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二つの選択肢
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あるところに、独り暮らしの女性がいた。
ある日の昼、彼女が部屋で一人過ごしていると、突然目の前に『何か』が現れた。その何かは、これまた唐突に女性に言った。
『あなたの願いを叶えてあげましょう』
女性は、自分の頭がおかしくなったのだと思ったが、目の前にはたしかに何かがいた。
それは人の形をしていて、まるで影が実体を持ったかのような黒さで直立していた。
女性は、驚きはすれど怖さをそれほど感じてはいなかった。あるいは、まだその恐怖に気づいていなかっただけかもしれない。静かな部屋で、女性は慎重に声を出してみた。
「……だれ?」
すると何かは黒い顔を近づけ、女性にこう言った。
『わたしは神。あるいは妖精。人によっては悪魔、あるいは死神。気まぐれに人前に現れては、気まぐれに願いを叶えさせて遊んでいる好事家です』
「はぁ……」
その声は、不思議なことに脳に直接語り掛けるように響いていた。
何かは、実にあっけらかんとした様子で、
『そんなことはどうでもいいのです。今回わたしは、あなたの願いを叶えて遊ぼうと考えました』
と、そう話した。
理解が追い付かなかった女性。けれど強引に飲み込めば、つまり、よくある話だった。
何かの拍子に願いを叶えてくれる存在と出会うという話。その手の話に理由はない。なぜ願いを叶えてくれるのか、どういう理屈なのか、そういうのは分からないことがほとんどだ。
でもそれは、宇宙がどうやってはじまったのか人間に分からないのと同じで、知りようがない世界なのだろう。
女性は、ごくりと生唾を呑み、目の前の存在をじっと見つめてみた。何かは説明を始めた。
『選ぶのは二つの中から。叶えられるは一つまで』
人差し指だけをぴっと立てる。
『一つは『蘇生の力』。この力を手に入れれば、どんな死者も何度でも蘇らせることが出来ます』
続いて、中指も立て、
『もう一つは『処刑の力』。この力があれば、どんなに遠く離れていても、例えどこにいるのかわからなくても、一瞬にして殺すことも、あるいはじわじわと苦しみ与えながら 嬲り殺すことも出来ます』
そして、闇のように深い顔から白い歯だけを覗かせて
『さあ、あなたはどっちを選ぶ?』
そう、嗤ったのだった──。
◆
女性は考えた。
彼女には殺しても殺したりないほど憎い人間と、生き返らせなければならない人間の二人がいた。前者は元夫。後者は息子。息子は当時、五才だった。
かけがえのないたった一人の息子。それが元夫の虐待の末に命を落としたのは約二十年前。当時、女性は若かった。腕力もなければ経済力もなく、そして勇気もなく、仕方なく付き従うことしかできなかった。
今となっては後悔しかなかった女性。何度過去に戻ってあの男から逃げ出そうと考えたことだろう。何度心の中で息子に謝罪を重ねたことだろう。自分の弱さに、母親失格だと女性は嘆いた。
殴られていつも痣だらけだった腕。治ったはずなのに、時折うずきだすのはなぜだろう。
何度もやり直したいと女性は願った。
しかし、どんなに過去に戻りたいと願ってもそれは遅すぎたことだった。
元夫は刑期を終えて出所していた。やつの首根っこを引っ張り出して、その晒した太い血管に何度も何度も刃を突き立てる。そうすれば、この鬱屈した気持ちも少しはすっきりするだろう。
女性は過去、何度となくそんな妄想を繰り返していた。
だがそんなことはできないとわかっているし、そんな妄想をしたところで、息子はもう戻らない。女性が人生の中で、唯一自信を持って言えたことは、
“死者は戻らない”
という確固たる事実だった。しかし──。
いま目の前にいる何かが、その常識をぶっ壊してくれるという。そんなことあるのだろうか。疑いは拭えないが、チャンスを逃したくもないと女性は思った。
ゆえに女性は、悩みぬいた末に、ある力を選んだ。
「決めました。私に『蘇生の力』を授けてください」
何かは、いいのですか、と念を押した。
「はい。ですが、ひとつだけお聞きしていいでしょうか」
『何でしょう?』
「代償はあるのですか?」
願いを叶えられても、代わりに死ぬなんてことがあれば使いたくない。だから女性は至極当然のことを聞いた。
何かの返事は、女性の予想とはずれていた。
『いえ、何もありませんよ』
「本当ですか?」
『ええ、むしろ私がお願いしている身なのでね。あなたには是非力を使っていただきたいのです。しいて言えば、その力は一人にしか使えません。誰も彼も生き返らせるなんてことは出来ません』
「わかりました。それで構いません」
誰を生き返らせるなんて、一人しかいなかった。
