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ーー私の好きな人は、ここで働いている。
「いらっしゃいませ」
小さくお洒落なレンガで出来た建物は、豊かな緑と花に囲まれていて、まるでそこはおとぎ話に出てくる空間のように、日常を忘れさせてくれる。
建物の中に入ると、漂う甘い香りに、目に入るカラフルなケーキたち。
「今日は何に致しますか?」
響き渡る甘い声は、柑菜(かんな)の心を奪う。
「じゃあ、タルトオシトロン1つください」
「はい」
ケーキを扱う彼は、まるで宝石を扱うかのように繊細な手つきだ。
決してその形を変えないよう、ショーケースからケーキを取り出す。
その時の、少しだけ張りつめられた空気が、適度な緊張感をもたらす。
柑菜は、ケーキを扱う彼の後ろ姿をじっと見つめた。
その時にふいに見える横顔から分かるすっと通った鼻筋や薄い唇に、柑菜は息を吸うのさえ忘れてしまう。
「では、こちらです」
「は、はい」
ふいに前を向いて、柑菜の目をじっと捉える彼に、思いがけず変な声が出てしまう。
赤くなった顔を隠そうと、下を向きながら彼からケーキを受け取ると、柑菜の指が彼の長く白い指に触れた。
彼が作るクリームのように滑らかな肌質のその指に、柑菜の心臓の鼓動がいっそう早くなる。
「ありがとうございます」
彼の耳に声が届くときの話し方は、いつもよりも、か細く高い声が自然に出てしまう。
「こちらこそ、いつもありがとうございます」
「いえ、ではまた」
まだここにいたい名残惜しさを押さえつけ、柑菜は泣く泣くこのケーキ屋を後にするのだった。
ケーキ屋から出て、来た道を戻る。
来るときは上り坂で、帰りは下り坂のこの道を、毎週金曜日に歩くことが日課になってしまった。
住宅街のこの道の左右には、それぞれの家庭で育てている花が、太陽に向かって咲いている。
時折、鎖に繋がれた犬とも目が合い、その度に柑菜は、それらに向かって微笑みを返すのだ。
ふと空を見ると、雲一つない青空が目に入る。
夏の青空は、まるで絵具でその色を作ったかのように濁りのなく透き通った青色だった。
その青空の中に、どこか遠くへ向かうであろう飛行機が飛んでいる。
ーー海外に行って、美術館巡りをしたいな。
柑菜は、まだ見ぬ海外への憧れを心の中で呟いた。
青い空から再び前に視線を戻すと、帽子を被った女の人が歩いてきた。
夏の日差しのせいなのか、深く被った帽子の中にある顔は見えない。
いつもなら、すれ違う人を気にしたりはしない柑菜であるが、今日は違った。
その女の人とすれ違った瞬間、甘い香りがその空間に漂う。
この香りは、私が毎週金曜日に通うお店と同じ香り、柑菜を虜にさせたあのケーキ屋の香りだった。
柑菜は、つい後ろを向いて、その女の人を目で追うと、その人は道を曲がり、姿を消す、そう、そこはケーキ屋に続く道。
「いらっしゃいませ」
小さくお洒落なレンガで出来た建物は、豊かな緑と花に囲まれていて、まるでそこはおとぎ話に出てくる空間のように、日常を忘れさせてくれる。
建物の中に入ると、漂う甘い香りに、目に入るカラフルなケーキたち。
「今日は何に致しますか?」
響き渡る甘い声は、柑菜(かんな)の心を奪う。
「じゃあ、タルトオシトロン1つください」
「はい」
ケーキを扱う彼は、まるで宝石を扱うかのように繊細な手つきだ。
決してその形を変えないよう、ショーケースからケーキを取り出す。
その時の、少しだけ張りつめられた空気が、適度な緊張感をもたらす。
柑菜は、ケーキを扱う彼の後ろ姿をじっと見つめた。
その時にふいに見える横顔から分かるすっと通った鼻筋や薄い唇に、柑菜は息を吸うのさえ忘れてしまう。
「では、こちらです」
「は、はい」
ふいに前を向いて、柑菜の目をじっと捉える彼に、思いがけず変な声が出てしまう。
赤くなった顔を隠そうと、下を向きながら彼からケーキを受け取ると、柑菜の指が彼の長く白い指に触れた。
彼が作るクリームのように滑らかな肌質のその指に、柑菜の心臓の鼓動がいっそう早くなる。
「ありがとうございます」
彼の耳に声が届くときの話し方は、いつもよりも、か細く高い声が自然に出てしまう。
「こちらこそ、いつもありがとうございます」
「いえ、ではまた」
まだここにいたい名残惜しさを押さえつけ、柑菜は泣く泣くこのケーキ屋を後にするのだった。
ケーキ屋から出て、来た道を戻る。
来るときは上り坂で、帰りは下り坂のこの道を、毎週金曜日に歩くことが日課になってしまった。
住宅街のこの道の左右には、それぞれの家庭で育てている花が、太陽に向かって咲いている。
時折、鎖に繋がれた犬とも目が合い、その度に柑菜は、それらに向かって微笑みを返すのだ。
ふと空を見ると、雲一つない青空が目に入る。
夏の青空は、まるで絵具でその色を作ったかのように濁りのなく透き通った青色だった。
その青空の中に、どこか遠くへ向かうであろう飛行機が飛んでいる。
ーー海外に行って、美術館巡りをしたいな。
柑菜は、まだ見ぬ海外への憧れを心の中で呟いた。
青い空から再び前に視線を戻すと、帽子を被った女の人が歩いてきた。
夏の日差しのせいなのか、深く被った帽子の中にある顔は見えない。
いつもなら、すれ違う人を気にしたりはしない柑菜であるが、今日は違った。
その女の人とすれ違った瞬間、甘い香りがその空間に漂う。
この香りは、私が毎週金曜日に通うお店と同じ香り、柑菜を虜にさせたあのケーキ屋の香りだった。
柑菜は、つい後ろを向いて、その女の人を目で追うと、その人は道を曲がり、姿を消す、そう、そこはケーキ屋に続く道。
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