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風になりたい
しおりを挟む風を切って滑るのはとても気持ちがいい。
突き刺すような氷の息吹も、気まぐれな雪の煌めきも、全てが俺と一体になるような気分さえしてくる。
こうして滑っている時だけは、俺は自由だ。
高く——あの蒼い空に届くくらい高く飛べたら…。
そうしたら何かが変わってくるのだろうか?
* * *
「若、どちらへ?」
「ト・イ・レ。って、ついてくるなよ!」
こないだちょっとした会議をすっぽかしてから、こいつの目が更に厳しくなった。
お飾りの俺なんかがいなくたって、親父がいれば何事も丸く収まるんだろうが。
だいたい親の七光りで重役になったとか思ってんだろうに。
「若、13時より三幸商事ご令嬢と会食の予定が入っておりますのをお忘れなく」
「はいはい」
「それと…」
爺の目がキラリと光る。
あぁ、こりゃなんか小言を言う時の癖だよ。
「はいは1回でよろしゅうございます。
この爺、まだ耳は遠くなってございません。
それとタバコはくれぐれもお控えくださいませ。
ネクタイもきちんとお締めください。
このように袖も捲り上げてしまわれては…替えの服を用意いたしますので、捲ってはなりませんぞ」
——母親か!こいつは。
口に出すと10倍にもなって返ってくるのは目に見えていたので(俺にだってそれ位の学習能力はある)黙っていたが。
さすがに、トイレの中にまでは入ってこなかったので、個室に入り便座の蓋の上に腰かける。
「はーっ…だりぃ」
ご令嬢との会食なんて言ってはいるが、その実、体のよい見合いみたいなもので。
それこそ今まで何回となく繰り返してきたイベントだ。
自慢じゃないが国内有数の大企業神崎グループの跡取りである俺に、運良く見初められたりすれば、あんな事やこんな事が叶う…等と本気で信じているのだろうか?
そりゃあ、ホテルにリゾート、ウエディング、飲食と幅広くやってるけど…。
跡取りとは名ばかりの、お飾りの俺なんかに取り入った所でどうにもなりゃしないというのに。
現にこの会社だって、肩書き上は俺が社長だが実質決定権を持っているのは親父だ。
親父の承諾がない限り、俺なんかが出来る事などたかが知れている。
「…若?」
控えめなノックの後、かけられる声。
俺はがりがりと頭を掻き
「わかったよ!」
やや荒っぽく答えた。
こんな籠の鳥みたいな生活、もういい加減うんざりだ。
* * *
「今日はオフだからな、ついてくるなよ」
「で、どちらへ?お戻りは何時頃に?」
「スキー!今日中に戻る」
荷物を積み込み、またくどくどと言い出す前にさっさと車を出す。
まだ暗いうちに家を出て辺りが明るくなる頃、行きつけのスキー場に到着。
途中のコンビニで買った弁当を食べ、オープンまでの間仮眠をとる。
ちなみにこのスキー場も、うちが経営している。
中にはそうでない奴もいるけれど、傍若無人なボーダーにはウンザリしていた。
スキーはスキー、ボードはボード。
きっちりコース分けされているスキー場は、それゆえに人も多く雪質が悪い。
その点、このゲレンデはコースも雪質も最高だしスキー専用となっている。
「おはようございます」
今シーズンもう何度となく通っているので、すっかり顔なじみとなった受付の子が、何も聞かずに1日券を用意してくれる。
もちろん代金引換だ。
「おはよ、今日もいい天気だな」
「お気をつけて、いってらっしゃい」
ちなみに彼女は俺が何者なのか、知らない。
もっとも…俺が誰かばれたら、支配人だの何だのといった「お偉いさん」が出てきて、トンデモない事になるのは目に見えている。
そんな窮屈なのはごめんだ。
今は神崎グループの若社長ではなくて、1個人として来ているのだから。
「ん~、今日もいい雪」
最上級者用コースに直行するゴンドラに乗り込み、山頂を目指す。
朝1番という事もあって、人気のないコースをとばすのは爽快の一言に尽きる。
急斜面を猛スピードで滑り降りる瞬間。
大きめのコブから空目がけて飛び出した瞬間。
下界での嫌な事などキレイさっぱり忘れてしまう。
こうして滑っている時だけは、全ての煩わしい事から解放されて本当に自由になれる。
何本か続けてコースに出ると、さすがに人が増えてきた。
そろそろ昼食にしようかと思いつつ、あんまり気持ちがいいのでもう1本だけ滑る事にする。
——あれ?
