狼王のつがい

吉野 那生

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出会い編

お気に入り…?

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気がつくと白銀の髪が視界に入る事が増えた。


何故、彼がここに…。

そう思うものの問いただす事も、かといって無視する事も出来ず曖昧に頭を下げる。
すると、大抵彼は面白くなさそうにため息をつくか、眉を潜めてそっぽを向くのだ。



——そんなに嫌なら見なければ良いのに。


この砦でそれなりに偉い人という認識が正しければ、忙しいのだと思う。
こんなところで私を睨みつけている暇なんて、ない筈なのに。



その意図が掴めず戸惑うアリシアの気持ちとは裏腹に、彼女がシルヴァンの「お気に入り」だという噂はあっという間に広まった。


元々娯楽の少ない狭い砦だ。
その手の噂が広まるのも早い。

しかも余計な尾鰭がついて、たちまちアリシアは注目の的となってしまった。



——シルヴァン様の仏頂面は照れ隠しだとか、親子ほど歳が違う子に入れあげているとか、既に彼の子を身…身篭っているとか!

馬鹿じゃないの?
そんな筈ないじゃない。
何もないわよ、あの人と私の間には。
むしろ緊張状態よ?

大体ヒトだとバレないよう、目立たない方が良かったんじゃなかったの?
何なのよ一体、この状況は…!

食堂という人の出入りの多い場所ではあるものの、黙々と茶碗を洗ったり配膳をしたり、なるべく目立たぬよう大人しくしていたのに。

しかも「お気に入り」なんて…絶対ウソ。
あのしかめ面を、どうやったら私に好意を持って見つめていると解釈できるの?
どう見たって、監視しているの間違いだわ。


ふぅ、とため息をついたアリシアに少し離れた所から声がかけられる。

「アリシアちゃん、このあと暇?
綺麗な花を見せてあげるから、一緒に裏山に行かないか?」

「申し訳ありません。
茶碗を洗い終わったら、晩ご飯の仕込みがありますので」

角を立てぬよう、けれども決して期待をさせないよう淡々と断るアリシアに、なおも食い下がろうとする狐族の若者の背後に影がさした。

「そんなに時間を持て余しているなら、直々に稽古をつけてやろう」

「ぐ、グリス様」

ニヤリと笑うとグリスはわざとらしく腕まくりをし、狐族の若者の襟をむんずと引っ掴んだ。

「さあ、行くぞ!」

問答無用で連れてゆかれる若者と、楽しそうに笑っているくせ目はちっとも笑っていないグリスとを見送り、アリシアはため息を飲み込んだ。



——なんか…見世物になった気分。



アリシアを餌に敵をおびき寄せる作戦だ、という事を知っているのはほんの一握りの獣人だけ。
もちろん、アリシア自身にも知らされていない作戦だった。


お気に入りにのぼせたシルヴァンに隙が出来たと考えて、相手がつなぎをつけてくるようならそこを捕らえて一網打尽に。
万が一アリシアが不審な動きをするようなら、同様に捕らえて目的を吐かせる。

どちらにしても保護対象であると同時に、不審者という疑惑を払拭できていないアリシアの身の安全に、それほど留意していない作戦だった。


もちろん警戒はしている。

アリシアに気づかれないよう、護衛も増やした。

それでもシルヴァンの眉間からシワが消える事はなかった。

 

冷やかしの若者とグリスが消え、元々人の少なかった食堂にいるのはシルヴァンとアリシアの2人だけとなる。


シルヴァンの事は一旦頭から閉め出して、アリシアは皿を洗う事に専念した。 
ひどい汚れのついた皿はボロ切れでざっと拭ってから丁寧に洗う。
全て洗い終わったら手を付けられるギリギリの熱さの湯ですすぎ、布で綺麗に拭きあげてゆく。



——身の潔白ってどうやったら証明できるんだろう?

何を言っても信じてもらえない。
疑われてしまう辛さ。
そもそも私自身、何者なのか分かっていないという心許なさ。

どうしても、何をしても何にもなれない。

どの獣でもない、何にも属さない、ただのヒト。


何の力もない。
誰かの特別にもなれない。
ただ流されていくだけの自分。

帰る事もできず、かと言ってここに骨を埋める覚悟もない、中途半端な…。


「…っ!」

考え事をしていたせいか、手が滑って皿が1枚割れてしまった。
派手な音に我に帰ったアリシアは、慌ててそのカケラを拾おうと手を伸ばす。


「待て!素手で触るな」

思いがけず近くから声が聞こえて、アリシアはビクリと身体を震わせながら振り向いた。


「あ…、申し訳ございません」

「…怒っている訳ではない」

ぶっきらぼうに言うと、シルヴァンは厨房内に視線を巡らせた。

彼が取ってきた道具を受け取り丁寧に片付けるアリシアを、シルヴァンは黙って見つめる。


「…疲れた、か?」

ややあってかけられた声は幾分柔らかく、初めて聞く彼のそんな声にアリシアは戸惑いながらも首を振った。


けれどもその顔を上げる事は、シルヴァンの顔を直視する事は何故かできなかった。

 *

「あのお嬢ちゃんが生きていたって?」

「あぁ、理由は知らないがヤツのそばにいるらしい」


その報告に唇を歪めニヤリと嗤うと、男は

「それは好都合」

と呟いた。





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