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15章 祈り(前)

◆美少女ルカは励ましたい(2)

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 「……あ」
 
 昼食を終え自室に戻ろうと2階に上がると、カイルさんの部屋の扉が開けっぱなしになっているのが見えた。
 部屋に入ってみると、彼の姿はなかった。なぜだか、部屋には妙な匂いが充満している……。
 
『まだ少し発熱があるから出歩いたりはしないと思うが、もし外出しようとしたらその時は止めておいてくれ』――。
 
 ……グレンから、そういう風に言われていたのに。
 
「……大変」
 
 わたしが昼食を食べている間にどこかに行ったみたいだけれど、飛竜のシーザーは屋上で待機したまま。空を飛んでいったわけではないようだ。
 それなら、そう遠くへは行っていないはず。
 
 転移魔法で、すぐに、追いついて――……。
 
「きゃあっ!?」
「!?」
 
 転移魔法でカイルさんの元に飛んで行った。
 ちょうど服を脱いでいる最中――カイルさんは女の子みたいに高い声を上げ、脱いでいる途中の服をバッと元に戻した。
 少し顔が赤い。まだ熱があるのかもしれない。
 
「ル、ルカ……!? 何ちょっと、どうしたの、一体……」
「ここは……脱衣室」
「そ、そうだよ。……俺今、ちょうど――」
「ここ……ここも、変」
「え?」
「カイルさんの部屋と同じ。異臭が漂っている」
「……………………」
 
 わたしの言葉を聞いたカイルさんが、顔を両手で覆い隠しながらその場にしゃがみ込んだ。
 
「……カイルさん」
「ルカ……異臭は、俺が風呂入ったら解決するよ……」
「そう?」
「うん。俺あの……長いこと風呂入ってないから……」
「そう」
「うん……そう。だから……」
「?」
「あ、あの……。ちょっ……と出ててくれると、嬉しいんだけど……」
「……わかった」
 
 
 ◇
 
 
 30分ほど後、カイルさんがお風呂から出てきた。
 食堂で、ジャミルが置いていった卵のおかゆといちごゼリーを食べている。
 
「あ~~、うまい。何食ってもうまいな」
「…………」
 
 お風呂上がりのカイルさんは、髪がちょっとペタンコだ。いつものツンツンヘアーは、寝ぐせを良い感じに固めているものらしい。
 カイルさんはごはんを食べ終わったあと食器を洗い、お水のピッチャーとグラスを持って戻ってきた。わたしの分もある。
 
「お酒は飲まないの」
「さ……酒はまだ、ちょっと」
「そう」
 
 いつも『生き返る』って言っているけれど、今日はだめらしい。よく分からない。
 
「お熱はあるの」
「そうだね。まあ微熱だし、大丈夫だよ」
「そう」
「あのさあ、ルカ。今日って何年の何月何日?」
「……今日? 1564……」
「何時何分何秒?」
 
 言いかけているところで、カイルさんがさらに質問を投げかけてくる。
 
「…………。今日は、1564年2月27日、木曜日。時刻はお昼の1時25分。秒、は……ごめんなさい。あの時計には秒針がないから分からない」
「あ……」
 
 わたしが食堂の壁にかけてある時計を指さしてそう言うと、カイルさんは目を見開いてから顔を両手で覆い隠し、そのままテーブルに肘をついてうなだれてしまう。
 
「ごめん……"秒"だって。馬鹿じゃないかな、俺……はは……」
「…………」
 
 しばらくしてからカイルさんは顔を上げて「教えてくれてありがとう」と言った。笑みを浮かべているけれど、いつもの笑顔じゃない――そう感じる。
 彼の"水"はいつも、きゅうに近い綺麗な形をしている。
 でも今、彼のそれはひどく不安定だ。球の形を保てないようで、不定形の生物――スライムのようにどろりと溶けたり、時にパンとはじけて小さな雫の集合体のようになったりする。球状になったかと思うと、その中では黒や紫、茶といった色合いの「糸」のようなものが幾重にも絡み合っていたり……。
 
「……今日、ルカ1人なの? みんなは?」
「!」
 
 カイルさんがまた話しかけてきた。
 心がグチャグチャのようだけれど、わたしは普段通りに話していていいのだろうか。
 
「……ジャミルは、仕事。グレンとベルとセルジュ様は、お出かけ」
「グレンとベルナデッタと、セルジュ……? 妙な取り合わせだな。一体どこへ……」
「"きょうこうげいか"に、会いに行った」
「きょ……教皇、猊下げいか!? なんで……」
「知らない。どうして呼ばれたか、誰も知らない。セルジュ様も知らない」
「…………」
 
 カイルさんは組み合わせた手で後頭部を抑えながら、またうつむいてしまう。
 彼の水の中にまた何本かの糸が混入して、今ある糸に絡みついていく。
 
「……俺の、せいなのか……」
「どうして」
「俺が、リ……聖女様の封印を、解いてしまったから」
「せいじょ、さま」
 
 青銀の髪の、キラキラの女の人――ミランダ教の聖女様。
 すごい力だった。ミランダ教の神様は、女神様。まさにその女神様を体現したかのような存在だった。
 
「……聖女様が目覚めると魔物が強くなるって、お兄ちゃんが言っていた」
「……そうだよ。だから――」
「でも、ロレーヌには明星騎士団ヴェスペル・ナイツという人達がいるから、大丈夫だって」
「ああ……でもさ……」
「ミランダ教じゃない所は聖女様の祈りの力が届かなくて魔物が強い。だからその分、人間が強くならなきゃ って」
「…………」
「神の力がない代わりに、人間の心の力を示すんだって、そう言ってた」
「……君のお兄さんは、聖光神団せいこうしんだんなのかな」
「ん……そう言ってた。わたしは、ちがうけど」
「……そうか。聖光神団そっちではそういう風に考えるのか。……俺、この世の終わりみたいな気持ちになってたよ。教えてくれてありがとう、ルカ」
「おやくにたてて、なにより」
「はは……」
 
