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オリヴィエ17歳
約束
しおりを挟むまだ年端もゆかぬ子供だと思っていたのに…。
涙を流すその横顔が息を呑むほど綺麗で、そんな場合ではないのに思わず見とれた。
ドゥエイン様の机には、いつもアンジェリカ様とそのご家族の写真が飾られていた。
中でもオリヴィエ様の写真は年を追うごとに増え、いつもは厳しいお顔付きのドゥエイン様も写真を見つめる時だけは、優しい穏やかな表情を浮かべていた。
事情は分からないけれど、その写真がドゥエイン様にとって大切な物なのだ、という事だけは分かった。
オリヴィエ様と直接お会いしたのは、あの時…彼女の両親が亡くなった晩が初めてだ。
けれどアンジェリカ様から送られてきた写真で、眩しいほどの笑顔もその成長の過程も、 ずっと見続けてきた。
だから、だろうか。
初めてなのに、初めてだという気がしなかったのは。
***
当時、俺はバーグスタイン家の執事として修行を積んでいた。
バーグスタイン家の世話になって17年。
物心ついた時から、母はあの広い屋敷で住込みの家政婦をしていた。
父の事は全く知らないし、母も何も語らなかった。
が、乳飲み子の俺を抱え困っていた母に、救いの手を差し伸べてくれたのがドゥエイン様だった、といつも話していた。
厳しいけれど使用人だからと隔てる事なく、子供でも1人前の人間として平等に接してくれたドゥエイン様。
時に褒め時に叱り、何かと気を配ってくれたその人に、いつしか顔も知らない父の姿を重ねていた。
とはいえ、使用人の息子の俺が身分を弁えず主人であるドゥエイン様を父代わりに思う事など、許される事ではない。
その思いは誰にも気付かれないよう、心の奥深くに閉じ込めてきた。
その頃、俺には朧気ながら、いつかはドゥエイン様の片腕と呼ばれるような、そんな存在になりたいという夢があった。
父のように密かに慕ってもいたけれど、1人の男性としても尊敬し憧れていたドゥエイン様。
彼のようになりたいと…ずっと思っていた。
けれど…いつ頃だったろう。
ちょうど俺自身、母を亡くした頃だったかもしれない。
「ケイン、お前に話がある」
中学を卒業目前だった俺は、母の死によってせっかく決まっていた高校進学を諦めざるをえない状況だった。
母が身を粉にして働いてくれたからこその安定した生活。
けれど状況が変わった今となっては、それにしがみつく事はできない。
そう思っていた俺に、ドゥエイン様は学費の事は心配せず学校へ行けと言ってくれた。
「でも…!」
「お前の母クレアの事は残念だったが、お前の進学を誰よりも望み、また楽しみにしていたのはクレアだ。
その気持ちを無駄にするんじゃない。
幸いにもお前には奨学金が出る。
その他の費用は心配するな、私にだってそれくらいの甲斐性はあるのだから」
わざと冗談めかして笑うドゥエイン様の優しさに、熱いものが込み上げてくる。
「それに、お前にはいずれ私の手伝いをして欲しいと思っている。
だからこれは将来への投資という訳だ。
いずれしっかりと働いて返してもらうから、そのつもりで」
「……はい」
頷いた俺の髪を手荒くかき混ぜるドゥエイン様に、深々と頭を下げるのがその時は精一杯だった。
その時には…俺は気付く事はできなかったけれど。
ドゥエイン様はご自分の今後について、既に悟っていたのかもしれない。
おそらく体調も相当悪かったのだろう。
しかしそんな素振りは露ほども見せず、逆にスパルタと言ってもおかしくない熱心さで、ありとあらゆる事を教えてくれた。
日中は高校の勉強を。
そして晩はドゥエイン様自ら、必要と思われる様々な事を。
学ぶべき事はそれこそ山のようにあったし、正直休む暇もない勢いで少々疲れはしたけれど。
それでも、俺なら出来ると見込んでくださったからこその厳しさだと分かっていた。
だからどちらも手を抜く事など出来る筈もなかった。
同時に……誰よりも傍にいるからこそ、ドゥエイン様の本当の望みも薄々察する事ができたのだった。
今となっては、ドゥエイン様が本当に俺を自らの右腕として、そしてゆくゆくは後継者として望まれていたのかどうか。
それを知る術も確かめる術もない
けれどドゥエイン様の全てを伝え託そうとする情熱は、確かに本物だった。
学び、得た知識、技術、コネ。
それら全ては、確かに様々な局面において俺自身の、ひいてはオリヴィエ様の役に立ってきた。
実際の所、バーグスタイン学園経営者というポストは魅力的でもあるし、それなりに野心がない訳でもない。
しかし…俺はオリヴィエ様と出会った。
彼女こそが俺の仕えるべきお嬢様なのだ、と悟ってしまったのだ。
全くもって不思議なのだが、こういうのは理屈ではない。
強いて言えば…あの涙を流す横顔に魅かれたから、だろうか。
ともあれ、オリヴィエ様を誰よりも近くで支え、導き、尽くす。
その為ならどんな労苦も厭わないし、どんな事だってする。
何の迷いもなくそう言いきれるほど、大切な存在に出会える事が、どれほど稀で大切な事なのか。
その事を身をもって知った今となっては、野心など綺麗に吹き飛んでしまった。
それに…。
俺はドゥエイン様ともオリヴィエ様とも約束したのだ。
オリヴィエ様が望む限り、誰よりも傍にいる、と。
その約束を違えるつもりは毛頭ない。
と…言うよりも。
オリヴィエ様の傍にいるのも、何かあった時お守りするのも、傷つき涙を流す彼女を抱きしめるのも。
自分の役目なのだと。
他の誰にも、決して譲りたくはないのだと思う。
この気持ちが何なのか。
年の離れた妹に対する兄としてのものなのか。
執事がお嬢様へ向ける思いなのか。
それとも…もしかしたら全くベクトルの違う想いなのか。
今はまだ分からないけれど。
彼女に対する全てが俺だけの役目であり、また特権なのだと…今はそう思いたい。
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