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第95話 南方視察準備諸々01
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朝のトレーニングも再開して全力疾走を小1時間。
クワンも2人の間に発生した乱気流に抗い続けて3者疲労困憊。
2人とクワンでお風呂を堪能しながら…。
「急に振り切り過ぎたかな」
「最近鈍り気味だったから丁度良いんじゃない」
「クワァ…」
軽めの朝食にちょっぴり蛇肉を加えて回復。
シュルツの前にサル氏に会いに行き冷蔵庫を…。
「既に中型を二機用意してある。工房の方に取りに行ってくれ」
「話が早くて助かります」
「アッテンハイムに行ったら必ず置いて来るだろうと思ってな。今回は二人分だ。宣伝してくれた報酬だとでも思ってくれれば良い」
「それなら遠慮無く」
「ギャラリアさんの方は順調ですか?」
「前回貰った蛇肉を食してから辛そうだった悪阻も軽くなって順調そのものだ。妻も大喜びで感謝していた」
「順調そうで何よりです」
「待ち遠しいですね」
「ああ。安定期にも入ったし、母子共に健常で生まれてくれる事だけ毎日祈ってるよ」
背もたれに背を預けて遠い目をしていた。
当事者にしか解らない不安もあるんだろうな。
それ以上深くは突っ込まずに退散して、工房に回り冷蔵庫を受け取った。
「2つもあれば充分だな」
「譲渡する予定も無いしね」
シュルツに連絡して工房で合流。
作業台に並べられた2つの腰巻きタイプのバッグ。
ポーチの倍程度の外寸で全面に白。蛇皮と毛皮の混合の落着いたデザイン。
「白いな。氷狼の毛皮使ったの?」
「違います。黒いエンペラーの毛皮を使ったのですが。
加工途中で蛇皮の方に侵食されたのか真っ白に変色してしまいました。
希少な部位だけを使ったので手持ちの材料では、この二つが限界です」
「「へぇ」」
フィーネにリバイブを掛けて貰った後で、新作のバッグに触れてみた。
名前:絶海の腰巻き鞄
性能:収納量✕(装着者最大魔力値/5)3乗✕10倍
収納側の使用権限:鞄主導
自動承認機能搭載
高耐業火、高耐氷冷、高耐雷撃
物理・魔法防御力:3000
(装備者の対魔力値で更に上昇)
完全防水、完全耐圧
物理・魔法耐性にも優れ、破損時も全排出しない
特徴:天才工作師が生み出した世界宝具
破損時に部品を作者に渡せば復元が可能
所有者の意志で変色も可能(白・黒・灰)
思わず胸を張るシュルツの頬にキスしてしまった。上機嫌のフィーネも反対側に。
「…」お顔を真っ赤に硬直。
「何て才女だ。同じ時代に生まれてくれて有り難う。今直ぐウィンザートに飛んでご両親を抱き締めたい!」
「行っちゃう?今直ぐ行っちゃおっか」
「え!?大袈裟ですよ。お待ち下さい。まだ心の準備が」
見守る侍女長さんも大いに戸惑う。
「お、お待ちを。主様のご許可が」
それもそうだな。
「済みません。取り乱しました」
「ラフドッグに行った時に相談してみましょ」
「はい。元々その積もりでしたし…」
盛大なフライングをするとこだった。
ポーチと中身をそっくり入替え完了。
中古品はどうするかと尋ねた所。
俺のはシュルツが。フィーネのはメルシャン様に進呈したいと返って来た。
元々はシュルツの物だしどうぞどうぞと。
「クリップはもう少し待ってね。次に出た物を取り付けるから。明日か明後日には潜る予定よ」
「はい!お待ちしてます」
今夜のお祝いは豪勢にしようと決めた。
小雨の中。中庭の鈴蘭を数輪摘ませて貰い、総本堂で帰還報告と御礼を済ませ北西部の共同墓地を目指した。
「お墓参りならシュルツやセルダさん誘えば良かったんじゃない?」
「序でにゴンザさんもってなるからさ。あんまし大所帯で押し掛けるもんでもないでしょ。ご挨拶だけなのに」
「…そっか」
故人を悼むのではなく日頃の感謝を伝えるだけ。それは各自の好きな時に行けばいいと思う次第です。
アンネさんのお墓の近くにセルダさんの前妻テレジアさんのお墓が在る。その隣には。
「こっちがヤヌイ・レンゼデブさんのお墓か」
「セルダさんたちをタイラントまで導いてくれた人ね」
ヤヌイさんの親族はまだ見付かっていない。
この地方では珍しい姓名だから何時かきっと。
綺麗に整えられた3人のお墓にそれぞれ祈りを捧げ、帰ろうとした道すがらゴンザとライラと遭遇した。
手には同じ鈴蘭の花。
「何だ帰って来てたのか」
「お帰り為さい」
「只今」
「私たちはご挨拶ですけど。ひょっとして…」
「鋭い!皆にはまだ内緒ですよ」
「おめでとう。なら過激な仕事は出来ないね」
「有り難う。俺もそうは言ったんだが…」
「出張以外の仕事は続けます。身体を動かしていないとストレスを溜めてしまう人間なんで」
「これだよ」
「まあ無理せずに」
「様子を見ながら、ね」
見るからに元気なライラを甲斐甲斐しく扱う様は端から見ているこちらもストレス溜まりそう…。
とは言えないので邪魔をしないように退散した。
トワイライトで昼食を食べ、トーラスさんのお店へ赴いた。
帰りにカジノでも覗きに行こうかと話しながら。
「ようこそお出で下さいました。スターレン様、フィーネ様」
「今日は普通に買い物に来ました」
「特に記念日でもないですが」
「…然様で。良い巡り合わせが有れば幸いです」
絶妙な距離感を保つトーラスさん。何か言いたそうな風でもあり普段と変わらぬ態度でもある。
連絡を受けた訳でもないので本当に買い物を。する素振りで世間話をしたい。…ええい面倒だ。
他の客が消えた所を見計らい。
「トーラスさん。フローラさんの声って戻ったりしました?」
「…やはり、あれはお二人でしたか。フローラを呼んで参ります。奥でお話を」
キーラさんに声を掛け店を一時閉店までさせた。
奥の部屋で柔やかにミルクティーを運んで来てくれたフローラが地声で挨拶をした。
「声でお話するのは初めまして。フローラと申します」
声質は確かにペリーニャに似ていたが、やや掠れ気味。
「初めまして」
「声が掠れてますね。嬉しさの余りに大声出してしまったとかですか?」
恥ずかしそうにするフローラの代わりにトーラスさんが答えた。
「お察しの通りです。大声処か叫んでいましたね」
「お恥ずかしい」
照れ笑うフローラの手を握らせて貰った。
「大丈夫です。呪いは大元の道具が破壊された時に解除されてます。良かったですね」
「急に喉を酷使するのは控えて。気になるようならカメノス医院を受診してみて下さいね」
「はい」
「それで大元の道具と言うのは」
トーラスさんの質問に対し、これまでの経緯とアッテンハイムで起きた出来事の詳細を話した。
「まだ南東の連中に知られる訳には行かないので口外無用でお願いします」
「勿論で御座います」
「サファリが自滅してしまったのは残念ですがフローラさんは彼と面識があるんですよね」
フローラは声を張らずに小声で答えた。
数年前に首都の礼拝堂を家族と巡礼で訪れた際にサファリに声を掛けられ世間話をした。その時点では気付かずに帰宿。
夜になって全く出ないのが判明したが原因不明。
途方に暮れていた時に親戚のトーラスさんに引き取られたと言う話だった。
「フローラにはデザイナーの才能と素養が充分に感じられました。これまでお売りした商品の中にも幾つか彼女の作品が在ります。
彼女の両親はピラリエで宿屋を営む偏屈者で。私は真っ先に女神教徒を疑いましたが。教団に傾倒する両親との激しい口論の末に彼女を連れて国を出ました。
タイラントなら何か治療法も在るのではと思い」
「…ピラリエの宿屋って」
「もしかしてサミールの宿屋ですか」
答えは図星。初回に門前払いを受けて塩まで撒かれたと話すとフローラが両手で顔を覆い隠した。
「恥ずかしいです…」
「その様子だと…まだフローラが完治した事は伝えられませんね。女神様のお導きだと騒ぎ兼ねません」
「半分正解なんで心苦しいですが。今暫くはそれでお願いします」
「解りました。お灸を据える機会として充分に反省して貰います」
「半分とは」
「何方かと言うとペリーニャの導きかな」
「詳細は明かせませんが。ペリーニャちゃんとは良い友人関係です。今回の外務もお仕事は建前で只遊びに行っただけなんですよ」
「「…」」
驚かせてしまったが事実だし。
何かお礼をと言われたのでフローラ製作の新作アクセを発注し、別れ際に2人と固く握手を交して退店した。
どんな物になるかはお楽しみ。
武器屋は1人で行けるのでカジノに行き夕方まで遊んだ。
また面白そうな品が並んでいたのを目標にして。
開眼のスカーフと浮島の笛…中身が想像出来ない。
控え目に2000枚を超えるのがやっと。今回のはそれぞれ2万枚。遠いぜ。
「段々と値上がりしてるな」
「期待しちゃうね。他の人も狙ってるだろうし」
ジェシカさんたちがまた貯めてないかと淡い期待を胸に帰宅した。
帰宅すると無記名の小包が届けられていた。
「おぉ見計らったように届いたな」
「嬉しいような背中が寒いような」
夕食の準備をする前に思い切って開封。
中身は渡した小袋に煌びやかな装飾が施された物と1枚の招待状。手紙類は無かった。
「来週バザーが開かれるんだってさ」
「いいわね。今度は私たちだけでこっそり行っちゃう?」
「それだとロロシュさんに怒られそうだから後で聞いてみよう」
「しょーがないかぁ」
問題の小包を確認。
名前:隔絶の小袋
性能:収納物を外部から任意で発動可能
魔力消費1割加算
特徴:装備品に内包するだけで使える逸品
「理想通り!」
「指輪を使うとベースの3割が消えるんだ…」
義眼と彫像と架振を入れて試してみた。
リビングと寝室の移動は問題無し。他との干渉も無く良好な結果。
フィーネとクワンには義眼だけを抜いて1回ずつ試して貰った。2回まで許容はあったがそれぞれ1発成功。
みんなでハイタッチ。
「フィーネも大分慣れて来たな。クワンももう何回か練習すれば問題無さそう」
「うんうん」
「クワッ」
何より手に持つ必要が無いのがいい感じ。
これなら引き離されても安全が確保出来る。
「次の水没から奥行ってみる?」
「いいの?」
「心配だけど。何時までも過保護じゃ居られないし。スマホで位置確認しとくよ」
「今度は私が追われる番か」
「鬼ごっこするんじゃないんだから…」
「解ってる。装備と準備は万端に行って帰るだけ。無理して戦わない。でしょ?」
返事の代わりに熱いキスを交して夕食の準備を始めた。
---------------
料理と言っても今日は簡単に焼肉と豆腐の味噌汁。
熊肉多目の蛇肉少々。
固形の大蒜もパスしてあっさりと。
薬味の代わりに摺下ろし山葵を添えた。
俺たち以外は同じ反応で顰めっ面。中でもロロシュ氏はお怒り気味。
「何だこの緑色をした辛い添え物は」
「最初はみんなそんな感想です。この山葵は毒ではない歴とした山菜の一つ。舌と鼻の奥を突き刺す刺激が癖になって病み付きになります」
「肉や魚の脂分の分解を助けて胃の中を綺麗にしてくれるんですよ。付けすぎ注意ですけどね」
シュルツの可愛らしいくしゃみが止まらない。
「付けすぎるとそうなるね」
鼻を布巾で拭きながら。
「私には、少し早かったようです。お肉はそのまま頂きたいと思います」
「魚醤や醤油との相性抜群で。お刺身をこれで食べると美味しさが引き立ちます」
「ならばその時に出してくれ」
初めての遭遇は受けが悪かった。
「視察に行った時にでも」
「うむ。君らも行くのか」
「同行するかは解らないですが。ソプランとアローマさんに船の運転練習をして貰いたいんで」
カーネギが当然の疑問を口にする。
「俺たちは、覚えなくていいのか」
「それは考え中。クルーザーの定員10人までだし、操縦も出来ない人は一生出来ない。個人の素養の問題で」
「視察の段階でカーネギさんたちも連れて行くと…お隣の3組も連れて行けってなるじゃないですか」
「…むぅ」
「言われてみれば確かに」
「ソプランたちは仕事で連れ回してる分休暇を取らせる積もり。新婚旅行まで含めちゃうと他のメンバーと不公平」
「全員一気に連れて行くと王都内が手薄になるの」
「色々気を遣ってるんですよ。特にあっちはカメノスさんにも申請しないと駄目だし。
なんで今の所他のペアは分割で考えてます」
「ソプランさんたちが2人共操縦困難だった場合は即時交代も有り得ます」
「それは聞き捨てならねえな」
「身を引き締めて取り掛かりましょう」
シュルツが挙手。
「私も操縦しても良いでしょうか」
「こう言ってますが。ロロシュさん的には」
「操縦だけなら問題無い。しっかりと見ていてやってくれ」
「良かったね」
「はい!有り難う御座います、御爺様」
またサーペント現われたりして。
食事終わりに冷やしておいたプリンをお披露目。
お砂糖控え目の卵と牛乳の濃厚さが売り。
「アッテンハイムの首都で広めて来た新作デザートです」
「似た様な物なら既にこの王都でも見掛けました。商売には繋がらないのでご安心を」
「ふん。余計な物まで広めおって」
「頭の悪いクワンジアよりもタイラントと親交を温めた方が得ですよって宣伝です」
「信仰の壁を打ち崩すのもやはり食。生物は食べないと死んでしまうので宗教なんて関係有りません」
「二人に掛かれば国境の壁すら些細な物か。面白い」
ロロシュ氏のご機嫌がいい内に来週のバザーの話を切り出した。
「来週か…。行きたいのは山々だが面倒な手続きが山積している。わしはどうなるか解らんがゼファーは行かせる」
「なら今回の護衛はソプランとカーネギだけでいいかな」
「了解。他の奴らは前回で凝りたろ」
「俺も、そう思う」
アローマとミランダが不満を漏らしたが、態々危険に身を晒す必要は無いと却下した。
---------------
翌朝の日課は軽めに抑え、フィーネが準備している間に武器屋へ向かった。
注文品の引き取りと相談。
矢筒は受け取り、袋の中の押収品をどうにか出来んもんかと。
「商売としちゃありがてえ話だが…。そいつぁ上に断り入れた方が良くないか。例え英雄様の頼みでも、客と心中する気はねえぞ」
「だよねー」
改めると告げて店を出た。
外は雨。寂しい背を支えてくれる人は居ない。
気を取り直して自宅へ戻るとフィーネは準備万端の笑顔で待っていた。昼のお弁当も自分で作っていた。
初の遠出。心配は尽きない。
「じゃあ行きますか」
「行こう」
いつの間にか彼女を束縛しているのは自分の方になっていた。違うな…出会った最初からだ。
離れたくない。離したくないと強く思っていたのは俺の方だった。だから今日からは引き留めたりしない。
「何処に行っても必ず迎えに行くから」
「大袈裟よ。私を信じて」
信じてると答えてキスをしてから飛んだ。
テントを張りお香を焚いて彼女を見送った。
ホットワインを沸かすだけでは芸が無い。
強めの雨で手先が滑る中。練習用の弓を射る。
只心静かに。半歩ずつ左右に振りながら動かぬ的を射抜いた。
4本目で細い木の幹が折れた。
精度も威力も向上。慢心を生むに事足らない。こんな程度で満足してしまうのか俺は…。
矢を拾い集め、大木に的を変えた。
「クワン。見回りが終わったら俺の放った矢を途中ではたき落として」
「クワッ」
耳に付けた貝殻から漏れ聞こえるのはフィーネの落着いた吐息。こちらは無駄口を叩かない。
これが聞こえなくなったらと考え始めると、途端手元が狂い始め射る事さえ難しくなった。
鏡面止水。ズブの素人がその境地には至れない。
至れなくても一歩ずつ近付ける。
心穏やかに。そっと息を吐き出した。
---------------
今日私は扉の向こう側へ行く。
扉の向こうが世界の果てなら帰れる。しかしそれが異世界であったらどうなのだろう。
遂にその可能性をスタンと話し合う事無く来てしまった。
私は正規転生者。異世界を2つも渡ってしまった経験を持っている。
日本からアーガイア。アーガイアからこの名も無き世界へと来た。朧気だった断片の記憶も、愛するスタンと過ごす幸せな日々の中で徐々に鮮明となった。
日本からの強制転移。そしてアーガイアでの自分の最後まで思い出した。
ここはアーガイアとは別世界。大丈夫。とどんな言葉を自分に唱えても胸の鼓動は収まらない。
次で良いのでは。今度晴れた日にでも。
情けない自分が顔を出す。
目の前の魔物を駆逐して行く。集中力は途切れていない。
心を落ち着け、愛する者の息遣いに耳を傾けた。
今回も角は出ず、クリップは3個も出た。
相変わらず運が良いな。
3層目の海月を一掃していよいよ奧底を迎えた。
「スタン。扉の手前に着いた」
「…よし。行って来い!」
彼の力強い後押しにうんと答えて扉に手を掛けた。
「行くよ、ソラリマ」
『うむ』
呼吸を整え、扉を押し開いた。
前を開くと同時に後ろの入口が閉じ、濁流のような水に身体が吸い込まれた。
矛を一旦収納してその流れに身を任せた。
深海の激しい海流に似ている。
数分。だったと思う。
辿り着いた場所は仄暗い深海。
貝殻からはスタンの声が聞こえない。途切れた。
流れに乗っただけで1万km以上離され、一気に不安に陥った。
苦しくはない。マスクは正常に稼働している。
頭上の光が届いていない所を見るとかなりの深度。
体感の圧力も変化は感じなかったが、双眼鏡もスマホも壊れそうで取り出せない。
現在位置は後で聞けば解る。
取り敢えず異世界に辿り着いた訳では無さそうで、安堵して胸を撫で下ろした。
ソラリマの光では数十mの範囲を照らし出すのがやっと。
「漸く来たか。水の巫女よ」
重厚なステレオ音が耳に直接響いた。
声の三重奏。発信元は同じ位置。
ずっとその場に居た様な佇まい。
3つの長い首。6つの鋭い眼。青白い鱗。
身の丈は20mは越えていた。
「ポセラニウス…様」
「あの大食いも言っていたが。それは人間たちが勝手に付けた名だ。好きに呼ぶが良い」
どんな言葉を紡げばいいのかが解らない。
「お会い出来て光栄です。水竜様」
挨拶の仕方も解らないので取り敢えずお辞儀した。
「地上の礼など不要だ。多くを語りたいが早めに帰らねばお主の番が暴れ出すのでな。それは次の機会にしよう」
早く帰って安心させてあげないと。
「また同じ方法でお会い出来るのですか」
「真上から来るよりは手っ取り早いと思うぞ」
場所的に難がある様子だ。
見上げても何も見えない。
「時間を作ってまたここへ参ります」
「うむ。気長に待つとしよう」
それではまたと伝えて転移した。
---------------
連絡が途絶えてから約15分後にフィーネが変わらぬ笑顔で戻って来てくれた。
動きたくても動けない地獄のような長い時間だった。
「良かったぁ」
「クワァ」
再会のキスを交して。
「待たせて御免なさい。
辿り着いた深海に水竜様が居らしたのよ。本物の」
「「…」」
「マジで?」
「マジよ。幻じゃなくて」
ゆっくり聞きたい所だったが風邪を引いてはいけないと荷物を纏めて自宅へ戻った。
フィーネがお風呂に入っている間にホットワインを冷蔵庫で温く冷やしてお弁当をダイニングに並べた。
着替え終わった彼女と食べながら事情を聞いた。
「スタンが来週のバザー行ってる間に水竜様にお会いして来ようと思うんだけど。どうかな」
「うーん…。どの道フィーネにしか行けないしな」
悩んだ所で答えは変わらん。
彼女が居たのは南西大陸の更に西。西の大陸との丁度中間辺りの海だった。
