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第10章 連理

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「――お前の父は、神として成熟するために数回命を落としかけた。そしてついには死者の住まう根の国にまで赴き、またそこでも試練を得て蘇り、ようやく偉大な神となった」
「それは――つまり、一度は亡くなったということですか?」
「ああ――だけど、そうだな。御霊祭を思い出してほしい。魂だけになった蛟をお前が舞で慰め、御令孫が名を与え神とした。お前の父もまた、そこで麗しい乙女に会い――恋をして心満たされ、その父たる天津神から新たに名を受け、神としてあらわされたのだよ」
 伍名の語りはそんなふうに、神依に取っては端的なものだった。
 それは本人の言うとおり、必要以上に神依を過去に近づけない配慮であったかもしれないし、ただ単に――謎かけのような喋り方をする神であったのかもしれない。
 それを神依は、仮宿でしたように一つ一つ並べていかなければならなかった。頭の中に浮かぶ、小さな貝殻に描かれた神々の物語。
「えっと……そもそもお父さんは、どうして……その根の国に?」
「……さて、どうしてだろう。いや、それはもちろん――死というものに近づいてしまったからだけれど、そのそもそもの理由はわからない」
「わからない?」
「そう。神依……お前の父神はね、たくさんの兄弟の一番末の弟だった。それは今の、お前のように。……そして兄たちは、なぜか彼を好かなかった。理由は知れない。それもお前と、似ているだろうか」
「……」
「……それはお二人が、お優しくあられたからでございましょう」
 不意に、静かに割り込んだ禊の声に、神依と伍名の目がそちらに向かう。だが禊はどちらと目を合わせるわけでもなく、置かれたままの神依の盃を眺めていた。
「……なるほど、優しいというのはたしかに生き辛い。ならばここにある者の中で一番優しいのは、そう言ってくれるお前だろう」
「……」
その伍名の言葉に禊はこたえず、代わりに神依が頷く。
「わたしには、禊や童……猿彦さんや鼠軼様たちがいました。助けてくれる人たちがいたんです。……お父さんには、いなかったのですか?」
「いや、もちろんいたさ。そしてそれもまた、お前と同じだ。お前の父は兄弟から疎まれ、苛まれ……しかしその都度、母や女神――端神たちに救われた。それを思えば、あの御霊祭でのお前の痛みも……父によく似た縁あってこそかもしれない」
「……」
「そしてお前の父は、最後は炎に包まれた岩をいだかされ、ついに命を落としかけた。そこで母たちの勧めに従い、根の国に赴いた。地上にいてはいつまでも兄たちに脅かされてしまうから、根の国にある偉大な天津神を頼りなさいと。そして訪れたそこで、その御殿の扉越しに出迎えてくれた美しい女神と――瞬く間に恋に落ちた」
「炎に……包まれて……、そう、ですか……」
 それは――それはどこか、いつか見た物語に似ている気がした。もちろんそれは、伍名の語る物語と同じように端的ではあったけれど。
 だがもしも……あの原初の男神と女神が、伍名のようにできていたら。
(……ううん)
……そう思いかけ、しかしそれはしょせん自らの、儚く遅すぎる祈りなのだと思い直す。
 彼女たちは、生と死を現す神であり……司る神ではなかった。だから生むことによって命を落とし、生きているものを殺してしまった。死んでいるものを、蘇らせることはできなかった。
 男女として生まれ限りなく人に近い神であり、また生死という世界の理そのものでもある……幸せと悲しみに満ちあふれた、命というものの原型。
「根の国にも……その、綺麗な女神様がいらっしゃるのですね」
「そうだね。神はどこにでもいるし、どこにあっても女性は皆、本当は美しい」
「……男の人がみんな伍名様のようだったら……もしかしたら女の人は、みんな幸せかもしれませんね」
「おや――私は当たり前のことを、当たり前に申したつもりなのだが」
「ふふ、だからです。……」
 根の国にも美しい女神がいる。反面、美しくあれなかったがゆえに愛する男神と決別した女神もいる。道理や摂理では抗えなかった幼い男神の心は、今は何を感じているのか――また同じく男神であった伍名が、真に今の自分の言葉の意味を理解していたかはわからない。ただそれでも、神依は少しだけ「良かった」と思った。 あんなにも優しく、あんなにも美しい〝母〟が――死という穢れに延々と浸され、誰にも理解されないままなのは嫌だった。
(――あ)
 そしてそれを想うのと同時に、その原初の男神より生まれた日嗣の血族の物語が頭を過った。
 それは唐突だったが、不思議と確信をもって神依は言葉を続けた。
「えぇと。その、根の国にいる天津神というのは……もしかしたら、日嗣様のお祖母様の……もう一人の弟様ですか?」
「……?」
だがそれを問えば、伍名はふと不思議そうな顔を作る。
(――この子は……)
その話は穢れの話でもある。ゆえに神々に嫌われやすく、淡島でもあまり語られない。にも関わらず、まだこちらに流れ着いて一年にも満たないこの娘が知っていることが――伍名には少し不思議だった。
 禊が話したのだろうか。だがそれも少し、違う気がする。この禊は自身と同じように、語らぬことに意味を見出だしている。
(あるいは――いや。やはり辞めよう)
そして結局、伍名はそれを問わないことにした。
 伍名は神として、語らぬこと、見せぬこと、区切ること、秘めることでその先の神性が保たれることを知っている。この少女の世界を侵すことはできない。してはならない。それはあの、御令孫のためにも。
 だから、自身は何事もないかのように続ける。
「……ああ、そうだ。その御姿はあの猿彦よりも大きく、たくましく――雄々しいというのか荒々しいというのか。嵐や雷を操り、奔放で、時に天照様でさえ恐れられる男神であらせられる。私もまあ、個人的には――正直、苦手だ」
「そ……そんなに怖い神様なのですか?」
「ああいや……すまない、言葉が過ぎたようだね。それはいつか縁あらば、お前がお前自身の目で見定めるといい。さてその、掛けまくも畏き嵐の御名は――」
 素戔鳴尊スサノオノミコト
「……。そしてお父さんはその……スサノオ様から名をもらい、偉大な神に成られたのですね」
「兄たちでは到底敵わぬほどのね。そしてその天津神をさえ出し抜いて、その娘たる女神を拐い地上へと戻った」
「…………」
それに関してだけ神依はやや複雑な心境に陥ったが、ともかく今まで知った神々の様子から多妻が許される世なのだろうと納得して曖昧に相槌を打つ。
 それから少しの沈黙の間、伍名は再び唇を湿らせる程度に盃を傾けると、神依ではなく禊と童に向き直り微笑んだ。
「――さて、ではもういいだろう。賢きお前たちに、もはやこれ以上私が語ることはあるまい。私も猿彦を疑うわけではないが、やはり一度じかに確認したい」
「……かしこまりました」
「禊――」
神依は再び求められたそれに、慌てて禊を見上げる。禊は神依の傍らにひざまずくと、まるで壊れ物を扱うようにその肩に触れた。
 灯の色を宿す瞳は優しかったが、夜の闇を映す肌の色は怖い。
「禊」
「……伍名様が貴女に狼藉を働くようなことは決してありません。後々、悪意をもって貴女様を傷付けることもなさいません。たとえ貴女がおわかりにならなくとも、私と一ノ弟はそれを理解できます」
「でも……」
もう一度名を呼べば、禊はただいつもの口調でそう説きじっと神依を見つめる。
 それで神依は、初めてここに――淡島に来てから今までのことを思い返した。
 あの白砂の浜で抱き上げられてからずっと、神依が楽しかったときも寂しかったときも辛かったときも……置いてきぼりにしてしまったときも。
 きっとずっと自分のことを想って尽くしてくれていた青年。
 それの、何を疑うことがあるというのだろう。童だってそうだ。
「……童。……そうなんだよね?」
「……、……うん。それに……一ノ兄は、絶対神依様を裏切ったりしない」
「……」
神依の曖昧な問いに、童は神依の求める答えを的確に表してくれる。そして神依が出すべき答えも、あの日奥社の湯殿で選んだものと同じだった。
 ただ一点、二人を信じることを考えれば――同じでなければならなかった。
「……わかった。……禊」
「はい」
「わたし……あなたを信じてる。……帯を解いて」
「はい。……申し訳ありません」
「ううん」
 その短いやり取りで、二人にはもう十分だった。
 禊が帯に手をかければ、神依は胸元だけ寝着の衿が落ちないよう乳房を抱くようにかばう。するとすぐにしゅる、と布のずれる音がして、お腹の辺りが幾分か楽になった。
(……日嗣様との約束、また破っちゃうな)
そんなことを思いながらうつむくように手元を見れば……衣がするりと動き、あらわにされたささやかな胸の谷間が羞恥心をもたらす。
「……」
そして禊は静かに、その右肩を神の前に晒した。
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