して復活しようとしているに過ぎない。明人が結審を成してしまったら、この世界は異史と同じ運命を辿ることになる」
ジープは先程までの無機質な空間ではなく、最初の墓所と同じ意匠の道を進んでいく。
「そのヴァナ・ファキナについてはよくわかった。でも、あなたの言ってることは、ただあなたが望み通りの世界を作って、支配するだけのことに聞こえる」
「まあ聞け。ヴァナ・ファキナは欲深い。明人には無限に力を注ぎ込める。倒した敵を片っ端から明人へ吸収させ、その子種を撒き、生まれた子供を更に明人に取り込ませて、無尽蔵に肥大化させていくはずだ。そんなことになったら、正史だけではない、異史も、他の世界を取り込んで、全てをヴァナ・ファキナが支配することになる」
零は呆れ気味にため息をつく。
「杉原くんを倒せないならその心配をする必要もない。この結審に選ばれたのなら、力で自分の望みを叶えるしかない。第一、杉原くんに勝てないのに、杉原くんに勝てる見込みがある私を倒せるの?」
「未来のために自害してもらう」
「それならダメ。どうにも賛同できないから」
「そうか……残念だ」
ジープが止まる。周囲から無数の兵士が現れ、穴井は飛び去っていく。
「死ね」
穴井がそう吐き捨てると、兵士は一斉に零へアサルトライフルを発射し、零は全方位に氷の壁を生み出して銃弾を受け止める。そのまま激流を放ち、受け止めた銃弾を跳ね返して兵士を仕留める。前から来た増援にジープを放り投げ、刀で銃弾を弾き返しつつ接近し、激流で兵士を全て上空へ打ち上げる。空中でキックを兵士へぶつけ、全員の死体がボトボトと石床に落ちる。
「何はともあれ、結審を終わらせる」
墓所の道を進み、また大きな門を開ける。今度は古めかしい書庫に繋がっており、薄暗く、可動式の書架で視界も悪かった。
「いいね、読書は好き」
零は書架の迷路を進み、穴井の後ろ姿を発見する。
「結審は最後の一人が残らなければならない」
穴井はその声に振り向く。
「ちっ、もう追い付いてきたか……」
零の追跡を逃れるように書架の迷路に逃げ込むのと同時に、書庫の中に霧が充満し始める。
「……。何か毒が含まれている、というわけではないみたいだけど……」
と、零はとっさに背後に気配を感じて振り返る。が、そこには誰もいない。
「……」
何もない空間へ向けて零は籠手でアッパーを合わせる。霧の中に僅かに輪郭が浮かび上がり、白い人工血液が吹き出る。
「目に見えない程度では死角を突くなんて無理」
四方から襲ってくる透明な敵を、正確無比な一撃で粉砕していく。七体目を粉砕したところで、更に霧が濃くなる。書架が薙ぎ倒され、首筋に釘の突き刺さった巨漢が現れる。血染めの破れたボディスーツを身に纏っており、エンジンの内蔵された巨大なバトルアックスを持っていた。
「れぇい……」
零を見つけて猛る巨漢は、ひび割れた地面のような肌に霧を取り込み潤わせていく。
「なるほど、この霧で水分補給と」
零は冷気を散らして霧を凝縮させるが、霧はなおも濃く残る。
「とりあえず倒してから霧をどうにかするか……」
素早く裏拳を顔面へ叩き込み、代わる代わる連続キックで後退させ、鞘で足を払い、籠手で何度も殴り、殴り倒して床にめり込ませる。
「変身できるようになってからパワーも上がったし疲れなくなった。便利」
巨漢は零に与えられた衝撃で上半身を中心に歪んでいたが、平然と起き上がる。その度に零に殴られ、床にめり込む。
「霧の供給を絶たねば……」
零はその場を離れ、霧の中を歩き回る。姿が見えない敵の攻撃をカウンターで粉砕しつつ突き進んでいると、書架の迷路の先に明らかにその場に不釣り合いな装置があった。その装置は中央にガラスの培養槽があり、更にその上に霧が詰まった球体があった。零は徐に拳を叩きつける。そして急激に力を込めて殴り付ける。装置はびくともしない。
「……」
装置の下の方を見ると、五本の穴が空いていた。零は合点がいき、追い付いてきた巨漢を張り倒し、四肢を凍らせて封じてから首の釘を引き抜き、装置に突き刺す。すると培養槽に雷が蓄積される。
「律儀に仕掛けを解くのは楽でいい」
薙ぎ倒した敵の死体から釘を回収し、装置に突き刺す。蓄積された雷が球体へ解き放たれ、辺りの霧が消え失せる。姿の見えない敵は姿がくっきりと現れ、巨漢は表皮がパサパサになって息絶える。
「じゃあ、行こうか」
穴井を見かけた場所まで戻り、その通路の先へ進む。長い廊下を進む。辿り着いた行き止まりの扉を開くと、巨大な円形のエレベーターシャフトに出る。中央の柱に備えられたコンソールを適当に操作し、零はコンソールの画面を籠手で殴り付ける。液晶が破損し、スパークする。
「全く……マニュアルくらい付けておいてよ」
零は踵を返し、振り返りつつ刀を抜刀してストッパーを切り裂き、エレベーターを急降下させる。しばらく落下した後床に激突し、エレベーターは粉々になる。
「柔な機械」
シャフトの出口のドアを蹴り飛ばし、先へ進む。短い通路を進み終わって、分厚い扉を押し開くと、そこは劇場だった。舞台の上には、古城を模したセットが用意されていた。穴井は、古城のセットの城壁の上に立っている。
「愚者だらけの舞台に出たから泣くってこと?」
零はそう言いながら階段を降りて舞台のかぶり付きまで歩く。
「シェイクスピアか。下らない。僕は穴井悠雷でもあるけど、元々はガウェイン、円卓の騎士だ」
「なる。噂に名高い本物の騎士様とは」
「僕は平和な世界を願った。九竜とモルドレッドのせいでアヴァロンが滅びてから、僕はずっとそう願い続けてきた」
零は舞台に上がる。
「まだ今なら間に合う。明人のせいで大勢が犠牲になる前に、明人だけを犠牲にすれば全てが上手く行くんだ」
「残念だけど、私にはどうもね。あなたが物事の全貌を把握できているとは到底思えない」
「何?」
「私にはよくわからないけど、とにかくあなたの考えに賛同するつもりはない」
穴井は呆れたように首を横に振り、緋色の鎧に全身を包む。そして白い大剣を引き抜く。そして零の眼前に飛び降りる。
「残念だよ、本当に。やはり当事者でなければ、危機感と言うものは生まれないと言うことか」
「それは同感。百聞は一見に如かずとよく言うし」
細剣と大剣がぶつかる。零は具足の連続キックを大剣へぶつけ、素早く踵落としを重ね、更に二連キックでガードを崩し、水を噴出させつつのストレートで穴井を吹き飛ばす。穴井は右手から雷を放ち、頭上の装置を起動させる。太陽の光のような暖かい光の照明が点灯する。穴井は突進し、勢いよく大剣を振り抜く。先程とはスピードもパワーも格段に向上しており、零はギリギリで切っ先を躱す。
「(あの照明か……)」
零はトンファーを床に叩きつけて氷柱を召喚し、照明を破壊する。
「なるほど、ガウェインは太陽の騎士。永遠に曇ってる結審では全力が出ないと言うことね」
「……。くっ……」
両者はしばし沈黙する。零は籠手と具足を消す。
「これ以上用がないなら敗けを認めて」
穴井は自分の手を見る。そして零へ視線を向け、大剣を投げて寄越す。
「くれてやる。僕は力を蓄えてから明人を止める」
穴井は舞台の裏へ消えていった。大剣は零の手元で杖に変わり、体内へ吸収された。そこへ、青白い鎧の骸骨騎士と本を持った少年が現れる。
「四聖典と、四騎士?」
零は先に声を出す。
「その通り、僕がアタルヴァ、彼がペイルライダー」
ペイルライダーが頭を垂れる。そして姿勢を戻し、口を開く。
「白金零。私からは、円卓の騎士について話すとしよう」
アタルヴァが零を客席へ案内し、ペイルライダーが一人で舞台を動き回る。
「時は原初世界。この一世界がその時の歩みを始めたときの話。世界は、多くの隔絶された文化圏で構成されており、ブリテンと呼ばれる場所には、騎士という称号があった。その中でも強力かつ仁義の心を持った優秀な騎士たちを円卓の騎士と呼んだ。円卓の騎士はアヴァロンと呼ばれる異界を守るための組織だったが、ある日。その異界の力を手にしようとしたランスロットによって、円卓を束ねる王であるアーサーとその妻ギネヴィアは九竜・黄泉《よもつ》の贄とされ、円卓の騎士でありながらブリテンに不満を持っていたモルドレッドが、その黄泉の力を使ってアヴァロンの力を全て自分のものにした。かくしてブリテンは死者の屯する亡国となり、ある意味では永遠の繁栄を手に入れた。生き残ったのはライオネル、ランスロット、モルドレッドそして、黄泉の戯れで甦らされたガウェイン」
ペイルライダーはなおも仰々しく動きをつける。
「ライオネルはそもそもアルヴァナの配下であり、ランスロットは新たにその傘下に加わった。ガウェインだけが、元のアーサーの意思を継ぎ、世界を平和にしようと、アヴァロンの力を抑え込もうとした。まあ結果はお察しの通りだった」
アタルヴァが立ち上がる。
「アヴァロンは無明桃源郷《シャングリラ》の別名です。狂竜王と呼ばれる、強大な力の持ち主が統べている、最後の地平」
そして舞台に上がり、ペイルライダーと並ぶ。
「白金零。あなたが自分の意思を手にすることを願っています」
二人は消えた。
「誰でも消したい過去はあるし、誰だって辛い。単にそれを受け入れられるか、否かの違いしかない」
零はそう吐き捨て、劇場を後にした。
虚空の森林・百道浜
「零さんがガウェインに靡かなくてよかったわ。尤も、そんなことは絶対にあり得ないと断言できたけれど」
奈野花はその体から僅かに漏れる暗黒だけで群がってくるプレタを消し飛ばしていく。
「正直私は今すぐにでも敗けを認めて結審を終わらせたいけど、それだと味気ないわ」
勢いよく振り下ろされたプレタの腕を優しく受け止め、軽く握る。
プレタは投げられ、空の彼方へ飛ばされる。
「さあ、来よ。世界《ユグドラシル》の愛し子よ」
虚空の森林・折那
地下墓地から地上に戻った零は、百道浜を目指すため駅へ向かう。
折那駅
零が二階のホームへ辿り着くと、そこには明人とトラツグミが立っていた。
「また会ったってことは、もう敵同士?」
零はトラツグミに向かって言葉を投げ掛ける。トラツグミは明人の横で目を伏せたまま、行儀よく直立している。
「流石に零さんと言えど、こっから福岡市の方まで歩いていくのは酷だろ?だから電車を出そうってね。ゆーちゃんはどうだった?」
明人は零へ視線を向ける。
「どう……と言われてもね。苦戦はしなかったけど」
「あっそ。まあゆーちゃんも色々考えてるみたいだけど、気にしなくていいよ。トラツグミ、ステルス迷彩を解いて」
トラツグミは目を開き、指を鳴らす。すると二人の背後の景色が揺れ、電車が現れる。
「トラツグミが運転するから、気にせず乗ってよ」
明人に促されるまま、零は電車に乗った。
電車内
高速で景色が移動していくが、空は延々と曇っていて、相も変わらず皿倉山の頂上だけが煌々と輝いている。向かい合って席に座った明人が、窓の外を見つめる零へ話しかける。
「でさ、これから戦う黒崎さんのことだけどさ」
「うん」
零は窓の外を見たまま適当な返事をする。
「あの人だけは何を考えてるのかさっぱりわからん。けど、一つだけ確かなことは、めちゃくちゃ強いってことだ」
「そう」
「マジで強いんだって!」
「私は勝つ」
「俺でも歯が立たないんだって!だから、正面衝突を避けて、なるべく掠め手を……」
「それだけ文句なしに強いなら、掠め手なんて意味ないと思うんだけど」
「う……ま、まあそうだけどさあ……」
それから沈黙が続き、耐えられなくなった明人は車内をふらふらと歩き回る。
「うろちょろしないで、鬱陶しい」
そう言われると明人は、ドアに寄りかかって外の景色を眺める。
「ねえ、零さん」
「何」
「なんでもない」
「じゃあ話しかけないで」
「やっぱなんかある」
「……」
零が本気で鬱陶しそうな表情で明人を睨む。
「俺さ、思うんだよ。世界中の人間の脳味噌はみんな繋がってて、地球が頭蓋骨なら、人間はそのなかで複雑に連結したシナプスなんじゃないかって」
「それが?」
「俺が自分で選んだことは、実は多くの人間が思っていることを実行しているだけなんじゃないかって。この世から人間が居なくなってはじめて、俺たちは自分の自由意思を手に入れた。社会倫理も、道徳も、全てかなぐり捨てて、それでようやく、俺たちは俺たちの脳を手に入れたんじゃないかって」
「……。私はわからないわ。杉原くんの言う、意思を放棄している人間とそう変わらないから」
「そっか。俺はみんなが言うには空の器ってやつでさ、誰かの力が無いと戦えないんだよ。だから常に、誰かの傍にいた。自分より優秀な人間に、無意識に気に入られようとしてきた」
明人は腕だけを竜化させる。
「今だって、俺の中にいるやつの力を借りてるだけだ。だから君が羨ましい。誰もいなくたって、君は強く生きて行ける。でも俺は、誰かが居ないと生きて行けない」
腕の竜化を解く。
「福岡まではそれなりにかかる。ゆっくり休憩しよう」
明人は努めて朗らかに言うと、零に近づく。
「喉渇いてない?トラツグミが色々用意してくれてるけど」
零は窓の外をひたすら眺める。
「要らない」
そっけない言葉に、明人は少しだけ脱力する。そしてモンブラン山の写真がプリントされたパッケージを開け、その中にあるアイスを頬張る。
「アイス食べたら余計喉渇くんじゃないの」
その言葉に明人は笑う。
「バカだなあ、喉を極限まで渇かすから後で飲むお茶とかが美味しいんじゃん」
「ふーん」
二人が他愛ない話を延々と繰り返していると、スピーカーからトラツグミの声が聞こえる。
「明人様、白金様。もうすぐ博多駅に着きます。降車の準備を」
明人がアイスの木の棒をパッケージに戻す。
「だってさ、零さん。くれぐれも黒崎さんとまともにやり合わないように」
零はため息をつく。電車が止まる。
博多駅
零は誰もいない、だだっ広い駅ビルの中を歩き、外へ出る。そこには、見覚えのある巨獣がいた。
「リベロ」
リベリオン・リベロが零を見据える。
「乗れ、塔まで送ってやる」
促され、零はリベロへ飛び乗る。
「行くぞ」
虚空の森林・百道浜
リベロがアスファルトを踏み砕き、路上に放置された自動車を蹴り飛ばしつつ猛進する。次第に沿岸部へ近付き、商業タワーが見えてくる。リベロは博物館を通り過ぎ、商業タワーの手前で止まる。
「ここまでだ」
零は頷き、背から降りる。
「ありがとう」
「礼には及ばん、結審のためだ」
リベロは飛び去る。零はタワーへ入る。
暗黒の塔
ガラスの自動ドアを通って中に入ると、内装は黒で覆い尽くされていた。
「これは……」
零が逡巡していると、目の前から奈野花が現れる。
「ようこそ、零さん。早速だけど、ついてきてくれる?見せたいものと、話したいことがあるの」
否定する材料を持たない零は、奈野花に従って床の大穴に飛び降りる。
日本深界・海下の森林
大穴を下っていくと、なぜか海の下にいた。そこだけチューブでも通っているように、海を地面として踏み締め、呼吸もできた。見たこともないような巨大な海草が淡い光を放ち、深海までの道を仄かに照らしている。
「ここは福岡県沖の下、志賀島への道」
奈野花が呟く。周囲を無数のバハムートが泳いでおり、更に光る双眸だけが深海の闇の中を漂っていた。零はその目を横目に見ていた。その視線に気付き、奈野花がクスリと笑う。
「零さん、気にしなくてもいいわ。あの目はアルスマグナっていうウチの子だから」
零はアルスマグナから視線を外す。二人が尚も下へ歩いていると、今度は黒い靄のようなものに包まれた人間と擦れ違う。
「人間……?」
「あれは〝焦げた妄人〟。私が助けた人間よ」
奈野花は立ち止まる。
「っと、そう言えば先にあっちの鍵を解除しなきゃいけないんだった。零さん、戻るわよ」
零は呆れたように首を横に振り、踵を返す。先程来た道とは別の道を通り、光へ歩いていく。
福岡博物館
水面から上がると、そこはタワー近くの博物館だった。
「ここって床が無かったっけ」
零の疑問に、奈野花が答える。
「単なるカモフラージュよ、あれは。この街は、剛太郎によってこの結審に都合よく作られているから」
二人は入り口から中へ入る。中央のホールに辿り着くと、ラッパを持ち、法衣を纏った骸骨と、無愛想な少年が現れる。
「王よ、お待ちしておりました」
骸骨は高々とラッパを吹き鳴らす。すると館内の様々な場所から音が反響し、中央にある二階への階段が二つに分かれ、水路へと続いていた。
「こっちから志賀島に行って鍵を開けるのよ」
奈野花は水路に足を踏み入れる。零もそれに続く。
日本深界・志賀島
しばらく歩き、古びた扉を開くと、海の深い蒼が頭上に広がる空間に辿り着く。そこには、幼女と少年が行儀よく正座していた。
「宗矩、千早。零さんを連れてきたわ」
少年は宗矩と呼ばれて立ち上がり、幼女は千早と呼ばれて目を開く。
「姉さん、シャングリラの鍵を開くのか?」
宗矩と奈野花が視線を合わせる。
「そうよ。今は結審の途中だもの」
宗矩は姉の言葉に頷き、千早を見る。千早は再び目を閉じる。
「この結審は、ヴァナ・ファキナを誘い出すために剛太郎が計画したものです。異史でヴァナ・ファキナが致命傷を負った上で杉原に憑依したのを見計らい、その力だけを手に入れるために」
千早は流暢に、滑舌よく流れるように喋る。
「剛太郎は、始源世界より我々に干渉している。更なる進歩を生み出すために、杉原を完全な状態で手に入れようとしている」
目を開き、零を見る。
「あなた様はユグドラシルより生み出された人造兵器。空の器を回収し、研ぎ澄ますために生まれてきた」
千早は倒れる。
「やはり古代世界から始源世界を見るのは限界があるぞ、姉さん」
宗矩は倒れた千早を抱き上げる。
「わかってるわ。じゃ、私たちはシャングリラへ行くから」
二人はその場を離れる。
「この世界がただの前哨戦なのはわかってるだろうさ。問題は、アルヴァナ自身が、何が重要なのかわかってないところだ」
宗矩は呟く。
日本深界・海下の森林
二人はまた深海へ歩いていき、今度こそ最も深い闇へ立ち入る。
無明桃源郷シャングリラ・一期次元領域
闇を潜ると、そこは無数の立方体が延々と続く空間だった。
「着いてきて」
奈野花は立方体の波を飛び越えて行く。零も遅れまいと、立方体を飛び継ぎ進む。
無明桃源郷シャングリラ・終期次元領域
上下に広がる二枚の波を越え、ようやく二人は立ち止まる。
