Fly high 〜勘違いから始まる恋〜

吉野 那生

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別離の時

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自分の不甲斐なさを棚にあげて、美月に八つ当たりしてしまった。

ドアに遮られていたので彼女の表情を窺う事はできなかったが、どんな顔をしていたのか手に取るように分かる。

彼女が立ち去った後、激しい自己嫌悪と後悔の念に苛まれ居ても立ってもいられなくなり彼女の部屋の前まで行った。
 

——ちゃんと謝ろう。

そう思って行ったのに…。
固く閉ざされたドアの向こうから微かに漏れ聞こえる押し殺した嗚咽に、俺は身じろぎ一つ出来なくなってしまった。

まるで金縛りのように、身体が言う事を聞かない。
胸が抉られるようなというのは、こういう事を言うのか。


——泣かせるつもりなどなかった。
傷つけたかった訳でもない。


口うるさく頑固な、しかも初めから彼女の存在を疎ましく思うような上司の下では、辛い事が文字通り山のようにあっただろう。

泣きたい事も逃げ出したい事も、なかった筈がない。
それでも彼女は気丈に振舞い、愚痴1つ言わなかった。
いつだって笑顔で俺を支え側にいてくれた。

その彼女が泣いている。
それもたった1人で。

大声をあげて泣き喚く事も、恨み言を言う事もせず、思いの全てをその胸の内に抱えたまま涙を流している。

俺の、せいで。


無駄口の類ならいくらでも出てくるのに、今この状況で気の利いた言葉の1つも言えない役立たずのこの口が。
彼女が流し続けている涙を拭う事も、抱きしめて思うさま泣かせてやる事も出来ないこの手が。
面と向かって謝る事の出来ない臆病者の自分が、もどかしくて堪らない。

そう、後にして思えば怖かったのかもしれない。


——酷い事を言って彼女を傷つけてしまって、嫌われたのではないか?

——子供じみた八つ当たりなんかしたせいで、愛想をつかされてしまったのではないか?


本気で人を好きになった事がなかったから。
上辺だけの付き合いしかしてこなかったから。
嫌われた事なんてなかったから…。

心と心をぶつけ合い、晒しあうという付き合い方を俺はした事がない。
それ故どうすればよいのか、どうすれば許してもらえるのか分からず、俺は途方に暮れて美月の部屋の前で立ち尽くした。


それに…今のこんなぐちゃぐちゃな気持ちのまま美月の顔を見て、彼女に触れて自分を抑える自信などない。

傷つけたくないなどとカッコつけておきながら、一方で泣いている彼女をメチャクチャにしてしまいたい。
そんな浅ましい欲望が胸の奥に蟠っているのも、また事実だ。

俺の彼女への想いも、そして彼女が俺に抱いてくれている想いも。
彼女が俺を憎からず思ってくれている事は知っている。
それが彼女の本心だという事も。

それでもこの想いは報われる事はないのだ。
なら、いいじゃないか。
割り切って抱いちまえ、そうしたいんだろ?


そんな声から逃れるようにノックしかけた腕をもう片方の腕で掴み、静かにその場を立ち去った。


   * * *


明くる日は仕事が殆ど手に付かなかった。

美月と言葉を交わす事は殆どなく、唯一の会話も仕事絡みの事務的な物。
それに…いつも絶妙のタイミングで淹れてくれる彼女のコーヒーが、その日は妙にほろ苦かった。

顔を合わせていても切なさだけが日増しに膨らんでいった。

あの日を境に美月と俺の間には、目には見えないけれど深い溝が出来てしまった。
仕事中であれば話をする事もあったし、話しかければ淡々と応じてくれもしたが。
そんな時、彼女は決して俺の目を見ようとはしなかった。

悲しそうに…というのは、俺に都合の良すぎる解釈なのだろうか?
ともあれ俺と接する時、彼女は常に目を伏せ用が済むと一礼してさっさと自席へ戻ってしまう。


そんな折、美月に移動の話が出た。
この縁談を何としても纏めたい親父の差し金なのは、一目瞭然だった。

彼女の行く先は、俺の将来の妻とやらの実家。

表向きは美月の人当たりの良さ、何事もよく気が付く細やかさと有能さを買っての大抜擢。

「相談役」として、歳も近い野々村家令嬢に付き添い、こちら側との橋渡しをするのが彼女の務めだ。
が、その実…俺への想いを断ち切らせる為の冷酷なまでの仕打ちだった。

この話を聞いた瞬間、全身を支配したのは紛れもない怒り。

思わず社長室を飛び出した俺を、いつになく必死な面持ちで美月が追いかけてきた。
なかなか上がってこないエレベーターのボタンを腹立ち紛れに殴りつけ、階段へ向かった俺の腕を取って懸命に引き止めようとする。


「止めるな!」

ついカッとなって声を荒げたが、両の目に涙をいっぱい浮かべた美月の表情に息を呑む。

「ごめん。でもこんな人事、馬鹿げている」

「いいえ!…いいえ、私行きます」

思いがけない言葉に頭の中が真っ白になる。


「み…本城?」

「今の私にもまだ、貴方にしてあげられる事があるのなら」

そう言うと彼女は、今にも溢れそうな雫を両目に湛えたまま、にっこりと誇らしげに微笑んだ。

「行くな」

そう言って引き止める事が出来たら。
手を伸ばしその腕を取る事が出来たなら…。

けれど結局、言葉を発する事も手を伸ばして引き止める事も出来ず、黙って見つめる事しか出来なかった。

そして彼女もまた、何も言わずじっと俺を見つめていた。


     


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