293 / 385
14章 狂った歯車
8話 どうか、どうか、忘れないで
しおりを挟む
黒い感情を箱に閉じ込めて、笑顔を貼り付けてやりすごすのが俺の処世術になっていた。
まあその箱はめちゃくちゃ小さいから、すぐに許容量を越えちゃうわけだけど……。
ともかく、大抵の相手は「貼り付けた笑顔」でやりすごせるが、それが心からのものでないことは近しい者ほどすぐに見抜いてしまう。
近しい者というのは早い話、恋人だ。
過去の世界だ外国だっていっても、成長の過程で自然とそういう存在もできる。「恋人作るな」とか、制約にないし。
10代の頃は甘かったり苦かったり、すぐ終わったり……でも楽しい思い出で終わっていた。
でも20代になり自分の社会的立場が盤石なものになると、結婚も視野に入れた付き合いに変わってくる。
相手を好きになればなるほど、俺はいつも考えてしまう。
「彼女に自分のことを明かすべきか明かさないべきか、明かすならどこまで明かすのか」ということを。
俺は実は未来から飛ばされてきた人間――それを言ったとして、相手は信じるだろうか?
仮に「時間を越えた」ことまでは信じて受け入れてくれるとして、将来をともにするのなら制約のことまで言わなければいけない。
真名を明かして、写真を一緒に撮る……そこまでならいい。
でも、最後の「魂を分けてはならない」については、どうしたって言えるわけがない。
――そうじゃないか。
言えるわけないだろ、「子供産んでくれ」なんてさ。
相手は恋人で、もちろん恋愛感情がある。だからこそそんな重荷を急に背負わせることはできないし、それを告げて嫌われるのも嫌だ。
でも相手は俺のそんな内心を知るはずもなく、肝心なことをのらくらとかわし続ける男としか映らない。
ある日、当時付き合っていた彼女に呼び出されて別れを告げられた。
「あなたは私を見ているようで真剣に見ていない」
「なんだかずっと試されてるみたいで苦しかったのよ」
――そう言われた。返す言葉もなかった。
"試す"――そうかもしれない。いや、それならまだマシだ。
俺がやっていたのは"裁定"だ。相手が自分を預けるに足る存在かを見定めていた。
一体、何様のつもりでいるんだろうか。
こんな誰も抱かないような悩みで勝手に苦しんで、それが相手へのこの上ない無礼に繋がるのなら、俺は恋愛なんかしない方がいいな……。
◇
「っと……、この辺りでいいのかなあ……」
1557年、俺は竜騎士を辞めた。
あと1年で俺は元の自分に戻る。それまでの間、好きに生きたいと思ったんだ。
辞めても、飛竜のシーザーはずっと一緒だ。せっかく飛べるんだし、冒険者でもやってみようかと思っていた。
……で。
もうすぐここを去ろうかというある日、俺はなぜかリタの侍女マイヤーに手紙で呼び出された。
夜の8時。ユング侯爵邸の、花が咲き誇る素敵な庭園で待ち合わせ。
(なんで……?)
何のイベント?
分からなすぎる。……もしや闇討ち?
