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9章 壊れていく日常

◆回想―鍛冶の神様

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「はい、お待たせしました。チキンサンドです」
 
 カンタール市街の武器屋で下働きさせられて――といっても給料は全部備品の修理代として巻き上げられている――ともかく、そうなって数ヶ月。
 
 昼休憩中、街の露店でパンを買って商品を受け取る。
 食べようと口を開けると、ヒソヒソクスクスと笑い声が聞こえてくる。
 見れば、今このパンを買った店の人間2人がこっちを見てニヤニヤしていた。
 構わずにパンをかじると「ゲッ」と声を上げて驚き、2人はまたヒソヒソと言い合う。
 
 何がなんだか分からないでいると、パンの間に噛みちぎられて半分になった虫が挟まっているのが見えた。
 嫌がらせで入れたが、普通に食ったから驚いている――そんなところだろうか。
 そういえば、虫は通常あまり食べたりしないと前の孤児院で言っていた気がする。
 ノルデンにいた時、それに前の孤児院を出されてからは普通に食べていたからあまり何も思わなかった。
 虫を入れることが嫌がらせになると思っているのか。
 こいつらは食い物がない時はどうするんだろう……どうでもいいけど。
 
 街での自分の立ち位置はリューベ村の孤児院とそう大して変わらない。
 相変わらずカラスと呼ばれる。聞こえるように汚い臭いと陰口を叩かれる。
 食い物を買えばこうやって虫とかゴミを混入したものをよこされる。物を売ってもらえないことも多いし、「仲間の分を払っていけ」と規定の値段の2倍量取られることもあった。"カラス"に物を盗られたらしい。仲間の分と言うが、俺もひょっとしたらこの店に盗りに入ったかもしれない。
 
 こういう時は副院長と接している時と同じに、全く何も考えずにやりすごすことにしていた。
「光の塾に行きたければ心はないものとしなさい」と繰り返し教えられていたから、その通りにしていれば楽だった。
 
 
 ◇
 
 
「お帰り」
「…………」
 
 休憩から戻った俺に「おかみさん」が声をかける。
 昼休憩に出る前はこの人が毎日俺に昼食代1000リエールをよこす。釣りはお駄賃にしていいとのことで、渡さなくてよかった。
 
「ちょっと。お帰りって言ってるじゃない。『ただいま』とか『戻りました』とか言いなさい」
「…………もどり、ました」
「はい。じゃあ、倉庫からこれ持ってきてくれる?」
「……」
「返事」
「……はい」
 
 この「おかみさん」という人はよく分からない。
 料理は好きじゃない、手間だ、全く面倒を押しつけて……と言いながらも毎日朝晩俺の分の飯を作って出す。
 俺が最初に着ていた服を「あんなものは臭いから捨てた」と言い新しい服を投げてよこす。
「あたしに服のセンスを求めないでちょうだい。趣味に合わなくても文句言うんじゃないよ」とも。
 で、毎日同じ服を着続けていたら怒られた。
 
「ちょっと。他に何種類か買ってあるのになんで毎日同じ服を着るのよ。洗濯できないじゃない」
「……黒」
「え?」
「黒は、嫌だ。カラスって言われる」
「……」
 
 いくつか渡された服はいずれも黒や濃紺などで、一着だけが白色のシャツと薄いグレーのパンツ。俺はそれだけを着ていた。
 彼女からすれば、男だから黒っぽい色の服を用意したにすぎないんだろう。
 でも俺にとっては忌まわしい色だった。
 黒はもう何にも染まらない。混ぜれば全ての色がくすんだ汚い色になる。
 色彩が失われた、命が消えた色。一切の光がない闇の色――嫌いだった。
 この髪色以外に黒い物は身につけたくなかった。闇に溶け込みそうだし、着ると本当にカラスみたいなのも嫌だった。
 
「おかみさん」は俺の言葉を聞いたあと、無言で濃い色合いの服を全部持って行った。
 次の日、「ほら!」と、紙袋を投げてよこす。中には白や灰色や水色など、明るい色の服が入っていた。
 礼を言おうとすると「もう買わないからね!」とだけ大声で告げて部屋の扉をバタンと閉めた。
 

 ◇
 

 昼休憩後、腹の音を盛大に鳴らしている俺を見て「どうしたのか」と尋ねてきたことがあった。
 
「……昼食べてない」
「なんで。昼代渡しただろ」
「俺には売りたくないって店の人が」
「……どこの店」
 
 店の名前を教えると「おかみさん」はその店まで俺を連れて行った。
 そして店主に「この子うちの店で働くことになったんだ、よろしくね」と深々とお辞儀をした。

「あ、そ、そうなの……ハハ」

 俺と相対した時とは打って変わって、店主は気まずそうに笑う。

「でもさあ、メリアさん……」
「泥棒だったけど主人がボコボコにして歯も2本折ったし、もうやらないはずだよ。でも何かあったら遠慮なく言っておくれね、主人が鉄槌食らわしておくから。……ただ、主人は嘘が嫌いで、真実は追究したい派だから……そこはよろしくね」
「は、はあ……」
 