「私たちは、アルヴァナの願いを果たすために色んな世界に干渉してる」
奈野花が階段を上がる。零もそれについていく。
「始源世界の核に、ここの本体はある。だからここは、その出張所のようなもの。世界の中枢であり、エデンを覆う殻……それがシャングリラ。世界は元々、無明の闇から始まった。その始まりの存在がアルヴァナ。完全な無……無いと言う概念さえ無い真性の無から生まれた、全ての始まり」
階段を上りきった先にある岩で出来た椅子に奈野花は座る。
「アルヴァナはある人間と仲がよかった。奈野花……黒崎奈野花とは別人の、始源世界の人間。二人は仲良く暮らしていた。けれど、アルヴァナは知らなかった。人間には命の限界があることを。アルヴァナは幸せに暮らし続けていた。けれど、奈野花は老いで死んでしまった。まあ、古代世界の人間とは比べ物にならないくらい長命ではあったけど。アルヴァナは、その時六つの感情を生み出した。喜怒哀楽憎怠。後に人間の六罪と呼ばれる感情をね」
奈野花は足を組む。
「特に、哀しみは深くアルヴァナに根付いた。奈野花が老いて死んだのに、自分はそうで無いと言う無力感、疎外感、孤独感……ミームの感染とでも言うのかしらね、深い哀しみは、連鎖して多くのものを哀しみに染めた」
零が口を挟む。
「それを話して、私はどうすればいいの?」
奈野花は笑う。
「どうもしなくていいわ。ただありのまま戦ってくれればね。いずれ貴方も、アルヴァナと、彼を巡る戦いに巻き込まれることになる」
椅子から立ち上がる。
「元の場所に戻りましょうか」
暗黒の塔
二人は穴から戻ると、奈野花は闇へ消える。
「頂上で待ってるわ」
奈野花はそれだけ告げた。
「とにかく上へってこと」
零はエレベーターに向かうと、上から頭にか細い足が四本と、天使のような翼が生えた生物が現れる。
「ワガ ナハ 黒王獣アウリオン」
機械のような声を発し、零と高度を合わせる。
「グロいデザインね」
「奈野花サマノ タメ シネ」
口を開くと、炎や氷や雷が次々と放たれる。
「スプリンクル」
零の手元に杖が召喚され、それを投げてアウリオンの下へ瞬間移動する。籠手の重い一撃でアウリオンは叩き落とされて、そのまま具足による蹴りで潰れる。
「……」
零はエレベーターを呼び、それに乗る。二十四階で停止し、零はエレベーターを降りる。非常階段を使って上へ上がり、頂上につく。奈野花が一人で街の方を見ていた。
「ふう。見てよ、零さん。この景色を。人間の文化は常にモニュメントになるわ。こういう時に、自分達の墓標にするためにね」
零は奈野花へ近付く。
「私は黒崎さんと戦う気はない」
奈野花は振り向く。
「そう言うと思ってたわ。自分で言うのもなんだけど、今の零さんと戦っても何の意味もない」
自分の手元に槍を生み出し、それで自分の腹を貫く。
「だから今回は私の負け。これで、折那の街が杉原のナラカに変わる」
奈野花は槍を引き抜き、虚空を斬る。すると空間が割れ、折那駅が見える。
「さあ、行くといいわ。これで結審は成され、貴方か、杉原のどちらかが願いを果たす」
零は奈野花を一瞥したあと、空間を潜り抜けた。
折那・茫漠の墓場
折那駅は辛うじて姿を保っていたが、折那の町はほぼ全て白い砂に埋もれている。障害物は殆どなく、ここだけ切り取られたかのように無限に砂漠が続いている。地平線の向こうに見える建物を目指して零は歩き、その建物の鉄製のフェンスを開けて入る。中央に白い円形のフィールドが見え、それを中心にマンションが三つ建っている。道は一本しかなく、零は一番近くのマンションへ入る。マンションの部屋のドアには、無数のカルテや生活保護の申請書、給与明細などが夥しい量貼り付けられている。視線を通路に戻すと、黒いボロ布に身を包み、蜃気楼のようにゆらめく老人が現れる。
「我々は、死に行く者。人の社会から除外され、憲法の下に生かされている死体」
老人が掠れた声で言葉を紡ぐ。
「年金、生活保護……文化的で最低限度とは、一体何を指すのだろうな」
乾いた風が零の足元に新聞を運んでくる。零はそれを手に取る。
「高齢者、またも餓死。物価上昇による貧困や、孤独による支援の停滞が原因か」
零が呟く。
「そうだ。世界はもはや、戦えるものしか必要としない。需要と供給の輪廻の外にある我々は、死ぬしかない。だが死ぬ勇気はない。されど生きる希望もない。ただ死を待つだけの、草臥れた案山子」
老人は消える。
「私に何を思えと」
新聞を投げ捨てて、零は次のマンションへ向かう。その連絡通路で、人間の影を見つける。零はそれを追う。次のマンションの通路で止まり、影は振り向く。影の輪郭はスーツを着たサラリーマンのようで、凄まじい猫背だ。
「俺たちは消え行く者。社会の歯車となり、永遠の苦痛を味わう」
零が通路から外を見ると、次々と影が上の階から落ちてくる。通路の電灯に縄を通し、それで首を括った影が無数に現れる。
「人間は何十億も居る。一年で何万人死のうが、すぐに次が生まれる。何も変わらない。世界は、人間が居なくても回り続ける」
サラリーマンの影は消える。
「どうしようもない、私に言われても」
零が次のマンションへ向かうと、通路に陶器のような皮膚の赤ん坊がいた。不自然なほど首がすわっている。
「僕たちは、生まれ得ぬ者。産み落とされ、すぐに死ぬ。我々はたった四、五年しか生きないために生まれ落ちたのではない」
赤ん坊は縁を拳で破壊し、それを貪る。
「神の子が石をパンに変える以上の奇跡を起こせるのなら、なぜ我々は親を選ぶと言う当然の権利さえ無いのだ?なぜ腐った親を選ばされたせいで我々が死なねばならぬ」
縁がただの砂に変わり、赤ん坊の生え揃っていない歯と歯の隙間から溢れる。そして赤ん坊は陶器のように壊れる。
「理不尽に遭遇しても、死ねば憤ることすら出来ないってこと」
零は前へ進む。
「誰にも同情するつもりはない」
道の終わりを左へ曲がり、フェンスを開く。中央の広場に辿り着く。明人とトラツグミが待ち構えていた。
「ここが、あなたの心の中?」
零の問いに、明人は頷く。
「俺はこの十四年間で、人の悪意と人の欲望に辟易した。見てきたか?生きたい奴と、死にたいやつ、どっちも選べないやつ。どいつもこいつも下らねえ。誰も当事者じゃねえのに、専門家面してあーだこーだ言う。自分だけが誰よりも苦しいのだと勘違いする。同情と憐憫だけが、人間の美しいところだと思ってやがる」
長剣を白磁の床に叩きつける。
「生き物に美しいも醜いもありゃしねえ。あるのは出来事だけだ。理不尽をウダウダ嘆くだけのクズが、この世にどれだけいた?痛みに怯んで、現状に恨み言を重ねる暇があったら、自分の手で世界を切り開けよ!誰を利用してでも、自分から進めってんだ!」
明人はヒステリックに叫び続ける。が、不意に落ち着く。
「ふーっ」
深呼吸をして、また喋り出す。
「弱者は駆逐される。強いものだけが生き残る。それがこの世の正解。だが人間は、存在そのものが不正解だ。人間はもう、進化の余地はない。世界にとって余計なだけだ」
明人の傍でトラツグミは、ただ目を伏せ直立している。明人の喋りが一段落したと共に目を開き、口を開く。
「明人様、メンタルが不安定になっております。感情的になりすぎぬよう」
「わかってる」
明人はイラつきつつ答える。トラツグミは屈み、明人に視線を合わせて抱き寄せる。
「乱心なされては勝てるものも勝てませぬ」
明人は無言でトラツグミから離れる。トラツグミはフィールドから飛び退く。
「三度目の戦いね」
零がトンファーを構える。
「幼稚園の頃からだから、三回じゃ数えきれんのやけど」
「決着をつけよう、杉原くん」
明人は長剣を構える。二人は瞬間移動で距離を詰め、互いの得物をぶつけ合う。素早く突きを放つがトンファーに往なされ、もう片方のトンファーの攻撃を後転で躱し、籠手から蒸気を発して高速のストレートを放つ。刀で弾き返され、明人は空中で杖を取り出して地面に叩きつけて結晶を生み出す。零はバックステップで避け、飛び出してきた明人の黄金の双剣を盾で受け止め、細剣で突きを放つ。明人は蒸気で距離を強引に離す。
「流石は零さん……」
明人は力み、ベルガを食らった化物へ変身する。
「消え失せろ!」
装甲が開き、無数の触手が零へ向かう。零は竜化し、触手を切り裂きつつ明人に接近し、槍で腹を貫く。
「うぐっ……」
勢いよく槍を引き抜き、明人の変身が解ける。
「やっぱ甘くねえよな……」
明人は後退し、自身を紫の輝きで包み込む。
「濁沼に渦巻く混沌を我が身に宿し、無の波濤、無限の潮騒に無垢なる心を捧げよ。我が名、〝無謬〟!」
紫光の嵐を引き裂き、紫黒の竜人が現れる。
「言った通りのとっておきだ!覚悟しやがれ!」
零は明人の声を聞き流し、白い光に包まれる。
「時は今ここに往生し、我が意思の放つままに打ち消えし。巡り巡る糸の果て、儚き夢幻を薄重ね、全ての因果を我が下へ!我が名、〝寂滅〟!」
光を突き破り、蒼白の竜人が現れる。
「オオオオオオッ!」
両者は組み合い、離れて、乱暴に拳をぶつけ合う。無謬が紫光の波を放ち、寂滅が氷の壁で防ぐ。なおも拳で殴り合い、寂滅が左腕を盾に懐に突っ込み、至近距離で右手から冷気を爆裂させ、無謬を吹き飛ばす。
「あんたの全部が気に入らねえんだよ、零さん!」
無謬が拳を振り下ろすが、氷の波濤で押し返される。
「諦めなさい、あなたは空の器。あなたには何の力も……!?」
突如として真白い床が崩れ、その下へ寂滅が落ちていく。
「なっ……!クソクソクソ!待てよ!まだ勝負はついてないぞ!」
無謬は急いで助けようと駆け寄るが、時既に遅く、寂滅は何故か床の下に展開された次元門の中に消えた。
「クソッタレが!」
無謬は竜化を解き、元の姿に戻る。
「ま、まあいい。結審は相成った。俺の勝ちだ」
明人はふらつきながら、その場を去っていった。
その様を見下ろしていた蝶は、鱗粉を溢しながら消え去った。
「とってもいい話」
二つ結びの少女が、傍に居る騎士に絵本を手渡す。少女は兎のような耳を生やした獣に座っている。ふと少女が大きな窓から外を覗くと、城の周りの湖に沈んだ陣原の街並みが見える。
「結審は始まったばかり。これから五百年をかけて、人類は再び進化する。直立し、道具を持ち、言語を生み出す。その次は……生命を放棄する。いいや正確には、生命を維持する必要を棄てる」
少女は兎の背から立ち上がると、窓を抜けてベランダに出た。どこまでも続く灰色の空に、かつての自分を馳せた。
陣原・狐姫の怨愛城
湖にかかる巨大な橋を歩きながら、明人はやれやれと首を振る。
「前々から計画してたこととは言え、こんなにめんどくせえ移動を強いられるとはな。なあ、トラツグミ」
明人のすぐ横を一歩引いて歩くトラツグミは、明人を見る。
「なあ?……申し訳ありません、明人様。未熟者ゆえ、今の会話の流れに対する返答を持ち合わせておらず……」
「あー、じゃあいいや。ま、ともかく。零さんには俺たちの計画通りに動いてもらおう」
「はっ。このトラツグミ、全力で明人様のサポートを……」
「硬い硬い!態度が硬い!もっと気楽にしとけよな!」
「しかし……」
「いいんだよ。今やってることだって、お前があいつらから任されてやってることだ。別に主従関係じゃない」
「わかりました。善処はします」
「それでよし」
トラツグミは明人を横抱きに持ち上げ、城の尖塔へ飛ぶ。
折那-陣原大橋
零は折那と陣原を繋ぐ大橋を渡っていた。ちょうど橋の中央にある円形の部分に差し掛かると、眼前に白い鎧の骸骨騎士と、鋏を腰に携えた少年が現れる。
「白金零、ユグドラシルの作り上げた最強の隷王龍よ」
少年が零に近寄る。
「あなたに会いたかったです。白金零」
零は少年の非常に美しい容姿にしばし見とれるが、落ち着きを取り戻す。
「私が零だけど、何か?」
「僕はリグゥ。そして白い鎧の彼はホワイトライダー。私は四聖典と呼ばれる内の一人、彼は黙示録の四騎士の一人。我々は、自己紹介をしようとここへ来ました」
ホワイトライダーが白馬を進め、零の前に近づく。
「お初にお目にかかる、白金零。俺はホワイトライダー。黙示録の四騎士の一人、支配をもたらすものだ」
リグゥが続く。
「僕たちはあなたに、結審についてお伝えします」
そして、橋に備えられている長椅子へ座るよう促す。リグゥと零が腰かけると、リグゥは口を開く。
「結審の日。それは、世界を浄化するためのシステムです。本来、世界はある一定の年月を過ぎると成長を止め、宇宙を無明の闇で覆い尽くそうとします。そして最小まで収縮した世界は、エメル・アンナの力で粉砕され、消滅する。でもそれは、あくまでも何の対策もせずに繁栄を続けた場合に起こることです。言うなれば、延命治療をせずに寿命を迎える老人、それが世界なのです。ですが、結審の日はただ数合わせに増やされた存在を一掃し、優れた存在だけを残して世界を延命させるシステム。世界の生命力を貪る無能な存在を消して、世界を長生きさせるのです」
「つまり、ガン細胞を消す作業が結審?」
「その通り。杉原明人は福岡県に住まう全ての生命を犠牲に、結審を発動させました。その結果残ったのは、あなたと、杉原、そして五人の堅い意思を持つものたち。結審は、最後に勝ち残ったものがその制御を得る。あなたが望むことを結審に願うことができる」
「私の願うこと?」
「はい。倒すべき五人というのは、そこに見える城に住まう、来須月香。八幡の山の頂上で竜を統べる暮柳湊。スペースユニバースを闘技場へ変えた左近衛陽花里。百道浜の商業タワー周辺を統治する黒崎奈野花。そしてこの折那の地下墓所に拠点を構えた穴井悠雷。杉原明人もまた倒すべき相手ですが、彼は特定の拠点を持たない。他の五人を倒せば、強制的に引きずり出せるとは思いますが」
零は顎に手を当てて頷く。
「ご教授ありがとう。時間制限はあるの」
「いえ。今この福岡県は異空間になっていて、なおかつ時間を定義する人間がいない。世界の元々のデザイン上、人間がいなければ時間は存在しないので、常にこの景色、この時間です」
零はそういわれて、左腕の時計を見る。時計は七時半を指したままだが、日付は昨日になっていた。
「昨日のまま……」
「ええ。ですから時間制限はございません。……だからと言って火事場泥棒に勤しんだりしないでくださいね」
「しない。お腹が減ったら何か拝借するかもしれないけど」
リグゥは苦笑すると、立ち上がる。
「それでは僕たちは失礼します。僕たちの同志と会うことがあるかもしれませんが、その時は話を聞いてあげてくださいね」
リグゥはホワイトライダーの白馬に乗り、そして白馬は空へ帰っていった。
「城に来須さんが……」
零が橋を進もうとすると、堀川の向こうから巨大なヒレが近づいてくるのが見える。次の瞬間、水面を引き裂いて巨大な魚が現れ、橋の中央を飲み込む。零が躱すと、魚は腕を使って橋へ寄り掛かり、零を見る。
「貴様はこの湖で何するものぞ!」
魚は喋ったかと思うと吠え、尋常ではない生臭さを撒き散らす。
「何を……結審を果たそうとしている、でいい?」
「貴様が?その程度の力でか?」
魚は見下すように声を荒げる。
「先刻ここを通った小僧もそんなことを抜かしていたが……運良く結審を生き延びただけで、調子に乗るなよ!」
魚は零を食らおうと身を乗り出す。零は橋の先の道路まで飛び退き、魚も道路に着地する。
「我が名はバハムート!始源の海の覇者の血族なり!」
零はトンファーを構え、バハムートは腕を振るう。スライディングで腕を躱し、腹を狙って杭を撃つが、バハムートは勢い良く飛び上がって零を食らおうとする。零に躱されると、バハムートは地面に食い付く。零はその隙に攻撃しようとするが、バハムートは素早く体勢を建て直す。
「貴様中々やるようだな……それに始源世界の気配を感じる」
「そう言われても。こっちは寝起きだし、ただの中学生だし」
「まあそんなことはどうでもいい。この結審は我が成す!」
バハムートは水圧カッターのような水のビームを放ち、零はトンファーを地面に叩きつけて氷壁を生み出してそれを弾く。バハムートは氷壁を腕で破壊する。が、零は氷壁の向こうには居なかった。
「何?逃げ仰せたか……」
零はバハムートの頭上からトンファーの杭を撃ち込み、その脳天を貫く。
「まさか戦いの途中で気を抜くとか。人間を甘く見すぎ」
「バカな……」
凍りついたバハムートは、零の踵落としで砕け散る。零はトンファーを消し、手をはたく。そして湖の城へ向かった。
陣原・狐姫の怨愛城
零は大橋を渡り、巨大な城門の前に立つ。どこからともなく零の身長ほどもある大きな兎が現れ、零へ敵意を向ける。
「血の気の多いウサちゃん」
飛びかかってきた兎を躱し、腹にトンファーを叩き込んで気絶させる。そして杭が兎の背中を破り、凍りつかせる。
「さよなら」
そして兎を湖へ放り投げる。
「……。これだけの城をどうやって……」
零は城門を押し開き、中へ入る。薄暗い廊下を零は歩き、機械仕掛けの巨大な門の前に辿り着く。
「ん?何かしらの条件があるってことかな……」
来た道を引き返し、廊下から繋がる部屋に片っ端から入っていき、食堂のゴミ箱から鍵を拾い上げる。
「古い鍵……どう考えてもあれを開けるためのものじゃない」
鍵の使える場所を探して彷徨っていると、鍵の掛かった古い扉を見つけ、鍵を使って開く。扉を開けると、そこは湖が見える広場だった。
「収穫無し。こうなったらここから上に上がるか……」
そう呟いていると、零は湖が少し膨らんでいるように感じた。目を凝らす。先程のバハムートのように、水面を突き破って巨大な二足歩行の兵器が現れ、広場に着地する。逆に折れた特徴的な脚部と、翼のようなヒレのパーツが二つ、腕のようについていた。兵器は上半身をもたげ、金属の軋む音を咆哮のように発する。
「これは……」
ヒレの付け根にあるバルカンが火を噴き、零は猛烈な速度の後ろ歩きで後退し、更に方向転換して壁を走り避ける。兵器は続けて口の装甲を開き、炎のレーザーを発射する。城壁が燃え上がり、爆発する。零は広場に着地する。
「(これを上手く使えば、あそこの扉を無視して奥へ行けるかも……)」
そう思っていると、兵器の頭部から映像が投影される。
「来須さん」
そこに映るツインテールの少女を見て、零は呟く。
『おはよう、零さん』
来須は微笑む。
『これはね、水陸両用二足歩行戦車・蒼龍だよ。シフルを試験的に使った、人類初の巨大兵器さ。ロマンあるでしょ?』