飛んで行きたくても飛べない場所。船を使っても潜れもしない。
「買い物は男衆だけで行って来るよ。あんな場所に水竜様が居るのもきっと理由がある筈だし」
「ありがと。次はゆっくりお話して来るね」
「いいなぁ。俺も行けるもんなら行きたいよ」
「残念。それは私だけの特権です。水竜様は私の事を水の巫女だって言ってたの。その理由とかも教えてくれるかなぁ」
水の巫女か。
「フィーネは選ばれた転生者だから。もしかしたら水竜様が直々に招待してくれたのかもね」
「他の人には言えないな」
「秘密が増えて行きまする」
「クワ」
「何にしても失礼の無いように」
「子供扱いしないで下さい」
明日は女性陣のドレス選びで潰れてしまう。俺は合コンのセッティングで走り回る。
「明日はいいとして今日は午後からどうしよう」
「私はペルシェさんのとこで消費した薬類の補充と大豆食材貰いに行く」
「じゃ俺はその間にラフドッグでお魚買って来るよ。クワンは東側の偵察行く?」
「クワッ」頷き返した。
夕方前には帰宅するとして各自に分かれた。
海辺は今度来るからパスをして。
魚屋で真鯛、鰤、鮭、鱈を。乾物屋で海苔と干物類を。
青果市場で果物、麦、粟、稗、芋類、序でにメドーニャさんに寒天ゼリーを貰い。
新作の滋養酒を購入した。
漬け込みは浅い。熟成は袋の中でも出来る。
中身は高麗人参、杏子、李、梅の実。コクよりも酸味にシフトした感じだ。
「おじさん。梅の実って個別で売って貰えたり出来ます?」
「流石はお目が高い。やっぱりスターレン様は違うなぁ。
梅は町から少し東に行った所に自生してるんで丁度今自分が収穫時期なんですよ。取り敢えず百位ならお売りしますよ」
大粒の梅の実も購入。
春の花の季節は通り過ぎてしまった。それはまた来年。
梅干しを作ろうと思い立ち、乾物屋に戻って粗塩、赤紫蘇を入手。
2人よりも早く帰宅して早速作成開始。
梅の実の汚れと蔕を取り去り、ウォッカに潜らせ清潔な布巾で拭き取る。
綺麗な鍋に梅の実を敷き詰め粗塩を満遍なく塗す。狙いは実の重さの2割狙い。
中蓋を乗せて同重量レベルの石を置く。以上。超簡単。
今頃から作れば雨期明けに干せる。完璧なプランだ。
フィーネに梅干しを作り始めたから鍋はそっとしておいてのお願いと、夕食用の魚の下処理に入る前にノイちゃんの所に行ってくるとメールして地下道を潜った。
陛下にごめんちゃいしてクワンジア産の武装押収品を武器庫に預かって貰い、ノイちゃんの執務室に殴り込んだ。
「…お見合い?何だ藪から棒に。一応仕事中なんだが」
「ノイちゃん本気で結婚する気は無いの?近日中に5対5のお見合い会やるんだけど。ノイちゃん来ないと小金持ちが1人減るんだよねぇ」
「小金持ち言うな。君に比べれば大抵が低所得者だ。
…本気で諦めたかと問われると。全肯定は辛いな。因みにメンバーは」
確定の女性陣。予定の男子メンバーを説明するとノイちゃんは楽しそうに笑った。
「面白い組み合わせだな。これまで歓楽街は色々な理由で避けてきた。四日後なら休暇予定で別宅も使える。それ以外なら夕方からになるな。場所と日時が決まったら教えて欲しい」
乗る気になった様子。
場所はデニスさんの店かエドワンドの予定だったが、別宅が使えるならそれでもいいな。
明日中には決めると告げてギークが居る兵舎に向かった。
ギークは交渉も無く2つ返事でOK。意外にノリノリ。
後はモヘッドだけ。こうなったら序でだと冒険者ギルドへ赴き事務所を叩いた。
ノイちゃんが参加する事に難色を示していたが。
「仕事は仕事。私用は私用。俺のお願いなら聞いてくれるんじゃなかったの?」
「それは…そうですが」
「モヘッドって…まさか同性愛者?」
隣の席に座り別仕事をしていたムルシュが後退った。
「ち、違います!誤解です。多少女性不信に近い物はあっても女性が大好きです。何時か時間が出来たら婚活だってしたいと思ってました」
素直な自白で一安心。
もっと素直になっちまえよ。時間は作るもんだぜぇ。と諭してあげたら力強く、行きます!と答えてくれた。
男性陣の言質も取れた所でいい時間。
自宅へ戻って仕込みを…と思いきやフィーネと一緒にアローマとミランダがキッチンで作業中。
「ごめん。遅くなった」
「いいよ。下処理してただけだし。お魚はどうやって使う積もりだったの?」
「鱈と鮭の切り身と熊肉で今夜の寄せ鍋にしようかと思ってて。鯛と鰤は明日以降でお刺身、塩焼き、しゃぶしゃぶとかかなぁって」
「ふむふむ。いいですねぇ」
と言いながら長葱、大根、人参、牛蒡を取出し。
「牛蒡の灰汁抜きしてるからお風呂どーぞ」
お言葉に甘え、新作の滋養酒を置いてお風呂に行った。
「新作は料理酒に。干し貝柱は昆布と鰹出汁に追加で」
「ほーい」
嫁は昨日から上機嫌。まあ無理もないな。
風呂から上がって着替え終わっても作業は続行され、今日は入らなくても良さげ。
ずぶ濡れで帰って来たクワンをキャッチして再び風呂場へ引き返した。
装備を脱がせながら。
「今日の台所は男の出番無いってさ。ゆっくり入りな」
「クワッ」
サッパリしたクワンをタオルで拭き上げながらリビングに戻った時にはもう準備は完了していた。
ダイニングからはお出汁のいい香りが漂い、少し離れたリビングから女性3人が動き回る姿を眺める。
何かいいなと思うと同時に何処か心寂しい気持ちが芽生えた。
ひょっとしたらフィーネはもう1人で生きて行け
「また怒られますよ」
だって寂しいんだもん。
嫁の自立を素直に喜べない馬鹿な束縛夫の図。
人が続々と集まりだした。お馬鹿な妄想は止めにして配膳を手伝い着席した。
祈りを捧げるのも家長の務め。
蒸し暑い季節。熱々の鍋を繰り広げる暴挙。
後でお風呂入り直そう。皆同じ思いだろう。
否しかし!最後の〆まで外せません。
おうどんを投入し、自分の皿に唐辛子の粉を塗した。
初めはみんな、え!?て顔で見てたのに。
辛い美味いを繰り返していると。不思議な物で続々と真似を始め出す。
ロロシュ氏は何故かこめかみを押えながら。シュルツは口を押えながら悶えていた。
「だから掛け過ぎなんですって。昨日の山葵で学習して下さいよ」
「く…迂闊だった…」
「今日も大人の味がしました!」
これは血筋だな。
新しい物へのチャレンジ精神は認めます。
お風呂へ入り直した夜に問い詰められた。
「どうして夕食の前に寂しそうな気持ちになってたの?」
「友達が増えて自立してくフィーネに捨てられるかもって思ったらつい」
