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◇7-8章 幕間:番外編・小話
憂鬱な帰郷―ベルナデッタ(中)
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大昔、女神様に与えられし魔術を行使する者が、力なき民を助け導いた。
干ばつにあえぐ民。魔物に蹂躙される弱き民。
やがて魔術師はそれらの民を守る代わりに土地や金などの対価を得るようになり、統治するようになった。それが王侯貴族のはじまり。
だから大昔の貴族は皆魔法を使うことができた。しかしその内に使えない者も出てくる。
そういう者は『無能力者』と蔑まれ、地下牢に閉じ込められたり売られたりしていたという。
今ではそういう差別はマシになってきたものの、完全に消えたわけではない。
あたしの両親は二人共魔術の資質がなかった。
父方の祖父母もまた魔術は使えなかったため、父は魔術を使えなくともそれを気にはしていなかった。
一方母は――両親と二人の姉は皆魔術が使える中、一人だけ魔術が使えなかった。
母方祖父母も伯母も、それで母を蔑んだようなことはない。
けれど母は有力貴族に嫁いだ伯母と違い自分だけ地方の力のない貴族に嫁がされたことを、魔術の資質がないからだと思い劣等感をひたすら抱え込んでいた――。
◇
「ああ、おかえりなさい、ベルちゃん」
「ただいま戻りました。……お父様は」
「お父様? どうしたのかしらね、知らないわ。どこかでぶどうでも獲っているんじゃないかしら」
「そう」
「飽きもせず毎年よく収穫に行くわよね。レザンと違って大しておいしくもない、あんなぶどう」
「…………」
ぶどうはサンチェス領の数少ない名産品。
父は領民に混じって毎年収穫を手伝っている。
ぶどうの名産地として有名なレザン地方と違って、穫れるものは小粒でそんなみずみずしくはない……でも。
「でも、わたくしは好きよ。あのぶどうで作ったパイはおいしいもの」
「そうね。パイに使えば美味しくないのが誤魔化せるものね。逆に、そういうものくらいにしか使えないわ」
「…………」
「ああ、それよりもそろそろ夕食よ。準備をしていらっしゃい」
「……ええ」
当主である父がいないというのに夕食。
祖母が生きていた頃はみんなで食事していたけれど、この家で家族揃って食事をするということは、まずない。
◇
自室に荷物を置き、食堂に通される。
食事はいつも、あまりおいしくない。単純に味がよくないのか、それとも――。
「ねえベルちゃん、そういえばあの子を覚えている? マチルダ嬢」
「……ええ」
マチルダは昔の友達。回復術師になりたかったけれど資質がなかった、縁を切られてしまった、あの子。
「彼女、まだ結婚相手が決まっていないらしいわ~。やっぱり魔法使えない上にあのカオじゃ……ねぇ?」
「…………」
母はとても美しい。けれどいつも、とてもとてもおかしそうに人をバカにする。
そういう時の母はいつも水を得た魚のよう。
「人をそんな風に言うものじゃなくてよ、お母様。人の結婚なんて興味がないし、マチルダは友達なの。顔がどうのなんて悪く言わないで」
「あらぁ、別に内面までけなしたわけではないのよ? 頭が固いのねベルは。ああ、それとね――」
――人を嘲笑う発言をする度にたしなめるようにしているけれど、基本的に母は人の話は聞かない。
今度は二人の伯母とその子供達の悪口が始まった。
ほとんど会ったことのないいとこ達。魔法の使える者使えない者、様々。
「……本当にお姉様達は良い所に嫁いでねぇ。けれど回復魔法が使える子はベルちゃんだけなのよねぇ……それに、悪いけれどみんな不細工だし!」
プププーっとおかしそうに吹き出す母。
母は見目麗しい。伯母二人も美しいけれど、第三者から見てもおそらく母が一番美しい。
