前世では番だったかもしれないけど…

吉野 那生

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現世〜昇華〜

告解・上〜クリスティナ〜

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階段から落ちた怪我自体は、大した事はなかった。

…いいえ、違うわね。
おそらくアカリに助けられたのだと思う。

10段以上階段を転げ落ちたのだ。
頭部も背中も腰も、かなりの痛みを伴う打撲…もしかしたら筋や骨にまで異常をきたすような怪我だった筈なのだけど。


今思えば、あの異空間でアカリに触れられた時、実体を感じると同時に柔らかく温かい“力”が全身を駆け巡ったのを覚えている。

あれは…聖女の“癒しの力”。

おかげで多少の痛みは残るものの、日常生活を送れるほどの打ち身と擦り傷で収まったのは奇跡に等しいと、医師には驚かれた。


それでも今回の事故を母と兄が酷く心配し、報告がてら数日間は屋敷へ戻る事になったのだった。

 *

当日、迎えの馬車まで見送りに来たユージンは落ち着かなさげな顔をしていた。

「大丈夫よ、心配しないで」

不安と怖れで揺れているその瞳をしっかりと見つめ、安心させるよう微笑みかける。

「わかった、待っているから」

ようやく腹をくくったのか、決意を秘めた眼差しに1つ頷いて、隣に立つニーナに視線を移す。


「クリスティナ様、ユージンが暴走しないようしっかりと見張っておきますので、ご心配なく」

「ありがとう、よろしくね」

ニーナにも頷き、わざわざ迎えに来てくれた兄様の手を取り馬車に乗り込む。



あの後…ユージンとニーナの肩を借りながら医務室に戻ったわたくしを、人々は好奇の目で見つめた。


人の心は移ろいやすいもの。
そして自分の信じたい事のみを信じるもの。

同じものを同時に見たとしても…捉え方は人それぞれだ。

閉鎖された学院内ではこちらの意図に反する事も、事実とは異なる事もあっという間に噂として広がってしまう。


だから否定はキッパリと。
そして必要以上に騒がず、事を荒立てない事。

それを徹底した結果、今回の噂もわたくしとニーナの双方が否定した事で収束を迎えた。

そしてニーナは、それまでのどこかわざとらしさを感じさせる挑発的な態度を改め、今ではわたくしとユージンの良き友となった。



体の負担を減らす為、クッションを敷き詰めた馬車に乗り込むと、扉が閉められゆっくりと走り出す。


「先ほどの子達は?」

「生徒会で一緒に副会長をしているユージン・ファントムクォーツと書記のニーナ・クリスタルですわ」

わたくしの言葉に、兄様は少し考え込むような仕草を見せた。


「ファントムクォーツ騎士伯のご子息か」

「えぇ、お兄様」

何やら難しい顔でブツブツ呟く兄様を訝しく思いつつ、ここ数日の疲れが一気に出たのか馬車の揺れが眠気を誘う。
何度も頭を振り眠気を払うが、どうも上手くいかない。


ウトウトと微睡みかけては、ハッと顔をあげる事を繰り返していると

「ティナ、体は辛くないかい?
帰るまで眠っていてくれて良いからね」

兄様が気遣うように優しく声をかけてくれた。


「お話…したい事が、あるのです」

「帰ったら聞くよ。
父上と母上にも?それとも、私だけの方が良いかい?」

「…出来たら、兄様に先に。
その上で、父様母様にお話しするか決めます」


たったこれだけの会話の間も、瞼が重くなり酷く気怠く感じられる。

「わかったよ、ティナ。まずはおやすみ」

兄様の言葉を最後に意識が途切れ、次に気がついたのは屋敷に馬車が到着した頃だった。

 *

久しぶりに会った両親も家の者も皆、今回の事故に驚き、わたくしの体調を心配してくれた。


まだ少しだけ腰や肩などは痛いけれど、大した怪我ではなかったし、自分の不注意で起こった事なので仕方がないと言っても、最初はなかなか信じてもらえず、説得するのに骨が折れた。

それでも、食事も普段と変わりなくする事が出来るし、流石にダンスはまだ厳しいけれど普通に歩く分には問題ない。

そう信じてもらえたのは、家族だけで晩餐を終えた後だった。



「クリスティナ、この後少し良いかな?」

「えぇ、お兄様。
ではお父様、お母様お休みなさいませ」

寝室へ引き上げようとする両親を見送り、兄様について書斎へ向かう。



——今夜、兄様に全てを打ち明ける。

その事は昨日のうちから決めている。
それでも…胸の中には重石がずっしりと詰まっている気がしていた。


他の誰かにどう思われても構わない。
けれど肉親には嫌われたくはない。

もし…信じてもらえなかったら。
頭のおかしい妹という目で見られたら。
時折夢に見るような、侮蔑と非難のこもった眼差しを想像するだけで体が震える。



「それで、話とは何だい?」

途中、調理場によって軽い果実酒と簡単なつまみ、水と氷を用意してもらい、まずはそれで喉を潤す。


「とても信じ難い不可解な…でも本当の話です」

多少、お酒の力を借りようという思いもあったのは事実だけど、わたくしの言葉に兄様は

「それは、クリスティナの『つがい』の件、かな?」

と思いもよらない言葉を口にした。


「なっ…それを、何故」

驚きのあまり、息を飲んだわたくしに静かに見やり

「やっと話してくれる気になったんだね」

兄様は人の悪い笑みを浮かべた。



そこからは長い…長い打ち明け話となった。


物心ついた頃から誰かを探していた事も、それが『つがい』であったという事も。
そもそも、つがいとは何なのかという話から前世の記憶がある話。


「例えば緑茶、それに白米、焼き鮭、お箸。
これらは、こちらにはない食品であり食器です。
また横浜、日本。
これが前世わたくしが住んでいた地名であり、国の名です」

「…確かに、聞いた事のない名ばかりだ」


“気の触れた妹”という目で見られる事も、内心覚悟していたけれど、兄様は意外とすんなり信じてくれた。


「あの、兄様?
こんな途方もない話、信じてくださいますの?」

思わず問いかけると、兄様は少し拗ねたように

「殿下と妃殿下よりも先に打ち明けて欲しかったけどね」

と笑った。


「…え?」

「妃殿下が以前、おっしゃっていたよ。
ティナには誰にも打ち明けられない秘密を抱えていると。
けれど、それによって自分は命を救われたし、もしティナが家族にも打ち明けようとしたら、どうか真摯に耳を傾けてやってほしいと。

その話を聞いて、私なりに推測してはいたんだ。
ティナが秘密にしている事は何だろうとね」

「お兄…様」

「長い間、たった1人で抱えていて辛かったな。
ティナ、お前は昔から真面目で優しくて嘘をついたりするような子ではなかった。
もちろん今でも私の大切な妹だし、私はお前の話を信じるよ」


兄様の言葉に、胸の中にあった重石がスーッと消えていく思いがした。


こんな話、信じてもらえる筈がないと思い込み、兄様を信じていなかったのは私の方なのかもしれない。
ふと、そう思った。


「ありがとう…兄様」

思わず涙ぐんだわたくしを、兄は悪戯っぽい目で見つめる。

「それで?
まだ肝心のつがいの話を聞いていないが」


その話をするのは、また別の勇気が必要だ。

けれど今回はその話をする為に帰省したのだ、と改めて覚悟を決める。



「やはり…先ほどのファントムクォーツの小倅が」

ユージンの話になった途端、兄様は苦虫を噛み潰したような顔になった。


  * *

長くなりそうなので半分に分けます。
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