上機嫌に話しかけられるが、零は仏頂面で黙っている。
『脚部、そして多目的ロングペイロードの付け根にあるバルカンは怨愛の炎が詰まった特製ナパーム、そして頭部から発される熱線は怨愛の炎そのものを照射するぶっとび兵器なんだよねー!』
なおも饒舌に語る来須を前に、零は居眠りを始める。
『正直シフルの研究はまだまだ始まったばかりで、変換効率やどれだけ元のシフルを搭載してどれくらいのサイズに落とし込むかとか、色々苦労したんだけど……現状最高にバランスがいいのはこの蒼龍!この陣原は殆ど水没したからちょうどいいし、福岡は洞海湾から遠賀川、堀川と続いているし、川を辿ればだいたいのところに襲撃に向かわせられ……って、零さん聞いてる?』
その声で零は眠りから覚める。
「聞いてる聞いてる」
『まあとにかく!零さんはここで終わりだよ!』
映像は途切れる。蒼龍は歩を進める。
「何はともあれ、これの相手をせねばどうしようもない」
蒼龍が右のヒレを持ち上げ、零目掛けて振り下ろす。素早く左に動いて零は躱し、ヒレに飛び乗る。蒼龍は激しくヒレを振るうが、零は巧みな重心移動と、足を凍らせてヒレに張り付けることで耐える。蒼龍の背から多目的対戦車榴弾が発射され、零を掠めて飛び回る。飛んできた一発を後ろに仰け反ることで躱し、正面から来た一発をトンファーで弾く。左のヒレのバルカンを破壊し、蒼龍は零を振り払う。零は広場に三点着地し、次の挙動に入る蒼龍を見る。蒼龍は左のヒレを包むように展開された炎の刃を零へ振り下ろし、広場の石床を燃やす。零は再び右のヒレのバルカンのあったところまで飛び、トンファーの杭を叩き込んで穴を空け、そこに手を捩じ込んで無理矢理ヒレを引き千切る。ヒレを抱え、蒼龍の炎の刃と打ち合う。そして蒼龍の炎の刃を押し切り、蒼龍は倒れる。炎の刃が消えた左のヒレを抱え、零はハンマー投げの要領でぐるぐる回転し、城に向かって投げつける。城壁が豪快に崩れ、蒼龍は沈黙する。
「これでよし」
零は崩れた城壁から中に入る。ちょうど先程の機械仕掛けの扉の先を壊したようだ。零はまた行き止まりまで歩き、また同じように大きな門へ辿り着く。今度は容易に開き、その先にはまたもや大橋があった。零は橋を渡り、高い塔の麓に着く。正面の扉を開き、中へ入る。塔内部は城よりも豪華な、白を基調とした装飾がなされていた。その装飾と同じ純白の鎧に身を包んだ騎士が三人現れ、更には二足歩行の小型兵器も複数現れる。
「……。生気は感じられないけど、意思はある……」
騎士は自身を覆い隠せるほどの巨大な盾と、自身の二倍はある槍を構えて零へにじり寄る。小型兵器は前腕部にマウントされたマチェットを掴み、軽快に零へ接近する。最接近した一体が零へマチェットを振り下ろすが、零は素手でそれを受け止める。
「いい包丁だ」
力を込めてへし折り、瞬時に組み伏せて、小型兵器のもう片方の腕にマウントされたミニガンを奪い取り、小型兵器の頭を砕く。ミニガンを発射し、小型兵器は次々とスクラップになっていく。騎士が接近を終え、槍で攻撃してくる。一番手前にいる騎士目掛けて小型兵器を叩きつける。盾に砕かれるが、頭に飛び乗り、そのまま首を振らせて槍を他の騎士にぶつけ、怯んだ右の騎士に向けて乗り掛かっていた騎士を叩きつける。槍を奪い、最後に残った騎士へ投げつける。騎士は俊敏な動きで避けるも、眼前に迫った零のトンファーの一撃で沈黙する。
「中身は人か……」
零は兜の外れた騎士の死体を検める。苦悶の表情で絶命している人間が中に入っていたようだが、腐敗などは進んでいない。
「人間の死体なんて初めて見た」
死体を漁るのを止め、零は塔を登り始める。
―――……―――
尖塔の頂上から先程の蒼龍の戦いを眺めていた明人とトラツグミは、零の戦いっぷりに感心していた。
「ほらな、トラツグミ。俺の言った通り、あの人は完璧だろ?」
「確かに、明らかに素人の挙動ではありませんでした。それが、明人様があの方に執着する理由ですか?」
「まあそれも一つではある。でもあの人の魅力で、憎たらしいところはあんなもんじゃない。もっと近くで見ようぜ、トラツグミ」
明人はねだるようにわざとらしく両手を広げる。トラツグミは黙々と明人を横抱きにして、奥に見える塔へ飛ぶ。
―――……―――
零がしばらく塔を登ると、広い場所に出る。そこには先程の騎士が四体と、鎧に金の装飾が施され、槍の代わりに剣を持った騎士が居た。
「姫を守るのが騎士の役目だと……ベタな話」
剣の騎士が槍の騎士を統率し、下層で戦ったときとは比べ物にならないほどの機敏さで突進してくる。トンファーを床に叩きつけて氷壁を生み、槍を防ぐ。更にトンファーの杭の一撃で一人の騎士の盾を割り、槍を奪い取り、槍の騎士を薙ぎ払って一直線に固め、槍で四体を一気に貫く。そのまま槍を放り投げ、壁に釘付けにする。剣の騎士は滑るように距離を詰め、鋭く剣で切り上げる。躱すが、零の顎を剣が掠める。続いて剣の騎士は突きで踏み込む。零は横に躱して騎士の首を掴み、頭突きで怯ませ足を払い、引きずり回して放り投げ、床に急降下して叩きつけ、傍に落ちている槍を二本剣の騎士へ突き刺し、止めに剣で両断する。
零は呼吸を落ち着け、階段を登っていく。そして階段が終わり、明らかに雰囲気の違う扉に辿り着く。ゆっくりとその扉を開けると、大きな窓の前で、大きな耳を二本生やした生物に座った来須が、絵本を読んでいた。
「ある日目が覚めたら、自分は虫になっていた。言葉を発せず、また体の動かし方もわからず、悶えることしかできない」
来須は本をパタリと閉じ、本を湖に投げ捨てる。
「零さん、おはよう。朝起きたら世界がまるっと変わって、何が起きたのか理解できない、まさに変身ってところだね」
そして立ち上がると、獣も立ち上がる。
「人の世は不思議じゃない?こうして人が居なくなって初めて、ようやく自分の世界に浸れるんだ。どれだけ他の人間と言うものが無駄だったと言うことか、よくわかるね?」
来須は緩やかに獣を撫で、獣は気持ち良さそうに唸る。
「私の恋、恋慕の全てが無駄ではないと、それが憎しみの炎に変わることこそが愛の意味だったと、そう思いたい」
零は口を挟む。
「結審に選ばれたと言うことは、来須さんにも何か望みがあるってこと?」
「うん。あるよ。私は、私のことを捨てたあの人に復讐をすること。世界に消えぬ傷を付けて、どうしようが私のことを意識せざるを得なくする。そのために、全てを私が支配する。そういう零さんは?ここまで来れたんだから、結審を果たすための力も手に入れたはず」
「私、私は―――」
零は黙り込む。
「答えられない、かあ。まあ無理もないよね。たぶん杉原のせいで巻き込まれただけだろうし、素直にここで敗けを認めてくれれば私はこれ以上危害を加えようとは―――」
「杉原くんを、始源世界に連れ戻す」
来須はその言葉に硬直する。
「始源世界……?何を言ってるのかな、まさか異世界転生?」
「いや……私にもよくわからない。ただ今、頭の中に強く浮かんできた。杉原くんを始源世界に連れ戻す。それが私の使命」
「なんだ、結局両思いってこと?詰まんないのー」
来須は心底がっかりしたように椅子を蹴り飛ばす。
「まあ、何を考えようが人の勝手だよね。誰が結審を生き残ろうが、世界は生まれ変わる。新しい世界は、古い世界を打ち壊して生まれる。古くさい、自らの意思を放棄した常識が崩れて、全てを自分の意思で決定する混沌の世界が始まるんだよ!そしてその世界を統べるために、零さんと杉原は使えるからね!」
懐から釵を二つくるくると回転させつつ構える。
「空の器と、それを満たす氷水。その二つこそが、世界の王となるための神器だよ。だから今回の世界では福岡が結審の舞台になった」
来須は窓からベランダに出る。零もそれについていく。
「零さんには悪いけど、この結審は零さん以外の誰かが勝てばそれで私たちの目的は果たされるんだよね。だからごめんね。死んでもらう」
零もトンファーを構える。
「なるほどね……でも謝るのは、こっち」
来須が炎を纏って走り寄り、流れるように釵の連撃を打ち込む。トンファーで受け切るが、来須は続いて飛びながら回し蹴りを放ち、ガードを砕いて足で腰へ組み付き、上半身のテイクバックでそのまま零を押し倒し、股の力だけで押さえ込んで釵を零の胸目掛けて何度も突き刺す。零も足で来須へ組み付き勢い良く放り投げる。胸をはたき、溢れる血を凍らせて止める。
「惜しい!もうちょっとじっとしててくれればミートボールに出来たのに!」
「戦いの素人とは思えない……どうやってここまでの動きを?」
「もちろん、勘でやってるだけだよ」
「私も」
二人は急接近し、釵とトンファーを次々と交わす。逆手で持っていた右手の釵を順手で持って突き出し、零は躱す。脇腹の服を破り、釵は空を裂く。右腕を零は抱え込み、トンファーを振るが来須は頭を左右に振って避け、ツインテールを纏めていた髪留めが飛んでいく。来須の長い髪が炎を纏い、赤く変化する。左手に持つ釵でトンファーを絡めとり、足を払って蹴り飛ばす。零は石畳に指を捩じ込んで踏み止まる。
「その髪……」
来須は赤く染まり、赫焉を放つ髪を弄る。
「ああ、これでしょ?昔から困ってたんだよね……水泳の時間とか見学するしかなかったし、お風呂とかお湯が蒸発しちゃうから」
釵の表面も赤熱化する。
「ねえ零さん。炎ってどう思う?弱者を焼き尽くし、新たな命を芽吹かせる素晴らしい力だと思わない?」
「さあ……弱者とか強者とか、どうでもいいから」
「本当に強い人って言うのは、視界に入った人にしか興味が無いのかもね」
来須は釵を構え直す。
「さ、続けようか」
接近して連続して蹴り込み、零はトンファーで弾く。反撃のアッパーからのトンファーの杭を放ち、来須は躱して尻を向けて思いっきり踵で蹴り上げる。ガードするも、零は思いっきり打ち上げられる。来須は高く飛び上がり、釵を交差させつつ飛びかかる。零は空中で飛び、カウンターで来須を蹴り落とす。そしてトンファーが来須の頭―――の横の石畳に突き刺さる。
「勝負あった」
零はゆっくりと立ち上がり、トンファーを石畳から離す。
「止めを刺さないの?」
「これは殺し合いじゃない。命を奪う必要もまた、ない」
来須も、めり込んだ石畳から起き上がる。
「ふーん。まあ、それでいっか。零さん、こっち来て」
また部屋の中に入り、来須は零に細身の剣を手渡す。
「あげる。私は使わないし」
零がそれを手に取ると、体の中に吸収される。
「おお、すごい!消えてなくなったよ!うんうん、零さんの体はもっと研究してみたいけど、今はそれどころじゃなさそうだし……結審頑張ってね」
来須は笑顔で零の手を取る。
「ありがとう」
零は軽く礼を告げて、部屋から出た。
「さてと」
来須は部屋からベランダへ出る。
「盗み見とは感心しないな、見た目がブスなら性格もブスなのかい?」
右手から炎を放ち、影が揺れる。光学迷彩を解いたトラツグミが、明人を抱えて現れる。
「ブスとは失礼な。並みやし」
明人は子供っぽく抗議する。
「零さんは帰ったよ」
「わかっとるよ。見とったもん。零さんはたぶん次はみーさんのところに行くよね?」
「まあ、たぶんね」
明人はそれを聞いて頷く。
「じゃ、お疲れさん。好きなことして暇潰しとってよ」
それだけ告げて、またトラツグミに横抱きにされて去っていく。
「はっ、どいつもこいつも浮かれやがって……まあいいや。言われた通り、好きなように過ごさせてもらうよ」
悪態をつきつつも、来須はまた獣に腰掛け、陣原の景色を見て絵本を読み始めた。
古代世界 福岡県八幡区・大千なる竜の国 空中大地
鈍色の空を、無数の竜が乱れ飛ぶ。僅かに射し込む日光につられた口の小さい謎の生命体―――プレタが、竜に啄まれて食らわれ、破片となって投げ捨てられる。暮柳湊はその様を見ながら、物思いに耽っていた。
「杉原……俺はお前のために全てを犠牲にしよう。それが俺に希望を与えてくれたお前への、せめてもの返礼だ」
運良く竜から逃れ、湊の後ろまで到達したプレタが、湊に腕を振り下ろす。と、プレタの動きは停止し、湊がいつ抜刀したのか、刀をゆるりと納める。納刀と同時にプレタは十字に切り裂かれ、消滅する。湊が振り返ると、どこから湧いて出たのか、プレタが複数居た。
「自らの意思を放棄した人間の成れの果てか。永遠に苦しみ続ける亡者となるのは、相応しい末路だな」
目にも止まらぬ速度でプレタたちの間を縫い、抜刀する。瞬く間にプレタは木っ端微塵になり、更に現れるプレタに刀を放り、ブーメランのようにプレタを切り裂いて湊の手元に戻る。納刀し、湊はまた元の位置に戻って町を景色を眺める。
「白金零……どれだけのものか」
陣原駅
零が駅前の通路を歩いていると、ふと思い付く。
「線路に沿って歩けば真っ直ぐ八幡まで辿り着くんじゃ……」
駅の階段を上り、機能していない改札を通り、駅のホームから線路へ降りる。そして線路に沿って、八幡駅へ歩き始めた。
八幡駅
零は歩いているしばらくの間、どこにあるのかもわからぬ太陽が動くことによって光量が変わることもなく、ただ何の変化もない景色を横目に見ていた。八幡駅のホームに到着すると、零はフェンスを飛び越えて駅前に出る。真っ直ぐ道の上に座す皿倉山の頂上に、僅かに雲の切れ目があり、そこから日光が射し込んでおり、その周囲を翼を生やした蜥蜴が、プレタを咥えて飛び回っている。
「あの化け物はあの時の……」
零は投げ捨てられたプレタを一瞥すると、道路を真っ直ぐ進み始める。
八幡区・大千なる竜の国
しばらく進むと、道路は山上へと続く坂道に変わる。襲い掛かってくるプレタを片手間に蹴散らしながら、零はなおも進む。分かれ道に辿り着き、どちらへ進むか迷っていると正面からバスが飛んでくる。細剣と盾を召喚し、細剣でバスを両断する。上空から翼の生えた蜥蜴―――ワイバーンが現れて、零へ吠え、灼熱の吐息を漏らす。
「ふむ、確かに爬虫類は好きだけど……残念ながら動物愛護の思考はない」
火球を放つと、零は瞬時にワイバーンの首に細剣を突き刺し、アスファルトへ叩き付ける。トンファーで脳天を破壊し、ワイバーンは沈黙する。零は分かれ道を右に進む。しばらくして高校を発見し、中へ入る。自動販売機を蹴り、出てきたペットボトルのお茶を飲む。一息ついて校庭へ出ると、四体のワイバーンが現れる。
「品揃えが充実してる。いいペットショップ」
盾を投げつけ、細剣で一体封殺する。続く火球を氷壁で弾き、トンファーと細剣のコンボで素早く残りの三体も処理する。と、そこへ赤い鎧の骸骨騎士と槍を背負った少年が現れる。
「流石の強さじゃなあ、白金」
骸骨騎士が感心する。
「儂はレッドライダー。黙示録の騎士が一、戦乱をもたらすもの。そしてこの坊主がサーマ」
レッドライダーが頭をポンポンと叩くと、サーマはその手を払う。
「やめてください。特に仲良くないんですから。こんにちは、白金零。僕はサーマと申します。リグゥと同じ、四聖典の一人です」
零はサーマを見る。
「よろしく」
「はい、よろしくお願いします。では僕は、ここを支配する竜と、それに食われるプレタについてご説明します」
サーマは高校の中に入る。レッドライダーと零もついていき、校内の食堂で座る。
「あの人の形をした怪物、プレタは、結審によって滅びたものの、肉体の滅亡を逃れてしまった元人間です。彼らは扱いきれぬシフルに体を蝕まれ続け、塩化していく体の崩壊を食い止めるために、結審に選ばれた生身の人間を食らおうとします。無論、結審に選ばれるような質のいい人間をプレタごときが食らえるわけがありませんので、ただの邪魔でしかありませんけどね」
「……。プレタを元に戻したりはできないの?」
「無理ですね。貴方も知っているとは思いますが、この古代世界の人間ではシフルを扱いきれない。だからこそ、今まで石油や電気などの、シフルが下位エネルギーに変化したものを使ってきた。シフルは強力かつ原始的エネルギーですが、所持者の力が足りなければ所持者をもろともシフルに変えてしまいます」
「なるほど」
「次に竜ですが、あれは王龍の破片である暮柳湊に付き従う、一般的な竜ですね。一兵卒というやつです」
「王龍の破片?」
「ええ。彼は王龍ゼロの片割れ。本人はそのことに気付いていないみたいですけどね。それに今回の結審には関係のないことです」
サーマは話を終える。
「他に何か気になることはありますかね?」
「いや、今のところはない」
「そうですか。では我々はこの辺で」
サーマはレッドライダーへ視線を向ける。呑気にお茶を飲んでいたレッドライダーは立ち上がり、サーマを連れて出ていく。零もまもなく高校を出て、更に上を目指して進んでいく。そして森の高い木々を乗り継ぎつつ高速で山を登り、頂上につく。光の中から一匹の竜が現れ、零に背を向ける。零はその背に乗り、竜は高く飛び上がる。
大千なる竜の国・空中大地
竜は空中に浮かぶ大地まで零を運ぶと、零は降りる。竜はすぐに飛び去る。空中大地の縁には、長身の坊主頭の男が立っていた。暮柳湊である。
「現れたな」
湊は振り返る。
「あなたは結審に何を望むの」
「俺か。俺はただ、杉原のために全てを捧げる。自らを極限まで希釈し、やつのためだけに全てを滅する。それは白金、お前とて例外ではない」
「なぜそこまで……」
「俺は」
湊は鞘の石突きを地面に突き立てる。
「どうしようもなく死にたくなった。何も変わらない現状に絶望して、何もかもを諦めようと思った。そのとき奴が傍に居てくれた。奴が俺に光をくれた。なら俺は、その恩に応えるのみ」
「……。本当に杉原くんがそんなことをしてくれたの?」
「ふん、信じられんか?まあ無理もあるまい。奴は道化だからな。善人にも、悪人にもなりきれぬ弱い人間だ。だからこそ、俺たちが支えてやらねばならん」
刀を左手に持ち、湊は零を見据える。
「さあ構えろ、白金。結審は誰かが勝ち残らねば終わらない」
「わかってる」
湊は瞬間移動で詰め、零は細剣でギリギリ刀を受ける。
「残念だが白金、今のお前では相手にならん」
鞘で足を払われ、刀の一撃をガードするも弾き飛ばされる。
「殺さぬよう手加減するのは骨が折れる。戦えぬほどに痛め付けるのも趣味ではないが……」
湊が身を引き、いくつもの空間の歪みを飛ばす。零は本能的な殺気を感じて躱す。空間の歪みは零の居た場所で無数の真空刃を生み出し、そして消える。
