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15章 祈り(前)

10話 不文律

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「……で? 4つ目は?」
「!」
 
 ギラついた目でカイルが問うてくる。
 気圧けおされたりはしないが、敵意を向けられているようで気分が悪い。
 
「……教皇がお前に会いたがってる」
「え? ……なんで」
「お前と、イリアスについて、対話を――」
「何のために」
「……カイル」
「対話ってなんなんだよ。……『イリアスについて』? お前は何を聞いたんだ」
「……奴は教皇の弟子だったらしい。だから、奴の光の塾時代のことを知りたい、聞かせてくれ、と」
「ふーん。……で?」
「……『奴を憎むのはやめろ』と」
「馬鹿か? 無理に決まってんだろ」
「………………」
「それで、お前は?」
「俺……?」
「まんまと説得されて帰ってきたってわけか? それで、今度は俺を引き連れて来いって? ……伝令係やってんのかよ、ご苦労さんだな」
「…………」
 
 こちらが言葉を紡ぐよりも先にカイルが勝手に「物語」を創り出し、それに応じて"火"も燃え上がっていく。
 ――話す順番を間違えただろうか? それにしたって、聞く姿勢がなさすぎる。
 冷静にならなければいけないのに、こっちも頭に血が昇ってきてしまう。
 
猊下げいかの弟子かあ。あいつ実力派の司祭だって話だもんな。外面もいいし、信頼されてるし……そりゃ、あっちに肩入れするよなあ」
「おい……」
「俺にも、教皇猊下御自おんみずから『憎むのをやめろ』『殺すつもりならやめておけ』なんてお言葉がもらえるのか……ははっ、ありがたいなあ」
「…………」
「実はイリアスにもこんな悲しい事情がーとか、情状酌量の余地があるから広い心を持てとか、罪をゆるせとか人を愛せとか、そういう話する気かよ――」
「そんなこと一言も言ってない! 『対話望んでる』って言っただけだろ!!」
「!!」
 
 暖炉が小さく爆発した。俺が苛立ちを火球にしてそこに放り投げたからだ。
「ボン」という爆発音のあと、暖炉に仕掛けられている風の魔石が炎を感知して煙をスッと吸いあげていく。知らない者が見れば、爆発事故が起きたかのように思うだろう。だが、誰も来ない。
 今砦にいるのはルカだけだ。『どんな物音がしても大丈夫だから絶対にこちらに来るな』と言い含めてある。
 ……ここでようやくカイルは黙った。
 殺意が集まり槍の形を取っていた火が、糸がほどけるように崩れていく。
 
(……クソが……)
 
 ――言いたくないことを言わなければいけない。だが今、この状態のこいつに物申せるのは俺だけだ。
 
「おい、カイル。……お前、おかしいぞ……」
「……な……」
「汚い火がずっと燃えてる。……闇の剣も何もないのに、そのざまは何だ? 今のその姿、兄と幼なじみに見せられるのか」
「っ……この……!」
 
 カイルがベッドに手をついて素早く立ち上がり、俺の胸ぐらをガッと掴んできた。
 ――次にこいつが何を言うか、俺には分かる。
 
「綺麗事言いやがって!! お前に何が分かる!?」
「………………」
 
 何を言われるのも覚悟の上だ。言いたいことを言えばいい。
 数ヶ月前と全く同じだ。あの時、俺はこいつを酷く罵倒した。
 こいつは、俺がどれだけ望んでも手に入らないものを全部持っている。
 日の当たる温かい場所から、正しく優しいことばかりを言ってきて……どうして同じ人間なのにこんなに差があるんだと惨めでたまらなかった。
 いつだってこいつは、何があっても闇に堕ちない絶対的な光。

 ――いちいちこっちを照らしてくるなよ。俺をあわれむな。……消えろ、今すぐに消えろ。どこかに行け。
 
 ……そう思っていた。
 絶望は視野を著しく狭める――俺は、自分の境遇しか見えていなかった。
 確かにこいつは俺が望むものをたくさん持っている。だが、そうでないものも数多く背負っている。
 それは誰も――こいつの家族ですら理解し得ない、正体不明の苦しみ……。
 
「何も分からない。分かるはずがない。……時間を越えた者の苦しみなんて」
「ああそうだよ! ……『どっちの自分を選んでも悪くならない』だって? お前に何が分かる……お前なんかに、何が分かる!? ……悪くないものを、自分にとって全部優しいもののどちらかを、永遠に切り捨てなければいけない苦しみが……!!」
「…………」
 
 涙声でカイルが胸ぐらを激しく揺さぶってくる。
 だがまだ体調が戻りきっていないのだろう、その勢いはいつかジャミルに思いをぶつけた時よりも弱い。
 
「……何だよ、お前……なんなんだよ! その目は……!!」
「…………」
 
 叫んだあと、カイルは顔を横にそらした。
 俺は何か変な顔をしているらしい。思っていることがそのまま顔に出ているんだろう。
 ――言うべきだろうか。……そうだ、言葉にしなければ伝わらない。
 憐れみや蔑みと思われてはたまらない。こいつに冷血だと思われるのは、耐えられない。
 
「…………俺、は」
「…………」
「……お前の、そんな姿は、……見たくない」
「な……」
「お前はいつも俺をかばって……、"正義の味方"、だったのに、それなのに……そんな、姿」
 