ユング侯爵家に仕えるようになって10年。
リタとの関わりはほとんどなくなり、必然的にあの人とも顔を合わせることはなくなったが、それでも俺はやっぱり苦手だった。
「クライブ・ディクソン!」と腹から声出して呼ばれて、そのたび身体がビクッとなっていた記憶が蘇ってしまう。
「……クライブ?」
「!!」
呼びかけられたのでビシッと姿勢を正しそちらへ向き直ると、そこにいたのはマイヤーではなかった。
「リ……リタ様?」
視線の先――小さな噴水の前に、リタが立っていた。
直接の関わりを断ってから、8年。この時俺は22歳で、彼女は17歳。
成長したリタは貴族の男ですらたじろぐほどの美貌の持ち主となっていた。
この春に魔術学院の神学科を首席で卒業、聖女様に立候補したという話も聞く。
「住んでいる世界がちがう」なんてマイヤーにしょっちゅう言われていたが、まさにその通り。
俺のような者はもはや、近づくことも声をかけることも許されない存在だった。
「……申し訳ありません。マイヤー殿に仕事を頼まれてここへ来たのですが、迷ってしまいまして」
「……わたくしがマイヤーに頼んだのよ。貴方をここへ連れてきて欲しい、って」
「え……? なぜ」
思わぬ返答に率直にそう聞き返すと、彼女は微笑を浮かべる。
「貴方が、騎士を辞めると聞いて……最後に、お話をしたかったの」
「話、ですか」
「ずっと謝りたかったの……あの時、わがままを言って、困らせてしまってごめんなさい」
そう言って彼女が俺に頭を下げた。
「…………」
――そんなことずっと気にしていたのか。どうして……。
「リタ様……どうか、頭を上げて下さい。私は何も気にしていません。……謝るのはむしろ私の方です。あんな風に怒鳴ってしまい、申し訳ありませんでした。未熟でした」
「……」
俺も深々と頭を下げた。
心の底から言っているつもりだけど大丈夫だろうか。
頭を下げているから分からないだろうけど……貼り付いた笑顔になってはいないだろうか。
「……いいのよ。わたくしがわがままだったのは事実なのだから」
「リタ様」
「……"カイル"」
「!!」
「……誰もいないから、今だけはそう呼んでもいいでしょう?」
「も、もちろん……です」
無意味に心臓が跳ね上がり、声が上ずってしまう。
まさかまた彼女にその名で呼ばれる時が来るなんて……。
「……お願いがあるの。……貴方もわたくしを昔のように呼んで、昔のように話してほしい」
「え、しかし……」
「少しでいいのよ。……駄目かしら?」
「……」
リタが眉尻を下げて小首をかしげる。
幼い頃の彼女は、何かお願いがあるたびにいつもこうやって「ね、いいでしょ?」「駄目?」と言ってきていた。
大抵の相手はそれに参って了承してしまう。俺もそうだった。
……とはいえ。
「いえ、やはりそれは」
「……そう。じゃあ、わたくしも貴方をクライブと呼ぶわね」
「う……」
「ねえ、いいでしょう?」
「いや、いえ……」
「お願い。最後、だから」
「…………」
――知っている。
これは了承しないと先に進まないやつだ。
ああもう、仕方がない。
「……リタさ、……リ、リタ」
「もっとはっきりと」
「……無理ですよ……。わた、……俺の名前は、別にいいけど」
「駄目ね、カイルは」
「だ……そ、そんな」
俺の反応を見て、リタは少女のようにいたずらっぽくクスクスと笑う。昔と同じだ。
遠くから見かける「リタお嬢様」はあまりに気高く美しい。
たまに見かけるたび「あのお嬢様は、俺が遊んでいた"リタ"と本当に同じ人物だろうか」なんて思っていた。
でも、この短いやりとりだけでも分かる。見た目は変わったけど、あの頃と本質は変わっていないんだ――。
◇
庭園の一角にある屋根付きのテラスに招かれた。
夜に2人でお茶……とんでもないことだが、ゲオルク様もマイヤーも了承済みとのこと。
テーブルにはティーセットが2人分用意してあり、リタが慣れた手つきで紅茶の用意をしはじめる。