「これは」
零はその常識はずれの攻撃にひどく驚く。
「この刀が俺の感情を吸い尽くす。それがこの刀の力になる。俺から吸い上げた力で、次元を引き裂く」
「どういうこと?」
「詳しい理論を知ったところで対策できるのか?」
零は黙る。湊はまた瞬間移動で距離を詰め、突進しつつ抜刀する。零は素早く躱す。湊は続いて零の頭上へ瞬間移動し、抜刀しつつ急降下する。零はサイドロールで避け、間髪入れずに細剣で突きを放つ。しかし、鞘で弾かれ、撃掌を喰らい、吹き飛んでいくところに追撃で腹を刀に貫かれる。
「遅いな、白金」
「ぐっ……」
湊は勢い良く刀を引き抜き、零は倒れ伏す。納刀した湊へ零は飛び上がりつつ蹴りを入れ、鞘で弾かれるが距離を取ることに成功する。傷口はすぐに塞がり、それを見た湊が軽く反応する。
「やはり剛太郎の言う通り、お前はシフルに順応しているようだな。ならば、一度完全に絶命させる他あるまい」
湊は瞬間移動し、そのままの勢いで突進しつつ抜刀する。更に零を切り上げつつ上昇し、続けて連続で切りつけ、回転しつつ切り上げて、叩き落とす。地面に叩きつけられた零へ空間の歪みを発射する。対応速度が間に合わず零に直撃し、吹き飛ばされる。しかし零もすぐに踏みとどまり、盾を投げ、それをガードさせてからトンファーで打ち上げ、一気に氷柱を召喚して湊を吹き飛ばす。
「ほう?少しは楽しめそうだ……」
肩に降りた霜をはたき落とし、湊は零を見る。
「文字通り死ぬまで戦うとしよう」
刀を鞘に入れたまま湊はそれを前へ出して突進し、零は横に避ける。素早い抜刀を細剣で受け、湊は連続で刀を打ち付け、零はトンファーで防ぐ。刀の一撃をタイミング良く打ち返し、僅かに態勢を崩したところを逃さずに右のトンファーで頬を打ち、左のトンファーで顎をかち上げ、もう一度右のトンファーで腹を抉る。後退した湊へ追撃しようと零は接近するが、湊は瞬間移動で距離を離す。
「それが、杉原が羨む力か?」
「さあ、何のことやら。私としては、なぜ杉原くんが私に執着してるのかさっぱりわからないから」
「同感だ。世界が前のままだったとしても、奴には多くの仲間が居たはずだ。お前にだけ執着する理由は……もはや、個人的な執念としか言えんだろう」
「はた迷惑」
「まあそう言うな。奴もお前に憧れてここまでの災害をもたらしているんだ。少しは照れるなりしてやったらどうだ」
零はため息をつく。
「ただの知り合いからどう思われていようと何とも反応できない」
続けて零が湊へ言葉を投げ掛ける。
「さっき、あの人間のような化け物……プレタはシフルとかいうエネルギーに侵食されて生まれた人間の成れの果てだと聞いたわ。どうして私たちだけが、この結審を生き残っているの?」
「ふん、その理由はただひとつだ。俺たちは、本気で世界を変えたいと願った。誰を恨むでもなく、全ての人間の意識を変革しようとするでもなく、俺たち自身が、俺たちの手で、世界を変えたいと願った。それだけのことだ」
零はその言葉に引っ掛かるものを覚えた。
「(杉原くんも来須さんも、そして暮柳くんも、皆自分の意思というものを強く意識している……)」
そして再び、湊へ言葉を投げ掛ける。
「暮柳くんはさっき、自分を希釈すると言った。それはあなたの言う、自分の意思を放棄すると言うことにはならないの?」
「もちろん、違う。お前は何か勘違いしているようだが、自分の意思で自分を薄めると言うのは、自分の意思を放棄していない証だ。情報の流れに身を任せ、誰かの示す耳障りのいい規範に自覚のないまま組み込まれる。それこそがこの世で最も忌むべき邪悪であり、存在すべきでない愚劣な人間だ」
「本当に皆がそうだと思うの?」
「現に意思なきものはみなプレタと成り果てたか、既に消滅している。無関心、無感動、ただ流されるままに日々を食い潰す、誰かのミームに流されるだけの人間が、この世には多すぎた」
湊は瞬間移動で距離を詰め、零はトンファーを交差してガードする。それを蹴って空中へ飛び、湊は空間の歪みを連発する。更に地上へ向けて斬撃を放ち、刀を突き立てて急降下する。衝撃波が零を襲い、零は盾で防ぐ。続いて湊は鞘による連撃から抜刀して零を吹き飛ばす。
「人は余りにも、人を生かすのに向いていない。今もこうして、人同士で争い続ける。争わずにはいられない、それが人間の本性であるがゆえに」
湊は零が立ち上がるよりも先に頭上へ瞬間移動し、抜刀しつつ急降下する。零は瞬時に細剣で防ぐが、弾かれて取り落とす。そして再び、零の腹に刀が突き刺さる。
「俺の思いは杉原と完全に一致していた。力無くして、意思無くして人は生きられぬ。今こうして結審の時でさえ、己の身すら守りきることができない。実に愚かだ。こうして地獄を味わわなければ、自分の意思を変えようとはしない。だがもはや、気付いたときには全てが終わっている」
刀を引き抜き、零を蹴り飛ばす。空中大地から放り出された零は途中で意識を取り戻し、トンファーの冷気で上昇して空中大地へ戻る。
「頑丈さだけは飛び抜けているようだな、白金」
湊の体が青い闘気に包まれ、黒と銀の体の竜人へ変貌し、刀が手元から消える。
「ここまで耐えた礼だ。せめて派手に殺してやろう」
零の意識は朦朧としていた。湊は一切の容赦をせず、瞬間移動による接近から、腕からジェットのように溢れる闘気の刃による連撃を放ち、刀を抜刀し、強烈な二振りを叩き込む。納刀と共に湊は竜化を解き、倒れ伏した零を見る。
「期待外れだな、杉原。こいつは所詮この程度、お前が執着するほどの価値もない」
湊は踵を返し、元の場所へ戻ろうとする。が、背後で零が立ち上がる気配を感じて振り返る。
「失望するにはまだ早い……私は根性だけはあるから……」
傷だらけながら、平然と立ち上がる零に、湊は口角を上げる。
「なるほどな。ではその根性がいつまで持つか……とくと見てやろう」
零は貫かれた傷から、刀を生み出す。
「エクスハート」
「ほう、同じ武器で来るか」
二人は高速で接近し、鍔迫り合いを繰り広げる。
「だが新たな武器を手にしたところで、これ以上何ができる」
湊は零の刀を押し返し、素早く切り上げる。が、零はサイドロールで躱し、靴の裏に氷で刀を張り付け、蹴り上げつつ空中へ飛ぶ。完全に想定外の攻撃を受けた湊は空中へ打ち上げられ、トンファーに持ち替えた零のキックで叩き落とされ、しかし湊は瞬間移動で追撃を躱す。斬られた湊の胴体の傷は、凍りついていた。
「まだ戦える」
零はそう言い切り、湊は鼻で笑う。
「戦えはするだろうな。だがその程度の力で、お前が結審を越えられるとは到底思えんな」
二人はまた接近し、刀を高速で振り合う。
「あえて聞こう、お前は結審に何を望む」
「私は……杉原くんを回収する」
「ふん、下らんな……」
湊の刀が零の刀に弾かれ、空中大地へ突き刺さる。
「ならば、やってみるがいい。俺には、お前を殺さずに叩きのめす技量がない。お前を殺せる時に決着を着けさせてもらう」
身を翻し、刀を抜いて納刀する。
「勝負は預けておこう。お前のその刀が、その証だ」
零は刀を消し、湊へ近づく。
「なぜ最後に力を抜いたの」
「言った通りだ。死なない程度に加減することなど俺には出来ん」
「ありがとう」
そう言って零は空中大地から飛び降りる。
八幡区・大千なる竜の国
軽やかに皿倉山の頂上に着地した零は、木々や建物の屋根を飛び継ぎ、駅まで戻る。
八幡駅
フェンスを越え、再び線路へ入り、線路に沿って道を進んでいく。
スペースユニバース駅
線路は次第に高度が増し、煉瓦造りのホームへ辿り着く。ホームの窓からは、かつては遊園地であった広い空間が見える。今は複数のアリーナが所狭しと作られており、まるで様子が違った。零は階段を降り、遊園地の跡地へ向かった。
光猛の血戦場・屍山
遊園地の中央の建物を貫き、隆起している岩山の上から、一人の少女が零を見下ろしていた。
「新人類の鍵、完全なる未来をもたらす、賢者の石……貴様の血が人を篩に掛け、私たちが望む未来を、強者による強者のための世界が生まれる」
少女は脇に突き立ててある巨大なガントレットに手を置く。
「いかに出来レースと言えど、手加減はしない。貴様自身が強くならねば、貴様自身が己の力を引き出さねば意味はないからな」
ガントレットを持ち上げ、少女はそこから立ち去った。
光猛の血戦場
零が無人のゲートを通ると、中央の道から左右に広がるように、いくつかの店がある広場に出る。そのエリアの中央にある噴水の傍の長椅子に、黒い鎧の少女が座って漫画を読んでいた。零は、その少女に近づく。
「黒崎さん、どうしてここに?」
奈野花は漫画を閉じ、零を見上げる。
「あら、意外と早いのね。じゃあ失礼して……」
立ち上がると、有無を言わさず零の唇を奪う。零はとっさに奈野花を突き飛ばす。
「なんのつもり」
「ご褒美よ、ここまで頑張ったからね。貴方にはまだ力が無いわ。暮柳に苦戦するような人じゃないはずよ、貴方は」
「よくわからない」
零のその一言に、奈野花は首を傾げる。
「よくわからないって、何が?」
「何もかも。朝起きてこの結審とかいうのに巻き込まれたのもそうだけど、スペースユニバースがこうなってたり、皿倉山にドラゴンがいたり、陣原が水没してたり。とても現実とは思えない」
「ああ、なるほど。そういうことね。結審の影響でここだけ異空間になってるってことは知ってる?」
零は頷く。
「ふむ。この世界は今、シフルと言う根源エネルギーで満たされている。シフルはそのものでも力を発揮するけど、強い感情に反応して更なる力を発揮するの。結審に選ばれた人たちが強く願えば、シフルは応え、この異界の中に望んだ通りの領域を作り出す。だから月香ちゃんは自分がお姫様のように扱われる城を生み、暮柳は何もない平坦な大地を作り、陽花里ちゃんはこうして戦いのための空間を作り上げた。私たちはこの願いによって歪められた空間をナラカと呼んでいるわ。陣原が水没してたのはあそこに迷い込んだバハムートのせいだけど、城があったのはそういうこと」
「そもそもどうして結審を?杉原くんも来須さんも暮柳くんも、曖昧な話しかしてくれない」
「いいえ、曖昧ではないわ。彼らは恐らく、弱肉強食の世界を望んでいるような口ぶりだったでしょう?」
「まあ……確かに」
「彼らは現実に嫌気が差した。こんな下らない世界で食い潰されるくらいなら、個々人の正しい闘争を取り戻した方が余程いいとね。まあ、余りにも行きすぎた原理主義だけど、ある意味では人間として最も正しい」
「どうして?」
その問いに、奈野花は微笑む。
「人間は戦い、自分を愛でて、他人を喰らい尽くさねば生きていけない生物よ。自然のように、複数の生物や物質が連関し、総体として一つのメカニズムを生み出している訳じゃない。人間は自らの内に眠る殺意を、破壊衝動を抑えられない。ほら、美味しいものほど健康に悪いとよく言うでしょう?人間は潜在的に、無意識的に、相手を壊し、自分を壊し尽くそうとしているの。現代社会は、その人間の本性から目を背けようとしていた。匿名の鎧に身を包んで、安全なところからただ己の破壊衝動を発散しているだけで、誰も彼も疲れきっていた。だから彼らは、自分達の思うままに気に入らないやつを殴り倒す世界を作り出そうとしているのよ。人間として、人間らしく破壊衝動を好きなようにぶちまけられる世界をね」
零は顔をしかめる。
「度しがたい……気もするし、わかる……気もする」
「ふふっ、まあ自分が正常だと思い込んでいる人間には理解できないかもしれないわね。それか……元々人の心を理解できない〝隷王龍《兵器》〟にも、理解できないかもね。まあ、大体はこんな感じ。特に気にする必要もないけどね。貴方は貴方が望む世界を手に入れるために戦えばいい」
奈野花はもったいぶった視線を零へ向け、長椅子に座り直す。
「ここ光猛の血戦場は、陽花里ちゃんが作り出したナラカ。わかっているとは思うけど、ここはスペースユニバースという、宇宙をテーマにした遊園地だったわ。中央に見える山に陽花里ちゃんが居るんだけど、そこへ行くには四つのエリアの魔獣を倒さないといけないわ。西にあるウォーターエリア、南西にあるスペースエリア、東にあるライドエリア、南東にあるアーカイブエリア。まあ迷わないとは思うけれど、一応これを渡しておくわ。配置自体は変わらないし」
そう言って、奈野花は零にスペースユニバースのパンフレットを投げ渡す。地図が見開きで載せてある。
「本当なら今年の末に閉園だったんだけど、どのみち今回の結審でぶっ壊れちゃったわね。ところで零さん、何か暇潰しになりそうなもの無いかしら?この手の異界にはありがちだけど、スマホの電源がつかないから電子漫画を読んだり出来ないのよね」
零は周囲を見回す。
「特には」
「そう。ならいいわ。終わったらここに戻ってきて。頼みたいことがあるから」
そう言うと奈野花は先程読んでいた漫画を一ページずつ凝視し始めた。零はその場を後にして、スペースユニバースの中へ入っていく。まずは左のウォーターエリアへ向かい、入場口から内部に入る。広いプールは奥に向かうにつれて深くなっており、遊園地のウォータースライダーがあるような場所にしては異常に深みがあった。
「嫌な気配……」
と呟くと同時に、水の中から細長い胴体の海竜が飛び出てくる。零は横に転がって躱し、海竜と向き合う。海竜はコンクリートをぐちゃぐちゃと食い散らかすと、長い舌で舐めずる。
「あなたは?」
「ハルベリル……」
見た目の凶悪さとは異なり、海竜はぼそぼそと喋る。
「ここを守る……」
零は刀を構える。ハルベリルは力むと、全身から水の塊を射出する。零はそれを刀で撃ち落とすが、刀身が腐食している。刀を持つ右腕から冷気を生んで刀身を回復させ、零は飛び上がる。ハルベリルが伸ばした舌を斬り捌き、トンファーの杭を打ち出してハルベリルをプールの底面に叩きつける。ハルベリルはプールの深いところまで戻り、そこから水流ブレスで攻撃する。氷壁でブレスを弾き、刀を持ってプールへ潜る。ハルベリルは零を見るや否や突進し、巧みに体を動かして水流を操り、零の動きを妨害する。零は刀を振って水の流れを絶ち、トンファーの杭を射出する力で高速で上下移動をする。ハルベリルは毒の塊を吐き出し、零はそれを躱す。しかし水中で爆裂したそれは瞬く間に拡散し、零の体を蝕む。
「ちっ……」
舌打ちはしたが、あくまで冷静に動く。零の周りをぐるぐると泳ぎ、巨大な渦が零を閉じ込めている。毒も猛烈に攪拌され、零の周囲に留まっている。零は刀を居合い抜きのように構え、ハルベリルが眼前を通る一瞬で抜刀し、渦を切り裂いて氷の刃でハルベリルを打ち上げる。それを追って、零も浅瀬に戻る。のたうつハルベリルへ、零はトンファーを脳天に叩き込む。なおもハルベリルは起き上がるが、零を敵意のない瞳で見つめる。
「力……認める……」
ハルベリルは天に吠え、水の塊になって零に取り込まれる。零が腕を構え、ステップを踏むと、籠手と具足が装着される。
「ティアスティラ」
零は目の前にあった巨大なマスコットの像をパンチで粉砕する。
「悪くない力。感謝する」
ウォーターエリアを後にして、次はアーカイブエリアへ向かう。その名の通り、大きな資料館があり、そこから休憩室とアリーナに繋がっている。零は資料館へ入る。資料館の中は異常なほど寒く、展示物には霜が降り、ショーケースは結露していた。奥へ続く道は氷で塞がれていたが、零は籠手によるパンチで砕いて進む。めぼしいものが無いため、階段で二階へ上がる。映写室を見つけ、中を覗いてみると液晶に何かの映像が流れていた。そして液晶の前に、眼鏡の男――剛太郎が座っていた。
「ソムニウムか。この戦いに困惑しているようだが、その戦いっぷりは流石だな。俺も杉原を煽って結審を起こさせた甲斐があるというものだ」
「あなたが杉原くんを?」
「ああ。見ろ、ソムニウム。この映像を」
剛太郎に促され、零は流れる映像に目を向ける。映像では明人が金髪の幼女と戯れる様が収められており、二人はとても楽しそうに笑い合っている。
「これは……」
「お前も俺もそうだが、明人もまた、始源世界の人間だ。横に居る女はブリュンヒルデ。始源世界のChaos社が作った人造兵器。明人にだけは懐いていたな、愚かなスクラップだったが」
ブリュンヒルデは、明人がその場を去っていって間もなく、一人で泣き出した。それも声を噛み殺すように、誰にも気付かれないように。
「失敗作であり、俺も捨てようと思っていたんだが……明人は無駄遣いはよくないと言って色んな感情持ちの兵器と戯れていた。今思えば、それは奴の空の器としての性質……誰かの願望に反応して、その思いに尽くそうとする機能の一部だったのだと気付いた」
「空の器」
「そうだ。杉原明人。あいつは空の器。他者から力を注がれなければただのゴミだが、誰かが力を込めれば全土を支配するほどの兵器へと変貌する。空の器は常に、自分に注がれるべき強い力を求める」
ブリュンヒルデは泣き続けている。そのままフェードアウトし、場面が切り替わる。穏やかそうだがガタイのいい男の遺体を、藍色の髪の女が泣き喚きながら抱き抱える。
「エウレカによる始源世界の統一が成った日に起こった大反乱……エメル・アンナという一人の女によってエウレカは壊滅し、ゼノビア・キュリオスという女の凶刃にバロンは倒れた。明人はそのクライシスの最中に俺が回収した」
「(バロン?エメル?初めて聞く名前なのに、すごく聞き覚えがある……)」
零は思考を巡らせる。映像では藍色の髪の少女――ゼノビアの背後で、真顔の金髪の少女がいた。ブリュンヒルデとは異なり、少し大人びていて、ボディラインがくっきりしている。
「明人はクライシスの後、しばらく喪失状態だった。まあ無理もないが……元々作り物なのだからな、あいつも」
金髪の少女がゼノビアへ光の檻を産み出し、閉じ込める。映像がまた切り替わり、明人と零が相対していた。
「私?」
「そうだ。お前は始源世界の存在。今はそれ以上のことを知る必要はないが、お前と明人はお互いが思う以上に因縁が深い」
明人が逃げに徹し、零は容赦なく攻撃し続ける。その攻防の途中で映像は終わる。剛太郎は立ち上がり、消える。
「……。とんでもないオカルトかデマに巻き込まれた気分」