少しだけ驚きながらも。
「バーカ」と言って抱き締めてくれた。
今日も幸せ。
クワンも2人の間に発生した乱気流に抗い続けて3者疲労困憊。
2人とクワンでお風呂を堪能しながら…。
「急に振り切り過ぎたかな」
「最近鈍り気味だったから丁度良いんじゃない」
「クワァ…」
軽めの朝食にちょっぴり蛇肉を加えて回復。
シュルツの前にサル氏に会いに行き冷蔵庫を…。
「既に中型を二機用意してある。工房の方に取りに行ってくれ」
「話が早くて助かります」
「アッテンハイムに行ったら必ず置いて来るだろうと思ってな。今回は二人分だ。宣伝してくれた報酬だとでも思ってくれれば良い」
「それなら遠慮無く」
「ギャラリアさんの方は順調ですか?」
「前回貰った蛇肉を食してから辛そうだった悪阻も軽くなって順調そのものだ。妻も大喜びで感謝していた」
「順調そうで何よりです」
「待ち遠しいですね」
「ああ。安定期にも入ったし、母子共に健常で生まれてくれる事だけ毎日祈ってるよ」
背もたれに背を預けて遠い目をしていた。
当事者にしか解らない不安もあるんだろうな。
それ以上深くは突っ込まずに退散して、工房に回り冷蔵庫を受け取った。
「2つもあれば充分だな」
「譲渡する予定も無いしね」
シュルツに連絡して工房で合流。
作業台に並べられた2つの腰巻きタイプのバッグ。
ポーチの倍程度の外寸で全面に白。蛇皮と毛皮の混合の落着いたデザイン。
「白いな。氷狼の毛皮使ったの?」
「違います。黒いエンペラーの毛皮を使ったのですが。
加工途中で蛇皮の方に侵食されたのか真っ白に変色してしまいました。
希少な部位だけを使ったので手持ちの材料では、この二つが限界です」
「「へぇ」」
フィーネにリバイブを掛けて貰った後で、新作のバッグに触れてみた。
名前:絶海の腰巻き鞄
性能:収納量✕(装着者最大魔力値/5)3乗✕10倍
収納側の使用権限:鞄主導
自動承認機能搭載
高耐業火、高耐氷冷、高耐雷撃
物理・魔法防御力:3000
(装備者の対魔力値で更に上昇)
完全防水、完全耐圧
物理・魔法耐性にも優れ、破損時も全排出しない
特徴:天才工作師が生み出した世界宝具
破損時に部品を作者に渡せば復元が可能
所有者の意志で変色も可能(白・黒・灰)
思わず胸を張るシュルツの頬にキスしてしまった。上機嫌のフィーネも反対側に。
「…」お顔を真っ赤に硬直。
「何て才女だ。同じ時代に生まれてくれて有り難う。今直ぐウィンザートに飛んでご両親を抱き締めたい!」
「行っちゃう?今直ぐ行っちゃおっか」
「え!?大袈裟ですよ。お待ち下さい。まだ心の準備が」
見守る侍女長さんも大いに戸惑う。
「お、お待ちを。主様のご許可が」
それもそうだな。
「済みません。取り乱しました」
「ラフドッグに行った時に相談してみましょ」
「はい。元々その積もりでしたし…」
盛大なフライングをするとこだった。
ポーチと中身をそっくり入替え完了。
中古品はどうするかと尋ねた所。
俺のはシュルツが。フィーネのはメルシャン様に進呈したいと返って来た。
元々はシュルツの物だしどうぞどうぞと。
「クリップはもう少し待ってね。次に出た物を取り付けるから。明日か明後日には潜る予定よ」
「はい!お待ちしてます」
今夜のお祝いは豪勢にしようと決めた。
小雨の中。中庭の鈴蘭を数輪摘ませて貰い、総本堂で帰還報告と御礼を済ませ北西部の共同墓地を目指した。
「お墓参りならシュルツやセルダさん誘えば良かったんじゃない?」
「序でにゴンザさんもってなるからさ。あんまし大所帯で押し掛けるもんでもないでしょ。ご挨拶だけなのに」
「…そっか」
故人を悼むのではなく日頃の感謝を伝えるだけ。それは各自の好きな時に行けばいいと思う次第です。
アンネさんのお墓の近くにセルダさんの前妻テレジアさんのお墓が在る。その隣には。
「こっちがヤヌイ・レンゼデブさんのお墓か」
「セルダさんたちをタイラントまで導いてくれた人ね」
ヤヌイさんの親族はまだ見付かっていない。
この地方では珍しい姓名だから何時かきっと。
綺麗に整えられた3人のお墓にそれぞれ祈りを捧げ、帰ろうとした道すがらゴンザとライラと遭遇した。
手には同じ鈴蘭の花。
「何だ帰って来てたのか」
「お帰り為さい」
「只今」
「私たちはご挨拶ですけど。ひょっとして…」
「鋭い!皆にはまだ内緒ですよ」
「おめでとう。なら過激な仕事は出来ないね」
「有り難う。俺もそうは言ったんだが…」
「出張以外の仕事は続けます。身体を動かしていないとストレスを溜めてしまう人間なんで」
「これだよ」
「まあ無理せずに」
「様子を見ながら、ね」
見るからに元気なライラを甲斐甲斐しく扱う様は端から見ているこちらもストレス溜まりそう…。
とは言えないので邪魔をしないように退散した。
トワイライトで昼食を食べ、トーラスさんのお店へ赴いた。
帰りにカジノでも覗きに行こうかと話しながら。
「ようこそお出で下さいました。スターレン様、フィーネ様」
「今日は普通に買い物に来ました」
「特に記念日でもないですが」
「…然様で。良い巡り合わせが有れば幸いです」
絶妙な距離感を保つトーラスさん。何か言いたそうな風でもあり普段と変わらぬ態度でもある。
連絡を受けた訳でもないので本当に買い物を。する素振りで世間話をしたい。…ええい面倒だ。
他の客が消えた所を見計らい。
「トーラスさん。フローラさんの声って戻ったりしました?」
「…やはり、あれはお二人でしたか。フローラを呼んで参ります。奥でお話を」
キーラさんに声を掛け店を一時閉店までさせた。
奥の部屋で柔やかにミルクティーを運んで来てくれたフローラが地声で挨拶をした。
「声でお話するのは初めまして。フローラと申します」
声質は確かにペリーニャに似ていたが、やや掠れ気味。
「初めまして」
「声が掠れてますね。嬉しさの余りに大声出してしまったとかですか?」
恥ずかしそうにするフローラの代わりにトーラスさんが答えた。
「お察しの通りです。大声処か叫んでいましたね」
「お恥ずかしい」
照れ笑うフローラの手を握らせて貰った。
「大丈夫です。呪いは大元の道具が破壊された時に解除されてます。良かったですね」
「急に喉を酷使するのは控えて。気になるようならカメノス医院を受診してみて下さいね」
「はい」
「それで大元の道具と言うのは」
トーラスさんの質問に対し、これまでの経緯とアッテンハイムで起きた出来事の詳細を話した。