ストロベリーティーの香りがする――ああ、懐かしいな。
「ヒミツのティーパーティー」だ。
淹れてくれた紅茶を一口飲むと、記憶がたちどころにあの頃に帰る。
「……お父様とマイヤーから、貴方のことを聞いたわ」
「え?」
「貴方が、時間を越えた人だと」
「……そう」
「マイヤーには『どれだけ仲良くなっても彼とは住んでいる世界も、時代もちがう。そのうちにクライブは自分の時代に帰って、リタ様のことなど忘れるのですよ』と言われたの」
「…………」
(……ババア……)
余計なことを言ってくれる。
真実だとはいえ、別に告げなくてもいい事実だっただろうに。
忘れるかどうかなんて俺にも分からないのに、何決めつけてんだ。
「マイヤーのこと、許してね。彼女は彼女なりにわたくしのことを考えてくれていたのだけど……」
「……ええ、それは分かります」
「敬語」
「あっ はい」
「ふふ……」
それから、8年の空白を埋めるようにたくさんの話をした。
彼女が通っていた魔術学院での生活とか、ロレーヌにいる親戚の人の話とか。
俺は飛竜の話とかグレンの話とか、それから故郷と、家族の話と……。
「……貴方はもうすぐ、そちら側へ帰るのね」
「ん…………そう、なるかな」
「寂しいわ。でも、望んだことだものね」
「…………」
そう言ったところで、リタはテーブルに置いてある時計を手にする。
「ごめんなさい、そろそろ終わりにしなくては」
「……そう。じゃあ――」
「カイル」
リタが意を決したように名を呼んでから俺の前へと歩み寄り、俺の両手を取った。
「……どうしたの?」
「ありがとう。貴方のお陰で、わたくしの今があります」
「そんな……俺は何もしていないよ。ゲオルク様といいリタといい、大げさだなあ」
「大げさなんかじゃ、ないわ。……ねえ、あのね。お願いが、あるの」
「お願い」
「そう。本当に、最後の最後の、お願い」
「…………」
潤んだ瞳でリタが俺の目を見つめる。
長身なうえ高いヒールを好んで履くという彼女が前に立つと、目線がかなり近づいてしまう。目をそらすのが難しい。
動揺を隠すため、俺はまたいつもの笑顔を貼り付ける。
「何ですか? 俺にできることなら」
「あのね、昔みたいに、頭を撫でて欲しいの」
「えっ」
「それで……『リタはえらい、頑張り屋だ』って言って欲しいの」
「…………」
俺の返答がないために、リタは「駄目かしら」と小さくつぶやきながら目を伏せてうつむいてしまう。
いつもの「駄目?」「いいでしょう?」とは、ちがう。
10年ほど前、彼女の母親のことを聞いた俺は、さっきリタが言ったのと同じことをした。
「リタの頭を撫でてくれるのはお父様だけなの」ってニコニコ笑いながら言っていたっけ。
なんでそんなことを今、「最後の最後のお願い」として言ってくるんだろう……。
「……リタは、えらいな。頑張り屋だ」
お願い通りに、俺は彼女の頭を撫でた。
柔らかい青銀の髪が、月の光に照らされてわずかに輝きを放つ。
昔彼女が言っていたように、本当に星空みたいだ。
しばらくしてリタが「ありがとう」と言いながら伏せていた目をこちらに向け、柔らかく微笑んだ。
「…………。こんなので、よかったのかな」
「うん。……ふふ、やっぱり、嬉しい。ありがとうカイル。これでリタは、これからも頑張れる、わ――……?」
「…………」
「……カイル……?」
リタの戸惑う声が、耳に入る。
――当たり前だ。何をやっているんだろうか、俺は。
でも今、どうしても、この腕の中に収めたくなってしまった。
リタは拒絶することなく、両手を俺の背に回してくる。
駄目だ、こんなことをしてはいけない。今すぐに離さないといけない。
……だけどどうしても離したくなくて、彼女を抱く腕にさらに力を込めてしまった。
――駄目なんだ俺は、いつもいつも。
肝心なところで感情にフタをできない。いつもの笑顔で取り繕えない。
何やってんだろう?