零はそう吐き捨て、アリーナへの通路を渡る。アリーナの二階の観覧席へ出ると、アリーナ全体が凍りついていた。零は一階に飛び降り、それと同時に空中から巨大な狼が落ちてくる。
「あなたがここを守っているの」
「そうだ。俺は黒皇獣エンキドゥ。黒皇獣ヴァナルガンドの一部だ。我が王の命により、ギルの兄貴と仕事を分担してる」
エンキドゥは鎖が身体中に巻き付いており、アリーナの半分を覆うほどの巨体を持っていた。
「知ってるだろ、シュメールのギルガメス叙事詩。あれのエンキドゥが俺」
妙に軽い口調のエンキドゥは、その巨体から想像も出来ないほどに爽やかな声色だった。
「まあ、一応」
「色々縁があってなあ、とりあえずここを守らしてもらってんだ。白金零、アンタがここに来るまで暇だったんだぜ?」
「あっうん。どうでもいいけど、さっさと勝負しよう」
「おっしゃ、そう来なくちゃな!」
エンキドゥが咆哮すると、アリーナを覆っていた氷が全て砕ける。
「正直寒くてしょうがなかったんだよ。でも王に凍ってた方が演出的に面白いって」
「ああ……」
露骨に聞き飽きた態度を取って、零は飛び上がり具足によるキックを叩き込む。噴き出す激流によって加速したキックはエンキドゥを後ろへ押し返す。
「ハッハァ!ハルベリルの力を感じるぜ……!」
エンキドゥは上体を起こし、ジャンプしつつ右前足を零を叩きつける。トンファーの冷気でエンキドゥのマウントを取り、細剣を投げつけ、刀で鎖を絶つ。すると全身を覆っていた鎖が解け、エンキドゥは黄金の輝きを放つ。左前足を床に叩きつけ、地面から刺のように張った鎖が無数に涌き出る。零はトンファーで滞空時間を稼いでそれを躱し、着地して一気に距離を詰め、刀の連撃で足を払い、崩れたところに激流の勢いを乗せたアッパーを叩き込んでアリーナの天井に激突させる。エンキドゥは床へ落下し、気絶する。張り付けたように、目は渦巻きになっていた。
「正直あなた、滑ってると思う」
そう言い残して、零はアリーナの一階の正面ドアから出ていく。次はライドエリアに向かい、観覧車の前で立ち止まる。動いていない観覧車の最高点に、大きな熊が立っていた。
「ハーッハッッハッハッハ!遂にここまで来たか白金零!かくごー!」
熊は暴れながら零を指差すが、零はため息をついてそっぽを向く。
「おい!ちょっと待って!無視せんといて!ここまで来ておいてスルーするとか時間が勿体ないとか思わんとか!?」
熊はわちゃわちゃ騒いでいる。
「(最悪この人を無視して無理矢理通るか……)」
零が完全に無視を決め込んで立ち去ろうとすると、熊は足を踏み外して落下し、零の目の前の地面に頭から突き刺さる。
「邪魔」
熊は勢いよく頭を引っこ抜き、思い出したように腕を組んで堂々と佇む。
「ふん、やっと戦う気になったか!俺はフンババ、このライドエリアの……」
余りにも堂々と自己紹介を続けていたため、零に氷漬けにされて、スペースユニバースの敷地外に投げ捨てられる。零はそのままスペースエリアへ向かう。アトラクションの前に、一体の巨大な虎が鎮座していた。
「来たか……白金零」
「……」
零は虎の前に立つ。
「我が名は光猛覇天獣 リベリオン・リベロ。このナラカを生み出した者の心を映す鏡、力の具現である」
リベロは徐に立ち上がる。
「来い、勝負はこれでやる」
二つのレーンが並列して作られているアトラクションにリベロは案内する。片方のレーンにはカートがあり、もう片方のレーンには何もなかった。
「これは」
「俺とお前でレースをする。相手を殺すか、先にゴールした方の勝ちだ」
「なるほど」
「所詮は人間の娯楽のために作られたものだ、そこまで長いコースではない。だが――気を抜けば一瞬で死ぬ」
零はカートに乗る。リベロも準備を終えると、ランプが赤から青に変わる。カートは自動で加速し、リベロは自分の足で走り出す。スタートしてすぐかなり急なカーブが来る。リベロがスピードを落とさずにカーブへ突入し、尾をしならせることで零の走路を妨害する。零はカートのアクセルペダルを氷漬けにして最高速を保たせ、籠手から水の塊を発射してリベロのレーンを破壊する。リベロは華麗に横回転しつつ飛んで走路を確保し、零はレーンを濡らして摩擦を減らし、スピードを更に上げていく。リベロはかなり速く、零との距離がみるみる内に離れていく。追い付けないと考えた零は、カートから飛び降り、正面から受け止め、そのままリベロよりも先のレーンへカートを投げ飛ばす。トンファーで加速して投げたカートに追い付き、着陸させつつ飛び乗って籠手の激流でカートを加速させる。リベロは口から光を吐き出し、零は氷壁で光を弾き、刀を掌底で飛ばし、氷の破片と共にリベロの視界を妨害する。リベロは加速するも、眼前に立っていた零の拳を真正面から食らう。そして零はカートへ飛び乗り、そのままゴールする。リベロも遅れてスタート地点に戻る。
「うむ。陽花里の下へ向かうがよい」
リベロはそれだけ告げて、消え去った。
光猛の血戦場・屍山
「やっと最後か」
零は中央に聳える山の門の前に立つと、四つの宝玉が光輝いて扉が開く。零は山道を登り、頂上につく。そこには、ガントレットを地面に突き立てて零を待ち構えていた陽花里がいた。
「ようこそ、白金ちゃん」
陽花里は柔和な笑顔を見せる。
「……。別に飾らなくていい。本物のあなたを見せて」
その一言で、陽花里から笑顔が消える。
「そう。なら、そうさせてもらう。私は貴様を討つ。杉原が貴様のことをどう思っているのかは知らないが、杉原には恩がある。私たちのバレー部を、取り戻してくれたし、力ある世界の理想もくれた。自分の意思で、自分の力で戦い続ける世界。苦しいかもしれない、次の瞬間には死んでいるかもしれない。けれど、その世界では生きているということをこの上なく実感できる」
ガントレットを両腕に一つずつマウントし、全身が虎を模したパワードスーツに包まれる。
「世界は変革する。我らChaos社の力で、貴様の血で、世界は有史以来の大進化を遂げる!意味のない偽善を振りかざす時代を終わらせ、個人と個人の闘争の世界を取り戻す!」
陽花里は雄叫びを上げ、ガントレットをぶつけ合って甲高い金属音を鳴らす。
「覚悟せよ、白金零!」
右のガントレットから巨大な光線が放たれる。零は躱すが、陽花里はしつこく銃口を補正する。背後の彼方に見える博物館がスライスされて崩落し、零は一気に接近してトンファーを打ち込む。陽花里は左のガントレットで攻撃を弾き、上部から光をブースターのように放って零をかち上げ、今度は光の玉を握りつぶして細い光線を拡散させる。零は刀で光線を弾き、具足で蹴りを放つ。陽花里はガントレットに光を充填して盾とし、更にガントレットの先端が指のように五本に分かれる。そのまま地面に突き刺し、溢れる輝きが噴出し、零は吹き飛ばされる。
「遅いッ!」
零が体勢を立て直すより速く、陽花里はパンチを重ねる。トンファーを交差させて防ぐが、そのガードを崩して腹に拳をめり込ませ、光を爆散させ、零の皮膚を焼き焦がす。零はガントレットを抱え込み、陽花里の頭を足で抱え込んで投げ飛ばす。両者呼吸を落ち着け、視線を交わす。
「あなたは極端な一般化をしているに過ぎない。人間の中には、戦いを好まない人もいる」
「いいや。貴様は現実を見ていないだけだ。人間は愚かだ。こんなことなら、猿に生まれていた方が余程幸せな程度にはな」
「少なくとも私は、戦いたくない。めんどくさいから」
「ふん、目の前の事実から目を背けて、背け続けて、その先に一体何が残る?貴様はその『めんどくさい』のお陰でここにいるのではないのか」
「さあ、知らない。私も所詮、誰かに流されるだけの一般人だから」
零の籠手と陽花里のガントレットが衝突する。
「ならば死ね。我々が欲するのは、貴様の細胞と血だけだ」
「あいにく、ヴァンパイアは趣味じゃないから」
零が腕を引っ込め、飛び上がって急降下し、地面から水を噴き出させて陽花里の視界を妨害する。そして零を探して頭を振っている陽花里へ、零は細剣を突き刺す。
「ごふっ……」
血を吐き、陽花里は崩れる。ガントレットを外して、思いっきり細剣を引き抜いて投げ捨てる。指を差し込み、光を放って傷口を焼く。
「ちっ……深追いはするなと言われているからな……」
そう呟き、陽花里は立ち上がる。
「貴様の勝ちにしといてやる。さっさと行け」
零は頷き、山を降りていく。零の背中が見えなくなると同時に、陽花里の下へ明人とトラツグミが現れる。
「ごめん、杉原……白金を仕留め損ねた」
陽花里の懺悔に、明人はゆっくり頷く。
「心配せんでいいよ。まだ黒崎さんもゆーちゃんも俺もおる。結審が終わるまでゆっくりしとって」
そう告げられ、陽花里は兵装を解除してその場に座り込む。
「俺たちはやることがある。そのために、ここにいるんだから」
明人はトラツグミに抱えられ、その場を去った。
光猛の血戦場
零が入り口まで戻ってくると、奈野花は立ち上がる。
「意外と遅かったわね」
開口一番、奈野花はそう言い放つ。
「ただ待ってる側としてはそうなんじゃない」
「うん、それじゃあ私のお願いを聞いてもらおうかな」
奈野花はわざとらしく咳払いをする。
「実はね、芦屋の海に次元門が開かれているの」
「次元門……?」
また出てきた意味不明なワードに、零は首を傾げる。
「某猫型ロボットの机の引き出しのようなものよ」
「ああ……」
なんとなく合点がいった零を見て、奈野花は話を進める。
「そこに巨大な物質エネルギーの出現を感知したの。解りやすく言えば、デカい建物が急に現れたの。芦屋の海上に浮かんでるんだけど、そこにこことは違う世界の、貴方のお母様が居るの」
「お母さんが?」
「まあ見た目が同じだけの他人だけれどね。この結審を妨害されると面倒だから、止めてほしいの」
「黒崎さんがやればいいんじゃないの」
「色々と事情があってね、私じゃ役不足なの。移動は私に任せていいから、お願い」
零はため息をつく。
「わかった」
奈野花はガッツポーズを取る。
「それならレッツラゴー!」
鎧を身に付けたまま指を鳴らすという、地味に人間離れした業を見せて、周囲が闇に包まれる。
芦屋海岸
「んん……」
零が目覚めると、そこは芦屋の海岸だった。確かに海上には、何やら巨大な物体が見える。そして海岸の方では、ホワイトライダーと奈野花がビーチバレーをしていた。――鎧のままで。零が起きたことに気付き、奈野花は近寄ってくる。
「あら、お目覚めね?波止場から中に入れるから、そこからどうぞ~」
緩い雰囲気でそう言うと、またビーチバレーに興じ始めた。
「今日の出来事だけで小説がかけそう」
零は立ち上がり、波止場から構造物の内部に侵入する。
月詠の帝都アタラクシア
内部は動力が落ちているのか真っ暗で、構造として空洞が多いのか、殆ど海水で満たされていた。
「下には……流石に誰もいないか。取り敢えず上に行こう」
零は広大かつ複雑な構造物内部を歩き回り、一際大きな扉に辿り着く。開こうとしても開かないため、零は横にあった螺旋階段で上へ昇る。そこは屋上であり、周囲の景色が一望できると共に、構造物の巨大さを把握できた。零が屋上を調べようと歩いていると、背後から気配がして振り返る。そこには明人とトラツグミが立っていた。
「よう、零さん。パーティーはまだ準備中やってん」
「確かにね。お母さんがどこにいるかも聞いていないし、そもそもこれがどういう建物なのかも聞いてないし」
「黒崎さんが言うには、異史とかいうところから流れ着いてきたやつなんやってさ。確か名前を……」
「アタラクシア」
明人が言い淀んでいると、トラツグミが助け船を出す。
「そうそう、アタラクシア。ま、そんなことはどうでも良くて……」
そして明人はしゃがみ、床に手を触れる。
「どうやらこいつを起動させなきゃ、ここから蜂美さんに退場してもらえないらしい。起動するのに必要なのは二つ。空の器と、氷水」
零はその言葉に反応する。
「そう、どうやら俺と零さんが鍵みたいなんちゃね。でも生憎、零さんは血でもなんでも力になるっちゃけど、俺は一人しかおらん。つまりどっちかがぶっ倒れなきゃいけないってわけなんよ!」
明人の手足に紫黒の輝きを放つ籠手と具足が装着される。
「ここで決着をつけるなんてね」
零の一言に、明人ははにかむ。
「まさに棚からぼたもちってなあ!」
明人は瞬間移動し、高空からキックを放つ。零は刀で弾き、宙返りしつつ具足で蹴り込む。明人は長剣に持ち替え急降下しつつ振り下ろす。具足と長剣がぶつかり合い、火花を散らす。明人は即座に着地し、すかさず長剣の突きを突進しつつ放つ。盾で凌ぎ、細剣と長剣がぶつかり合う。
「なぜあなたは結審を起こしたの」
「決まっとーやん、腐った世界を終わらせっとよ。二度と世界に、人間を生み出すなんて間違いを起こささんためにな!」
「なぜそこまで……杉原くんが言うような流されるだけの人間が居ることに、なんの問題がある」
「全部だよ。そういう人間は確かに、人間という生物が安定するまでは必要だったかもしらん。だけど人間は進化の極点に達した。もうこれ以上、人間は他者を犠牲にしても発達しない。破壊をもたらすだけだ。だったら、人間は一刻も早くこの世から消え去るべきだ」
「なるほど……ね!」
両者が弾き合い、離れる。
「どうして人間が進化しきったと言い切れるの」
「世界は安定しきった。確かに紛争や、社会問題や差別は残っているかもしれない。だけど、もう世界は宇宙を見据え始めた。それは道具に頼りきった、地球の生物としての限界を越えた所業だ。もう人間は、人間に抱えきれる限界を確実に越えたんだ。始源の存在じゃない、俺たちのような劣化人類は進化を終えた」
「仮にそれは本当だとしても、みんなの命をあなたが決めることも、人間に抱えきれないんじゃないの」
両者の籠手が衝突し、凄まじい衝撃波を起こす。
「まさにその通りだよ、零さん。でも誰かが全てを抱えなきゃならない。世界を終わらせるにしても、続けるにしても、それに相応しい力を持った誰かが全て背負わなきゃならない」
二人は手を掴み合って押し合う。
「あなたにその力があると?」
「いや。その力を持ってるのは君っちこと。俺がその力を持ってないけ、わざわざこんなことしよるんやん。力は、力を欲するもののところにあるべきやから」
勢いよく手を離してアッパーを零へぶつけ、脇腹へ蹴り込み、反撃で振られた刀を長剣で弾き返してそのまま腹を貫く。
「やけん、こうなる。より強い意思を持つものが、願いを果たす」
長剣を更に強く捩じ込む。
「俺は零さん、君が目標だった。何事もそつなくこなして、常にクールで、俺の理想だった」
勢いよく長剣を引き抜き、零は倒れる。
「血は手に入った。行くぞ、トラツグミ」
明人は淡々と告げ、二人で階段へ戻ろうとする。背後で零が起き上がりのを察して、走り寄って再び長剣で左胸を突き刺す。今度こそ動かなくなった零を置いて、二人は去っていった。しばらくして、零は立ち上がる。腹に空いた傷と、胸に空いた傷を眺め、そこから黒い瘴気が溢れているのを確認する。
「ラグナロク」
そう呟くと、零の体が竜化し、黒いコートのようなパーツで覆われた竜人へと変化する。零はすぐに竜化を解き、顔を綻ばせる。
「ちょっと戦うのが楽しくなってきたかも」
階段を降り、明人を猛追する。
アタラクシア・最下層
トラツグミが巨大な右腕を装着し、力任せに巨大な門を粉砕する。円形の祭壇が眼前に広がっており、その中央に窪みがある。明人はその前に立ち、長剣から零の血を滴らせ、籠手のパンチを窪みへぶつける。
「……」
「……」
明人もトラツグミも、窪みを見つめるが、しばらく経っても何も起きない。
「あれ?ぶっ壊れとーばい、これ」
「おかしいですね、剛太郎様より頂いた情報はそれだけですが……」
「血がもっといるとかかなあ?」
「困りましたね……白金零がここまで来るのをまた待つ必要があるかもしれませんね」
―――……―――
零は空洞に満たされた水の中を泳ぎ、最下層の壁に穴を開けてそこから入る。氷で穴を塞ぎ、奥へ進む。壊れた大扉を通り、円形の祭壇へ辿り着く。
「あっ零さん。やっほー」
明人がばつが悪そうに手を振る。
「いや誤算だったね。まさか起動しないなんて」
零はその一言に思わず吹き出す。
「人のことをあれだけぶっ刺しておきながらそれだけ笑えるなんて、ある意味才能」
「まあいいやん、生きとんやけ」
零はトンファーを構える。
「正直めんどくさい気分も拭えないけど……ぶん殴って止めさせてもらう」
明人は肩を竦める。
「ちょうどいい。零さんを死体ごとぶちこめばこれも動くに違いない」
先程と同じように籠手と具足を装備し、更に長剣を抜く。
「それなら決着をつけよう、そろそろ幕引きの時間だしね」
明人はストレートを構えて具足から蒸気を発して加速して拳を打ち込む。零は刀で弾き、抜刀しつつ突進する。明人は長剣の腹でガードし、上空へ瞬間移動し、急降下しつつキックを放つ。零は横に避け、細剣で突きを放つ。明人は左の籠手の蒸気で無理矢理体を動かして躱し、蒸気を発しつつ右の籠手で拳を放つ。零は左の籠手で弾き、至近で右の籠手から水の塊を放つ。明人は再び長剣でガードし、後方へ瞬間移動の後、長剣から衝撃波を放つ。零は盾で凌ぎ、トンファーの冷気で一気に距離を詰める。具足による高速キックを打ち込むが、明人は籠手で受けきり、両者の拳が衝突する。
「今の零さんじゃ、何回やっても俺に勝てなさそうやな」
「それは、どうかな?さっきだって決着はついてはない」
零は明人を吹き飛ばし、壁に叩きつける。黒い闘気を放って竜化し、巨大なナイフのような刃がついた槍を構え、明人目掛けて突進する。明人は必死の表情でその突進を躱し、零は避けられるのを察して踏みとどまる。
「マジかよそんなことできるのかよ!?」
「覚悟して。ここで仕留める」
眼前に佇む零に、明人は酷く困惑する。
「やっぱりあんたサイコーだぜ!やっぱあんたは俺の一歩先を歩いてなきゃな!」
零が勢いよく突っ込み、槍を縦横無尽に振るう。明人がすんでのところで長剣と籠手を駆使して防ぐが、反撃できずに消耗する。その戦いを脇で見ていたトラツグミが、ふと祭壇の中央がせり出ていることに気付く。
「明人様!アタラクシアのメインシステムが起動しております!」
「え!?どわぁ!」
その一言に気を取られた明人は零の一撃に吹き飛ばされる。そのまま、吹き飛んだ明人はトラツグミに受け止められる。零は竜化を解く。そして、凄まじい振動と共に、水が流れ落ちる音が聞こえ、祭壇の周囲の壁が格納されていく。