 鼻の奥が痛む。涙は流れていないが、目は潤んでいるかもしれない。
 俺の言葉を聞いてカイルは再度こちらに顔を向けた。大きく見開いた目から涙がボロボロとこぼれ出す。
 
「なに、何……言って……、正義の味方……? ……そんな、そんな、ガキの戯れ言……」
「……戯れ言じゃない。……俺に、とっては」
 
『あいつは……いつでも明るく笑ってて、すげぇ強いし頼りになるんだよ』
『あいつは、オレにとっちゃヒーローみてえなんだ』
 
 ……先日のジャミルの言葉だ。
 無力だったあの頃の俺にとって、こいつはそれこそ正義の味方だった。ヒーローだった。
 
「……俺の知っている正義とはちがう。だけどお前は、間違いなく正義の味方だった。それが……」
「やめろ! ……やめろよ……っ!!」
 
 胸ぐらを掴んだまま、カイルはうなだれる。カイルの口から言葉が出ることはなく、部屋の中に嗚咽の声だけが響く。
 
「…………。……教皇は俺に、『イリアスを憎むのをやめろ』と言った。それが俺の救いになると」
「…………」
「俺は、それは無理だと言った。俺の人生はたぶん、イリアスが"船と海の話"をしていなければ始まっていない。……奴の人生は恐らく惨めで哀れで、救いはない。だが、それはそれだ。俺はイリアスが憎い。俺を殺して、お前を壊して、殺して……今もお前の"火"をグチャグチャにし続けているあの男を、許すことはできない」
「…………グレン」
「……お前は何を望んでるんだ」
「え……?」
「イリアスを殺したいのか、壊したいのか、同じ目に遭わせてやりたいのか。……言え、お前が望むことに付き合ってやる」
「な、何を」
「このままイリアスが消えれば、奴に関する記憶は無くなる。なら、そうなる前に首を取って、雪辱を果たしてやろうじゃないか――」
「や、やめろよ!! 何、考えて……っ!!」
 
 言葉の途中でカイルはベッドに倒れるように座り込んだ。
 息が荒れている。頭に血が昇りすぎて立っていられなくなったのかもしれない。
 
「駄目なのか」
「駄目に決まってるだろ、そんなこと……馬鹿かお前」
「なぜ? ……俺が副院長のワインを全部割った話を聞いて『どうしても憎いというなら一緒に行って割ってやったのに』って言ったじゃないか。同じことをしてやるって言うんだ――」
「同じじゃない、何考えてんだ! ……お前、結婚するんだろ!? 未来があるのに、そんなことで……」
「お前にだって未来はあるだろうが」
「え……?」
 
 カイルが目を見開いてこちらを見上げ、すぐに目を細めてうつむいてしまう。
 "火"は相変わらずグニャグニャだ。
 
「お前はずっと、自分自身を選びとってきたんだろう。5年前も、今回も……元の自分と優しい世界を永遠に切り捨ててまで。それは、お前が生きたい未来じゃないのか」
「…………」
「……俺は、竜騎士で冒険者のお前しか知らない。元のお前なんかは知らない、俺が見てきたお前だけが本当のお前だ。それを選んできたことを悔いる姿は見たくない」
 
 返事はないが、先ほどまでとちがってこちらの言葉を遮る気配もない。
 喋り続けていいのなら、こっちも思っていることを吐き出してやる。
 あの心の闇の中でこいつがそうしたように。
 
「お前がここに戻ってきたのは、お前が望んだ自分を俺達も望んだからだ。みんなお前と歩いていきたいから、お前を呼んだんだ。捨てた世界のことは忘れろ。選んだ自分を生きろ。俺にとっては世界もお前もひとつしかない」
「…………っ」
 
 両手で顔を覆い隠して、カイルはまた嗚咽する。
 涙が次々にこぼれて、ズボンにシミを作っていく。
 
「……なんなんだよ、お前……。なんでそんな踏み込んでくるんだ、ルール違反だろ……」
「さあ……そんなの、定めた覚えないけど」
「暗黙の了解だったじゃないか」
「そうしてきた結果は、知っての通りだろ」
「…………」
「そんな火は早く捨てろ。お前がなくなる。……俺は……親方と和解したし、隣にレイチェルもいる。でもそれだけじゃ駄目だ。お前がいないのは……やっぱりつまらない」
「…………グレン」
「…………、……以上、終わり」
 
 そう言うと、カイルはキョトン顔でこちらを見上げてきた。
 涙が流れっぱなしだ――そういえば、こういう時はいつも見てるだけで何もしなかったな。たまには、と思ってポケットからハンカチを取り出し渡してやると、カイルは黙ってそれを受け取り、涙を拭いてから鼻をかんだ。
 
「……汚い……」
「ちゃんと洗って返すから。……ていうか『以上終わり』って何だよ、台無しなんだよ……」
「……結びの言葉が思いつかなかったから」
「おしゃべり下手かよ」
「今さら何を」
「……もっと格好よく締めろよ、馬鹿……」
 
 ため息まじりにそう言って、カイルは少し笑った。
 頭上に渦巻いていた火がようやく鳴りをひそめた。
 だが、一時的なものだ。おそらくまたくすぶり出すだろう。憎悪という感情は、病と同じ……何度も何度も去来して、心を黒く染める。

(その時は、その時だ……)

 憎しみで前を見失うなら、後ろから支えてやればいい。
 俺だけではなくみんないるのだから、教皇の言うところの「憎しみを引き受ける」ことをしてやればいい。

 ……と、言ってやりたいところだが……正直そこまで言うのはもう恥ずかしいから、そうなった時にしたい。
 なんというか……友人に情を示す言葉というのは、やたらにベラベラと語り合うものじゃないな。
 いざと言うときに踏み込むことはするが、結局俺達は下らない話だけをしているのが性に合っている。
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