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10章 "悲嘆"

17話 赤い輝き(4)※残酷・グロ描写あり

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(赤眼……!)
 
 目の前に現れた彼は、今わたし達が対峙しているアルゴスと同じ色の目。
 炎の色を反射してそう見えているのではない。はっきりと赤色に輝いている。
 
 ベルとジャミルとカイルはみんな驚いた顔をしているけど、それは彼の出現と今放たれている炎の壁に対してのように思える。
 ふと近くにいるベルと目が合った――と思ったら、目を伏せて横にそらされてしまった。
 
「……!」
 
 ――ああ、そうか。
 みんなこのことを知ってたんだ。それをわたしに隠してたんだ。
 わたしと話している時、グレンさんは灰色の瞳だった。でもみんなの前では違ったんだ。
 魔力欠乏症だって言っていたのにしきりに紋章を光らせていたのは、眼の色を隠すためだったんだろうか?
 
(なんにも分からないよ……)
 
 そう……わたしだけ、何も知らない。何一つ、分かっていなかった――。
 
「なんだ、……お仲間、かぁ? フ、フ……」
「!」
 
 もうさっきからずっと、状況を飲み込む時間が与えられない。
 アルゴスは突然現れたグレンさんを見てもさして驚く様子もなく、首を左右に交互に傾けながら笑っている。
 あの、吐く息ばかりが多めの囁くような気味の悪い声を上げて……。
 
「おい、おい……、その、眼の色。……もしか、して……俺の方の、仲間、じゃないのか? 赤眼の、カラスさんよぉ」
 
 アルゴスが「赤眼のカラス」という言葉を発した次の瞬間グレンさんの眼が光り、身体からアルゴスと似たような黒いオーラが立ち上った。
 彼が眼を閉じて左手を掲げると、眼前にある炎の壁が未だ絶えず残留している黒い火球を包み込み、砦の屋上ほどの高さまで昇っていく。
 壁に呑み込まれた黒い炎はやがて色を変えていき、完全にグレンさんが発した炎と同化してしまう。
 
(すごい……!)
 
 ――術のことは全く分からない。
 だけど今、アルゴスの放った黒い炎の主導権がグレンさんに移ったように感じる。
 これは紋章の力なんだろうか? それとも、赤眼だから……?
 彼が一度拳を強く握り込みバッと開くと、炎が4つに分離した。
 
「……カイル、ジャミル……」
「!!」
「そいつらから……離れろ……」
 
 彼の言葉を受けカイルとジャミルは素早く泥人間から離れた。
 それを確認したのち、グレンさんが腕を振り下ろす。
 
 炎の球が地上にいる4体の泥人間に直撃して、続いて天に届くほどの火柱が上る。
 彼らの胸に埋め込まれた宝玉が焼失と修復を繰り返して、都度都度悲痛な声が燃え上がる炎の音でかき消えることなく頭に響いてくる……。
 
「ひっ………!」
「フ、フ……ハハハッ!! ハハハハッ!!」
 
 炎に焼かれすすり泣く泥人間を見ながらアルゴスは高笑いをする。
 
「おい、おい……、なんてぇ、野郎だよぉ……、そっちの、竜騎士の、兄さんは、ためらいが、あったってぇ、いうのに……! さっすが、赤眼さんは、やることが、ちがうぜぇ……残虐、極まり、ねえ!!」
「……!」
 
 ――何を言っているんだろう?
 
 そもそもあの人があんな宝玉ものを持ってこなければ、泥人間なんかにしなければ、こんなことをしなくてもよかった。
「死こそが救済」「何度も宝玉を砕いてやれ」――できるはずがないと思っていたからそう言って挑発して、いざそれが実行されると「残虐だ」と罵って、あざけり笑う。
 ……ひょっとしたら、彼もジャミルみたいに黒い剣に取り憑かれて苦しんだ人なのかもしれない。
 でも、そんなの考慮していられない。
 あの人を許せない。彼は人間じゃない、"アルゴス"という名前の魔物だ。ただ、人間の姿をしているだけ――。
 
『たすけて』
『かみさま』
『よろこびを』
『すくいを』
 
「………………」
 
 横で高笑いしているアルゴスとは裏腹に、グレンさんは何も語らず色の消え去った顔で4つの火柱を見上げていた。

 ――また、あの目だ。

 いつもいつも、ふとした瞬間にああやって遠くを眺めている。
 あの目を見ると不安でたまらない。ここにいるのにここにいない気がしてしまう。
 今彼は何を見て、何を考えているんだろう?
 血の宝玉に閉じ込められていた子供達の"火"と"色"が彼には視えているんだろうか?
 