「うおおお!浮いてるぜ、トラツグミ!」
「はい、浮いております。恐らく、お二方の単純なパワーのぶつかり合いが与えられた起動用のエネルギーに作用し、そのシフルエネルギーを増幅させたのでしょう」
零は遠目で二人の気の抜けた微妙に噛み合っていない会話を見つつ、未だ姿を見せない母の存在に思考のリソースを割く。
「ところで杉原くん、私のお母さんがここにいるらしいのだけど、知ってる?」
「いや知らんけど」
「ああ……そう」
零のそっけない反応に明人は過剰に焦る。
「ちょちょちょ!ちょっと待って!ねえトラツグミ、ここに蜂美さんいるって本当?」
明人の焦りとは真逆に、トラツグミは淡々と答える。
「ええ、事前のブリーフィングで奈野花様より教えていただきました。ただ、アタラクシアの完全な起動を成さねば本体を誘き出せない。故に、こうして白金零を誘い込み、戦ったということです」
「ほーん」
明人は零へ向き直る。
「このアタラクシアが起動した以上、ここのどこかにいるらしいよ」
「わかった。じゃあ一緒に探して」
「え?」
「杉原くんもあの人が邪魔なんでしょ。なら戦力は少しでも多い方がいい」
突然の提案に明人は戸惑う。そこへトラツグミが耳打ちする。
「明人様、ここで白金を使わぬ手はございません。異史の白金蜂美はどうやら、剛太郎様より受け取っている悪魔化プログラムを持っているようですから、隙を見て奪えば、明人様の戦力の増強としてぴったりではありませんか?」
「確かに……」
明人は零に近づく。
「おっけ。今だけ共闘ね」
「じゃあ行こう」
「ういっす」
芦屋海岸
壊れかけの海の家の椅子で座って談笑していたホワイトライダーと奈野花は、浮き上がり、展開を始めたアタラクシアを見上げて感嘆の声を漏らす。
「いやーすごいですなあ、王よ」
「そりゃすごいでしょうね。アタラクシアは異史Chaos社が総力を結集して作り上げた天上の方舟……エンゲルバインに支配された哀れな女性の権力の象徴だもの。尤も、杉原はともかくとしても、零さんの力が無ければ起動しないって言うのはガラクタ一歩手前だけど」
二人は立ち上がり、それぞれの得物を手に取る。海上に展開され続けるアタラクシアから無数の兵士や兵器が落ちてくる。
「やれやれ、世話の焼ける兵器たちだわ」
「全くですな」
光の矢が蜂を模した装備のアタラクシアの兵士を一匹貫く。肉厚の人工脚でのっしのっしと歩み寄ってくる中型歩行戦車を奈野花がでこぴんで木っ端微塵にする。
「Chaos社の技術をすべて掠め取ったのだから当然だけど、金剛がいるとはね」
砕け散った金剛の破片を持ち上げ、まじまじと見つめる。
「フォルメタリア超合金ですなあ」
「そうね、ほぼシフルで構成されたフォルメタリア鋼をそのまま精錬できなかったから、これを保護材として劣化ウラン装甲と固定セラミック装甲とタングステン装甲を併せた変態装甲材。ただ脚はがちがちに固めるわけにもいかないから脆い……まあ、現代の戦場ならネックだったでしょうね」
奈野花が装甲を放り投げる。凄まじい重量のそれは、砂浜に深々と突き刺さる。
「あの二人が帰ってくるまでは、遊ばせてもらいましょ」
余裕の表情で、奈野花はホワイトライダーを見る。
「やれやれ、我らの目的のためとはいえ、雑魚狩りとは」
アタラクシア
三人が上層へ戻ってくると、内部は侵入したときとは異なり、凄まじい広大さを持つ空中要塞へと変貌している。
「トラツグミ、敵はどれくらいいる?」
三人は柱に隠れて様子を窺っていた。トラツグミはゴーグルを掛け、柱越しに敵を見る。
「一分隊がいますね。装備はアサルトライフルに高周波ブレード、中央前方に隊長クラス、左右に三人ずついます」
零が頷く。
「ぶん殴って進もう」
明人が止めに入る。
「ちょ、今トラツグミに見てもらったのに。こういうときはステルスアクションした方がいいって!」
「私たちを見たやつ全員に眠ってもらえば完全ステルスよ」
「そんな無茶な!?」
零は飛び出す。
「ああもう、トラツグミ、やるぞ!」
明人とトラツグミも柱から出る。トラツグミは右腕からワイヤーを飛ばして蜂を模したカラーリングがなされた装備を身に付けた兵士を一人引きずり上げ、右手で頭を掴む。前腕部から展開された無数の針が兵士を滅多刺しにし、トラツグミは兵士を投げ捨てる。明人が長剣で兵士を一人串刺しにして、そのまま長剣を振り回して兵士を蹴散らし、トラツグミと二人で一人ずつ兵士に止めを刺していく。零が隊長クラスの兵士を籠手で瞬殺する。ものの数秒で敵は全員絶命し、明人が一息つく。
「ったく、無茶するよ……」
零は明人を気にすることなく、扉を開いて先に進む。
「トラツグミ、ここはアタラクシアのどの辺?」
明人はトラツグミに問う。
「下層の外部船舶発着場のようです。白金蜂美やアタラクシアのコアはもっと上部に集中しています。アタラクシアの正式な名前は『Chaos社製セレスティアル・アーク級空中要塞二番艦アタラクシア』でございますから、その名の通り、空中に浮かぶ要塞という、激しい視界占有率を誇る兵器です」
「これを放置したら確実に今後の作戦に支障が出るもんな。出来れば若松くらいに落としておきたいところだけど」
「今は白金様の進む道に合わせましょう」
「そうやね」
先に進んでいる零に追い付くため、二人は駆ける。零は通路の曲がり角で立ち止まっていた。零の目の前には、無数の赤い線が張り巡らされていた。
「これは?」
明人が零に聞くと、零はゆっくりと視線を合わせる。
「なんかヤバそうだからトラツグミさんを待ってた」
トラツグミは赤い線を見て、頷く。
「アクティブIRセンサーというものでしょう。赤外線による動体感知システムです」
「だってさ」
明人が振り返ると零は先へ走っていた。当然センサーに引っ掛かり、アラートと共に内部が赤い緊急灯の光で覆われる。
「マジで全員ぶっ倒す気かよ」
明人とトラツグミは背後から来た兵士を蹴散らし、正面で大立ち回りを披露している零の下へ駆ける。零は設備や壁を破壊するほどの勢いで氷柱や水塊を敵に叩きつけ、文字通りの蹂躙を見せつける。
「これ俺ら要らないでしょ」
明人は討ち溢した残党を籠手で撲殺しつつ零の下へ辿り着く。
「今全員片付けておいた方が後で邪魔されなくて済む」
「確かに言えてるけどさ……」
三人が暴れまわり、ようやく敵の波が収まる。
「トラツグミさん、ここからどこに行けばいいと思う」
零が尋ねる。
「この先にブリッジへ繋がる長い通路へのエレベーターがあります。間違いなく迎撃設備が用意されているでしょうが、ここまで暴れたら隠れる意味もないかと」
トラツグミが答える。
「それで良さそう。行こう」
三人はアラートが鳴り響く中を突き進んでいく。
アタラクシア上部・大聖道
エレベーターから降りると、そこは一つの飛行物体の内部とは思えぬ、宮殿への長い一本道のような通路があった。三人が通路を歩いていると、前後から一体ずつ、蒼龍が現れる。
「来須さんの……」
零の反応に、トラツグミが続く。
「確かアタラクシアには、蒼龍が八体配備されていたはずです。後で地上の敵の処理もしなければなりませんね」
明人が籠手を構える。
「ぶっ壊して進むしかねえだろ」
明人を捕捉した蒼龍はフェイスプレートを展開し、プラズマビームを照射する。明人は素早く跳躍し、右のヒレのバルカン部分に立ち、蒸気で加速させた踵落としでヒレを切断する。ヒレはそのまま落下し、海へ落ちる。蒼龍は明人を啄もうとプレートをまた開くが、トラツグミの換装された右腕の剣を刺され、大きく仰け反る。更に額に長剣を刺され、明人に力任せに背中から開かれ、爆発しつつ落下していった。一方零は蒼龍の踏みつけを籠手で弾き、崩れたところに刀を抜刀し、蒼龍を両断する。
「流石に仕事が早い。流石は零さん」
明人が長剣を消しつつ零へ近付く。零は正面にある巨大な門を見据える。
芦屋海岸
六体の蒼龍が瞬時に粉砕され、ようやくアタラクシアから降下する兵士は居なくなった。ホワイトライダーが奈野花の方を向く。
「どうやら白金が王の間まで辿り着いたようですな」
「あそこには誰を置いていたっけ」
「ブラックライダーです」
「ああ、なら安心ね。そろそろ福岡に帰りましょうか」
二人はジャンプで空を飛んで消えた。
アタラクシア・王の間
三人が巨大な通路の前に立つと、その横に黒い鎧の骸骨騎士と小刀を持った少年が現れる。
「お初にお目にかかる、僕はヤジュル。四聖典の一人です」
ヤジュルは会釈する。
「私は……ブラックライダー……」
黒い鎧の骸骨騎士が礼をする。
「僕からは、白金蜂美についてお話しさせていただきます。白金蜂美はご存じの通り、白金零、あなたの母親です。この世界でも、異史でも。エンゲルバインと呼ばれる始源の存在によって操られ、あなたと杉原明人を手中にするための駒とされています。本人が元々持っていた性質なのか、非常に傲慢で、例えあなたと対峙したとしても、間違いなくあなたを犠牲にするでしょう」
零は答える。
「そうだったとしても、元の地球に戻るには倒すしかない。何も躊躇うことはない。肉親であっても、必要なら殺すしかない」
「そうですか。ですが、白金蜂美は、間接的ではありますが真滅王龍ヴァナ・ファキナの復活にも関わっています」
ヤジュルのその一言に、明人が不快感を露にする。
「真滅王龍……?」
零がその疑問をヤジュルに投げ掛けようとしたとき、二人の間に明人が割って入る。
「まあまあ、蜂美さんについてちょっとでも知れただけいいじゃん、進もうや」
明人はヤジュルに刺すような視線を向ける。ヤジュルはその背後に溢れる邪悪な気配を察知して、即座に身を引く。
「白金零、くれぐれもあなたの母上には注意するように。この戦いが終わったら、一度自分の家に戻ってみることをおすすめします」
ヤジュルはブラックライダーに抱えられ、飛び去っていった。
「先に行こうぜ、零さん」
明人に言われるまでもなく、零は扉を押し開く。広大な空間には、一つの玉座、一人の女性、そして両脇で向かい合っている騎士が二人いた。
「エリアルはどこにいるかと聞いているんだ!」
金色の鎧に身を包んだ騎士が、青い鎧の騎士を怒鳴り付ける。
「知らん。だいたい、いくら俺たちに余裕が無かったからとはいえ、結審に乱入するなど正気とは思えん!」
中央の女性は、二人の騎士の言い争いを余裕の表情で聞いていた。三人が近づいてきてしばらくの後、ようやく騎士たちは三人を認識する。
「ベルガ、話は後だ。零と空の器が来た」
青い鎧の騎士がハンドガン型のガンブレードを腰から引き抜く。
「仕方あるまい。ゼル、貴様はどうやればバロンからエリアルを引き離せるか考えてろ」
ベルガと呼ばれた黄金の騎士は、金色の巨大な双剣を構える。零を制し、明人とトラツグミが前に出る。
「俺たちがこいつらの相手をする。零さんは蜂美さんの相手を」
零は頷き、正面を進む。
「異世界から遠路はるばるご苦労だが、あいにく今は結審の真っ最中でね。悪いけど、消えてもらうわ」
明人は力み、赤黒く丸い体に、先端に凶悪な口の付いた四本の腕を生やした醜悪な怪物の姿へ変貌する。トラツグミは剣の右腕を外し、三本のミニガンを連結した荒唐無稽な兵器を右腕に取り付ける。ベルガが明人と対峙する。
「覚悟しろ、空の器。我が名はベルガ・エウレカ。バロン・エウレカの兄であり、蜂美に仕える誇り高き騎士である」
「ふん、せいぜい足掻けよ、おっさん!」
二人が激突するのを傍目に見て、ゼルとトラツグミは視線を交わす。
「いいのかよ、あいつはあんたのご主人様だろ?ベルガと戦ってただで済むとは思えんがね」
「本当にそう思っているのなら、貴方様は明人様の、空の器の力の強大さを知らない」
「えらい自信だな」
ガンブレードの刃を肩に乗せたのと同時に、二人の間をベルガが吹き飛んでいく。双剣が床に落ちる甲高い音と共に、ベルガが呟く。
「なんだ、この力は……!」
明人は重い歩行音を散らかして、のっしのっしとベルガへ近付く。
「円卓の騎士風情が調子に乗るなよな!忠義に篤かろうがどうだろうが……力が無ければただの猿以下なんだよォ!」
明人の体の装甲が開き、腕と同じような触手が五本現れる。
「消えてなくなりやがれ!」
腕と触手がバチバチと放電し、凄まじい出力の電撃をベルガへ叩き込む。ゼルとトラツグミは瞬時に飛び退き、お互いの得物を向け合う。雷はベルガを焼き尽くし、そして絶命させる。触手は嬉々としてベルガを鎧ごと喰らい、明人は元の姿に戻る。
「あーあ。俺はゼル・エウレカ。今死んだやつとバロンってやつの弟ってワケだが、降参だ。戦う気が失せちまった。喰われるなんてごめんだぜ」
ゼルはガンブレードを納め、その場に座り込む。
「明人様、この者は私が監視しておきます。白金様の救援を」
トラツグミの言葉に明人は頷き、前へ進む。玉座の近くでは、零と女性が向かい合っていた。
「よくぞ我のところまで戻ってきた。抜き身の剣は元の鞘に戻るということか……」
零はその言葉を遮るように細剣を向ける。
「残念だけど、そうはいかない。そちらにも事情はあるんだろうけど、私は他にやることがある。母さん、面倒だからさっさと死んで」
蜂美は笑い、玉座から立ち上がる。
「愚かな娘だ。大人しく我の王国の礎となれば良いものを」
「愚かで結構。目的に向かう人間は、誰でも端から見れば愚鈍に他ならない」
「まあよい。最後に我の手の中におればよいだけのこと」
蜂美は左手の甲に記された痣を見せる。その痣は輝きを放ち、そこから電子回路のように光が体を覆う。
「デッドリーホーネルダンスよ、我に力を!」
そして蜂美は手足の生えた巨大な蜂となる。
「平伏せ、跪け、服従せよ!」
零は苦笑しトンファーを構える。
「いくら母親が相手とはいえ、言わせてもらうわ。そのセリフはダサいし、どれも嫌い」
「同感だね」
明人が零の横に立つ。
「もう終わったの」
「うん、ほら」
黄金の双剣を手元に生み出し、零に見せる。
「じゃ、二人で倒そうか」
「おっ、初めての共同作業だね!?そう来なくっちゃ!」
明人が長剣を、零がトンファーを蜂美へ向ける。
「「ダブルダウン!」」
ノリノリで言い放ち、明人は吹き出す。
「これ俺らの方がダサくない?」
「ダサいくらいでいい」
痺れを切らした蜂美が、双剣を持って二人へ切りかかる。まずは明人を狙った突進は、明人が長剣での突きを合わせることで弾かれ、それでも蜂美は続く零の攻撃を弾く。更に鋭く立て続けの刺突を放つも、零は籠手でガードしきる。蜂美は幻影を放ちつつ瞬時に後退し、杖に持ち替え電撃を放つ。
「あやーっ!」
マイクを手元に召喚した明人がシャウトし、その電撃を打ち消す。そして、零のトンファーと蜂美の剣がぶつかる。
「お主はそこまで阿呆なのか?」
「さて、誰のことを言っているのやら」
零は剣を弾き、具足の踵落としで蜂美を叩き落とす。床へめり込んだ蜂美へ、明人が籠手で追撃する。蜂美はすぐに起き上がり、素早い突きで明人を吹き飛ばす。後方から飛んでくる零の攻撃を軽く受け止め、蜂美は鋭く切り返す。
「遅いな、小童ども」
明人が起き上がりつつ、煽るように笑う。
「おほほぉ、だってよ零さん。こういう年寄りにはなりたくねえもんだな」
零が苦笑する。
「私の本物の母さんはもっと優しくて謙虚だから。ところで、こうやって二人で力を分散させても意味ないと思わない?」
「なるほどね、じゃあこうしよう!」
明人は飛び上がり、零が空中で受け止める。零の手元で明人は光に包まれ、短剣になる。
「痩せたの?」
「やったぁ!贅肉が落ちたぜ!ってそういうことじゃない!使い方だいたいわかるっしょ?」
短剣を通じて零の脳内に明人の声が響く。零は迷わず短剣を胸元に刺し、力が噴出する。
「時は今ここに往生し、我が意思の放つままに打ち消えし。巡り巡る糸の果て、儚き夢幻を薄重ね、全ての因果を我が下へ!我が名、〝寂滅〟!」
力の渦を引き裂いて、巨大な蒼白の竜人が現れる。
「ゆゆうじょうぱぱわー!」
明人が叫ぶ。
「黙ってて」
零はそう告げ、蜂美を指差す。
「母さん、ここがあなたの墓標」
蜂美は呆れたように鼻で笑う。
「何をするかと思えば……所詮はただの子供、その程度が限界だろう」
「母さん……いや、エンゲルバイン。あなたは私や空の器が欲しいのに、その力は侮るの?」
「侮るも何も、その力を最も上手く操れるのは我以外におらぬわ。故に、我がお主らに負ける道理はない」
「ま、やってみればわかる」
蜂美が杖に持ち替え、それで床を叩くと結晶の波が寂滅へ飛ぶ。寂滅は腕を軽く振るってそれを砕き、同時に氷の波で蜂美を吹き飛ばす。蜂美は柱に叩きつけられ、悪魔化が解ける。
「バカな……」
「異史と正史で同じ人間だろうと、過ごしてきた人生は違う。その強さもまた違う。一人として同じ存在はいない」
蜂美は零の言葉を強く否定するように、床を殴り付けて立ち上がる。
「愚か者がァ!」
ヒステリックに叫び上げ、殴り付けられた床は粉々に砕ける。
「もういい、お主らを手に入れてから全てを成すつもりだったが気が変わった。この結審ごと、地球を飲み込んでくれるわ!」
蜂美は玉座を素手で粉砕して飛び降りる。寂滅は変身を解き、二人は玉座の向こうを覗き込む。海へ落下していく蜂美は、巨大な蔦に巻き取られ、見えなくなる。海面から湧き出た蔦は凄まじい速度で増えていき、海面に大きな次元の穴が空く。
「トラツグミ!」
明人の声に応じてトラツグミはゼルの襟元を掴んで明人の傍に寄る。
「間違いありません、あれがアタラクシアを召喚した次元門です!」
零はゼルへ視線を向ける。
「ゼルくん、あなたは何か知らない?」
ゼルはため息をつく。
「アンウィーレルドだな、ありゃ。異史でもあの人は一回やったことがある、地球全ての養分を自らに取り込んで、地球そのものになるって言うアホみたいなことをな。まあ安心しな、ここが異界化してる影響で正史の地球には関係ないからな」
ゼルの言葉に、明人が続く。
「じゃああの蔦はどこからエネルギーを吸収して動いてんだよ」
「恐らくだが、アタラクシアそのものにアンウィーレルドの一部を用意してたんだろう。それを解凍して、今自分と一体化させて活性化する。ZIPファイルみたいな感じだ」
「微妙に分かりにくい例えだな……」
