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殺害依頼

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 精神科医である私のもとに、ある日、奇妙な依頼を持ち込む患者が現れた。


「先生お願いです。どうか、僕を殺さずに僕を殺してください!」


 聞いた当初は理解不能だったが、話を詳しく聞いていくうちに、その意味も理解することができた。


 この依頼人、二重人格者だったのだ。


 表向きは普通の凡庸な青年。だがその裏の顔は表とは対照的に、が強く攻撃的で、暴力沙汰ざたを起こしてしまうのだとか。今まで相当の苦労を重ねてきたらしい。


 そこでこの依頼人は、害にしかならない別人格を自分自身から切り離す方法──すなわち自分を殺す方法を求めてきたのだった。



「なるほど、全容はわかりました。では、もう少し詳しくお話していただけますか。例えば、どのタイミングで別人格が現れるんですか?」

「はい。アイツは僕が意識のない時、僕が眠った後とかに現れては悪さをしているようなんです」

「その時の記憶とかは、あなたにはあるんですか?」

「ないんです。気がつくとアイツがやらかした痕跡が見つかったり、周囲の人間関係が悪くなっていたりするんです」

「なるほど……。ちなみにその彼とは会話をしたことがあるのですか?」

「はい。僕が起きている時にアイツを呼び出して、会話をしたりします。今は眠っています」

「わかりました。では今その彼を起こして、話ができますか? 私が説得できるならそれに越した事はないと思うのですが」

「いえいえ、そんな! 悪いことは言いません先生。止めといた方がいいです。アイツがそんなことを知ったらおそらく先生はただじゃ済まないと思います」

「そうですか……。わかりました。じゃあ仕方ありません。別の方法でなんとかしてみましょう」



 かくして私は、会ったこともない、なんなら実態のない存在の殺しの依頼を受けることとなってしまったのだった。



 そこで私は、一つの装置を開発した。詳しい仕組みの説明は出来ないが、この装置を使えば人格を破壊できる。


 私は、さっそく依頼人を呼び出した。


「この装置を頭につけてください。で、彼を呼んでください。彼を起こすことができたら、私は装置の電源をオンにします。それで彼は攻撃を受け、消滅するはずです」


 もしものときを想定し、念のため、依頼人を椅子に縛りつける。


「先生、これでアイツが本当に死ぬのですか? というか、それで僕も死んじゃったりとかしないですか?」

「大丈夫です。表に現れた人格にしか効かないようになっています。なので彼と入れ替わった後は、眠るなり脳の奥に隠れるなりして避難しておいてください。あのあと彼と会話をしましたか?」

「話はしました。ただ普段話しているような内容だけで、この件については一切内緒にしています」

「そうですか。じゃあこれから適当な理由をつけて、彼を呼んでください」

「はい、わかりました。よろしくお願いします」



 そして青年は目を閉じた。数秒後、がくっと項垂うなだれたかと思うと、不意に顔を上げた。


「君は、誰だい……?」


 私は恐る恐る問いかけた。目を覚ました目の前の青年は、明らかに雰囲気が違っていた。


「あ? なんだ、テメェ」


 鋭い眼光。不躾ぶしつけな態度。表情から体の動きにまで違いが見られた。別人格が現れたことは明白だった。


 しかし私は、装置を起動させなかった。それは一つの可能性を試してみたかったからだ。私の言葉によって彼の人格を変えることは出来ないのかと。

 確かにこの装置を使えば問題は解決されるかもしれない。しかし、この装置は残しておきたいもう一つの人格に影響を与えるかもしれない。理論上は大丈夫なはずではあるが、ゼロではない。使わないに越したことはないのだ。


 ゆえに私は、依頼人に止められていたにもかかわらず、説得を試みた。


 だが数分話しただけで、もはや説得は不可能であると判断せざるを得なかった。


 裏人格はかなり攻撃的で、それでいて冷静。暴力沙汰を起こしていたにもかかわらず今まで問題になっていなかったのは、相当に上手く行動していたからだろう。それがわかるほどの雰囲気がかもし出されている。巧みな話術から繰り出される口撃と、相手を見抜く洞察力は文字通り別人であった。


「俺を殺そうってんだな?」


 私たちが隠していた真相も容易く見抜かれてしまった。この以上は危険と判断した私は、すぐさま装置を起動させた。


 その瞬間、“彼”は苦しみもがきだした。


 数秒ののち、装置は自動停止した。彼は今、項垂うなだれている。


「おい……大丈夫か……?」


 肩を揺すり、依頼人に呼びかけた。


「あ……先生……」

「無事かい? 彼はどうなった?」


 依頼人はゆっくりと顔を上げ、目をパチクリさせた。


「はい。大丈夫……です。アイツは、いない……いない! いなくなってますよ先生! ありがとうございます!」


 青年は私の手を熱く握り、感涙していた。治療は成功したようだ。しかし、どこか私の心には引っかかりが残った。




 帰り際、依頼人はこれからのことを語った。


「先生、この度は本当にありがとうございました。今まで散々アイツのことで苦労してきましたけど、これでやっと解放されます。先生は恩人です!」

「そんな恩人だなんて……」

「恩人ですよ、先生。これからはアイツに振り回されてきたことを清算して、一からやり直したいと思います。俺、一生懸命頑張ります!」


 握手を求められ、私はそのまま手を差し出した。


「ああ、頑張ってくれたまえ」


 去っていく依頼人の背中を見送りながら、私は考えていた。果たして本当にこれでよかったのだろうか……?





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 〈ヒント「依頼人の最後のセリフに違和感があるのだが……それはなに?」〉

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【解説】

 実は、この精神科医は治療に失敗しています。


 なぜなら依頼人の一人称が初めは「僕」だったのに対して、最後は「俺」に変化しているからです。


「俺」はもう一つの裏人格が使っている一人称です。つまり、精神科医が破壊してしまった人格は依頼してきた方の人格で(あるいは人格破壊自体が失敗していて )、最後のやりとりは裏人格が表人格に成り済ましていただけだったのでした。
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