女性が頷き、それを受け入れると、
『それでは』
と、何かは黒い腕を女性の体へと伸ばした。不意の出来事に、目を閉じる。何かが行われていた。よくは理解できなかったが、未知の力が体に宿ったと女性は感じた。やがて目を開ける。
『これにて完了です。あなたはもうその力が使えますよ。使い方は願う、ただそれだけです。それでは』
そう言ったが最後、何かは闇に溶けるように消えていった。部屋にはいつもと変わらない日常が残っていた。静けさだけが満ちている。
夢を見ていたのだろうか。
女性は自分の拳を二、三度かるく握りしめてみた。何かを感じる。今度は頬をつねってみる。痛い。間違いなく夢ではない。ならば──。
女性は早速、力を使ってみることにした。
やり方は願う、ただそれだけ。だがその前にやっておくことがあった。
台所へ行き、包丁を取ってくる。
今度は寝室に行き、押し入れを開けて、ロープを引っ張り出した。それは、いつの日にか罪悪感を感じたら首を吊ろうと用意しておいたものだった。
そして、同じく押し入れの奥から引っ張り出したものを、ベッドの上に運んでそのロープで固定する。
結び終えると、一度大きく呼吸して、口の中で呟いた。
「母親失格の私をどうか許してください……。いつか……いつかあなたのもとへ向かいますから」
息子に謝罪を入れる。そして女性は包丁を握りしめて願った。
ベッドの上にある死体がみるみると復活していく。それは数年前に女性が殺して 乾涸びた元夫の死体。
女性は自然と笑っていた。
「はは……。ははは……。ははははっ!」
笑わずにはいられなかった。
なぜなら、何度殺しても殺したりない人間に生きてまた会えるのだから。
【解説&あとがきは↓をスクロール】
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【解説&あとがき】
不思議な力を手に入れた女性が願ったこととは、「守ってやれなかった息子を生き返らせること」ではなく、「何度でも殺すために、かつて殺した元夫を生き返らせた」ということで、普通なら前者を選びそうですが、後者を選んでいることが怖いですね。
もっとも、息子を生き返らせたところで、老いた身の女性に子育ては難しいでしょうから、この話のオチの方が現実的かもしれません。何度でも生き返らせることができるということは、殺しが発覚しても生き返らせてなかったことにできるわけですから、都合がいいですね。
一人限定ですが「殺し放題の力」というわけですね。
ある日の昼、彼女が部屋で一人過ごしていると、突然目の前に『何か』が現れた。その何かは、これまた唐突に女性に言った。
『あなたの願いを叶えてあげましょう』
女性は、自分の頭がおかしくなったのだと思ったが、目の前にはたしかに何かがいた。
それは人の形をしていて、まるで影が実体を持ったかのような黒さで直立していた。
女性は、驚きはすれど怖さをそれほど感じてはいなかった。あるいは、まだその恐怖に気づいていなかっただけかもしれない。静かな部屋で、女性は慎重に声を出してみた。
「……だれ?」
すると何かは黒い顔を近づけ、女性にこう言った。
『わたしは神。あるいは妖精。人によっては悪魔、あるいは死神。気まぐれに人前に現れては、気まぐれに願いを叶えさせて遊んでいる好事家です』
「はぁ……」
その声は、不思議なことに脳に直接語り掛けるように響いていた。
何かは、実にあっけらかんとした様子で、
『そんなことはどうでもいいのです。今回わたしは、あなたの願いを叶えて遊ぼうと考えました』
と、そう話した。
理解が追い付かなかった女性。けれど強引に飲み込めば、つまり、よくある話だった。
何かの拍子に願いを叶えてくれる存在と出会うという話。その手の話に理由はない。なぜ願いを叶えてくれるのか、どういう理屈なのか、そういうのは分からないことがほとんどだ。
でもそれは、宇宙がどうやってはじまったのか人間に分からないのと同じで、知りようがない世界なのだろう。
女性は、ごくりと生唾を呑み、目の前の存在をじっと見つめてみた。何かは説明を始めた。
『選ぶのは二つの中から。叶えられるは一つまで』
人差し指だけをぴっと立てる。
『一つは『蘇生の力』。この力を手に入れれば、どんな死者も何度でも蘇らせることが出来ます』
続いて、中指も立て、
『もう一つは『処刑の力』。この力があれば、どんなに遠く離れていても、例えどこにいるのかわからなくても、一瞬にして殺すことも、あるいはじわじわと苦しみ与えながら 嬲り殺すことも出来ます』
そして、闇のように深い顔から白い歯だけを覗かせて
『さあ、あなたはどっちを選ぶ?』
そう、嗤ったのだった──。
◆
女性は考えた。
彼女には殺しても殺したりないほど憎い人間と、生き返らせなければならない人間の二人がいた。前者は元夫。後者は息子。息子は当時、五才だった。