巨大化していく蔦から、蜂美の怨嗟の声が轟く。
「全て我のものだ!バロンも、空の器も、何もかも!」
蔦の先端から超巨大な蕾が生まれ、それが開いて絢爛な花となる。
「はぁ、めんどくせえ。結局こうなるのか」
ゼルがため息をつきつつトラツグミの手を払う。
「一言に異史って言ってもな、正史以外の全ての時間軸は異史だ。色々あるのさ……」
蒼い粒子に包まれ、ゼルは蒼銀の竜へと変身する。そして空へ飛ぶ。
「俺は適当にこいつに攻撃する。あんたらも好きにやれよ」
アンウィーレルドへ突進し、華麗に舞いながら光弾を次々と叩きつけていく。
「どうするよ、あのデカさだと弱点があったとしても狙うのは容易じゃないぜ」
明人が零を見る。
「明人くんは何か手があるの?」
「ん?まあ俺はあるよ。零さんとの戦いのためにとっておきのやつが」
「じゃあそれ使って」
「人の話聞いて?とっておきって言うとるやん」
「とっておきを使うタイミング来ないかもしれないじゃん」
花から放たれた光弾が零たちの足場に着弾し、三人は宙を舞う。
「ほらね」
「わかりました」
明人は意を決し、紫色の光に包まれる。
「濁沼に渦巻く混沌を我が身に宿し、無の波濤、無限の潮騒に無垢なる心を捧げよ。我が名、〝無謬〟!」
紫の光を打ち破り、巨大な黒紫の竜人が現れる。零も同時に竜化し、お互い空中に停滞する。
「俺思うんだけどさ……」
「何。早く言って」
「たぶんあの程度の観葉植物とか相手にならないと思うよ」
アンウィーレルドから放たれた二本の巨大で鋭利な蔦を、無謬は掌を翳すだけで止める。
「無は無限の力。シフルをそのまま扱えないあの体じゃ、俺たちをどうにかしようって方がイカれてるよ」
無謬は続いてアタラクシアの端を掴み、豪快にアンウィーレルドにぶん投げる。アンウィーレルドは花を閉じてガードするが、無謬は続いて透明な玉をアタラクシアへ撃つ。それを受けたアタラクシアは、粉々になりつつも永遠に花に激突し続ける。無謬は花びらの重なりあった隙間に両腕を捻り込み、花びらを二枚引き千切る。
「おのれ空の器!なぜお主にそんな力がある!」
「わかるだろ、エンゲルバイン!あんたを上回る力を誰かからもらってるってわけ!」
無謬は両手から暗黒の波動を放ち、アンウィーレルドを怯ませる。
「この力、お主ヴァナ・ファキナの力を!」
「気づいたみてえだな!でももう終わりだぜ!行け零さん!」
無謬が花の中央に座す悪魔化した蜂美をぶん殴り、続く零の槍で蜂美は刺し貫かれる。
「うぐぅっ!?零……貴ィ様ァァァァァァァ!」
「さよなら、お母さん。悪いけど、異史のあなたには微塵も未練がないわ」
喚く蜂美を十字に切り裂き、アンウィーレルドは崩壊を始める。先程無謬が放り投げたアタラクシアは自力で制御を取り戻し、浮かんでいる。零と無謬とトラツグミとゼルは元の王の間に着地し、トラツグミ以外の三人は竜化を解く。
「これでいいの、杉原くん」
零が明人へ尋ねる。
「いや、まだ。次元門を閉じないと」
二人の会話に、ゼルが割って入る。
「それは俺に任せてくれ。元々白金蜂美を止めるためにここにいたわけだしな」
ゼルはガンブレードを肩に乗せる。
「なあトラツグミ、信用していいと思う?」
「いえ、全く。この者に頼らずとも我々でも封鎖できますので、頼る必要はまるでございませんね」
「だってさ、零さん」
明人は零の方を見る。
「ゼルくんがこの世界にいることも余り良くないんじゃないの」
零のその言葉に、ゼルは口角を上げる。
「やっぱそうなるだろうな。確かに歩んできた人生は違っても、根に深く張った元々の性格ってのは変わらないもんだ」
ゼルは竜化しつつ次元門へ飛び去っていった。
「行っちまった。俺らも帰るか。零さん、アタラクシアの浮力は次元門から供給されてる。あいつが次元門を閉じたらこれは落下する。早めに脱出した方がいいぜ」
明人はトラツグミにお姫様のように抱き抱えられ、トラツグミは零を見る。
「今回は共闘しましたが、基本的に私は貴方様のことが嫌いです。次に会う時は敵……明人様の邪魔をするのであれば容赦いたしません」
そう告げると、流麗に飛び降りて去っていった。
「一旦家に戻ろう……」
零は踵を返して去っていった。
芦屋海岸
零が砂浜を歩いていると、アタラクシアが落下を始めた。
「終わったようね……」
轟音を立ててアタラクシアが海へ落ちると共に、巨大な波が起こって零を飲み込もうと迫る。が、波はぶつかる前に凍る。
「自然現象はこれだから……何も考えずに突っ込んできてもこうなるだけでしょう」
呆れ気味にため息をひとつつくと、零はそのまま去っていった。
自宅
零は自分の家の玄関の扉を開き、中へ入る。家の中は当然ながら何の変化もなく、今朝のままだ。ゴミ箱の中には菓子パンの包装しかない。
「母さんの部屋に行こう」
零は階段を上がり、リビングを経由して両親の寝室へ入る。適当に引き出しを漁っていると、鍵のかかった手帳を発見する。
「鍵……は今の私ならぶっ壊せるか」
鍵を素手で引き千切ると、パラパラと捲って内容を確認していく。大半のページは日々の出来事や買い物のメモだが、あるページが目につく。
「『最近は疲れなのか、幻聴がよく聞こえる。仕事の時や家族で過ごしているときは大丈夫だけど……帰る途中や、家事をしてるときは頻繁に聞こえる』。この声の主がエンゲルバインってことかな」
零はなおもページを読み進め、最後のページに辿り着く。
「『今朝起きてから、時計が全く進まない。空も曇ったままで、しかも陣原の方に大きな城が見える。声が』。ふむ、ここから先は読めない……ありがちだけど、状況から察するに今朝、母さんはエンゲルバインに乗っ取られたと。でも私がさっき倒したのが異史の母さんなら、正史の、この世界の母さんはどこに?」
零は手帳を投げ捨て、リビングの戸棚を漁り、スナック菓子を食べて、家を出る。
虚空の森林
零は玄関を出ると、鉛色の空を見上げる。
「残ったのは穴井くんと、黒崎さんだけ……穴井くんは折尾の地下墓地にいるってことだけど……まあいい、手当たり次第に探してみよう」
零が折那の町を歩き回っていると、プールの横の公園に大穴が空いているのを発見する。零は穴を覗き込む。
「底は見えない……」
零は躊躇いなく穴に飛び込む。
異元の雷迅庫
落下を終えると、そこは前情報通りの石でできた巨大な墓所だった。
「墓、ねえ。こんな大きな墓に埋葬される人って、どれだけお金持ちだったのやら」
苔むした扉を開き、墓所の内部へ入っていく。意外にも内部は現代的な白い無機質な空間が広がっており、画一的な、変化の無い通路が延々と広がっている。と、入り口で立っていた零へ、一人の少年が近寄ってくる。四聖典に劣らぬ容姿の美少年だ。
「穴井くん」
零がそう呼ぶと、少年は視線を合わせる。
「よく来た、白金零。お前がここまで来るのを待っていた」
「私を結審で倒すため?」
「いいや、そうじゃない。お前に明人を倒してほしいんだ」
「ん?どういうこと」
「Chaos社も一枚岩じゃない。僕はこの世界がつまらないと言うことには同感だが、全て滅ぼすほど絶望してもいない。僕はこの結審を奪い取り、この世界と他の世界を融合させ、一つの複合世界を作り上げる」
「それなら、私じゃなくて穴井くんが直接杉原くんを倒せばいい」
「バカを言うな。明人に負けるつもりはないが、明人に取りついているものは俺たちのようなただの人間では歯が立たん」
穴井は踵を返す。
「ついてこい」
零は仕方なく、穴井の後をついていく。しばらく歩き、巨大なゲートを開くと、格納庫に辿り着く。黒いボディスーツに身を包んだ兵士たちが複数配置されており、アサルトライフルを持って哨戒に当たっていた。穴井が一台のジープの荷台に座り、零も座るように促す。零が荷台に乗ると、ジープは走り出す。
「さて、さっきの話の続きだが……明人は空の器……力を求めるやつには、喉から手が出るほど欲しい〝道具〟なんだ。この世界の結審において、やつに力を注ぎ、先手を打ったのは、異史の最後の仇敵、〝真滅王龍ヴァナ・ファキナ〟だ。ヴァナ・ファキナは異史の最後に、バロンと相討ちになって粉々になった。だが、ヴァナ・ファキナは核としていたアルバ・コルンツを切り離し、ボロボロになりつつも次元門を越えて明人に憑依した。この結審は、あくまでもヴァナ・ファキナが僕たちを体よく利用して復活しようとしているに過ぎない。明人が結審を成してしまったら、この世界は異史と同じ運命を辿ることになる」
ジープは先程までの無機質な空間ではなく、最初の墓所と同じ意匠の道を進んでいく。
「そのヴァナ・ファキナについてはよくわかった。でも、あなたの言ってることは、ただあなたが望み通りの世界を作って、支配するだけのことに聞こえる」
「まあ聞け。ヴァナ・ファキナは欲深い。明人には無限に力を注ぎ込める。倒した敵を片っ端から明人へ吸収させ、その子種を撒き、生まれた子供を更に明人に取り込ませて、無尽蔵に肥大化させていくはずだ。そんなことになったら、正史だけではない、異史も、他の世界を取り込んで、全てをヴァナ・ファキナが支配することになる」
零は呆れ気味にため息をつく。
「杉原くんを倒せないならその心配をする必要もない。この結審に選ばれたのなら、力で自分の望みを叶えるしかない。第一、杉原くんに勝てないのに、杉原くんに勝てる見込みがある私を倒せるの?」
「未来のために自害してもらう」
「それならダメ。どうにも賛同できないから」
「そうか……残念だ」
ジープが止まる。周囲から無数の兵士が現れ、穴井は飛び去っていく。
「死ね」
穴井がそう吐き捨てると、兵士は一斉に零へアサルトライフルを発射し、零は全方位に氷の壁を生み出して銃弾を受け止める。そのまま激流を放ち、受け止めた銃弾を跳ね返して兵士を仕留める。前から来た増援にジープを放り投げ、刀で銃弾を弾き返しつつ接近し、激流で兵士を全て上空へ打ち上げる。空中でキックを兵士へぶつけ、全員の死体がボトボトと石床に落ちる。
「何はともあれ、結審を終わらせる」
墓所の道を進み、また大きな門を開ける。今度は古めかしい書庫に繋がっており、薄暗く、可動式の書架で視界も悪かった。
「いいね、読書は好き」
零は書架の迷路を進み、穴井の後ろ姿を発見する。
「結審は最後の一人が残らなければならない」
穴井はその声に振り向く。
「ちっ、もう追い付いてきたか……」
零の追跡を逃れるように書架の迷路に逃げ込むのと同時に、書庫の中に霧が充満し始める。
「……。何か毒が含まれている、というわけではないみたいだけど……」
と、零はとっさに背後に気配を感じて振り返る。が、そこには誰もいない。
「……」
何もない空間へ向けて零は籠手でアッパーを合わせる。霧の中に僅かに輪郭が浮かび上がり、白い人工血液が吹き出る。
「目に見えない程度では死角を突くなんて無理」
四方から襲ってくる透明な敵を、正確無比な一撃で粉砕していく。七体目を粉砕したところで、更に霧が濃くなる。書架が薙ぎ倒され、首筋に釘の突き刺さった巨漢が現れる。血染めの破れたボディスーツを身に纏っており、エンジンの内蔵された巨大なバトルアックスを持っていた。
「れぇい……」
零を見つけて猛る巨漢は、ひび割れた地面のような肌に霧を取り込み潤わせていく。
「なるほど、この霧で水分補給と」
零は冷気を散らして霧を凝縮させるが、霧はなおも濃く残る。
「とりあえず倒してから霧をどうにかするか……」
素早く裏拳を顔面へ叩き込み、代わる代わる連続キックで後退させ、鞘で足を払い、籠手で何度も殴り、殴り倒して床にめり込ませる。
「変身できるようになってからパワーも上がったし疲れなくなった。便利」
巨漢は零に与えられた衝撃で上半身を中心に歪んでいたが、平然と起き上がる。その度に零に殴られ、床にめり込む。
「霧の供給を絶たねば……」
零はその場を離れ、霧の中を歩き回る。姿が見えない敵の攻撃をカウンターで粉砕しつつ突き進んでいると、書架の迷路の先に明らかにその場に不釣り合いな装置があった。その装置は中央にガラスの培養槽があり、更にその上に霧が詰まった球体があった。零は徐に拳を叩きつける。そして急激に力を込めて殴り付ける。装置はびくともしない。
「……」
装置の下の方を見ると、五本の穴が空いていた。零は合点がいき、追い付いてきた巨漢を張り倒し、四肢を凍らせて封じてから首の釘を引き抜き、装置に突き刺す。すると培養槽に雷が蓄積される。
「律儀に仕掛けを解くのは楽でいい」
薙ぎ倒した敵の死体から釘を回収し、装置に突き刺す。蓄積された雷が球体へ解き放たれ、辺りの霧が消え失せる。姿の見えない敵は姿がくっきりと現れ、巨漢は表皮がパサパサになって息絶える。
「じゃあ、行こうか」
穴井を見かけた場所まで戻り、その通路の先へ進む。長い廊下を進む。辿り着いた行き止まりの扉を開くと、巨大な円形のエレベーターシャフトに出る。中央の柱に備えられたコンソールを適当に操作し、零はコンソールの画面を籠手で殴り付ける。液晶が破損し、スパークする。
「全く……マニュアルくらい付けておいてよ」
零は踵を返し、振り返りつつ刀を抜刀してストッパーを切り裂き、エレベーターを急降下させる。しばらく落下した後床に激突し、エレベーターは粉々になる。
「柔な機械」
シャフトの出口のドアを蹴り飛ばし、先へ進む。短い通路を進み終わって、分厚い扉を押し開くと、そこは劇場だった。舞台の上には、古城を模したセットが用意されていた。穴井は、古城のセットの城壁の上に立っている。
「愚者だらけの舞台に出たから泣くってこと?」
零はそう言いながら階段を降りて舞台のかぶり付きまで歩く。
「シェイクスピアか。下らない。僕は穴井悠雷でもあるけど、元々はガウェイン、円卓の騎士だ」
「なる。噂に名高い本物の騎士様とは」
「僕は平和な世界を願った。九竜とモルドレッドのせいでアヴァロンが滅びてから、僕はずっとそう願い続けてきた」
零は舞台に上がる。
「まだ今なら間に合う。明人のせいで大勢が犠牲になる前に、明人だけを犠牲にすれば全てが上手く行くんだ」
「残念だけど、私にはどうもね。あなたが物事の全貌を把握できているとは到底思えない」
「何?」
「私にはよくわからないけど、とにかくあなたの考えに賛同するつもりはない」
穴井は呆れたように首を横に振り、緋色の鎧に全身を包む。そして白い大剣を引き抜く。そして零の眼前に飛び降りる。
「残念だよ、本当に。やはり当事者でなければ、危機感と言うものは生まれないと言うことか」
「それは同感。百聞は一見に如かずとよく言うし」
細剣と大剣がぶつかる。零は具足の連続キックを大剣へぶつけ、素早く踵落としを重ね、更に二連キックでガードを崩し、水を噴出させつつのストレートで穴井を吹き飛ばす。穴井は右手から雷を放ち、頭上の装置を起動させる。太陽の光のような暖かい光の照明が点灯する。穴井は突進し、勢いよく大剣を振り抜く。先程とはスピードもパワーも格段に向上しており、零はギリギリで切っ先を躱す。
「(あの照明か……)」
零はトンファーを床に叩きつけて氷柱を召喚し、照明を破壊する。
「なるほど、ガウェインは太陽の騎士。永遠に曇ってる結審では全力が出ないと言うことね」
「……。くっ……」
両者はしばし沈黙する。零は籠手と具足を消す。
「これ以上用がないなら敗けを認めて」
穴井は自分の手を見る。そして零へ視線を向け、大剣を投げて寄越す。
「くれてやる。僕は力を蓄えてから明人を止める」
穴井は舞台の裏へ消えていった。大剣は零の手元で杖に変わり、体内へ吸収された。そこへ、青白い鎧の骸骨騎士と本を持った少年が現れる。
「四聖典と、四騎士?」
零は先に声を出す。
「その通り、僕がアタルヴァ、彼がペイルライダー」
ペイルライダーが頭を垂れる。そして姿勢を戻し、口を開く。
「白金零。私からは、円卓の騎士について話すとしよう」
アタルヴァが零を客席へ案内し、ペイルライダーが一人で舞台を動き回る。
「時は原初世界。この一世界がその時の歩みを始めたときの話。世界は、多くの隔絶された文化圏で構成されており、ブリテンと呼ばれる場所には、騎士という称号があった。その中でも強力かつ仁義の心を持った優秀な騎士たちを円卓の騎士と呼んだ。円卓の騎士はアヴァロンと呼ばれる異界を守るための組織だったが、ある日。その異界の力を手にしようとしたランスロットによって、円卓を束ねる王であるアーサーとその妻ギネヴィアは九竜・黄泉《よもつ》の贄とされ、円卓の騎士でありながらブリテンに不満を持っていたモルドレッドが、その黄泉の力を使ってアヴァロンの力を全て自分のものにした。かくしてブリテンは死者の屯する亡国となり、ある意味では永遠の繁栄を手に入れた。生き残ったのはライオネル、ランスロット、モルドレッドそして、黄泉の戯れで甦らされたガウェイン」
ペイルライダーはなおも仰々しく動きをつける。
「ライオネルはそもそもアルヴァナの配下であり、ランスロットは新たにその傘下に加わった。ガウェインだけが、元のアーサーの意思を継ぎ、世界を平和にしようと、アヴァロンの力を抑え込もうとした。まあ結果はお察しの通りだった」
アタルヴァが立ち上がる。
「アヴァロンは無明桃源郷《シャングリラ》の別名です。狂竜王と呼ばれる、強大な力の持ち主が統べている、最後の地平」
そして舞台に上がり、ペイルライダーと並ぶ。
「白金零。あなたが自分の意思を手にすることを願っています」
二人は消えた。
「誰でも消したい過去はあるし、誰だって辛い。単にそれを受け入れられるか、否かの違いしかない」
零はそう吐き捨て、劇場を後にした。
虚空の森林・百道浜
「零さんがガウェインに靡かなくてよかったわ。尤も、そんなことは絶対にあり得ないと断言できたけれど」
奈野花はその体から僅かに漏れる暗黒だけで群がってくるプレタを消し飛ばしていく。
「正直私は今すぐにでも敗けを認めて結審を終わらせたいけど、それだと味気ないわ」
勢いよく振り下ろされたプレタの腕を優しく受け止め、軽く握る。
プレタは投げられ、空の彼方へ飛ばされる。
「さあ、来よ。世界《ユグドラシル》の愛し子よ」
虚空の森林・折那
地下墓地から地上に戻った零は、百道浜を目指すため駅へ向かう。
折那駅
零が二階のホームへ辿り着くと、そこには明人とトラツグミが立っていた。
「また会ったってことは、もう敵同士?」