8年交流がなかったけど、その間彼女を想って恋い焦がれていたわけでもないのに――。
「……カイル」
「…………」
「……リタのこと……忘れないで……おねがい、だから」
「……忘れないよ。約束する」
……だから、君も俺のことを忘れないでほしい。
俺が消えても、どうか。
ほんの少しでいい。
心の片隅に、置いてほしい。
『私を、忘れないで』――。
◇
1558年7月13日。
とうとう、「その日」を迎えた。
制約破りを2つもやったおかげか俺の意識は消えることはなかった。
俺はあの日の出来事を一切改変せず、同じ行動をとってまた現代へ。
そこを越えても――いや、越えたからこそ、いつか消えるんじゃないかという不安がつきまとい続ける。
1559年3月15日。
リタが聖女になった。
彼女に関する記憶は封印され、ちがう時代から来た俺を除いて誰も彼もが彼女のことを忘れた。
まるで最初からいなかったかのように、誰の心にも彼女はいない。
人の心から人の存在が完全に消え去るのを目の当たりにして、俺はいよいよ恐ろしくなってきた。
5年経てば、リタは皆の心にまた蘇る。
だけどもし俺が消えたらきっとそのままだ。誰の心にも残らず忘れ去られる。
みんな未来が続いていく。進む道を見つけて、歩んでいく。
だけど俺は分からない。
空を飛んでいたら不安になることがある。
空は自由だ。だけど道がない。
それと同じに、俺には未来に続く道がないような気がしてしまうんだ……。
まあその箱はめちゃくちゃ小さいから、すぐに許容量を越えちゃうわけだけど……。
ともかく、大抵の相手は「貼り付けた笑顔」でやりすごせるが、それが心からのものでないことは近しい者ほどすぐに見抜いてしまう。
近しい者というのは早い話、恋人だ。
過去の世界だ外国だっていっても、成長の過程で自然とそういう存在もできる。「恋人作るな」とか、制約にないし。
10代の頃は甘かったり苦かったり、すぐ終わったり……でも楽しい思い出で終わっていた。
でも20代になり自分の社会的立場が盤石なものになると、結婚も視野に入れた付き合いに変わってくる。
相手を好きになればなるほど、俺はいつも考えてしまう。
「彼女に自分のことを明かすべきか明かさないべきか、明かすならどこまで明かすのか」ということを。
俺は実は未来から飛ばされてきた人間――それを言ったとして、相手は信じるだろうか?
仮に「時間を越えた」ことまでは信じて受け入れてくれるとして、将来をともにするのなら制約のことまで言わなければいけない。
真名を明かして、写真を一緒に撮る……そこまでならいい。
でも、最後の「魂を分けてはならない」については、どうしたって言えるわけがない。
――そうじゃないか。
言えるわけないだろ、「子供産んでくれ」なんてさ。
相手は恋人で、もちろん恋愛感情がある。だからこそそんな重荷を急に背負わせることはできないし、それを告げて嫌われるのも嫌だ。
でも相手は俺のそんな内心を知るはずもなく、肝心なことをのらくらとかわし続ける男としか映らない。
ある日、当時付き合っていた彼女に呼び出されて別れを告げられた。
「あなたは私を見ているようで真剣に見ていない」
「なんだかずっと試されてるみたいで苦しかったのよ」
――そう言われた。返す言葉もなかった。
"試す"――そうかもしれない。いや、それならまだマシだ。
俺がやっていたのは"裁定"だ。相手が自分を預けるに足る存在かを見定めていた。
一体、何様のつもりでいるんだろうか。
こんな誰も抱かないような悩みで勝手に苦しんで、それが相手へのこの上ない無礼に繋がるのなら、俺は恋愛なんかしない方がいいな……。
◇
「っと……、この辺りでいいのかなあ……」
1557年、俺は竜騎士を辞めた。
あと1年で俺は元の自分に戻る。それまでの間、好きに生きたいと思ったんだ。
辞めても、飛竜のシーザーはずっと一緒だ。せっかく飛べるんだし、冒険者でもやってみようかと思っていた。
……で。
もうすぐここを去ろうかというある日、俺はなぜかリタの侍女マイヤーに手紙で呼び出された。
夜の8時。ユング侯爵邸の、花が咲き誇る素敵な庭園で待ち合わせ。
(なんで……?)
何のイベント?
分からなすぎる。……もしや闇討ち?