かけがえのないたった一人の息子。それが元夫の虐待の末に命を落としたのは約二十年前。当時、女性は若かった。腕力もなければ経済力もなく、そして勇気もなく、仕方なく付き従うことしかできなかった。
今となっては後悔しかなかった女性。何度過去に戻ってあの男から逃げ出そうと考えたことだろう。何度心の中で息子に謝罪を重ねたことだろう。自分の弱さに、母親失格だと女性は嘆いた。
殴られていつも痣だらけだった腕。治ったはずなのに、時折うずきだすのはなぜだろう。
何度もやり直したいと女性は願った。
しかし、どんなに過去に戻りたいと願ってもそれは遅すぎたことだった。
元夫は刑期を終えて出所していた。やつの首根っこを引っ張り出して、その晒した太い血管に何度も何度も刃を突き立てる。そうすれば、この鬱屈した気持ちも少しはすっきりするだろう。
女性は過去、何度となくそんな妄想を繰り返していた。
だがそんなことはできないとわかっているし、そんな妄想をしたところで、息子はもう戻らない。女性が人生の中で、唯一自信を持って言えたことは、
“死者は戻らない”
という確固たる事実だった。しかし──。
いま目の前にいる何かが、その常識をぶっ壊してくれるという。そんなことあるのだろうか。疑いは拭えないが、チャンスを逃したくもないと女性は思った。
ゆえに女性は、悩みぬいた末に、ある力を選んだ。
「決めました。私に『蘇生の力』を授けてください」
何かは、いいのですか、と念を押した。
「はい。ですが、ひとつだけお聞きしていいでしょうか」
『何でしょう?』
「代償はあるのですか?」
願いを叶えられても、代わりに死ぬなんてことがあれば使いたくない。だから女性は至極当然のことを聞いた。
何かの返事は、女性の予想とはずれていた。
『いえ、何もありませんよ』
「本当ですか?」
『ええ、むしろ私がお願いしている身なのでね。あなたには是非力を使っていただきたいのです。しいて言えば、その力は一人にしか使えません。誰も彼も生き返らせるなんてことは出来ません』
「わかりました。それで構いません」
誰を生き返らせるなんて、一人しかいなかった。
女性が頷き、それを受け入れると、
『それでは』
と、何かは黒い腕を女性の体へと伸ばした。不意の出来事に、目を閉じる。何かが行われていた。よくは理解できなかったが、未知の力が体に宿ったと女性は感じた。やがて目を開ける。
『これにて完了です。あなたはもうその力が使えますよ。使い方は願う、ただそれだけです。それでは』
そう言ったが最後、何かは闇に溶けるように消えていった。部屋にはいつもと変わらない日常が残っていた。静けさだけが満ちている。
夢を見ていたのだろうか。
女性は自分の拳を二、三度かるく握りしめてみた。何かを感じる。今度は頬をつねってみる。痛い。間違いなく夢ではない。ならば──。
女性は早速、力を使ってみることにした。
やり方は願う、ただそれだけ。だがその前にやっておくことがあった。
台所へ行き、包丁を取ってくる。
今度は寝室に行き、押し入れを開けて、ロープを引っ張り出した。それは、いつの日にか罪悪感を感じたら首を吊ろうと用意しておいたものだった。
そして、同じく押し入れの奥から引っ張り出したものを、ベッドの上に運んでそのロープで固定する。
結び終えると、一度大きく呼吸して、口の中で呟いた。
「母親失格の私をどうか許してください……。いつか……いつかあなたのもとへ向かいますから」
息子に謝罪を入れる。そして女性は包丁を握りしめて願った。
ベッドの上にある死体がみるみると復活していく。それは数年前に女性が殺して 乾涸びた元夫の死体。
女性は自然と笑っていた。
「はは……。ははは……。ははははっ!」
笑わずにはいられなかった。
なぜなら、何度殺しても殺したりない人間に生きてまた会えるのだから。
【解説&あとがきは↓をスクロール】
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【解説&あとがき】
不思議な力を手に入れた女性が願ったこととは、「守ってやれなかった息子を生き返らせること」ではなく、「何度でも殺すために、かつて殺した元夫を生き返らせた」ということで、普通なら前者を選びそうですが、後者を選んでいることが怖いですね。
もっとも、息子を生き返らせたところで、老いた身の女性に子育ては難しいでしょうから、この話のオチの方が現実的かもしれません。何度でも生き返らせることができるということは、殺しが発覚しても生き返らせてなかったことにできるわけですから、都合がいいですね。
一人限定ですが「殺し放題の力」というわけですね。
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