「まだ南東の連中に知られる訳には行かないので口外無用でお願いします」
「勿論で御座います」
「サファリが自滅してしまったのは残念ですがフローラさんは彼と面識があるんですよね」
フローラは声を張らずに小声で答えた。
数年前に首都の礼拝堂を家族と巡礼で訪れた際にサファリに声を掛けられ世間話をした。その時点では気付かずに帰宿。
夜になって全く出ないのが判明したが原因不明。
途方に暮れていた時に親戚のトーラスさんに引き取られたと言う話だった。
「フローラにはデザイナーの才能と素養が充分に感じられました。これまでお売りした商品の中にも幾つか彼女の作品が在ります。
彼女の両親はピラリエで宿屋を営む偏屈者で。私は真っ先に女神教徒を疑いましたが。教団に傾倒する両親との激しい口論の末に彼女を連れて国を出ました。
タイラントなら何か治療法も在るのではと思い」
「…ピラリエの宿屋って」
「もしかしてサミールの宿屋ですか」
答えは図星。初回に門前払いを受けて塩まで撒かれたと話すとフローラが両手で顔を覆い隠した。
「恥ずかしいです…」
「その様子だと…まだフローラが完治した事は伝えられませんね。女神様のお導きだと騒ぎ兼ねません」
「半分正解なんで心苦しいですが。今暫くはそれでお願いします」
「解りました。お灸を据える機会として充分に反省して貰います」
「半分とは」
「何方かと言うとペリーニャの導きかな」
「詳細は明かせませんが。ペリーニャちゃんとは良い友人関係です。今回の外務もお仕事は建前で只遊びに行っただけなんですよ」
「「…」」
驚かせてしまったが事実だし。
何かお礼をと言われたのでフローラ製作の新作アクセを発注し、別れ際に2人と固く握手を交して退店した。
どんな物になるかはお楽しみ。
武器屋は1人で行けるのでカジノに行き夕方まで遊んだ。
また面白そうな品が並んでいたのを目標にして。
開眼のスカーフと浮島の笛…中身が想像出来ない。
控え目に2000枚を超えるのがやっと。今回のはそれぞれ2万枚。遠いぜ。
「段々と値上がりしてるな」
「期待しちゃうね。他の人も狙ってるだろうし」
ジェシカさんたちがまた貯めてないかと淡い期待を胸に帰宅した。
帰宅すると無記名の小包が届けられていた。
「おぉ見計らったように届いたな」
「嬉しいような背中が寒いような」
夕食の準備をする前に思い切って開封。
中身は渡した小袋に煌びやかな装飾が施された物と1枚の招待状。手紙類は無かった。
「来週バザーが開かれるんだってさ」
「いいわね。今度は私たちだけでこっそり行っちゃう?」
「それだとロロシュさんに怒られそうだから後で聞いてみよう」
「しょーがないかぁ」
問題の小包を確認。
名前:隔絶の小袋
性能:収納物を外部から任意で発動可能
魔力消費1割加算
特徴:装備品に内包するだけで使える逸品
「理想通り!」
「指輪を使うとベースの3割が消えるんだ…」
義眼と彫像と架振を入れて試してみた。
リビングと寝室の移動は問題無し。他との干渉も無く良好な結果。
フィーネとクワンには義眼だけを抜いて1回ずつ試して貰った。2回まで許容はあったがそれぞれ1発成功。
みんなでハイタッチ。
「フィーネも大分慣れて来たな。クワンももう何回か練習すれば問題無さそう」
「うんうん」
「クワッ」
何より手に持つ必要が無いのがいい感じ。
これなら引き離されても安全が確保出来る。
「次の水没から奥行ってみる?」
「いいの?」
「心配だけど。何時までも過保護じゃ居られないし。スマホで位置確認しとくよ」
「今度は私が追われる番か」
「鬼ごっこするんじゃないんだから…」
「解ってる。装備と準備は万端に行って帰るだけ。無理して戦わない。でしょ?」
返事の代わりに熱いキスを交して夕食の準備を始めた。
---------------
料理と言っても今日は簡単に焼肉と豆腐の味噌汁。
熊肉多目の蛇肉少々。
固形の大蒜もパスしてあっさりと。
薬味の代わりに摺下ろし山葵を添えた。
俺たち以外は同じ反応で顰めっ面。中でもロロシュ氏はお怒り気味。
「何だこの緑色をした辛い添え物は」
「最初はみんなそんな感想です。この山葵は毒ではない歴とした山菜の一つ。舌と鼻の奥を突き刺す刺激が癖になって病み付きになります」
「肉や魚の脂分の分解を助けて胃の中を綺麗にしてくれるんですよ。付けすぎ注意ですけどね」
シュルツの可愛らしいくしゃみが止まらない。
「付けすぎるとそうなるね」
鼻を布巾で拭きながら。
「私には、少し早かったようです。お肉はそのまま頂きたいと思います」
「魚醤や醤油との相性抜群で。お刺身をこれで食べると美味しさが引き立ちます」
「ならばその時に出してくれ」
初めての遭遇は受けが悪かった。
「視察に行った時にでも」
「うむ。君らも行くのか」
「同行するかは解らないですが。ソプランとアローマさんに船の運転練習をして貰いたいんで」
カーネギが当然の疑問を口にする。
「俺たちは、覚えなくていいのか」
「それは考え中。クルーザーの定員10人までだし、操縦も出来ない人は一生出来ない。個人の素養の問題で」
「視察の段階でカーネギさんたちも連れて行くと…お隣の3組も連れて行けってなるじゃないですか」
「…むぅ」
「言われてみれば確かに」
「ソプランたちは仕事で連れ回してる分休暇を取らせる積もり。新婚旅行まで含めちゃうと他のメンバーと不公平」
「全員一気に連れて行くと王都内が手薄になるの」
「色々気を遣ってるんですよ。特にあっちはカメノスさんにも申請しないと駄目だし。
なんで今の所他のペアは分割で考えてます」
「ソプランさんたちが2人共操縦困難だった場合は即時交代も有り得ます」
「それは聞き捨てならねえな」
「身を引き締めて取り掛かりましょう」
シュルツが挙手。
「私も操縦しても良いでしょうか」
「こう言ってますが。ロロシュさん的には」
「操縦だけなら問題無い。しっかりと見ていてやってくれ」
「良かったね」
「はい!有り難う御座います、御爺様」
またサーペント現われたりして。
食事終わりに冷やしておいたプリンをお披露目。
お砂糖控え目の卵と牛乳の濃厚さが売り。
「アッテンハイムの首都で広めて来た新作デザートです」
「似た様な物なら既にこの王都でも見掛けました。商売には繋がらないのでご安心を」
「ふん。余計な物まで広めおって」
「頭の悪いクワンジアよりもタイラントと親交を温めた方が得ですよって宣伝です」
