前世では番だったかもしれないけど…

吉野 那生

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現世〜昇華〜

標的〜ニーナ〜

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血相を変えて走るユージンを、渡り廊下で見かけたのは、偶然だった。


一体何を慌てて、そんなに走っているのだろう?

興味本位で後をつけ、彼が駆け込んだ図書室の奥で床に蹲り震えているクリスティナ様と、それを抱きしめるユージンを見た時、全てを悟った。

彼は…何故だか知らないけれど、クリスティナ様が怯えて泣いているのを知っていて、彼女を探していたのだ、と。


「遅くなってすまん」

そのセリフからも、彼が知っていた事がうかがえる。


ユージンの胸に顔を埋め、必死に縋り付いていたクリスティナ様の指先から、強張っていた全身からゆっくりと力が抜けていく。




そんな2人の様子に、ルド兄様—ルドガー様の言葉が蘇る。

『彼女はまだ、胸の中に断ち切れない思いを抱えているんだ。
それでもそいつを諦め、過去を振り切ろうとしている。
だから私は待つ事にしたんだ、彼女の卒業まで。
それまでに彼女が思いを断ち切る事が出来れば、私の勝ちだ』

『もし……出来なければ?』

恐る恐る尋ねた私に向けられたのは、寂しそうな笑顔。


『もともと仮初めの婚約だ、公表もしていない。
彼女も私にも、汚点が残る事はない』

切なげな兄様の横顔に沸々と湧いてきたのは、紛れもない怒り。
相手の女性への…。


一度は婚約を受け入れておきながら、兄様にこんな顔をさせるだなんて。


一時期、悪い噂が立ったものの、それが根も葉もない物だと払拭されてからは、いいえ、元々クリスティナ様は大人しく優しい方だ。

セラフィーヌ様の隣で控えめに微笑み、決して出しゃばらず、未来の王太子妃の友人である事を奢らず、いつも自然体でいらっしゃった。

今までわたくしが知る限り…多少、ユージンとは折り合いが悪いみたいだけど、特定の異性と噂になった事もない。

なのに。


そのクリスティナ様が取り乱し、我を忘れてユージンに縋り付いているだなんて。

これじゃまるで、兄様の言っていたの相手が、ユージンのようではないの。



そこまで考えて、はたと納得がいった。

お互い想い合っていても、何か結ばれる事の出来ない理由があって、わざと2人とも相手に素っ気なくしていたのだとしたら…?

それが相手を諦める為の、手段なのだとしたら?


そう考えると、ユージンが時折クリスティナ様へ向ける悲しげな眼差しの理由も、クリスティナ様の切なそうなお顔も、説明がつく気がした。

確信はない…。
あくまで女の勘なのだけども。



——それでは…だとしたら。

兄様の入り込む余地など、ないではないの。

それだけ想いあっている2人の間に、誰が割って入れるというのか。


どのような事情か知らないけれど、まったく傍迷惑な…。
諦めるなら、お互いすっぱりと諦めてしまえばよいものを。

または、どれだけ周囲に迷惑がかかろうが、芳しくない噂がたとうが、本人達さえ覚悟を決めてしまえば。

そんな事を考えてしまうのは、わたくしがまだ世間という物を知らないからだろうか。




最初はただの興味本位だった。

男爵令嬢という、貴族の中では末端に位置するわたくしが、人に認められるには人並み以上の努力が必要で。

学問も礼法もダンスも、ようやく生徒会に選出されるまでになったわたくしを、鮮やかに追い抜き副会長に選任されたユージン・ファントムクォーツ。
学院入学してすぐ、ジークフリード様に鼻っ柱を折られてからは精進を重ね、更にここ1年ほどの間に実力を伸ばしていった。



——ただの筋肉バカというわけでもなかったのね。

そんなイメージが覆った瞬間だった。


ジークフリード様にほんの少しだけ目をかけられ、それでも驕らず威を借る事もなく、尻尾を振り続ける忠犬。
そんなユージンが、これ程までに切ない恋をしているとは。

身分の差が原因なのか、それとも何か事情があるのか…。
一代限りの騎士伯の息子であるユージンは、確かにこれから己の腕と才覚で自らの居場所を切り開いていかなければならない。

その意味では身分の差というものは確かにあるのでしょうけれど、だからと言ってそれだけが問題なのかしら。


恋愛小説の中で身分差に苦しむ主人公達は、メイドと伯爵とか、お嬢様と執事とか、乗り越えられない壁に悩んでいるけれど。
2人の間の壁がそれほど高いものであるとは思えないのは、気のせいだろうか。


ユージンのお相手がクリスティナ様でなければ、
いえ、クリスティナ様が兄様と何の関わりもなければ…。

恐らく諸手を挙げて応援していた事だろう。



けれども…。
クリスティナ様は非公表とはいえ、兄様の婚約者になられる方。
兄様が選んだ方なら、従姉妹なら応援しなくてはと思う一方で。

クリスティナ様がユージンと結ばれれば、ルド兄様はもしかしたらわたくしの方を向いてくださるのかしら。


幼い頃からずっと好きだったルド兄様。

その隣に立つにふさわしい淑女となる為、努力してきたといっても過言ではない。


ユージンとクリスティナ様の恋を応援したいのか、妨害したいのか…自分でもよくわからない。
それでもとりあえず、ユージンとの距離を詰めてみる事にしよう。

そうすれば何かがわかるかもしれない…。
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