ユング侯爵家に仕えるようになって10年。
リタとの関わりはほとんどなくなり、必然的にあの人とも顔を合わせることはなくなったが、それでも俺はやっぱり苦手だった。
「クライブ・ディクソン!」と腹から声出して呼ばれて、そのたび身体がビクッとなっていた記憶が蘇ってしまう。
「……クライブ?」
「!!」
呼びかけられたのでビシッと姿勢を正しそちらへ向き直ると、そこにいたのはマイヤーではなかった。
「リ……リタ様?」
視線の先――小さな噴水の前に、リタが立っていた。
直接の関わりを断ってから、8年。この時俺は22歳で、彼女は17歳。
成長したリタは貴族の男ですらたじろぐほどの美貌の持ち主となっていた。
この春に魔術学院の神学科を首席で卒業、聖女様に立候補したという話も聞く。
「住んでいる世界がちがう」なんてマイヤーにしょっちゅう言われていたが、まさにその通り。
俺のような者はもはや、近づくことも声をかけることも許されない存在だった。
「……申し訳ありません。マイヤー殿に仕事を頼まれてここへ来たのですが、迷ってしまいまして」
「……わたくしがマイヤーに頼んだのよ。貴方をここへ連れてきて欲しい、って」
「え……? なぜ」
思わぬ返答に率直にそう聞き返すと、彼女は微笑を浮かべる。
「貴方が、騎士を辞めると聞いて……最後に、お話をしたかったの」
「話、ですか」
「ずっと謝りたかったの……あの時、わがままを言って、困らせてしまってごめんなさい」
そう言って彼女が俺に頭を下げた。
「…………」
――そんなことずっと気にしていたのか。どうして……。
「リタ様……どうか、頭を上げて下さい。私は何も気にしていません。……謝るのはむしろ私の方です。あんな風に怒鳴ってしまい、申し訳ありませんでした。未熟でした」
「……」
俺も深々と頭を下げた。
心の底から言っているつもりだけど大丈夫だろうか。
頭を下げているから分からないだろうけど……貼り付いた笑顔になってはいないだろうか。
「……いいのよ。わたくしがわがままだったのは事実なのだから」
「リタ様」
「……"カイル"」
「!!」
「……誰もいないから、今だけはそう呼んでもいいでしょう?」
「も、もちろん……です」
無意味に心臓が跳ね上がり、声が上ずってしまう。
まさかまた彼女にその名で呼ばれる時が来るなんて……。
「……お願いがあるの。……貴方もわたくしを昔のように呼んで、昔のように話してほしい」
「え、しかし……」
「少しでいいのよ。……駄目かしら?」
「……」
リタが眉尻を下げて小首をかしげる。
幼い頃の彼女は、何かお願いがあるたびにいつもこうやって「ね、いいでしょ?」「駄目?」と言ってきていた。
大抵の相手はそれに参って了承してしまう。俺もそうだった。
……とはいえ。
「いえ、やはりそれは」
「……そう。じゃあ、わたくしも貴方をクライブと呼ぶわね」
「う……」
「ねえ、いいでしょう?」
「いや、いえ……」
「お願い。最後、だから」
「…………」
――知っている。
これは了承しないと先に進まないやつだ。
ああもう、仕方がない。
「……リタさ、……リ、リタ」
「もっとはっきりと」
「……無理ですよ……。わた、……俺の名前は、別にいいけど」
「駄目ね、カイルは」
「だ……そ、そんな」
俺の反応を見て、リタは少女のようにいたずらっぽくクスクスと笑う。昔と同じだ。
遠くから見かける「リタお嬢様」はあまりに気高く美しい。
たまに見かけるたび「あのお嬢様は、俺が遊んでいた"リタ"と本当に同じ人物だろうか」なんて思っていた。
でも、この短いやりとりだけでも分かる。見た目は変わったけど、あの頃と本質は変わっていないんだ――。
◇
庭園の一角にある屋根付きのテラスに招かれた。
夜に2人でお茶……とんでもないことだが、ゲオルク様もマイヤーも了承済みとのこと。
テーブルにはティーセットが2人分用意してあり、リタが慣れた手つきで紅茶の用意をしはじめる。