「信仰の壁を打ち崩すのもやはり食。生物は食べないと死んでしまうので宗教なんて関係有りません」
「二人に掛かれば国境の壁すら些細な物か。面白い」
ロロシュ氏のご機嫌がいい内に来週のバザーの話を切り出した。
「来週か…。行きたいのは山々だが面倒な手続きが山積している。わしはどうなるか解らんがゼファーは行かせる」
「なら今回の護衛はソプランとカーネギだけでいいかな」
「了解。他の奴らは前回で凝りたろ」
「俺も、そう思う」
アローマとミランダが不満を漏らしたが、態々危険に身を晒す必要は無いと却下した。
---------------
翌朝の日課は軽めに抑え、フィーネが準備している間に武器屋へ向かった。
注文品の引き取りと相談。
矢筒は受け取り、袋の中の押収品をどうにか出来んもんかと。
「商売としちゃありがてえ話だが…。そいつぁ上に断り入れた方が良くないか。例え英雄様の頼みでも、客と心中する気はねえぞ」
「だよねー」
改めると告げて店を出た。
外は雨。寂しい背を支えてくれる人は居ない。
気を取り直して自宅へ戻るとフィーネは準備万端の笑顔で待っていた。昼のお弁当も自分で作っていた。
初の遠出。心配は尽きない。
「じゃあ行きますか」
「行こう」
いつの間にか彼女を束縛しているのは自分の方になっていた。違うな…出会った最初からだ。
離れたくない。離したくないと強く思っていたのは俺の方だった。だから今日からは引き留めたりしない。
「何処に行っても必ず迎えに行くから」
「大袈裟よ。私を信じて」
信じてると答えてキスをしてから飛んだ。
テントを張りお香を焚いて彼女を見送った。
ホットワインを沸かすだけでは芸が無い。
強めの雨で手先が滑る中。練習用の弓を射る。
只心静かに。半歩ずつ左右に振りながら動かぬ的を射抜いた。
4本目で細い木の幹が折れた。
精度も威力も向上。慢心を生むに事足らない。こんな程度で満足してしまうのか俺は…。
矢を拾い集め、大木に的を変えた。
「クワン。見回りが終わったら俺の放った矢を途中ではたき落として」
「クワッ」
耳に付けた貝殻から漏れ聞こえるのはフィーネの落着いた吐息。こちらは無駄口を叩かない。
これが聞こえなくなったらと考え始めると、途端手元が狂い始め射る事さえ難しくなった。
鏡面止水。ズブの素人がその境地には至れない。
至れなくても一歩ずつ近付ける。
心穏やかに。そっと息を吐き出した。
---------------
今日私は扉の向こう側へ行く。
扉の向こうが世界の果てなら帰れる。しかしそれが異世界であったらどうなのだろう。
遂にその可能性をスタンと話し合う事無く来てしまった。
私は正規転生者。異世界を2つも渡ってしまった経験を持っている。
日本からアーガイア。アーガイアからこの名も無き世界へと来た。朧気だった断片の記憶も、愛するスタンと過ごす幸せな日々の中で徐々に鮮明となった。
日本からの強制転移。そしてアーガイアでの自分の最後まで思い出した。
ここはアーガイアとは別世界。大丈夫。とどんな言葉を自分に唱えても胸の鼓動は収まらない。
次で良いのでは。今度晴れた日にでも。
情けない自分が顔を出す。
目の前の魔物を駆逐して行く。集中力は途切れていない。
心を落ち着け、愛する者の息遣いに耳を傾けた。
今回も角は出ず、クリップは3個も出た。
相変わらず運が良いな。
3層目の海月を一掃していよいよ奧底を迎えた。
「スタン。扉の手前に着いた」
「…よし。行って来い!」
彼の力強い後押しにうんと答えて扉に手を掛けた。
「行くよ、ソラリマ」
『うむ』
呼吸を整え、扉を押し開いた。
前を開くと同時に後ろの入口が閉じ、濁流のような水に身体が吸い込まれた。
矛を一旦収納してその流れに身を任せた。
深海の激しい海流に似ている。
数分。だったと思う。
辿り着いた場所は仄暗い深海。
貝殻からはスタンの声が聞こえない。途切れた。
流れに乗っただけで1万km以上離され、一気に不安に陥った。
苦しくはない。マスクは正常に稼働している。
頭上の光が届いていない所を見るとかなりの深度。
体感の圧力も変化は感じなかったが、双眼鏡もスマホも壊れそうで取り出せない。
現在位置は後で聞けば解る。
取り敢えず異世界に辿り着いた訳では無さそうで、安堵して胸を撫で下ろした。
ソラリマの光では数十mの範囲を照らし出すのがやっと。
「漸く来たか。水の巫女よ」
重厚なステレオ音が耳に直接響いた。
声の三重奏。発信元は同じ位置。
ずっとその場に居た様な佇まい。
3つの長い首。6つの鋭い眼。青白い鱗。
身の丈は20mは越えていた。
「ポセラニウス…様」
「あの大食いも言っていたが。それは人間たちが勝手に付けた名だ。好きに呼ぶが良い」
どんな言葉を紡げばいいのかが解らない。
「お会い出来て光栄です。水竜様」
挨拶の仕方も解らないので取り敢えずお辞儀した。
「地上の礼など不要だ。多くを語りたいが早めに帰らねばお主の番が暴れ出すのでな。それは次の機会にしよう」
早く帰って安心させてあげないと。
「また同じ方法でお会い出来るのですか」
「真上から来るよりは手っ取り早いと思うぞ」
場所的に難がある様子だ。
見上げても何も見えない。
「時間を作ってまたここへ参ります」
「うむ。気長に待つとしよう」
それではまたと伝えて転移した。
---------------
連絡が途絶えてから約15分後にフィーネが変わらぬ笑顔で戻って来てくれた。
動きたくても動けない地獄のような長い時間だった。
「良かったぁ」
「クワァ」
再会のキスを交して。
「待たせて御免なさい。
辿り着いた深海に水竜様が居らしたのよ。本物の」
「「…」」
「マジで?」
「マジよ。幻じゃなくて」
ゆっくり聞きたい所だったが風邪を引いてはいけないと荷物を纏めて自宅へ戻った。
フィーネがお風呂に入っている間にホットワインを冷蔵庫で温く冷やしてお弁当をダイニングに並べた。
着替え終わった彼女と食べながら事情を聞いた。
「スタンが来週のバザー行ってる間に水竜様にお会いして来ようと思うんだけど。どうかな」
「うーん…。どの道フィーネにしか行けないしな」
悩んだ所で答えは変わらん。
彼女が居たのは南西大陸の更に西。西の大陸との丁度中間辺りの海だった。
飛んで行きたくても飛べない場所。船を使っても潜れもしない。
「買い物は男衆だけで行って来るよ。あんな場所に水竜様が居るのもきっと理由がある筈だし」
「ありがと。次はゆっくりお話して来るね」