 彼の水の中にある糸くずがほぐれて少し消えた。
 お兄ちゃんが言ったことを伝えただけだけど、それでも彼の心に何かが届いた……かもしれない。
 
 
 ◇
 
 
「……シーザー、元気してたか? 良かったよ、また会えて……」
 
 帰ってきた主人を見て、シーザーはキュイキュイと鳴いてカイルさんにすり寄る。
 カイルさんに「あの日、なぜあの月天の間にみんな来ることが出来たのか」と聞かれたので、あの夜のシーザーの話をした。
「礼を言わないといけない」と言うカイルさんを、転移魔法でシーザーの元へ連れてきてあげた。微熱があるためか、階段の上り下りはまだ辛いらしい。
 
「……お前、昔からずっと俺の名前を呼んでくれてたんだな。ありがとう。これからも……心を込めてお仕えさせてもらうから」
 
 カイルさんがシーザーの首を抱きしめてあごをなでると、シーザーはキューと泣いた。
 かわいい。あの日のけたたましい鳴き声が嘘のようだ。
 カイルさんの"水"をぐちゃぐちゃにしている糸がたくさんほどけていく。
 シーザーはすごい。主人であり従者、そして半身というのは、本当だ。
 
「……不思議だな……」
「なにが?」
「あ、ごめん。声に出しちゃってたか。不思議だなあって思ってさ。……俺、子供の頃に出会った竜騎士のお兄さんに憧れてたんだけど、その人の正体は実は時間を越えてやってきた自分だったんだ。どういうことなんだろう……始まりは、一体どこなんだろうって」
「…………」
 
 春の混じった風がわたし達を包むようにふわりと吹き、シーザーがその風に乗せて歌うように小さく鳴く。
 
「そもそも、最初に過去の竜騎士団領に飛んだのもなんでなんだろうな……同じカルムの街なら分かるんだけど」
「…………」
「……なんて。ごめん、こんな話されてもわけ分かんないよな」
「……意識の、闇」
「え?」
「意識の闇にはきっと、未来も過去もない。カイルさんと、シーザーは、そこでつながっている」
「…………」
「シーザーは、いつかどこかで出会ったカイルさんを、意識の闇を通じて呼んだ。だから、カイルさんは引き寄せられた。運命は、最初から決まっていたの」
 
「……それ……それも、聖光神団的な考え? それとも……」
「ちがう。これは、わたしが今考えた」
「へっ??」
「どこの神様でもない。美少女ルカ……またはアリシアの考えた、そうだったら素敵だなっていう、ロマンティックな仮説」
「…………仮説」
 
 わたしの仮説を聞いたカイルさんは目をまん丸にする。でもすぐに「いいね、それ」と言って笑った。
 彼の周りを飛んでいた水はまだ糸が混じっているけれど、不安定だった形はわたしが普段よく目にする綺麗な球状に戻りつつある。
 ほとんどシーザーの功績だけれど、わたしも少しくらい貢献できただろうか……そんな風に考えていた時。
 
「?」
 
 突然、辺りの空気が冷えるような感覚を覚えた。
 それを不思議に思うよりも先に、カイルさんが「ルカ」と呼びかけてくる。なぜか背筋がゾクリとする。
 
「……何……?」
「あのさ……全然、話は変わるんだけど。イリアスって、どうなった?」
 
 カイルさんの"水"が、ビシビシと音を立てて凍り付いていく。
 
「イリアス……?」
「そう。あいつ、どこ行っちゃったのかなあ……」
「…………」
 
 わたしやグレンの人の火や水を視る力は、ただ視認できるだけで感覚は存在しない。
 こんな風に空気が冷えたり、禁呪に使われた動物の魂のように、音が聞こえたりはしない。それなのに……。
 
「わ……分からない」
「そっか。……泣きじゃくって消えて、そのままってことかな。……すごい泣いてたよね、あいつ。びっくりしちゃった」
「う、うん……わたしも、初めて見た」
 
 彼は笑っている。だけど、心は笑っていない。
 彼のそばに水が集まり凍り付き、肥大化していく。
 
「全く、酷い目に遭わされた……。でも、あいつもガキの頃から光の塾にいたわけだから、俺のやられたことってもしかしたら、あいつがやられたことなのかも。……そう思うと、奴も被害者ってことだよなぁ」
「…………」
 
 言葉を返せない。身震いをしていることを隠すので精一杯だ。そんなはずがないのに、辺りの空気が冷気を帯びる。
 
「でも、まあ……」
「…………」
「……知ったことじゃ、ないけど」
「……!」
 
 彼がそう言った次の瞬間、凍り付いた彼の"水"が、鋭利な氷の槍に姿を変えた。
 槍は刺す対象を探すようにゆっくりと回り、低い風切り音が聞こえてくる。
 
(……だめ……)
 
 ずっと不安定だった彼の"水"が、これまでで一番はっきりとしたモノに具現化した。
 今彼の心を一番に形作るものは、そして彼を立ち上がらせるものは、自分を追いやった者――イリアスに対する憎しみの情、そして殺意。
 
 どんな温かな言葉も心も、今の彼にはきっと意味を成さない……そう感じた。
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