ストロベリーティーの香りがする――ああ、懐かしいな。
「ヒミツのティーパーティー」だ。
淹れてくれた紅茶を一口飲むと、記憶がたちどころにあの頃に帰る。
「……お父様とマイヤーから、貴方のことを聞いたわ」
「え?」
「貴方が、時間を越えた人だと」
「……そう」
「マイヤーには『どれだけ仲良くなっても彼とは住んでいる世界も、時代もちがう。そのうちにクライブは自分の時代に帰って、リタ様のことなど忘れるのですよ』と言われたの」
「…………」
(……ババア……)
余計なことを言ってくれる。
真実だとはいえ、別に告げなくてもいい事実だっただろうに。
忘れるかどうかなんて俺にも分からないのに、何決めつけてんだ。
「マイヤーのこと、許してね。彼女は彼女なりにわたくしのことを考えてくれていたのだけど……」
「……ええ、それは分かります」
「敬語」
「あっ はい」
「ふふ……」
それから、8年の空白を埋めるようにたくさんの話をした。
彼女が通っていた魔術学院での生活とか、ロレーヌにいる親戚の人の話とか。
俺は飛竜の話とかグレンの話とか、それから故郷と、家族の話と……。
「……貴方はもうすぐ、そちら側へ帰るのね」
「ん…………そう、なるかな」
「寂しいわ。でも、望んだことだものね」
「…………」
そう言ったところで、リタはテーブルに置いてある時計を手にする。
「ごめんなさい、そろそろ終わりにしなくては」
「……そう。じゃあ――」
「カイル」
リタが意を決したように名を呼んでから俺の前へと歩み寄り、俺の両手を取った。
「……どうしたの?」
「ありがとう。貴方のお陰で、わたくしの今があります」
「そんな……俺は何もしていないよ。ゲオルク様といいリタといい、大げさだなあ」
「大げさなんかじゃ、ないわ。……ねえ、あのね。お願いが、あるの」
「お願い」
「そう。本当に、最後の最後の、お願い」
「…………」
潤んだ瞳でリタが俺の目を見つめる。
長身なうえ高いヒールを好んで履くという彼女が前に立つと、目線がかなり近づいてしまう。目をそらすのが難しい。
動揺を隠すため、俺はまたいつもの笑顔を貼り付ける。
「何ですか? 俺にできることなら」
「あのね、昔みたいに、頭を撫でて欲しいの」
「えっ」
「それで……『リタはえらい、頑張り屋だ』って言って欲しいの」
「…………」
俺の返答がないために、リタは「駄目かしら」と小さくつぶやきながら目を伏せてうつむいてしまう。
いつもの「駄目?」「いいでしょう?」とは、ちがう。
10年ほど前、彼女の母親のことを聞いた俺は、さっきリタが言ったのと同じことをした。
「リタの頭を撫でてくれるのはお父様だけなの」ってニコニコ笑いながら言っていたっけ。
なんでそんなことを今、「最後の最後のお願い」として言ってくるんだろう……。
「……リタは、えらいな。頑張り屋だ」
お願い通りに、俺は彼女の頭を撫でた。
柔らかい青銀の髪が、月の光に照らされてわずかに輝きを放つ。
昔彼女が言っていたように、本当に星空みたいだ。
しばらくしてリタが「ありがとう」と言いながら伏せていた目をこちらに向け、柔らかく微笑んだ。
「…………。こんなので、よかったのかな」
「うん。……ふふ、やっぱり、嬉しい。ありがとうカイル。これでリタは、これからも頑張れる、わ――……?」
「…………」
「……カイル……?」
リタの戸惑う声が、耳に入る。
――当たり前だ。何をやっているんだろうか、俺は。
でも今、どうしても、この腕の中に収めたくなってしまった。
リタは拒絶することなく、両手を俺の背に回してくる。
駄目だ、こんなことをしてはいけない。今すぐに離さないといけない。
……だけどどうしても離したくなくて、彼女を抱く腕にさらに力を込めてしまった。
――駄目なんだ俺は、いつもいつも。
肝心なところで感情にフタをできない。いつもの笑顔で取り繕えない。
何やってんだろう?