 ――複数の店を回ってそんなやりとりをした。彼女曰く"挨拶回り"らしい。
 そういうわけで、挨拶をした店なら物を売ってもらえるようになった。店員は必ずしも好意的ではなかったが。
 
「あたしは不正と不当な扱いが大嫌いなだけ。もしあんたが嘘ついたり盗みを働いたら許さないよ、引っ叩いてメシ抜きにするから覚悟しときなさい。歯が抜けたって治してやらないから」
 とのことだった。
 メシ抜きは困る――せっかく肉が食えるのに。
 
 不正が嫌いというのはどうやら本当のことらしい。
 俺はこの店で働かされるのはまだ理解できるとして、衣食住の世話までされるのは本当に理解できなかった。
 なので「俺をここに置いたら"助成金"が出るのか」と尋ねてみたら、
「ふざけんじゃないよ! あんたみたいな子供の金を当てにするほどあたしらは腐ってないんだよ」と机を叩いて怒鳴られた。
 副院長が「助成金がなかったらお前なんか引き取らなかった」なんてことあるごとに言っていたから聞いてみただけだったんだが……。
「それならなんで」と聞けば「知らないよそんなこと! あの人が勝手に決めたんだから!!」とまた怒鳴られた。
 そして「ああもう! そろそろ夕飯じゃないの! 全くめんどくさい」と言いながら焦げ付いた鍋を洗い始める――言動と行動が何かいつもチグハグなのが、このメリア・マードックという人だった。
 汚い色の火じゃないからいいが、正直よく分からない。
 
 
 ◇
 
 
 マードック武器工房という所は、武器を売る他に修理したり作ったりもする。
「親方」のガストンは決まった客以外とは話さず、工房で武器を修理したり作っていることが多い。
 カン、カン、キン、キンと、金属を打つ音が聞こえる。
 今日は何か武器を打っているようだ。
 
「……何だ」
「もうすぐ、メシだって」
「ああ」
 
 そう言いながらも、ハンマーを置くことはない。
「おかみさん」曰く、武器を作り始めたら寝食も忘れて気が済むまで打ち続けるらしい。
 食卓にはどうせ来ないから時間を知らせる意味で「もうすぐメシだ」と告げに行く――そういう儀式だそうだ。
 ここは熱気がすごい。"炉"の中では炎が燃えさかっている。
 
「…………」
「……何だ」
「別に」
「…………」
 
 炉で熱した真っ赤な"鋼"は温度の変化とともに色が変わる。
 炉の中の炎はどれくらいに熱いんだろうか。きっと俺の術で出る火とは比べものにならない。
 
「……きれいだ」
「何がだ」
「炉と、火と、その鋼と……音も、それから色も」
「……変わった感性を持ってやがるな」
 
「親方」はそのままハンマーを打ち付け続ける。
「怒鳴られたくなければ武器を打っている時は邪魔をせず、速やかに立ち去れ」――「おかみさん」にはそう言い含められていたが、いつまでたっても怒鳴られることがなかった。
 そのままボーッと「親方」が剣を打つ様子を見ていた。
 あんな勢いの火を前にしてもひるむことがない。
 炎の魔物みたいな熱塊は「親方」がハンマーを打つ度に形を変えていく。これがいずれ剣や槍になっていくんだろう。
 規則的なハンマーの音は、まるで旋律のようだった。
 ハンマーを打っている「親方」の火は、炉の火に負けないほどに燃え上がっている。天まで届きそうな、火の柱だ。
 
 この人はすごい人だ。
 前の孤児院で読んだおとぎ話に出てきた「鍛冶の神様」みたいだ――そう思った。
 モノを作るのは罪と教わったけど、本当にそうなんだろうか?
 俺はこの人が作りだすモノを、出来上がる過程を見たい。
 
 ――そのうちに逃げ出してやるつもりでいた。
「おかみさん」は大体ブチブチと文句を言っているが、出て行けと言うわけでもないし敵意の炎も燃えていない。
「親方」も、殴ってきたのは盗みに入った時だけで意味なく怒鳴ったりもしない。
 街では嫌な目には遭うが、あの穴蔵にずっといるよりはマシだった。ゴミを漁ったり泥水すすったりしなくてもいいんだから。
 そういうわけでなんだかんだで居着いてしまっていた。
 
 でも数ヶ月経っても相変わらず名前を教える気にはなれなかった。
 小僧とかあんたとか呼ばれてるし、もう聞かれもしないし別にいいか――そう思っていたのだが、ある人物と出会ったことで名乗ることになってしまった。
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