「…………もう、いい」
「!」
 
 天を見上げながら彼がぼそりと呟いた。
 
『かみさま』
『たすけて』
『かみさま』
 
「…………神様は、いない。どれだけ祈っても救いはない」
(……グレンさん……)
「…………救う神はいない。罰する神もいない。もう……祈らなくてもいい」
 
『かみ、さま』
 
「……もう誰も、罰を与えない。誰も縛らない。だからもう……」
 
『か、さ』
『た、す、け』
 
「好きなところへ行け……お前達は、もう自由だ」
 
 彼がそこまで言うと、火柱の周りにいくつもの光の粒が現れた。
 そして一つ、また一つと、まばゆい光を放ちながら天に昇っていく。
『神様助けて』と繰り返していた彼らは、もう祈りの言葉を口にしない。
 両親や家族や、帰るべき場所を求める声が次々に聞こえてくる。
 わたし達にも視える。命が終わっていく瞬間が――。
 
「…………っ」
 
 涙が止まらない。
 名前も顔も知らない、"偽りの神"の信徒達。
 この中にいたのはもしかしたらフランツやルカ、それからグレンさんだったかもしれなかった。
 さっきの彼の言葉は、彼自身が求めていたものなんだろうか?
 ちっぽけな「世界」と「法律」からの解放と救済を望んで祈り続けた幼い彼が望んだ言葉……。
 
「ああ、ああ……全く、面白くねえなあ!」
「!!」
 
 光の粒が昇りきるよりも前に、アルゴスがめんどくさそうに頭を掻きながら大声をあげた。
 相変わらずグレンさんはアルゴスの言葉を聞いている様子はない。光の粒が最後のひとつまで昇っていくのを、ただ無言で見つめていた。
 
「急に現れて、派手に、焼き殺しまくって、『もう自由』たぁ、よく言った、もんだぜ」
「…………」
「迷える魂を、救済か……カラスごときが、神サマの、真似事かぁ? ハハァッ!」
 
 アルゴスのその言葉を受けたところでグレンさんが顔を下ろし、アルゴスをギョロリとした目で睨む。
 怒りとも憎しみともつかないその目つきは、人間というよりも獲物を発見した獣のようだ。
 
 彼が剣を構え、アルゴスにじわじわと歩み寄る。
 右手に持っている剣の刃がぼんやりと赤く光り、刀身に筋状の炎が絡まるように集まっていく。
 こんなに雨が降っているのに炎は全く弱まらない。
 
 状況のまずさに気づいたらしいアルゴスは喋るのをやめた。顔から歪んだ笑みが消え、黒い剣を構えてグレンさんの出方をうかがっている。
 やがてグレンさんが素早く足を一歩踏み込んだ、と思った次の瞬間――。
 
「ぎゃあああっ!!」
「!!」
 
 勝負は、一瞬。
 炎をまとった一閃が、アルゴスの左腕を切り飛ばした。
 アルゴスは叫び声を上げながらもんどり打って倒れ、斬られた左腕はいかつい腕鎧ごと回転しながら数メートル先に落ちる。
 落ちた左腕から黒い煙が上がり、グズグズと砂のように崩れていく。
 
(義手……!)
 
 鎧を着けているのに妙に遠くに飛んで行ったと思ったら、鎧ごと作り物だったんだ。泥人間と同じ原理で出来ていたんだろうか?
 中にはまっていた血の宝玉は色を失い、義手と同じく砂のように崩れる。
 そしてあれほど降っていた雨が一瞬で止み、アルゴスが来る前のような晴れ間が戻った。
 アルゴスは倒れた後、微動だにしない。
 血の宝玉ごと左腕を斬られたから、おそらく傷を再生することはできない。
 呻き声も上げていないようだけれど、死んでしまったんだろうか?
 
「!!」
 
 みんなが意識をアルゴスにやっていると、何かが落ちる音が聞こえた。
 グレンさんの右手から剣が滑り落ちた音だった。続いて彼は地面に膝をついてそのまま倒れてしまう。
 
「グレンさんっ……!!」
 
 みんな一斉に倒れた彼の元に集まる。
 
「グレンさん! グレンさん!!」
「グレン!」
「しっかりしろ!」
「隊長……っ!」
 
 わたしが彼の上半身を起こすと、彼は薄く目を開けて笑ってみせる。
 
「大丈夫か……レイチェル」
「大丈夫です、わたしもみんなも……でも、そんなことより」
 
 ――身体が熱い。魔力欠乏症で熱が全然下がっていないのにあんな魔法を使って、倒れて当然だ。動き回れるはずなんかないのに、それに――。
 
「グレンさん、その眼、どうして……、みんな、みんなは、知ってたんだよね……?」
 
 そう言って3人を見ると、みんな苦い表情で目を伏せ顔をそらした。
 
「どうして……うっ、ひっ……」
「みんなを……責めないでくれ……俺が、黙っていてくれと、頼んでいただけだ、から……」
「なんで! どうして!? わたし、わたし、だけが……」
 
 頭が痛い。
 この数十分の間にあった出来事。あまりに非日常すぎて、情報も感情も何一つとして処理できていない。
 全ての感情がないまぜになった涙が、抱き起こしている彼の頬にボタボタと落ちる。
 彼はわたしを見上げ、唇を震わせながら力なく微笑む。
 
「……き……」
「え?」
「……きら……われるんじゃ、ないかと……思って……」
「っ……なに、それ……っ、バカ……バカ! バカ!! バカぁ……っ!!」
 
 これまでで一番飲み込めない彼の言葉に涙がよりいっそうあふれて、わたしは叫ぶように泣いた。
 雨が止んだ昼下がりの空には雲一つなく、この場の雰囲気にそぐわない気持ちのいい日が射す。
 どうして雨は止んでしまったのだろう。
 あのまま降り続けて、わたしのこのみっともない泣き声をかき消してもらいたいのに。
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