零はトラツグミに向かって言葉を投げ掛ける。トラツグミは明人の横で目を伏せたまま、行儀よく直立している。
「流石に零さんと言えど、こっから福岡市の方まで歩いていくのは酷だろ?だから電車を出そうってね。ゆーちゃんはどうだった?」
明人は零へ視線を向ける。
「どう……と言われてもね。苦戦はしなかったけど」
「あっそ。まあゆーちゃんも色々考えてるみたいだけど、気にしなくていいよ。トラツグミ、ステルス迷彩を解いて」
トラツグミは目を開き、指を鳴らす。すると二人の背後の景色が揺れ、電車が現れる。
「トラツグミが運転するから、気にせず乗ってよ」
明人に促されるまま、零は電車に乗った。
電車内
高速で景色が移動していくが、空は延々と曇っていて、相も変わらず皿倉山の頂上だけが煌々と輝いている。向かい合って席に座った明人が、窓の外を見つめる零へ話しかける。
「でさ、これから戦う黒崎さんのことだけどさ」
「うん」
零は窓の外を見たまま適当な返事をする。
「あの人だけは何を考えてるのかさっぱりわからん。けど、一つだけ確かなことは、めちゃくちゃ強いってことだ」
「そう」
「マジで強いんだって!」
「私は勝つ」
「俺でも歯が立たないんだって!だから、正面衝突を避けて、なるべく掠め手を……」
「それだけ文句なしに強いなら、掠め手なんて意味ないと思うんだけど」
「う……ま、まあそうだけどさあ……」
それから沈黙が続き、耐えられなくなった明人は車内をふらふらと歩き回る。
「うろちょろしないで、鬱陶しい」
そう言われると明人は、ドアに寄りかかって外の景色を眺める。
「ねえ、零さん」
「何」
「なんでもない」
「じゃあ話しかけないで」
「やっぱなんかある」
「……」
零が本気で鬱陶しそうな表情で明人を睨む。
「俺さ、思うんだよ。世界中の人間の脳味噌はみんな繋がってて、地球が頭蓋骨なら、人間はそのなかで複雑に連結したシナプスなんじゃないかって」
「それが?」
「俺が自分で選んだことは、実は多くの人間が思っていることを実行しているだけなんじゃないかって。この世から人間が居なくなってはじめて、俺たちは自分の自由意思を手に入れた。社会倫理も、道徳も、全てかなぐり捨てて、それでようやく、俺たちは俺たちの脳を手に入れたんじゃないかって」
「……。私はわからないわ。杉原くんの言う、意思を放棄している人間とそう変わらないから」
「そっか。俺はみんなが言うには空の器ってやつでさ、誰かの力が無いと戦えないんだよ。だから常に、誰かの傍にいた。自分より優秀な人間に、無意識に気に入られようとしてきた」
明人は腕だけを竜化させる。
「今だって、俺の中にいるやつの力を借りてるだけだ。だから君が羨ましい。誰もいなくたって、君は強く生きて行ける。でも俺は、誰かが居ないと生きて行けない」
腕の竜化を解く。
「福岡まではそれなりにかかる。ゆっくり休憩しよう」
明人は努めて朗らかに言うと、零に近づく。
「喉渇いてない?トラツグミが色々用意してくれてるけど」
零は窓の外をひたすら眺める。
「要らない」
そっけない言葉に、明人は少しだけ脱力する。そしてモンブラン山の写真がプリントされたパッケージを開け、その中にあるアイスを頬張る。
「アイス食べたら余計喉渇くんじゃないの」
その言葉に明人は笑う。
「バカだなあ、喉を極限まで渇かすから後で飲むお茶とかが美味しいんじゃん」
「ふーん」
二人が他愛ない話を延々と繰り返していると、スピーカーからトラツグミの声が聞こえる。
「明人様、白金様。もうすぐ博多駅に着きます。降車の準備を」
明人がアイスの木の棒をパッケージに戻す。
「だってさ、零さん。くれぐれも黒崎さんとまともにやり合わないように」
零はため息をつく。電車が止まる。
博多駅
零は誰もいない、だだっ広い駅ビルの中を歩き、外へ出る。そこには、見覚えのある巨獣がいた。
「リベロ」
リベリオン・リベロが零を見据える。
「乗れ、塔まで送ってやる」
促され、零はリベロへ飛び乗る。
「行くぞ」
虚空の森林・百道浜
リベロがアスファルトを踏み砕き、路上に放置された自動車を蹴り飛ばしつつ猛進する。次第に沿岸部へ近付き、商業タワーが見えてくる。リベロは博物館を通り過ぎ、商業タワーの手前で止まる。
「ここまでだ」
零は頷き、背から降りる。
「ありがとう」
「礼には及ばん、結審のためだ」
リベロは飛び去る。零はタワーへ入る。
暗黒の塔
ガラスの自動ドアを通って中に入ると、内装は黒で覆い尽くされていた。
「これは……」
零が逡巡していると、目の前から奈野花が現れる。
「ようこそ、零さん。早速だけど、ついてきてくれる?見せたいものと、話したいことがあるの」
否定する材料を持たない零は、奈野花に従って床の大穴に飛び降りる。
日本深界・海下の森林
大穴を下っていくと、なぜか海の下にいた。そこだけチューブでも通っているように、海を地面として踏み締め、呼吸もできた。見たこともないような巨大な海草が淡い光を放ち、深海までの道を仄かに照らしている。
「ここは福岡県沖の下、志賀島への道」
奈野花が呟く。周囲を無数のバハムートが泳いでおり、更に光る双眸だけが深海の闇の中を漂っていた。零はその目を横目に見ていた。その視線に気付き、奈野花がクスリと笑う。
「零さん、気にしなくてもいいわ。あの目はアルスマグナっていうウチの子だから」
零はアルスマグナから視線を外す。二人が尚も下へ歩いていると、今度は黒い靄のようなものに包まれた人間と擦れ違う。
「人間……?」
「あれは〝焦げた妄人〟。私が助けた人間よ」
奈野花は立ち止まる。
「っと、そう言えば先にあっちの鍵を解除しなきゃいけないんだった。零さん、戻るわよ」
零は呆れたように首を横に振り、踵を返す。先程来た道とは別の道を通り、光へ歩いていく。
福岡博物館
水面から上がると、そこはタワー近くの博物館だった。
「ここって床が無かったっけ」
零の疑問に、奈野花が答える。
「単なるカモフラージュよ、あれは。この街は、剛太郎によってこの結審に都合よく作られているから」
二人は入り口から中へ入る。中央のホールに辿り着くと、ラッパを持ち、法衣を纏った骸骨と、無愛想な少年が現れる。
「王よ、お待ちしておりました」
骸骨は高々とラッパを吹き鳴らす。すると館内の様々な場所から音が反響し、中央にある二階への階段が二つに分かれ、水路へと続いていた。
「こっちから志賀島に行って鍵を開けるのよ」
奈野花は水路に足を踏み入れる。零もそれに続く。
日本深界・志賀島
しばらく歩き、古びた扉を開くと、海の深い蒼が頭上に広がる空間に辿り着く。そこには、幼女と少年が行儀よく正座していた。
「宗矩、千早。零さんを連れてきたわ」
少年は宗矩と呼ばれて立ち上がり、幼女は千早と呼ばれて目を開く。
「姉さん、シャングリラの鍵を開くのか?」
宗矩と奈野花が視線を合わせる。
「そうよ。今は結審の途中だもの」
宗矩は姉の言葉に頷き、千早を見る。千早は再び目を閉じる。
「この結審は、ヴァナ・ファキナを誘い出すために剛太郎が計画したものです。異史でヴァナ・ファキナが致命傷を負った上で杉原に憑依したのを見計らい、その力だけを手に入れるために」
千早は流暢に、滑舌よく流れるように喋る。
「剛太郎は、始源世界より我々に干渉している。更なる進歩を生み出すために、杉原を完全な状態で手に入れようとしている」
目を開き、零を見る。
「あなた様はユグドラシルより生み出された人造兵器。空の器を回収し、研ぎ澄ますために生まれてきた」
千早は倒れる。
「やはり古代世界から始源世界を見るのは限界があるぞ、姉さん」
宗矩は倒れた千早を抱き上げる。
「わかってるわ。じゃ、私たちはシャングリラへ行くから」
二人はその場を離れる。
「この世界がただの前哨戦なのはわかってるだろうさ。問題は、アルヴァナ自身が、何が重要なのかわかってないところだ」
宗矩は呟く。
日本深界・海下の森林
二人はまた深海へ歩いていき、今度こそ最も深い闇へ立ち入る。
無明桃源郷シャングリラ・一期次元領域
闇を潜ると、そこは無数の立方体が延々と続く空間だった。
「着いてきて」
奈野花は立方体の波を飛び越えて行く。零も遅れまいと、立方体を飛び継ぎ進む。
無明桃源郷シャングリラ・終期次元領域
上下に広がる二枚の波を越え、ようやく二人は立ち止まる。
「私たちは、アルヴァナの願いを果たすために色んな世界に干渉してる」
奈野花が階段を上がる。零もそれについていく。
「始源世界の核に、ここの本体はある。だからここは、その出張所のようなもの。世界の中枢であり、エデンを覆う殻……それがシャングリラ。世界は元々、無明の闇から始まった。その始まりの存在がアルヴァナ。完全な無……無いと言う概念さえ無い真性の無から生まれた、全ての始まり」
階段を上りきった先にある岩で出来た椅子に奈野花は座る。
「アルヴァナはある人間と仲がよかった。奈野花……黒崎奈野花とは別人の、始源世界の人間。二人は仲良く暮らしていた。けれど、アルヴァナは知らなかった。人間には命の限界があることを。アルヴァナは幸せに暮らし続けていた。けれど、奈野花は老いで死んでしまった。まあ、古代世界の人間とは比べ物にならないくらい長命ではあったけど。アルヴァナは、その時六つの感情を生み出した。喜怒哀楽憎怠。後に人間の六罪と呼ばれる感情をね」
奈野花は足を組む。
「特に、哀しみは深くアルヴァナに根付いた。奈野花が老いて死んだのに、自分はそうで無いと言う無力感、疎外感、孤独感……ミームの感染とでも言うのかしらね、深い哀しみは、連鎖して多くのものを哀しみに染めた」
零が口を挟む。
「それを話して、私はどうすればいいの?」
奈野花は笑う。
「どうもしなくていいわ。ただありのまま戦ってくれればね。いずれ貴方も、アルヴァナと、彼を巡る戦いに巻き込まれることになる」
椅子から立ち上がる。
「元の場所に戻りましょうか」
暗黒の塔
二人は穴から戻ると、奈野花は闇へ消える。
「頂上で待ってるわ」
奈野花はそれだけ告げた。
「とにかく上へってこと」
零はエレベーターに向かうと、上から頭にか細い足が四本と、天使のような翼が生えた生物が現れる。
「ワガ ナハ 黒王獣アウリオン」
機械のような声を発し、零と高度を合わせる。
「グロいデザインね」
「奈野花サマノ タメ シネ」
口を開くと、炎や氷や雷が次々と放たれる。
「スプリンクル」
零の手元に杖が召喚され、それを投げてアウリオンの下へ瞬間移動する。籠手の重い一撃でアウリオンは叩き落とされて、そのまま具足による蹴りで潰れる。
「……」
零はエレベーターを呼び、それに乗る。二十四階で停止し、零はエレベーターを降りる。非常階段を使って上へ上がり、頂上につく。奈野花が一人で街の方を見ていた。
「ふう。見てよ、零さん。この景色を。人間の文化は常にモニュメントになるわ。こういう時に、自分達の墓標にするためにね」
零は奈野花へ近付く。
「私は黒崎さんと戦う気はない」
奈野花は振り向く。
「そう言うと思ってたわ。自分で言うのもなんだけど、今の零さんと戦っても何の意味もない」
自分の手元に槍を生み出し、それで自分の腹を貫く。
「だから今回は私の負け。これで、折那の街が杉原のナラカに変わる」
奈野花は槍を引き抜き、虚空を斬る。すると空間が割れ、折那駅が見える。
「さあ、行くといいわ。これで結審は成され、貴方か、杉原のどちらかが願いを果たす」
零は奈野花を一瞥したあと、空間を潜り抜けた。
折那・茫漠の墓場
折那駅は辛うじて姿を保っていたが、折那の町はほぼ全て白い砂に埋もれている。障害物は殆どなく、ここだけ切り取られたかのように無限に砂漠が続いている。地平線の向こうに見える建物を目指して零は歩き、その建物の鉄製のフェンスを開けて入る。中央に白い円形のフィールドが見え、それを中心にマンションが三つ建っている。道は一本しかなく、零は一番近くのマンションへ入る。マンションの部屋のドアには、無数のカルテや生活保護の申請書、給与明細などが夥しい量貼り付けられている。視線を通路に戻すと、黒いボロ布に身を包み、蜃気楼のようにゆらめく老人が現れる。
「我々は、死に行く者。人の社会から除外され、憲法の下に生かされている死体」
老人が掠れた声で言葉を紡ぐ。
「年金、生活保護……文化的で最低限度とは、一体何を指すのだろうな」
乾いた風が零の足元に新聞を運んでくる。零はそれを手に取る。
「高齢者、またも餓死。物価上昇による貧困や、孤独による支援の停滞が原因か」
零が呟く。
「そうだ。世界はもはや、戦えるものしか必要としない。需要と供給の輪廻の外にある我々は、死ぬしかない。だが死ぬ勇気はない。されど生きる希望もない。ただ死を待つだけの、草臥れた案山子」
老人は消える。
「私に何を思えと」
新聞を投げ捨てて、零は次のマンションへ向かう。その連絡通路で、人間の影を見つける。零はそれを追う。次のマンションの通路で止まり、影は振り向く。影の輪郭はスーツを着たサラリーマンのようで、凄まじい猫背だ。
「俺たちは消え行く者。社会の歯車となり、永遠の苦痛を味わう」
零が通路から外を見ると、次々と影が上の階から落ちてくる。通路の電灯に縄を通し、それで首を括った影が無数に現れる。
「人間は何十億も居る。一年で何万人死のうが、すぐに次が生まれる。何も変わらない。世界は、人間が居なくても回り続ける」
サラリーマンの影は消える。
「どうしようもない、私に言われても」
零が次のマンションへ向かうと、通路に陶器のような皮膚の赤ん坊がいた。不自然なほど首がすわっている。
「僕たちは、生まれ得ぬ者。産み落とされ、すぐに死ぬ。我々はたった四、五年しか生きないために生まれ落ちたのではない」
赤ん坊は縁を拳で破壊し、それを貪る。
「神の子が石をパンに変える以上の奇跡を起こせるのなら、なぜ我々は親を選ぶと言う当然の権利さえ無いのだ?なぜ腐った親を選ばされたせいで我々が死なねばならぬ」
縁がただの砂に変わり、赤ん坊の生え揃っていない歯と歯の隙間から溢れる。そして赤ん坊は陶器のように壊れる。
「理不尽に遭遇しても、死ねば憤ることすら出来ないってこと」
零は前へ進む。
「誰にも同情するつもりはない」
道の終わりを左へ曲がり、フェンスを開く。中央の広場に辿り着く。明人とトラツグミが待ち構えていた。
「ここが、あなたの心の中?」
零の問いに、明人は頷く。
「俺はこの十四年間で、人の悪意と人の欲望に辟易した。見てきたか?生きたい奴と、死にたいやつ、どっちも選べないやつ。どいつもこいつも下らねえ。誰も当事者じゃねえのに、専門家面してあーだこーだ言う。自分だけが誰よりも苦しいのだと勘違いする。同情と憐憫だけが、人間の美しいところだと思ってやがる」
長剣を白磁の床に叩きつける。
「生き物に美しいも醜いもありゃしねえ。あるのは出来事だけだ。理不尽をウダウダ嘆くだけのクズが、この世にどれだけいた?痛みに怯んで、現状に恨み言を重ねる暇があったら、自分の手で世界を切り開けよ!誰を利用してでも、自分から進めってんだ!」
明人はヒステリックに叫び続ける。が、不意に落ち着く。
「ふーっ」
深呼吸をして、また喋り出す。
「弱者は駆逐される。強いものだけが生き残る。それがこの世の正解。だが人間は、存在そのものが不正解だ。人間はもう、進化の余地はない。世界にとって余計なだけだ」
明人の傍でトラツグミは、ただ目を伏せ直立している。明人の喋りが一段落したと共に目を開き、口を開く。
「明人様、メンタルが不安定になっております。感情的になりすぎぬよう」
「わかってる」
明人はイラつきつつ答える。トラツグミは屈み、明人に視線を合わせて抱き寄せる。
「乱心なされては勝てるものも勝てませぬ」
明人は無言でトラツグミから離れる。トラツグミはフィールドから飛び退く。
「三度目の戦いね」
零がトンファーを構える。
「幼稚園の頃からだから、三回じゃ数えきれんのやけど」
「決着をつけよう、杉原くん」
明人は長剣を構える。二人は瞬間移動で距離を詰め、互いの得物をぶつけ合う。素早く突きを放つがトンファーに往なされ、もう片方のトンファーの攻撃を後転で躱し、籠手から蒸気を発して高速のストレートを放つ。刀で弾き返され、明人は空中で杖を取り出して地面に叩きつけて結晶を生み出す。零はバックステップで避け、飛び出してきた明人の黄金の双剣を盾で受け止め、細剣で突きを放つ。明人は蒸気で距離を強引に離す。
「流石は零さん……」
明人は力み、ベルガを食らった化物へ変身する。
「消え失せろ!」
装甲が開き、無数の触手が零へ向かう。零は竜化し、触手を切り裂きつつ明人に接近し、槍で腹を貫く。
「うぐっ……」
勢いよく槍を引き抜き、明人の変身が解ける。
「やっぱ甘くねえよな……」
明人は後退し、自身を紫の輝きで包み込む。
「濁沼に渦巻く混沌を我が身に宿し、無の波濤、無限の潮騒に無垢なる心を捧げよ。我が名、〝無謬〟!」
紫光の嵐を引き裂き、紫黒の竜人が現れる。
「言った通りのとっておきだ!覚悟しやがれ!」
零は明人の声を聞き流し、白い光に包まれる。
「時は今ここに往生し、我が意思の放つままに打ち消えし。巡り巡る糸の果て、儚き夢幻を薄重ね、全ての因果を我が下へ!我が名、〝寂滅〟!」
光を突き破り、蒼白の竜人が現れる。
「オオオオオオッ!」
両者は組み合い、離れて、乱暴に拳をぶつけ合う。無謬が紫光の波を放ち、寂滅が氷の壁で防ぐ。なおも拳で殴り合い、寂滅が左腕を盾に懐に突っ込み、至近距離で右手から冷気を爆裂させ、無謬を吹き飛ばす。
「あんたの全部が気に入らねえんだよ、零さん!」
無謬が拳を振り下ろすが、氷の波濤で押し返される。
「諦めなさい、あなたは空の器。あなたには何の力も……!?」
突如として真白い床が崩れ、その下へ寂滅が落ちていく。
「なっ……!クソクソクソ!待てよ!まだ勝負はついてないぞ!」
無謬は急いで助けようと駆け寄るが、時既に遅く、寂滅は何故か床の下に展開された次元門の中に消えた。
「クソッタレが!」
無謬は竜化を解き、元の姿に戻る。
「ま、まあいい。結審は相成った。俺の勝ちだ」
明人はふらつきながら、その場を去っていった。
その様を見下ろしていた蝶は、鱗粉を溢しながら消え去った。
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