本人もそれを自覚している。けれど魔法が使えないために有力貴族に嫁ぐことはできなかった。……と母が言っていた。
魔法を使えない母は人の見た目を蔑むことで自分の優位性をアピールしたがる。
けれどそれを指摘すると烈火のごとく怒る。
一度母の悪口に辟易とした父がそれを非難した場面を見たことがある。
母は怒り狂い、大声で父を罵倒した。今関係ない過去のことまで持ち出して、徹底的に糾弾した。
こんな何の楽しみもない所に嫁がされたのに自分は喋りたいことも喋らせてもらえないのかひどい、なんて私は不幸なの、と最終的に膝から崩れ落ちて泣いた。
母はいつだって正しく賢く、美しい。そしていつだって家庭内で不当な扱いを受けた弱者、被害者でありたがるのだ。
跡継ぎになる男子を産めなかった母。けれど一人娘のあたしは癒やしの力を持っている。
優秀な伯母二人の子供にはない癒やしの力を。『自分の子供だけが特別』――それが唯一最大の母の誇り、よりどころ。
――ねえ、ベルちゃん。お祖父様もお祖母様も、いつも伯母様二人を特別に扱ってね、お母様はほったらかしだったの。
でも女神様はちゃあんと見ててくださる。ベルちゃんだけに癒やしの力をくださったの。
お姉様達の子供でなく、私の子に! ねえベルちゃん、その力で私達を幸せにしてちょうだい。
あ、でもお父様は別にいいかしらね、ふふふ。い~らない! ふふふ。
ベルちゃん、ベルちゃん、ベルちゃん、ベルちゃん。
お母様は、お母様は、お母様は、お母様は――……。
(あー……)
毎度毎度、お決まりの悪口と悲劇のヒロイン劇場、フルコース。
人の容姿、育ち、教養。自分を棚に上げての魔術の資質がない人への嘲り。
昔の母は卑屈なところが多々見受けられたものの、こんな全方位に悪意をふりまく人ではなかった。そう、あたしが癒やしの力に目覚めるまでは。
――その日を境にあたしは彼女の娘から『コンプレックスを満たす道具』になった。
ひなびた土地、大した力もないサンチェス伯爵領。けれど癒やしの力を持つあたしは商品価値がある。
権力を持つ貴族の所にあたしが嫁げば、相手方の家から経済援助を受けることができる。この領地を売り払わなくて済む。
この伯爵家を守るための結婚――というのは建前。
何より母が『良い所に嫁いだ娘を持つ母』になりたいのだ。伯母の娘息子よりも良い所に、良い家柄に。
全ては伯母に勝つため。祖父母を見返すため。祖父母はもう、亡くなっているのにね。
闇堕ちした人、禁呪や黒魔術に手を出した人。そういう人達は性格が歪んで、人を煽るような事を言うようになるという。
けれど生憎と、母のそれは天然もの。
母にとっては人の文句、悪口は酸素のようなものだ。人を馬鹿にしていないと死んでしまう。そういう病気なのよ。
――あたしの力は人を癒やすけれど、この母を癒やすことはできない。
ああ……体温が下がる。指先まで冷えてくる。
とりあえずの義務は果たした。明日からは自室で食事をするわ……。
◇
「ベル。来週デニス様が来られるそうだ」
「そうですか」
「王都に出て食事をするそうだ。ドレスはルイーザが既に選んである」
「わかりました」
事務的にそれだけ告げると父はさっさと自室に戻っていった。母と顔を合わせることはない。
デニス・オスヴァルト。肥沃な農地を持つオスヴァルト伯爵領、その嫡男。あたしより4歳年上の婚約者。
母が勢力的に動いて取り付けた婚約。愛情はないとはいえ、その人に会うドレスも母が勝手に決めてしまうのね。
(……別に、どうでもいいけど。でも服を選ぶのは楽しいし、それくらいさせてくれてもいいじゃないねえ)
あたしが自分で何か選んだことはあったかしら。
「こう決まったから」「はい分かりました」
――あらかじめ決められたことに従うだけの人生。