このコースは国内でもかなり難易度の高いコブ場があり、体力的にもきついので女性スキーヤーには敬遠されがちだと聞いていたのだが。
目の前に立つ女性に、ゴンドラ内の野郎どもの視線は釘付けだ。
しかも素顔はゴーグルで隠されているので定かではないが、青を基調としたウェアに隠されてはいるものの、かなりのナイスバディなのは間違いない。
皆、声をかけたそうにしているのが手に取るようにわかる。
けれど…彼女の周りには、何か目に見えないバリアのような物が張り巡らされているというか、声をかけにくいオーラが漂っていて。
結局、誰も1言も発しないまま山頂に到着した。
皆の好奇の目を気にしていないのか、気付いていないのか。
悠々と滑り出す彼女は確かにこんなコースに1人で出てくるだけあって、かなりの腕前だった。
傾斜のきつい斜面に臆する素振りも見せず、軽やかとも言えるターンで降りていき、そのままコブに突っ込む。
負けじと俺は彼女の隣に並ぶように進み出た。
足元から伝わってくる衝撃を吸収しつつ、スピードを殺さず最後の一際高いコブから飛び出す。
空中で身体を捻り1回転。
風を感じるまま駆け抜けていく。
気配を感じ目をやると、すぐ脇に彼女がつけていた。
一瞬、目が合う。
ふ、と目元を和らげ、しかし彼女は次の瞬間スピードを上げ鮮やかに俺を抜き去った。
——おいおいおい、面白い事してくれるじゃないの。
引き離されないようスピードを上げて真っ直ぐ追いかける。
麓に下りていくにしたがって、増えていく人の合間を縫うように、風のように滑り降りる彼女の後ろ姿に一瞬見とれる。
——もうすぐこの追いかけっこもお終いか。
見えてきたロッジに、そんな事を思った瞬間…。
「危ない!」
初心者らしいスキーヤーが、フラフラと彼女の前に飛び出した。
咄嗟に避けるものの、超至近距離で間に合う筈もなく。
「おいっ、大丈夫か?」
派手に倒れた彼女を慌てて抱き起こす。
いや、抱き起こそうとした…のだが
「っ…!」
打ち所が悪かったのか、小さく悲鳴を上げると彼女は左足を押さえた。
その声に…何故かは知らないが、カッと頭に血が昇った。
「危ないだろ!」
呆然としているそいつに向かって声を荒げると、ヤツはびくっと身体を竦ませた。
更にもう1言文句でも言ってやろうと向き直った途端
「大丈夫…ですから。
避けられなかった私も悪かったんです。
だから…」
必死に俺のウェアを握るその様子と、想像以上に耳に心地よい声に息を飲む。
「あー、……え…と、分かった。
とりあえずもう麓だし、下りて手当てを受けよう。
下りれる?」
「は…い」
手を差し伸べ立たせようとするが、ぐらりとバランスを崩してしまう。
「うわっ!…と」
受け止めた瞬間、ふんわりといい香りが漂ってきて心臓が1つ跳ねる。
「……こりゃ滑るのは無理だな」
「あの、大丈夫ですから」
焦ったように見上げる瞳に、ますます心臓が反乱を起こす。
——なにやってんの、俺。
青臭いガキじゃあるまいし。
「無茶言うなって、その足で」
柄にもなく少し赤くなってしまったかもしれない…。
そうとは悟られないよう、俯いたまま手早く板を外し、事情を説明してその辺を滑っていた人に頼んで下まで運んでもらう。
「あの…?」
「ちょっと失礼」
背に回していた腕に力を込め、膝下を掬い上げる。
いわゆるお姫様抱っこという奴だ。
「きゃっ!あ、あの……」
「しっかり掴まってて」
そのまま有無を言わさず滑り出す。
落としたりする訳ないのだが、恐かったのか首筋にギュッと抱きつかれる。
——あ…しっかり掴まってって言ったっけ。
通りすがりの視線が気にならないといったら嘘になるけれど。
役得というか思わず顔が綻んでしまうような美味しい状況に、意識して表情を引き締める。
ロッジはすぐそこだ。
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