「いいなぁ。俺も行けるもんなら行きたいよ」
「残念。それは私だけの特権です。水竜様は私の事を水の巫女だって言ってたの。その理由とかも教えてくれるかなぁ」
水の巫女か。
「フィーネは選ばれた転生者だから。もしかしたら水竜様が直々に招待してくれたのかもね」
「他の人には言えないな」
「秘密が増えて行きまする」
「クワ」
「何にしても失礼の無いように」
「子供扱いしないで下さい」
明日は女性陣のドレス選びで潰れてしまう。俺は合コンのセッティングで走り回る。
「明日はいいとして今日は午後からどうしよう」
「私はペルシェさんのとこで消費した薬類の補充と大豆食材貰いに行く」
「じゃ俺はその間にラフドッグでお魚買って来るよ。クワンは東側の偵察行く?」
「クワッ」頷き返した。
夕方前には帰宅するとして各自に分かれた。
海辺は今度来るからパスをして。
魚屋で真鯛、鰤、鮭、鱈を。乾物屋で海苔と干物類を。
青果市場で果物、麦、粟、稗、芋類、序でにメドーニャさんに寒天ゼリーを貰い。
新作の滋養酒を購入した。
漬け込みは浅い。熟成は袋の中でも出来る。
中身は高麗人参、杏子、李、梅の実。コクよりも酸味にシフトした感じだ。
「おじさん。梅の実って個別で売って貰えたり出来ます?」
「流石はお目が高い。やっぱりスターレン様は違うなぁ。
梅は町から少し東に行った所に自生してるんで丁度今自分が収穫時期なんですよ。取り敢えず百位ならお売りしますよ」
大粒の梅の実も購入。
春の花の季節は通り過ぎてしまった。それはまた来年。
梅干しを作ろうと思い立ち、乾物屋に戻って粗塩、赤紫蘇を入手。
2人よりも早く帰宅して早速作成開始。
梅の実の汚れと蔕を取り去り、ウォッカに潜らせ清潔な布巾で拭き取る。
綺麗な鍋に梅の実を敷き詰め粗塩を満遍なく塗す。狙いは実の重さの2割狙い。
中蓋を乗せて同重量レベルの石を置く。以上。超簡単。
今頃から作れば雨期明けに干せる。完璧なプランだ。
フィーネに梅干しを作り始めたから鍋はそっとしておいてのお願いと、夕食用の魚の下処理に入る前にノイちゃんの所に行ってくるとメールして地下道を潜った。
陛下にごめんちゃいしてクワンジア産の武装押収品を武器庫に預かって貰い、ノイちゃんの執務室に殴り込んだ。
「…お見合い?何だ藪から棒に。一応仕事中なんだが」
「ノイちゃん本気で結婚する気は無いの?近日中に5対5のお見合い会やるんだけど。ノイちゃん来ないと小金持ちが1人減るんだよねぇ」
「小金持ち言うな。君に比べれば大抵が低所得者だ。
…本気で諦めたかと問われると。全肯定は辛いな。因みにメンバーは」
確定の女性陣。予定の男子メンバーを説明するとノイちゃんは楽しそうに笑った。
「面白い組み合わせだな。これまで歓楽街は色々な理由で避けてきた。四日後なら休暇予定で別宅も使える。それ以外なら夕方からになるな。場所と日時が決まったら教えて欲しい」
乗る気になった様子。
場所はデニスさんの店かエドワンドの予定だったが、別宅が使えるならそれでもいいな。
明日中には決めると告げてギークが居る兵舎に向かった。
ギークは交渉も無く2つ返事でOK。意外にノリノリ。
後はモヘッドだけ。こうなったら序でだと冒険者ギルドへ赴き事務所を叩いた。
ノイちゃんが参加する事に難色を示していたが。
「仕事は仕事。私用は私用。俺のお願いなら聞いてくれるんじゃなかったの?」
「それは…そうですが」
「モヘッドって…まさか同性愛者?」
隣の席に座り別仕事をしていたムルシュが後退った。
「ち、違います!誤解です。多少女性不信に近い物はあっても女性が大好きです。何時か時間が出来たら婚活だってしたいと思ってました」
素直な自白で一安心。
もっと素直になっちまえよ。時間は作るもんだぜぇ。と諭してあげたら力強く、行きます!と答えてくれた。
男性陣の言質も取れた所でいい時間。
自宅へ戻って仕込みを…と思いきやフィーネと一緒にアローマとミランダがキッチンで作業中。
「ごめん。遅くなった」
「いいよ。下処理してただけだし。お魚はどうやって使う積もりだったの?」
「鱈と鮭の切り身と熊肉で今夜の寄せ鍋にしようかと思ってて。鯛と鰤は明日以降でお刺身、塩焼き、しゃぶしゃぶとかかなぁって」
「ふむふむ。いいですねぇ」
と言いながら長葱、大根、人参、牛蒡を取出し。
「牛蒡の灰汁抜きしてるからお風呂どーぞ」
お言葉に甘え、新作の滋養酒を置いてお風呂に行った。
「新作は料理酒に。干し貝柱は昆布と鰹出汁に追加で」
「ほーい」
嫁は昨日から上機嫌。まあ無理もないな。
風呂から上がって着替え終わっても作業は続行され、今日は入らなくても良さげ。
ずぶ濡れで帰って来たクワンをキャッチして再び風呂場へ引き返した。
装備を脱がせながら。
「今日の台所は男の出番無いってさ。ゆっくり入りな」
「クワッ」
サッパリしたクワンをタオルで拭き上げながらリビングに戻った時にはもう準備は完了していた。
ダイニングからはお出汁のいい香りが漂い、少し離れたリビングから女性3人が動き回る姿を眺める。
何かいいなと思うと同時に何処か心寂しい気持ちが芽生えた。
ひょっとしたらフィーネはもう1人で生きて行け
「また怒られますよ」
だって寂しいんだもん。
嫁の自立を素直に喜べない馬鹿な束縛夫の図。
人が続々と集まりだした。お馬鹿な妄想は止めにして配膳を手伝い着席した。
祈りを捧げるのも家長の務め。
蒸し暑い季節。熱々の鍋を繰り広げる暴挙。
後でお風呂入り直そう。皆同じ思いだろう。
否しかし!最後の〆まで外せません。
おうどんを投入し、自分の皿に唐辛子の粉を塗した。
初めはみんな、え!?て顔で見てたのに。
辛い美味いを繰り返していると。不思議な物で続々と真似を始め出す。
ロロシュ氏は何故かこめかみを押えながら。シュルツは口を押えながら悶えていた。
「だから掛け過ぎなんですって。昨日の山葵で学習して下さいよ」
「く…迂闊だった…」
「今日も大人の味がしました!」
これは血筋だな。
新しい物へのチャレンジ精神は認めます。
お風呂へ入り直した夜に問い詰められた。
「どうして夕食の前に寂しそうな気持ちになってたの?」
「友達が増えて自立してくフィーネに捨てられるかもって思ったらつい」
少しだけ驚きながらも。
「バーカ」と言って抱き締めてくれた。
今日も幸せ。
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