決定事項が書き連ねてある書類に、承認印を押すだけ。
大体の貴族令嬢は、そういう人生を生きている――。
干ばつにあえぐ民。魔物に蹂躙される弱き民。
やがて魔術師はそれらの民を守る代わりに土地や金などの対価を得るようになり、統治するようになった。それが王侯貴族のはじまり。
だから大昔の貴族は皆魔法を使うことができた。しかしその内に使えない者も出てくる。
そういう者は『無能力者』と蔑まれ、地下牢に閉じ込められたり売られたりしていたという。
今ではそういう差別はマシになってきたものの、完全に消えたわけではない。
あたしの両親は二人共魔術の資質がなかった。
父方の祖父母もまた魔術は使えなかったため、父は魔術を使えなくともそれを気にはしていなかった。
一方母は――両親と二人の姉は皆魔術が使える中、一人だけ魔術が使えなかった。
母方祖父母も伯母も、それで母を蔑んだようなことはない。
けれど母は有力貴族に嫁いだ伯母と違い自分だけ地方の力のない貴族に嫁がされたことを、魔術の資質がないからだと思い劣等感をひたすら抱え込んでいた――。
◇
「ああ、おかえりなさい、ベルちゃん」
「ただいま戻りました。……お父様は」
「お父様? どうしたのかしらね、知らないわ。どこかでぶどうでも獲っているんじゃないかしら」
「そう」
「飽きもせず毎年よく収穫に行くわよね。レザンと違って大しておいしくもない、あんなぶどう」
「…………」
ぶどうはサンチェス領の数少ない名産品。
父は領民に混じって毎年収穫を手伝っている。
ぶどうの名産地として有名なレザン地方と違って、穫れるものは小粒でそんなみずみずしくはない……でも。
「でも、わたくしは好きよ。あのぶどうで作ったパイはおいしいもの」
「そうね。パイに使えば美味しくないのが誤魔化せるものね。逆に、そういうものくらいにしか使えないわ」
「…………」
「ああ、それよりもそろそろ夕食よ。準備をしていらっしゃい」
「……ええ」
当主である父がいないというのに夕食。
祖母が生きていた頃はみんなで食事していたけれど、この家で家族揃って食事をするということは、まずない。
◇
自室に荷物を置き、食堂に通される。
食事はいつも、あまりおいしくない。単純に味がよくないのか、それとも――。
「ねえベルちゃん、そういえばあの子を覚えている? マチルダ嬢」
「……ええ」
マチルダは昔の友達。回復術師になりたかったけれど資質がなかった、縁を切られてしまった、あの子。
「彼女、まだ結婚相手が決まっていないらしいわ~。やっぱり魔法使えない上にあのカオじゃ……ねぇ?」
「…………」
母はとても美しい。けれどいつも、とてもとてもおかしそうに人をバカにする。
そういう時の母はいつも水を得た魚のよう。
「人をそんな風に言うものじゃなくてよ、お母様。人の結婚なんて興味がないし、マチルダは友達なの。顔がどうのなんて悪く言わないで」
「あらぁ、別に内面までけなしたわけではないのよ? 頭が固いのねベルは。ああ、それとね――」
――人を嘲笑う発言をする度にたしなめるようにしているけれど、基本的に母は人の話は聞かない。
今度は二人の伯母とその子供達の悪口が始まった。
ほとんど会ったことのないいとこ達。魔法の使える者使えない者、様々。
「……本当にお姉様達は良い所に嫁いでねぇ。けれど回復魔法が使える子はベルちゃんだけなのよねぇ……それに、悪いけれどみんな不細工だし!」
プププーっとおかしそうに吹き出す母。
母は見目麗しい。伯母二人も美しいけれど、第三者から見てもおそらく母が一番美しい。
本人もそれを自覚している。けれど魔法が使えないために有力貴族に嫁ぐことはできなかった。……と母が言っていた。
魔法を使えない母は人の見た目を蔑むことで自分の優位性をアピールしたがる。
けれどそれを指摘すると烈火のごとく怒る。
一度母の悪口に辟易とした父がそれを非難した場面を見たことがある。
母は怒り狂い、大声で父を罵倒した。今関係ない過去のことまで持ち出して、徹底的に糾弾した。
こんな何の楽しみもない所に嫁がされたのに自分は喋りたいことも喋らせてもらえないのかひどい、なんて私は不幸なの、と最終的に膝から崩れ落ちて泣いた。
母はいつだって正しく賢く、美しい。そしていつだって家庭内で不当な扱いを受けた弱者、被害者でありたがるのだ。
跡継ぎになる男子を産めなかった母。けれど一人娘のあたしは癒やしの力を持っている。
優秀な伯母二人の子供にはない癒やしの力を。『自分の子供だけが特別』――それが唯一最大の母の誇り、よりどころ。
――ねえ、ベルちゃん。お祖父様もお祖母様も、いつも伯母様二人を特別に扱ってね、お母様はほったらかしだったの。
でも女神様はちゃあんと見ててくださる。ベルちゃんだけに癒やしの力をくださったの。
お姉様達の子供でなく、私の子に! ねえベルちゃん、その力で私達を幸せにしてちょうだい。
あ、でもお父様は別にいいかしらね、ふふふ。い~らない! ふふふ。
ベルちゃん、ベルちゃん、ベルちゃん、ベルちゃん。
お母様は、お母様は、お母様は、お母様は――……。
(あー……)
毎度毎度、お決まりの悪口と悲劇のヒロイン劇場、フルコース。
人の容姿、育ち、教養。自分を棚に上げての魔術の資質がない人への嘲り。
昔の母は卑屈なところが多々見受けられたものの、こんな全方位に悪意をふりまく人ではなかった。そう、あたしが癒やしの力に目覚めるまでは。
――その日を境にあたしは彼女の娘から『コンプレックスを満たす道具』になった。
ひなびた土地、大した力もないサンチェス伯爵領。けれど癒やしの力を持つあたしは商品価値がある。
権力を持つ貴族の所にあたしが嫁げば、相手方の家から経済援助を受けることができる。この領地を売り払わなくて済む。
この伯爵家を守るための結婚――というのは建前。
何より母が『良い所に嫁いだ娘を持つ母』になりたいのだ。伯母の娘息子よりも良い所に、良い家柄に。
全ては伯母に勝つため。祖父母を見返すため。祖父母はもう、亡くなっているのにね。
闇堕ちした人、禁呪や黒魔術に手を出した人。そういう人達は性格が歪んで、人を煽るような事を言うようになるという。
けれど生憎と、母のそれは天然もの。
母にとっては人の文句、悪口は酸素のようなものだ。人を馬鹿にしていないと死んでしまう。そういう病気なのよ。
――あたしの力は人を癒やすけれど、この母を癒やすことはできない。
ああ……体温が下がる。指先まで冷えてくる。
とりあえずの義務は果たした。明日からは自室で食事をするわ……。
◇
「ベル。来週デニス様が来られるそうだ」
「そうですか」
「王都に出て食事をするそうだ。ドレスはルイーザが既に選んである」
「わかりました」
事務的にそれだけ告げると父はさっさと自室に戻っていった。母と顔を合わせることはない。
デニス・オスヴァルト。肥沃な農地を持つオスヴァルト伯爵領、その嫡男。あたしより4歳年上の婚約者。
母が勢力的に動いて取り付けた婚約。愛情はないとはいえ、その人に会うドレスも母が勝手に決めてしまうのね。
(……別に、どうでもいいけど。でも服を選ぶのは楽しいし、それくらいさせてくれてもいいじゃないねえ)
あたしが自分で何か選んだことはあったかしら。
「こう決まったから」「はい分かりました」
――あらかじめ決められたことに従うだけの人生。
決定事項が書き連ねてある書類に、承認印を押すだけ。
大体の貴族令嬢は、そういう人生を生きている――。
応援ありがとうございます!
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