8年交流がなかったけど、その間彼女を想って恋い焦がれていたわけでもないのに――。
「……カイル」
「…………」
「……リタのこと……忘れないで……おねがい、だから」
「……忘れないよ。約束する」
……だから、君も俺のことを忘れないでほしい。
俺が消えても、どうか。
ほんの少しでいい。
心の片隅に、置いてほしい。
『私を、忘れないで』――。
◇
1558年7月13日。
とうとう、「その日」を迎えた。
制約破りを2つもやったおかげか俺の意識は消えることはなかった。
俺はあの日の出来事を一切改変せず、同じ行動をとってまた現代へ。
そこを越えても――いや、越えたからこそ、いつか消えるんじゃないかという不安がつきまとい続ける。
1559年3月15日。
リタが聖女になった。
彼女に関する記憶は封印され、ちがう時代から来た俺を除いて誰も彼もが彼女のことを忘れた。
まるで最初からいなかったかのように、誰の心にも彼女はいない。
人の心から人の存在が完全に消え去るのを目の当たりにして、俺はいよいよ恐ろしくなってきた。
5年経てば、リタは皆の心にまた蘇る。
だけどもし俺が消えたらきっとそのままだ。誰の心にも残らず忘れ去られる。
みんな未来が続いていく。進む道を見つけて、歩んでいく。
だけど俺は分からない。
空を飛んでいたら不安になることがある。
空は自由だ。だけど道がない。
それと同じに、俺には未来に続く道がないような気がしてしまうんだ……。
0
あなたにおすすめの小説
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
虚弱体質?の脇役令嬢に転生したので、食事療法を始めました
たくわん
恋愛
「跡継ぎを産めない貴女とは結婚できない」婚約者である公爵嫡男アレクシスから、冷酷に告げられた婚約破棄。その場で新しい婚約者まで紹介される屈辱。病弱な侯爵令嬢セラフィーナは、社交界の哀れみと嘲笑の的となった。
王太子妃専属侍女の結婚事情
蒼あかり
恋愛
伯爵家の令嬢シンシアは、ラドフォード王国 王太子妃の専属侍女だ。
未だ婚約者のいない彼女のために、王太子と王太子妃の命で見合いをすることに。
相手は王太子の側近セドリック。
ところが、幼い見た目とは裏腹に令嬢らしからぬはっきりとした物言いのキツイ性格のシンシアは、それが元でお見合いをこじらせてしまうことに。
そんな二人の行く末は......。
☆恋愛色は薄めです。
☆完結、予約投稿済み。
新年一作目は頑張ってハッピーエンドにしてみました。
ふたりの喧嘩のような言い合いを楽しんでいただければと思います。
そこまで激しくはないですが、そういうのが苦手な方はご遠慮ください。
よろしくお願いいたします。
仕事で疲れて会えないと、恋人に距離を置かれましたが、彼の上司に溺愛されているので幸せです!
ぽんちゃん
恋愛
――仕事で疲れて会えない。
十年付き合ってきた恋人を支えてきたけど、いつも後回しにされる日々。
記念日すら仕事を優先する彼に、十分だけでいいから会いたいとお願いすると、『距離を置こう』と言われてしまう。
そして、思い出の高級レストランで、予約した席に座る恋人が、他の女性と食事をしているところを目撃してしまい――!?
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
美人同僚のおまけとして異世界召喚された私、無能扱いされ王城から追い出される。私の才能を見出してくれた辺境伯様と一緒に田舎でのんびりスローライ
さら
恋愛
美人な同僚の“おまけ”として異世界に召喚された私。けれど、無能だと笑われ王城から追い出されてしまう――。
絶望していた私を拾ってくれたのは、冷徹と噂される辺境伯様でした。
荒れ果てた村で彼の隣に立ちながら、料理を作り、子供たちに針仕事を教え、少しずつ居場所を見つけていく私。
優しい言葉をかけてくれる領民たち、そして、時折見せる辺境伯様の微笑みに、胸がときめいていく……。
華やかな王都で「無能」と追放された女が、辺境で自分の価値を見つけ、誰よりも大切に愛される――。
最愛の番に殺された獣王妃
望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。
彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。
手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。
聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。
哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて――
突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……?
「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」
謎の人物の言葉に、私が選択したのは――
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる