58 / 82
9話
1
しおりを挟む
柑菜は、美鈴がいる大学のある教室に来ていた。
そこには、美鈴の絵が数枚飾られてあって、柑菜はそれを見ている。
自分の絵とは、印象が違うなと思いながら、美鈴が淹れたコーヒーを飲んだ。
「これ、大学院の資料。……考えてくれたんだ」
「はい、とりあえず、ですけど」
「うん、それでも全然いいのよ」と、美鈴は笑いながら柑菜にそう言った。
柑菜は、押し付けるのではなく、あくまでも自分のペースで考えさせてくれる美鈴だからこそ、こうやってもう一度絵に向き合ってみようと思えたのだと感謝している。
「そういえば、秋斗フランスに行くって決めたんだね」
「そう……ですね」
「なんか、一皮向けたって感じがしたよ、秋斗。よかったよかった」
コーヒーを啜る美鈴の顔は、安心しきったようで穏やかな表情をしていた。
きっと、美鈴も真莉と同じように、秋斗のことを思っていたのだろう。
柑菜は、2人の秋斗に対する思いに感心させられる。
自分では、その弱い秋斗がいることに気付くことができなかったから。
「私、中学生の頃に手を怪我したんです」
柑菜は、美鈴に心を許しているのか、自分の過去について話し始めた。
「春樹と喧嘩をした時に、ちょっとしたはずみで転んでしまって手をついたんです。それが思いがけず大きな怪我になって。その後、絵を描いたら全然思い通りに描けなかった。普通の人よりは描けたけど、今まで通りには描けなかった。手が言うことを聞かなくて、私は大好きだった絵から逃げたんです。数ヶ月後、手は元どおりに戻ったけど、逃げた自分はそのまま絵から逃げたままでした……」
柑菜は一旦、乾いた喉を潤すためにコーヒーを飲んだ。
「でも、やっぱり絵が好きで、だけどやっぱり昔みたいに描けなかったらどうしようって思う自分がいて、私は絵の才能があまり重要視されない美術教員を目指すことにしました。教員くらいなら、人の心を動かすものを描かなくても大丈夫だって。……でも、いろんな人と出会って、ただ自分が逃げてるだけだって気付いたんです。評価されずに自分の絵を批判されることがただ怖かった。きっと、怪我をしていなくても私はどこかでそれから逃げていたかもしれません」
「うん、分かる。絵って、自分の一部だもんね」
「はい……でも、もう逃げないことにしました。怪我だって、もう完全に治ってる。自分の弱さを怪我のせいにはもうしません」
美鈴の目を真っ直ぐ見て、柑菜は力強い口調でそう言った。
秋斗が自分の殻を破ることができたその瞬間にいることができたからこそ、柑菜もまた自分と向き合うことができた。
お互いの存在が、お互いを成長させるためには必要不可欠であったのかもしれない。
そこには、美鈴の絵が数枚飾られてあって、柑菜はそれを見ている。
自分の絵とは、印象が違うなと思いながら、美鈴が淹れたコーヒーを飲んだ。
「これ、大学院の資料。……考えてくれたんだ」
「はい、とりあえず、ですけど」
「うん、それでも全然いいのよ」と、美鈴は笑いながら柑菜にそう言った。
柑菜は、押し付けるのではなく、あくまでも自分のペースで考えさせてくれる美鈴だからこそ、こうやってもう一度絵に向き合ってみようと思えたのだと感謝している。
「そういえば、秋斗フランスに行くって決めたんだね」
「そう……ですね」
「なんか、一皮向けたって感じがしたよ、秋斗。よかったよかった」
コーヒーを啜る美鈴の顔は、安心しきったようで穏やかな表情をしていた。
きっと、美鈴も真莉と同じように、秋斗のことを思っていたのだろう。
柑菜は、2人の秋斗に対する思いに感心させられる。
自分では、その弱い秋斗がいることに気付くことができなかったから。
「私、中学生の頃に手を怪我したんです」
柑菜は、美鈴に心を許しているのか、自分の過去について話し始めた。
「春樹と喧嘩をした時に、ちょっとしたはずみで転んでしまって手をついたんです。それが思いがけず大きな怪我になって。その後、絵を描いたら全然思い通りに描けなかった。普通の人よりは描けたけど、今まで通りには描けなかった。手が言うことを聞かなくて、私は大好きだった絵から逃げたんです。数ヶ月後、手は元どおりに戻ったけど、逃げた自分はそのまま絵から逃げたままでした……」
柑菜は一旦、乾いた喉を潤すためにコーヒーを飲んだ。
「でも、やっぱり絵が好きで、だけどやっぱり昔みたいに描けなかったらどうしようって思う自分がいて、私は絵の才能があまり重要視されない美術教員を目指すことにしました。教員くらいなら、人の心を動かすものを描かなくても大丈夫だって。……でも、いろんな人と出会って、ただ自分が逃げてるだけだって気付いたんです。評価されずに自分の絵を批判されることがただ怖かった。きっと、怪我をしていなくても私はどこかでそれから逃げていたかもしれません」
「うん、分かる。絵って、自分の一部だもんね」
「はい……でも、もう逃げないことにしました。怪我だって、もう完全に治ってる。自分の弱さを怪我のせいにはもうしません」
美鈴の目を真っ直ぐ見て、柑菜は力強い口調でそう言った。
秋斗が自分の殻を破ることができたその瞬間にいることができたからこそ、柑菜もまた自分と向き合うことができた。
お互いの存在が、お互いを成長させるためには必要不可欠であったのかもしれない。
0
お気に入りに追加
16
あなたにおすすめの小説
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる
Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした
ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。
でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。
彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。
ドクターダーリン【完結】
桃華れい
恋愛
女子高生×イケメン外科医。
高校生の伊吹彩は、自分を治療してくれた外科医の神河涼先生と付き合っている。
患者と医者の関係でしかも彩が高校生であるため、周囲には絶対に秘密だ。
イケメンで医者で完璧な涼は、当然モテている。
看護師からは手作り弁当を渡され、
巨乳の患者からはセクシーに誘惑され、
同僚の美人女医とは何やら親密な雰囲気が漂う。
そんな涼に本当に好かれているのか不安に思う彩に、ある晩、彼が言う。
「彩、 」
初作品です。
よろしくお願いします。
ムーンライトノベルズ、エブリスタでも投稿しています。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
二人の甘い夜は終わらない
藤谷藍
恋愛
*この作品の書籍化がアルファポリス社で現在進んでおります。正式に決定しますと6月13日にこの作品をウェブから引き下げとなりますので、よろしくご了承下さい*
年齢=恋人いない歴28年。多忙な花乃は、昔キッパリ振られているのに、初恋の彼がずっと忘れられない。いまだに彼を想い続けているそんな誕生日の夜、彼に面影がそっくりな男性と出会い、夢心地のまま酔った勢いで幸せな一夜を共に––––、なのに、初めての朝チュンでパニックになり、逃げ出してしまった。甘酸っぱい思い出のファーストラブ。幻の夢のようなセカンドラブ。優しい彼には逢うたびに心を持っていかれる。今も昔も、過剰なほど甘やかされるけど、この歳になって相変わらずな子供扱いも! そして極甘で強引な彼のペースに、花乃はみるみる絡め取られて……⁈ ちょっぴり個性派、花乃の初恋胸キュンラブです。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
一夜限りのお相手は
栗原さとみ
恋愛
私は大学3年の倉持ひより。サークルにも属さず、いたって地味にキャンパスライフを送っている。大学の図書館で一人読書をしたり、好きな写真のスタジオでバイトをして過ごす毎日だ。ある日、アニメサークルに入っている友達の亜美に頼みごとを懇願されて、私はそれを引き受けてしまう。その事がきっかけで思いがけない人と思わぬ展開に……。『その人』は、私が尊敬する写真家で憧れの人だった。R5.1月
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる